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  • 書評|新しい一般教養としてのビッグヒストリー|”Origin Story” by David Christian

    書評|新しい一般教養としてのビッグヒストリー|”Origin Story” by David Christian

    日本における「一般教養」とはなんでしょうか。答えられる人はあまりいないのではないでしょうか。日本で「一般教養」は体系化されていないので誰も説明ができないのが残念なところです。しかし、世界にはすでに「一般教養」が体系化されているので、それを受け入れればいいのではないかも思います。日本独自で一から作り上げる必要はありません。ガラパゴスな一般教養は必要ないでしょう。

    欧米で「一般教養」はリベラル・アーツで、ある程度体系化されています。リベラル・アーツが欧米における「一般教養」の主な定義の一つであることに異を唱える人は限りなく少ないでしょう。しかし、当然ながらさまざまな「一般教養」の定義があっていい。今回紹介する”Origin Story”のデビッド・クリスチャンはビッグヒストリーの提唱者です。ビッグヒストリーは歴史からアプローチする「一般教養」と言えます。

    デビッド・クリスチャンは日本でもすでに『ビッグヒストリー我々はどこから来て、どこへ行くのか』が翻訳されていますが、”Origin Story”はその最新著書となります。

     

    Origin Story: A Big History of Everything

    Origin Story: A Big History of Everything

     
    ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

    ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

    • 作者: デヴィッド・クリスチャン,シンシア・ストークス・ブラウン,クレイグ・ベンジャミン,長沼毅,石井克弥,竹田純子,中川泉
    • 出版社/メーカー: 明石書店
    • 発売日: 2016/11/13
    • メディア: 大型本
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    一般教養としてのビッグヒストリー

    私たちの考える「歴史(ヒストリー)」って人間の歴史ですよね。日本史なら縄文時代とか安土桃山時代とか。世界史ならローマ帝国とか産業革命とか。ビッグヒストリーはビッグバンから現在までの大きな歴史です。すでに大学の教科としてもとりいれられていて、日本でも徐々に取り入れる大学が出てきています。大学に行かなくても、ビッグヒストリーのプロジェクトサイトから無償でコースを受講することができます。

    なぜ歴史が一般教養になり得るのか

    ビッグバンから現在までの137億年の歴史を知るには物理学、化学、地質学、生物学など様々な分野の基本的な知識が必要となります。宇宙がどのように生まれたのかを説明するには物理学が必要です。星がどのように生まれたのかを知るにはそれに加えて化学の知識が必要です。生物が生まれる背景を知るには地質学の知識も必要となります。様々な分野の基本的な知識がないと多くの重要な起源が理解できないのです。

    これまでの「歴史」と新しい「大きな歴史」の違い

    人間の歴史だけを扱った「歴史」は、それがたとえ重要なイベントだったとしても多くはローカルイベントでしかありません。大化の改新や関ヶ原の合戦、明治維新は日本人以外にはあまり重要ではありません。逆にアメリカの独立戦争も日本人にはさほど関係ありません。映画『300』は面白いですが、それでもペルシア戦争でアテネイ、スパルタなどのギリシャ連合がペルシアに勝っても日本人にとってはどうでもいいのと同じです。ローカルな歴史は人類全体の「一般教養」にはなり得ません。

    では、人類全体として重要なイベントとはなんでしょうか?例えば、宇宙、原子、分子、星、生命の誕生は人類全体にとって重要なイベントです。アメリカ人だろうがケニア人だろうが、日本人だろうがそれがなければ存在しないのですから。そのような大きなスケールで、誰にとっても重要な歴史をビッグバンから遡って体系的にまとめる試みがビッグヒストリーです。

    ビッグヒストリーの体系

    ビッグヒストリーはビッグバンから138億年の歴史を体系的にまとめる試みです。138億年間を8つの臨界点(スレッショルド)に分けています。最初が無から有が生まれるビッグバン。普通に考えるとゼロからブートストラップするのは不可能です。スタートアップは比喩的にゼロをイチにすると言いますが、それでも創業者はいるわけですし、最低限の材料もあります。でも、宇宙をゼロから。全くのゼロから作るんですよ。一応、それは量子物理学で説明できるのですが、こういうことを考えて実証する科学者ってすごいなと思います。

    それでもビッグバンで無から有が生まれるのですが、最初にできたのは水素とヘリウムだけです。残りの原子ができるのが次の臨界点でスレッショルド2となります。赤色巨星や白色矮星から生まれます。

    臨界点に達してスレッショルドが発生するには一定の条件を満たさなければいけません。ビッグヒストリーではその条件をゴルディーロックスと言います。『世界をつくった6つの革命の物語』で著者のスティーブン・ジョンソンが紹介しているスチュアート・カウフマンの「隣接可能領域」に近い概念です。臨界点(スレッショルド)と臨界条件(ゴルディーロックス)がビッグヒストリーの体系の要点です。宇宙ができる臨界点とその条件、生物が生まれる臨界点とその条件のように。

    世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

    世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

     

    そう言う意味ではジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』も農業と畜産の起源と文明の起源をビッグヒストリー的に分析した書籍ですね。農業が生まれる臨界点(スレッショルド)は肥沃な三日月地帯で発生しましたが、肥沃な三日月地帯がどのような条件(ゴルディーロックス)を備えていたのか。

    文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

    文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

     

    リベラル・アーツとビッグヒストリーの違い

    これまで西洋ではリベラル・アーツが一般教養として支持されていた考えの一つでした。リベラル・アーツは文法学、修辞学、論理学の三学に加えて幾何学や算術が入るのですが、(誤解を恐れずに言い切ってしまえば)論理学がその中心にあります。

    これもかなり紋切調ではありますが、欧米の人たちはロジックで考え、日本人は情緒で感じる傾向にあります。その欧米的なロジックがどこからきているかといえばリベラル・アーツという基礎で学ぶ論理学なんだと思います。ロジックはプログラミングにも通じる汎用性の高いものなので、「一般教養」と言って差し支えないような気がします。しかし、それがそうでもないのです。

    西洋ローカルの一般教養

    論理学はソクラテス、プラトンとアリストテレスからはじまります。ソクラテス(=プラトン)とアリストテレスの違いは何かを学びます。次にアウグスティヌスです。この人はキリスト教の教父なのですが、「神の国」と「地の国」に分けた二世界論で有名です。そう、西洋の論理学にはキリスト教が切っても切り離せない関係にあるのです。

    この後にマキャヴェリ、トマス・ホッブスやジョン・ロックなどを学んで民主主義の起源を学び、ダーウィンやニュートンで科学の起源を学びます。そこにもやっぱりキリスト教の影が見え隠れする。そういう意味ではリベラル・アーツも西洋ローカルな一般教養と言えるのです。もちろん、民主主義も科学的なアプローチも世界共通で重要な概念ですし、その起源について理解するのは重要ではあるのですが。

    ビッグヒストリーの場合は地域性よりも共通性が重視されるので、リベラル・アーツよりグローバルな一般教養といえます。

    この本はどういう人にオススメか?

    物事の起源に興味がある人にはオススメです。ただし、科学的にかなり広い領域をカバーしているので、そっち方面の英語に自信がない方は『ビッグヒストリー我々はどこから来て、どこへ行くのか』をオススメします。

    あと、大きな物事を科学的に体系立てて整理するのに興味がある人にもオススメです。これ、日本人すっごく苦手ですよね。情緒的なのは得意なのですが、どうしても論理的なことが苦手。整理整頓は好きだから用意された棚さえあれば整理するのは好きなんですけどね。自分で棚を作れない。フレームワークを作れない。まとめ方のお手本としてビッグヒストリーは参考になると思います。

  • 書評|クソみたいなことを気にせず幸せになる|”The Subtle Art of Not Giving a F*ck” by Mark Manson

    書評|クソみたいなことを気にせず幸せになる|”The Subtle Art of Not Giving a F*ck” by Mark Manson

    I don’t give a fuckというのは「そんなクソみたいなこと気にしねーよ」という意味です。 The Subtle Art of Not Giving a Fuckとは「クソみたいなことを気にしなくなるような小ワザ」という意味ですね。

    クソは必ず道に落ちている。どのクソを気にして、どのクソを気にしないのかをきちんと選ぶこと。クソを選ぶことが大事なのだそうです。そういう意味ではベストセラーとなった”The Subtle Art of Not Giving a F*ck”の翻訳タイトル『その「決断」がすべてを解決する』は内容的には間違っていません。

     

    The Subtle Art of Not Giving a F*ck: A Counterintuitive Approach to Living a Good Life

    The Subtle Art of Not Giving a F*ck: A Counterintuitive Approach to Living a Good Life

     
    その「決断」がすべてを解決する (単行本)

    その「決断」がすべてを解決する (単行本)

     

     

    クソなことを気にせずもっと気楽にいこうぜ

    著者マーク・マンソンは「クソみたいなことは気にするな」と言います。日本だと「スルー力」と言いますが、これに近いと思います。

    例えばなんですが、海外と比べると日本はマナー広告がたくさんあると感じました。もちろん、他人に対する気遣いは大事です。ただ、それも限度があると思うんですよね。日本のマナー広告の場合のメッセージは要約すれば「もっとオレ(ワタシ)に気を使えよ、他人!」ということなんだと思います。

    マナーは大事かもしれないけど、もっと大事なことがあるよね。他人でストレス抱えずに気楽にいこうぜ。同じ交通広告でいえば「お先へどうぞ、ありがとう」ですね。他人に変化を求めてギスギスするのではなく、自分がゆとりを持った方がいい。

    それがこの本のメッセージです。

    まったく無関心でいればいいのか?

    全て対して無関心でいることではない。全てに対して無関心な人はサイコパスといいます。人が持てる関心は有限です。限りがあります。関心は無限にありません。

    なぜクソみたいなことを気にしないことが大切なのか?それはもっと気にしなければいけない大事なことがあるからです。

    何が大事なのかは個々人に依存しますが、クレーマーになったりストーカーになったりイジメをしたりするのはクソなことです。そんなストレスを抱えるようなクソなことはやめてしまいましょう。もっと大事なことに関心をもちましょう。

    この本はどんな人にオススメか?

    日々ストレスを感じている人は読んでみてもいいかもしれません。自分にとって何が大事で、何が大事ではないのか。そんなことを考えるきっかけになるかもしれません。

  • 書評|ハリネズミとキツネの大戦略|”On Grand Strategy” by John Lewis Gaddis

    書評|ハリネズミとキツネの大戦略|”On Grand Strategy” by John Lewis Gaddis

    「戦略」という言葉はビジネスでも使われますが、元々は軍事用語です。第二次世界大戦以降は武力を使った大きな戦争は以前と比べて少なくなりましたが、戦略の重要性は低くなるどころか益々高まっています。

    今回紹介する”On Grand Strategy”はアメリカの歴史学者であるジョン・ルイス・ギャディスがイェール大学で教えていた戦略に関する講義をまとめたものです。歴史から戦略を学ぶのって大事ですよね。日本だと『失敗の本質』という良書がありますが、この本の意図もそれに近いものがあります。

     

    On Grand Strategy

    On Grand Strategy

     
    失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

    失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

    • 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
    • 出版社/メーカー: 中央公論社
    • 発売日: 1991/08/01
    • メディア: 文庫
    • 購入: 55人 クリック: 1,360回
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    ハリネズミとキツネ

    ギャディスの戦略とは先を見通す理想主義と周りを見渡す現実主義の間を行き来するものです。トルストイの『戦争と平和』を題材にしたアイザイア・バーリンの『ハリネズミと狐』を引き合いに出して説明を進めます。大きな理想を追い求めるハリネズミと、たくさんの知恵で現実と折り合いをなす狐。

    戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

    戦争と平和〈1〉 (新潮文庫)

     
    ハリネズミと狐――『戦争と平和』の歴史哲学 (岩波文庫)

    ハリネズミと狐――『戦争と平和』の歴史哲学 (岩波文庫)

     

    ゴールと手段の合致

    英語で”Means to an end”は目的を達成する手段のことです。Meansは手段、Endsは目的です。戦略上、重要なのは目的は無限で手段は有限だという認識です。目的と手段は合わさっていないといけない。多くの歴史上の偉人たちが最後に失敗したのは、手段が有限だということに気づかなかったことが原因でした。有限の手段で無限のゴールを追いかけてもどこかで破綻します。

    なぜ偉業を達成した偉人でもそのような間違えを犯すのか?ギャディスはその理由として酸素を比喩にして説明しています。後から振り返れば自明のことでも、その時は気がつかない。常識は酸素のようなもので、上に登るほど薄くなる。そうならないようにするにはグランドストラテジー(大きな戦略)が必要になります。上に登るにはビジョンも必要だが、周りを見渡す周到さも必要となります。

    グランドストラテジーができていた例としてリンカーンを挙げています。リンカーンは崇高なビジョンを掲げながら、かなり泥臭い政治的な駆け引きもやっています。スピルバーグの映画はドラマ化されて誇張化されていますが、それでもリンカーンの現実主義者の面を垣間見ることができます。

    リンカーン [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

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    戦略に必要な三つの要素

    ギャディスはグランドストラテジーには以下の三つの要素を考慮しなければいけないと説明しています。

    • 時間
    • スペース
    • スケール

    これが常識が酸素と同じだという理屈にもつながります。時間軸が長くなり、扱うスペースが大きくなり、スケールの速度が速いほどに細部に目が届かなくなってきます。

    時にはキツネのように状況判断をして波に乗る(Steering)ことが必要ですが、時にはハリネズミのように、波に抗い前に進む(Leading)必要があります。

    この本はどんな人にオススメか?

    まず歴史が好きな人にはオススメです。ペルシャ戦争からはじまり、様々な戦争を上記の戦略という観点から考察しています。また、西洋の考え方に興味がある人にもオススメです。この本では孫子の兵法なども紹介していますが、基本的にはアウグスティヌスマキアヴェリのような西洋の思想家の引用が多いです。

    特に昔の思想家はキリスト教が根本にあるので、なかなか日本人には馴染みがないのですが、西洋的な考えがどこから来ているのかを知るにはいいきっかけになるのではないでしょうか。特にアメリカの学校ではリベラルアーツの一環としてこの辺の知識は授業で習うので、カレッジレベルでは一般常識の部類に入ります。

     

    アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

    アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

     
    君主論 - 新版 (中公文庫)

    君主論 – 新版 (中公文庫)

     

     

  • 書評|AIとハサミは使いよう「あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠」|”Weapons of Math Destruction” by Cathy O’Neil

    書評|AIとハサミは使いよう「あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠」|”Weapons of Math Destruction” by Cathy O’Neil

     AIに関しては人間の役に立つと考える「肯定派」と人間をダメにする「否定派」があり、多くの人は態度を決めている「様子見派」なんじゃないかと思います。AIは所詮はツールなので使いようで、人に役立つこともできれば、人に危害を加えることもあります。包丁で料理を作ることもできますし、人を殺すこともできます。それと同じです。

    キャシー・オニールの『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』はAIの悪い部分にフォーカスを当てた本です。大量破壊兵器を”Weapons of Mass Destruction”と言いますが、キャシー・オニールはAIとビッグデータがいかにして数学的破壊兵器”Weapons of Math Destruction”となるかを説明しています。

     

    Weapons of Math Destruction: How Big Data Increases Inequality and Threatens Democracy

    Weapons of Math Destruction: How Big Data Increases Inequality and Threatens Democracy

     
    あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠

    あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠

     

     

    数学的破壊兵器としてのAIとは

    キャシー・オニールは大学で数学の研究をしていましたが、ヘッジファンドでクオンツに転身、データサイエンスの理論と実践の両方を経験しています。リーマンショックは金融の数学モデルの欠陥が原因の一つでした。キャシー・オニールはそれをきっかけに万能ツールとしてのAIやビッグデータに疑問を持つようになりました。俄か評論家とは違います。

    実際に数学的破壊兵器としてのAIは世の中に溢れていて、たくさんの人がそのために職を失ったり、警察に尋問されたり、お金が借りれなかったりしています。お金も正しいことに使われなくなります。

    キャシー・オニールは数学的破壊兵器の条件として三つあげています。

    1. アルゴリズムの不透明性:データソースやロジックが明確でない
    2. 独占性:競争がなく改善するインセンティブがない
    3. フィードバックループの欠如:結果を学んで学習しない

    いい大学、頭のいい人

    例えばU.S. Newsの大学ランキング。そもそも「いい大学」とは何でしょうか?学生によって求めるものは違うので、一概には言えません。AIやビッグデータは客観的に測定できるものを分析することは得意ですが、主観的で概念的なものを分析できません。そのような概念的なことを数値化する場合は代理変数を使います。

    例えば「頭がいい」とは何でしょうか?これを数値化したものがIQですね。リアルな世界における頭のよさを測ることはできませんが、IQを代理変数として代用するわけです。じゃあ、大学入試にIQを使ったほうがいいですか?そんなことないですよね。

    大学ランキングは「いい大学」の定義が曖昧で、データや代理変数だけを使っています。そのために、ロジックを明確に説明することができません。「いい大学」の定義が曖昧なので、フィードバックループもありません。改善しようがないのです。

    それでも、大学としてはランキングをあげたい。そうするとデータの見栄えを良くしようとするし、予算もそのために使われます。例えば応募者が増えて試験の不合格者が増えるとランキングは上がります。ローズボウルのような大学フットボールでいい成績を収めると、有名になり入学希望者が増えます。入学希望者が増えると不合格者も増えますそうするとランキングが上がります。日本だと甲子園で優勝すると「いい高校ランキング」が上がるようなものです。でも、それって「いい大学」ですか?

    不適切なデータ化は「いい大学」とは何かを考え、本質的な改善をする機会を奪います。

    適切なAI活用例

    もちろん、AIはツールなので有用な活用もできます。むしろ、みんな有用に活用したいですよね。キャシー・オニールは適切なデータの利用例として大リーグ(MLB)のデータやクレジットデータ(FICO)をあげています。オープンで、適切なフィードバックループがある。

    しかし、クレジットデータを使った独自のスコアリングは数学的破壊兵器になる可能性が高いと警告しています。例えばクレジットスコアを他のデータと組み合わせてeScoreと称して販売するビジネスがありますが、これがきちんと検証されたモデルなのかは非常に不透明です。数学的モデルは現実とは違います。現実に数字を近づけるようにシンプル化したもので、必ずエラーがあります。エラーが許されるようなデータ活用例ならいいのですが、エラーが許されないようなユースケースは慎重になる必要があります。特にクレジットのような個人データの活用に関してはです。

    中国では独自の信用経済が発展し、アリババやテンセントが独自の信用スコアを作りました。しかし、クレジットスコアに関してはアメリカのFICOや日本のCICのような独立組織のシンリエン(信联)を設立して、アリババやテンセントなど個別企業がクレジットスコアを管理しない方針を決めました

    中国政府もきちんとその辺は理解しているわけです。一部の中国ウォッチャーは日本のCICのような中央集権モデルは古くて、中国のアリババのようなやり方がこれからのやり方だと喧伝してきましたが、なんでも新しければいいというものではないということです。

    どんな人にオススメか

    データサイエンスやビッグデータをビジネスに活用したい人にはオススメです。いい事例だけではなく、悪い事例も学ぶ必要があるからです。

    AIやビッグデータは効率化を促進します。プロセスを排除してコスト削減できますし、客観的なデータに基づいた判断ができます。ただ効率的(efficient)なことと効果的(effective)なことは違います。「客観的なデータ」自体が間違っている可能性もあります。プロセスを削ってコストを削減できたけれど、あまり効果がなかったということもあります。最悪の場合は社会的に害を及ぼしていたということもあり得ます。それが数学的破壊兵器としてデータです。

    効率化も大事ですが公正であり倫理的でなければいけません。

    ここでは個別の事例はあまり紹介できませんが、この本には数学的破壊兵器としてデータ活用の悪い事例がたくさん紹介されています。

  • 書評|インターネットとサブカルとオルタナ右翼|”Kill All Normies” by Angela Nagle

    書評|インターネットとサブカルとオルタナ右翼|”Kill All Normies” by Angela Nagle

    アンジェラ・ネーグルの”Kill All Normies”はオルタナティブ(特にオルタナ右翼)について書いた本です。最近のアメリカやヨーロッパのオルタナ文化を理解するのにいい本でした。ちなみにタイトルにもなっているノーミーはノーマルピープル(メインストリームの人)のこと。

    トランプ政権が出てきた背景としてのオルタナ右翼とか、それを培ってきたチャン文化(”2ちゃんねる”にインスパイアされた4chan8chan)とか。

    Kill All Normies: Online Culture Wars from 4chan and Tumblr to Trump and the Alt-right

    Kill All Normies: Online Culture Wars from 4chan and Tumblr to Trump and the Alt-right

    インターネットで世界はつながった?

    インターネットで世界は繋がりやすくなったとはいえ、ほかの文化はそう簡単に理解できるものでもありません。例えば、日本に住んで日本語を話すボクたちにとって、アラブの春ウォール街を占拠せよアノニマスウィキリークスなど名前は聞いたことあるものの、その歴史的な重要性や背景などちゃんと理解している人はそう多くないでしょう。あまり日本に関係ないですものね。

    なんでそう思う?だって、自分と直接関係ない事に興味はわかないですよね。日本の中だって理解できないじゃないですか。在特会しばき隊はお互い理解できないですよね。その枠の外にいるボクは両方ともよく理解できないし、さらにその外枠にいる外国人はなおさら理解できないと思います。インターネットはコミュニケーションの距離を縮めましたが、理解の距離は遠いままです。

    なぜインターネットは異なる文化の理解につながらないのか?

    インターネットは自分の考えることを自由に発信できるツールです。そして、興味のあることを探すことができるツールです。たくさん情報がある中で、興味があることを取捨選択できます。つまり、考え方や文化の拡声器みたいなものです。

    同じ考えや文化的な思考の人同士をつなぎ合わせますが、異なる考えや文化はつながりにくい。

    この本では一般の人たちはノーミー(ノーマルピープル)としています。ノーミー vs オルタナ右翼という構図ですね。でも、実際はノーマルピープルなんていないですよね。日本のメディアで「大衆」とか「庶民」と言いますが、「大衆」や「庶民」ってなんでしょうかね?これはボク個人の意見ですが、それぞれ異なる趣味嗜好があります。インターネットはその中で小さな村を作るのに適しています。オルタナティブという無数の小さな村の集まりがノーミーという大きな国になってるんだと思います。

    日本と欧米の文化の共通点

    荒らしと晒し

    もちろん、日本と欧米でも共通点はあるし、理解できる部分も多いです。例えば、欧米で匿名掲示板で有名な4chanや8chanはその名前が示す通り、日本の2ちゃんねるから着想を得ています。日本の2ちゃんねるが問題になるようなことは、4chanや8chanでもそのまま起きます。

    例えば、特定の人をターゲットにして攻撃する「荒らし(Troll)」や名前や住所を公開する「晒し(dox)」は4chanや8chanでもあります。この本で紹介されている事例としてシンシナティ動物園で起きたゴリラのハランベの事件や11歳の少女とその家族を破壊したJessi Slaughter祭りが紹介されています。

    アノニマスとは? パート1: アノニマスの誕生と歴史 – IRC, 4chan, 祭り-e-StoryPost

    欧米で彼女が見つからないのを女性のせいにする男性を「インセル」というのだそうですが、これも日本と同じですね。彼女ができない人を日本では非モテと言いますが、それに近いものがあります。

    荒らしや晒し、祭りはその人たちにとっては「正義」なのでしょうが、簡単にできることでスラックティビズムの一種として批判されます。これも日本と同じですね。

    保守とリベラル

    保守とリベラルがあるのは欧米でも同じです。マイロ・ヤノプルスや「ダーク・エンライトメント(闇の啓蒙)」のニック・ランドなどがオルタナ右翼側の人として紹介されています。ただ、個人的には保守=右翼/リベラル=左翼というのは違うと思ってます。その辺はあまりごっちゃにしないほうがいいかなと。保守の人が必ずしも白人至上主義でゲイが嫌いで排他的とは限りませんからね。

    メディアが保守とリベラルに分かれるのも一緒ですね。新しいメディアではBuzzfeedViceはリベラルなんだそうです。そして、BreitbartThe Rebel Mediaが保守(というよりこれは右翼的かなあ)だそうです。

    日本と欧米の文化の違い

    ミームとAA

    2ちゃんねるはテキスト文化ですが4chanやTumblrは画像文化です。その文化的な違いによって、表現方法が変わってきます。2ちゃんねるで発展したのはAA(アスキーアート)ですよね。絵文字もテキストです。モナーとかやる夫などキャラクターも生まれました。

    欧米の場合は画像文化なのでイラストやPhotoshopでの画像加工が主な表現方法となります。そこで生まれたのがミームです。Lolcatカエルのぺぺなどが有名なキャラクター(以下のGiphyのイメージのカエルが「カエルのぺぺ」)です。

     

    出る杭に対する考え方

    日本は「出る杭は打つ」ですよね。欧米もそういう面はあります。個人主義だけでなくチームプレーも求められます。ゴールを達成するためにはチームプレーも必要ですからね。しかし、ゴールを達成するにはルールを壊す必要もあります。ディスラプト(Disrupt)は「破壊」を意味する単語ですが、スタートアップではポジティブな意味に使われますよね。

    トランスグレッション(Transgression)も違反を意味する単語ですが、ポジティブな意味でも使われます。既存のルールの境界線を超えて新しいことを試してみることも大切だと欧米の人たちは考えるのですね。音楽でいえばパンクは代表的なトランスグレッションですね。誰かがルールを破らないといけない。これはマナーを大事にして「和をもって尊しとなす」日本人にはなかなか馴染めない考え方だと思います。

    トランスグレッションはいいことばかりではなく、この本ではオルタナ右翼がトランスグレッションとして描かれています。その前のオバマ政権はリベラルだったわけなので、激しい揺り戻しがきたということでしょう。保守とリベラルがトランスグレッションを繰り返しながら発展してきたのが欧米ですね。日本は戦後は基本的にずっとリベラルです。

    どんな人にオススメか

    欧米の文化的なトレンドを理解したい人にはオススメです。アンジェラ・ネーグルはフェミニストでリベラルなので、そのような視点で描かれています。その点については理解しながら読んだ方がいいかなと思います。

    もちろん、欧米のフェミニズムやリベラルに興味がある人にはオススメです。

  • 書評|キャッチーなデータサイエンス本『誰もが嘘をついている』|”Everybody Lies” by Seth Stephens-Davidowitz【2018年夏休み読書週間】

    書評|キャッチーなデータサイエンス本『誰もが嘘をついている』|”Everybody Lies” by Seth Stephens-Davidowitz【2018年夏休み読書週間】

    自分が何をしているのか意外と意識できていないものです。自分で思ってるよりいい奴じゃないし、優れてもいない。昔は良かったということも実はあまりないですしね。多くの場合、悪かったことは忘れてしまってるだけです。

    セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツの『誰もが嘘をついている』は簡単に言ってしまえば記憶や直感はデータと違うんだよという本です。競走馬やセックスなどいろいろなキャッチーな例でデータサイエンスの世界を紹介しています。『ヤバい経済学』が好きな人にはオススメです。「ヤバい」という言葉で敬遠する人もいるかもしれませんが、データに関する面白い本です。ヤバい本ではありません。

    Everybody Lies: The New York Times Bestseller

    Everybody Lies: The New York Times Bestseller

     
    誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

    誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性

     
    ヤバい経済学 [増補改訂版]

    ヤバい経済学 [増補改訂版]

    • 作者: スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー,望月衛
    • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
    • 発売日: 2007/04/27
    • メディア: 単行本
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    データを使って人間の行動を理解する行動経済学に最初にスポットライトを当てたのはスティーヴン・レヴィットの『ヤバい経済学』ですね。セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツのアプローチも内容も『ヤバい経済学』の現時点でのアップデートという趣があります。

    『ヤバい経済学』も「本当に犯罪は増えているの?」のようなキャッチーな題材をデータで検証しましたが、『誰もが嘘をついている』は同じトピックですがインターネットで入手できるビッグデータを使っています。

    誰でもビッグデータが使えるツール

    例えば、Google Trendは検索キーワードのトレンドを知ることができますが、Google Correlateを使えば検索データから相関関係を探すことができます。Webが誕生する以前のデータもビッグデータとして利用できます。Google Ngram Viewerを使えば1800年以降の書籍から頻出する単語などを調べることができます。

    例えばアメリカ合衆国は英語ではUnited States of Americaです。略称のUnited StatesやStatesは今では単数ですが、昔は複数でした。例えば”United State is…”ではなく”United States are…”でした。南北戦争の後に単数(”United State is…”)になったというのが通説ですが、実際にはどうかをGoogle Ngram Viewerで調べることができます。

    公共のデータもたくさん公開されています。日本でもITダッシュボードでDATA.GO.JPのデータカタログを簡単に参照することができます。すこしプログラミングができればAPIを通じてFacebookやWikipediaなどからももっといろいろなデータを取れます。

    どんな人にオススメか?

    ビッグデータやデータサイエンスに興味があるけど、難しそうだと敬遠してきた人にはオススメします。スティーヴン・レヴィットの『ヤバい経済学』が面白いと思ったら『誰もが嘘をついている』も面白いでしょう。これからデータサイエンスの世界を知りたいという人にとっては最適な入門書の一つだと思います。

    デジタルマーケティングなど普段からWebのデータを取り扱っている人にとってはあまり新鮮味はないかもしれません。この本で言及されている手法は回帰分析やA/Bテストなどのランダム化比較テストです。手法に関して目新しさはあまりありません。データソースも普段使っている人にとっては新しい発見はないと思います。IoTなどのセンサーデータについても言及されていないので、行動データの分析としては物足りなさもあります。

  • 書評|Twitter創業者たちのエゴと魅力『ツイッター創業物語』|”Hatching Twitter” by Nick Bilton【2018年夏休み読書週間】

    書評|Twitter創業者たちのエゴと魅力『ツイッター創業物語』|”Hatching Twitter” by Nick Bilton【2018年夏休み読書週間】

    いろいろなスタートアップの成り立ちを調べてブログで書いていると、企業や人となりには(当然ながら)裏と表があると気がつきます。完璧なんてない。どれだけ素晴らしい業績を残した起業家も成人君主ではなく普通の人間です。

    いわゆる会社公認の「創業史」には人間的なドロドロした部分を拭き取って、磨いてピカピカになったものです。しかし、この『ツイッター創業物語』はニック・ビルトンが創業者たちだけでなく、当時の関係者に徹底的に聞き取り調査をした結果、非常に人間らしいツイッターの生い立ちを伝えています。

    Hatching Twitter (English Edition)

    Hatching Twitter (English Edition)

     
    ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

    ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

     

     

     

    成功者は聖人君主じゃない

    Appleのスティーブ・ジョブズやFacebookのマーク・ザッカーバーグの成し遂げたことはスゴイです。日本だと松下幸之助や本田宗一郎は伝説ですよね。彼らの人となりが理解できるほど近しい人は限られていて、多くの人は想像するしかありません。そして想像する彼らは素晴らしいリーダー。想像の産物です。リーダーは人格者であってほしいという潜在的な期待もあるでしょう。でも、実際には完璧な人間なんていません。

    『ツイッター創業物語』に登場するエヴァン・ウィリアムズ、ジャック・ドーシー、ビズ・ストーン、ノア・グラスの四人(公式には三人)の創業者たちも完璧とは程遠い人間らしい人たちとして描かれています。マーク・ザッカーバーグも登場しますが、彼も(当然ながら)慈善事業としてFacebookを運営しているわけではないので、ライバルであるTwitterをしたたかに追い詰めようとします。でも、それが人間ですよね。

    三人いれば「社内政治」が生まれる

    スタートアップは大企業と違って社内政治がないというイメージがあると思います。これは実際とは随分違うかなと思います。欧米のビジネスの世界では「三人いれば社内政治が生まれる」と言われています。ボクが手伝っていたスタートアップが海外支社を作った時、その国は三人ではじめました。三人なんだから密接に連携してやると思いますよね?そんなことないんです。人間にはエゴがありプライドがあり、相性があります。英語では人間の相性を化学反応(Chemistry)と言います。Wikipediaにもあるくらい頻繁に使われるビジネス用語です。

    エヴァン・ウィリアムズ、ジャック・ドーシー、ビズ・ストーン、ノア・グラスの四人は簡単に言えばChemistryが合わなかったのかなと。完璧な聖人君主がいないように、完璧な悪魔もいません。人と人との化学反応がよく作用することもあれば、悪く作用することもある。それだけです。この本では創業者同士の化学反応がどのように起きたのかを追うことができます。

    ジャーナリズムの凄さ

    インターネットのおかげで創業者が会社の成り立ちをPRというフィルター無しで見ることができるようになりました。ボクのようなブロガーはそのようなネット上のインタビューを整理整頓して記事にすることができます。創業初期にはPRエージェンシーは付いていないので、創業者の率直な考えや出来事を知ることができます。PRエージェンシーがキレイにした会社公認の「創業史」よりは少し人間っぽさが出ているかと思います。それでも、そこが限界です。

    報道には会社からの「発表報道」と記者の「調査報道」があります。セラノスを追求したジョン・カレイロウの”Bad Blood”もそうですが、ニック・ビルトンによるこの『ツイッター創業物語』を読んでいるとやっぱりジャーナリズムってスゴイと思います。

    不満点

    Twitterの発展には日本のユーザーがかなり貢献しているのですが、その点については全く触れられていません。Pride ParadeやSXSW、大統領選などのイベントについては触れられているのですが、「バルス」については触れられていません。この本は関係者へのインタビューをもとに書かれているので、ひょっとしたらTwitterの関係者は何が日本で起きていたのか、実はあまり理解できていなかったのかもしれません。

    Twitter’s Top 5 Accounts Are All in Japan — Here’s Why

  • 書評|超えてはいけない一線を超えたスタートアップ史上最大のスキャンダル|”Bad Blood” by John Carreyrou【2018年夏休み読書週間】

    書評|超えてはいけない一線を超えたスタートアップ史上最大のスキャンダル|”Bad Blood” by John Carreyrou【2018年夏休み読書週間】

    スタートアップ史上最大のスキャンダルのひとつとして数えられるであろうセラノスの事件をその発端から現在に至るまで詳細に追いかけた一冊。

    なぜこれほど多くの実績あるベテラン投資家や政府高官、企業役員たちがセラノスの不正を見抜けなかったのか。シリコンバレーに大きな教訓を残した事件であり、今回紹介するジョン・カレイロウの”Bad Blood”はそれを学ぶのに重要な一冊だと言えます。

    BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相 (集英社学芸単行本)

    BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相 (集英社学芸単行本)

    • 作者:ジョン・キャリールー
    • 発売日: 2021/02/26
    • メディア: Kindle版
    Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

    Bad Blood: Secrets and Lies in a Silicon Valley Startup

     

     

    信じたいことだけを信じるカルチャー

    この本の最初の何章か読んで(オーディオブックなので正しくは「聞いて」ですが)いてまず思ったのが「ああ、これって企業の中ではあるあるだよね」でした。「正しい」ことと「望まれる」ことは違う。往々にして正しさは主観的なので、人の数だけ「正しい」答えがあることがあります。そして、その「正しい」のギャップは話し合いで解決をしたり、トップの人の「正しさ」がその会社にとっての「正しさ」になることもある。この差をどう解決するかは企業文化に依存します。

    いずれにせよ、会社の「正しさ」を信じてチームプレイに徹することが求められます。会社が「正しい」と思えず、変えることができなければそこを離れるしかない。これはセラノスに限らずどこに企業でも同じです。

    セラノスの「正しさ」は共同創業者のエリザベス・ホームズが定義していました。スタートアップは創業者チームの考えを具現化したものですから、これもスタートアップにはよくあることです。ここで描かれるセラノスは超ブラック企業ですが、残念ながらこれも多くの企業でよくあることです。後半は病的なまでに従業員、元従業員や関係者を攻撃するのですが、こういう会社も少ないながらあります。セクハラやパワハラはありますし、パートナー企業を徹底的に追い詰める企業も存在します。必ずしも組織や人事が従業員を守ってくれるとは限りません、残念ながら。「そんなことない」と言える人はラッキーです。では、そこまでありふれたことなのであれば、セラノスの場合はどうしてここまで大きな事件になったのか?

    セラノスが事件となった理由

    これが純粋にテクノロジーのスタートアップだったらあまり問題になりません。創業者が間違っていたとしても、会社が潰れるだけですから。大企業の場合は正常に機能していればそのような因子を排除するように動くのですが、これには時間がかかります。自浄作用が働かなくても噂は止められません。

    ところが、人の命に関わる分野はそうはいきません。間違ったことが起きないように規制やルールがあります。どれだけ起業家が「正しい」と主張しようと、法律以上に「正しい」ことはありません。スタートアップの主観的な「正しさ」は法律の客観的な「正しさ」を上書きできません。

    もちろん、グレーゾーンはたくさんありますし、グレーゾーンにこそチャンスがあります。Fintechスタートアップなら金融に関する規制、Uberのようなシェアエコノミーなら道路交通法など準拠しなければいけない法律があります。グレーゾーンとは黒ではない、誰も試したことがないことですね。その境界線をどこまで押せるのか。どこまで黒で、どこからが白なのか、これを試しながら進んで行くのがスタートアップです。

    しかし、いつかは黒と白の線引きをしなければいけません。人の命に関わることならなおさらです。人の命はビジネスより大切です。電通社員の自殺事件でもそれはわかりますよね。セラノスはこの境界線の明らかに黒い部分を超えていました。

    歴戦の企業家や投資家がなぜ出し抜かれたのか

    セラノスを投資家として、ビジネスパートナーとして支えてきた人たちは素晴らしい経歴の持ち主達です。大手ドラッグストアチェーンのWalgreensやスーパーマーケットチェーンのSafewayのCEOは店舗にミニラボを設立する契約をしました。現トランプ政権の国防長官であるジェームズ・マティスは軍司令時代に海兵隊でセラノスのシステムを使う口利きをし、現職を受ける前にセラノスの取締役会に席をおきました。

    マイクロソフトの独禁法裁判で司法省を代表して一躍有名になったデビッド・ボイスもセラノスの弁護士としてその腕を(悪い意味で)ふるいました。元国務長官のジョージ・シュルツもセラノスで働いていた孫が不正を訴えても聞く耳を持ちませんでした。

    なんで?って思いますよね。

    スタートアップを測るモノサシ

    以前に紹介したエリック・リーズの『スタートアップ・ウェイ』にも書いてありますが、伝統的な経営とスタートアップの経営は異なります。予実管理や会計手法は伝統的な経営に適しています。予測できるビジネスには最適です。しかし、スタートアップは予測できないビジネスです。

    起業家が投資家にホッケースティックのような売り上げや利益の予測をピッチしますが、それを本気で信じて投資する人はほとんどいません。そもそも、そのアイデア自体が最終的なプロダクトになるとも限りません。ピボットはスタートアップには日常です。投資判断をする上で、プロダクトよりビジネスプランより大きいのはチームだと言われています。まあ、人に投資するわけです。

    セラノスを支えた素晴らしい経歴の持ち主たちはスタートアップを測るモノサシを持っていませんでした。エリザベス・ホームズという人を測るしかなかった。そして、見誤った。美人ですしね。

    セラノス事件の教訓

    セラノスの経営陣、特にエリザベス・ホームズとラメシュ・サニー・バルワ二がいつ自分たちが犯罪を犯しているのか気づいたのかはわかりません。しかし、いつかの時点で気が付いていたはずです。この二人がセラノス社内でモラルハザードになっていたとしたとしたら、弁護士のデビッド・ボイスとその法律事務所はセラノス社外で猛威を振るいました。彼も境界線を見誤った一人でしょう。デビッド・ボイスはこの件で晩節を汚した一人ですね。

    スタートアップは予想できないビジネスの上に成り立つモデルですが、白と黒の境界線は決めなければいけません。おそらくこの部分に関しては法のメスが入るのではないでしょうか。ベンチャーキャピタルも医療テックへの投資はもっと慎重になるかもしれません。しかし法に対するコンプライアンスは医療に限らず様々な分野に及びます。今回の事件でスタートアップのコンプライアンスがどこまで広がるかは注目に値します。

  • 書評|グロースハック本の決定版|”Hacking Growth” by Sean Ellis【2018年夏休み読書週間】

    書評|グロースハック本の決定版|”Hacking Growth” by Sean Ellis【2018年夏休み読書週間】

    エリック・リースはリーン・スタートアップを書籍の形で世に出しましたが、グロースハックという言葉を2010年に生み出したショーン・エリスこれまでグロースハックの本を書いてきませんでした。グロースハックはショーンがコンセプトを発表した後に、アンドリュー・チャン(a16zのパートナー)がブログで紹介してスタートアップ界隈で広がりはじめました。そして、ショーン・エリスはGrowthHackersというグロースハックのコミュニティーの運営を始め、そこでノウハウの共有をします。

    今回紹介する”Hacking Growth”はグロースハックの生みの親であるショーン・エリスがはじめて出すグロースハック本です。GrowthHackersのコミュニティーで集まった知見を体系立てて整理しています。ボクも国内外のグロースハック本を何冊か読みましたが、さすが本家本元。決定版と呼ぶに相応しい内容になっています。

    Hacking Growth グロースハック完全読本

    Hacking Growth グロースハック完全読本

    • 作者:ショーン・エリス,モーガン・ブラウン
    • 発売日: 2018/10/02
    • メディア: Kindle版
    Hacking Growth: How Today's Fastest-Growing Companies Drive Breakout Success

    Hacking Growth: How Today’s Fastest-Growing Companies Drive Breakout Success

    グロースハックのフレームワーク

    プロダクトには二つのステージがあります。プロダクトマーケットフィット(PMF)のステージと成長のステージです。

    プロダクトマーケットフィットのステージ

    プロダクトマーケットフィットは「顧客が愛してくれる製品」ということです。製品(プロダクト)と顧客(マーケット)がフィットする。Gmailを生み出したポール・ブックハイトの「ディープアピール」と同じ。この本では”Product Must-Have”と定義しています。これがなければ成長のステージにいけません。どんなグロースハックも意味がない。

    このステージはどちらかといえばリーン・スタートアップが得意とするステージです。多くのグロースハック本もJavelin Boardなどリーン・スタートアップの手法を紹介しているケースが多いです。この”Hacking Growth”でもいくつか紹介されていますが、特に印象深かったのが”Product Must Have Score”です。

    製品の価値を検証せずに開発してしまった製品ってたくさんあります。グロースチームとしてそのような製品を担当した場合どうしたらいいのか?ユーザーに「この製品がなくなったら?」と聞いてみるんです。「ガッカリ」するが40%を超えていたらかなりポテンシャルが高い。20%以下だとかなりヤバイ。フレームワークと合わせて具体的な手法をたくさん紹介しているのもこの本の魅力といえます。

    成長のステージ

    プロダクトマーケットフィットで製品がユーザーに愛されるものだと検証したとに成長ステージがはじまります。ここがグロースハックの真骨頂ですね。この本はパート1で全体的なフレームワークやそれを支える役割や組織を説明した後に、パート2でプレイブックとしてたっぷりと体系立てて考え方や手法を紹介しています。

    そして成長ステージには「言葉とマーケットのフィット(Language Market Fit)」の検証と「チャネルとプロダクトのフィット(Channel Product Fit)」の検証があります。「愛される製品」をちゃんとユーザーに説明できることが「言葉とマーケットのフィット」です。伝わらなければ意味がない。「チャネルとプロダクトのフィット」はそれを実際に届けるチャネルは機能するかということです。届かなければ意味がない。

    このように体系立てて何が大事なのか、どのような順番で進めればいいのか指針をクリアにしているのがこの本のいいところだと思います。

    グロースハックのプレイブック

    後半のパート2では以下の順序に沿って具体的な手法を紹介しています。

    1. 顧客獲得(Acquisition)
    2. 顧客活性化(Activation)
    3. 顧客維持(Retention)

    一番有名なグロースハックのフレームワークであるパイレーツメトリックスのAARRRの最初の三つですね。それぞれの段階でこのように整理整頓してくれているので、わかりやすいです。例えば顧客維持(Retention)でもイニシャル、ミディアム、ロングの三段階で説明しています。

    実技編と言えるこのパート2では実際に使える手法やツールだけでなく、Kファクターなどの測定方法も紹介しています。

    どのような人にオススメか?

    新規事業に関わる人、マーケティングに携わる人、グロースハックに携わる人には読んで欲しいです。ここで紹介されている手法をすでに実践している人も多いと思いますし、考え方も理解しているかもしれません。しかし、改めて整理された形で提示されると多くの気づきがあります。

    経営者にも読んで欲しいです。世の中には「愛される製品」だと検証される前に発売されているプロダクトやサービスがたくさんあります。むしろ大多数の製品は市場調査だけで「ニーズがある」と判断されます。「ニーズ」を仮説としてプロダクトマーケットフィットまで検証したケースなど少ないでしょう。必要とされないものを作るのは無駄です。検証する方法があるのだから、きちんと検証しましょう。

  • 書評|大人ためのリーンスタートアップ『スタートアップ・ウェイ』|”The Startup Way” by Eric Ries【2018年夏休み読書週間】

    書評|大人ためのリーンスタートアップ『スタートアップ・ウェイ』|”The Startup Way” by Eric Ries【2018年夏休み読書週間】

    イノベーションの実現を助ける手法としてリーン・スタートアップは有名です。用語としてMVPとかピボットとか聞いたことがある人もいるでしょう。『スタートアップ・ウェイ』は『リーン・スタートアップ』を書いて世の中にリーン・スタートアップを広めたエリック・リースの新著です。

    リーン・スタートアップはスタートアップだけではなく、どのような規模でも業態でも活用できる考え方ですが、今回のスタートアップ・ウェイではGEやアメリカ政府などの事例を紹介しながら大規模な組織や伝統的な業態での適応の仕方を紹介しています。今回は英語の原書を読んでの書評なので最近出版された翻訳版と少し用語が違うかもしれません。読むんだったらもちろん翻訳版を読んだほうがいいです。

     

    リーン・スタートアップ

    リーン・スタートアップ

    • 作者: エリック・リース,伊藤穣一(MITメディアラボ所長),井口耕二
    • 出版社/メーカー: 日経BP社
    • 発売日: 2012/04/12
    • メディア: 単行本
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    スタートアップ・ウェイ 予測不可能な世界で成長し続けるマネジメント

    スタートアップ・ウェイ 予測不可能な世界で成長し続けるマネジメント

    前提としての二つの経営

    経営には二つあるとエリック・リースは言います。一つは伝統的な経営(General Management)でもう一つは起業家の経営(Entrepreneurial Management)です。これまでのビジネスだけでなく、新しいイノベーションを起こす持続可能な経営のためにはこの二つの両方が必要だとエリック・リースは主張しています。

    伝統的な経営

    伝統的な経営は予測できる世界の中で有効です。予実管理とかパイプライン管理はビジネスは先が見通せることを前提にできている考え方です。それを支える会計ツールやSCM、CRMなど全て予実管理のツールです。

    このような伝統的な経営は市場が求める計画と予測を提供するために必要です。

    起業家の経営

    すでに確立したビジネスのある企業と違い、スタートアップは予測することができません。スタートアップが3年生き残る確率は10%未満です。ドットコムバブルやリーマンショックでも多くのスタートアップが潰れました。それでも生き残った企業はイノベーションを起こして伝統的な企業より大きな市場価値を生み出しました。

    予測ができないことを前提で様々な手法が生まれました。リーン・スタートアップはその一つですし、グロースハッキングやデザイン思考、ジョブ理論などたくさんの考え方が起業家の経営を支えています。

    スタートアップとイノベーションのジレンマ

    ボク自身の経験を振り返ってみれば、伝統的な企業とスタートアップでは求めているものが確かに異なっていました。

    伝統的な企業はよりスタートアップ的な考え方を取り入れたい。リーン・スタートアップやアジャイルなどを活用したイノベーションのやり方を知りたい。

    スタートアップはより伝統的な手法を取り入れたい。売上予測の立て方やそれを管理するためのパイプライン管理手法などを知りたい。GoogleやFacebookを見ればわかりますが、スタートアップはいずれ大企業になります。その成長の過程で伝統的な市場のニーズに応える方法を身につけなければいけません。しかし、その過程で起業家の経営は失われていきます。

    伝統的な企業で起業家経営をする

    スタートアップ・ウェイはどのように伝統的な経営と起業家の経営という二つの経営の考え方をどのように組織に定着させて持続可能なイノベーションを生み出す企業に変革できるかを説明しています。

    すでに多くの企業はイノベーション・ハブの考え方を取り入れています。このカタパルトスープレックスで紹介しているアメリカ政府の18Fやイギリス政府のGDSもイノベーションハブですし、以前に紹介したバークレイズ銀行のデザイン部門もイノベーション・ハブです。ボク個人も多くの国内外のイノベーション・ハブに関わってきました。

    スタートアップ・ウェイはその発展系とも言えます。ちなみにイノベーション・ハブというのはボクが勝手に作った造語ではなく、欧米では割と頻繁に使われている言葉です。イノベーション・ラボとも言います。

    スタートアップ・ウェイに必要なこと

    イノベーション・ハブは伝統的な企業がスタートアップ的な手法を取り入れる時に有効です。しかし、経営レベルでは伝統的な経営に留まります。スタートアップ・ウェイの新しいところはリーンスタートアップという手法を取り入れるだけでなく、経営レベルで持続可能なモデルを提案しているところでしょう。

    単に手法だけを知りたければ前著の『リーン・スタートアップ』で十分です。これをボトムアップで経営レベルまで持っていくにはどうしたらいいのかというのが『スタートアップ・ウェイ』の主題となっています。これを読めばどのような組織を作り、どのように管理をすればいいのかがおおまかに理解できます。

    どんな人にオススメか

    経営者の人には読んで欲しいですね。あと、開発や新規事業を担当する役員やマネージャー。エリック・リースの特徴はとても奥深い考察に基づくフレームワークの提供です。実際の手法となると実は以外と提示されていない。だからこそ、『リーンスタートアップ』の後も様々な関連書籍が発売されたのです。

    例えばリーン・スタートアップでは「挑戦の要となる仮説(Leap of Faith Assumption)」という考え方が紹介されていますが、具体的にどんな仮説を立てればいいのか悩む人は多いかと思います。仮説には顧客/プロダクトの軸とアイデア/実証の軸があって、この四象限で考えないといけない。そこまで細かいことはエリック・リースの本には書いてありません。具体的な手法が知りたい人はこの後に発売されるであろう関連書籍をお勧めします。もちろん、ボクもお手伝いできます(お問い合わせはTwitterまでDMで)。

    Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)

    Running Lean ―実践リーンスタートアップ (THE LEAN SERIES)

    • 作者: アッシュ・マウリャ,渡辺千賀,エリック・リース,角征典
    • 出版社/メーカー: オライリージャパン
    • 発売日: 2012/12/21
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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    Lean Analytics ―スタートアップのためのデータ解析と活用法 (THE LEAN SERIES)

    Lean Analytics ―スタートアップのためのデータ解析と活用法 (THE LEAN SERIES)

    • 作者: アリステア・クロール,ベンジャミン・ヨスコビッツ,林千晶,エリック・リース,角征典
    • 出版社/メーカー: オライリージャパン
    • 発売日: 2015/01/24
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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    id:i2key さんがとても詳細な『スタートアップ・ウェイ』の紹介をされているので、興味がある人はまずこちらを読んでみるのもいいかもしれません。