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  • 書評|もう、はじまっている新しい戦争|”Sandworm” by Andy Greenberg

    書評|もう、はじまっている新しい戦争|”Sandworm” by Andy Greenberg

    戦争のイメージって飛行機や戦車が実弾を撃ったり、ミサイルが飛んで街を破壊したり人を殺したりですよね。もちろん、そういう戦争が起きる可能性はゼロではないですし、物理的な破壊兵器は今でも作られ続けています。物理的な攻撃の主なターゲットは相手の兵器もそうですが、発電所や工場などの重要施設となります。ですから、電子機器をショートさせてインフラを破壊するミサイル攻撃「電磁パルス」が脅威とされるのです。

    北朝鮮が示唆する「電磁パルス攻撃」という脅威──それは本当に「全米を壊滅」させる力があるのか|WIRED.jp

    しかし、実施にインフラを機能不全にさせるためにミサイル攻撃は必要ありません。サイバー攻撃で敵国のインフラを沈黙させることができるからです。Wiredの記者であるアンディ・グリーンバーグはWired誌でずっとロシアのサイバー攻撃を調べて記事にしてきました。今回紹介するアンディ・グリーンバーグの”Sandworm”は、これまで彼が調べてきた新しい戦争であるサイバー戦争の成り立ちをロシアのサイバー攻撃部隊であるサンドウォームを中心に描かれています。

    サンドワーム ロシア最恐のハッカー部隊 (角川新書)

    サンドワーム ロシア最恐のハッカー部隊 (角川新書)

    • 作者:アンディ・グリーンバーグ
    • KADOKAWA

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    Sandworm: A New Era of Cyberwar and the Hunt for the Kremlin's Most Dangerous Hackers (English Edition)

    Sandworm: A New Era of Cyberwar and the Hunt for the Kremlin’s Most Dangerous Hackers (English Edition)

    • 作者:Andy Greenberg
    • 出版社/メーカー: Doubleday
    • 発売日: 2019/11/05
    • メディア: Kindle版

    サンドウォームと聞いてピンときた人はかなり映画が好きですね、しかもSF映画が。そうです。フランク・ハバートの同名のSF小説を原作とする映画『デューン/砂の惑星』に出てくるアレです。「アラキス」など同小説/映画に出てくる名前を多用するためにそう呼ばれるようになりました。

    前半はロシアとウクライナの紛争の歴史、ロシアの他国へのサイバー攻撃の歴史、アメリカのインフラを対象としたサイバー攻撃の歴史を紹介しています。一夜にしてサイバー戦争が起きたわけではなく、長い歴史の上に成り立っているものなのですね。

    本書でメインの舞台となっているのがウクライナです。ウクライナって日本の人たちにはどんなイメージなんですかね。欧米の人たち(特にIT関連の人たち)にとっては主要なアウトソース先の一つです。最近だとMake It in Ukraineというサイトで簡単にウクライナの開発者やデザイナーが集められます。でも、日本でウクライナに発注すると「え?大丈夫なの?」ってよく言われます。まあ、打ち合わせに現地に行きたくないですが、仕事を依頼するのは全く問題ないですよ。頑張って欲しいですしね、ウクライナの人たちには。

    ウクライナの歴史はロシアからの迫害の歴史です。コサック・ダンスホパーク)ってロシアのイメージがあると思いますが、ウクライナですからね。チェルノブイリ原発事故もウクライナですから。現代だと「ウクライナ人へのジェノサイド」とも言われるホロドモールからオレンジ革命リトル・グリーンメンなどロシアのウクライナに対する迫害と嫌がらせは年季が入っています。この本の軸となる一つがこのウクライナとロシアの対立の歴史です。

    もう一つの軸となるのがサイバー攻撃の歴史です。サイバー攻撃の中でも発電システムなどインフラへの物理的な攻撃に焦点を当てています。サイバー攻撃で物理的な効果を狙った実験がアイダホ国立研究所による「オーロラ発電機テスト(Aurora Generator Test)」でした。このテストの様子はCNNが映像記録を残しています。このサイバー攻撃は発電所で使われる保護継電器の脆弱性を狙ったものでした。

    アメリカでは実験にとどまらず、サイバー攻撃のインフラへの物理的な攻撃利用で実用化します。それがスタックスネットでした。こちらはシーメンスのPLCをターゲットとしたマルウェアで、エドワード・スノーデン がアメリカの国家安全保障局(NSA)とイスラエルの8200部隊が共同開発したものだと暴露しました。このスタックスネットはイランの核施設攻撃に利用されました。インフラへのサイバー攻撃の懸念は土屋大洋さんコラムで書いていますね

    三本目の柱がロシアのサイバー攻撃の歴史です。アンディー・グリーンバーグによれば、アメリカ政府は中国のサイバー攻撃は知的財産を盗むことを目的としているが、ロシアのサイバー攻撃がインフラの物理的な攻撃を目的にしていると認識しているそうです。つまり、ロシアのサイバー攻撃はこれまでの物理的な戦争の延長線上にあります。ロシアは2007年にエストニアを情報的に孤立させた世界初の戦争の延長戦としてのサイバー攻撃から立て続けに、2008年のジョージアとの南オセチア紛争でもサイバー攻撃を活用しています。これがウクライナでのサイバー攻撃による大規模停電へとつながっていきます。

    これまでの戦争の延長線上としてのサイバー攻撃であれば、アメリカとロシアはお互いを仮想敵国としているので、水面下でたくさんの小競り合いが起きるわけです。つまり、既に戦争ははじまっています。その代表的なものが2015年と2016年のロシアによるアメリカ民主党全国委員会のネットワークへの侵入です。そして、衝撃的なのがスタックスネットを開発した国家安全保障局(NSA)ハッキングしてNSAの機密文書だけでなく攻撃ツール類まで公開したことでした。

    参考:NSAの天才ハッカー集団がハッキング被害、官製ハッキングツールが流出

    ロシアはサイバー攻撃の部隊”Sandworm”を中心に物理的な攻撃も可能なツールをどんどん開発して、洗練化させていることがこの本では紹介されています。

    この本はどんな人にオススメか

    コンピューターのセキュリティーに興味がある人はまずオススメです。ここで紹介したこと以外でも、多岐にわたる多くのセキュリティーに関する事件や事例が取り上げられています。

    あと、ロシアという国を知るテキストとしてもオススメです。以前紹介したロシアを含めたオイルビジネスを描いた”Blowout”もそうなのですが、少なくともプーチンのロシアは日本に北方領土を返す気なんて1mmもないだろうなと思うのです。ものすごいタフな国なんですよ。正攻法ではどうにもならない。おそらく日本政府の方々はその辺を理解した上で、いろんなスタンドプレーを国民向けにやってると思うんですよね。でも、それって茶番じゃないですか。もっと裏技を考えた方がいいんじゃないですかね。

  • 書評|死にゆく民主主義のための処方箋|”They Don’t Represent Us” by Lawrence Lessig

    書評|死にゆく民主主義のための処方箋|”They Don’t Represent Us” by Lawrence Lessig

    何かを議論するとき、何を原理原則とするかが重要です。何が目的で、何が手段なのか。例えば、日本は衆議院と参議院の二院制をとっています。何を目的として衆議院と参議院が分かれているのでしょうか。衆議院は何を代表して、参議院は何を代表しているのでしょうか。

    ローレンス・レッシグの最も新しい著書”They Don’t Represent Us”では政治を議論するときは「政治は人々を代表しているか」を原理原則とすべきだとしています。アメリカ合衆国下院は人々を代表しているのか。アメリカ合衆国上院は人々を代表しているのか。アメリカ大統領は人々を代表しているのか。ローレンス・レッシグの答えは「ノー」で、本書ではその問題点と解決策を提案しています。

    They Don't Represent Us: Reclaiming Our Democracy

    They Don’t Represent Us: Reclaiming Our Democracy

    • 作者:Lawrence Lessig
    • 出版社/メーカー: Dey Street Books
    • 発売日: 2019/11/05
    • メディア: ハードカバー

    ローレンス・レッシグは「彼ら」と「我ら」で問題を分けています。「彼ら」とは政治家です。本書のタイトルである「彼らは我らを代表していない」でいう「彼ら」とは政治家で「我ら」とは投票者である私たちです。アメリカの場合であれば立法を代表する下院議員と上院議員、そして行政を代表する大統領です。日本ではそれぞれ衆議院議員、参議院議員、総理大臣ですね。

    アメリカの立法は日本やイギリスと同じ二院制です。アメリカの下院であるHouse of Representativesは日本の衆議院であり、イギリスの庶民院です。直接選挙で選出され、人々を代表します。アメリカの上院であるSenetは日本の参議院であり、イギリスの貴族院です。アメリカの上院であるSenetは州を代表するため、州から二人づつ選出されます。イギリスの貴族院は貴族を代表するため、直接選挙ではなく貴族から選ばれます。これが二院制は国を二つの代表から考えてバランスを取る仕組みです。アメリカの場合は人民と州でバランスをとり、イギリスの場合は人民と貴族でバランスを取ります。日本の場合は衆議院も参議院も人民が選ぶので、どのようなバランスなのかよくわかりません。だったら一院制でいいんじゃないか?と思ってしまいます。GHQは一院制を推したのですが、日本は二院制にして欲しいと交渉して二院制になりました。

    「彼ら」の問題と、その解決方法

    アメリカの立法区である議会の問題点は人々を代表していないことだとローレンス・レッシグは説きます。その中で最も問題なのは献金制度です。日本の場合、衆議院と参議院が人々を代表していないのは明確で、一票の格差が大きいからです。アメリカの下院の場合は一票の格差よりも献金が多い人の意見を政治家が代表することです。これは前著”America, Compromised”でも解説されていた「腐敗(=本来の意図と外れた依存関係)」のためです。政治家は献金に依存するため、本来の目的である人民の代表ができません。これは日本も似ていますよね。各政党の支持母体があって、政党は人々より支持母体を代表しています。だから、人々の意見より政党の意見。そして、政党の意見は支持母体の意見となります。

    まず、政治資金の上限を設けることはアメリカの憲法では違憲となります。言論の自由に反するからです。この問題に対するレッシグの解決案はスピーチ・クレジット(SP)やデモクラシー・クーポン(DC)と呼ばれる選挙資金の分配方法です。投票者は一定額のSPまたはDCを受け取り、候補者に献金することができます。献金したい候補者がいなければ、献金しなくてもいい。献金しない場合は所属する政党に分配されます。政党に所属しない場合は選挙システムの改善のための基金として利用されます。この方法はすでにシアトルで実施されて成果を上げています

    レッシグがもう一つ提案しているのが選好投票(Ranked Choice Voting)です。民主主義の原則は過半数以上(Majority)の意見を取り入れる過半数代表です。半分以上の支持が必要なのです。半数以上ではない多数は単に多数(Plurality)で多数の意見に与するのは民主的とはいえません。現在の選挙制度では人々の過半数を代表しているとはいえず、選好投票はこの問題を解決します。

    この二つが「彼ら」の問題の解決案です。しかし、もっと大切のは「我ら」の問題の解決です。

    「我ら」の問題と、その解決方法

    ボクたちが投票するとき、その候補者がどんな思想なのかわかって投票しています?少なくとも、ボクは各候補者の違いはよくわかっていません。ひょっとしたら日本の政治家は政党を代表しているだけで、人々は選挙で政党を選んでいるのかもしれません。それがいいのか悪いのかは別として。それにしても、自民党が何をしたくて、立憲民主党が何をしたいのかもよく分かっていません。ちゃんと分かってる人、いるんですかね?

    あと、民意ってなんだろう?という問題があります。世論調査は選挙の時以外でも民意を測る手段です。米ギャラップはそのような目的で設立されました。では、世論調査に答える人は十分に背景や問題を理解して答えているのでしょうか。答えは「ノー」ですよね。ぶっちゃけ、いきなり聞かれても困ります。政治家は様々な情報を吟味して議会で発言する機会を与えられます。裁判員も同様です。きちんとした情報がなければ、まともな判断はできません。

    レッシグは「我ら」は無知だと言います。いろんなことを知らなすぎる。その原因は昔ならテレビや新聞のようなマスメディアだし、今ならフェイスブックやツイッターのようなソーシャルメディアが原因の一つです。マスメディアの偏重報道は今にはじまったことではありませんし、ソーシャルメディアが二極化(ポーラリゼーション)を加速したのも既に周知の事実です。知りたい情報しか入らないから二極化する。たしかに、「我ら」は無知かもしれません。しかし、無知と無能は違うとレッシグは言います。十分な情報があれば、熟考した上で理性的な判断ができます。

    この問題を解決する方法が「審議による意見投票(Deliberative Opinion Poll )」です。これは政策の裁判員制度のようなものです。無作為に国民から代表を選んで、一週間集中的に課題のレクチャーを受けます。そして、課題の理解度をテストします。代表者たちが十分に課題について理解した状態で、審議を行い、意見をまとめます。「審議による意見投票」はスタンフォード大学で発案され、最初はモンゴルで実現しました。

    そして、アイスランドとアイルランドでも「審議による意見投票」が行われました。これは直接民主主義とは違いますし、国会の代わりにもなりません。むしろ、裁判所と民間から選ばれる裁判員の関係に似ています。ランダムに抽出された数百人の「我ら」が十分な情報をもとに議論をして、政策決定に関する提案ができる仕組みです。パブリックコメントをさらに発展させた仕組みといってもいいですね。

    この本はどんな人にオススメか

    まず、政治に興味がある人、政治を良くしたいと思う人にはオススメです。ローレンス・レッシグはアメリカの政治と民主主義を前提に話を進めますが、ここで炙り出される問題点はアメリカ独自のシステムにとどまりません。日本を含む多くの民主主義国家に内在する問題点です。それ故に、解決方法は日本でも参考にできます。

    政治に文句を言うのは簡単ですが、具体的な解決方法を示すのは簡単ではありません。ローレンス・レッシグは政治の原理原則を「代表性」と定めた上で、問題点を明確にして具体的な解決方法を示してくれています。これこそ知性だよなって思います。難しくて抽象的なことを言うのが知性じゃないんです。まあ、頭はいいのかもしれませんが、クソの役にも立ちません。難しい問題に対して簡単で具体的な解決方法を示すのが知性です。日本でも二院制のメリットとデメリットが議論されますが、原理原則を明確にしないうちに議論をしてしまいがちです。

    熟論2【1】二院制・一院制とは / Yahoo! JAPAN政策企画 – ヤフー株式会社

    そのため、問題点も明確にはなりませんし、解決策も出てきません。

    この本はショシャナ・ズボフの”The Age of Surveillance Capitalism”など、最近の著書に対するアンサーソングにもなっています。民主主義に関して、どのような議論がされているのか。そして、その潮流に対してローレンス・レッシグはどのような立場なのかがわかります。共産主義が崩れた後、民主主義まで危機に瀕していると多くの知識人が考えていますが、その論点をまとめた形になっています。

  • 書評|経済学が信用されない理由とそれでも信用すべき理由|”Good Economics for Hard Time” by Abhijit V. Banerjee

    書評|経済学が信用されない理由とそれでも信用すべき理由|”Good Economics for Hard Time” by Abhijit V. Banerjee

    経済学が苦手なのは経済予測です。これは皮肉でもなんでもなく、経済学は未来を予測する学問ではないのです。当然ながら経済学者の経済予測は外れるので、一般の人たちから信頼されなくなる。経済学の得意分野は経済予測という誤解は経済学者にとっても不幸ですし、それ以外の一般の人たちにとっても不幸です。

    このギャップの責任の一部は経済学者にもあると今回紹介する”Good Economics for Hard Times”の著書でありノーベル経済学賞受賞者であるアビジット・バナジーとエスター・デュフロは言います。少ないながらも一部の経済学者はテレビや新聞で大々的に未来予測をやったりする(そして外れる)。しかし、多くの経済学者は目立つことはせずに、慎ましく行動している。そのため、本来の経済学は普通の人の目の届くところから離れた場所に存在している。

    Good Economics for Hard Times: Better Answers to Our Biggest Problems

    Good Economics for Hard Times: Better Answers to Our Biggest Problems

    • 作者:Abhijit V. Banerjee,Esther Duflo
    • 出版社/メーカー: Allen Lane
    • 発売日: 2019/11/12
    • メディア: ハードカバー

    普段、ボクはメモを取りながら本を読んで(聴いて)います。そのメモをまとめたものがこのブログに書く書評だったりします。ボクはそれほど頭が良くないので、書き留めないと忘れるし、まとまった知識として身につきません。インプットだけでなく、アウトプットも大事なんです。だから、このブログは他人のために書いているのではなく、自分のために書いているんです。

    この本も最初はメモを取りながら聴いていました(オーディオブックなので)。しかし、途中でメモの取るのをやめました。本の中にどっぷり浸かりたいと思ったんですね。メモを取るとどうしても読書を中断してしまいます。内容は専門的でありながらも、難しい言い回しもなく、経済学に親しみがない人でも楽しめます。ここで出てくる経済理論や考え方はきちんと著者が解説してくれています。

    この本は「移民」、「貿易と関税」や「経済成長」といった一般的なテーマを取り扱っています。一般的だから誰でも語りたがるテーマだったりもします。テレビやインターネットでも「専門家」がいっぱい語っていますよね。ボクらはそれを読んだり、聞いたりして「ふむふむ」と納得してソーシャルメディアで広める。その結果が二極化(ポーラライゼーション)です。

    アビジット・バナジーとエスター・デュフロは「経済学の十種競技」と呼ばれる広い専門性が求められる開発経済学に焦点を当てています。そして、経済学に因果関係を導き出す方法論(ランダム化比較試験)に取り組んでいます。因果関係と相関関係をきちんと分けるのは科学において非常に重要な考え方です。ジューディア・パールも言うように現在のAIでも因果関係は理解できません。とても幅広い知識と論理的思考が備わってないとできないってことです。まあ、だからノーベル賞なんでしょうね。

    例えば移民問題。日本が積極的に移民を受け入れるようになったとします。それで移民が増えるか?日本が移民で溢れてしまうのではないか、もっと中国語や韓国語の看板が増えるのではないか?日本の文化が壊れてしまうのではないか?そんなふうに考えますよね。アビジット・バナジーとエスター・デュフロは移民の受け入れ政策と移民の増加に因果関係は少ないと言います。なぜか?人々はそう簡単に住んでいる土地を離れないからです。経済的に困難なくらいでは暮らし慣れた場所から離れない。とても「粘着性」が高いのです。シリアとかソマリアのように命の危険性が高まってようやくその土地を離れようとする。まあ、そうなれば「移民」と言うより「難民」ですが。

    そして貿易問題。アメリカや中国が保護主義的な政策をとって関税を高めています。これは正しいのか?アメリカやEUは金融やサービスといった貿易とはあまり関係のない産業が主要となってきているので、保護主義でも実は(いまのところ)あまり影響がありません。貿易や関税で問題なのは製造業などに依存している国です。そして、それらの国にとっても単に「いい/悪い」のような単純な問題ではないとアビジット・バナジーとエスター・デュフロは言います。

    例えばなのですが、自由貿易は経済的なメリットがあるものの、自国の産業と雇用は影響を受けます。例えば中国産のアパレルが増えれば、日本のアパレル工場がある地域は影響を受けます。この貿易と雇用の関係は今まで議論があったのですが、統計データによって徐々に因果関係が明らかになってきました。地場産業がダメになったのなら、他の産業に変えるなり、住む場所を変えればいいじゃないか?と考えますよね。でも、そうならない。先ほどの移民の問題と同じで、人は住む場所や職業に「粘着性」を持っているから。それが簡単にできるなら、日本だってとっくに製造業から金融業やITに基幹産業をシフトしていますよね。失われた三十年目に突入しようとする2020年代でも日本はまだまだ金融オンチでコンピューターオンチなんだから、難しいんです。

    そして、経済成長。そもそも経済成長ってなんですかね?生産性の指標は一般的にGDPやTFPですが、グーグルやフェイスブックのサービスは無料です。厳密には莫大な広告収入がありますが、無償サービスにユーザーの費やす時間は生産的なのか?という問題があります。また、好みと差別の境界線の問題。経済用語では選好(せんこう)と言います。どこまでが「好み」でどこまでが「差別」なのか。もちろん、多くの人が積極的に差別しているのではなく、好みの延長線上に差別があります。そして、人間誰しも「好み」があります。

    この本はどんな人にオススメか

    政治や経済に興味がある人にはオススメです。移民や関税とか安易に「賛成!」とか「反対!」とツイッターやフェイスブックで表明しない。じっくり考える。関連する様々なポイントを理解する。どういう作用があって、どういう因果関係が可能性としてあるのかきちんと理解することって大事です。そうすれば自分自身がフェイクニュースの拡張機械になることはないし、何よりも自分自身に考える力がつきます。

    ボク自身も色々と学ぶことができました。世の中って広いし、いろんな深い知見を持った人がたくさんいる。そういう人が本で知識を広めてくれるのはありがたいです。もちろん、Webで検索して情報を得るのもいいんですよ。ただ、Webページだと書籍(紙でもPDFでもオーディオブックなどフォーマットに関わらず)のように網羅性と深みを得るのは難しいですよね。わからない部分があったらWebで調べる。そういう補完関係かなと思います。改めて読書の楽しさを満喫できた一冊でもありました。

    いまは読む本が溜まっていて二周できませんが、きちんと理解するためにももう一度読みたい本です。

  • 書評|DeepSeekの創業者も影響を受けたクオンツファンドの伝説|”The Man Who Solved the Market” by  Gregory Zuckerman

    書評|DeepSeekの創業者も影響を受けたクオンツファンドの伝説|”The Man Who Solved the Market” by Gregory Zuckerman

    いま話題のDeepSeekの源流はクオンツファンドです。クオンツファンドは高度な数学的テクニックを駆使し、運用に携わる人間の相場感を一切排除し、金融市場や経済情勢などの大量データをコンピューターで分析してつくられた「数理モデル」に従って運用する投資スタイルです。DeepSeekのアルゴリズムはクオンツファンド時代から培ってきたものです。

    一般的なイメージとして金融や経済はお金を扱うのだからデータ中心で科学的なのではないかと思われがちです。しかし、一般的なイメージとは裏腹に、経済学は「科学」だと認識されていません。ノーベル経済学賞も通称であってノーベル賞ではありません。金融や経済は理論はあるものの、実際は経験と勘がモノをいう世界でした。

    そんな金融の世界でアルゴリズムで市場の謎を解いたのがジム・シモンズです。少なくとも数多くいる数学者の中で金融において特筆すべき実績を作った一人です。だって、メダリオンファンドの年率は80%ですよ。驚異的です。今回紹介する”The Man Who Solved the Market”は普段は表に出てこないジム・シモンズと彼が率いるルネッサンス・テクノロジーズの発展の歴史を膨大なインタビューから構築しています。ルネッサンス・テクノロジーズがいかに世の中から距離を取っているのかもっとも表れているのがホームページです。ここまで秘密主義に徹した会社の歴史をあぶりだすんだから大した仕事です。ジム・サイモン本人とも10時間にわたるインタビューを行ったそうですが、最後まで出版に賛成してもらえなかったそうです。

    This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World (English Edition)

    The Man Who Solved the Market: How Jim Simons Launched the Quant Revolution

    ジム・シモンズはもともとは数学者で数多くの影響力のある研究論文を残しています。しかし、根っこの部分は商売人なんでしょうね。お金を増やすのが好きで、タイル工場に投資したりしています。そして、大学で教鞭をとっていてはお金がとても足りないということで、収入のいい国防分析研究所(IDA)に移籍します。これで給料が倍になりました。しかし、ベトナム戦争時期に問題発言をメディアで公開されてIDAをクビになってしまいます。幸いにしてニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で数学部門の立ち上げの話があり、学部長として迎え入れられます。この時期にヴェブレン賞を獲得して数学者として幾何学の分野で頂点を極めます。でも、数学者としてはやりつくしたと感じたのでしょうね。1977年に40歳でMonometrics(のちのルネッサンス・テクノロジーズ)を設立して金融の世界に飛び込みます。

    初期に参加した数学者たちは言語解析やGoogleのサーチエンジンの土台となっているバウム=ウェルチアルゴリズムで有名なレオナルド・バウムや量子力学の分野で実績を持つジェームス・アックスバーレカンプーマッセイアルゴリズムで有名なエルウィン・バーレカンプなどスターが集まりました。特にアックスとバーレカンプは一時的にAxcom Trading Advisers(1999年にルネッサンス・テクノロジーズが吸収合併)を関連会社として設立し、現在のメダリオンファンドのコンピューターモデルのベースとなる部分を作りました。

    しかし、コンピューター取引は80年代後半になっても大きな成功をおさめませんでした。これはルネッサンス・テクノロジーズだけでなく、ほかの金融機関でも同じでした。金融では数字を使った分析をテクニカル分析といいます。テクニカル分析自体は古くからあって、日本にも江戸時代に本間宗久がいましたし、チャールズ・ダウも数学的な予測を金融に持ち込もうとしました。現代のテクニカル分析の始祖とされるウィリアム・ギャンもそうですし、ジェラルド・ツァイもそうです。

    80年代はコンピューター取引の研究も盛んになりました。ウォールストリートやロンドンでは物理学者や数学者が集められはじめられ、のちに金融工学と呼ばれる分野が形作られます。彼らは最初はロケット科学者と呼ばれ、さらにクオンツと呼ばれるようになり、現在に至ります。この時期にリチャード・デニストレンドフォロー(順張り)系の手法で大成功しますが、1987年に大失敗。取引から引退してしまいます。また、エドワード・オークリー・ソープがコンピューター取引を本格的に導入。大きく成功するが、1988年に活動停止します。モルガンスタンレーもATPグループというスタット・アーブを活用したコンピューター取引の特化した組織を作り、日商9億ドルの取引を実現する金融界でも有数の取引グループにまで育てますが、これも1988年に解散しています。みんなブラックマンデーが悪いんです。

    リチャード・デニスが引退に追い込まれた原因の ブラックマンデーもコンピューターを使った自動売買プログラムの連鎖が原因の一つとされ、数学は金融取引では市民権を得るに至りませんでした。懐疑論は金融業だけではなく、数学アカデミアの中でも根強く、ブノワ・マンデルブロは金融もフラクタル幾何学のパターンに準ずると論じました。つまり、予想しえないイベントが金融市場では起こるということ。これに続くのが ナシーム・ニコラス・タレブ の『ブラック・スワン』でした。黒い白鳥は予測できませんよと。現在までにジム・シモンズと比肩するパフォーマンスを一時的にも叩き出した会社もありますし、上回った会社もありました。DEショウもその一つですし、ロングターム・キャピタル・マネージメントもそうです。しかし、マンデルブロの予測通り、彼らは失敗しました。ジム・シモンズを除いては。もちろん、ジム・シモンズだって大損をすることもあるのですが、ある程度ファンドの規模が大きくなってからは忍耐強く数学モデルをチューニングして乗り越える。その積み重ねがルネッサンス・テクノロジーズの強さなんでしょうね。

    でも、それだけでもここまでの伝説にはなれない。金融取引の花形であり、儲けの源泉である株式取引まで手を広げないと、大きなプレイヤーにはなれない。そして、大きな賭けにはリスクもある。そう、テックバブルの崩壊です。ルネッサンス・テクノロジーズも決して小さくない損害を受けました。それまでメダリオンでは一日に500万ドル以上損失したことはなかったのですが、テックバブル崩壊では一日に9000万ドル以上の損出を数日間出し続けました。

    株式取引における金言の一つは「知っていることに投資する」です。株取引の神様といわれるピーター・リンチ、その後継者のジェフリー・ヴィニック、さらにウォーレン・バフェットのやり方です。リンチの本は日本でも『ピーター・リンチの株で勝つ―アマの知恵でプロを出し抜け』が今でも売れています。いわゆるバイブルですね。リンチが運用していたフィデリティのメガリオン(ややこしいのですがジム・サイモンはメダリオン)には100人に一人のアメリカ人が投資をしていました。このため、フィデリティが投資信託でリードしていた。

    この分野で頭角を現してきたのがPIMCOビル・グロス。エド・ショウからインスピレーションを得る。完全に数学的なモデルではなく、直感も活用しました。1995年には債権の投資信託が最大規模まで達し、「債権の王様」と呼ばれるようになりました。また、ジョージ・ソロスのクオンタムファンドを引き継いだスタンレー・ドレッケンミラーも頭角を表します。つまり、数学モデルを使った株取引は一部では行われていましたが、完全に自動化はしていませんでした。それでもははじまってはいましたが、すでに皆様ご存知のとおり、リーマンショックやテックバブルの崩壊の要因の一つはコンピューター取引であると言われています。ブラックスワンに負けず、(いままで)生き抜いたのがジム・シモンズとルネサンス・テクノロジーズのメダリオンファンドだったのです。つまり、唯一のプレーヤーではなく、数多くの挑戦者の中でも粘り強く生き残った数少ないプレーヤーということです。

    この本はどんな人にオススメか

    金融取引とコンピューターの関係に興味がある人はオススメです。実際にそのお手本としてジム・シモンズ率いるルネッサンス・テクノロジーズと彼らが運用するメダリオン・ファンド以上の教科書ってないわけです(少なくとも今のところは)。しかも、彼らはメディアに露出することを極端に嫌うため、その全容が明らかになることはこれまでありませんでした。ここまで歴史を明らかにするってすごいことなんですよ。

  • 書評|デザイナーのための気の利いた豆本|A Book Apart

    書評|デザイナーのための気の利いた豆本|A Book Apart

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    ボクの社会人としての原点はサービスデザイナーです。その前にマーケティングもやっていましたが、自分のプロフェッショナルとして定義をする根っことなったのはサービスデザインでした。いまはさすがに自分自身ではデザインをしませんが、それでも出来上がってくるアプリのUXなどはチェックします。

    職業としてのデザイナーの定義はあいまいです。試験とか資格とかないので、誰でも自称デザイナーになれてしまいます。スタンフォード大学のd.schoolのような学校もないですしね。ボクなんかもちゃんとした教育を受けたことはないので、「なんちゃってデザイナー」なのかもしれません。とはいえ、ボクがはじめた頃はペルソナとかカスタマージャーニーマップとかツールがそろっていなかったので、独自で工夫するしかありませんでした。UXの世界に決定的に影響を与えた書籍”The Psycology of Everyday Things”(現在は”The Design of Everyday Things”に改名/日本語訳は『誰のためのデザイン?』)だって、世に出たのは1988年ですし、ペルソナを世に広め、インターフェースデザインに影響を与えたアラン・クーパーの”About Face”も1995年です。いま現在、日本でどれだけデザインについて学ぶ場所が提供が提供されているのかはよくわかりませんが、みんな試行錯誤しながらツールや方法論を作り上げてきました。ボクもそうです。

    それにしてもです。デザインをレビューするときに「もうちょっと基礎を知っておいてくれよ、基礎が確立されて少なくとも10年は経つんだから」と感じる場面が多々あります。見た目はきれいなんですよ。でも、直感的に使えない。FigmaとかZeplinとかNotionとか、Framerとかそういうツールを使うのは慣れている。オンラインのチュートリアルも充実してるし。まあ、モダンなツールを使えるに越したことはないのです。しかし、肝心のデザインの知識や経験が足りていない。「こればっかりは経験を重ねるしかない」という意見もあると思いますが、正しい知識は正しく教わらないと無駄に遠回りになってしまいます。寿司屋とか職人じゃないんだから(寿司も本当は体系立てて学べるとは思いますが)。

    そういう時に若いデザイナーたちに渡すのがA Book Apartの本です。英語の本ですが、日本語でこれくらい基礎知識が分野別にコンパクトにまとまってるシリーズはないので。

    最近買ってデザイナーたちに手渡したのは”Conversational Design”と”Everyday Information Architecture”です。Conversational Designとはどうやってデザインを通じてユーザーと対話をするかです。Maxims of Violationsのような重要なコンセプトが紹介されています。情報アーキテクチャの手法も大規模なWebサイトを作る上では日本でも活用されはじめていますが、アプリのデザインでは使われていなかったりします。LATCHがすべてじゃないですが、せめてLATCHとは何で、どうやって使うのかくらい知っておこうよ、マジで。

    A Book Apartの本は現時点でVol. 31 Expressive Design Systemsまで出ています。それぞれ100ページ強の軽い本ですが、ひとつの分野にフォーカスしているため、総合的な分厚いデザイン本一冊より各テーマについては深堀されています。こういう、軽くてサクッと読める本が日本語でもあるといいんですけどね。日本のデザイナーは日本語だけでは情報的には一周半くらい遅れてしまうので、常に最新の英語の資料に触れておきたいものです。Webコンテンツだと薄いので、A Book Apartくらいのコンパクトな豆本がちょうどいいと思います。

  • 書評|アシモフ的なAI三原則|”Human Compatible” by Stuart Russell

    書評|アシモフ的なAI三原則|”Human Compatible” by Stuart Russell

    人工知能(AI)に関して大きく分けて二つの派閥があります。人間のに脳を超えるとき、人間にとって脅威になると主張する派閥と、人間にとって脅威にならないと主張する派閥です。スチュワート・ラッセルは人工知能は人間にとって脅威になると主張する派閥の一人です。スチュワート・ラッセルはカリフォルニア大学バークレー校の人工知能システム研究所(CIS)の所長で、英語では多くの人工知能の著書を執筆しています。

    一番新しい著書の”Human Compatible”でスチュワート・ラッセルは人工知能が人類の脅威になる可能性があるという立場から、いかに危害をなくすことができるのか(人間との共存=Human Compatible)を考察しています。

    Human Compatible: Artificial Intelligence and the Problem of Control (English Edition)

    Human Compatible: Artificial Intelligence and the Problem of Control (English Edition)

    スチュワート・ラッセルの主張を簡単にようやくすれば「AIの目的ではなく、人間の目的を達成するようにデザインすべき」です。「じゃあ、人間の目的って何?』ってなりますよね。問題は人間の目的は数億人の個人の中にあり、機械にはないこと。さらに、人間は自分自身の目的も明確ではないことです。

    まず、この本では「知能とは何か?」を考察しつつ、AIの歴史をその出発点であるダートマス会議まで遡り振り返ります。これも簡単に要約すると、「知能自体がまだよくわかっていない」ですし、「人間が理解できる範囲内での知能しか再現できていない」です。

    単細胞生物の知能は非常に単純で、1) 特定の状況において、2) 何を望み、3) 何を行動するかの三点に要約できます。しかし、単細胞生物は学習ができません。学習にはニューロンとシナプスの神経ネットワークが必要となります。現在のAIは学習できるまで「知能」レベルになってきました。でも、脳の認知レベルはあまりよくわかっていないし、意識レベルは全くわかっていない。

     

    計算スピードだけであれば、コンピューターは人間の脳をすでに凌いでいます。では、なんで現時点で人間と同等のAIが存在しないのか。それは、ハードウェアの問題ではなく、ソフトウェアの問題だとスチュワート・ラッセルは説きます。コンピューターが人間レベルの「知能」を獲得するには複数のブレイクスルーが必要なのだそうです。その代表が、1) 言葉とコモンセンス、2) 世代を超えた学習、3) メンタル行動の管理です。

    例えばなのですが、AIの自然言語処理は本を読んで理解するに至っていません。また、複雑な予測(例としてあげているのが二つのブラックホールの衝突予測)はできません。前提とする知識やデータが必要で、膨大なデータから必要な知識を人間のように効率的に取捨選択するには特徴エンジニアリングが必要ですが、まだまだ人間レベルには程遠い状況です。また、新しいコンセプトを生み出すには帰納プログラミングが期待できますが、これも相対性理論のような科学的コンセプトを生み出すには至っていません。

    つまり、現時点でAIは個別の人間の能力を凌駕する可能性はあるかもしれませんが、集合体としてのn人間をまだまだ凌駕できません。じゃあ、まだまだ先の話だし、それほど脅威を感じなくてもいいのね?とはいきません。AIが人間を凌駕するのは5年後かもしれないし、500年後かもしれない。そこでスチュワート・ラッセルが提唱するのがAI三原則です。これはTED Talkを観てもらうのが早いかもしれません。

    この本はどんな人にオススメか

    AIが現時点で何ができて、何ができないの?を知りたい人にはオススメです。どうしてできないのかをかなり詳しく専門家じゃなくてもわかるように説明してくれます。AIがすでにいろいろ誤用されているから、気をつけようね!という事例も紹介してくれています。「工業化が人間から職を奪わなかったように、AIも人間から職を奪わない」がどうして楽観的すぎて、資本家にとって都合のいい見方なのかも解説してくれています。まあ、生産性が上がるは利益が上がると同義語で、利益は労働者ではなく資本家に分配されますからね。これを「グレート・デカップリング」と言います。

    ただ、ちょっと冗長的だと感じる部分もありました。AIにある程度興味がある人であれば最初のAIの歴史とかはかなり退屈かもしれません。あと、AIの脅威も映画の中の話っぽさが拭いきれず(実際に映画の例が多い)、あまり脅威に感じませんでした。でも、まあ、すでにAIはたくさん誤用されているわけだから、研究者はちゃんと注意しないといけないんでしょうね。

  • 書評|ベン・ホロウィッツの期待の新著は企業文化について|”What You Do Is Who You Are” by Ben Horowitz

    書評|ベン・ホロウィッツの期待の新著は企業文化について|”What You Do Is Who You Are” by Ben Horowitz

    ベン・ホロウィッツの前著『HARD THINGS』は自らのスタートアップで出会った困難を赤裸々に描き、多くの人に絶賛されました。すごくいい本ですので、スタートアップや経営に興味がある人にはオススメします。そのベン・ホロウィッツの二作目なのですから、期待が高まってハードルが上がってしまいます。

    新著”What You Do Is Who You Are”は企業文化に関する本です。『HARD THINGS』でも企業文化について少し触れられていました。「創業者の行動が企業文化を決める」みたいな感じでしたよね。行動したこと、行動しなかったこと両方が価値観を規定する。今回はそこをさらに掘り下げています。

    HARD THINGS

    HARD THINGS

    What You Do Is Who You Are: How to Create Your Business Culture (English Edition)

    What You Do Is Who You Are: How to Create Your Business Culture (English Edition)

    ベン・ホロウィッツはとても現実主義者ですので、文化に過度の期待を抱かないよう警告します。よい文化が成功に導くわけではない。よい文化だから営業パイプラインが増えるわけではない。悪い文化でも成功することもある。よい文化はよい結果に結びつく可能性があるだけ。それでも長期的な成功を望むのであれば、よい文化を作り上げるのは大切ですよと説きます。

    本書は歴史から企業文化の作り方を学ぶ構成となっています。例外的にMITメディアラボのシャカ・センゴーが現代を代表して紹介されています。まず、歴史の紹介があって、次にそれがどのように現在の企業に当てはまるのかを解説しています。ハイチを独立へ導いた一人であるトゥーサン・ルーヴェルチュールや、日本の武士道、モンゴルのチンギス・ハーンが取り上げられています。日本の武士道は新渡戸稲造の『武士道』ではなく、「死ぬ事と見付たり」で有名な『葉隠』などオリジナルに近い文献から多く引用されているのがすごい。

    新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

    新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

     

    一番印象に残っているのはトゥーサン・ルーヴェルチュールでした。トゥーサン・ルーヴェルチュールが文化を規定する上で行ったことが7つあって、それがなかなか興味深かったです。覚えてもらうためにちょっとショッキングなルールを作るとか、ドレスコードを守るとか面白いですね。でも、確かにそうかもと思いました。

    一番納得だったのは「明示的に倫理を守る」です。これはボクがマイクロソフトにいたから特にそう思うのかもしれません。倫理なく競争に勝つことだけを求めたら、勝てるかもしれません。マイクロソフトもそうでしたし、ウーバーもそうでした。でも、倫理がなければ最終的には破滅してしまいます。マイクロソフトはそれこそ手厳しくハードに学びましたし、ウーバーも学んでいる最中でしょう。

    この本はどんな人にオススメか

    すごく歴史とヒップホップが好きなんだなーというのは伝わりました。特に武士道に関しては只者じゃないです。ボクもそんなに知らなかったですもの。いっそのこと、歴史書を書いたらいいのに!

    内容的には、うーん、期待が高かった分、肩透かしを食った感じです。語り足りなかったのかもしれませんが、『HARD THINGS』で語り尽くした感はあるんですよね。『HARD THINGS』をまだ読んでない人はまず『HARD THINGS』をオススメします。『HARD THINGS』を読んで、「まだ足りない!おかわり!」という人には”What You Do Is Who You Are”もオススメかもしれません。

  • 書評|キックスターター創業者の考える新自由主義の罠と日本的経営哲学|”This Could Be Our Future” by Yancey Strickler

    書評|キックスターター創業者の考える新自由主義の罠と日本的経営哲学|”This Could Be Our Future” by Yancey Strickler

    成功したスタートアップ創業者には海外でも日本でも新自由主義の権化のような人が多いですよね。勝ち組なので、勝ち組の理屈を信じるのは理解できます。一方で、成功したにも関わらず、全く違う価値観を持つ成功したスタートアップ創業者もいます。代表的なのがプロジェクト管理ツールのベースキャンプを創業したジェイソン・フリードとデイヴィッド・ハイネマイナー・ハンソンです。書籍もベストセラーになってるし。本を書かないまでも、ボクが「スロースタートアップ」と定義しているメールチンプのベン・チェスナットドリブルのリック・ソーネットとダン・シーダーホルムなんかは同じマインドセットを持っているんでしょう。そこに新たに名を連ねたのがキックスターターのヤンシー・ストリックラーでした。

    そして、今回紹介するストリックラーの初著書”This Could Be Our Future”は単にスタートアップの創業者の書いた本ではなく(むしろ、あまりキックスターターについては触れられていません)、新自由主義的な価値観からの新しい価値観への転換という大きな枠組みを捉えた試みとなっています。エリック・リースがトヨタ生産方式からリーン・スタートアップを導き出したように、ヤンシー・ストリックラーは松下幸之助の経営哲学から弁当箱フレームワークを導き出しました。

    This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World (English Edition)

    This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World (English Edition)

    この本を読みはじめて頭に浮かんだのが価値と生産性を再定義したマリアナ・マッツカートの”Value of Everything”でした。そうしたら、案の定、この本の途中でマリアナ・マッツカートが言及されていました。マリアナ・マッツカートの論点は「価値とは利益であり、生産性はどれだけ効率的に利益を生み出されたかで測ることができる」であり「行政の価値創出における役割が過小評価されている」でした。

    ヤンシー・ストリックラーはその論点を踏まえた上で、価値=利益に異議を唱えます。最近の傾向として新自由主義が批判の対象となっていて、その親玉としてミルトン・フリードマンが挙げらてます。今回もちゃんと悪玉として登場します。ヤンシー・ストリックラーは現代を「金融最適化」の時代と表現しています。金融最適化の時代において、価値は利益であり、お金です。確かに、もっと安いアイフォンやもっと安いアマゾンの配達が幸せな未来と思えたこともあった。でも、もっとたくさんのプラスチッキゴミが幸せにする?そうじゃないよね、麻薬中毒患者や自殺者は増え続けている。GDPだけが国の豊かさを表す指標だと信じている人間は間抜けだよ……ストリックラーは言います。

    「豊かさとはなんでしょうか?」が一つの問いになります。ストリックラーが例としてあげているのがラジオとニューヨークのロウアー・イースト・サイドです。

    ラジオ局は規制で1企業で2つのラジオ局しか持てませんでした。しかし、新自由主義の流れで規制緩和されました。その結果、iHeartMediaなど少数の企業が全米のラジオ局を独占しました。企業ですので利益を追求し、ラジオ番組の運営が効率化されました。ローカルDJは解雇され、プレイリストはどこのラジオ局でも同じになってしまいました。サム・ハントの”Body Like A Back Road”はビートルズやマイケル・ジャクソン以上にビルボードにランクインされましたが、これは楽曲が優れているだけでないとストリックラーは訴えます。ラジオ局のプレイリストの同質化がヒット曲のマンネリ化を招いたと言います。まあ、悪い曲ではないかもだけど、歴史的名曲には程遠いですよね。

    ボクがアメリカ東海岸に住んでいたのは90年代の前半で、すでにニューヨークも商業化がはじまっていました。地下鉄も落書きができないようになって、キレイになりつつありました。それでもロウアー・イースト・サイドには以前の雰囲気は少し残っていました。Mars BarもCBGBもまだありました。

    Mars Bar(写真:Dennis Crowley on Flickr

    Digging the "Cooper Hotel" mural next to Mars Bar that subtly says "FUCK YOU, GENTRIFICATION!"

    CBGB(写真:Joseph O. Holmes on Flickr

    cbgb, september 06 (#2)

    しかし、今はMars BarもCBGBもその他のユニークなお店は無くなってしまいました。金融最適化のために小さな店が居場所を失い、チェーン店のみが営業できるようになってしまいました。チェーン店だけのニューヨークの価値ってなんでしょうか?

    ストリックラーが例としてあげていて面白いと思ったのがゴミ処理場です。リサイクルは80年代から増えはじめ、2013年には34%のゴミがリサイクルされたそうです。しかし、リサイクルの利益は上がりましたが、リサイクル自体の効率は下がりました。日本ではまだゴミを分別しますが、多くの先進国ではゴミを分別しません。日本ではマルチ・ストーム・リサイクリングという方式で捨てる人が紙、金属、プラスチックで分別して、リサイクルします。他の先進国は新しいシングル・ストリーム・リサイクリングに切り替えているため、捨てる人はゴミを分別する必要がありません。収集施設の機械で分別します。すごくいい感じのシングルストリームなのですが、マルチ・ストリームと比べて高コストでリサイクリング効率が低いそうです。マルチ・ストリームでは数パーセントしか埋め立てゴミにならないのですが、マルチ・ストリームだと15%から27%がリサイクルされずに埋め立てゴミになります。マルチ・ストリームだとリサイクルされた材料の品質が悪いため、最大のリサイクルの顧客の中国が、アメリカからのリサイクル商品の輸入を中止しました。ああ、これも時代ですね。

    どうしよう。リサイクルが破綻しかけているんだって | ギズモード・ジャパン

    ヤンシー・ストリックラーによれば、金融最適化は以下の四つの段階を経て分解、再生産されます。

    第一段階:競争の終わり、寡占化

    第二段階:大量解雇とコストカット

    第三段階:抽出と利益配分

    第四段階:クラッシュ(Yahoo!やSearsやデッドモール)

    多くの株主と経営者は第三段階で利益を確保しているので、第四段階のクラッシュで犠牲になるのは社員や一般投資家のみです。このモデルでは生産性は上がりますが、利益はほとんど投資家と役員に配分され、社員には還元されません。実際に生産性の伸びに対して賃金は増えてないですからね。ボクたちが至上としていた「価値」ってなんのためなんですかね?

    ヤンシー・ストリックラーもキックスターターでもCEOだった時は同じプレッシャーにさらされました。当然ながら成長させなければいけないし、利益を出さなければいけない。利益を生むことが悪いわけではない。企業なら利益を生まなければいけない。悩んだ時期に気づきを与えたのが松下幸之助の水道哲学でした。松下幸之助によれば、「生産者の使命は貧困をなくすこと」です。ここからヒントを得て、ビジネス起点(Business Driven)な考え方と価値起点(Value Driven)の考え方をどうやって整合できるか考えるようになったそうです。

    マズローの自己実現理論に従えば、ある一定のニーズが満たされた後は、次の段階に進まなければいけません。収入の増加は幸福感と相関関係にありますが、一定のポイントを超えるとその効果は薄くなる。アメリカではそのポイントは年収7万5000ドル(約800万円)だそうです。これを収穫逓減と言います。金銭的な欲求が満たされたら、さらに高いレベルを目指すのが自然なはず。しかし、金銭的な欲求が満たされた後、次のステージに行くことができない人が多い。それは考え方の初期設定が自分でも気づかないうちに決まってしまっているからです。ゲームのルールは利益の最大化。つまり、ゲームをするプレーヤーが悪いのではなく、ゲーム自体が悪い。だからゲームのルールを変えるべき。それがストリックラーが至った結論です。

    アダム・スミスは人間は合理性に基づき個人主義的に行動するとしました。ミルトン・フリードマン的な現在の金融最適化の世界では「合理性」と「個人主義」が狭く解釈されているとストリックラーは考えます。個人主義は「自分(me)」だけではく「自分たち(us)」もあり得るし、合理性も直近の利益だけでなく、長期的な利益もあり得る。これを四象限に表した以下の図を「弁当主義」と呼びました。腹八分を満たす弁当箱に価値を小分けにしたのです。

    現在の自分たち

    (現在の人との繋がりを大切にする)

    コミュニティ、公正さ、伝統

    将来の自分たち

    (自分の子供たちに住んで欲しい世界)

    アウェアネス、持続性、知識

    現在の自分

    (最も自己中心的な声)

    安全、快楽、自由

    将来の自分

    (なりたい自分)

    マスター、目標、グリット

    利益が市場の価値とする金融最適化の世界では左下の「現在の自分」の箱の価値しか見えていません。利益も確かに価値ですが、いまは他にも価値があることが見えなくなっているのです。

    利益=「現在の自分」以外に価値を見出している事例として、歌手のアデル、パタゴニア、テスラをあげています。

    チケットの再販問題は日本だけではありません。有名アーティストのチケットは業者が買い占めて、転売されます。その結果、元の値段の数倍まで価格が上がってしまいます。金融最適化の価値観で考えれば、とても合理的です。儲かるんですから。実際にチケットマスターなどのメジャーなチケット販売業者は自分の再販チャネルを持っています。日本のアーティストも悩みますよね。熱心なファンにこそ来て欲しいし、チケットを買って欲しい。そこで歌手のアデルはチケット販売のスタートアップのソングキックと手を組みます。ソングキックは熱心なファンをスコア化し、熱心なファンに優先的にチケットを売る仕組みを提供しています。同様の方法はテイラー・スイフトも使っているとアラン・クルーガーの”Rockonomics”でも紹介されていましたね。アデルやテイラー・スイフトも再販で儲けようと思えばできるんです。もしくは、単にチケットの価格をあげればいい。「現在の自分(now me)」の利益だけを考えればそれが合理的です。でも、そうしない。それは彼女たちの価値観に反するから。人との繋がりを大切にする「現在の自分たち(now us)」の価値観に基づけば、利益ではなく、熱心なファンに適切な価格で売る方がいいのです。

    パタゴニアやテスラは「将来の自分たち(future us)」のために自分たちの技術を競合他社に提供します。利益を考えれば、特許を保護して、競争優位性にした方がいいんです。その方が利益を得ることができます。しかし、そうはしない。将来へ投資した方が長い目で見れば価値が高いからです。

    New Patagonia Ad: Best Weed in Town — Patagonia Works

    テスラのすべての特許をみなさんに | テスラ ジャパン

    アデル、パタゴニアやテスラが直近の利益を犠牲にできるのは、彼らが成功しているからでは?マズローの自己実現理論のように基本的な欲求が満たされているから、さらに上の価値を目指せるのでは?ストリックラーはその問いに、問いで答えます。

    「さらに上の価値を目指すことこそが成功の原因なのでは?」

    この本はどんな人にオススメか

    お金だけではない価値を見出した創業者たちは「耳障りはいいけど、何の役にも立たないポエム」をうたっているだけではありません。お金だけではない価値創出を実践して、生活をしているんです。言葉だけでなく、行動でそれを示している。 “This Could Be Our Future”はそれだけでない、もっと幅広い範囲をカバーしています。キックスターターの創業物語的な内容を期待していると肩透かしを食らうかもしれませんが、とても素晴らしい内容の本で、なるべく多くの人に読んでもらいたいです。

    ヤンシー・ストリックラーの今回の書籍はキックスターターでの経験をさらに整理整頓して、自分なりに体系立てているのが素晴らしい。その上に様々な研究調査をしています。キックスターターだけではない、外の事象に目を向けているからこそ、一般化できる。自分の物語をただ単に語るだけの本はたくさんあります。しかし、そういう物語はあまり役に立ちません。その時、その場所、その環境に依存するから。体系化するということは、一般化するということです。一般化すれば特定の人や場所や環境だけではなく、ある程度、誰でも普遍的に使えます。トヨタ生産システムが実用として世界に広がっているのはそのためです。

  • 書評|クソ野郎、キチガイ、変態と戦う法律事務所|”Nobody’s Victim” by Carrie Goldberg

    書評|クソ野郎、キチガイ、変態と戦う法律事務所|”Nobody’s Victim” by Carrie Goldberg

    イブラム・X・ケンディの人種主義に関する本”How to Be an Antiracist”を読みながら、レイシズムが人種主義で、レイシャル・ディスクリミネーションが人種差別ならば、セクシズムが性別主義で、セックス(ジェンダー)・ディスクリミネーションは性別差別とした方がいいんじゃないかなあ?なんて考えていました。しかし、現時点でのセクシズムの日本語訳は女性差別となっています。じゃあ、セクシズムとセックス・ディスクリミネーションの違いはなんなんだろう。男性だって差別される時もあるよね?そんな時に目に留まったのがキャリー・ゴールドバーグの”Nobody’s Victim”でした。

    Nobody's Victim: Fighting Psychos, Stalkers, Pervs and Trolls (English Edition)

    Nobody’s Victim: Fighting Psychos, Stalkers, Pervs and Trolls

    キャリー・ゴールドバーグはクソ野郎(assholes)、キチガイ(Psychos)、変態(Pervs)、ネット荒らし(Trolls)と戦うブルックリンの法律事務所のC.A.Goldbergの創設者です。戦う相手は大抵男性で、守るクライアントは大抵女性です(例外あり)。大きな黒縁メガネがトレードマークなんですが、めっちゃカッコいいですね。ドラマ化が検討されているのも納得です。

    なんでそんな法律事務所を作ったのか?それは彼女自身がストーカーの被害にあったからです。その内容も凄まじい。ストーカーと化した彼氏に精神的に追い詰められ、職場に押しかけられ、嘘の証言で警察に逮捕までされてしまいました。元彼は裸の写真や性行為のビデオも持っていて、それをインターネットにアップロードすると脅しました。この時、警察も弁護士事務所も誰も助けてくれませんでした。性行為のビデオを本人の了承なしにアップロードするのも権利章典第一条の言論の自由に反するのだそうです。当時はまだリベンジポルノを禁止する法律はありませんでした。この経験から自分が同じ経験をしている数多くの女性を助けようと専門の弁護士事務所を立ち上げることを決意します。

    ストーキングに関する法整備が進んだのはアメリカでも最近です。きっかけは1989年レベッカ・シェイファー殺人事件でした。この事件は『ムーンライト・マイル』という映画にもなりました。カリフォルニアが最初にストーキングを犯罪とする法整備をし、1996年には49州とワシントンDCでストーキングが犯罪になりました。残りの一州ってどこなんだ?

    フランチェスカ・ロッシの場合

    この本を読んでいると、アメリカは犯罪者もネットリテラシー高いなと感心してしまいます。いや、感心しちゃダメなんだけど、すごいですよ。被害者でありクライアントの一人であるフランチェスカ・ロッシの元カレであるホアン・トンプソンはOKCupid、FacebookやTwitterなど様々なチャネルで被害者の元カノ偽アカウントを作り、偽情報を流し続けます。メッセージボードを利用して、被害者を攻撃する兵隊をリクルート。VPNを利用してIPアドレスを隠し、Torブラウザでインターネットの活動履歴を隠し、Totanotaでメールを暗号化していました。キャリー・ゴールドバーグの定義ではキチガイ(Psychos)であり変態(Pervs)ですね。

    法整備がされていても、施行されないと意味がない。多くの場合、警察はデジタル・フォレンジックのスキルがなく、特にストーカーがオンラインでの行動を匿名アカウントや使い捨てのプリペイド携帯電話を使っている場合はお手上げになってしまうそうです。被害を警察に届け出ても、証拠がない限り何もできないと言われてしまう。キャリー・ゴールドバーグは州警察が動かないため、クライアントのためにまず司法省CCIPSモナ・セッドキーにコンタクト。数週間かけて事件化するように依頼します。そして、その間、クライアントであるフランチェスカにストーキングログを取り続けることを依頼。

    加害者のトンプソンはさらに攻撃をエスカレートして、フランチェスカがユダヤ・コミュニティー・センターに爆弾予告をしていると警察やテレビ局に通報します。しかも、12回も。テロの犯罪の場合、普通の警官が訪問するのではなく、スワットチームが派遣されます。偽情報でスワットチームが出動されることをスワッティングというのだそうですが、まさにこの状況。ゴールドバーグも実際に元カレに虚偽の通報をされ、逮捕された経験があるので、この状況は見逃せません。どうやって対応するのかは本を読んで確認してください。ちなみに、トンプソンは逮捕されてめでたしめでたしです。

    マシュー・ヘリックの場合

    キャシー・ゴールドバーグのクライアントには男性もいます。マシュー・ヘンリックのケースはキャシー・ゴールドバーグをさらに有名にしたケースです。マシューはゲイで元カレのオスカー・ホアン・カーロス・グティエレズにゲイの出会い系サイトで偽プロフィールを作られてしまいます。しかも、偽のマシューアカウントではセックスを求めるメッセージを住所とともに流していたので、マシューとセックスを求める人たちがたくさん訪れました。その数、なんと1000人以上!

    出会い系アプリでなりすまし「ホントにあった生き地獄」|WIRED.jp

    グティエレズはキチガイ(Psychos)ですが、キャシー・ゴールドバーグの定義では偽アカウントを掲載し続けたグラインダー(Grindr)はクソ野郎(assholes)に分類されます。もちろん、マシュー本人もキャシー・ゴールドバーグもグラインダーにコンタクトを取り、偽アカウントを削除して、グティエレズのアクセスを禁止するように依頼しました。他のゲイアプリは要請に応じたのですが、最大手のグラインダーだけは頑なに無視を決め込みました。いやいや、1000人ですよ!毎日毎日、セックスを求めて赤の他人がドアをノックしたらどうします?

    フランチェスカ・ロッシの場合と同様に、犯人であるグティエレズの逮捕には成功します。しかし、そもそもグラインダーが削除要請に応えていれば、ここまで状況は悪化しませんでした。当然ながらその罪を報いるべきだと、マシュー・ヘンリックはグラインダーを訴え、キャシー・ゴールドバーグもそれをサポートします。ところがです。この裁判には負けてしまいます。グラインダーとその他のインターネット会社を守っているのが通信品位法(CDA)230条です。この法律のおかげで、グラインダーもフェイスブックもツイッターもユーザーが投稿したコンテンツに対して法的責任を負いません。道義的に削除すべきでも、法的には削除義務がないのです。これは言論の自由を重んじるためなのですが、それにしてもひどいですよね。

    コラム:問題投稿におとがめなし、プラットフォーマー責任論 – ロイター

    守ってくれない学校と戦う褐色の少女たち

    学校でも女性は性的被害を受けます。十代の子供達は性に興味がありますし、テクノロジーにも精通しています。女の子は彼氏に頼まれれば、自分の裸の写真を撮ってあげたりするそうです。女の子はそんな不用意なことをしてはいけない!と言う人もいるでしょうが、そもそもそれをお願いする男が悪いのです。スナップチャットは消えるメッセージツールで、十代に人気があります。そして、十代はスナップチャットをセクスティング(性的なメッセージ)にも使うんだそうです。

    スナップチャットは相手が自分のメッセージや写真のスクリーンショットを撮ると通知されます。しかし、それを迂回して相手に通知を送らないようにするツールもあります。男性はそうやって女性から送られてきた裸の写真を自分の携帯に保存しておきます。これが変態(Pervs)ですね。そして、男たちは彼女と別れるとヌード写真をばらまくと脅します。

    元カノを脅す男子生徒がキチガイ(Psychos)であり変態(Pervs)ならば、被害者である女子生徒を守らない学校はクソ野郎(assholes)です。

    アメリカには教育プログラムや活動における性差別の禁止を規定した法律である教育改正法第9編(タイトル・ナイン)があります。公立だけでなく助成金を含む公的資金を受け取っている私学も、女性が平等に教育にアクセスできるようにしなければいけないと規定しています。この法律が成立する2年前の1970年に8%の女性しか大学の単位を持っていませんでした。そもそも女性を受け入れない大学もありましたし、女性が入りにくくする大学もありました(日本では明確な法律がないために東京医大のようにまだまだ女性差別がなくなる様子はありませんが)。

    タイトル・ナインの適応範囲は授業など学問だけでなく、スポーツなどあらゆる学校の活動が含まれています。アメリカであれば甲子園で行われる高校野球に女性が参加できないのは明確に違法です。素養があるのであれば、女性もマネージャーとしてだけでなく、選手として参加できるようにしなければいけません。法律でそう決まっています。公平平等の原理原則が伝統や文化よりも重んじられます。セクハラも女性の学業の邪魔をすると認定され、タイトル・ナインに含まれるようになりました。慶應義塾大学も私学助成金を国から受け取っているので、タイトル・ナインがあるアメリカであれば大学はセクハラの責任を負わなければいけません。コロラド大学で起きたフットボール選手によるレイプ事件ではコロラド大学が被害者女性生徒に250万ドル(約2億5000万円)の和解金を支払いました。コロラド大学はさらに300万ドル以上の訴訟コストを支払っています。慶應義塾大学はアメリカになくてよかったですね。

    人種差別もそうですが、女性差別に関しても日本はまだまだ先進国と比べて法整備が50年近く遅れていますね。

    タイトル・ナインのおかげで大学は対応する体制を組むようになりました。しかし、これが高校や中学となるとなかなか追いつかないのが現状です。キャリー・ゴールドバーグの当時の最年少クライアントは13歳で学校でレイプ被害に会い、学校は正しい対応をしてくれませんでした。そもそも、現場にその知識がない。そこで、キャリー・ゴールドバーグは学校を訴えるだけでなく、教育省公民権室(Office for Civil Rights)にタイトル・ナイン違反を報告しました。

    同様のケースが立て続けに三件あり、これが例外的な学校の対応ではなく、ブルックリンの公立学校ではよくあることだということがわかりました。そして、その三件とも被害者は有色人種でした。白人の女性の場合は被害を届けて、タイトル・ナインに基づいて適切に処理されることもあるのですが、有色人種の場合は適切に処理されないことが多いのだそうです。これもイブラム・X・ケンディの言うところの人種主義的な政策なんでしょうね。そして、その具体的な政策の是正のために戦っているのがキャリー・ゴールドバーグのような弁護士なんでしょう。

    この本はどんな人にオススメか

    男性はなるべく読んで欲しいです。少なくとも、学ぼうとする人を茶化して邪魔をしないでください。意識高い系を茶化す風潮がありますが、中身が伴ってなくとも学ぶ姿勢は大事ですよ。だって、日本の差別意識って本当に遅れてるんです。日本人は平均的に差別問題に関して意識が低すぎるんです。知らないのはしょうがない。間違うこともある。学べばいいんです。ハフィントンポストのDJ社長と白河桃子さんの対談すごく良かったです。レペゼン地球もジャスミンゆまもがんばって!

    学ぶ意識の高い人にとって、本書はとても良いテキストになります。ここに書いてあること以外でもハンター・ムーアのリベンジポルノサイトだったIs Anyone Up?と弁護士たちはどうやって戦ったのかも解説されています。

    やっぱり、リベンジポルノサイトの運営者も通信品位法(CDA)230条を盾に取るのですが、リベンジポルノ防止法が各州で制定されていきます。日本でも私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律が制定されましたね。言論の自由も大事ですが、プライバシーだって基本的人権で守られなければいけません。デジタルの世界は新しい公民権運動のはじまりで、法律家たちがデジタルでの公民権はどうあるかを議論しています。

  • 書評|人種の違いを「お笑い」にしないための反人種主義(アンチレイシズム)|”How to Be an Antiracist” by Ibram X. Kendi

    書評|人種の違いを「お笑い」にしないための反人種主義(アンチレイシズム)|”How to Be an Antiracist” by Ibram X. Kendi

    人種主義(レイシズム)って日本人にとっては馴染みが薄いと思うんですが、国連では日本はしっかりと人種主義的な国と認識されてしまっています。2005年の国連人権委員会特別報告で「日本社会に人種差別および外国人嫌悪が存在することを正式にかつ公的に認めること、人種主義、差別および外国人嫌悪を禁止する国内法の採択」を勧告されてしまいました。

    おそらく多くの日本人は自分が人種主義者(レイシスト)だと意識していないと思うんですよね。お笑いコンビのAマッソが、大坂なおみに必要なのは「漂白剤!あの人日焼けしすぎやろ」と答えたり、同じくお笑いコンビの金属バットが「黒人が触ったもの座れるか!」というネタをやったり。人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)的だと非難されました。お笑い評論家のラリー遠田さんは「差別意識があっての発言なのか、無意識なのかは区別して考えなければいけません」と理解を求めます。区別して、無意識なら人種差別していいんですかね?

    そもそも、人種主義者(レイシスト)と人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)の違いってなんなんでしょうね?他の民族に対する差別でいえば、嫌韓も人種主義であり、人種差別なんでしょうか?

    Aマッソに金属バット…お笑い芸人から差別問題が相次ぐワケ

    今回紹介するイブラム・X・ケンディは著書”How to Be an Antiracist”では、人種主義者でなく「反人種主義者になりましょう」という指南書です。イブラム・X・ケンディによれば、Aマッソや金属バットが特別なのではなく、ボクらはみんな人種主義者として他の人種を蔑んで見たり、行動したりする可能性があるということです。人の振り見て我が振り直せです。

    How To Be an Antiracist

    How To Be an Antiracist

    人種主義と反人種主義と人種差別

    多くの優れた本がそうであるように、この本も言葉の定義からはじめます。反人種主義者(アンチレイシスト)ってなに?いやいや、そもそも人種主義者(レイシスト)ってなに?日本ではレイシャル・ディスクリミネーションを人種差別と訳しますが、人種主義と人種差別の違いって何?

    人種主義は人種によって優越の差異があるという考え方です。優れた人種とそうでない人種があるという考え方です。人種主義者は問題は人種に起因すると考えます。反人種主義は人種によって優越の差異がないという考え方です。反人種主義者は問題は権力と政策に起因すると考えます。「人種主義者ではない」という「非人種主義」は仮面を被った人種主義だとイブラム・X・ケンディは言います。反人種主義でなければ人種主義であると。曖昧にしてはいけない。人種主義をきちんと定義して、発見して、解体することが大切だと言います。そのために、力と政策に着目することが重要だとしています。

    人種差別(レイシャル・ディスクリミネーション)は必ずしも人種主義(レイシズム)ではありません。人種差別が格差を広げるのか、格差を縮めるのかが問題です。人種によって区別し、格差を広げるのであれば、その政策は人種主義です。人種によって区別し、格差を縮めるのであれば、その政策は反人種主義です。

    また、平等(Equality)と公平(Equity)の区別も重要です。反人種主義は異なる民族間の公平性を促進します。目指すのは平等ではありません。インターネットでよく出回っている以下のイメージが平等と公平の違いをうまく表しています。公平性が何かを理解できれば、人種差別が必ずしも人種主義ではないことが理解できます。

    Equity Vs Equality: 20 differences between Equity and Equality !

    アナンダ・ギリダラダスが”Winners Take All”で平等性に着目して制度的、構造的な問題に切り込んだのと対照的ですね。”Winners Take All”ではぼんやりとして解決策が見えなかったのですが、イブラム・X・ケンディは公平性に着目して、具体的な政策に切り込んでいるため、やることが明確です。平等ではなく、公平の視点に立てば、萩生田大臣の「身の丈」発言ってどうですかね?

    萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて「教育格差」の研究者が考えたこと(松岡 亮二) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

    公平性の確保の考え方と反人種主義

    公平性を確保するために、特定の人種を優遇しなければいけないのであれば、その人種は劣っているのではないか?という疑問も湧いてきますよね。イブラム・X・ケンディは公平性を確保する三つの考え方とアプローチを紹介しています。

    同化主義(Assimilationist):人種主義の一種。人種により文化的、行動的な優越の差異が存在する。または、一方が正しく、他方は間違っている。しかし、劣性の民族は支援することにより矯正が可能であるため、矯正を促進する政策を支持する。優性人種に劣性人種を同化させる。

    分離主義(Segregationist):人種主義の一種。人種により文化的、行動的な優越の差異が存在する。そして、その差異は支援しても矯正できないため、分離する政策を支持する。

    反人種主義(Antiracist):人種により文化的、行動的な優越の差異はない(平等である)。しかし、人種主義的な政策のために一部の人種にとって公正な状態ではない。そのため、人種の公正を推進する政策を支持する。優劣のない人種が人種主義的な政策のため公正な状態にはない。

    こうやってみると、同化主義と反人種主義は似て非なるものですね。人種が劣っているから支援しなければいけないと考えるのが同化主義。人種が劣っているわけでなく、政策により公正ではない状態にあると考えるのが反人種主義です。

    アメリカでいえば有権者ID法の問題。投票者IDの導入で多くの有色人種の投票が受け付けられませんでした。また、SAT(アメリカの大学進学適性試験)などの標準テストも格差を広げます。SATは高得点を取るためのコツがあり、そのコツは家庭教師やプレップスクールで学ぶことができます。それができる所得がある家庭の子供たちがSATの高得点を獲得できる傾向にあります。所得が低い家庭はその費用を捻出できないため、SATで高得点を獲得することが難しくなります。有色人種は貧しい家庭が多い。つまり、有色人種だからSATの点数が悪いわけではありません。所得格差や教育格差はそもそもこのような政策が原因であって、人種の優劣の問題ではないと考えるのが反人種主義です。

    「黒人の投票を制限」米ノースカロライナ州の有権者ID法に無効判決

    イブラム・X・ケンディは具体的な政策に着目すべきだとしています。人種主義の問題を制度の問題、構造の問題、仕組みの問題にしてはいけない。なぜなら人種主義はそもそも制度的であり、構造的であり、仕組み的だからです。具体的な政策に着目して、解体していかなければ人種主義は無くなりません。

    単に肌の色だけではない人種主義

    レッテル貼りって嫌ですよね。個人ではなく、レッテルで判断する。人種主義は一種のレッテル貼りです。人種主義の歴史はエンリケ航海王子まで遡ります。はじめてアフリカから黒人をヨーロッパに連れて行き、リスボンで奴隷オークションをしました。そして、ゴメス・デ・ズララがエンリケ航海王子のバイオグラフィーを書いて、奴隷オークションを正当化します。アフリカの野蛮人をヨーロッパに連れてくることにより、文明を教える。これにより上下関係を明確にしました。これが人種主義の概念のはじまりなのだそうです。その後に、分類学の父であるカール・フォン・リンネが人種を黄色、白、黒、赤に分類します。人種を分類して、優劣をつける。同時代のデイビッド・ヒュームも有色人種は白人より劣っていると考えました。まさにレッテル貼りですね。

    人種を特定の分野での優劣と結びつけるのは全て人種主義です。これ、ボク的にはすごく目から鱗でした。言われてみればそうなのですが、きちんと理解するまで何回も読み直さなければいけませんでした。

    人種主義のレッテル貼りは肌の色に限らないとイブラム・X・ケンディは説きます。例えば、特定の人種の文化を劣っているとする文化人種主義。黒人はイボニックという特有の英語を話します。イボニックはアフリカをルーツとした英語です。白人が話す英語はヨーロッパをルーツとした英語です。文化的ルーツが違うだけで、英語は英語です。ドイツ人はオランダ語を「壊れたドイツ語」と言い、オランダ人はベルギー人のフラミッシュ語を「壊れたオランダ語」と言います。もし、イボニックが「壊れた英語」なのであれば、英語だって「壊れたドイツ語」ですよね。シンガポール人が話すシングリッシュも同様に、英語です。日本人が話す日本語訛りの英語だって、日本の文化をルーツに持つ英語なのです。劣っていると考えるのはおかしい。

    また、身体的な特徴から特定の人種の優劣を考えるのも身体人種主義だとしています。黒人は身体能力が優れるが、頭脳は劣るとか、アジア人は身体能力は劣るが、頭脳は優れているとか。身体能力が優れたアジア人もいるし、頭脳が優れた黒人もいる。優れた個人や劣った個人はいるが、個人の能力を全ての人種に当てはめてはいけないと言います。保守派の政治評論家で、反オバマ映画『オバマのアメリカ』を監督したディネシュ・デスーザは著書“End of Racism”(凄まじいタイトルだ)で「黒人はインプロビゼーション能力が高いためにジャズや野球は得意だが、クラシック音楽やチェスは苦手」と書いているそうです。もちろん、全ての黒人がダンクシュートができて、ジャズの即興演奏ができるわけではないし、聡明な黒人だってたくさんいる。「やっぱ、黒人の血が入ってるからすげーな」と言うのは努力している個人にも失礼ですよね。すごいのはその人なんだから。

    ボクがなかなか腹落ちしなかったのが行動人種主義でした。ボクの個人的な経験で言えば、インド人は行列しない。インドではそれは合理的だと思うんですよ。誰も列ばないんだから。それはそれで一つのシステムだと思います。でも、多くの外国人が集まる空港とかでそれをやられるとカチンとくる。平気で横入りしてくるんですよね。それはダメだろうと。でも、よくよく考えてみれば列んでいるインド人もいる。いや、列んでいるインド人の方が多くて、横入りするインド人の方がむしろ少ない。横入りするほとんどの人種はインド人だけど、横入りするインド人はインド人の一部でしかない。つまり、そういうインド人もいるということです。その個人の行動を捉えて、インド人全体を評価してはいけない。

    この本はどんな人にオススメか

    コンビニや飲食店でも外国人の人たちが働いていて、違う人種が身近な存在になりました。大坂なおみや八村塁の活躍で、多くの人が大和民族だけが日本人じゃないって徐々にわかってきました。日本は単一民族国家だなんて幻想なんです。日本はまだまだアメリカの公民権運動以前の人種主義意識しかないと思います。だから、外国から指摘されても拒否反応が出てしまう。人種主義者の特徴の一つは「拒絶」です。いえいえ、私は人種主義者じゃないですよ、とドナルド・トランプも言いますよね。国連人権委員会特別報告に反発する日本もそうなんですよ。

    だから、なるべく多くの日本人にこの本を読んで欲しいです。ボク自身も気づきが多かったです。ボクは海外生活も長いですし、様々な人種の友人や職場の仲間がいて、自分自身なるべく人種主義者にならないように意識して努めているつもりです。それでも、やっぱり個人の行動と特定の人種を結びつけて考えてしまうことってあります。

    イブラム・X・ケンディは多くの人は人種主義者と反人種主義者の間をつねに行き来していると言います。つまり、Aマッソと金属バットは根っからの人種主義者というわけでなく、人種主義的な発言により人種差別を不用意にしてしまい、そういう瞬間が捉えられてしまったということでしょう。やっぱり、意識しないとダメなんですよね。そして、正しく意識しなければいけない。

    この本に書いてあることをしっかり理解するには何回も読み直さなければ(聴き直さなければ)いけませんでした。難しい単語や文法が使われているわけではありません。自分の中にあるアイデアや価値観と一致しないとなかなか頭に入ってこないんです。これはどういう意味だろう?この場合はどうなんだろう?と考えながら読まなければいけませんでした。しかし、徐々に反人種主義について理解が深くなっていきました。そういう構成になっている。なかなか読み応え(聴き応え)のある本でした。