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  • 書評|コロナ禍のレンズでみる生物兵器の最前線|”Biological War: A Scenario” by Annie Jacobsen

    書評|コロナ禍のレンズでみる生物兵器の最前線|”Biological War: A Scenario” by Annie Jacobsen

    COVID-19を経験した読者にとって、生物戦は抽象的な軍事上の脅威ではありません。感染症の流行によって人の移動が制限され、職場の運営が変わり、供給網が滞り、社会の分断が深まる過程を、すでに現実として経験したからです。Annie Jacobsenの『Biological War: A Scenario』が描く混乱も、日常生活の延長として具体的に想像できます。

    核攻撃なら、爆発によって攻撃の開始が明らかになります。生物攻撃には、そのような目に見える合図がありません。微小で発見しにくい病原体は、放出されたことに気づかれないまま感染を広げる可能性があります。何が起きているのか分からない状態が長く続くほど、感染への恐怖も強まります。

    COVID-19の流行が収まった後も、科学者や公衆衛生当局への不信は残っています。十分な情報がなく、専門家を信頼できない人が多ければ、社会として対策を進めにくくなります。こうした経験があるため、本書で描かれる生物戦は、Jacobsenの前作『Nuclear War: A Scenario』で扱った核戦争よりも身近で恐ろしく感じられます。ただし、私が本書で価値を感じたのは、仮想シナリオが描く恐怖よりも、現実の研究を扱った部分でした。

    仮想シナリオは新鮮味に欠ける

    本書が仮想シナリオを採ったのは、調査資料の不足を補うためではありません。著者は、未来に起こり得る事態を読者に疑似体験させるため、国防総省のウォーゲームや公衆衛生当局のパンデミック計画に基づく形式を選びました。生物兵器の歴史や専門家への取材内容を6日間の物語に織り込み、読者は感染の拡大、行政の対応、社会の崩壊を時間順にたどります。

    ただし、この形式が読み物として成功しているとは思いません。仮想の病原体は、致死率と感染力が高く、治療も難しいと設定されています。封じ込めにも行政の対応にも失敗し、被害を抑えられる可能性はほとんど示されません。失敗以外の可能性がほとんど描かれないため、恐怖は強まっても現実味は薄れます。

    感染の拡大に続いて行政や社会が機能しなくなる過程を、読者に疑似体験させようとした意図は明確です。それでも、『ホット・ゾーン』をすでに読んだ人には、先の展開を想像しやすい場面が多く、新鮮味がありません。仮想シナリオよりも、その合間に紹介される生物兵器の歴史、政府の計画、研究施設に興味を引かれました。私には、仮想シナリオが蛇足に感じられました。

    本書の価値は各国の研究と生物兵器史にある

    本書で最も読み応えがあるのは、ソ連の生物兵器計画、米国政府の対応、現代生物学、各国の研究施設を扱うノンフィクション部分です。仮想の災厄を追うことよりも、実在した開発計画や、政府が検討してきた対応策を知る方が、生物戦を現実の問題として考える材料になります。

    本書は、ソ連による攻撃目的の兵器開発、亡命者の証言、米国の生物防衛政策、政府の計画、専門家への取材を通じて、生物兵器を規制しても開発や事故を防ぎきれない現状を説明しています。遺伝子工学が進み、危険な病原体を扱う施設が各国にある現在、国家による攻撃だけでなく、研究施設で起きる事故も無視できません。こうした歴史と現状について、さらに詳しく読みたかったという思いが残ります。

    防御研究と攻撃目的の開発の境界は、目的の説明だけでは見極められない

    著者が本書の仮想シナリオをロシアのVector研究所から始めたことには、歴史的な理由があります。ソ連は生物兵器禁止条約への加盟後も、大規模な攻撃目的の兵器開発計画を進めていました。米国務省も2024年、ロシアがソ連の計画を引き継ぎ、条約で禁じられた活動を終えていないと評価しています。ただし、これは公開情報が限られ、ロシア側が十分な情報を公開していないことに基づく米国政府の判断です。

    危険性の高い病原体を扱う研究は、ロシアだけが行っているわけではありません。BSL-4は、重篤な感染症を起こす病原体を扱う作業に用いられる、最高度の封じ込め水準です。どの水準が必要かは、病原体と作業内容を踏まえたリスク評価で決まります。米国では国防総省、保健当局、大学などがBSL-4施設を運用し、感染症の予防法、診断法、治療法を研究しています。

    安全対策を講じても、事故は起こります。米国では国防総省の施設が、生きた炭疽菌を不活化処理済みだと誤認し、2004年から2015年にかけて、194か所の研究所や委託先へ計575回にわたって発送していました。これはBSL-4施設の事故ではありませんが、攻撃用の兵器を開発していない施設でも、不活化処理や監督に不備があれば、危険な病原体を多数の施設へ発送してしまう事故が起こることを示しています。

    日本にもBSL-4施設があります。国立健康危機管理研究機構に属する国立感染症研究所の村山庁舎は東京都武蔵村山市にあり、主にエボラ出血熱などの一類感染症を診断する施設です。長崎大学の施設は、2025年に特定一種病原体等所持施設として指定されました。ただし、大学の公式説明によれば、現時点では特定一種病原体等を所持しておらず、BSL-3以下の病原体を使った準備研究の段階です。本格稼働後には、治療薬やワクチンの研究と人材育成を行う計画です。BSL-4という施設区分だけでは、現在扱っている病原体や研究目的までは分かりません。したがって、BSL-4施設があるだけでは、攻撃目的の生物兵器を開発している証拠にはなりません。

    生物兵器禁止条約は、生物兵器の開発、製造、取得、移転、備蓄、使用を禁じています。条約は、病原体や毒素の種類と数量が、予防、防御その他の平和目的で正当化できるかを基準にしています。研究者や国家が掲げる目的だけで適法性が決まるわけではありません。

    防御研究で使う設備、病原体、技術、知識には、攻撃目的の開発と重なる部分があります。各国が研究の目的、規模、成果をどこまで公開するかによって、外部から確かめられる範囲も変わります。さらに、生物兵器禁止条約には正式な遵守検証制度や定例査察制度がなく、年次の信頼醸成措置が透明性を確保する主な手段です。防御研究と攻撃目的の開発を同一視することはできませんが、平和目的だという説明だけで両者を見分けることもできません。この問題はロシアに限らず、危険な病原体を研究する各国に共通します。

    『ホット・ゾーン』の既読者ほど、仮想シナリオに既視感を覚える

    本書の仮想シナリオで思い出したのが、Richard Prestonの『ホット・ゾーン: エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』です。どちらにも研究施設、防護装備、隔離、除染が登場し、病原体の拡散を止めるために一刻を争う展開が続きます。英国版を刊行するTorvaも、本書を『ホット・ゾーン』の読者向けの作品として紹介しています。

    ただし、『ホット・ゾーン』が扱うのは実際に起きた感染事例です。Prestonは関係者への取材をもとに、感染と封じ込めの経緯をスリラーとして再構成しました。一方、Jacobsenは生物兵器の歴史や専門家への取材をもとに、実際には起きていない最悪の事態を組み立てています。

    『ホット・ゾーン』が好きな人には読みやすいでしょう。ただし、同書をすでに読んだ人には、共通する舞台と展開が目につき、新鮮さを感じにくいでしょう。

    読後に残るのは、研究目的を確かめられない現実である

    防御研究と攻撃目的の開発には、設備や病原体、技術、知識の面で重なる部分があります。条約の基準があっても、外部から実際の目的を確かめるのは容易ではありません。

    問うべきなのは、ロシアに危険な病原体を扱う研究施設があるかどうかだけではありません。日本を含む各国が、研究の目的や規模、成果をどこまで公開し、説明できるかです。これは特定の国だけの問題ではありません。

    本書を読み終えて強く印象に残ったのは、仮想シナリオで描かれる最悪の事態ではなく、現実に行われている研究の目的を外部から確かめにくいという問題です。もっと詳しく読みたかったのは、最悪の展開を追う6日間の物語ではありません。各国の研究施設、生物兵器の歴史、実際に起きた事故、専門家への取材を扱うノンフィクション部分です。

    参考リンク

    • https://www.penguinrandomhouse.com/books/783250/biological-war-by-annie-jacobsen/9798217046034/
    • https://www.pbs.org/wnet/amanpour-and-company/video/the-threat-that-could-end-modern-civilization-in-less-than-a-week-smwmri/
    • https://video.wfyi.org/video/annie-jacobsen-joins-geoff-bennett-on-settle-in-1785884586/
    • https://observer.co.uk/culture/books/article/could-the-world-survive-biological-war
    • https://www.newyorker.com/culture/the-weekend-essay/the-rise-of-the-scenario-a-trendy-way-of-forecasting-our-dystopian-future
    • https://disarmament.unoda.org/en/our-work/weapons-mass-destruction/biological-weapons/biological-weapons-convention
    • https://files.gao.gov/reports/GAO-26-107338/index.html
    • https://www.gao.gov/products/gao-18-422
    • https://2021-2025.state.gov/wp-content/uploads/2024/04/2024-Arms-Control-Treaty-Compliance-Report.pdf
    • https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000093493.html
    • https://www.ccpid.nagasaki-u.ac.jp/about/bsl-4_qa/
    • https://wp.penguin.co.uk/wp-content/uploads/2025/11/Torva-Catalogue-2025-2.pdf

  • 書評|復讐を政策に変えるトランプの側近たち|”Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump”

    書評|復讐を政策に変えるトランプの側近たち|”Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump”

    トランプ第2次政権のニュースを追っていると、米国内では大統領の要求がほとんどそのまま実行されているように見えます。敵とみなした相手には政府機関を使って報復し、文化施設には展示内容を変えるよう圧力をかけます。一度の威嚇では終わらず、相手が従うまで続けます。

    マギー・ハバーマンとジョナサン・スワンの “Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump” は、第2次政権の最初の1年を、政権関係者への取材から描いた本です。二人はいずれも『ニューヨーク・タイムズ』のホワイトハウス担当記者で、2015年からトランプを取材してきました。ハバーマンはトランプ本人と周辺人物を長く取材し、スワンは第1次政権の終盤から政権復帰への準備を追ってきました。

    本書では、イランの体制転換を狙う政権内の協議にも「regime change」という表現が使われています。ただし、題名が指す変化は外国の政権転覆だけではありません。著者たちは、米国の大統領職そのものが変わったという意味も題名に重ねています。本書は、人選や非公開会議でのやり取りをたどりながら、第1次政権のときより大統領の要求が通りやすくなった理由を説明します。

    私が本書から強く感じたのは、トランプ個人の復讐心や衝動だけでは、現在の強権的な政権運営を説明できないということでした。第2次政権には、その意向を実行可能な政策に変える側近がそろっています。一方、連邦行政機関の内部で命令を通せても、外国の判断や戦争の結果までは支配できません。本書を読むと、トランプ政権が米国内で権力を行使できる理由と、国外では同じように振る舞えない理由の両方が分かります。

    第2次政権では、大統領を止める側近が要職から消えた

    トランプの復讐心や衝動は、第1次政権にもありました。大きく変わったのは、その意向を受けた側近の行動です。第1次政権では、軍人や法律家が要求を退けたり、実行を遅らせたりすることがありました。第2次政権では制止役が要職を去り、大統領の要求を退けるより、実現する方法を探す人物が選ばれました。

    違いは政権移行期の人選に表れています。マール・ア・ラーゴでは、少人数の側近が画面に候補者の顔を映し、国防や国家安全保障の要職を検討しました。重視されたのは担当分野の経験だけではありません。テレビに映ったときの印象と、トランプへの忠誠も任用を左右しました。約300万人を抱える国防総省の長官候補についてさえ、巨大組織を管理する力量への懸念より、テレビ映りのよさと過去にトランプを擁護したことが高く評価されました。

    ここで求められた忠誠は、政権の政策に賛成するだけにとどまりません。トランプが敵とみなした人物を敵視し、本人が認めない選挙結果を疑い、2021年1月6日の議会襲撃事件についても本人の見方を受け入れることまで求められました。第1次政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務め、退任後もトランプを擁護したロバート・オブライエンさえ、この基準を満たせず再登用されませんでした。

    対照的に、J・D・バンスやマルコ・ルビオは過去にトランプを厳しく批判していましたが、第2次政権の中枢に入りました。過去の発言より、2020年大統領選挙と議会襲撃事件について、いまのトランプの見方を受け入れるかどうかが重く見られたからです。忠誠は、長年仕えたかどうかではなく、いま大統領が求める見方に異を唱えないかどうかで測られていました。

    この人選は、選挙後に急ごしらえしたものではありません。スワンは2022年の連載で、トランプ陣営が政権復帰後に連邦政府を作り替える準備を進めていたと報じています。第1次政権で要求を止められた経験を踏まえ、今度は大統領の意向を拒まない人物を選びました。制止する人が減り、実行する人が要職を占めたため、トランプの衝動は以前より速く政府の行動に変わるようになりました。

    第2次政権でも、法的な懸念を述べる人物が完全に消えたわけではありません。変わったのは、側近に期待される役割です。周囲が大統領に不都合な情報を伝えなくなり、本人には他人にはない直感があると信じるようになれば、反対意見はさらに届きにくくなります。

    忠誠を基準にした人事が、個人的な復讐を政府の仕事に変えた

    トランプ個人の恨みが政府の行動に移るのを止める側近が少なくなると、司法省の仕事まで変わります。本書が詳しく描くのが、ニューヨーク州司法長官レティシア・ジェームズへの対応です。ジェームズはトランプとその企業を相手に民事詐欺訴訟を起こしました。第一審では約5億ドルの支払いを命じる判決が下されましたが、金銭支払いの命令は2025年8月にニューヨーク州の中間上訴裁判所が取り消しました。本書で語られる政権内の協議では、ジェームズは政策上の反対者ではなく、トランプ本人とその会社を追い詰めた報復の対象として扱われています。

    司法省では、ジェームズを住宅ローン詐欺で起訴できるかが検討されました。当時の司法副長官トッド・ブランシュは、起訴には故意の立証が必要であり、起訴に足る事件かどうか確信を持てませんでした。ところが著者たちの取材によれば、トランプが重視していたのは最終的な有罪判決ではありません。ジェームズを法廷に立たせ、訴訟への対応に時間と費用を使わせること自体を重く見ていました。証拠から起訴の要否を判断するより、大統領が望む報復を実現する方法を司法省に探させようとしたのです。

    別の場面では、トランプ、スティーブン・ミラー、法律顧問のボリス・エプスタインが、2020年の選挙に関わった人物を調査対象にしようと話していました。三人は相手の名前を思い出せず、その場でクリス・クレブスだと確認しました。その後、クレブスの調査を求める大統領覚書が出ました。この会話では、具体的な疑惑を検討するより先に、調査対象にしたい人物の特定が進められていました。

    ジェームズとクレブスの事例では、大統領が敵とみなした人物に対し、側近が司法省や大統領覚書を使って政府を動かそうとしています。報復は怒りに任せた発言で終わりません。調査や起訴が処罰につながるかどうかとは別に、対象になった人物は調査や訴訟への対応を迫られ、そのために時間と費用を費やします。トランプにとっては、その負担を強いること自体が報復になりえます。

    個人的な復讐心に基づく要求を政府に実行させるには、その要求を公務として引き受ける側近と政府機関が必要です。忠誠を任用の基準にすれば、政策や法律に詳しい人物が異論を述べる余地も狭くなります。第2次政権は、人選の段階で、個人の執念を政府の仕事へ変える条件を整えていました。

    この人事は、誰が命令を実行するかだけでなく、どの情報が大統領に届くかも変えます。起訴の難しさや法的な危険を伝える人物が残っていても、その懸念を理由に要求を退けるのではなく、要求に近い結果を得る別の手段を探すようになります。トランプの復讐心が以前より強くなったことだけではなく、政府内で復讐を止める判断が採用されにくくなったことが、第2次政権の違いです。

    スティーブン・ミラーは、トランプの衝動を政策にする手段を用意した

    トランプは結果を早く求めますが、行政手続きを自分で組み立てるわけではありません。著者たちによれば、トランプとスティーブン・ミラーは政権発足前から、政策を短期間で実行する方法を検討していました。国境、難民、薬物をめぐって緊急事態を宣言し、広い大統領権限を主張する案も準備に含まれていました。

    ミラーが担ったのは、衝動的な要求を行政命令や具体的な政策に落とし込む仕事です。どの法律や大統領権限を根拠とし、どの手続きを使うかまで事前に考えていました。行使する権限と行政手続きを先に決めておけば、大統領が要求してから政府機関が実行に移るまでの時間を短くできます。政策の妥当性とは別に、権限を最大限に使う人員と手段が政権発足前から用意されていたことが重要です。

    緊急事態の宣言は、その準備を象徴しています。国境、難民、薬物という別々の課題を緊急事態として扱えば、通常の政策過程より広い権限を主張できます。どの課題にどの権限を結び付けるかを就任前に決めておけば、政権発足後に一から案を作る必要がありません。第1次政権で意向を十分に実現できなかった経験が、次は初日から実行するための準備に使われました。

    私には、ミラーがトランプへの献身を示し続けることで、政権内での立場を強めたように読めました。これは本人の内心を確認したうえでの評価ではなく、本書に描かれた行動と地位に基づく私の人物評です。大統領の要求に応じた政策を、ほかの側近より早く実行に移せる人物は、トランプにとって手放しにくい存在になります。こうした実行力が、ミラーの政権内での影響力を強めたように思えます。

    ミラーは単なる強硬派ではありません。第1次政権で政策の実行を阻んだ法律、手続き、人事を調べ、次の政権では同じ場所で止まらないよう準備した人物です。トランプの衝動が政府の行動になる速さは、大統領の性格だけでは説明できません。実行手段を先回りして用意する側近がいたからこそ、トランプの要求をそれだけ速く実行できたのです。

    文化施設への圧力は、正式な命令がなくても施設側を動かした

    政権の圧力は、司法機関や政府職員だけに向けられたわけではありません。本書には、議会から資金を受けて博物館や研究施設を運営するスミソニアン協会に対し、政権側が展示内容や人事を変えるよう迫る場面があります。

    画家エイミー・シェラルドの展覧会には、自由の女神をトランスジェンダーの女性として描いた作品が含まれていました。スミソニアン協会の運営を話し合う会議で、副大統領の側近は作品を端末に表示し、米国人が見るべき作品ではないという趣旨の主張をしました。ほかの出席者からは、開催予定先だったナショナル・ポートレート・ギャラリーの責任者を解任するよう求める発言も出ました。

    問題は、一つの作品への賛否にとどまりません。政権側は、好まない展示を企画した責任者の処分まで求めました。スミソニアン協会の内部では、資金を失うおそれも意識されていました。展示内容への異論とともに、責任者の解任や資金削減の可能性まで示されれば、文化施設は正式な禁止命令を受ける前に、企画の変更や中止を迫られます。

    シェラルドは展覧会への介入を受け入れず、自ら展示を取り下げました。政権が作品を直接禁止しなくても、予定されていた展覧会は開かれません。政権側の文化政策上の判断が、側近を通じて公共施設への圧力に変わった例です。相手が個人でも組織でも、人事権や資金配分を握る側が解任や資金削減の可能性を示せば、正式な命令を出さなくても相手の判断を変えられます。

    トランプ政権は、外国の反応までは支配できない

    ここまで述べた強権的な手法は、主に米国内の組織に対して使われています。大統領が人事権を握り、その意向を実行する側近を要職に置けば、連邦行政機関を通じて反対者や組織に圧力をかけられます。適法性が争われていても、調査や資金停止を示唆されれば、相手はその対応に時間と費用を割かざるをえません。トランプの執念が政府の行動に変わるのは、その命令を受けて動く人と組織が米国内にあるからです。

    しかし、外国政府は米大統領の指揮下にありません。米国が軍事力や経済力で圧力をかけても、相手国は自国の利害に従って判断します。相手国が抵抗したり条件を拒んだりすれば、米国が想定した筋書きどおりには進みません。国内で反対者を排除し、政策決定を速めても、国外で望んだ結果を得られる保証はありません。

    本書でこの限界を示すのが、イランとの戦争です。著者たちが紹介した政権内の協議では、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がイランの体制転換を見込んだ案を示しました。中央情報局は一晩で分析し、現実離れした案だと判断しました。ジョン・ラトクリフCIA長官も、非現実的だと伝えました。それでもトランプは、自分の直感では短い戦争で体制が崩れると考えました。政権内で戦争に反対した人物はいましたが、トランプに強く異論を述べたのはJ・D・バンス副大統領だけだったといいます。

    インタビューでは、政権が掲げた主要な目標が達成されていないとの指摘がありました。スワンによれば、イランが保有するミサイルの約70%は、まだ使用可能な状態にあり、トランプは戦争から抜け出すための合意を求めていました。連邦行政機関の意思決定を速めることはできても、相手国の抵抗を短期間で抑え、戦争を望みどおりの結末へ導けるとは限りません。速く決めたことと、思惑どおりに事態が進むことは別です。

    側近が大統領の意向を短時間で軍事行動に移せるほど、この違いは重要になります。米国側の検討時間を短くしても、相手国が態度を決めるまでの時間や、攻撃を受けてから反応するまでの時間は短くできません。国内では障害を取り除くほど実行が速くなりますが、外交では相手の選択によって状況が変わります。国内で効果を発揮した意思決定の速さが、国外でも成功をもたらすとは限らないのです。

    この違いを見落とすと、トランプの強さを過大にも過小にも評価しかねません。米国内では、忠誠を基準とする人事と大統領権限の広い解釈により、連邦行政機関が大統領の意向を実行しやすくなりました。外交では、相手国の指導者が自国の主権と利害に基づいて判断し、米国の軍事行動にも独自に対応します。米国の力が大きいことと、米大統領が望む結果を必ず得られることは同じではありません。

    日本からトランプ政権を見るときも、この区別が必要です。米国への安全保障上の依存が大きくても、日本政府は国内政治、企業への影響、他国との関係を考えて対応します。連邦行政機関の内部で大統領の意向が通りやすくなったことを、そのまま日本への支配力と読み替えるべきではありません。

    本書は、ばらばらのニュースを政権内部の因果でつないだ

    本書の長所は、個別に報じられてきた出来事を、人事が政策決定へつながる一連の経緯として整理したことです。司法省を通じた報復、忠誠を基準とする人事、文化施設への圧力、危険を伴う外交判断は、単独で見れば別々の問題に思えます。本書を通して読むと、これらの出来事は、大統領に異論を唱える人が減り、その意向をすぐ実行する人が要職に就いた結果だと理解できます。

    著者たちは多数の政権関係者を取材し、会議の日時や場所、参加者、そこで交わされた話を具体的に記しています。誰がどの場で案を出し、誰が反対し、最終的に何が政府の行動になったのかを追っています。そのため、トランプの発言だけを見ていては分からない、発言が政策になるまでの過程をたどれます。さまざまな出来事の背景が分かって面白かったという私の読後感は、この取材の積み重ねから生まれました。

    著者たちは、一人だけの証言には頼らず、確認できない情報は本に入れなかったと説明しています。閉鎖的な政権内部を取材するには、匿名の証言が必要になる場合があります。一方、情報源の多くが匿名であるため、読者は再現された会話を独力で検証できません。複数の証言を照合したと聞けば、取材が慎重だったことは分かります。ただし、匿名情報の裏付けを読者自身が確かめられないことに変わりはありません。

    政治ニュースを日々追ってきた読者には、すでに知っている出来事も多いでしょう。新事実だけを期待すると、既報をまとめ直しただけに思える箇所もあります。それでも、個々のニュースだけでは分かりにくかった人事、報復、政策決定のつながりを一続きの経緯として読めることに、本書の意義があります。個々の事件を知っている人ほど、事件同士を結ぶ人事と意思決定に目を向けることで、第2次政権が第1次政権より速く動く理由を理解できます。

    本書は、トランプ一人の性格を語るだけではありません。その復讐心や衝動が、忠誠を重んじる人事と側近の準備を経て、政府の行動になるまでを追っています。同時に、イランとの戦争をめぐる経緯を通じ、米国内で大統領の意向を速く実行できても、国外の反応や結果までは支配できないことも描いています。日本からトランプ政権を見る際にも、米国内で強権的に政策を進められることと、外交でも望みどおりの結果を得られることを同一視しないことが重要です。

    企業組織に置き換えて読んでも、本書の教訓は明確です。トップの性格だけを見ても、組織の行動は説明できません。誰を昇進させ、反対意見をどこまで認め、トップの要求を実行する手段を誰が準備しているかによって、同じ人物の命令でも結果は変わります。第2次政権の強さは、トランプという個人の権力だけでなく、その要求を拒まない人物を要職に置く人事と、要求が出る前から実行方法を用意する側近によって支えられています。同時に、どれほど内部の統制を強めても、組織の外にいる相手までは統制できません。この二つを分けて考えられるようになることに、本書を読む大きな価値があります。

    参考リンク

    • https://www.simonandschuster.com/books/Regime-Change/Maggie-Haberman/9781668067246
    • https://www.simonandschuster.com/authors/Maggie-Haberman/233182093
    • https://www.simonandschuster.com/authors/Jonathan-Swan/268310643
    • https://www.axios.com/2022/07/22/trump-2025-radical-plan-second-term
    • https://www.newyorker.com/magazine/2026/07/06/chronicle-of-a-disaster-foretold
    • https://www.nytimes.com/2026/06/18/books/review/regime-change-maggie-haberman-jonathan-swan.html
    • https://www.kirkusreviews.com/book-reviews/maggie-haberman/regime-change/
    • https://www.wsj.com/arts-culture/books/regime-change-review-the-not-so-imperial-presidency-4ae4b41e
    • https://www.nycourts.gov/reporter/3dseries/2025/2025_04756.htm
    • https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/04/addressing-risks-from-chris-krebs-and-government-censorship/
    • https://www.youtube.com/watch?v=xdmdGTrJ2nI
    • https://www.youtube.com/watch?v=3DHBJC4aOww
    • https://www.youtube.com/watch?v=J8BBDqaYZuc

  • 書評|米国民主党再建のカギは、地道な組織化|”This Is the Plan” by Ben Wikler

    書評|米国民主党再建のカギは、地道な組織化|”This Is the Plan” by Ben Wikler

    アメリカのリベラルは逆風の中にあります。党内から、自分たちのやり方を見直すよう求める本が相次いで出ています。ニューヨーク・タイムズのコラムニストEzra Kleinの共著『Abundance』もその一冊です。今回紹介するBen Wiklerによる『This Is the Plan』もその流れにあります。Ezra KleinはBen Wiklerとの対談で、本書の議論が、自分が『Abundance』で書いたことと重なると述べました。

    対談では、政党そのものが弱っているという話も出ます。「民主党」という言葉には、輪郭の曖昧な支持者の集まりと、公式の党組織という二つの意味があります。本書が扱うのは後者、州の党組織です。

    題名が『これがプランだ(This Is the Plan)』ですから、読者は具体策の一覧を期待して本を開きます。ところが、著者が「プラン」と呼んでいるのは、そうした一覧ではありません。

    講演での本人の説明はこうです。11月に連邦下院と上院、そして州知事職と州議会で勝ち、2028年の選挙運営を相手側に握らせない状態をつくる。2028年には大統領選と上下両院で勝つ。そのうえで、選挙のルールを自分たちに有利に決めて権力を維持するやり方をやめ、これまでよりよい民主主義をつくる。この一連の段取りが「プラン」です。

    制度改革についても書かれています。全米で最も多くの票を得た候補に各州の選挙人票を割り当てる州間協定、フィリバスター(連邦上院で少数派が採決を止められる仕組み)の廃止または改革など、5点が挙げられています。ただし、これらは「プラン」を実現した先にある改革です。

    Publishers Weeklyの2026年4月の書評によれば、本書の力点は制度改革ではなく、人と人とのつながりをつくる組織化にあります。50州を一括りにした戦略ではなく、州ごとに一つずつ、50通りの戦略をつくる必要がある、というのが本書の主張だとも書かれています。

    著者のBen Wiklerは、ウィスコンシン州民主党の委員長を2019年から2025年まで務めた人です。委員長は、州の党組織を運営し、資金を集め、選挙に必要な人員を整える役職です。2025年2月には民主党全国委員会の委員長選に立候補し、Ken Martinに敗れました。本書が初の単著で、2026年7月21日にW. W. Nortonから刊行されています。11月の中間選挙に向けて各党が動くさなかの刊行です。

    地道な組織化が、接戦の選挙を動かす

    本書の中心はウィスコンシンです。この州では、選挙がわずかな差で決まってきました。いわゆるスイング・ステートです。

    著者は2024年の大統領選について、ウィスコンシン、ミシガン、ペンシルベニアの3州で約11万5,000票、投票総数の0.1%ほどが動いていればハリスが勝っていた、と述べています。選挙を運営するのは州なので、州政府を押さえることが独裁を防ぐうえで最も重要になる。そう述べて、この3州にミネソタ、アリゾナ、ニューハンプシャー、ネバダを加えた7州を名指ししています。ただし、ウィスコンシンでの成功が他州でも通用するのかを検証した書評は、確認できた範囲では見つかりませんでした。

    刊行の翌週、サンフランシスコのCommonwealth Clubで行われた講演で、Wiklerはこの州で何が起きたかを説明しています。

    まず挙げたのは、州共和党が何をしてきたかです。共和党は2011年に法律を成立させ、公務員労組から団体交渉の権利を奪いました。公務員の労働組合はウィスコンシンで生まれました。

    同じ年には、ある判事が「この州を全米で最も投票しにくい州にした」と評した州法を成立させ、共和党の全国的な計画の一環として選挙区を極端に引き直しました。民間部門の労働組合からも同じ権利を奪ったのは2015年です。

    この選挙区割りによって、得票率と議席の割合が大きくずれました。ウィスコンシンでは州最高裁の判事も選挙で選ばれます。当時、右派が多数を占めていた州最高裁は、これらの法律と選挙区の引き直しを認めました。その選挙区割りは、のちに是正されています。この是正によって、民主党は今年、知事職と州議会の両院を狙える状況になっています。

    巻き返しの出発点は2016年です。この年の大統領選で、民主党はウィスコンシンをトランプに奪われました。勝敗を分けた州でした。

    当時の州民主党は、大統領選の年だけ人を集めるやり方を改め、選挙のない年も活動を続けるようにしました。特定の候補のためではなく、州で行われるすべての選挙のためです。選挙がまだ遠いうちから資金も集めました。

    州民主党が雇った組織化の担当者は、戸別訪問をしませんでした。カフェで人に会い、地元チームのリーダーになってくれないかと頼みました。友人を何人か誘って、チームを立ち上げてほしい、という頼み方です。

    「組織化は、私たち一人ひとりが持っている力です」とWiklerは言います。ただし、組織化でできることには限界もあります。

    「組織化で、大差で負ける選挙を勝ちに変えることはできません。ですが、あと少しで負ける選挙を、1ポイント差の勝ちに変えることはできます」

    2018年、この方法によってTony Eversが知事選に勝った、とWiklerは説明します。差は1.1ポイントでした。Wiklerが委員長に選ばれたのは、その翌年です。彼はこの進め方を引き継ぎました。

    なぜ、知り合いを通じて働きかけるのでしょうか。

    刊行日にワシントンで行われた対談で、Wiklerはこう説明しています。

    「有権者のもとには、広告が次から次へと届きます。迷っている人は、そのどれも信じなくなります。全部を聞き流します。けれども、自分が知っていて信頼している相手から声をかけられれば、その人は耳を傾けます」

    ウィスコンシンでは、誰が投票に行ったかが公の記録に残ります。どの候補に投票したかまでは分かりません。州の選挙管理委員会に請求すれば、この記録は誰でも入手できます。公開される情報の範囲は州によって異なります。

    州民主党は、この記録を活用するアプリを用意しています。ボランティアがアプリに自分のスマートフォンの連絡先を読み込ませると、知り合いのうち、ここ数年の選挙で投票していない人が表示されます。あとは、その人に声をかけます。

    Wiklerはこう続けます。

    「政治広告に使われる資金は、すべてこのデータを前提にしています。誰が最も態度を決めかねている有権者かを特定しようと、誰もが躍起になっています。ですが、その迷っている有権者が信頼している人であれば、あなたの言葉には大きな重みがあります」

    これを、知り合いを通じた組織化と呼びます。

    2025年の州最高裁判事選のとき、Elon Muskはウィスコンシンに来て、自ら請願書を用意し、友人を誘って署名させた人に報酬を支払いました。

    Wiklerの評価は厳しいです。

    「彼は、知り合いを通じた組織化を金で買おうとしたのです。おそらく彼のコンサルタントの誰かが、この種の研究論文を読んだのでしょう」

    共和党はいま、この手法に多額の資金を投じているが、最も効果が大きいのは、人々がボランティアとして自発的に動くときだ、とWiklerは続けています。

    本書が扱うのは組織の動かし方で、何を訴えるかではない

    本書を紹介する文章は、どれも明るい調子で書かれています。

    出版社は紹介文で、著者を過去10年で屈指の成果を挙げた民主党の選挙戦略家と呼び、映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』の一節を引いています。

    「城攻めを楽しんで。ただし穏当に、あくまで比喩として、1月6日のような真似はせずに」

    この映画は1987年の作品で、アメリカでは広く親しまれています。1月6日は、2021年にトランプ支持者が連邦議会議事堂に押し入った日です。

    推薦者は党内の中道派から進歩派まで幅広くいます。一方の派閥だけが推している本ではありません。

    ただ、書かれている作業そのものは簡単ではありません。一つひとつは地味ですが、量は多く、長い時間がかかります。明るく書かれていても、実際に動く人の負担が軽くなるわけではありません。

    The Progressiveに掲載された書評では、評者がその明るさに留保をつけています。調べたかぎり、専門媒体の書評で本書に具体的な注文をつけていたのはこれだけでした。

    評者のMary Beth Markleinは、本書をどこまでも楽観的だと評し、人を奮い立たせる檄文のようでもあり、実際に動く人のための手引きでもある、と位置づけています。

    そのうえで4点の注文を挙げています。街頭行動についての記述が少ないこと、ユーモアが多すぎること、実務の情報が本のあちこちに散らばっていて一覧も索引もないこと、そして「プラン」自体に改訂が必要なこと。

    ここで重要なのは4点目です。事態の深刻さを考えると、いまの「プラン」では足りない、という指摘です。

    本書に書かれていないことは、著者自身が語っています。

    冒頭で触れた対談で、Kleinはこう問いました。

    「本を読みながら引っかかったことがあります。この本は組織化についての本で、あなたは昔から組織を作ってきた人です。ですが組織化には、組織を動かす仕組みと戦略があると同時に、売り物そのものがあります。どう売るかより、何を売っているかのほうが大事です」

    Kleinは続けて、道路を直し、行政の手続きを滞りなく進め、価値観をめぐる争いには深入りしない、激戦州で勝ってきた民主党の政治家たちを挙げました。

    そのうえで、同じ激戦州から違う訴え方をする候補が出てきているとして、ミシガンのAbdul El-SayedとウィスコンシンのFrancesca Hongの2人の名前を出しました。

    著者は二つの点から答えます。

    一つ目は、民主社会主義者から中道派まで候補者を並べてみても、今回の選挙で掲げる中心的な訴えは、暮らしの負担を下げるという点でほぼ一致している、という答えです。外交政策や医療制度のあり方では意見が食い違うものの、選挙で前面に出す訴えは重なっている、と答えました。

    二つ目は、選挙で前面に出す訴えは、党組織が押しつけたり作り出したりできるものではない、という答えです。その党がどのような党なのかは、当選した候補者がその後どう動き、何を語るかで決まるからだ、と述べました。

    有権者に何を訴えるかを決めるのは、自分の仕事ではないということです。本書は組織の動かし方を書いた本で、何を訴えるかを決める本ではない。著者はそう答えました。

    KleinがHongの名を挙げたのは7月28日、ウィスコンシンの予備選の2週間前でした。

    本書の方法が試されるのは、11月3日のウィスコンシン州知事選

    本書が出た3週間後の2026年8月11日、ウィスコンシン州知事選の民主党予備選がありました。Evers知事が2025年夏に再選を目指さないと表明していたため、多くの候補者が立候補しました。

    勝ったのはDavid Crowleyです。ミルウォーキー郡の郡長を務めています。郡の行政の長にあたる役職です。党内では中道に位置し、当選すればウィスコンシン州で初の黒人知事になります。

    得票率は39.8%で、民主社会主義者を名乗る州議会下院議員Francesca Hongとの差は0.5ポイント、票数では4,000票弱でした。8月12日朝、開票率が95%を超えた時点の数字です。

    ここで注意が必要です。これは本書の方法が試された選挙ではありません。

    予備選は民主党の中で候補者を選ぶ争いで、どちらが勝っても民主党の候補になります。著者が説いているのは、本選で共和党に勝つための方法です。Wiklerも州民主党で顧問を務める立場から、どちらを支持するかは明らかにしませんでした。

    本書の方法が試されるのは、11月3日です。Crowleyと、共和党のTom Tiffany連邦下院議員の争いになります。

    著者が、組織化によって結果を変えられると述べたのは、あと少しで負けるような僅差の選挙です。11月3日の知事選は、まさにその範囲に入る選挙になります。

    何年もかけて人に会い、協力を頼み続ける活動が、実際に票へ結びつくのか。答えが出るのは11月3日です。

    リベラルが逆境にあるのは、アメリカだけでなく世界的な潮流のような気もします。日本もその中にいます。日本のリベラルの再建策はどのようなものになるのでしょうか。

    参考リンク

    • https://wwnorton.com/books/this-is-the-plan — 出版社の書籍ページ
    • https://www.publishersweekly.com/9781324131434 — Publishers Weekly の書評
    • https://progressive.org/latest/ben-wikler-roadmap-for-success-marklein-20260730/ — The Progressive の書評
    • https://www.benwikler.com/p/this-is-the-plan-how-to-end-americas — 著者による刊行の告知
    • https://catapultsuplex.com/entry/abundance/
    • https://www.nytimes.com/2026/07/28/opinion/ezra-klein-podcast-ben-wikler.html
    • https://www.youtube.com/watch?v=7v9pvuSf4Qg
    • https://www.youtube.com/watch?v=9R_m1-6h0cA
    • https://pbswisconsin.org/news-item/recapping-wisconsins-2026-primary-election-for-governor/
    • https://www.nytimes.com/2026/08/12/us/politics/crowley-hong-wisconsin-governor-primary-polls.html
    • https://docs.legis.wisconsin.gov/misc/lc/issue_briefs/2022/elections/voter_information_kbo_2022_04_07 — ウィスコンシン州議会法制局「Voter Information as Public Record」
    • https://elections.wi.gov/clerks/svrs/voter-data — ウィスコンシン州選挙管理委員会「Voter Data」

  • 書評|実名の証言で書かれたCIA史——今後も同じ方法で書けるのか|”The Mission” by Tim Weiner

    書評|実名の証言で書かれたCIA史——今後も同じ方法で書けるのか|”The Mission” by Tim Weiner

    私たちは映画でしか CIA を知らない

    CIAについて私たちが知っていることの大半は、映画やドラマで見たものです。駐車場で交わされる密談、屋根の上を走る工作員、机の裏に仕掛けられた盗聴器。これは日本の読者に限った話ではありません。アメリカの読者も、おそらく事情は変わらないでしょう。秘密を扱う組織だけに、映画やドラマ以外の情報はほとんど表に出てきません。

    "The Mission" by Tim Weiner

    ティム・ワイナーの『The Mission: The CIA in the 21st Century』には、匿名の情報源が一人も登場しません。ワイナーは、実名を明かし、発言を記録として残すことに同意した人だけに取材しました。応じた人は100人を超えます。元長官が6人、支局長が13人。身分を伏せて数十年働き、本書の取材を受けるまで記者に一度も話したことがなかった作戦担当官も多数含まれます。取材当時の作戦本部長Tom Sylvesterが実名で取材に応じたのは、1947年のCIA創設以来初めてだ、とワイナーは言います。

    CIA本部には録音機も電話も持ち込めません。そのため、取材の内容を書き起こしたのはCIA側でした。CIAはその記録を約4か月かけて検討したうえで、公開を認めました。

    ワイナーは1988年、国防総省とCIAの秘密予算を報じてピュリツァー賞を受けた記者です。2007年の『Legacy of Ashes』(邦訳『CIA秘録』)で創設からの60年を書き、全米図書賞を受賞しました。本書はその続編にあたり、世紀の変わり目から2025年4月までを扱います。

    前作には、刊行直後にCIAが公式に反論しています。2007年8月7日、CIAの広報部は、同書はCIAの過去を暗く描きすぎており、大小さまざまな誤りに満ちている、という声明を出しました。本書は、その批判を受けた後に書かれた続編で、全編を実名の証言で構成しています。

    取材を断られた例もあります。長官を7年務めたGeorge Tenetは、いったん取材を承諾したものの、前夜になって断りました。ワイナーは「George TenetもGeorge W. Bushも、9月11日のあとに起きたことに取り憑かれている」と述べています。ただし、取材を断った人はごく少数だったと説明しています。

    9月11日のあと、CIA は大きく役割を変えた

    本書の中心は、9月11日以降のCIAです。

    1991年から1993年までCIA長官を務めたBob Gatesは、当時を振り返ってこう語っています。

    2001年9月12日の時点で、我々はアルカイダについて何ひとつ知らなかった。もし本当に優れた情報があって、彼らが誰でどこに住み、どう金を動かすかを知っていたなら、秘密の収容所も過酷な尋問も必要にならなかった。情報がなかったから、あの計画が進んだ。

    CIAは1990年代からビンラディンを追う専従部門を置いていました。Gatesが言っているのは、名前を知らなかったということではなく、組織内部に人を送り込めていなかった、ということです。

    9月11日のあと、CIAは情報を集めて分析する組織から、人を捕らえ、殺す組織へと変わりました。人員も拘束や殺害の任務に回され、情報の収集と分析は手薄になりました。版元の紹介文は、本来の任務であるスパイ活動と防諜をほとんど捨てた代償として、協力者の死、人事ファイルの窃取、アフガニスタンとイラクの悲劇を挙げています。

    9月11日の翌日、CIAは対テロ部門の要職に一人の職員を就けました。この職員は、監察官から「著しい判断力の欠如」を指摘され、それまで閑職に置かれていた人物です。本人の回顧録には、アルカイダについても対テロについても何も知らなかった、と書かれています。のちに作戦本部長まで昇進しました。

    秘密の収容所と拷問について、最も大きな責任を負うのはこの人物だ、というのがワイナーの見方です。ただ、問われるべきなのは一人の資質だけではありません。こうした人事が、組織のなかで止められないまま決まったことです。

    タイの秘密収容所では、尋問の様子が92本、計96時間分のビデオテープに残されました。このテープは、長官と法律顧問の指示に反して破棄されました。破棄の指示を伝えた幹部について、ワイナーは、関与を示す記録はあるものの犯罪には当たらない、としています。

    では、拷問によって何が得られたのでしょうか。

    ワイナーの見方では、ビンラディンの居場所にたどり着いたのは拷問ではありませんでした。パキスタン支局長のもとで、アルカイダの構成員を一人ずつ寝返らせていった地道な工作でした。

    オバマは就任3日目に大統領令を出し、CIAの秘密収容所の閉鎖を命じました。そのうえで、敵を捕らえて投獄するより、無人機で殺害するほうがよいと判断しました。無人機による攻撃で死亡した民間人は数百人にのぼります。

    ワイナー自身の総括は本書の385ページにあります。一国のスパイはその国のイデオロギーの歩兵である、というジョン・ル・カレの一文を引いたうえで、こう書いています。

    21世紀の最初の20年で、CIAは一線を越え、拷問の道具となり、人を殺す手段となった。ただし道義的な責任を負うのは命令を出した大統領であって、命令を実行した職員ではない。イラク侵攻を正当化するずさんな分析を出したのはCIAの分析官だが、戦争を始めた者の手は、永久に血に染まる。

    ここで引用したGatesとワイナーの発言は、2025年7月17日に書店Politics and Proseで行われた対談によります。385ページの総括も、その場で朗読されたものです。

    データを突き合わせると、スパイの身元が特定される

    CIA本来の諜報活動でも、別の問題が起きていました。ワイナーが技術の影響として最も深刻に描いているのは、盗み出された複数のデータを突き合わせることで、CIA職員が身分を隠せなくなったことです。

    2014年、中国はアメリカの人事管理局に侵入し、2,150万人分の身元調査記録を窃取しました。連邦政府で機密を扱う職に就く際に提出する書類で、旅券情報が含まれ、うち560万人分には指紋も含まれていました。情報機関で働く職員の記録も含まれていました。

    中国側は、このデータから情報機関の職員とみられる人物を抽出し、世界各地の国際空港から窃取した虹彩情報などの生体データと突き合わせました。さらに、医療保険大手Anthemから得た7,880万人分の記録も加えました。ワイナーによれば、中国側はこれらのデータをAlibabaに渡し、90日で処理させたといいます。

    その後、CIAの作戦担当官が北京やクアラルンプールに赴任すると、空港の手荷物受取所で中国の情報機関の職員から名前を呼ばれるようになりました。ワイナーは「アメリカの情報機関で誰が誰なのか、向こうはかなり正確に把握している」と述べています。

    中国国内では、ワイナーによれば、CIAが2000年代に築いた20人以上の協力者が、2011年から2012年にかけて失われました。協力者は一人ずつ摘発され、拷問され、殺されました。

    原因として少なくとも二つが挙げられています。一つは、連絡に使っていた秘密の通信システムがイランに見破られたことです。仕組みが単純で、連番のIPアドレスが割り当てられていました。イランが見つけたこの弱点は、中国とロシアにも伝わりました。

    もう一つは、中国系の元CIA職員が中国側に通じていたことです。ただし、この二つを合わせても説明のつかない部分が残っています。

    一方、ロシアではCIAが相手の内部に浸透しました。

    2017年春、当時の作戦本部長が、対テロに15年を費やしてきた幹部を集めてこう言いました。

    ロシアが我々の選挙に介入した。二度と起こさせないためにどうするか。

    そのうえで、対テロで磨いた標的分析の手法をロシアに向けるよう命じました。

    4年後、CIAは1947年の創設以来の目標だったクレムリンへの浸透を果たし、プーチンのウクライナ侵攻計画を入手しました。長官William J. Burnsは、この侵攻計画に関する情報を機密解除し、世界に伝える判断をしました。

    NATO諸国は当初、この情報を疑いました。大量破壊兵器をめぐる判断を誤ったのも、同じCIAだったからです。しかし情報は正確で、NATO諸国はこれをもとに足並みをそろえました。

    身分を隠せなければ、協力者を獲得することも難しくなります。CIAの仕事は、相手国の人間に接触し、秘密を提供してもらうことです。

    赴任した空港で名前を呼ばれるような職員が接触すれば、その相手まで危険にさらしかねません。中国で20人以上の協力者を失った原因は通信システムと内通者でしたが、いまでは協力者を獲得する以前に、職員自身が現地で身元を隠して活動することすら難しくなっています。

    技術によって変わったのは、分析の精度ではありません。職員が身分を隠したまま活動できるかどうかです。

    ここまでの記述は、実名の証言に基づいている

    ここまでの記述の多くは、実名で語った人々の証言に基づいています。9月11日の翌日の人事も、破棄されたテープも、空港で名前を呼ばれる話も、元職員と現職員が実名で語りました。

    では、その証言をどこまで信じてよいのでしょうか。

    2025年7月15日のNew York Timesに掲載された書評で、Scott Andersonは、実名の証言がこれだけ並んでいても、どの証言を信じてよいのか判断するのは難しいと書いています。

    取材に応じ、本書で引用された人物の多くが、競争相手をおとしめることと、過去の失敗について自分には責任がなかったと示すことに力を注いでいるからです。

    実名を明かし、発言を記録として残す。この方法をとれば、語る側には自分を守ろうとする動機も生まれます。

    匿名であれば組織の内情を率直に話せた人でも、自分の名前が本に残ると分かっていれば、過去の判断をどう説明するか慎重になるでしょう。取材人数が多いからといって、それだけで記述の確かさが保証されるわけではありません。

    その一方で、実名で語ったことには代償もありました。

    刊行後、本書に登場するCIA職員16人が、最高機密取扱資格を剥奪されました。ワイナーはこれを不当だと述べています。

    Tom Sylvesterはロンドン支局長への異動を取り消され、退職しました。作戦本部長を退いた後、最後の任務としてロンドン支局長を務めるのは1950年代から続く慣例だ、とワイナーは言います。CIA側は、本書とは関係のない人事だと説明したと報じられています。

    さらに、見過ごせない事実があります。

    取材に応じた人物の一部は、ほかの証言者が資格や職を失ったのを見て、自分の発言を本から削除するよう求めました。

    刊行2日後の対談で、聞き手のDana Priestはすでに、トランプ政権が元CIA職員の発言を規制して以降、実名で記録に残る証言を集めて本を書くことは、もうできないだろうと述べています。

    PriestはWashington Postに30年在籍し、CIAが海外に設けた秘密収容所を報じてピュリツァー賞を受けた記者です。ワイナーも、この見方を否定していません。

    本書の結びで、ワイナーはトランプ政権下のCIAについて書いています。

    長官John Ratcliffeは採用したばかりの職員を解雇し、上級職員に退職を促し、昇進に思想信条の審査を課しました。

    ワイナーは「イデオロギーは情報の敵である」という一文が、本書の主張だと説明しています。

    先行きを問われたときも、答えに迷いはありませんでした。CIAを立て直せるかと聞かれて「もちろんできる」と即答し、こう続けています。

    より大きな問いは、これだけのことがあったあとで、優秀な若者が合衆国政府で働きたいと思うには何が必要か、ということだ。

    私たちが映画で見てきたCIAの姿を、実名の証言に置き換えれば、実際のCIAに近づけるのでしょうか。

    実名で語る人には、それぞれ守るものがあります。

    ほかにこの方法で書かれたCIAの記録を、私は知りません。そして、取材に応じた人たちがこれだけの代償を払ったあとで、同じ方法で再び本を書けるのですかね。

    参考リンク

    • https://www.nytimes.com/2025/07/15/books/review/the-mission-tim-weiner.html — Scott Anderson の書評
    • https://www.youtube.com/watch?v=xnZL9JjNtAA — Politics and Prose での対談、聞き手 Dana Priest
    • https://www.youtube.com/watch?v=sE1yiieaNP0 — 同じ対談の C-SPAN「After Words」版
    • https://www.youtube.com/watch?v=stM8zRevdPs — The Hayden Center での対談、聞き手 Greg Myre
    • https://schar.gmu.edu/news/2025-09/mission-veteran-cia-journalist-tim-weiner-hayden-center — 16人の最高機密取扱資格の剥奪
    • https://www.securityinfowatch.com/home/article/10547309/cia-statement-on-legacy-of-ashes — 前作への CIA の公式声明

  • 書評|原子力への誤解は解ける——それでも廃棄物の行き先は決まらない|”Rad Future” by Isabelle Boemeke

    書評|原子力への誤解は解ける——それでも廃棄物の行き先は決まらない|”Rad Future” by Isabelle Boemeke

    『Rad Future: The Untold Story of Nuclear Electricity and How It Will Save the World』は、2025年8月12日にThesisから刊行された272ページの本です。ThesisはPenguin Random House傘下のレーベルです。著者のイザベル・ボエメケは、原子力の研究者でも技術者でもありません。ブラジル出身で、ファッションモデルとして活動したのち、2020年頃からIsodopeという名前で原子力を擁護する動画を投稿してきました。本書が初の著書です。

    "Rad Future" by Isabelle Boemeke

    本書には、原子力に対する見方を変えうる説明があります。一方で、十分に書かれていない大きな問題もあります。この記事では、その両方を取り上げます。

    これまで専門家の説明が届きにくかった層にも、ボエメケの言葉は届きました。本書に推薦文を寄せているのは、Michael Bloomberg、Paris Hilton、歌手のGrimes、気候科学者のJames Hansen、米エネルギー省で原子力担当の次官補を務めたRita Baranwalといった人たちです。この人選は意図的です。これまで原子力を話題にしてこなかった人たちを議論に引き入れたい、というのが本人の説明です。

    なお本書では、原子力を指す言葉としてnuclear powerではなくnuclear electricityを使い、最後まで統一しています。兵器と発電を切り離すための言い換えです。日本語では「原子力発電」という表現が定着しているため、この記事でも原子力発電と書きます。

    原子力への警戒感は、核兵器のイメージと切り離せない

    本書の中心的な主張の一つが、この見方です。

    核分裂が発見されたのは1938年のドイツで、その1年後に第二次世界大戦が始まりました。アインシュタインらが大統領に書簡を送ったのち、マンハッタン計画が始まり、広島と長崎への原爆投下に至ります。当時、多くの人がnuclearという言葉に初めて触れたのは、きのこ雲の写真とともに原子爆弾が報じられたときでした。

    核分裂が発見されてから16年後の1954年に原子力法が制定されるまで、原子炉を保有できたのは連邦政府だけでした。1946年には管理主体が軍から民生機関である原子力委員会に移りましたが、民間には開放されていませんでした。

    その後、アイゼンハワー大統領が国連総会でAtoms for Peaceの演説を行い、原子力を平和目的に利用する動きが始まります。ウォルト・ディズニーは『Our Friend the Atom』という番組を制作しました。核分裂の説明を担当したのは、ディズニーが雇った物理学者Heinz Haberです。ディズニー・ワールドの区域を運営していた特別区には、1967年のフロリダ州法によって、核分裂による発電を行う権限まで与えられていました。この権限が実際に使われることはなく、2023年の州法改正で削除されました。

    それでも、原子力が兵器と結び付いて受け止められてきた歴史は残りました。1970年代には、若い世代を中心に政府や大企業への反発が広がり、当時の環境運動も核兵器への反対運動と深く結び付いていました。原子力発電は軍や政府との結び付きが強かったため、その反発の対象にもなりました。

    スリーマイル島の事故が起きたのは1979年、原子力発電所の炉心融解を描いた映画『チャイナ・シンドローム』が公開されてから12日後でした。炉心の約半分が溶けましたが、格納容器が放射性物質を閉じ込め、周辺住民の被ばく線量は自然放射線と区別できない程度にとどまりました。健康への影響は確認されていません。

    チェルノブイリ事故は1986年です。格納容器がなく、運転員には設計上の欠陥も知らされていませんでした。事故が外部に知られたのは、スウェーデンの原子力発電所が大気中の放射性物質を検知したためです。

    事故直後から数週間のうちに約30人が亡くなりました。長期的ながんによる死亡については、2005年のチェルノブイリ・フォーラムが、最も強く被ばくした約60万人のうち約4,000人と推計しています。これは推計値であり、どの集団を対象にするかによって数字は変わります。

    甲状腺がんは、事故当時18歳以下だった人について、1991年から2015年までに約2万件が報告されました。UNSCEARは、このうち約4分の1が被ばくによるものと推定しています。生存率は99%近くとされています。

    ボエメケは、こうした数字を化石燃料による発電の被害と比較します。ただし、本書が挙げる年間400万人という数字は、屋外の大気汚染全体による早期死亡の推計です。WHOは2019年の値を420万人とし、原因として産業、家庭用エネルギー、輸送、発電、廃棄物処理を挙げています。発電によるものは、その一部です。

    ウラン燃料のペレットはグミ1粒ほどの大きさですが、そこから得られるエネルギーは石炭2,000ポンド、約1トン分に相当します。

    renewable(再生可能)とclean(排出が少ない)は別の概念だ、とボエメケは書いています。renewableには、木を伐って燃やすことも含まれます。再び補充できるという意味だからです。

    この区分は、原子力をclean energyの議論から外すために使われてきました。米国の州が定める再生可能エネルギー基準でも、原子力は対象になっていません。

    読者からは、専門知識がなくても読める、著者自身が描いた図が分かりやすい、といった評価が目立ちます。読み終えて原子力への見方が変わった、と書くレビューも数多くあります。

    ここまでの説明は、信頼して読める内容です。

    ただし、原子力発電が安全かどうかという議論と、使用済み燃料を最終的にどこへ置くかという議論は別です。前者についての議論は進んできましたが、後者については、まだ答えが出ていません。

    廃棄物の最終処分になると、説明が途切れる

    本書も廃棄物には触れています。使用済み燃料は固体です。緑色の液体ではありません。原子炉から取り出したあと、使用済み燃料プールで5年ほど冷却し、その後はコンクリートと鋼でできた容器に封じ、発電所の敷地内で保管します。

    水は放射線をよく遮るため、プールに十分な水が満たされているかぎり、人は特別な防護なしでそのそばに立つことができます。一人が生涯に使う電力を原子力で賄った場合に出る廃棄物は、炭酸飲料の缶に収まる程度だとも書かれています。

    ボエメケは、フィンランドの地層処分場にも足を運び、地下400メートルまで下りています。地層処分以外の案には否定的です。宇宙へ打ち上げる案や火山に投げ込む案は退けています。再処理やトリウムに寄せられる期待にも否定的です。どちらも費用がかさみ、再処理では化学処理の過程で別種の液体廃棄物が生じるからです。

    本書が十分に書いていないのは、その先です。容器に入れた使用済み燃料を、最終的にどこで処分するのか。

    2026年8月の時点で、高レベル放射性廃棄物と使用済み燃料を対象とする地層処分場を操業している国は、世界に一つもありません。米国のWIPPは1999年から稼働していますが、軍事由来の超ウラン廃棄物を対象とする専用施設で、法律によって高レベル放射性廃棄物と使用済み燃料は対象から外されています。

    低・中レベルの廃棄物を受け入れる処分場であれば、複数の国にあります。まだ操業例がないのは、最も放射能の強い廃棄物を対象とする処分場です。

    フィンランドのオンカロが、その最初の例になろうとしています。建設は終わっており、2026年8月4日には、規制機関STUKが運転許可を認める方向の見解を示しました。政府の決定は2026年秋の見込みで、処分はまだ始まっていません。

    提出書類の不備や設計変更によって、許可審査は4回延期されました。深さは400から430メートルで、使用済み燃料6,500トンを受け入れる計画です。処分作業には約1世紀かかります。

    ほかの国は、さらに準備段階にあります。スウェーデンは2025年1月に着工したところで、処分開始は2030年代の予定です。フランスは2023年1月に設置許可を申請しました。許可に関する政令が出るのは2027年以降の見込みで、最初に使用済み燃料を地下へ納めるのは2050年頃とされています。

    米国では、ユッカマウンテンの審査が2010年から止まったままです。規制機関は2014年に、閉鎖後の安全要件を満たすという技術評価を出しましたが、ネバダ州の反対によって計画は進まなくなりました。

    分離変換という技術にも期待が集まっています。長寿命の核種を、より短寿命の核種へ変換する技術で、放射能そのものを消すわけではありません。

    商用規模で稼働している施設は世界に一つもなく、推進側のOECD原子力機関も、産業化の時期を2050年以降としています。同機関はこの技術を、地層処分に代わるものではなく、処分対象となる放射毒性を減らす技術と位置づけています。

    実験室で扱える量と、実際に発生する量との間には大きな隔たりがあります。日本の研究機関は2025年10月、本物の高レベル放射性廃液からマイナーアクチノイドを約0.3グラム分離したと発表しました。これは一度の実験で扱えた量です。フランスの原子力施設が1年間に生み出す同じ種類の物質は、約1トンと見積もられています。

    「10万年が300年になる」という説明を目にすることもありますが、この300年は、セシウム137とストロンチウム90が十分に減衰するまでの時間です。この2つは半減期が約30年で、分離変換の対象にはなっていません。分離したうえで貯蔵し、減衰を待つ扱いです。

    つまり、この300年は分離変換によって短縮された期間ではありません。分離変換が減らそうとしているのは、さらに長く残る核種です。

    本書で十分に扱われていないのは、処分場の問題だけではありません。本書は電力を中心に論じており、一次エネルギー消費全体の5分の4を占める非電力部門を正面から扱っていない、という指摘があります。

    読者からは、ウラン採掘の影響、同位体分離に伴う廃棄物、燃料加工に必要な工程の多さについても十分に触れられていない、という指摘があります。まだ分かっていないことが多い分野について、確実であるかのように語っている、という評もあります。

    最終処分は、単に地中へ埋設すれば済む問題ではありません。

    本書は、一人が生涯に使う電力から出る廃棄物の量が炭酸飲料の缶に収まるほど少ない、というところまでは説明しています。しかし、その廃棄物を最終的に受け入れる処分場が、まだどの国でも操業していないことには触れていません。

    本書の歴史記述には、裏付けのない箇所がある

    まず、ボエメケ自身の立場を確認しておきます。

    ボエメケは原子力の普及を掲げる団体を設立し、その資金も自ら拠出しています。原子力関連のスタートアップにも投資しています。2024年9月頃には、夫と共同で計1,000万ドルを、気候変動と原子力に取り組む団体へ拠出しました。

    ボエメケは、原子力産業が成長すれば経済的な利益を得る可能性がある立場にあります。ニューヨーク・タイムズと、環境報道メディアのDrilledが、それぞれその点を指摘しています。

    原子力を推進する立場の人が、その立場から本を書くこと自体に問題があるわけではありません。問題は、別の点にあります。

    本書は、環境団体Friends of the Earthが、事実上、反原子力を目的として設立されたと書いています。設立資金の20万ドルを出したのは、石油会社アトランティック・リッチフィールドの所有者だった、というのが本書の説明です。

    Drilledが2025年10月にこの記述を検証し、オランダの大学に所属する科学史研究者2人に照会したところ、その事実を裏付ける証拠は見つかりませんでした。

    1980年代にExxonが反原子力団体へ資金を提供した、という記述にも出典が付いておらず、Drilledも独自には裏付けを取れませんでした。

    本書はまた、Amory Lovinsを「エネルギーおたく」「再生可能エネルギー100%という考えの生みの親」と呼びます。そのうえで、Lovinsとその支持者が再生可能エネルギーの優位性を恣意的に決めた、としています。

    Lovinsはスタンフォード大学に籍を置き、Rocky Mountain Instituteを創設した人物です。本人は、ボエメケは原子力についてほとんど理解しておらず、自分や自分の仕事についてはさらに理解していないようだ、と述べています。本書の歴史記述はどの箇所も誤っており、刊行前に自分への接触は一切なかった、とも語りました。

    本書には、掲載したデータはすべて複数の専門家による検証を経ている、という趣旨の記述があります。それにもかかわらず、出典を遡れない数字が残っていることを、どう考えればよいのでしょうか。

    版元も広報担当も、Drilledからの照会には回答しませんでした。一人が生涯に使う電力から出る廃棄物が炭酸飲料の缶に収まるという説明についても、Drilledによれば、出所はカナダ原子力協会が作成したSNS向けの図版です。

    本書を読むときは、出典を遡れない記述が残っていることと、著者が原子力産業と金銭的な利害関係を持つ立場にあることを、念頭に置いておくとよいでしょう。

    書評はほとんど出ていません。主要な一般紙や書評誌でも、本書を取り上げた書評は確認できませんでした。

    業界誌のKirkus Reviewsは、「原子力発電をめぐる恐怖、誤情報、歴史的な重荷を晴らそうとする、切迫した説得力のある呼びかけ」と肯定的に評しています。ニューヨーク・タイムズも2025年8月12日に記事を出していますが、書評ではなく、スタイル欄の人物紹介でした。

    だからといって、この本を読むべきではないと言いたいわけではありません。

    原子力への警戒感がどのように形成されてきたのかという説明には、読む価値があります。ただ、本書だけを読んで原子力に賛成したとしても、使用済み燃料を最終的にどこへ置くのかという問題については、十分な情報を得られないままです。

    しかし、議論の出発点になろうとする本であるなら、なおさら、まだ答えの出ていない問いについても扱うべきでした。

    参考リンク

  • 書評|「みんな知っている」だけでは人は動けないのでは?|”When Everyone Knows That Everyone Knows . . .” by Steven Pinker

    書評|「みんな知っている」だけでは人は動けないのでは?|”When Everyone Knows That Everyone Knows . . .” by Steven Pinker

    右側通行は、なぜ怖くないのか

    アメリカでは車は右側を走ります。自分が右側通行の決まりを知っているだけでは、普通の速度は出せません。対向車の運転手はその決まりを知らずに正面から突っ込んでくるかもしれない、と考えるからです。相手も知っていると分かって初めて、速度が出せます。そして相手のほうも、こちらが知っていると分かって初めて速度が出せます。両方が知っているだけでは足りません。

    「そんなことは、みんな知っている」と私たちは言います。英語の common knowledge も、普段はその意味で使われます。「このあたりでは警察に金を渡せば話が通るのは周知の事実だ」といった使い方です。公然の秘密や、集団の中の通念を指します。

    "When Everyone Knows That Everyone Knows . . ." by Steven Pinker

    哲学、ゲーム理論、経済学では、同じ語がまったく別の状態を指します。これをコモン・ナレッジ(共有知識)と呼びます。ハーバード大学心理学部教授のスティーブン・ピンカーが2025年に出した『When Everyone Knows That Everyone Knows . . . : Common Knowledge and the Mysteries of Money, Power, and Everyday Life』(Scribner)は、この共有知識だけを一冊かけて論じた本です。

    なぜ、そこまで重ねる必要があるのでしょうか。

    自分がそれを知っている。相手も知っている。相手が知っていると自分が知っている。これが際限なく続く状態です。

    紙幣も同じ重ね方で支えられています。一枚の紙と品物を交換できるのは、他の人もその紙を受け取って同じ値打ちの品物を渡すと知っているからです。その人がそうするのは、さらに別の人が受け取ると知っているからです。紙幣の価値は、この見込みだけで成り立っています。ハイパーインフレが起きれば、その見込みは崩れます。

    権威も同じです。政府は屋根という屋根に狙撃手を置くことも、部屋という部屋を四六時中見張ることもできません。誰が上司かは、共有知識として保たれています。自分が上司に従うのは、ほかの部下も従うと知っているからで、上司が命じることができるのは、部下が従うと知っているからです。だから、大勢が公然と集まって、互いに相手も反対だと見て取れば、その権威は消えることがあります。

    ここで、心理学者のピンカーは疑問を持ちます。際限なく続くこの繰り返しを、人は数え上げられません。自分が知っていると相手が知っている、というところまでは追えます。その先を二つ三つ重ねると、もう追えなくなります。

    ピンカーは、そこまで数え上げなくてよいと答えます。その場の全員に見える、目立つできごとが一つ起きれば足ります。二人が同じものを見ていて、相手が見ていることを互いに見て取れれば、その場で共有知識ができたのと同じことになります。これがピンカーの見立てです。目を合わせることがその代表です。相手を見ている自分の目を、その相手が見ている。それだけで、繰り返しを一つずつ確かめる手間が要らなくなります。

    ピンカーはこの本を『裸の王様』から説き起こしています。行列を見ていた群衆は、王様が裸だと全員知っていました。見れば分かるのですから当然です。ただしそれは、各自が胸に納めたままの知識でした。服が見えない者は、自分の職にふさわしくないか、よほど愚かなのだとされていて、誰も口にしなかったからです。

    子どもが「王様は裸だ」と叫んだとき、この子は、誰も知らないことを言ったのではありません。全員が知っていることを、全員に聞こえるように口に出しただけです。その瞬間、全員が知っていると全員が知りました。そして群衆は、王様をあざけり始めます。知られたことは、何も増えていません。

    共有知識は、こうして人を動かします。ただし動かせる範囲は、思ったより手前で止まります。

    だから人は、わざと分からせないように話す

    はっきり言葉にすれば、共有知識ができます。内容が相手に伝わるだけでなく、伝わったことが互いに分かってしまいます。ところが、そうなっては困る場面があります。だから人は、遠回しに言います。ピンカーがこの主題を扱うようになったのも、言葉の研究者として、遠回しな言い方に疑問を持ったからでした。

    社内の調整で「それは難しいですね」と言う。取引先に「前向きに検討します」と返す。上司に思うところを直接は言わない。いずれも、内容を伝えないためではありません。内容は伝わっています。相手も大人ですから、「難しい」が断りであり、「前向きに検討します」もたいていは断りだと知っています。伝わらないようにするためではなく、伝わったことにしないために、そう言います。

    なぜ、伝わったことにしないのでしょうか。ピンカーは、人と人の関係そのものが共有知識で成り立っているからだと説明します。友人であるとは、双方が友人だと思っていて、相手もそう思っていると互いに知っている状態です。だから、友達になろう、と口に出して確かめ合うことはしません。子どもはしますが、大人はしません。条件を言葉で交渉した途端、それは友情とは別の関係になるからです。恋人も同じで、交際の初めに取り決めを詰めれば、恋愛らしさは消えます。

    『Gourmet』誌が食のライターに出した課題があります。マンハッタンで最も予約の取りにくい店を何軒か、土曜の夜に飛び込みで回り、給仕長に50ドル札を渡して席が取れるか試して、その顛末を書け、というものでした。

    ライターは、店に向かうタクシーの中で、憤慨した給仕長にどう言い返されるかを何度も想像した、と記事の冒頭に書いています。賄賂の罪で連行されるわけではありません。それでも、断られたときの気まずさは相当なものです。給仕長はその場では権威のある側で、客席をどう割り振るかは給仕長の裁量です。金で動く人間として扱えば、相手を低く見たことになります。

    ライターは、こう振る舞いました。50ドル札は手に持ったまま、一度も目をやりません。給仕長と目を合わせて、キャンセルは出ていませんか、待ち時間を短くする方法はありませんか、今夜は自分にとって大事な夜なんです、と言いました。金と席を交換したいとは、一度も口にしませんでした。結果は、毎回成功でした。

    断られたとしても、この言い方なら関係は壊れません。給仕長のほうは、あの客は、こちらが意図を分かっていないと思っているのかもしれない、と考えることができます。客のほうも、給仕長は、こちらが鈍くて断られたことに気づいていないと思っているのかもしれない、と考えることができます。意図そのものは双方に伝わっています。伝わっていないことにできる余地だけが残されていて、それで足ります。

    同じ話し方が、大統領の弾劾裁判の争点になったこともあります。トランプ大統領の1回目の弾劾です。トランプはウクライナのゼレンスキー大統領に、バイデン親子に不利な材料を掘り起こすよう求め、その一方でジャベリン・ミサイルの供与を保留する構えを見せました。問われたのは、これが見返りを条件にした取引だったかどうかです。トランプはそうだとは明言していませんでした。

    明言を避けるのは、個人どうしの話に限りません。ピンカーは、誰も困らせないための建前と呼べる例を一つ挙げています。経済学者ロビン・ハンソンから借りた例です。

    公園のベンチで、紙袋に入れた瓶から酒を飲む男がいます。袋に包んだところで、中身が酒だと誰にでも分かります。それでも警察は、この男を公共の場で酒を飲んでいる者として逮捕せずに済みます。条文どおりに取り締まれば警察国家のようになりますし、人手の無駄でもあります。かといって、公然と飲む者を見逃せば、法は守らなくてよいものになってしまいます。紙袋があるおかげで、法はなお生きていることになります。

    同じ立場の人のことなら、分かる

    誰も行きたくない夕食会に、全員が出席することがあります。あとで一人ずつに聞けば、みんな気が進まなかったと言います。それでも当日は全員が来ています。

    これは多元的無知と呼ばれます。全員が反対なのに、全員が「賛成しているのは自分以外だ」と思い込んでいます。行きたくないという気持ちは全員が持っています。足りないのは、それを全員が持っていると全員が知っていることです。

    同じことが、社会の規模でも起きます。体制が腐っていることも、まともに動いていないことも、一人ひとりは知っています。それでも誰も最初に立ち上がりません。先に声を上げれば、その人だけが狙い撃ちにされます。だからみな黙ったまま、不満を抱えているのは自分だけかもしれないと思っています。

    これを変えるのが、公然としたできごとです。広場に人が集まれば、その全員が、ほかの全員も不満を持っていると見て取ります。そのうえ、自分がそう見て取ったことも、周りから見られています。

    ピンカーは旧ソ連の小話を引いています。赤の広場でビラを配っていた男が逮捕され、連行先で当局がそれを調べると、どれも白紙でした。これは何のつもりだと問い詰められて、男はこう答えます。「書くことなどありますか。あまりに明らかでしょう」。

    作り話のままでは終わりませんでした。プーチン政権の警察は、白紙のプラカードを掲げた人を実際に逮捕しています。紙が白くても、周りの人にはそれが何を指しているか分かります。そして、周囲に分かるということも、その場にいる全員に分かってしまいます。白紙のプラカードが取り締まりの対象になったのは、そのためだと思います。

    では、SNSはどうでしょうか。ピンカーは、SNSでは共有知識はできないと答えます。届く内容が一人ひとり違うからです。アルゴリズムの選んだ投稿が並ぶ画面は、隣の人のものと同じではありません。全員が同じものを見ている場所ではないので、全員が見たと全員が分かる状態にはなりません。

    ところがSNSは、共有知識を作っているように見えてしまいます。投稿は拡散し、短い時間で、どこまで広がったのか分からないほど遠くまで届きます。画面には「トレンド」が出ていて、いま何が読まれているかが示されます。大手の報道機関が投稿をそのまま記事にすることもあります。自分が見ているものを、ほかの大勢も見ています。その感触だけは残ります。

    アメリカには、国民の多くが同じニュース番組を同じ時間に見ていた時期がありました。ピンカーは、そこで国じゅうに共有知識ができていたと述べています。今は、一方の陣営はある局を見て、もう一方の陣営は別の局を見ています。SNSの画面に至っては一人ずつ違います。共通の情報源がなくなったあとも、共有知識そのものが消えたわけではない、とピンカーは述べます。集団ごとに、別々のものができたという見方です。

    この集団を、リベラルと保守に置き換えてみます。ピンカーによれば、同じ立場の人が集まった場所では、共有知識は何の苦もなく成り立ちます。何が正しいか、誰が敵か、ひとつずつ確かめる必要がありません。相手も同じように思っていると分かりますし、相手のほうも、こちらがそう察していると分かっています。だから、話を途中から始められます。

    ピンカーは、それが失われた例を挙げています。ハーバードの学生です。食事は用意され、催しは絶えず、同年代の仲間に囲まれている。それでも学生たちは孤独だと言います。ピンカーの見方では、世界中どこでも人を結びつけるもの、つまりうわさ話や際どい冗談や政治的に正しくない皮肉を、彼らが口にできないからです。同級生の誰が匿名の通報窓口に報告するか分かりません。相手も同じように思っていると確かめられなくなれば、話を途中から始めることはできなくなります。

    それでも、別の立場の人のことは分からない

    最初に確かめた定義に戻ります。共有知識とは、全員が知っていることではなく、全員が知っていることを全員が知っていて、それが際限なく続いていることでした。では、同じ立場の人どうしで話が早く進むのは、そこまで達しているからでしょうか。

    私は、手がかりが揃っているだけだと思います。何を読み、誰を支持し、どの話題で腹を立てるか。そこまで分かっている相手なら、口に出していないことまで見当がつきます。その見当を、相手の考えを知ったことと取り違えているのではないでしょうか。立場の違う相手には、その手がかりがありません。

    ピンカー自身も、思い込みの危うさに触れています。知識の呪いと呼ばれるものです。自分が知っていることは、相手も知っていると思ってしまうことです。いったん知ってしまうと、知らない状態がどんなものかを想像しにくくなるからです。ピンカーは文章術の本でも、読みにくさの主な原因としてこれを挙げていました。専門家が読者を煙に巻こうとしているのではなく、どこまで説明すればよいか分からなくなっている、という見立てです。

    ピンカーは、この分断を乗り越えられると考えています。分かれてしまった今の状態から共通の理解に戻れると思うか、と問われたときは、予測はできないと断りました。そのうえで、悲観するほどではないと答えています。そして、フィリップ・K・ディックの言葉を引きます。「現実とは、信じるのをやめても消えないもののことだ」。思い込みが現実と食い違っていれば、いずれ手ひどい目に遭います。だから、間違った思い込みはそのままでは済みません。そこに望みがある、という答えでした。

    ピンカーは楽観的に過ぎるのではないでしょうか。人が何を思っているかは、なかなか分かりません。同じ立場の人のことが分かるのは、その人の思っていることを読めたからではなく、読まずに済んでいるからだと思います。読まずに済む相手としか分かり合えないのなら、それを分かり合えたと呼んでよいのか、迷います。

    Science 誌に、Jeremy Goodman と Chaz Firestone による書評が載りました(2025年10月16日)。協調が成り立つのは共有知識があるからだ、という本書の柱になっている主張は立証されていない、という指摘です。私が腑に落ちなかったのも、同じ点でした。

    以前、ピンカーの『21世紀の啓蒙』についても書評を書きました。ピンカーの楽観は、今回が初めてではありません。読み終えて残ったのは、「自分が誰のことなら分かっていて、誰のことは分かっていないのか」という問いでした。

    参考リンク

    • https://catapultsuplex.com/entry/enlightenment-now/
    • https://www.science.org/doi/10.1126/science.aeb1081
    • https://www.youtube.com/watch?v=7KY4J1Tpw58
    • https://www.youtube.com/watch?v=a3Gk-xOJm_c
    • https://www.youtube.com/watch?v=t2Ltc0mCBws

  • 書評|出生率を戻す方法を、まだ誰も知らない|”After the Spike” by Dean Spears and Michael Geruso

    書評|出生率を戻す方法を、まだ誰も知らない|”After the Spike” by Dean Spears and Michael Geruso

    社会保障も事業計画も、増え続けることを見込んで作られた

    事業計画は、市場が毎年少しずつ大きくなることを前提に立てられてきました。来年の売上目標は今年より高く設定され、採用は続き、設備は増えていく。どれも、人が増えることを織り込んだ数字です。

    社会保障も同じように組み立てられています。現役世代が納めたものが、そのまま高齢世代への給付に回ります。若い世代が前の世代より多いあいだは、これが無理なく続きます。

    日本の年金制度が、まさにこの例だと私は考えています。人口が増えることを前提に設計されているため、破綻しつつあります。本書が主に論じるのは日本の年金ではありませんが、読者にいちばん身近な話はここだと思います。

    では、なぜ人が増えるという前提を置けたのでしょうか。

    "After the Spike" by Dean Spears and Michael Geruso

    過去200年で、貧困も病気も大きく減りました。同じ200年のあいだに、世界の人口は10億人ほどから80億人あまりに増えています。『After the Spike』の著者である Dean Spears と Michael Geruso(ともにテキサス大学オースティン校の経済学者)は、人口の増加と暮らしの改善が同じ時期に起きたことを偶然とは考えません。人が増えたからこそ、暮らしが良くなった面があると論じます。

    理由の一つは、アイデアは使っても減らないことです。Spears は経口補水塩を例に挙げます。1960年代にダッカのコレラ専門病院で、水に塩と糖を溶かして飲ませる治療法が生まれました。ボトル1本を飲めば、その1本はなくなります。しかし、どの割合で混ぜれば脱水症の子どもが助かるのかという知識は、誰が使っても減りません。次の世代は、その知識を土台にして先へ進めます。

    人が多いほど、こうした発見や改良に取り組む人も多くなります。これは経済学では Paul Romer の内生的成長理論として整理されており、著者らもこの系譜に立ちます。

    人が多いほうがよい理由の二つ目は、開発に固定費がかかることです。作るのに大きな費用がかかるものは、同じものを必要とする人が一定数いなければ、そもそも作られません。Spears は母親を粘膜黒色腫という希少ながんで亡くしています。この型は米国で1970年代以降に数百件しか記録がなく、標準的な治療法もなかったといいます。患者が少なすぎたためです。自分がそれを手に入れられるのは、必要とする人がほかにもいるからです。

    その前提は、もう成り立たない

    いま、世界の3分の2の人が、出生率が2を下回る国に住んでいます。男女2人から子どもが2人生まれれば、世代の人数は変わりません。多くの国の出生率は、これを下回っています。

    豊かな国だけの話ではありません。インドは2を下回り、ラテンアメリカ全体では1.8、中国は1です。メキシコもカナダも、米国の1.6より低い出生率です。出生率が高い地域として残っているのは主にサブサハラ・アフリカで、ケニアは3を超え、モザンビークは5に近い水準です。

    豊かな国々の平均は1.5です。出生率が1.5前後のまま続くと、人口は10年ごとに約10%減り、1世紀で3分の1になります。

    記録のある範囲で1950年以降に生まれた世代を見ると、女性が生涯に産んだ子どもの数の平均が1.9を下回った国は26あります。そのうち、その後2まで戻った国は一つもありません。

    出生率がこれほど下がっても、日々の暮らしのなかでは気づきません。理由は二つあります。

    一つは、出生率1.8の社会と2.2の社会とで、暮らしの実感に差がないことです。買い物に行っても、公園を歩いても、見分けはつきません。一人の女性が産む子どもの数が、平均で0.4人違うだけです。しかし、1.8の社会では世代ごとに人数が減り、2.2の社会では増えていきます。

    もう一つは、人口そのものはまだ増えていることです。すでに生まれている子どもが成人して子どもを持つため、いま出生率が2に戻ったとしても、人口は数十年のあいだ増え続けます。人口学ではこれを人口モメンタムと呼びます。国連の予測では、世界の平均出生率が2を下回るのが2064年、人口が103億人で頭打ちになるのが2084年です。

    出生率が2を下回ること自体は、最近始まったことではありません。1980年の時点で、2を下回る国に住む人は5人に1人でした。

    現役世代が高齢世代を支える仕組みも、市場が毎年広がるという事業計画の前提も、人が増えるあいだに成り立ってきたものです。その条件が、すでに多くの国で失われています。

    「減ってもいい」も「代わりがある」も成り立たない

    人口が減ってもよいという意見は根強くあります。減ってもいいではないか、減っても代わりがあるではないか。著者は、どれも成り立たないと論じます。以下、四つに分けて見ていきます。

    第一の反論は、人口が減れば環境に良いのではないか、というものです。

    人口が減り始めるのは、国連の推計では2080年代、最も早いとする推計でも2060年代です。一方、脱炭素は今後数十年のうちに進めなければ間に合いません。人口が減って排出量が下がるとしても、それは対策が必要な時期を数十年過ぎたあとの話です。

    その差も小さいままです。本書の計算では、人口が120億人で安定する世界と、2150年に85億人まで減る世界とで、長期的な気温差は0.06°Cしかありません。

    そもそも、これまでの環境問題も人口を減らすことで解決したのではありません。中国の粒子状物質による大気汚染は2013年に国際的な問題になりました。そこからの10年間で中国の人口は5000万人増えましたが、汚染は半分に減っています。規制と技術で対処したからです。オゾン層を壊すフロン、有鉛ガソリン、酸性雨をもたらす二酸化硫黄も同じです。人の数ではなく、人が何をするかを変えることで対処してきました。

    第二の反論は、人が減れば一人当たりの取り分が増えるのではないか、というものです。

    そうとはかぎりません。ここでも、開発にかかる固定費が問題になるからです。人が減れば、そもそも作られなくなるものが出てきます。需要が一定の規模に届かないものは、誰の取り分にもなりません。

    炭素の除去については、著者らが実際に計算しています。William Nordhaus は、気候変動を経済モデルに組み込んだ研究でノーベル経済学賞を受けています。著者らはそのモデルに、人口の多い経路と少ない経路を入れました。長期的な気温がわずかに低かったのは、人口の多いほうでした。大気から炭素を取り除く作業には、設備が必要で、費用も労力もかかるからです。分け合う人数が多いほど、一人当たりの負担は小さくなります。Spears は最初、これを計算間違いだと考え、研究員にコードを見直させたと語っています。

    第三の反論は、移民で埋められるのではないか、というものです。

    世界全体を見れば、これは成り立ちません。地球の外から人が来ることはないので、世界の人口は出生と死亡の差だけで決まります。

    一国だけを見ても、移民では人口減少は止まらないと著者は述べます。移住してきた人の出生率は、世代を重ねるにつれて移住先の水準に近づくからです。ある国の人口を減らさずに保とうとすれば、毎年、実現できない規模の受け入れが必要になります。しかも、送り出す側の出生率も下がっていきます。いまは出生率の高い国も、やがて2を下回ります。移民は減少を先延ばしにするだけで、最終的にどこまで減るかは変わりません。

    第四の反論は、AIが人手不足を埋めるのではないか、というものです。

    ここで著者は、Daron Acemoglu が分けている代替と補完という考え方を使います。羊毛を紡ぐ機械は、それまで人がやっていた作業をそのまま置き換えました。一方、水車で動く工場では、人の作業が奪われるのではなく、同じ人がより多くを作れるようになりました。前者が代替、後者が補完です。

    著者は、AIは補完の側になる可能性が高いと見ています。そうであれば、人が何人いるかによって生産の伸び方が変わります。生産性を高める相手がいなければ、その技術は使いようがないからです。AIに期待する人ほど、人の数を気にしなければならないことになります。

    答えがないのは、誰も経験していないから

    では、出生率を上げればよいのではないか。ここで著者は明確な答えを出しません。よく持ち出される見方が三つありますが、著者はそのどれも否定するからです。

    第一の見方は、子育ての費用が高いから産まないのだ、というものです。

    これが正しければ、費用を下げた国では出生率が上がるはずです。ところが、保育も大学も医療も無償か低額で提供している国のほうが、出生率はむしろ低いのです。デンマークは1.5、スウェーデンとノルウェーは1.4、フィンランドとカナダは1.3で、いずれも米国の1.6を下回ります。個人単位でも同じです。宝くじに当たった若い女性も、当たらなかった女性も、その後に産んだ子どもの数は同じでした。

    Spears はこう問います。児童税額控除の4000ドルのために、結婚相手を変えるか。控除や保育の補助で出産の判断が変わるなら、人生の選択はその程度の金額で動くことになります。

    第二の見方は、強制すれば増える、というものです。

    ルーマニアのチャウシェスクは中絶を禁じ、職場での骨盤検査を義務づけました。出生率は一時的に大きく上がりましたが、数年で下がり始めました。その後は、所得水準の近いほかの国と同じ速さで下がりました。近年の例では、テキサス州が数年にわたって中絶をほぼ禁止しましたが、出生率は1.8のまま変わっていません。

    著者は中絶の禁止に反対しています。「個人の生活を壊し、女性の健康を損ない、女性を怖がらせた。ひどい政策だが、出生率はほとんど動かしていない」と述べています。効果がないから容認してよい、という話ではありません。

    第三の見方は、技術で解決できる、というものです。

    イスラエルは体外受精を無償で受けられるようにしました。その結果、親になる時期が後ろにずれました。あとからでも産めると思えば、いま産む必要はなくなるからです。

    では、そもそもなぜ下がるのか。原因についても定説がありません。出生率がなぜ下がるのかを説明しきれる理論は、社会科学にまだないと著者は明言します。婚姻の減少、宗教性の低下、女性の労働参加、子育ての費用。どれを原因に挙げても、当てはまらない国が出てきます。インドではほぼ全員が結婚し、出産の時期も早く、女性の労働参加率は40%程度ですが、出生率は2を下回りました。ラテンアメリカは9割がキリスト教徒ですが、出生率は先に見たとおり1.8です。韓国は男女の賃金格差がOECDで最も大きく、出生率は1を下回っています。

    著者が政策提言に踏み込まないのは、原因が分からないまま解決策を書いても当たらないからです。気候変動もそうでした。1960年代に内燃機関の禁止を訴えても、相手にされなかったでしょう。脱炭素が政策になるまでには、数十年の研究と社会運動が必要でした。だから Spears が読者に求めるのは、政治に働きかけることではありません。「上院議員に電話するな。友人や家族と話して、人口減少は歓迎すべき未来かどうかを聞いてほしい」と述べています。

    解決策を示していないという批判はあります。The Times は、本書が具体的な解決策を示すことを避けていると書きました。Foreign Affairs で書評を担当した人口学者の Jennifer Sciubba も、この先どうすべきかが示されていないとしています。

    世に出ている解決策への批判もあります。The Independent Review は、父親が育児にもっと関われば出生率が戻るという見方は事実と合っていないと指摘しました。21世紀の父親は前の世代よりはるかに長い時間を子どもと過ごしていますが、出生率は回復していません。

    解決策がないという批判は当たっています。読み終えても、何をすればよいのかは分かりません。

    ただ、解決策がないのは著者のせいではないと思います。人口が減り続ける社会を、人類はまだ経験していないからです。そこで経済成長をどう考えるのか、イノベーションをどう起こすのか、社会保障をどう立て直すのか。どれも前例がなく、参考にできる国もありません。答えが出ないうちは、来年は今年より高い売上目標を置く、という前提のほうを疑うしかありません。

    本書はまだ邦訳されていません。

    参考リンク

    • 出版社の書籍ページ: https://www.simonandschuster.com/books/After-the-Spike/Dean-Spears/9781668057339
    • 書籍公式サイト: https://afterthespike.com/
    • The Times の書評: https://www.thetimes.com/culture/books/article/after-spike-risks-global-depopulation-case-people-dean-spears-michael-geruso-review-6cm02b6cx
    • Foreign Affairs の書評(Jennifer Sciubba): https://www.foreignaffairs.com/reviews/depopulation-panic-jennifer-sciubba
    • The Independent Review の書評(Robert Whaples): https://www.independent.org/tir/2025-fall/after-the-spike/
    • 著者の学術論文(The Likelihood of Persistently Low Global Fertility): https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257%2Fjep.20251463
    • 人口の縮小と気候・生産性を比較した論文(Is Less Really More?): https://www.nber.org/papers/w33932
    • Aspen Economic Strategy Group のブックトーク: https://www.youtube.com/watch?v=KfxnfnH_how
    • Persuasion / The Good Fight: https://www.youtube.com/watch?v=iGbWre4vc2E
    • The Jordan Harbinger Show: https://www.youtube.com/watch?v=bJXgjkK1s0w
    • The Michael Shermer Show: https://www.youtube.com/watch?v=9duvzb9WX7s

  • 書評|アップルは中国という沼にはまったのか、ほかに道はなかったのか|”Apple in China” by Patrick McGee

    書評|アップルは中国という沼にはまったのか、ほかに道はなかったのか|”Apple in China” by Patrick McGee

    iPhone はどこで作られているか

    世界で売れるスマートフォンのうち、アップル製は5台に1台です。ところが、スマートフォン産業全体の営業利益のうち、8割前後をアップルが得ています。

    この利益の割合は調査会社の推計で、年によって上下します。ただし、台数の割合と利益の割合がかけ離れていることは変わりません。

    この差を生んできたのが、中国にある生産設備です。iPhone の組み立ての9割は中国で行われています。この数字は、本書が刊行された2025年5月の時点で広く使われていた推計です。

    なぜ9割が中国なのか。人件費が安いから、というのがよく聞く答えです。パトリック・マクギーの『Apple in China』(Scribner、2025年5月)は、冒頭でその答えを否定します。

    Apple in China

    著者は Financial Times の記者で、2019年から2023年までアップルを担当しました。本書は200件を超える取材にもとづいています。取材相手は、アップルの役員と技術者です。現職の人も、退職した人もいます。経営陣の回顧録ではなく、現場の側から書かれた記録です。

    中国が製造能力をどう身につけたかを論じた本に、ダン・ワンの『Breakneck』があります。マクギーの本は同じ過程を、1社の内側から見たものです。

    アップルが中国に置いたもの

    アップルは中国に注文を出したのではありません。設備を据え、人を送り込みました。注文は納品で終わりますが、据えた設備と送った人は現地に残ります。

    2012年、アップルの中国での売上は、小売だけで200億ドルを超えていました。それでも中国政府の見方は厳しいものでした。中国企業との合弁が一件もなかったからです。同じ時期、サムスンは35件の合弁を持っていました。

    そこでアップルは、中国政府の言い分をひっくり返す説明を用意しました。合弁はない。しかし数百の工場に人を送って現地の工員を鍛え、自社の水準まで品質を引き上げ、世界最大の生産規模まで押し上げたのは自分たちだ——そう主張したのです。

    この説明を裏づける材料を作るために、8人の幹部が中国に送られました。本人たちは冗談で「八人組」と呼び合っていました。

    アップルが中国で事業を始めたのは1993年です。それから20年以上、中国に住む幹部は一人もいませんでした。

    この8人が自社の生産網の規模を調べました。算出されたのが、年間550億ドルという額です。2015年ごろの集計で、もともとは中国政府に見せるために作られたものでした。

    問題は、この550億ドルに何が含まれているかです。著者はアジア・ソサエティーの対談で内訳を説明しています。

    一つ目はアップルストアの建設費で、金額としてはわずかです。二つ目は他社の生産ラインに据える機械で、これが最も大きい費目です。三つ目は人件費です。

    三つ目には説明が要ります。アップルの生産網では、受託先に雇われた300万人が働いています。なかには8週から16週で辞めていく人もいます。そうした短期の働き手の賃金まで訓練費に計上している、と著者は言います。

    そして、入っていないものがあります。部材の代金です。著者はこう明言しています。——チップもアルミも数えていない。iPhone に組み込む部品の購入額は1ドルも入っていない。

    二つ目の費目である機械を見ると、この550億ドルの中身が分かります。その代表が CNC 工作機械です。コンピュータが刃物の動きを制御して、金属のかたまりを削り、部品の形にする装置です。板金を曲げたり、溶かした金属を型に流し込んだりする方法に比べ、はるかに高い精度で加工できます。2008年の MacBook Air は、アルミのかたまりから主要な部材を削り出す構造でした。この機械なしには作れない製品です。

    この機械は1台100万ドルを超えます。アップルは1万台を買い、中国の工場に据えました。著者によれば、1万台で止まったのは、それ以上は市場になかったからです。アップルは作られる分をほぼ買い占め、数年にわたってこの機械が他社に渡らない状態を作りました。

    ただし、その工場はアップルのものではありません。代金を払ったのはアップルですが、据えた先は他社の生産ラインでした。動かす工員も他社の社員です。アップルはそこへ技術者を数千人送り込み、自社の求める精度が出せるようになるまで教えました。

    ですから、この額は安い労働力を買った金額ではありません。賃金の安い国なら、当時もほかにありました。中身は、1台100万ドルの機械の代金と、それを扱えるようになるまで人を訓練する費用です。工賃として払われたのではなく、現地に製造の技術を根づかせるために使われました。550億ドルは、こうした支出の1年分です。アップルはこれを毎年重ねてきました。

    沼にはまるとはどういうことか

    著者が副題の capture で言っているのは、中国がアップルを捕らえた、ということです。本稿の見出しでは、その状態を「沼にはまる」と言い換えました。

    では、捕らえられたとはどういう状態でしょうか。ポッドキャストの Summation で、著者は自分の本の主張を短くまとめています。——アップルは中国に依存しすぎている。副題の「捕獲」はその意味だ。中国の外では iPhone を作れない。

    これは程度の話ではありません。著者はサンフランシスコのコモンウェルス・クラブで、さらに踏み込んで語っています。——アップルには代替案がない。中国が輸出許可を取り消したらどうなるのか。報道がどう伝えていようと、インドで iPhone を作れる見込みはない。

    インドでの組み立ては伸びています。2024年は約3600万台、2025年は約5500万台です。2025年の台数は、iPhone 全体の4分の1にあたります。著者はそれを承知のうえで、見込みはないと言い切ります。台数の話ではないからです。

    別の対談で、聞き手はこう言っています。——インド製と表示された iPhone も中身のほとんどは中国製で、最後の数本のネジをインドで締めているだけではないか。著者はそのとおりだと答えています。インドの生産網はまだ層が薄く、幅も狭いからです。

    中国政府の締め付けも強まりました。政府は、取引先に中国企業を増やすよう求めました。中国国内では iPhone で使える機能に制限をかけ、利用者のデータは国有のデータセンターに置くよう義務づけました。

    売り先としての中国も無視できません。アップルは中国市場で、現地の IT 大手を上回る利益を上げています。作る場所としても売る場所としても、アップルは中国を手放せなくなっています。

    そして当のアップルが、この関係をさらに深める約束をしています。2016年5月、ティム・クックは共産党権力の中枢である中南海へ向かいました。そこで結ばれた覚書は、5年間で総額2750億ドル超を中国に投じるという内容でした。当時の年間550億ドルの水準を、5年続ける規模です。

    ただし、この2750億ドルは覚書に明記された数字ではありません。報じた The Information が、内容から積み上げた推計です。

    この覚書が結ばれたのは、ドナルド・トランプがアメリカ第一を掲げて選挙戦を戦い、アップル製品の不買を呼びかけていた時期です。この約束を記者会見で発表していれば、アップルは致命傷を負っただろう、と著者は言います。

    設備を据え、人を送り、市場を広げる。その一つ一つが、中国から離れられない理由を増やしていきました。本書が描くのは、その20年です。

    ほかに道はあったのか

    本書の見立てを疑う声は、刊行直後から出ています。それも細部への異議ではなく、アップルが中国の製造業を育てたという見立て自体に向けられたものです。反論は大きく二つあります。

    一つ目は、そもそも捕らえられてなどいない、という見方です。

    米ジョージア工科大学でインターネット政策を研究するミルトン・ミューラーは、本書に正面から反論しています。——本書が並べた事実からは、アップルが中国国家に捕らえられたという結論は出てこない。アップルも中国の電子機器メーカーも、どちらも利益を得た。技術が移ったことで独占ではなく新しい競争が生まれ、中国の労働者の賃金も上がった。

    ミューラーは、原因の所在についても別の見方をとります。貿易を混乱させたのは米国政府の政策だ、というのです。経済を安全保障の問題として扱うようになったのは政府であって、企業を責めるのは筋が通らない、と言います。

    この指摘が突いているのは、結論ではなく前提です。捕らえられていないのなら、「ほかに道はあったのか」という問い自体が立ちません。本稿の見出しも、その上に立っています。

    それでも問います。崩れうる前提だと承知のうえで問えば、本書の見立てのどこが強く、どこが弱いのかが見えてくるからです。

    550億ドルという数字を、ミューラーは逆の意味に取ります。政府の産業政策より民間企業の投資のほうが良い結果を出した証拠だと読みます。同じ事実から正反対の結論が出てきます。

    二つ目は、その数字は本当にアップルのものか、という見方です。

    陳静は中国科学技術大学の研究者で、専門は科学技術コミュニケーションです。本書に対しては、具体的な反論を書いています。——アップルの取引先は、8割超が中国に工場を持っている。550億ドルも、2008年以降にのべ2800万人を訓練したという数字も、生産網全体を合算したものだ。アップル単独の功績ではない。それをアップルの投資額として示すのは過大な計上である。

    陳静は、「アメリカが中国を作った」という見立て自体も、西側に偏ったものとして退けます。そのうえで、アップルも中国も、この関係から得るものがあったと述べます。

    著者はこの批判に直接は答えていません。刊行から5か月後、アジア・ソサエティーの対談で550億ドルの中身を自分から説明しました。先に見た、建設費・機械・人件費の三つです。

    著者が明かしたのは550億ドルの費目であって、その支出を誰が行ったかではありません。三つ目の人件費は、受託先に雇われた300万人に支払われた賃金です。雇っているのも払っているのも、アップルではありません。

    つまり内訳の開示は、陳静への反論になっていません。むしろ、陳静の言う合算がどこで起きているのかを具体的に示しています。著者の側から読めば、部材費すら入れずにこれだけ投じた、という証拠になります。批判者の側から読めば、他社が払った人件費がアップルの投資額に繰り入れられている、という証拠になります。

    陳静はこうも書いています。アップルにインドで同じことができるものなら、やらせてみればいい、と。この一言は、インドでは作れないという著者の断言と真っ向から対立します。

    争われているのは、550億ドルが誰の支出なのかという点です。決着していないのは、アップルにほかの道があったのかという問いです。本書にも書評にも、その答えはありません。答えられる材料がないからです。

    分かっているのは順序だけです。1996年、アップルは倒産寸前でした。1998年の iMac は韓国でもウェールズでも作られていました。中国に製造を移したのは2003年です。そのころの中国は、ほかの多くの会社がすでに生産を委託していた場所でした。

    つまり、中国が唯一の道だったわけではありません。分かれ目は、中国へ行ったかどうかではなく、一国にどこまで深く依存したかです。争点は、同じ事実を捕獲と見るか、互いに利のあった取引と見るかにあります。

    依存はどう生まれるか

    本書がもっとも克明に描くのは、依存が生まれていく過程です。アップルは規模と速さを得るために、設備を据え、技術者を送って作り方を教えました。教えられた側が作れるようになると、その周りに下請けが集まります。

    設備は移せますし、機械は買えます。移すことも買うこともできないのは、部品業者や工員が一帯に集まっている状態と、その人たちが身につけた技能です。作れる場所が一つしか残らなくなったところで、その国の政府が条件を出してきます。

    この技能には名前があります。プロセス・ナレッジです。手順書には書き出せず、現場で人から人へしか受け渡せない知識を指します。

    倒産寸前の会社が製造を外に出しました。MacBook Air を作るために、CNC 工作機械を1万台買って中国の工場に据えました。中国で売り続けるために、現地の取引先を増やしました。どの段階でも、そのときの判断は正しいものでした。にもかかわらず、20年たってみると、アップルは中国の外で iPhone を作れなくなっていました。

    これはアップルだけの話ではありません。同じことは、工場を持たない会社にも起きます。ある業務を長く外に出していると、発注側はいつのまにか、その仕事の中身が分からなくなります。分からなければ、価格も納期も相手の言うとおりになります。誰も間違った判断をしていないのに、交渉の材料だけがなくなっています。

    自社に置き換えて、いくつか問いを立ててみます。いま、ある仕事を外に出すとして、任せられる相手は何社あるでしょうか。1社しかないのなら、それはいつ1社になったのでしょうか。

    止めた工程はないでしょうか。止めたときは、効率化として説明されたはずです。いま同じことを、もう一度始められるでしょうか。

    外に出した仕事について、相手の見積もりが妥当かどうかを自社で判断できるでしょうか。その仕事を長く担ってきた人が辞めたとき、引き継ぎ書に書けなかったものは何だったでしょうか。

    引き継ぎ書に書けなかったもの、それがプロセス・ナレッジです。どこにも記録が残らないので、失っても気づきません。

    答えは書きません。会社によって違いますし、私が知っているのは本書に書かれたことだけです。

    この本を勧めるかどうか。勧めます。設備がどう運ばれ、技術者が何を教え、工場の側が何を身につけたのか。そこまで具体的に書いた記録は、ほかにありません。

    現場をどう描いたかについては、本書の見立てに批判的な評者も正確さを認めています。米国では、経済報道を対象とした書籍賞を受けました。

    同じ主題を国の側から扱ったダン・ワンの『Breakneck』は、別の記事で取り上げました。

    「なぜそうなったか」の説明は、先に見たとおりまだ議論の途中です。それでも、自社に「これがないと回らない」ものがあると感じているなら、読む価値があります。

    なお、本稿執筆時点で邦訳は出ていません。英語版は米国の Scribner 刊、448ページです。

    参考リンク

  • 書評|中国はエンジニアが動かし——その見立ては当たっているか|”Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future” by Dan Wang

    書評|中国はエンジニアが動かし——その見立ては当たっているか|”Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future” by Dan Wang

    中国の現場で著者が見たもの

    2021年の夏、上海で暮らしていたダン・ワンは、都市生活の閉塞感から離れるため、友人2人と自転車の旅に出ます。向かったのは、中国南西部の貴州省でした。貴州には昔からの言い回しがあります。「雨の降らない日が3日と続かず、平らな土地は3尺もなく、3枚の銀貨を持つ家もない」。それほど貧しい土地だ、という意味です。著者によれば、中国で4番目に貧しい省です。本書『Breakneck』は、この貴州への旅から始まります。

    "Breakneck: China's Quest to Engineer the Future" by Dan Wang

    ところが5日間走ってみると、道路はよく整備され、自転車で移動するには申し分のない環境でした。世界有数の高さを持つ橋が、貴州には45本ほどあります。大規模なデータセンターも建設され、高速鉄道も開通しました。かつて交通の便が悪かった地域から、市場や上海のような大都市へアクセスしやすくなっています。建設した時点では「どこにも通じていない橋」であっても、やがてその先に経済活動が生まれる。著者はそう説明します。

    ただし、代償もあります。貴州省をはじめとする地方政府は、こうしたインフラ建設で生じた巨額の債務を抱えています。橋によって生まれる経済活動だけでは、その返済を十分に賄えていません。

    著者が中国へ渡ったのは2017年初めです。調査会社ガベカル・ドラゴノミクスのテクノロジー・アナリストとして、香港に2年、北京に2年、上海に2年。2023年に中国を離れるまでの6年間を過ごしました。本書は、その間の見聞をもとに書かれています。

    著者が最も気に入った都市は上海でした。地下鉄網が充実し、市内の多くの場所から駅へ容易にアクセスできる。旧フランス租界の並木道が残り、公園も増え続けている。公園の数は、2020年の約500か所から2025年には約1,000か所になりました。

    著者は、こうした変化をサンフランシスコやロサンゼルスでの生活と対比します。米国の都市で目にする変化は、近所の店が入れ替わるといった程度にとどまる。一方、中国では過去40年、あるいは直近10年だけを見ても、都市の景観や交通網が目に見えて変化してきた。その環境で暮らしていると、「次も変わるだろう」という感覚を持つようになる。

    著者が中国で強く感じたのは、経済統計だけでは捉えにくい、この変化への期待でした。

    エンジニア国家と法律家社会

    著者が中国での6年間から持ち帰ったのは、現地の印象だけではありません。中国と米国の違いを捉えるための、一つの仮説です。

    米国のフーバー研究所での講演で、著者はその問題意識を次のように説明しています。今後数十年にわたって重要になる米中関係を、私たちは社会主義対資本主義、新自由主義対専制主義といった政治思想の言葉で捉えがちです。しかし、こうした概念の意味も歴史のなかで変化してきました。そこで、少し違う角度から両国を見てみようというわけです。

    著者が提示するのが、中国は「エンジニア国家(engineering state)」であり、米国は「法律家社会(lawyerly society)」であるという対比です。

    米国側の見立ては、エズラ・クラインとデレク・トンプソンの共著『Abundance』が米国の競争力低下の理由として論じたものと重なります。

    根拠の一つとして挙げるのが、政治指導者の経歴です。中国の最高意思決定機関である政治局常務委員会では、ある時期、9人の委員全員が工学の学位を持っていました。しかも、彼らが学んだのはソ連型の工学です。土木、機械、熱工学、水利など、ダムや発電所を実際に建設・運用するための分野でした。そうした教育を受けた人々が、国家の意思決定を担っていた。

    一方の米国について、著者は「大統領を目指すなら、まずイェール・ロースクールへ行く必要があるように見える」と冗談めかして表現します。初代ジョージ・ワシントンからエイブラハム・リンカーンまで、最初の16人の大統領のうち13人が法律家でした。直近10人の大統領では5人がロースクールを卒業しています。上院にも法律家出身者が多くいます。

    著者は、この違いを政策姿勢にも結びつけます。エンジニアは、社会の問題に対して何かをつくることで答えようとする。景気が悪化すれば橋や鉄道を建設し、新たな事業を立ち上げる。それに対して法律家は、権利、手続き、規制、訴訟を通じて事業に歯止めをかける。著者によれば、米国で後者の力が強まったのは1960年代以降です。環境影響評価などの制度が整備され、大規模な開発計画は幾重もの手続きを経なければ進まなくなりました。

    貴州の橋や上海の公園は、この見方に従えば、「まず建設する」ことを重視する政治体制から生まれたものとして理解できます。

    ただし、著者自身も、この仮説だけで中国を説明できるとは考えていません。著者は、中国を専制国家として理解することもできると述べ、その政治体制が決定的な影響を与えていることも認めています。「エンジニア国家」は、中国を見るための一つの視点にすぎない。文字どおりの分類としてではなく、両国の違いを考えるための枠組みとして使ってほしいとも説明しています。

    そのうえで、著者はエンジニア国家の利点を評価します。インフラが整備され、都市が変化し続けること自体には大きな価値がある。

    もちろん、相応の負担も伴います。コンクリートの生産は環境に負荷をかけ、三峡ダムのような大規模事業では膨大な数の住民が移転を余儀なくされました。それでも、生活環境が継続的に改善される社会では、「未来は現在より良くなる」という期待を持ちやすい。著者は、とりわけカリフォルニアの人々が、その感覚をもう少し取り戻してもよいのではないかと語っています。

    原子力発電所、橋、高速道路といったインフラを建設してきたことは、中国共産党が体制への支持を維持する基盤の一つにもなりました。政府が人々の求めるものを実際に提供してきた、と説明できるからです。

    社会をエンジニアリングするとどうなるか

    問題は、エンジニアリングの対象がインフラだけにとどまらないことです。同じ発想が社会そのものに向けられると、事態は大きく変わります。

    フーバー研究所での講演で、著者はエンジニア国家の利点を説明したあと、こう続けています。

    中国の問題は、社会のエンジニアもいることです。彼らはどうしても、人を建材の一つのように扱ってしまう。好きなように壊し、組み直してよいものとして扱ってしまうのです。

    (引用の訳は本稿の書き手によるものです。以下も同じです)

    著者が例として挙げるのは、少数民族への収容政策、宗教・文化への介入、戸籍制度、一人っ子政策、ゼロコロナです。一人っ子政策とゼロコロナは、ともに政策目標そのものが数字で表現されています。

    子どもは1人。感染者はゼロ。

    数値目標が絶対化され、その達成過程で生じる個人への影響が後景に退いた。著者はそこに、社会を工学的な最適化の対象として扱う発想を見ています。

    なかでも本書が詳しく扱うのが、一人っ子政策です。始まりは1970年代末でした。毛沢東の死後、中国の指導者となった鄧小平は、人口増加が経済発展を妨げることを懸念していました。

    そこへ登場したのが、ミサイルの制御工学を専門とし、サイバネティクスにも詳しい軍事科学者の宋健です。宋健は、ミサイルの軌道を数式で導くのと同じように、人口の推移もモデル化して思いどおりに動かせると考えました。そこから導き出されたのが、夫婦1組につき子ども1人という解でした。著者は、この発想を「エレガントな解」と表現しています。

    しかし、数式として簡潔であることと、社会政策として妥当であることは別です。中国の公式統計によれば、35年間で3億件を超える中絶が行われ、1億人の女性と2,500万人の男性が不妊手術を受けました。この数字には自発的なものも含まれ、強制された件数だけを示しているわけではありません。それでも、この政策が極めて大規模に実施されたという事実に変わりはありません。著者は、取り締まりがとりわけ農村部の女性に集中したとして、これを人道上の惨事と呼んでいます。

    著者の問題提起は、国家能力そのものに向かいます。人口を数理的な最適化問題として捉える発想があり、そこから導かれた政策を社会全体へ強制できる行政の力もあった。だからこそ一人っ子政策は実行できたのです。国家能力は、高ければ高いほどよいとは限らないのではないか。中国で6年間暮らした結果、著者は「国家能力が過剰になる場合もある」と考えるようになったと述べています。

    中国政治と経済を扱うポッドキャストChinaTalkでは、著者はさらに踏み込んでいます。中国共産党は、一人っ子政策によって「4億人の出生を回避した」と主張してきました。しかし著者によれば、この推計を受け入れない人口学者は少なくありません。中国の出生率は、一人っ子政策が始まる以前の1970年代からすでに急速に低下していました。一人っ子政策が出生率をさらに押し下げた効果は限られていた。それでいて甚大な人権侵害を伴った。そう評価する研究者もいると著者は紹介しています。

    「エンジニア国家」という言葉は、中国のインフラ建設能力を説明するだけではありません。インフラを数値目標によって設計する発想と、人口や社会を同じ最適化の対象として扱う発想。この二つが同じ政治体制のなかで共存しうることも、この言葉は示しています。著者は、中国の強さを説明するために提示した枠組みを、そのまま中国の危うさを説明するためにも使っています。

    評価は割れている

    本書の現地報告は、書評でもおおむね高く評価されています。人的犠牲を正面から書いている点を評価する評者も少なくありません。議論が分かれるのは、「エンジニア国家と法律家社会」という枠組みです。中国の建設力と米国の停滞を、本当に指導層の職業的背景から説明できるのか。主な反論は三つあります。

    第一は、歴史からの反論です。経済学者でブログ「Noahpinion」を書くノア・スミスは、法律家が政治の中心にいた19世紀から20世紀の米国が、実際には膨大なインフラを築き、数々の産業を生み出したことを指摘します。大陸横断鉄道、フォード、GM、州間高速道路、郊外住宅。当時から政治指導層には法律家が多くいましたが、建設や工業化は止まりませんでした。

    米国の政治評論誌The Republicのメアリー・ジュリア・コックも、同じ問題を歴史から指摘します。19世紀前半に米国を訪れ、『アメリカのデモクラシー』を書いたトクヴィルは、すでに法律家を米国で最も有力な階級の一つとして描いていました。トクヴィルが訪れたのは、米国が急速に工業化していた時期でもあります。だとすれば、1960年代以降に米国の建設能力が変化したとしても、「法律家が政治の中心にいること」だけでは説明できません。

    第二は、発展段階からの反論です。発展途上の国では、成長のために資源を動員し、インフラを整備する必要があります。一方、豊かになった国では、既存の資源をどう配分し、権利や環境をどう調整するかが重要になります。この変化は、政治家が工学部出身か法学部出身かとは関係なく起きるのではないか。スミスは、これは豊かな国に共通する現象かもしれないと指摘します。

    英国の書評誌Literary Reviewに寄稿した経済学者リンダ・ユーも、本書が最も説得力を持つのは、現代中国を19世紀末の米国と比較する部分だと評価しています。主要国がサービス業中心の経済へ移行するにつれて建設や製造の比重が低下するのであれば、中国と米国の違いは国家の性格ではなく、経済発展の段階によるものかもしれません。

    第三は、東アジアの他国からの反論です。これは「エンジニア国家」という仮説に、最も厳しい問いを突きつけます。

    経済学者タイラー・コーエンは著者との対談で、製造業に強く、質の高い社会基盤を築いてきた他の東アジア諸国を挙げました。台湾、韓国、シンガポールです。これらの国や地域では、必ずしもエンジニア出身の政治家が統治してきたわけではありません。シンガポールのリー・クアンユーも法律家でした。

    コーエンは、こう問いかけます。

    シンガポールは、挙げた国の中でおそらく最もうまくやっています。中国よりはるかに豊かで、中国に手本を与えました。効いているのがエンジニアだと考えるべき理由は何でしょうか。東アジアであること、そしてこれらの地域に付随するいくつもの事実のほうではないのですか。

    著者は、日本の指導層にも法律家が多いと応じ、香港を統治していた英国の官僚も例に挙げます。そのうえで、中国が近隣の東アジア諸国よりはるかに大規模な成果を上げてきたこと自体が、エンジニアという要因の重要性を示していると主張します。

    これに対してコーエンは、一人あたりの指標を持ち出します。

    中国ははるかに、はるかに貧しいのです。一人あたりの製造業生産では、これらの国のほうがずっとうまくいっています。

    この論点では、コーエンの指摘には説得力があります。中国の人口は台湾のおよそ60倍、日本の11倍あります。国家の統治方法が経済的な成果につながっているかを測るのであれば、人口規模の影響を強く受ける総量だけでなく、一人あたりの成果を見る必要があります。

    著者はその後、総量による比較を続けるのをやめ、説明の軸を変えます。中国の特徴は、共産党が作り上げた官僚制度と、そのなかで官僚に作用するインセンティブから説明できるのではないか。著者はそう述べています。

    さらに、東アジア諸国との違いを「社会そのものをエンジニアリングする度合い」に求めます。出生数を抑制する政策は、日本、韓国、台湾にもありました。しかし、中国ほど強制的な政策を農村部まで徹底した国はありません。感染症対策も東アジア各国で行われましたが、中国のゼロコロナ政策ははるかに強力でした。

    つまり著者は、中国を近隣諸国と分けるものを、単純な「建設能力」から、国家が社会へ介入する強度へと置き換えて説明します。これは、本稿で先に見た一人っ子政策やゼロコロナの議論とつながっています。

    中国の特殊性は、インフラを建設する能力だけではなく、同じ工学的な発想を社会や人間にまで適用できる国家能力にある。そう考えれば、「エンジニア国家」という枠組みには、なお説明力が残ります。ただし、少なくとも「中国が近隣諸国より多くを成し遂げたのだから、エンジニア出身の指導者が原因だ」という論証は弱くなります。

    重要なのは、こうした批判をしている評者たちも、本書そのものを低く評価しているわけではないことです。コーエンは本書をその年の最良の一冊かもしれないと評価し、スミスも中心的な仮説には疑問を呈しながら、重要で刺激的な本として推薦しています。

    仮説には疑問がある。しかし、本は読む価値がある。本書への評価は、この二つが両立したものになっています。

    もう一つの説明——プロセス・ナレッジ

    ここまで見てきたように、「エンジニア国家と法律家社会」という仮説には有力な反論があります。ただし、著者は以前から、中国の製造業の強さについて別の説明も提示してきました。自身のサイトに掲載した長い論考「技術はどう育つか」(How Technology Grows)で論じている、プロセス・ナレッジ(process knowledge)です。この議論では、政治指導者の職業的背景は問題になりません。

    著者は、技術的な知識を大きく三つに分けます。一つ目は、道具や機械そのものに組み込まれている知識です。料理なら、鍋、フライパン、コンロにあたります。二つ目は、文章として記録できる知識です。料理ならレシピです。そして三つ目は、文章だけでは十分に伝えられず、実際の作業を繰り返すことで身につく知識です。

    設備の整った厨房と詳細なレシピを与えられても、料理経験のない人が熟練した料理人と同じものを作れるわけではありません。製造業でも同じです。半導体のウェハーをどう保管するか。クリーンルームへどう持ち込むか。工程ごとの微妙な条件をどう調整するか。こうした知識の多くは、実際に製造を続けるなかで蓄積されます。

    これがプロセス・ナレッジです。マニュアルや設計図だけでは完全には記録できず、現場の技術者や労働者の経験として蓄積される知識や技能を指します。

    そして、この知識は製造を続けることでしか維持できません。工場がなくなり、人が離れれば、設備や設計図だけでなく、そこに蓄積されていたプロセス・ナレッジも失われていく。

    著者は、この見方を米国の製造業にも当てはめます。製造拠点を海外へ移転すると、単に工場や雇用が失われるだけではありません。量産時の問題を解決する経験や、生産規模を拡大する際の知識も失われます。自動化装置や工作機械に強い国の多くが、製造業を国内に残してきた国でもあるのは偶然ではない、と著者は考えます。製品を設計する技術者が、実際の製造工程と継続的に接することができるからです。

    著者はこの考え方から、中国の今後についても比較的強気です。経済ニュース番組Odd Lotsでは、中国経済には多くの問題があり、成長も鈍化していると認めたうえで、それでも製造業と技術は進歩し続ける可能性が高いと述べています。すでに膨大なプロセス・ナレッジが蓄積され、それを維持するための投資も続いているからです。

    中国の経済は減速していますし、経済にも政治にもあらゆる問題があります。それでも彼らは製造と技術では前に進み続けます。製造のプロセス・ナレッジを持っていて、それを押し進める投資も持っているからです。

    すでに起きている例として著者が挙げるのが、自動車産業です。中国メーカーの競争力向上によって、ドイツをはじめとする欧州の自動車産業が圧力を受けている。今後、その影響は東アジアの他国や米国にも広がる可能性があると著者は予測します。

    軍事や安全保障については専門外だと断ったうえで、より明確に見えているリスクとして、西側諸国の製造業への影響を挙げています。中国の技術力が高まり続ければ、米国中西部や欧州各地の製造業がさらに縮小し、それが政治的な問題にも発展する可能性がある、という見方です。

    では米国はどうすべきなのか。著者が最初に挙げるのは、プロセス・ナレッジへの投資です。半導体だけでなく、EV用バッテリーや電子部品などについても、国内で実際に製造を続け、暗黙知を蓄積する能力を高める必要があると主張します。

    ここで重要なのは、この説明には「国家がエンジニア的かどうか」という条件が出てこないことです。問われているのは、製造を続けているか、その経験が蓄積されているか、そのための投資が継続しているかです。「エンジニア国家」という議論が統治者の属性に注目していたのに対し、プロセス・ナレッジの議論は、生産現場に蓄積される経験へ焦点を移しています。

    ただし、これによって政治や制度の問題が消えるわけではありません。著者自身が重要な条件として挙げているのが、「投資が継続すること」です。中国では、国有銀行、地方政府、産業政策がその投資を支えています。何に長期的な資金を投入するかは、国家の制度や政策と切り離せません。

    また、プロセス・ナレッジは台湾や韓国にも蓄積されています。したがって、この概念だけでは「なぜ中国が他の東アジア諸国と異なるのか」までは説明できません。

    それでも、中国の製造業の強さを説明するという目的に限れば、プロセス・ナレッジのほうが「エンジニア国家」という大きな仮説より説得力があります。射程が狭いからです。エンジニア国家という仮説は、橋、高速鉄道、都市開発、製造業、さらには社会政策までを、一つの枠組みで引き受けようとします。一方、プロセス・ナレッジが答えるのは、製造業に強い国はなぜその強さを維持しやすいのか、という問いだけです。対象を絞っているぶん、歴史や他国の事例とも整合させやすくなっています。

    結び

    本書は、中国で何が起きているのかを知るうえで、高い価値があります。著者は2017年から2023年まで中国に住み、都市や工場を訪ねながら、その変化を自分の目で見てきました。貴州の山間部から上海まで、現地で見聞きしたことの記述が、本書の最も強い部分です。この点については、「エンジニア国家と法律家社会」という仮説に批判的な評者からも高く評価されています。

    一方、その経験を説明するための中心的な仮説については、十分に実証されたとは言い難いでしょう。米国は歴史的に法律家が多い社会でありながら、大規模な工業化を実現しました。台湾、韓国、シンガポールは、エンジニア出身の政治指導者を必要とせず、強い製造業とインフラを築いています。そして、中国と米国の違いは、指導者の出身分野ではなく、経済発展の段階によるものだという説明も成り立ちます。

    したがって、「エンジニア国家と法律家社会」は結論として受け入れるより、中国と米国の違いを考えるための仮説として読むほうがよいでしょう。本書に最も鋭い疑問を投げかけたコーエン自身が、同時に本書を強く推薦していることも、その読み方を裏づけています。

    書評で繰り返し指摘されている弱点もあります。一つは、「では米国は何をすべきなのか」という処方箋が十分に具体化されていないことです。もう一つは、中国についての記述に比べ、米国側の分析が薄いことです。米国の停滞を説明する決定的な答えを求めると、物足りなさが残るかもしれません。

    ただし、プロセス・ナレッジという考え方には、本書を離れても応用できる価値があります。自社の製造や技術にも、次のような問いを当てはめてみることができます。

    自社は現在も、重要な製品を自ら作り、その工程を手元に残しているでしょうか。この10年で外部へ移した工程はないでしょうか。その工程を長年担ってきた人が退職したとき、設備や手順書には残らない知識まで一緒に失われていないでしょうか。書かれたものはすべて残っているのに、以前と同じ品質や効率では作れなくなっていないでしょうか。

    こうした問いへの答えは、企業ごとに異なります。外部から簡単に判断できるものでもありません。しかし、本書を読み終えたあとに残るものとしては、「中国はエンジニア国家なのか」という大きな命題より、こうした具体的な問いのほうが実用的かもしれません。

    本稿執筆時点で邦訳は出ていません。英語版は米国のW. W. Nortonと英国のAllen Laneから2025年8月に刊行されました。288ページです。

    中国語を使いながら現地で6年間暮らした著者が、中国の都市、工場、政策をどう見たのか。その記録を読みたいのであれば、十分に面白い本です。逆に、「米国はなぜ作れなくなったのか」という問いに明確な答えを求めるなら、期待には届かないかもしれません。本書の価値は、その答えそのものより、中国と米国を見るための新しい仮説を提示し、それを検証する材料を大量に与えてくれることにあると思います。

    参考リンク

  • 書評|AIは民主主義の夢をみるか?|”Rewiring Democracy” by Bruce Schneier, Nathan E. Sanders

    書評|AIは民主主義の夢をみるか?|”Rewiring Democracy” by Bruce Schneier, Nathan E. Sanders

    前作から続く道

    ブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)の関心は、技術そのものから、それを取り巻く制度へと広がってきました。暗号とセキュリティの専門家として出発し、Data and Goliath(2015年)では監視によるデータの集中が人を操作する力を生むと論じ、Click Here to Kill Everybody(2018年)では、技術が社会に組み込まれることで生じる危険と規制の必要性を説いています。

    その変化が明確になったのが、A Hacker’s Mind(W. W. Norton、2023年2月)です。ハッキングはコンピュータに限った話ではない。システムの規則を、設計者が意図しなかった方法で利用する行為は、広くハッキングとして捉えられる。これが前作の中心的な主張でした。

    この定義に従えば、税制の抜け穴も、金融市場の裁定取引も、選挙制度の運用も、同じ観点から捉えられます。そして、制度の抜け穴を利用しやすいのは、たいてい資金と人手を持つ側です。一方でシュナイアーは、同じ発想を使えば、より公正な制度を設計することもできると論じました。

    私はこの本について2023年8月に書評を書きました。そこでは、こう述べています。

    リベラルな視点を盛り込んでくるのは(いい意味で)意外でした

    セキュリティ技術者の著作として読み始めたはずが、議論の射程がしだいに政治や制度へと広がっていったからです。

    その延長線上にあるのが、Rewiring Democracy です。MIT Pressから2025年10月21日に刊行され、現時点では邦訳を確認できていません。共著者はネイサン・E・サンダース(Nathan E. Sanders)。天体物理学の博士号を持つデータサイエンティストで、シュナイアーと同じくハーバード大学バークマン・クライン・センターに籍を置いています。

    前作で見え始めていたリベラルな価値観は、本書では議論の前提になっています。営利企業の短期的な利益だけに左右されないAIを、政府が持つべきだという構想。既存の権力をさらに強化するのではなく、一般市民の政治的な影響力を高めるAIを評価するという基準。いずれもその延長にあります。

    では、その前提は現在も成り立っているのでしょうか。本書はどのような政治状況を想定して書かれ、その後の現実とどれほどずれたのか。この記事では、そこを中心に考えます。

    ディープフェイクの本ではありません

    AIと民主主義という組み合わせから、多くの人が最初に思い浮かべるのは、ディープフェイクやAIが生成した偽情報によって選挙が混乱する問題でしょう。

    しかし、本書の主題はそこではありません。

    シュナイアーは2024年7月、本書の執筆を予告したブログ記事で、ディープフェイクや偽情報を扱う本ではないと明言しています。著者たちが注目しているのは、AIが統治の実務に組み込まれたとき、民主主義がどう変わるかという問題です。AIが立法を支援し、紛争解決に関与し、行政を監査し、政治戦略の立案に加わり、市民の政治的な判断を助ける。そうした利用が広がったとき、制度や権力関係にどのような変化が生じるのか。

    出版社の紹介も、同じ問題意識を示しています。立法者はAIによって、より複雑な法制度を設計できるようになるかもしれない。公務員は規制の執行を自動化できるようになる。弁護士や裁判官がAIを利用すれば、法執行や訴訟、紛争解決のあり方そのものが変わる可能性がある。MIT Pressは、本書の立場を “advisedly optimistic”、つまり慎重な楽観主義と説明しています。

    もうひとつ重要なのは、本書におけるAIの定義がかなり広いことです。ボストン公共図書館での著者トークによれば、ここでいうAIとは、これまで人間が担ってきた認知的な機能を果たしうる技術を指します。大規模言語モデルだけに限定されません。行政窓口で申請を仕分けるシステムも、議員事務所に寄せられた大量の意見を分類する仕組みも、この定義に含まれます。

    対象が広いだけに議論が拡散する危険はありますが、「統治にAIが導入されることで何が変わるのか」を考えるという本書の狙いには合っています。

    著者たちが持ち出す日本の事例

    ハーバード大学アッシュ・センターでのトークで、サンダースは日本の事例として、チームみらいと、その代表である安野貴博氏を挙げています。AIを活用して市民の意見を集め、選挙で議席を獲得した新しい政党の例として紹介されました。安野氏はAIアバターを使って動画を配信し、およそ8,000件の質問に回答しました。そこで集まった意見は、政策綱領の作成や改訂にも活用されています。

    サンダースは、AIの政治利用がすべて望ましいわけではないと断ったうえで、この事例を紹介しています。この政党や手法が今後どう展開するかは分からない、とも付け加えていました。

    対照的な事例としてシュナイアーが挙げるのが、米ワイオミング州シャイアンの市長選に立候補した人物です。「当選したらAIの判断に従う」と掲げ、記者の質問にもAIに答えさせました。ただし議席は得られませんでした。

    ここでサンダースは、こう問い返します。候補者が政策判断をAIに委ねることは、本当にまったく新しい現象なのか。

    政治家の政策選択は、現在でも政党、宗教、イデオロギーといった制度や思想の影響を受けています。私たちはそれを政治の一部として受け入れてきました。もちろんAIはそれらと同じではありません。だからこそ、「AIに委ねるのは危険だ」と結論づけるだけでなく、従来の政治的な影響力と何が異なるのかを考える必要がある、という問題提起です。

    この事例を、本書が後に示す「権力」の観点から見ると、評価は簡単ではありません。AIアバターで8,000件の質問に対応できる仕組みがあれば、資金や人手に乏しい新規参入者でも、多くの有権者と接点を持てます。既存の政治組織との差を縮める方向に働くでしょう。

    一方で、すでに大きな組織と資金を持つ側が同じ技術を導入すれば、既存の格差がさらに拡大する可能性もあります。サンダースが評価を留保しているのは、この両面があるからでしょう。

    四つの判断軸と、公共AIという発想

    シュナイアーはボストン公共図書館でのトークで、AIを政治や行政に利用してよいかを考えるための判断軸を四つ挙げています。

    第一は精度です。ただし、ここでは必ず「何と比べて正確なのか」を問う必要があります。比較対象になるのは、従来その判断や業務を担ってきた人間です。AIは人間より正確なのか。そもそも、その業務を十分な精度で遂行できる人間がいるのか。広告でAIが広く利用されているのは、対象を二割ほど誤認しても深刻な問題にはなりにくいからだ、とシュナイアーは説明します。

    第二はセキュリティです。運用者が望む結論を出すようにAIを操作できないか。外部から攻撃や干渉を受けないか。さらに、ネットワークから切り離された環境で使う場合と、外部のシステムやデータに接続しながら使う場合とでは、求められる安全性も大きく異なります。

    第三は信頼です。候補者や弁護士、裁判官が文書の作成をAIに補助させるのであれば、本人と近い価値判断や偏りを持つAIが適している場合もあります。判事が、自分と近い法的見解を持つ書記官を雇うのと同じです。

    しかし、給付の可否など、市民の権利や生活に直接影響する判断をAIが担うのであれば、より広く社会から信頼される仕組みが必要になります。そして、その信頼性を誰が、どのような基準で判断するのかという問題も残ります。

    第四は権力です。これは、本書全体を貫く最も重要な判断軸です。AIは権力を増幅する技術である。すでに大きな権力をさらに強めるのであれば民主主義を損なう可能性があり、一般市民の政治的な影響力を高めるのであれば民主主義に資する可能性がある。これが著者たちの基本的な考え方です。

    マサチューセッツ州のMAPLEは、住民が議会に意見を届けるのを支援する仕組みです。市民が政治に参加する負担を下げるこうした技術は、著者たちの基準では民主主義に資する利用と評価されます。

    この四つの判断軸は、本書の政治的な立場に賛成しなくても利用できます。本書の楽観的な部分に懐疑的な読者にとってこそ、AIの政治利用を検討する枠組みとして役に立ちます。

    この「権力」をめぐる議論から導かれるのが、公共AI(public AI)という構想です。基本的な考え方は、営利企業の短期的な利益だけを目的としないAIシステムを、公共部門も保有するというものです。

    着想のもとになっているのは、アメリカの医療保険をめぐる「パブリック・オプション」の議論です。公的な保険を用意する目的は、誰もが利用できる選択肢を追加することだけではありません。公的保険が競争相手として存在すれば、民間保険の商品設計や価格にも影響が及ぶ、という考え方です。

    公共AIも同じです。政府が公益に沿ったAIを保有すれば、行政サービスに使えるだけでなく、民間企業が提供するAIの設計や運用にも一定の影響を及ぼす。規制に代わる仕組みではなく、規制を補完する手段として位置づけられています。

    この構想は、シュナイアーがヘンリー・ファレル(Henry Farrell)と2022年から2023年にかけて発表した論考のなかで形づくられてきました。

    もうひとつ、本書が明確にしているのが、説明責任は人間が負うという原則です。AIを使って法案を起草したとしても、その法案に架空の引用が含まれていれば、責任を負うのは議員です。政策の内容についても同じです。AIを独立した責任主体として扱ったり、「AIが生成したものだから」と開発企業に責任を転嫁したりするべきではない、という立場です。

    批判は正反対に分かれた

    英語圏の書評は、本書の問題提起をおおむね評価しています。ただし、批判の向きは正反対に分かれました。一方は「AIを楽観的に見すぎている」、もう一方は「AIの変化に対して慎重すぎる」というものです。

    Lawfare のロイ・L・オースティン・ジュニア(Roy L. Austin Jr.)による書評(2025年12月19日)は、本書を重要な仕事だと評価する一方、AIの実際の性能を十分に検証しないまま、その能力を前提に議論していると批判します。AIへの期待が、現実の能力や利用実態を先回りしている。また、規制を実際に成立させる政治的な困難も過小評価しており、結論部で示される処方箋も弱い。本書は未来への地図というより、現在のAIに対する期待を映した鏡ではないか、という評価です。

    一方、3 Quarks Daily のマルコム・マレー(Malcolm Murray)による書評(2025年10月17日)は、ほぼ逆の理由から本書を批判します。個別の事例を丁寧に扱っている点は評価する。しかし、事例の多くは大規模言語モデルが普及する以前のもので、現在のAIの進歩に対して議論が慎重すぎる。著者たちが未来予測を避けた結果、自律的に動くAIの規模と速度や、AI企業への権力集中といった近い将来の問題に十分踏み込めていない、という指摘です。

    さらに根本的な批判をしているのが、Nature のヴァージニア・ユーバンクス(Virginia Eubanks)です。Automating Inequality の著者であるユーバンクスが疑問を投げかけるのは、本書の基礎にある「民主主義は情報システムである」という捉え方そのものです。公開されている部分では、こう述べています。

    “Democracy isn’t a flow chart or an executable piece of computer code. Preferences are formed in the process of governance, not just counted.”

    民主主義はフローチャートでも実行可能なコードでもない。人々の選好は、あらかじめ存在するものを集計すれば足りるようなものではなく、統治に参加する過程そのものを通じて形成される、という批判です。

    本書がAIへの楽観論にも悲観論にも振り切らないからこそ、双方から物足りなさを指摘された、と読むこともできます。

    ただ、こうした書評を追っているうちに、別の疑問が浮かびました。この本は、そもそもどのような政権を想定して書かれたのでしょうか。

    ハリス政権のために書かれた本を、トランプ政権下で読む

    シュナイアー自身が、その答えを明かしています。ボストン公共図書館で開かれた著者トークで、本書の大半は、カマラ・ハリス政権の成立を想定して書いていたと話しています。ところが実際に成立したのはトランプ政権でした。その現実を踏まえ、執筆中にも原稿を修正する必要があったといいます。

    ただし、本書はAIと権威主義について論じた本でも、AIが民主主義を救うと主張する本でもありません。著者自身の説明では、あくまで「機能している民主主義のなかでAIがどう使われるのか」を扱った本です。

    技術面では、予測が次々と現実になりました。初稿で「こうなるだろう」と書いた例——AIアバターを使う候補者、市民の意見をAIで集約して政策綱領や政党を作る試み——が、原稿を書いているあいだに実際に現れたそうです。

    しかし、より大きく変化したのは個別の事例ではありません。「機能している民主主義のなかでAIを利用する」という、本書の前提そのものでした。

    政府効率化省とは何だったのか

    日本の読者はまず、政府効率化省(Department of Government Efficiency、DOGE)がどのような組織だったのかを押さえておく必要があります。名前に反して、連邦政府の正式な「省」ではありません。

    2025年1月20日、トランプ大統領の就任日に署名された大統領令14158によって、既存のUnited States Digital ServiceがUnited States DOGE Serviceに改称され、その内部に期限付きの臨時組織が置かれました。終了日は、設置の時点で2026年7月4日と定められていました。

    DOGEの問題はAIの性能だけではなかった

    DOGEではAIも利用されましたが、組織を不安定にしたのはAIの性能だけではありません。実質的に指揮していたイーロン・マスクには、特別政府職員として年間130日の勤務上限がありました。マスクは2025年5月30日にワシントンを去りました。中心的な役割を担っていた職員も、同じ時期に組織を離れています。各省庁のデータへのアクセスをめぐる訴訟も相次ぎ、個人情報の扱いも問題になりました。

    成果についても評価は定まっていません。当初掲げられた削減目標は2兆ドルでしたが、終了時点でDOGEが報告していた削減額は約2,150億ドルでした。その集計方法には異論があります。すでに失効していた契約を削減額に含めた例などが指摘され、削減に伴う再雇用や生産性低下などの費用も問題になりました。

    組織は実質的には2025年中に急速に存在感を失い、法的な期限だった2026年7月4日に終了しました。最終的な総括報告書や引き継ぎ計画も公表されていません。

    退役軍人省の契約審査ツール

    AIが実際にどう使われていたのか。具体例を報じたのが、2025年6月のProPublicaです。DOGEのエンジニア、サヒル・ラヴィンジアは、退役軍人省の契約のうち、解除できるものを判定するAIツールを開発しました。このツールは、2,000件を超える契約を解除候補として選び出しています。

    しかし、その仕組みには明確な問題がありました。ツールが読むのは、契約書の先頭1万文字、およそ2,500語だけです。判定に使う重要な用語も定義されていませんでした。さらに旧世代の汎用モデルを使った結果、実在しない契約金額を生成することもありました。ラヴィンジア自身も、誤りがあったことを認めています。

    ここで、本書が示した「精度」という判断軸がそのまま使えます。問うべきなのは、AIによる判定が可能だったかではありません。契約の必要性を判断する専門家と比べて、十分な精度が確保されていたかどうかです。この事例からは、その条件を満たしていたとは言えません。

    誰が実行するのか

    Rewiring Democracy が提案する公共AIも規制強化も、それを実行する政府が機能していることを前提としています。DOGEが示したのは、その実行主体である政府の制度や能力自体が揺らぎうるということでした。

    サンダースはNew Books Networkのインタビューで、AIと行政権の関係についてこう指摘しています。民主主義国家の官僚機構では、部局の長から窓口の職員まで、多くの人間に判断が分散しています。ところがAIによって判断を自動化すれば、それまで各層に分散していた決定権を上層部へ集中させやすくなる。

    サンダースはこれを、アメリカの保守系法律家が長く主張してきた「単一執行権論(unitary executive theory)」と結びつけて考えます。行政権は大統領に帰属し、大統領が行政府の官職者を統制できるという考え方です。AIが必ずその方向に利用されるわけではありません。ただ、人間の裁量に委ねられてきた判断を技術で集約しやすくする力はある、というのが彼の見立てです。

    一方で彼は、DOGEの失敗をAIそのものの失敗とみなすべきではないとも話しています。DOGEではAIの実装が粗く、誤りを生み、行政の質を改善できなかった。しかし、より慎重に実装していれば、適切に機能した領域もあったはずだ、という立場です。

    AIが権力集中を促す可能性と、DOGEにおける実装の質は、分けて考える必要があります。前者はDOGEという組織がなくなった後も残る問題です。後者については、技術だけでなく、それを導入・運用する組織や制度の能力まで含めて検討しなければなりません。

    ここで、本書が示した四つの判断軸をDOGEに当ててみます。

    精度は不十分でした。先ほどの契約審査ツールは、専門家と比較して十分な精度を備えていたとは言えません。

    セキュリティでは、機微情報の扱いに問題が生じました。2026年には、社会保障庁が、DOGE職員による庁外サーバーへの機微情報の転送を認めました。財務省の監察総監も、暗号化されていない個人情報が事前承認なしに省外へ送られていたことを確認しています。

    信頼の条件も満たしていません。権利や財政に関わる判断をAIが担うのであれば、判定基準や検証手続きが必要です。しかし、契約審査では重要な用語さえ十分に定義されず、組織の終了時にも総括報告書は公表されませんでした。

    権力については、著者たちが警戒していたとおりに作用しました。各層に分散していた判断が、より上位へ吸い上げられたのです。

    本書の四つの判断軸は、DOGEを分析するうえでも有効でした。ところが、公共AIや規制強化を実現するために必要な政治的な前提は、本書の想定から大きく外れました。

    それでも手元に残るもの

    では、本書が想定していた政治的な前提が外れたあとにも、なお有効な提案は何でしょうか。三つに分けて考えてみます。

    説明責任は人間が負うという原則は残ります。AIを使って法案を起草した議員は、その内容に責任を負う。この原則は、政権の性格や行政機構の状態に左右されません。むしろ制度が十分に機能しない状況ほど、重要になります。

    規制強化という提案は、政治環境に最も強く依存します。どれだけ優れた規制案があっても、それを制定し執行する主体が機能しなければ実効性を持ちません。DOGEの経験が示したのは、規制を担う行政機関そのものが縮小や再編の対象になりうるということでした。

    公共AIも、政府の能力と無関係ではありません。規制を補完する仕組みとして構想されている以上、政府側が十分に機能しなければ、その効果も限定されます。

    ただし、サンダースはすべてのAI利用を同じ基準で扱うべきだとは考えていません。たとえば行政サービスの多言語対応であれば、市販のAIを利用してもよい。一方で、立法過程で利用するAIについては別の基準が必要になる。多言語対応のように政治状況に左右されにくい用途と、立法のように制度や権力構造の影響を強く受ける用途は、分けて扱う必要があるということです。

    そして、四つの判断軸——精度、セキュリティ、信頼、権力——は、政権が変わっても使えます。DOGEで起きたことも、この四つの観点から見ることで、技術上の問題と制度上の問題を分けて整理できます。

    ハーバード大学アッシュ・センターでの著者トークでは、司会のダニエル・アレン(Danielle Allen)が、さらに根本的な問いを投げかけています。投票を「すでに存在する選好を集計する行為」とみなす説明に対し、アレンはアマルティア・セン(Amartya Sen)を引きながら、人は何かを選ぶ過程そのものを通じて、自分の選好を形成していると指摘します。その過程を無視すれば、民主主義を成立させている重要な要素まで見失ってしまう。

    さらにアレンは、私たちが人生で行う選択の多くは、単純に優劣をつけられるものではないとも話します。

    医者になるか、教師になるか。

    どちらが客観的に正しいという問題ではありません。人はどちらかを選び、その選択を通じて自分自身も形づくられていきます。機械にできるのは、与えられた基準に従って選択肢に優先順位をつけることです。しかし、人間が何を望むのかという選好そのものまで、同じ方法で扱えるわけではありません。

    シュナイアーもこれに同意し、本書の一節を紹介しています。人間の選好は、拾われるのを待って地面に転がっているものではない。民主主義の過程を通じて形成される。一定の基準に従って「最適な答え」を効率よく導くシステムが、そのまま優れた民主主義を実現するわけではありません。

    ここまで来ると、先ほど紹介したユーバンクスの批判と、著者自身の考えは意外なほど近く見えます。

    Rewiring Democracy は、AIと民主主義の問題を、選挙における偽情報やディープフェイクだけで考えたくない人に向いています。行政や立法の実務に近い人であれば、なおさらです。

    本書が想定していた政治的な前提は、刊行を待たずに変わりました。著者たちは変化する政治状況を踏まえながら、原稿を修正していました。それでも、その変化が本書の提案にどこまで影響するのかが見えてきたのは、刊行後です。

    本書の予測が当たったか外れたかだけを見るより、前提が変わったあとにも、どの議論がなお有効なのかを確かめながら読むほうがいい。2026年のいま、この本を読む面白さはそこにあると思います。

    参考リンク