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  • 書評|東京大空襲と広島、長崎の原爆投下は避けることができたのか?|”Bomber Mafia” by Malcolm Gladwell

    書評|東京大空襲と広島、長崎の原爆投下は避けることができたのか?|”Bomber Mafia” by Malcolm Gladwell

    マルコム・グラッドウェルの新著は第二次世界大戦における爆撃機の歴史です。マルコム・グラッドウェルって英語圏では大ベストセラー作家ですが、日本での知名度は今ひとつですよね。それは、彼が書いた本の内容が悪いのではなく、なぜかダサい邦題が付けられてしまうからではないでしょうか。

    しかし、本作が日本で翻訳されれば、かなり注目されるのではないでしょうか。なぜなら、本書の後半は日本での東京大空襲と広島、長崎の原爆投下が焦点となっているからです。今回は日本人にとってはなかなか考えさせられる本です。

    The Bomber Mafia: A Dream, a Temptation, and the Longest Night of the Second World War

    The Bomber Mafia: A Dream, a Temptation, and the Longest Night of the Second World War

    • 作者:Gladwell, Malcolm
    • 発売日: 2021/04/27
    • メディア: ペーパーバック

    本書で紹介されるのは第二次世界大戦中に精密爆撃を研究したボンバーマフィアと呼ばれる研究者たちです。精密爆撃とは日中に高い高度から正確に対象だけを破壊する技術です。ボンバーマフィアたちの初期の研究ではニューヨークを沈黙させるのに必要なのは橋、水路や発電所といった17箇所のポイントでした。ニューヨーク全体を攻撃する必要はない。日本と開戦するにあたり、日本のポイントも即座に研究されました。ターゲットを算出することで必要な飛行機やリソースを算出できるからです。

    しかし、実際はドイツではドレスデン爆撃、日本では東京大空襲など絨毯爆撃が実施されました。絨毯爆撃は市街地を無差別に攻撃する方法です。軍事施設だけをターゲットとする精密爆撃は比較的「人道的」とされますが、絨毯爆撃は軍人以外の一般市民も巻き添えにするので、非人道的とされます。アメリカではより人道的な精密爆撃の研究がされていたのに、なぜ非人道的な絨毯爆撃に舵を切ったのでしょうか?本書はその歴史を紐解いていきます。

    当時、精密爆撃は最新技術で、キモとなるノルデン爆撃照準器の信頼度が重要でした。しかし、これは精密機械なアナログコンピューターなので量産も大変。実用レベルに安定運用ができるか。その詳細は実際に本書を読んでいただく方がいいでしょう。 

    日本はなぜもっと早く降伏しなかったんだろう。これって日本人じゃなくても不思議だと思うんですよね。空襲の被害にあった都市は430都市で、死者数は562,708でした。そして、広島と長崎に原爆が落とされます。この無差別攻撃を「非人道的だ」とアメリカを非難する意見もあります。しかし、日本はなんでこうなる前に降参しなかったのでしょうか?降参してればこんなに被害者は出なかったんですから。

    日本はイタリアとドイツが無条件降伏した後も、日本は徹底抗戦を続けました。日本の敗戦は降伏する3年前から見通せたはずです。1942年のミッドウェイ海戦ガダルカナル島の戦いの敗退でほぼ勝負ありました。東京に焼夷弾を落としたB29が飛び立ったのはサイパン。このサイパンが陥落したのが1944年7月9日です。日本が無条件降伏する一年前にすでに将棋でいえば「詰み」の状態でした。しかしこれは歴史を知っているから言えることでもあります。

    失敗の本質

    失敗の本質

    • 作者:戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
    • ダイヤモンド社

    マルコム・グラッドウェルはヨーロッパの戦いと日本の戦いは全く違うと指摘します。ヨーロッパは狭い。太平洋は広く、アメリカと日本は歴史上最も離れた敵対国でした。ヨーロッパでは敵の戦車や飛行機が自国に飛んでくるのは現実的でした。しかし、アメリカから日本に飛行機が飛んできるなんて、当時は想像しにくかったようです。

    B29以前の主力爆撃機だったB17の最大飛行距離は2000マイル。片道1000マイルです。当時、アメリカの拠点で最も日本に近かったフィリピンですら1800マイル離れています。そこで登場したのが最大飛行距離3000マイルのB29でした。追加燃料を積めばサイパンから日本の本土がほぼカバーできる。陸軍の四式重爆撃機 「飛龍」の倍近い飛行距離です。そんなB29が1万7500機が出撃16万トンの爆弾と焼夷弾を日本が降伏するまで投下しました。日本人の想像力が現実に追いつくまでそれくらい必要だったということです。

    ボクが本書をすごいと思うのは、戦勝国であるアメリカ人のマルコム・グラッドウェルが加害者として戦争を考察しているところです。これは日本人にはなかなかできないことです。

    日本の戦争映画って日本人を犠牲者として描きますよね。『ひめゆりの塔』、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』はすべて一般市民が戦争に巻き込まれる悲劇を描いています。「もう被害者になりたくない」がメッセージであって、「もう加害者になりたくない」じゃないんです。悪いのは一部の軍人で、その他大勢の日本人は悪くない……と言いたげです。しかし、戦争において、一方的に加害者ではないし、一方的に被害者でもありません。

    アメリカは真珠湾攻撃の被害者だし、東京大空襲や原爆の加害者です。日本だって東京大空襲や原爆の被害者ですが、バターン死の行進シンガポール華僑粛清事件南京事件の加害者です。アメリカには『キャッチ=22』や『スローターハウス5』のような非人道的な絨毯爆撃を皮肉的に描いて批判する作品があります。加害者としての自分自身をきちんと描きます。最近でもスパイク・リー監督『ザ・ファイブ・ブラッズ』で黒人がベトナム戦争の加害者として描かれる場面があります。黒人は「白人にやらされた!」と言いたいかもしれませんが、ベトナム人からすれば黒人も白人も同じアメリカ人です。これって、日本人にも言えるんですよね。悪い日本人と良い日本人がいるんだ!って被害者には通じないですよ。お前も同じ日本人だろ?

    日本人はなかなか敗戦を認められませんでした。大勢の一般市民の犠牲者が出たのはこのためです。いまでも敗戦を「終戦」と言いますし、占領軍を「進駐軍」といったりします。日本がアメリカに占領されていたって知らない人もいますからね。びっくりです。退却を「転進」という戦争当時のメンタリティーとあまり変わってないように思います。

    東京大空襲と広島、長崎の原爆投下は避けることができたのか?昭和天皇や東條英機がもっと聡明で早く現実に向き合えたら、きっと避けることはできたでしょう。しかし、もっと重要な問いかけは「同じようなことが起きたとき、ボクたちは同じ過ちを犯さないか?」ではないでしょうか。ボクは加害者としての自分自身を見つめ直せない限り、日本の戦後は終わってないと思うんですよね。本書を読んで、改めてそう思いました。

  • 書評|環境問題が原因で精子の数が毎年1%減少している……かも?|”Count Down” by  Shanna H. Swan

    書評|環境問題が原因で精子の数が毎年1%減少している……かも?|”Count Down” by Shanna H. Swan

    環境問題に関する本が最近はたくさん出版されています。その中でもかなりユニークなアングルで切り込んできたのが今回紹介するシャナ・H・スワン著”Count Down”です。単にユニークなだけでなく、科学的なベースをしっかりした上で、センセーショナリズムに陥らず、慎重に論調を進めていく姿勢に好感が持てます。ここ最近に読んだ本の中でいちばん面白かったし、知人に話しても本書が一番興味を持たれますね。

    ものすごく簡単に本書の言いたいことをまとめると、「化学物質の規制が必要。癌性が基準でなく、生殖能力への影響を基準とすべき」です。ピンとこないでしょ?一聴すると突拍子もない主張なのですが、本書を読み進めるうちに「なるほど!」となります。まさに読書体験。

    シャナ・H・スワンの研究によると、人間の生殖能力は年々低下しているそうです。精子の数は毎年1%づつ減少している。現代の20代の女性より、二世代前(おばあちゃんの世代)が30代で妊娠する可能性が身体的に高かったそうです。人間は増えすぎているんだから、少し減ってもいいんじゃない?と言う意見もあるとシャナ・H・スワンは認識しています。しかし、人間の生殖能力の減退と、それ以外の生物の生殖能力の減退(つまり、種の減少)が同じ原因だったら?

    人間の生殖能力の減退には多くの原因(食生活やストレスなど)があり、複雑な要因が絡み合っているが、大きな要因として可能性が高いのが環境化学物質だとシャナ・H・スワンは慎重に議論を進めます。具体的には内分泌撹乱化学物質(EDC)が生殖に重要な役割を果たすホルモンの分泌に影響を与えている可能性です。ポイントは毎年コンスタンスに生殖能力が減退している点です。アルコールやニコチン摂取はむしろ改善しているし、健康意識も高まっています(肥満は増えていますが)。

    新薬の市場への投入には強い規制があります。しかし、日用品に使われる化学物質にはほとんど規制がありません。水に溶けずに分解されにくいダイオキシンなどの残留性有機汚染物質は規制されはじめました。新薬は臨床試験などで安全性が確認されないと承認されませんが、日用品に使われる化学物質は安全性を確認することもなく使われてしまいます。残留性有機汚染物質でなくとも、フタル酸ジブチル(DBP)フタル酸ビス(2-エチルヘキシル)など有害性が確認されている化学物質がたくさんあります。これらはRoHS指令などによってEUでは既に規制の対象となっていますが、アメリカや日本では規制が追いついていません。また、規制されたとしても、新たな別な有害物質が使われたら意味がありません。いたちごっことなってしまいます。

    例えば、日本でも食品衛生法で2.5μg/ml(2.5ppm)以下に制限されているビスフェノールA(BPA)も代替物質としてBHPF(フルオレン-9-ビスフェノール)やBPS(ビスフェノールS)が使われますが、BHPFやBPSの安全性は確認されていません。つまり、日常で使っているプラスチック容器は安全性が確認されて市場に出されているわけではないのです。すげーな。

    化学物質の影響は一世代で止まりません。世代を超えて影響が蓄積されることをエピジェネティクスと言います。精子の数は年間1%減り、流産の数は年間1%増えている。このような安定的な傾向は短期的な影響ではなく、エピジェネティクスのような長期的影響の方が説明がつく。シャナ・H・スワンは科学的に立証できない限り断定的な言い方はしません。しかし、間接的には推論できるので、きちんとした科学的調査をした上で規制をすべきだと主張します。

    このように本書はなかなか重要なテーマをユニークなアングルで切り込んでいます。あと、豆知識的なトリビアも多いのが楽しい。例えば、AGDの長さと不妊の関係。AGDはAnogenital distanceの略で、生殖器と肛門の距離です。この距離が短いほど、不妊の傾向が強いのだそうです。ちゃんと統計的に証明されている。母親や父親が体に悪いことをやっていると、子供のAGDが短く生まれてくる傾向があるのだそうです。面白いですよね。

  • 書評|人間の自然への関与はどこまで許されるのか?|”Under a White Sky” by Elizabeth Kolbert

    書評|人間の自然への関与はどこまで許されるのか?|”Under a White Sky” by Elizabeth Kolbert

    今年に入って環境問題についての新著が増えています。いちばんの話題作はビル・ゲイツによる”How to Avoid a Climate Disaster”でしょう。この本もそのうち読んでみたいと思います。今回紹介するのはこのビル・ゲイツの環境問題本とほぼ同時期に出版されたエリザベス・コルバート(日本でも翻訳されている『6度目の大絶滅』の著者)の環境問題本”Under a White Sky”です。

    Under a White Sky: The Nature of the Future (English Edition)

    Under a White Sky: The Nature of the Future (English Edition)

    • 作者:Kolbert, Elizabeth
    • 発売日: 2021/02/09
    • メディア: Kindle版
    6度目の大絶滅

    6度目の大絶滅

    • 作者:エリザベス・コルバート
    • 発売日: 2015/03/21
    • メディア: 単行本

    “Under a White Sky”は前著の『6度目の大絶滅』に引き続き、環境問題の中でも、人間が自然を人工的に変えるプロジェクトに焦点を絞っています。三部構成となっていて、第一部が河川、第二部が陸と海、第三部が空となっています。ちなみに、タイトルの”Under a White Sky”は第三部の空に関係してきます。

    人類はすでに半分以上の氷に覆われていない表面(河川/陸地/海)を直接的に手を加えて変質させていて、氷で奪われていない表面はほぼ全て直接的に手を加えて変質させてしまっているそうです。現代は人間が自然に重大な影響を与える地質時代「人新世(じんしんせい:アントロポシーン)」です。しかし、自然に手を加えれば、その反動もある。その反動の一つが環境問題です。

    少し前に紹介したクリストファー・ノーラン監督作品『インターステラー』(2014年)のインスピレーション元の一つであるケン・バーンズ監督のドキュメンタリー作品『ダストボウル(The Dust Bowl)』も人類が自然に手を加えた結果、環境問題が引き起こされた代表例を描いていますよね。

    第一部の「河川」ではシカゴ運河での外来種の爆発的な増殖と、ミシシッピ川の洪水についてです。人類の行動パターンは……

    1. 人類の利益のために自然を人工的にコントロールしようとする
    2. 一つの問題は解決されるが、別のさらに大きな問題が発生する
    3. さらに大きな問題を解決するため、さらに自然を人工的にコントロールしようとする

     ……と基本的に自らの利益のために、自らの行動を変化させずに、自然をコントロールしようとします。それが環境問題がここまで大きくなってしまった要因です。

    第二部は陸地と海ですが、主に絶滅危惧種について解説されています。環境問題があまりにも大きくなり、人類のコントロールがすでにできない状態になりつつあります。そうすると、人類はさらに自然をコントロールしようと考えます。救えないのであれば、養殖して保存しよう。遺伝子操作で環境に強くしよう。グレートバリアリーフは年々小さくなっています。しかし、遺伝子操作や養殖で救えそうにありません。

    しかし、この本でいちばん面白かったのは第三部の空です。地球温暖化について扱っています。地球温暖化についても不可避になりつつある認識が多くの科学者の間で広がっているそうです。もう、地球は温暖化してしまう。じゃあ、どうするか。冷やせばいい。そこで登場するのが地球工学(ジオ・エンジニアリング)です。例えば、炭酸カルシウムを空に散布し続ける。そうすると、空は白くなるそうです。青空ではなく白空になる。これが本作のタイトル”Under a White Sky”です。

    ボクもあまり環境問題には詳しくないですが、本著はとても面白かったです。

  • 書評|セックス(と性病)について語ろう|”Strange Bedfellows” by Ina Park

    書評|セックス(と性病)について語ろう|”Strange Bedfellows” by Ina Park

    今回紹介するのは性病(STD/STI)についての本です。以前に紹介したドラッグについてのカール・ハートの著書”Drug Use for Grown-Ups”も同じですが、性病を禁忌として目を逸らしても何もいいことがない。これが著者アイナ・パークのメッセージです。正しい知識を持つこと。それが第一歩です。

    Strange Bedfellows: Adventures in the Science, History, and Surprising Secrets of STDs

    Strange Bedfellows: Adventures in the Science, History, and Surprising Secrets of STDs

    • 作者:Park, Ina
    • 発売日: 2021/02/02
    • メディア: ハードカバー

    日本は「恥の文化」だと『菊と刀』の著書ルース・ベネディクトは指摘しました。他者の感情や自己の体面を大切にする文化。つまり、自己の外側。世間体大事。一方で西洋は「罪の文化」なのだそうです。これは自己の内面に抱える罪の意識。自己の内側。

    菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

    菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

    • 作者:ベネディクト
    • 発売日: 2013/12/20
    • メディア: Kindle版

    アイナ・パークが問題とするのは性病が「罪(スティグマ)」となって、語ることすら憚れる状況です。語らなければ知識は行き渡らない。結果的に性病で不幸になる人が増えてしまう。この「罪」を軽くして人がなるべく性病についてオープンに話せるようにしたい。まあ、これは日本でも一緒ですよね。罪なのか恥なのかはあまり重要ではない。性病が話題として禁忌であるのは一緒なのですから。

    性病についてオープンに語れるようになるとどんないいことがあるのか?例えば、恋人ができて性交渉をする前にお互いに検査をすることができます。しかし、性病が「罪」や「恥」だったら検査するのも躊躇してしまいますよね。「性病だったらどうしよう?」という心配が、相手に対する想いを上回ってしまう。感染源を追跡するのも「罪」や「恥」だと難しくなる。これは現在の新型コロナウィルスも同じですよね。性病(そして、新型コロナウィルス)を「罪」や「恥」にしても、いいことなんて何もない。無知が広がるだけです。

    ボクも偉そうなことは言えないですけどね。この本に書いてある性病事情は全く知りませんでした。本著はHIV、淋病や梅毒のようなよく知られた性病からははじまりません。まだ治療法が確立されていない(でも、感染者が淋病より遥かに多くいる)性器ヘルペス(HSV)ヒトパピローマウイルス(HPV)からはじまります。ヘルペスなんて感染したら根治できない。だから、ちゃんと検査をして、感染を広げないように予防しないといけない。

    これは性病のチャンピオンであるHIVについても同じことが言えます。HIVは曝露前予防内服(PrEP:プレップ)を使えばある程度は予防ができる病気になりました。でもアメリカでもプレップを服用することをオープンにする人は少ないのだそうです。その話題すら憚れる。なぜなら、男性同士でコンドームを使わないセックスをしますと言っているのと同じだからなのだそうです。もちろん、コンドームを使うことでHIVだけでなく、梅毒など他の性病の感染も予防することはできます。プレップを「罪」や「恥」にしたところで、何もいいことはないですよと。ちゃんとお互い定期的に検査を受け流ことが大事だし、予防をすることも大事。

    本著ではHSVやHPVのようなニュースクールの性病だけでなく、後半には梅毒や淋病のようなオールドスクールの性病も取り上げています。梅毒や淋病はすでに治療法が確立されていますが、それでも感染爆発の気配を見せることがあるのだそうです。どうやってその感染爆発を防ぐのか。それはトラッキングできるようにするしかない。そのためにも性病を「罪」や「恥」にしてはいけない。Salt-N-Pepaも30年前から言ってるじゃないですか、セックスについて語ろうと。

  • 書評|メールや会議は仕事じゃない、もっと価値のある仕事をしよう|”A World without Email” by Cal Newport

    書評|メールや会議は仕事じゃない、もっと価値のある仕事をしよう|”A World without Email” by Cal Newport

    前著『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』が日本でも翻訳出版されたカル・ニューポートの新著”A World without Email”は最近再び注目されつつあるeメールがテーマになっています。少なくとも英語圏ではHeyのような新しいメールサービスに人気が集まったり、ニュースレターが再び脚光を浴びて多額の投資を手に入れるスタートアップ が出てきたりしています。最近ではTwitterがSubstackを買収して話題になりましたよね。

    A World Without Email: Reimagining Work in an Age of Communication Overload

    A World Without Email: Reimagining Work in an Age of Communication Overload

    • 作者:Cal Newport
    • 発売日: 2021/03/02
    • メディア: Audible版

    しかし、本書”A World without Email”はeメールだけでなく、Slackなどを含めた非同期コミュニケーション手段全般を取り上げています。カル・ニューポートは以前に『大事なことに集中する(原題:Deep Work)』を出版していますが、本著はそのアップデート版であり実用書でもあります。

    大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

    大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

    • 作者:カル・ニューポート
    • 発売日: 2016/12/09
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)

    まず、カル・ニューポートのポジションを確認しましょう。カル・ニューポートはナレッジワークは2つに分類されると言います。一つはワークエクセキューション、もう一つはワークフローです。ワークエクセキューションが実際の価値を生み出します。「ディープワーク」とは価値を生み出すワークエクセキューションに集中することを指します。

    一方でワークフローは価値を生み出すために調整することです。メールやチャットでのやりとりがまさにワークフローです。まあ、実際に会議ばっかりしている人いますよね。メールがインボックスにすごく溜まってると嘆く人(さりげなく忙しいとアピールする人)もたくさんいます。カル・ニューポートに言わせれば、会議やメールのやり取りに忙しい人は、価値を生み出す活動をあまりしていないことになります。ボクもそう思うんですよね。会議やメールで忙しい人は生産性の悪さを恥じ入るべきだと思います。

    ナレッジワーカーのコンセプトを提唱したのはピーター・ドラッカーです。よく、「自律的に働く人材」と言いますが、この自律的な人材もドラッカーが考えるナレッジワーカー像でした。ナレッジワーカーは高度に専門的なプロフェッショナルなので、働き方は個人に委ねて自律性を尊重すべきだとしました。カル・ニューポートはドラッカーが示した「自律性」はワークエクセキューションであり、ワークフローではないと指摘します。メールやチャットなどの不定形で非同期のコミュニケーションは自律性は高めますが、生産性は低下させます。

    なぜ、メールやチャットは生産性を低下させるのか?まず、単純にボリュームが多い。CCを含め、たくさん宛先を指定できるので、気軽に多くの人に情報を配信できてしまいます。さらに、不定形なコミュニケーションなので、アクションアイテムが明確ではありません。これを解決するためには情報のオーバーロードを最小化するアプローチが必要となります。

    次に、時間が分断されワークエクセキューションに集中する時間が細切れになります。これも生産性の低下につながります。メールやチャットをチェックするのが習慣化してしまい、集中力が長く続かなくなってしまう。集中力が分断化されると生産性が低下するのは様々な研究結果からもわかっています。これを解決するためのアプローチはコンテキストスイッチの最小化です。

    情報のオーバーロードを最小化する、 コンテキストスイッチを最小化する。この二つを具体的にどうしたらいいのか?本書の後半はその具体的な方法を提示しています。カル・ニューポートって理論家ではなく、実践者なんですよね。だから、どうしてもハウトゥー本になってしまう。まあ、それが彼の良さなんでしょうが。

    彼が提案している非同期コミュニケーションの罠から脱出する方法の中で二つはボクもすでに実践していました。

    一つはプロジェクト管理ツールの活用です。何か具体的なアクションアイテムがある場合、プロジェクト化した方が効率的ですし、プロジェクトであればプロジェクト管理ツールを使った方がいい。例えば新入社員の受け入れ。PCやスマホの手配やトレーニング。やることがいっぱいありますよね。だとしたら「新入社員受け入れプロジェクト」としてやることリストをTrelloなどで管理した方がメールでやり取りするより数倍効率的です。

    カル・ニューポートはスクラムやXPなど、アジャイルの手法を普段の仕事に取り入れることも提案しています。ボク自身は開発プロジェクトで日常的にスクラムを実践しているので、これも理解できます。プログラマーならコードを書くことに集中して欲しいし、デザイナーならSketchやPhotoshopでどんどんUIを作って欲しい。ミーティングなんて朝会の15分で十分。進捗なんてJiraを見れてばわかるもの。ああ、そう言えば、そろそろZenHubに移行しようと思ってたんだ。

    ボクがまだ実践していないカル・ニューポートの提案の一つが人力アシスタントの活用です。これは実践してみたいと思いました。コンピュータのおかげで様々な業務が簡単になりました。そのため、バックエンド業務のセルフヘルプ形式が増えました。例えば経費精算。多くの社員は経費清算の作業を自分でやってますよね。しかし、そのために失われる生産性を考えれば、実際は給料が安いスタッフがやったほうが安い。自分がやるべきことじゃないのは、アウトソースしたほうがいい。ディゲーションが大事。

    もう一つ実践してみたいと思ったのがワークタイム制です。これはBasecampが実践している方法で『NO HARD WORK!』でも紹介されている方法です。ワークタイムとは他の人が自分にコンタクトできる時間です。つまり、コミュニケーション(=ワークフロー)に使う時間を限定して、残りの時間を実際の価値を生むワークエクセキューションに使うやり方です。

    カル・ニューポートの書籍は実践的なことが多く書かれているので、ハウトゥー本として低くみられたりします。でも、理論より実践。具体的なハウトゥーの方が役に立つこともあるんですよね。

  • 書評|マインドフルネス入門書|”You Are Here” by Thich Nhat Hanh

    書評|マインドフルネス入門書|”You Are Here” by Thich Nhat Hanh

    ボクは宗教やスピリチュアルには縁遠い人間です。宗教やスピリチュアルを信じている人をバカにしたりしないけど、自分自身は信じていない。キミはキミ、ボクはボク。そんなボクにマインドフルネスは興味があるトピックではありません。なぜ、そんなボクがティク・ナット・ハンの新著『You Are Here』を読んだのか?ボクは米国アマゾンの科学やコンピューター分野の新刊を定期的にチェックして、そこから毎回読む本を選んでいます。なぜか、その中にこの本が紛れ込んでいたんでしょうね。

    そんなわけで、この本を読みはじめた(実際はオーディオブックなので聴きはじめた)時、とてもビックリしました。え?何これ?マインドフルネス?興味ねーよ!とはいえ、せっかく買ったのですから、読んでみないともったいない。まあまあ面白かったです。

    You Are Here: Discovering the Magic of the Present Moment (English Edition)

    You Are Here: Discovering the Magic of the Present Moment (English Edition)

    • 作者:Hanh, Thich Nhat
    • 発売日: 2010/12/21
    • メディア: Kindle版

    ボクは(当然ながら)知らなかったのですが、著者ティク・ナット・ハンはとても有名な仏教者でマインドフルネスの第一人者の一人なのだそうです。日本でも多くの著書が翻訳、出版されていました。この『You Are Here』もきっと翻訳されるのでしょうね。

    マインドフルネスとは「あらゆることに意識を巡らすこと」だと理解しました。その最初のステップが呼吸を意識すること。吸って、吐いて。呼吸に「良い/悪い」の区別はない。ただ、そこに呼吸という行為があるだけ。それを「意識(mind)」することがマインドフルネスの第一歩だとのことです。

    人間には良い感情があれば、悪い感情もある。それも「意識(mind)」することからはじまる。ああ、自分はいま悪い感情を抱いている。それを意識する。それを意識することで、「悪い感情」をあやすことができる。子供をあやすように。悪い感情をまずは認める。そこからはじまるのだそうです。

    仏教には「現在」しかない。時は川の流れのようなもので、「過去」はすでにない。「未来」はまだない。現在を「意識(mind)」することが重要。「現在」を意識することで「過去」と「未来」と繋がることができる。過去から学び、より良い未来に自らを導くことができる……ということなのだろうか。

    果たして、ボクはこの本を理解できたのだろうか?たぶん、理解できてないと思います。ボクは毎日1時間くらい散歩をする習慣があります。その時に呼吸を意識しようとは思いましたし、実際にここ数日は散歩の時に呼吸を意識するようにしています。ボクはいまここにいる。そして、ボクは意識をしている。それで何かが救われるのか?よくわからないです。でも、それで少しでも心に平穏がもたらされればいいなとは思っています。

  • 書評|「仕事とは何か」をビッグヒストリー的なアプローチで解き明かす|”Work” by James Suzman

    書評|「仕事とは何か」をビッグヒストリー的なアプローチで解き明かす|”Work” by James Suzman

    生産性は技術革新のおかげでかなり上がりました。しかし、それでも私たちは仕事をしています。生産性が上がって、仕事が減るどころか増えています。

    ケインズは「生産性が上がり、2030年には労働時間は週15時間になる。21世紀最大の課題は余暇になるだろう」と予測しました。経済における「約束された場所」のはずでした。2030年にはまだ少し時間がありますが、労働時間は減りそうにありません。いったい、何を間違ってしまったのでしょうか?

    日本でも『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』が翻訳されている人類学者ジェイムス・スーズマンの新著”Work”はこの問いに対してビッグヒストリー的なアプローチで答えようとしている意欲作です。

    Work: A Deep History, from the Stone Age to the Age of Robots (English Edition)

    Work: A Deep History, from the Stone Age to the Age of Robots (English Edition)

    • 作者:Suzman, James
    • 発売日: 2021/01/19
    • メディア: Kindle版
    「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている

    「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている

    • 作者:スーズマン,ジェイムス
    • 発売日: 2019/10/25
    • メディア: 単行本

    なぜ、ケインズの予想は間違えたのか。この問いに対しては多くの論者が解き明かす試みをしています。ルトガー・ブレグマンの『隷属なき道』も同じテーマですよね(もちろんハイエクの『隷属への道』にかけているわけです)。ジェイムス・スーズマンは既に手垢がたくさんついたテーマをビッグヒストリー的な切り口でアプローチしていきます。

    隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book)

    隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book)

    • 作者:ルトガー・ブレグマン
    • 発売日: 2017/05/26
    • メディア: Kindle版

    ビッグヒストリーはビッグバンから138億年の歴史を体系的にまとめる試みです。138億年間を8つの臨界点(スレッショルド)に分けています。ジェイムス・スーズマンは「仕事」に焦点を当てて、生命の誕生からサービス産業の台頭までを4つの集合点(コンバージェンス)に分けて分析しています。

    どこまで遡るのか?なんとカンブリア紀まで遡ります。世界はエントロピーに支配されている前提では、生命はとても不思議な存在です。遺伝子などもカオスにはならずに秩序を持って成長します。(実際はそうではないですが、)生物はエントロピーに抗っているように見えます。エントロピーに反して成長するにはエネルギーが必要ですし、生物として複雑なほどエネルギーが必要となります。そこで、ジェイムス・スーズマンは仕事(work)の定義を「ある目的を達成するタスクを遂行するために意図的にエネルギーを使うこと」としています。仕事(work)は作業(job)と違う。これまでの経済学者の仕事(work)の定義「経済的なニーズを満たす」だと狭すぎるし、そもそもケインズの問題を解決できない。

    なぜ、「経済的なニーズを満たす」では説明できないことがある。まだ人類が農業を始める前を説明できません。狩猟を生業としていたときは週に15時間も働いていなかったことが最近の考古学の研究でわかってきています。ケインズが予測した(そしてまだ到来していない)週15時間労働の世界は既に昔に到達していたのです。では、なぜ働くのか?経済的な問題を解決することでは説明できません。

    ジェイムス・スーズマンの仕事の定義「意図的にエネルギーを使う」は脳の役割「生存のためにエネルギーを使う」と同じなのが面白い。スーズマンは最新の脳科学についての知識もあるようです。いや、スーズマンは自身の専門の人類学だけでなく、経済学や考古学など様々な分野に精通しているようです。本書ではデヴィッド・グレーバー『負債学』『ブルシット・ジョブ』にも言及されていますし、ガルブレイス『ゆたかな社会』にも言及されています。

    ゆたかな社会: 決定版 (岩波現代文庫)

    ゆたかな社会: 決定版 (岩波現代文庫)

    • 作者:J.K. ガルブレイス
    • 発売日: 2006/10/17
    • メディア: 文庫

    ジェイムス・スーズマンはポリマスなんだと思います。ボクたちはつい先日デヴィッド・グレーバーという素晴らしいポリマスを失ったばかり。スーズマンがデヴィッド・グレーバーの後を継いでくれたらすごく嬉しいのですが。

  • 書評|孤独と新自由主義の関係性|”The Lonely Century” by Noreena Hertz

    書評|孤独と新自由主義の関係性|”The Lonely Century” by Noreena Hertz

    日本でも老人の孤独死が問題になっていますが、「孤独」は世界的にも問題なようです。イギリスでは孤独担当大臣が設立されたほど。孤独って主観的な感情の気がするのですがUCLA孤独感尺度が指標として使われることが多いそうです。日本でもUCLA孤独感尺度は老人の孤独などの研究に使われています。

    コロナ禍で人との接触が極端に減ったこともあり、孤独を感じる人は増えているようです。しかし、今回紹介する”The Lonely Century”の著者であるノリーナ・ヘルツはコロナ禍以前から孤独を感じる人は増えていたと主張します。現代を「孤独の世紀」と位置づけています。なぜ、多くの人は孤独感を感じるようになってしまったのでしょうか?

     The Lonely Century: Coming Together in a World that's Pulling Apart

    The Lonely Century: Coming Together in a World that’s Pulling Apart

    • 作者:Hertz, Noreena
    • 発売日: 2021/06/03
    • メディア: ペーパーバック

    ノリーナ・ヘルツによれば、「孤独の世紀」の原因は新自由主義にあるのだそうです。え?また?最近の英語圏の言論を追いかけている人だったら分かると思いますが、新自由主義はあらゆる悪いことの根元のように語られることが多いです。それにしても、孤独まで新自由主義のせいかよ!とサスガのボクもツッコミを入れたくなりました😹

    それ以外にもAIやIoT、民泊まで孤独の原因として糾弾されます。(ボクの個人的な見解ですが)あまりにも広範囲に孤独の原因を求めようとしてしまい、結局何が言いたいのか分からなくなっているのがこの本の欠点です。今は孤独の世紀だ、うむ、それは分かる。では、どうしたらいい?それがよく分からないんです。新自由主義の新しい批判として「孤独」はなかなか面白いアングルだとは思いますが。

    全般的にとっ散らかった印象のある本書ですが、面白かった部分もあります。本書の前半は「孤独」とは何か?という本質的な部分に光を当てています。脳から分泌される化学物質は恐怖と孤独は近いのだそうです。だから、孤独は心理的なだけでなく、身体的なのだそうです。どれくらい孤独が身体的に影響を与えるかといえば、30%の確率で早死するとの調査結果もあるそうです。

    もう一つ面白かったのが、孤独の攻撃性に関するネズミの実験。ネズミをある一定期間隔離して孤独状態にすると、孤独が定常化するのだそうです。孤独が定常化したネズミを他のネズミと会わせる。そうすると、久しぶりにあった別のネズミに対して攻撃的な行動を取るのだそうです。二極化と不寛容性の関係性も孤独から考えるとわかりやすいのかもしれないと思いました。

  • 書評|大人のためのドラッグ講座|”Drug Use for Grown-Ups” by Carl L. Hart

    書評|大人のためのドラッグ講座|”Drug Use for Grown-Ups” by Carl L. Hart

    読者の常識に挑戦する本は知的な刺激を与える本です。考えが及ばなかった部分に光が当たる感覚。しかし、それは「挑戦」なので、拒否反応もあります。理屈はわかるが、信じたくない。受け入れられない。日本語でも著書が翻訳されているカール・ハートの新著”Drug Use for Grown-Ups”はまさにそんな本です。

    カール・ハートはコロンビア大学の教授で神経科学と心理学を専門にしています。ドレッドヘアーの見た目ですが、ドラッグについて先進的な研究をしている世界でも有数の専門家です。

    Drug Use for Grown-Ups: Chasing Liberty in the Land of Fear

    Drug Use for Grown-Ups: Chasing Liberty in the Land of Fear

    • 作者:Dr. Carl L. Hart
    • 発売日: 2021/01/12
    • メディア: Audible版
    ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

    ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

    • 作者:カール ハート,Carl Hart
    • 発売日: 2017/01/24
    • メディア: 単行本

    カール・ハートの本書における主張は以下にまとめることができます。

    • ドラッグは悪い効果よりも良い効果の方が多い
    • ドラッグの問題の多くは知識不足に起因する
    • ドラッグ問題は人種差別の隠蓑になっている

    つまり、正しい知識を持った責任のある大人であれば、ドラッグの悪い効果を最小限にし、良い効果だけを最大限に引き出すことができる。これが本書のエッセンスです。本書における「ドラッグ」にはアルコールやカフェインも含みます。無責任に「ドラッグは安全だから合法化(legalization)すべき」などとは主張していません。正しい知識を普及させて、責任のある大人にはドラッグを使えるようにしよう。合法化(legalization)ではなく、スペインやオランダのように非犯罪化(decriminalization)するのが最も近道だと説きます。

    カール・ハートはドラッグの効果は四つの要因に大きく影響されると言います。

    1. 量(dose)
    2. 脳への到達ルート(route admiration)
    3. 摂取する人の個体差(set)
    4. 環境(setting)

    量(dose)は実際の分量(quantity)もありますし、 その量で得られる用量効果(potency)もあります。用量効果が高ければ、分量は少なくてすみます。量を多く取りすぎる状態が過剰摂取(overdose)です。正しい知識で、正しい量を摂取する必要があります。

    摂取したドラッグは脳に到達して効果を発揮します。摂取ルートは大きく分けて1)口から(経口薬)、2)鼻から(粉を吸い込んだり、煙で吸う)、そして3)注射器で血管からです。初心者は煙で吸う方法がコントロールしやすく、効果もすぐ表れるのでオススメだそうです。

    また、摂取する個体差(set)や環境(setting)も大きく影響するそうです。例えば、体重もそうですし、疾患や病歴なども関係して来ます。その時のムードも。

    これら全てがドラッグで良い効果を得るための必要知識だそうです。正しい知識なしにドラッグをやるから過剰摂取のような事故が起きる。ドラッグが関わる死亡事故の統計を見ると、ドラッグだけが死因ではないケースがほとんどだそうです。ドラッグは組み合わせてはいけない(これも「正しい知識」の一つだそうです)。アルコールを飲みながらコカインをやっちゃダメとか。そういうことらしいです。

    ドラッグに関する大きな問題は知識不足だそうです。マリファナの合法化に拒否反応を示す人だったら卒倒してしまうかもしれませんが、コカインだろうと、ヘロインだろうと、LSDだろうと、『ブレイキング・バッド』で有名になったメスだろうと、正しく使えばアルコールやカフェインと同じだと言います。

    なぜ、多くの人はドラッグについての正しい知識を持っていないのか?これには複数の要因があるのですが、正しい科学的な研究がほとんどできない状況にもその理由の一つだそうです。多くの研究はNIDA(National Institute on Drag Abuse)が資金を提供しています。本書で使われている科学的データのほとんどもNIDAが資金提供をした者だそうです。しかし、NIDAは基本的にはドラッグを根絶するために設立した期間なので、ドラッグは悪者でないといけない。例えば、「ドラッグは脳を変えてしまう」は通説になっていて、日本でも芸能人が麻薬で逮捕されると「ドラッグは脳を変えてしまう」から常習化してしまう!みたいな報道が多くなると思います。

    薬効のドーパミン過剰供給によって,脳内に覚せい剤を欲する回路が形成され,継続使用のうちに回路が強化されていき,次第に回路自体が脳を支配するようになる。ー田代まさし氏の逮捕から考える覚せい剤依存のおそろしさ

    しかし、実際には実験でそのような証明がされたことはないそうです。ジーナ・リッポンも著書”The Gendered Brain”で解説していますが、脳スキャン(fMRI)はビジュアル的に「わかりやすい」のですが、その解釈はとても慎重に行う必要があります。また、ドラッグが脳を変質させるというのであれば、摂取前と摂取後の二回スキャンをする必要がありますよね。しかし、実際には一回しかスキャンしません。

    まず結論ありきで実験をしているので、実験結果が拡大解釈されたり、再現性がなくても突っ込まれなかったりするのだそうです。実際に、ドラッグの脳に関するネガティブな結果は再現性がある実験はほぼないそうです。なぜそんなことになってしまうのか、スチュワート・リッチーの”Science Fictions”の世界そのものですね。組織的懐疑性が機能していない典型例な気がします。

    本書はマリファナ、LSD、コカイン、メス、ヘロインなどそれぞれのカテゴリーで読者の「常識」を科学的に正しい情報で揺さぶります。どのように情報が歪められているのか。そして、科学的には何が正しいのか。特にヘロインはアメリカで問題になっているドラッグのナンバーワンなので特に慎重に議論が進められています。アメリカの現代のヘロイン問題はベス・メイシーの”Dopesick”で詳しく解説されています。この問題も結局悪いのは製薬会社で正しい用量用法や効果を伝えていないからこんなことになったわけですよね。映画『トレインスポッティング』でもヘロインの悪い面を強調して描いていますが。しかし、 カール・ハートは自分の経験からも、学術的な研究からも、ヘロインの「二日酔い」であんな風にはならないとのことです。

    ちなみに、カール・ハートは政治的には保守なんだと思います。ドラッグを楽しむ自由を提起しているので、そうなるでしょうね。本書の中でも「リベラル」は批判の対象となっています。しかしながら、ドラッグを規制しているのは「リベラル」だけじゃないですよね。アメリカならリベラルな民主党だけでなく、保守な共和党も麻薬を根絶する麻薬戦争を行なっています。こういう問題って科学と政治の問題であって、リベラルと保守の対立軸で考えると変な方向に行ってしまうと思いました。

  • 書評|情報の価値の測り方、経済的な情報開示ルールとは|”Too Much Information” by Cass Sunstein

    書評|情報の価値の測り方、経済的な情報開示ルールとは|”Too Much Information” by Cass Sunstein

    今回紹介する”Too Much Information”は日本でも多くの翻訳が出版されているキャス・サンスティーンの新著となります。キャス・サンスティーンはノーベル経済学賞を受賞したナッジ理論で有名なリチャード・セイラーとの共著『実践行動経済学(原題:Nudge)』があります。知名度ではそちらの方が高いのですが、キャス・サンスティーン自身はどちらかといえば政策への提言をして来た学者です。

    アメリカ合衆国司法省の法律顧問局での法務顧問がキャリアの出発地点なので、政治との関わりが強く、本書を含め多くの著書はサンスティーンの専門である行動経済学を政策に役立てる提言となっています。そういう意味では一般向けだった『実践行動経済学』的なわかりやすさを期待してはいけません。

    Too Much Information: Understanding What You Don't Want to Know (English Edition)

    Too Much Information: Understanding What You Don’t Want to Know (English Edition)

    • 作者:Sunstein, Cass R.
    • 発売日: 2020/09/01
    • メディア: Kindle版
    実践 行動経済学

    実践 行動経済学

    • 作者:リチャード・セイラー,キャス・サンスティーン
    • 発売日: 2017/03/15
    • メディア: Kindle版

    本書の読者対象は政治や行政に関わる人たちだと思います。政治や行政の立場から、情報開示の基準をなるべく経済的に、数値的に決めることはできないか。これが本書におけるキャス・サンスティーンの提言でしょうね。

    ヨーロッパで暮らしたことがある人ならわかると思いますが、商品のパッケージに様々な情報が含まれています。それは、ヨーロッパでは様々な規制があり、その規制に準拠した商品を作る必要があるからです。わかりやすい例がタバコの警告表示ですね。日本で販売されるタバコにも様々な警告メッセージが印刷されていますね。

    その他にも、食品のカロリー表示、遺伝子組み換え技術を使った材料か否か、ソフトウェアの使用許諾書に個人情報ポリシー、患者に対するインフォームド・コンセントなどなど。多くの情報は消費者にとって有益である(と考えられる)ために政府は情報開示のルールを作り、企業はそのルールに則り適切な情報開示義務があります。

    政治/行政の役割: 情報開示のルールを作る

    企業の役割: ルールを守りながら利益を出し、消費者の社会福祉を高める

    消費者の役割: 与えられた情報に基づき判断する

    しかし、何でもかんでも情報を出せばいいわけではない。そもそも消費者が望まない情報もある。それでは、ルールを作る側の立場である政治や行政はどのような基準で情報開示を進めればいいのか?それが本書のテーマです。

    キャス・サンスティーンが提案するのは「お金」を尺度とする支払意思額(WTP:Willingness to Pay)と受取意思学(WTA:Willingness to Accept)です。WTPは「その情報を得るためにどれくらい支払う意思があるか」です。金額が多いほど、その方法には価値があります。WTAは「どのくらいの金額がもらえれば、その情報を諦めるのか」です。

    金額を尺度にする手法は多くのビジネスで使われる手法です。おそらくインターネットで何かをしている人にとって身近な例はGoogle Analytics(GA)でしょう。GAでは金額でゴール設定をします。eコマースの場合はわかりやすいですよね。でも、ブログなど直接的に金銭のやり取りをしないWebサイトの場合はどうしたらいいでしょうか?その場合、仮の金額をゴールとして設定します。よく使われるのは1万円くらいですかね。これはいくらでも構いません。大事なのは数値的なゴールを設定することです。

    しかし、お金を基準とする尺度は万能ではないことをキャス・サンスティーンも認めています。例えば、モラル的なことを決めるときにお金では判断できません。「絶滅危惧種を危険に晒していない」という情報を受け取る金額(WTP)が低かったとします。そうしたら、絶滅危惧種を保護するための情報に価値がないのか?という話になってしまいます。さすがにそれはマズいですよねと。「ある動物が絶滅していいか」どうかは人間が「お金を払いたいかどうか」の尺度で決めていいことではありません。

    また、お金の価値自体が人によって違うのも問題です。例えばお金持ちにとっての1000円とその日の生活に苦しむ人にとっての1000円では全く価値が違いますよね。そこでキャス・サンスティーンが提案するのが時間の支払意思額(WTPT:Willingness to Pay Time)です。金銭ではなく、時間をどれくらい使うか。時間だったら貧富の差もなく誰でも平等にありますからね(……とボク個人は思いませんが)。時間も完璧な数値指標にはなり得ないが、ないよりはマシ。これがキャス・サンスティーンの本書での立場です。

    キャス・サンスティーンはシカゴ大学の教授を長年勤めましたので、おそらくシカゴ学派なのではないかと思います。そのためか、情報開示に関しても政府よりも個人の裁量を大きくすべきだと考えているようです。できれば、情報公開は個人が選択できる方がいい、そのためには情報公開のパーソナライゼーションが最も効果的だと唱えます。まあ、シカゴ学派的にはそうなんでしょうが、パーソナライゼーションには行動データが必要となりますので、プライバシーの問題が浮上してくるでしょうね。最近は利便性も大事だけれど、プライバシーも大事な風潮ですので、情報開示のパーソナライゼーションは難しいでしょうね。

    そして、多くの人(スチュワート・リッチーの科学の信頼性に関する問題提起カール・バーグストームとジェヴィン・ウェストの統計学に対する問題提起など)が最近は指摘するところではありますが、ゴールを数値化するとゲーム化する可能性もあります。キャス・サンスティーンは国民の健康福祉のために情報価値の数値化が必要だと言います。しかし、企業側からすれば経済効率を最も高めたいはずですので、決められた数値を最も効率よくハックしようとするはずです。目先の数字だけに集中すると、本来の目的からどんどん離れていく可能性が高くなります。

    キャス・サンスティーンが言いたいことは分からないでもないです。ただ、シカゴ学派の「脆弱性」も感じ取ることができます。シカゴ学派の経済学者たちが進めて来た数値化と個人自由主義はやりすぎると反作用を起こしてしまうことが分かって来ていますよね。その傾向が本書にも感じとれてしまうのです。