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  • スロースタートアップ|第一回:Github|スポーツバーとラーメン利益

    スロースタートアップ|第一回:Github|スポーツバーとラーメン利益

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    これから何回かにわたってブートストラップで大きくなった「スロースタートアップ」をいくつか紹介していきます。まずは先日、マイクロソフトに買収されたGithubから。Githubは2008年に創業して、2012年までブートストラップでした。創業者たちはどのように生活費を稼ぎながらGithubをブートストラップしたのかみていきましょう。

    スポーツバーとサイドプロジェクト

    Githubはスポーツバーで生まれました。創業者のトム・プレストン・ワーナーとクリス・ワンストラスは夜遅くにバーで開催されるRuby開発者のミートアップに参加していました。何杯か飲んで休んでいるときにトムがクリスを見かけました。なぜかは覚えていないそうですが、その時にトムがやっていたプロジェクトだったGritをクリスに見せたそうです。GritはRubyで開発したGitレポジトリにアクセスするプログラムでした。トムはすでにWebでGitレポジトリを共有できるプラットフォームのアイデアを持っていました。そして、クリスが言います。「よし、一緒にやろう (I’m in. Let’s do it.)」このスピード感がいいですね。

    そして、翌日の2007年10月19日午後10時24分にクリスが最初のコードをGithubにコミットします。これがGithubのはじまりです。企業立ち上げの公式な手続きがあったわけではなく、二人のプログラマーがクールなことをやろうとした結果でした。

    次の三ヶ月、二人はGithubのプログラミングを行います。トムはGritを開発し続け、UIをデザインし、クリスはRailsのアプリケーションを作りました。毎週土曜日に会って、方向性を話し合いました。この頃、二人ともフルタイムで働いていてGithubはサイドプロジェクトでした。Githubはほぼ全てRubyで開発され、一部だけErlangのgit daemonを使いました。

    ローンチとマイクロソフトと「生かすか殺すか」の決断

    最初のプライベートベータは2008年1月。最初のコミットから三ヶ月後でした。そして、三人目の創業者となるPJハイアットが加わって4月に正式なローンチをします。この時のユーザー数は300人強。自分たちが素晴らしいことをしているという意識はあったそうですが、すごく大きくなるとは想像していませんでした。ローンチもメディアを招待して壮大にやったわけではありません。

    そして、その年の7月にトムは人生の岐路に立ちます。フルタイムで勤めていたPowersetがマイクロソフトに買収されたのです。29歳でした。トムはWordpressなどで使われるアバターのアドインとして有名なGravitorの開発者で前年にAutomatticに売却してからPowersetに勤めています。そのせいなのか、贅沢な暮らしが板についてしまっていて、この頃にはそれなりの額の借金があったそうです。しかも、マイクロソフトの条件はすごくいい。クリスとPJはトムより年下で、すでにフルタイムでGithubにコミットしていたそうです。フリーランスをしながら食いつないでいた。クリスなんてCNETで働いていたんですけどね。トムがマイクロソフトに移ったらGithubはお終い。そして、結局は期限ギリギリにPowersetを退職してGithubにフルタイムでコミットすることに決めたそうです。

    ブートストラップと「ラーメン利益」

    さて、三人は安定した収入を絶ってフルタイムでGithubにコミットします。そして、結果的に5年近く外部から資金調達をせずに自己資金だけで運営していくことになります。

    トムはGravitorで起業の経験があるので、無償で大きなサービスを提供するのは危険だと理解していました。Githubは大きなデータベースなのでサーバーコストの問題を解決する必要がありました。そうした理由でプライベートベータの段階では友人しか招待しませんでした。しかし、徐々にプライベートなレポジトリにお金を払っていいという人たちが出てきました。このプライベートリポジトリによるビジネスモデルが見えていたので三人はそれにかけてフルタイムでコミットできたんですね。

    サーバーコストはSlicehostのドメインとストックフォトくらいで、あまり大したことありませんでした。一番の問題は創業者たちの生活費。これが一番大きかったそうです。おそらくこれはどのスタートアップでも言えることだと思います。だからY Combinatorのポール・グレアムは「ラーメン利益 (Ramen Profitable)」が大事だと言ってるんですね。スタートアップの創業者がどれだけすごくても人間なんで、毎日カップラーメンが食べれるくらいの生活費は必要なんです。

    最初の頃は少額の給料をGithubから受け取り、設定したゴールを達成したら翌月からその額を少し上げていったそうです。足りない生活費はフリーランスの仕事などアルバイトで稼ぎました。ゴールを達成できなかった月もあったそうですが、最終的には三人とも生活費が稼げるくらいの収入になったそうです。約5年後の2012年に外部から資金調達をしますが、それまではこんな感じでブートストラップしてきたそうです。

    あとはご存知の通り、Githubはとても人気のあるサイトになり、マイクロソフトに買収されました。しかし、残念ながらトム・プレストン・ワーナーはマイクロソフトに買収される前にハラスメント問題でGithubを去ることになってしまいます。なんか、マイクロソフトと縁がない人なんですね……

    参考文献

    Bootstrapped, Profitable, & Proud: GitHub – Signal v. Noise

    Tom Preston-Werner on Powerset, GitHub, Ruby and Erlang

    How I Turned Down $300,000 from Microsoft to go Full-Time on GitHub

    GitHub co-founder Chris Wanstrath shares his story, University of Cincinnati

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

  • テンセント(腾讯)に学ぶ自己破壊による成長の仕方

    テンセント(腾讯)に学ぶ自己破壊による成長の仕方

    スタートアップは創業者のビジョンをプロダクトなりサービスを具体的な形にして提供する企業だと思います。マイクロソフトのビル・ゲイツの場合は”Infomation on fingertips“ですよね。手のひらに情報を。パソコンはその手段。

    しかし、企業はそのビジョンを達成した後も存続します。場合によってはこれまでやってきたことが古くなってしまうこともあります。そのような場合は創業者ではなく、中から変わっていく必要がありますよね。同じくマイクロソフトの例だとサティア・ナデラがそれに当たります。

    これは中国のテンセント(腾讯)にも同じことが言えます。マイクロソフトを理解するために創業者のビル・ゲイツと現CEOのサティア・ナデラを理解する必要があるように、テンセントを理解するには創業者のポニー・マ(马化腾)とWeChat(微信)の開発者のアレン・ジャン(张小龙)の二人を理解する必要があります。

    テンセントの創業前から現在までかなり濃密にカバーしてますので今回はかなり長いです。Pocketやはてなブックマークで保存しておくことをお勧めします!

    プログラミング好きが高じてテンセント創業

    テンセントの創業者であるポニー・マは広東省に1971年に生まれました。家庭は貧しく、父親が職を探すために各地を転々としました。家族は深センに落ち着き、ポニー・マは深セン大学を卒業、ポケベルのためのソフトウェアを開発する技術者として通信機器IT会社(润迅通信发展有限公司)に就職します。

    当時のポニー・マは非常に内向的で、あまり人と話すのが好きではなかったそうです。実際にいまでもポニー・マはなかなか人前に出てきません。コンピューターに向き合っている方が好きだった。自分にとって資産と呼べるのはプログラミングしかないと感じていたそうです。C言語でたくさんのプログラムを書いた。自分のプログラムを多くの人に使って欲しいと考えたそうですが、就職した会社ではそれができない。ジャン・ジードン(张志东)もコンピューターが好きで、ソフトウェア会社に入りたかったのですが、当時の中国でコンピューターに関わる仕事はSIしかなかったそうです。

    そして1998年に大学の友人だったジャン・ジードンや中学生時代の友人とともにテンセントを創業します。資本金は創業メンバーの自己資金でした。ポニー・マが50%未満で、残りの創業者を合わせると過半数が取れるようにしました。創業する前は本で読んだシリコンバレーのスタートアップのような刺激的な生活を想像していたそうですが、実際のスタートアップは家賃や光熱費の支払いや翌月の給料の心配ばかりでした。

    三回死にそうになってソーシャルネットワーク企業としての地位を確立

    最初の臨死体験

    テンセントの最初のプロダクトはインターネットにつながるポケベルアプリでした。しかし、携帯電話の普及が予想以上に早く、このプロダクトは失敗します。

    二回目の臨死体験

    1999年に最初のプロダクトOICQ(後にAOLに訴えられて名前をQQに変える)を発表します。これはパソコン用のチャットアプリで、当時流行していたAOLのICQと同じものです。ポニー・マは通信関連会社に勤めていたこともあり、ポケベルのような単純なものを作る予定でした。最初の目標は3万ユーザー。ユーザー獲得のために各学校の掲示板に訪れ、一人一人勧誘していきました。獲得できたユーザーは平均で1日12人くらいだったそうです。この頃、貯金残高は1万中国元(約15万円)まで目減りしていたそうです。

    IOCQ時代のQQのスクリーンショット(クレジット:百度)

    三回目の臨死体験

    それでもソフトウェアとしての品質が高く、落ちないチャットアプリとして徐々に人気が出てきました。そして、2000年にユーザーが増えてきたところでベンチャーキャピタルからの資金調達を行いました。20%のシェアで220万ドル(約2億2000万円)の資金調達でした  *1 。しかし、テンセントは3年は利益が出ていなかったそうです。しかもその頃にインターネットバブルがはじけて資金はどんどん目減りしていったそうです。これが三回目の臨死体験。

    そして安定

    テンセントのビジネスモデルは広告収入とプレミアムユーザーでした。プレミアムユーザーは追加機能が使え、アバターの着せ替えなどができました。また着せ替え用のグッズ収入もありました。2008年にはかなりの利益が出るようになっていました。

    パソコン用のメッセンジャーアプリとして最大の競合はMSNでしたが、ポニー・マの分析では二つの理由で自滅したそうです。一つはソーシャルに対応できなかったこと。QQの場合は独自のソーシャルネットワークであるQzone(QQ空間)がありました。このQzoneはFacebookというよりもギラギラデザインのMySpaceに日本のMixiの日記の要素を加えた感じですね。ボクは中国人の友達とチャットするためにQQは使ってましたが、流石にQzoneには手が出ませんでした。

    QQ空間のスクリーンショット(クレジット:百度)

    もう一つのMSNの敗因は中国向けのローカライズが足りなかったとのことです。うん、確かにこのギラギラの世界観をアメリカ企業はマネできないですよね。

    テンセントの収入源は?

    とはいえ、テンセントの売り上げの70%は付加価値サービスでそのかなりの部分はPCやスマホのゲームです。残りの30%がeコマースや広告となります(テンセントのAnnual Reportはこちら)。これらのゲームの大半はすでにあるゲーム企業の投資によるものです。例えばクラクラのスーパーセルをソフトバンクから買ってます。実に世界のオンラインゲームの13%をテンセントが握っていることになります。QQやWeChatに目がいきがちですが、実はゲームがテンセントにとっての稼ぎ頭なのでした。

    こういう安定した収入があるからイノベーションに力を入れられるという面があると思います。今回は投資会社としてのテンセントはフォーカスしていないのですが、この部分は触れておいたほうがいいかと思います。このおかげでWeChatのマネタイズを急がず、ユーザーベースとエコシステムの拡大に注力することができるのですから。

    WeChat(微信)とアレン・ジャン

    WeChat(微信)の開発者アレン・ジャンは1969年湖南省生まれです。実はポニー・マよりちょっとだけ年上なんですね。シャオミーのレイ・ジュン(雷军)と同い年。

    アレン・ジャンは华中科技大学を卒業後、広州で就職してソフトウェアエンジニアとして働きます。その後、メールアプリのFoxmailを開発します。これはポニー・マがテンセントを創業する一年前の1997年の出来事。Foxmailはとても人気が出て200万ユーザーを獲得、一時期はMicrosoft Outlookと同じくらいのシェアがあったそうです。アレン・ジャンはFoxmailを1200万中国元(約2億円)で博大公司に売却し、バイスプレジデントとして博大公司に残ることにします。

    中国版Gmailで最初の成功

    そして、2005年にテンセントがFoxmailを博大公司から購入、それに伴いアレン・ジャンもテンセントに転籍し、テンセントの広州開発拠点のゼネラルマネージャーとしてQQ Mail(QQ邮箱)の開発に従事します。Gmailのローンチが2004年ですから、その対抗だったのでしょうね。

    ところが、すでにあったQQ Mailはクオリティーが低く、全く使えなかったそうです。そこでアレン・ジャンはQQ Mailをスクラッチから開発し直すことにします。2007年にリリースした新しいQQ Mailはその品質から高い人気を獲得して、中国で一番使われるメールサービスとなりました ただ、ボクの記憶が正しければ、*2

    チャットアプリWeChat(微信)の開発

    2010年にアレン・ジャンはスマホ向けのメッセージングアプリのために10名のちいさなチームを招集します。すでに市場ではWhatsApp(2009年1月)やKik(2010年10月)が人気が出ていていました。短略的に考えればQQのスマホ版を出せばいいと思うのですが、パソコンのメッセンジャーアプリとスマホのチャットアプリでは本質的に違うものなのです。アレン・ジャンは自分でKikを使っていて、それに気がついたそうです。これってすごいと思うんですよね。マイクロソフトだってSkypeとの共食いを恐れてチャットアプリは出せませんでした。でも、自らをディスラプトしなければQQは他社にディスラプトされてしまう。それを理解して実行できるってすごいと思います。

    WeChatは後発で2011年1月にローンチします。かかったのは二ヶ月弱。早い!しかし中国でもシャオミー(小米)のミーリャオ(米聊)が一ヶ月前の2010年12月にローンチしていました。そうなんです、WeChatよりミーリャオの方が早かったんです。また、チーフー(奇虎)もコウシン(口信)を発表するなど、中国国内でもチャットアプリの競合が増えました。数ヶ月で開発したWeChatはテキスト機能しかなく、最初はあまり人気が出ませんでした。2011年4月にはTalkboxのボイス機能が中国で人気が出ました。そうなんです。WeChatの人気機能のボイスもTalkboxが最初に人気が出たのです。そこでボイス機能をバージョン2で組み込みます。

    このような競合がしのぎを削る中、WeChatが人気が出たのは近くの友達発見機能を発表してからです。これが2011年8月のバージョン2.5。そして、WeChatの人気を決定的にしたのがシェイクによる友達追加。これが2011年10月のバージョン3。

    最初のバージョンではミーリャオに負けていましたが、半年後にはユーザー数でミーリャオが400万ユーザーに対してWeChatは改良を重ね1500万ユーザーまで差をつけました。

    そして、初期で一番重要な機能追加がバージョン4のQRコード対応です。これが2011年12月。開発をスタートさせてからちょうど1年ですね。

    チャットアプリからライフスタイルアプリへ

    2012年に入るとアレン・ジャンはWeChatをチャットアプリからライフスタイルアプリへと位置付けを変更します。これ、すごく大事です。そしてインターナショナル版のWeChatブランドを発表したのもこの年です。このインターナショナル版と中国語版は随分違うのでWeChatが「ライフスタイル」アプリといってもこの当時はあまりピンと来る人は中国の外では少なかったと思います。

    しかし、この年を境にニュースを購読できたり、外部とのインテグレーションが盛んになります。さらに、QRコードが街に溢れるのがこの時期からです。ユーザーと繋がるためにブランドが独自のWeChatアカウントを作り、そこに勧誘するために使われたのがQRコードでした。

    ペイメントへの参入

    2013年にはWeChatウォレット(微信钱包)でモバイルペイメントに参入します。当時のモバイルペイメントはアリババの一人勝ちでした。

    インターネットにおけるペイメントでは2004年からアリババがAlipay(支付宝)で先行して、つづいてテンセントもTenPay(财付通)で追従します。Alipayは常にテンセントを先行して2011年にはQRコードによるペイメントを発表しています。さらに、2013年にはPayPalを抜いて世界一のペイメントプラットフォームになっていました。そして、アリババは同年にユエバオ(余额宝)というマネーリザーブファンドを立ち上げて、ほぼ銀行のようなことができるようになりました。ちなみに中国の資金の1/4がユエバオに預けられているそうです。すごいですね。テンセントはWeChatでこのアリババの牙城に攻勢を仕掛けることになります。WeChatで支払いができる自動販売機もこの頃から始めています。

    2013年はWeChatがゲームプラットフォームとしてログイン機能を提供した年でもあります。テンセントはゲーム会社でもありますからね。

    ペイメントの立ち上がりとパートナーエコシステム

    WeChatのペイメントを立ち上げた施策は二つあります。一つは「红包(お年玉)作戦」です。中国ではお正月(日本の旧正月)にホンバオという赤い袋に入ったお年玉をあげる習慣があります。これは大人が子供にあげるだけでなく、会社でも上司が部下に日頃の苦労をねぎらって渡します。ボクもシンガポールで働いているときはちゃんとホンバオを渡してましたよ!このホンバオをWeChatのユーザー向けに公開したのでした。ちなみに、アレン・ジャンは個人的にはこのようなグロースハックは嫌いらしいです。ただ、本人は嫌いでも、実際にこれでユーザーが増えたのでした。

    もう一つはパートナーの囲い込みです。これはポニー・マも認めるところですが、テンセントは競合を徹底的に叩く企業として有名でした。しかし、方向転換してパートナーと協業をする企業へと変わっていきます。おそらくこれはペイメントの立ち上がりが思ったほどうまくいかなかったことも関係しているかもしれません。その代表例が中国版Uberのディディチューシン(滴滴出行)とのパートナーシップです。

    さらに、アリババのライバルであるeコマースサイトのJD.com(东京)にも投資を行い、コマースサイトでのWeChatのペイメントの地位を確立します。この戦略はずっと続いていて、最近ではテンセントは自転車のシェアサービスであるMobikeに投資しましたよね。それに対抗するようにアリババはMobikeのライバルであるofoに投資をするといった具合になっています。

    しかし、アリペイがすでに対応したQRコードによるオフラインのモバイルペイメントにWeChatが対応するのは翌年の2014年からです。

    ミニプログラムとパートナープログラムの拡充

    テンセントがWeChatで目指すライフスタイルアプリはペイメントに止まりません。WeChatが生活をする上での起点となることがゴール(だと思います)。そして、それを進めるのがサードパーティーアプリです。これまではずっと遅れを取っていましたが、このアプリ戦略に関してはテンセントがアリババを先行します。

    WeChatはAPIを公開してHTML5アプリをサードパーティーが開発できるようにしていました。そうすることでWeChatを離れることなく別のアプリが使えるわけです。これをさらに進めたのがアプリ内のネイティブアプリであるミニプログラム(小程序)です。このミニプログラムについては以前に記事を書いているので、詳しくはそちらを参照してください。

    この分野でがっつり競合しているのがメイトゥアンです。ライフスタイルアプリはつまりはメイトゥアンが得意とするO2Oだからです。メイトゥアンが自前でタクシーや旅行サービスを揃えているのに対して、テンセントはミニプログラムをプラットフォームとしてパートナーエコシステムでO2Oの世界を構築しようとしています。どちらも勢いのある会社ですから、これからどうなるか楽しみですね。

    ミニプログラムをアリババとバイドゥもはじめましたが、WeChatほどはうまくいっていません。これはWeChatのミニプログラムがライフスタイル全般をユースケースとして想定しているのに対して、アリババはコマース、バイドゥはランディングページへの有手段として想定しているからではないかというのが中国メディアの分析です。

    WeChatのミニプログラムの伸び(クレジット:新浪科技)

    まとめ

    長い記事をここまで読んでくれてありがとうございました。テンセントの事業は多岐にわたるので、一本筋道を通してみようとするとなかなか難しくはあります。それでも、事業に関しては徐々にポニー・マからアレン・ジャンにシフトしていく様子がわかったのではないでしょうか。

    アレン・ジャンがやり易いように環境を整えるのがポニー・マなんだとおもいます。実際に今お金を稼いでいるのはゲーム事業でWeChatはこれからの事業ですからね。事業と人材のシフトがうまくいっているのがまさにテンセントなんでしょうね。事業と人材のシフトを両方できているのはBATの中でテンセントだけですから。

    参考文献

    张志东自述:我在腾讯的创业过程_创业家_i黑马

    马化腾回顾腾讯创业史:这类中层干部,我最多忍你半年_搜狐财经_搜狐网

    看完了张小龙的 2359 条饭否日记

    张小龙(腾讯副总裁、FoxMail创始人、微信创始人)_百度百科

    QQ前身(OICQ)誕生 – StockFeel 股感知識庫StockFeel 股感知識庫

    微信怎样诞生:张小龙给马化腾的一封邮件_网易科技

    支付宝将推二维码支付方案 实现即时支付功能_互联网_科技时代_新浪网

    https://web.archive.org/web/20121127173150/http://www.cn.wsj.com/gb/20121119/tec072332.asp

    Bloomberg Billionaires Index – Pony Ma

    5 Things to Know About Tencent, the Chinese Internet Giant That’s Worth More Than Facebook Now

    Meet Pony Ma: The Mysterious Billionaire Behind WeChat | Money

    The story of Tencent’s rise to the top of the social media world | World Economic Forum

    Tech in Asia – Connecting Asia’s startup ecosystem

    Do You Know Who Invented WeChat? – China Channel

    11 fascinating product insights from the “father” of China’s WeChat – AllTechAsia

    Do You Know Who Invented WeChat? – China Channel

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    *1:Crunchbaseによるとその前年にも資金調達をエンジェル投資家からしているのですが、それについてはあまり触れられていません。QQは無料のアプリなので、二年間もお金がそれほど持たないと思うんですよね。

    *2:ワンイ(NetEase|网易)のメールが一番使われてた気がしたんですが、数え方にもよるんでしょうね

  • バイドゥ(百度)のロビン・リー|Googleに勝った男が苦しんでいる理由

    バイドゥ(百度)のロビン・リー|Googleに勝った男が苦しんでいる理由

    バイドゥ(百度)は中国のプラットフォーマーであるBAT(バイドゥ/アリババ/テンセント)の一角にも関わらず、アリババやテンセントほど話題に上がりません。

    アリババやテンセントといったライバルに大きく後れを取っているというのが現在の評価です。どうしてそんなことになってしまったのでしょうか?創業のきっかけから現在に至るまでを見ていきましょう。

    BATの規模とそれぞれのポジション

    まず、バイドゥが置かれている現在の立場を理解する必要があります。アメリカのGAFA(Google/Apple/Facebook/Amazon)と中国のBATを比較してみましょう。また、より身近に数字を感じるために、日本企業もその中に入れてみましょう。単位は米ドルでBillion(10億)です。日本円だと1000億円。つまり、アップルの時価総額は約92兆円ということですね。すごいですね!

    アップル:$926.9

    アマゾン:$777.8

    アルファベット:$766.4 (Googleの親会社)

    フェイスブック:$541.5

    アリババ:$499.4

    テンセント:$491.3

    トヨタ自動車:$200.7

    バイドゥ$94.1

    ソフトバンク:$84.9

    ソニー:$59.9

    パナソニック:$34.9

    さて、アリババはFacebookに肉薄してきていますが、まだ届きません。そしてバイドゥはBATの中ではかなり低いポジションでアリババとテンセントと比べて時価総額は1/5ですね。それでも日本のソフトバンクより大きいのだから大したものですが。アリババとテンセントはそれぞれのコアビジネスに加えてモバイルペイメントとそれに付随するエコシステムの構築に成功しました。そして、それぞれトヨタ自動車の二倍以上の時価総額となっています。ちなみにパナソニックとWeWorkが同じくらいですかね。

    中国アリペイが2017年のデータを発表:中国の最新モバイル決済最新事情

    支付宝と微信のミニプログラムの違い

    経済的に恵まれない家庭からアメリカ留学まで

    バイドゥの創業者のロビン・リー(李彦宏)は1968年生まれ。陽泉市の工場で働いている夫婦の間で生まれました。中国は長らく「一人っ子政策」を実施してきましたが、なんとロビン・リーは五人兄弟の四番め。三人のお姉さんと一人の妹。ちなみに、彼自身も子供を四人授かります。

    ロビン・リーの生まれた家庭は経済的にはあまり恵まれていませんでした。そのため、母親は彼に勉強の大切さを教えます。裕福な家庭ならいろいろなコネがありますが、貧しい家庭だと中国で成功するために大切なコネがないんですね。勉強するしかないわけです。そして、北京大学を卒業後、一時期は企業で働きます。一年半後にニューヨーク州立大学のフェローシッププログラム *1 に合格してアメリカに留学します。頑張ればいいことあるわけですよ!

    バイドゥ前夜:検索エンジンで解決しようとしたインターネットの課題

    ニューヨーク州立大学の修士課程を卒業後(1994年)、ダウ・ジョーンズの子会社であるIDD Information Servicesに就職し、金融情報のデータベースとシステム化に取り組みます。また、The Wall Street Journalのオンライン版を作成します。この頃に奥さんと出会ってアメリカで結婚もしています。ここまで意外と普通ですよね。

    しかし、普通とちょっと違うのがIDDに務めていたときに独自に検索アルゴリズムを開発して、アメリカでその特許を取得したことです。当時はまだインターネットは成熟しておらず、登録されているドメイン数は1995年時点で18万ありました。AltaVistaなどの初期の検索エンジンはすでにありましたが、インターネット上にある情報を効率的に探し出すことはまだできませんでした。

    ロビン・リーはこの問題に取り組み、Webサイトから貼られたハイパーリンクの数を元に検索結果の優先度を決めるリンク分析の手法を開発します。このRankdexがバイドゥの技術的な基盤となります。これはほぼ同時期にスタンダード大学でセルゲイ・ブリン(当時の個人ページ)とラリー・ペイジ(当時の個人ページ)が開発していたBackRub(Googleの前身:当時のサイト)で使われるPageRankに近いものです。実はGoogleのPageRankより先にバイドゥのRankdexの方が先に実運用されて、特許もとってたんですね。

    しかし、このRankdexの開発はIDDではあまり評価されなかったようで、ロビン・リーは検索技術を活かせる企業への転職を模索します。そして、西海岸に拠点を持つInfoseekにソフトウェアエンジニアとして転職ます。のちにバイドゥの共同設立者となるエリック・シュー(徐勇)と出会うのもInfoseek時代です。エリック・シューは”A Journey to Silicon Valley”というテレビ番組のプロデューサーでした。

    Infoseekも初期のインターネット検索サイトの一つで、基盤技術としてはInktomiを使ってました。また、Infoseekは初めてインプレッションによるオンライン広告の評価であるCPM(Cost Per Thousand Impressions)で広告を販売した企業としても知られています。

    ロビン・リーは検索技術に集中するために転職したのですが、Infoseekは1999年にディズニーに買収され、検索企業からコンテンツ企業への転身することになります。この結果、検索エンジンに取り組んでいたエンジニアは職を失いました。ロビン・リーもその一人でした。1998年9月にはGoogleが最初の資金調達をします。検索エンジンがビジネスとして成り立つのかどうか、まだビジネスが判断しきれていない時期でした。

    バイドゥの立ち上げ:最初のビジネスモデルとピボット

    このような背景もあり、ロビン・リーは1999年に北京に戻ります。この年はジャック・マーが再起をかけてアリババ(阿里巴巴)を立ち上げた年でもありますね。当時は中国共産党50周年で、国としても盛り上がっていましたし、中国インターネットの黎明期となります。ロビン・リーとエリック・シューはシリコンバレーでのスタートアップ文化を直接体験してきました。どのように資金調達をしてスクラッチからビジネスを立ち上げるのかを見てきました。

    そして、ロビン・リーとエリック・シューはシリコンバレーのベンチャーキャピタルから120万ドルを資金調達して、1999年にバイドゥ(百度)を立ち上げます。最初のビジネスモデルはポータル向けの有償サービスとしての検索エンジンでした。独自のサイトは持っていませんでした。最初の顧客は当時から人気のあったシンラン(新浪)とソウフ(搜狗)で、独自のサイトを持たなくてもトラフィックは確保できていたからです。

    なぜ中国でGoogleが検索シェアを取れなかった?日本と中国の違い

    バイドゥが検索エンジンとして中国で確固としたポジションを築けたのもこの初期のシンランとソウフとのパートナーシップによるものが大きいと思います。中国のYahoo!は日本と比べてあまりうまく機能していませんでした。そのため、Yahoo!本社はアリババに投資をするのと引き換えに、中国Yahoo!の運営をアリババに任せることにしました。これもあまりうまくいきませんでしたが。

    日本の場合はYahoo!が最大のポータルサイトでしたよね。そして、検索パートナーとして選んだのはGoogleでした。日本の場合は中国と違って独自の検索エンジンがありませんでしたから。さらに日本にはYahoo!より人気のあるシンランやソウフのような独自のポータルもありませんでした。そのポジションに一番近かったのがLivedoorですかね。

    初期のGoogleが日本でのポジションを確立するのに日本のYahoo!が果たした役割は非常に大きなものがありました。日本にバイドゥのような独自の検索エンジンがあったら今とは全く状況が違っていたと思います。

    ビジネスモデルの転換

    閑話休題。しかし、この有償サービスとしての検索はビジネスモデルはあまり利益を生みませんでした。そこでロビン・リーが目をつけたのはOvertureがはじめた検索連動型広告 *2 でした。これはGoogleも直面する問題でしたが、独自のWebサイトでトラフィックを生んでそれを主体にビジネスをする判断って勇気が必要ですよね。大手のポータルサイトのトラフィックはあるものの、利益が低い。もちろん、自分でトラフィックを稼げば利益は高い。結局はロビン・リーは後者を選び、投資家やバイドゥの役員を説得します。そして2001年に独自のWebサイトであるbaidu.comをローンチします。Googleが独自の検索連動型広告をはじめるのが2002年です。

    Googleの中国上陸とダークサイドの時代

    ページランクと検索連動型広告の組み合わせは(Googleと同様に)ビジネスモデルとしては機能して、2004年には利益を出すようになりました。しかし、2006年にGoogleが中国に現地法人を設立して正式にローンチします。

    当時のバイドゥの検索シェアは80%でした。しかし、独自サイトを立ち上げるというバイドゥの決断を快く思わない一部のパートナーはGoogleにスイッチしたり、自ら検索エンジンを立ち上げるなどバイドゥから離れていきました。このため、2009年には検索シェアは60%まで落ち込み、Googleのシェアは33%まで追いつきます。悪いことは続くもので、アリババのショッピングサイトであるタオバオ(淘宝网)がバイドゥの検索からサイトをブロックします。

    そして、ならず者国家の中国とその手先のバイドゥというイメージがついてしまう一連の事件が起きるのもこの時期です。

    仁義なき戦いと政府の干渉

    バイドゥが中国政府と検索ワードのフィルタリングに合意するのがこの頃です。例えば、天安門やダライ=ラマといった中国政府が国民に触れて欲しくない情報を検索しようとすると以下のメッセージが表示されるようになりました *3

    捜索结果可能不符合相关法律和政策
    (法律法規や政策に合致しない恐れがあるため、検索結果を表示できません。)

    中国政府は1998年にジンジュン(金盾)というネットワークセキュリティーのプロジェクトを立ち上げています。このプロジェクトは電子マネーに関する取り組みのジンカー(金卡)や農業に関する取り組みのジンノン(金农)など12のサブプロジェクトから構成されています。これらの取り組みの中で特に有名なのがグレートファイヤーウォール(GFW:防火长城)という中国政府から見て有害な海外サイトを遮断する仕組みです。

    バイドゥが中国政府と合意したフィルタリングはGoogleにはその信念において合意できないものでした。リンクはGFWで遮断され、2009年にはGmailが攻撃を受けます。そして、Googleは2010年に中国からの撤退を決めます。この頃にはGoogleの検索シェアは17%まで落ち込んでいました。

    著作権問題やプライバシー問題、そして粉ミルク事件

    Googleの撤退は直接的には政治の問題ですが、この時期のバイドゥ自身も批判を集めることを多くしています。

    例えば、音楽の検索はバイドゥの検索トラフィックに大きく寄与していました。MP3の音楽ファイルを検索して、ダウンロードできたからです。このことにより、ワーナーミュージックやソニーBMGといったメジャーな音楽レーベルに訴訟を起こされていました。

    日本だと記憶に新しいのは日本語変換ソフトの情報漏洩ですね。

    しかし、バイドゥの企業イメージに国内外で大きくダメージを与えたのは粉ミルク事件に関連した検索結果の操作です。2008年にサンルー(三鹿)が製造した粉ミルクに化学物質メラミンが混入されていることが見つかりました。そして、新生児を含む多くの被害者が出ました。

    バイドゥはこの粉ミルクを製造していたサンルーから300万中国元を受け取り、検索結果を操作することを受け入れたというニュースが話題となり、中国国営テレビでも特集が組まれました。

    メラミン粉ミルク事件を呼び込んだ「免検制度」:日経ビジネスオンライン

    検索サイト「百度」がえらいことになっている – ITmedia PC USER

    このことが原因でバイドゥの企業イメージが大きく低下して、株価の下落や従業員のレイオフにつながりました。

    AIでアリババ、テンセントに追いつけるか?

    バイドゥは検索に依存したビジネスモデルからの脱却を図っています。そのカギとなるのがAIで、2013年にディープラーニングの研究所である百度深度学习研究院IDL(Institute of Deep Learning)をシリコンバレーに設立しています。

    そして、その研究成果が60のAIサービスから構築されるBaidu Brain(百度大脑)というAIプラットフォームです。この中で特に二つの技術にフォーカスしています。

    ひとつは音声認識技術のDuerOSで、AmazonのAlexaやAppleのSiriに近いものです。もうひとつはクルマの自動運転のApolloです。

    なお、中国を撤退したGoogleは2017年にGoogle AI China Centerを設立してAIを中心に中国ビジネスを再構築しようとしています。検索で受けた仕打ちをAIで返すことができるのでしょうか。ちなみに、初任給だけをみれば、中国でAI人材に一番投資しているのがGoogleとMicrosoftなんですよね。中国国内企業だとテンセントが高い。

    参考文献

    百度创业史_力成文学_励志的句子_励志名人名言大全_励志语录_励志小故事

    百度的创业过程_百度知道

    百度大脑_百度百科

    What investors need to know about China’s big trio: Baidu, Alibaba and Tencent | afr.com

    To find $13.5 billion: how rich is the Creator of the search engine Baidu Robin Li – FreeNews English – FreeNews-en.tk

    10 Things You Didn’t Know About Baidu Founder Robin Li

    The Rise of Baidu (That’s Chinese for Google) – The New York Times

    How Baidu Will Win China’s AI Race—and, Maybe, the World’s | WIRED

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    *1:アメリカの大学にはスカラシップとフェローシップがあります。スカラシップは奨学金で、日本の学資ローンのような「奨学金」と異なり返す必要はありません。フェローシップはフェローというステータスを指しますが、スカラシップと同様に金銭的な補助を含むことがあります。貧しい家庭のロビン・リーがアメリカへ留学できた背景にはこのようなアメリカの制度があります。

    *2:入札価格で広告掲載順位が決定される完全オークション形式。源泉を辿ればIdeaLabのスピンオフプロジェクトだったGoTo.comです。

    *3:今では緩和されてるんですけどね。

  • 中国版食べログのメイトゥアン(美团)が「O2Oのキング」となるまで

    中国版食べログのメイトゥアン(美团)が「O2Oのキング」となるまで

    中国のプラットフォーマーであるBAT (Baidu:百度/Alibaba:阿里巴巴/Tencent:腾讯)に続く中国ユニコーンがTMD (Toutiao:头条/Meituan-Dianping:美团点评/ Didi:滴滴出行) ですね。今回は美团(以下メイトゥアン)です。

    トウティアオ(头条)が中国における「コンテンツのキング」だとしたらメイトゥアンは中国における「O2Oのキング」です。もともとはGrouponのコピーとしてはじまりましたが、現在では外食だけでなく、タクシー、映画や旅行のサービスまで拡大しています。

    メイトゥアンについて語るとき、その創業者である王兴(以下ワン・シン)のこれまでの道のりを知る必要があります。

    ワン・シンは福建省の裕福な家庭に生まれた「フーアーダイ(富二代)」で、地元では最初にパソコンを持つことができました。これが1995年の出来事。学業も優秀で清华大学を卒業後、デラウェア大学にコンピューターサイエンス博士課程取得のために留学しましたが、シリコンバレーで起きていることをそのまま中国にコピーして持って来ることの可能性を感じます。そこで、博士課程を途中でやめて、北京に戻ることにします。ワン・シンは徹頭徹尾コピー戦略を推し進めます。ここまでやり抜けば見事というくらい。

    日本でも欧米のスタートアップのコピーがたくさんあります。むしろ本当にオリジナルのアイデアって少ない。スタートアップで言われるのは「アイデアはフリー、実行はプライスレス(Idea is free, execution is priceless)」です。実行して成功した人が正しい。コピーも一貫してやり続ければ戦略になるということですね。

    中国版Facebookレンレンワン(人人网)の立ち上げと最初の苦い成功

    最初にコピーしたのがFacebookでした。2005年にワン・シンは大学時代の友人のワン・フイウェン(王慧文)と中学時代の同級生のライ・ビンチャン(赖斌强)の三人でFacebookのコピーであるシャオネイワン(校内网)を立ち上げます。これは大学の卒業生たちをインターネットでつなぐもので、すぐに10万ユーザーを獲得します。そして、一年後には100万ユーザーまで膨れ上がりました。

    見ての通り、モロにFacebookですね!(クレジット:百度)

    しかし、ユーザー数が増えてもビジネスモデルが見つかりませんでした。そのため、Sequoiaなどの米国の有力なVCからなかなか投資を受けることができませんでした。100万ユーザーのシステムの運用費を稼ぐことができず、仕方なくチェン・イージョウ(陈一舟)に200万ドル(約2億円)で売却します。

    ちなみに、チェン・イージョウは買収したシャオネイワンをFacebookと同様に一般公開をしてレンレンワン(人人网)に発展させました。2008年にはソフトバンクが3億4000万ドルの投資で14%の株式を取得します。レンレンワンの成功と比べるともともとそれを作ったワン・シンが得たものはそれほど多くはなかったと言えます。

    中国版Twitterファンホウ(饭否)での挫折

    ワン・シンが次にコピーしたのがTwitterでした。マイクロブログのファンフォウ(饭否)を立ち上げます。前回と同様にすぐに10万ユーザー、2年後には100万ユーザーを獲得します。日本でもTwitterコピーはたくさん現れましたよね、成功したのは一つもありませんでしたが。

    見ての通り、モロにTwitterですね!(クレジット:饭否)

    前回のレンレンワンでビジネスモデルの重要性を理解していたので、ファンフォウはスポンサーモデルをとりました。最初のスポンサーはHPでした。しかし、そこで起きたのが2009年のウルグイ騒乱です。この話題がファンフォウに溢れてきました。中国はこの手の言論統制に非常に厳しいので、シャットダウンしなくてはならなくなりました。この時在籍していたのが同じく不運なトウティアオ(头条)の創業者であるジャン・イーミン(张一鸣)でしたね。

    当初は暫定的な処置だったのですが結果的に505日後の2010年11月25日まで再開することができませんでした。シャットダウンの間に立ち上がった同様のマイクロブログのウェイボ(新浪微博)に90%のユーザーを奪われてしまいました。

    三度目の成功と競合との差別化

    今回のメインとなるメイトゥアン(美团)は三回目の起業の起業となります。その時にワン・シンがコピーしたのがクーポンサイトのGrouponでした。2010年6月のことです。しかし、クーポンサイトの流行により同じようなサービスが5000くらい立ち上がったそうです。すごいレッドオーシャンですね。様々なサイトが顧客獲得のために多大な広告費を投入しました。クーポンサイトがかける一人当たりの獲得コスト(CPA)は100中国元(当時の1500円くらい)だったそうです。

    微妙な成功と大きな失敗の後、ワン・シンが学んだことはゆっくりと進むことだったそうです。FacebookのコピーもTwitterのコピーも多くのユーザーを獲得できましたが、それをうまく活用することができませんでした。他のクーポンサイトが新規顧客に注力している中、ワン・シンが注力したのが顧客維持でした。新規顧客獲得のためのCPAは10中国元に抑え、顧客満足のための施策を多く打ち出しました。その中で特に特徴的なのは未使用のクーポンの返金でした。これらの施策のため、最初の三ヶ月は大きな利益を上げることはできませんでしたが、会員数が増えると利益も生むようになりました。

    二回目の資金調達の頃にはすでに同じくらいの額のキャッシュがあり、クーポン提供のパートナー企業は競合よりもメイトゥアンと契約を望むようになりました。そしてメイトゥアン立ち上げから約1年半でクーポンサイトのシェア40%を達成します。

    ピンチをチャンスに

    しかし、クーポンサイトの流行に陰りがではじめるとメイトゥアンの資産評価も最盛期の1/3まで下がりました。これはライバルのクーポンサイトも同じで、資本市場からの圧力が高まります。更にアリババ(阿里巴巴)のバックアップの元で新しいフードデリバリーサービスであるEle.me(饿了么)が徐々に追い上げてきました。この頃、メイトゥアンは単月で約6億元の損失を計上しています。

    当時ライバルだったダージョン・ディエンピン(大众点评)との合併もこのような背景から進むことになりました。敵の敵は味方ということですね。これによりビジネスの土台を確かなものにします。

    コピーからオリジナルへ:なぜO2Oキングなのか

    メイトゥアンはO2Oのビジネスを各産業ごとに展開します。外食関連の次は映画の予約とチケット販売でした。クーポンによるグループ購買は映画のチケットとの相性が良く、メイトゥアンの売り上げの30%まで成長します。そして、その範囲をグループ購買だけでなく、予約や口コミにまで広げます。

    タクシーではディディと、旅行ではCtripと競合

    下のイメージはメイトゥアンのスクリーンショットです。これを見ても分かる通り、グルメや映画だけでなく、ホテルや航空券といった旅行サービスやタクシーの予約といった滴滴出行と直接競合するサービスもアプリ内で提供しています。すでにサービス提供を行っている上海ではタクシーブッキングのシェアをすでに1/3をメイトゥアンが獲得しています。

    メイトゥアンのスクリーンショット

    例えば、旅行の場合だと中国ではCtrip(携程)が有名です。日本で言うところの楽天トラベルみたいなサービス。メイトゥアンはブッキングに関してCtripに及びませんが、旅行のために参考にするサイトとしては四番目に入っています。

    メイトゥアンは旅行のための参考サイトとして人気が出てきている(クレジット:Skift)

    Booking.comやAgodaの親会社であるBooking Holdingsがメイティエンに投資を決めたのもこのためでしょう。Booking HoldingsはCtripにも投資してるんですけどね。世界最大のOTAでも中国の旅行を取り入れたければCtripとメイトゥアンは外せないと判断したのでしょう。

    メイトゥアンはユーザーがオフラインで何かやりたいときに使うオンラインプラットフォーム。つまり、O2Oの地位を獲得していると言えます。外食と映画で成功したO2Oのモデルをそれ以外のサービスまで広げて成功することで中国における「O2Oのキング」の座を勝ち取るのでした。

    メイトゥアンは今年のIPOが囁かれていますが、IPOにより多くの資金を獲得できたらO2Oの地位を高めるために更に旅行やタクシーなどの分野に投資をしてくるでしょう。

    それにしても、アリババとテンセント(腾讯)を敵に回してここまでの地位を築くのはすごいですよね。アメリカで言えばFacebookとGoogleを、日本で言えばソフトバンクとサイバーエージェントを敵に回して勝つってことですよ。

    日本でのメイティエン活用方法:インバウンドの必須ツール

    ボクの個人のインスタを見てもらえばわかりますが、ボクは美味しい食べものや飲みものが大好きです。『食いしん坊のデザイナーたち』という会を主催しているくらいです。好きが高じて『THREE BOTTLE BAR』なんて立ち上げるくらいです。美味しいもの大好きです。海外に出張に行くときは必ずその土地の美味しい食べものを調べます。綿密に予定を組みます。中国に行くならメイトゥアンで事前にチェックしておく必要があります。必須アプリです。あ、前置きが長くなってすみません。

    東京で行列のできるお店に並んでいると、かなりの確率で中国人観光客も並んでいます。なぜか?彼らもまた事前にメイティエンで調べて来るのです。メイティエンはCtripやチューナー(去哪儿)のような旅行サイトを除いて最も旅行情報として活用されているサイトです。下のスクリーンショットはボクの行きつけである吉祥寺のホルモン酒場 焼酎屋『わ』です。メイトゥアンで検索すればサクッと見つかります。インバウンドを考える上でメイトゥアン対策は欠かせません。

    メイティエンでは東京のお店も紹介されている

    更に支払いもQRコードに対応するといいですね。海外では飲食で現金払いはしません。特に旅行中はクレジットカードですね。中国ではアリペイ(支付宝)またはWeChatペイ(微信支付)が主流です。

    日本でこの二つに簡単に対応するにはOrigami(アリペイ対応)かコイニー(WeChatペイ対応)ですね。残念ながら両方に対応しているペイメントサービスはまだ日本にはなさそうです。楽天ペイは対応すると発表していますが、現時点(2018年6月時点)ではまだ対応していません。

    中国人向けインバウンド対策やってみたい!と言う飲食店があればTwitterでお声かけください。これは紹介したい!と思えるようないいお店なら2018年7月末までは絶賛無料でお手伝いします。ちょっと、自分でも試して見たいんで!

    参考文献

    美团创业故事:王兴和他的“八大金刚” – 红商网

    【美团创业历程】美团创业的心酸历程_主妇创业_主妇网

    “饭否”创业失败的教训 – 【人人分享-人人网】

    人人网陨落:王兴的“娃”被陈一舟养的面目全非

    斗士王兴:人人网、饭否、美团……他总是与成功失之交臂,又绝处逢生-科技频道-手机搜狐

    美团打车来势凶猛,滴滴到底该如何接招? | 青瓜传媒

    Little-known start-up Meituan Dianping just hit a valuation of $30 billion

    New Research Available: Analyst Session + Data Sheet on Ctrip and China Online Travel – Skift

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  • 蘇りつつあるシャオミー(小米)から学ぶ「モノづくり」から「コトづくり」への変革

    蘇りつつあるシャオミー(小米)から学ぶ「モノづくり」から「コトづくり」への変革

    日本は製造業が強く、「モノづくり」が得意でした。これが過去形になってしまうのはアメリカ(アップルなど)や台湾(シャープを買収したホンハイなど)、韓国(サムソンなど)が日本の製造業を追い越してしまったからです。おそらく作るモノの品質自体はまだまだ追い越されていないのかもしれません。しかし、消費者が求めるものは「品質」から「体験」に変化してしまいました。これが「モノづくり」から体験という「コトづくり」へ変革しなければいけない理由です。

    シャオミー(小米) *1 はスマホのメーカーとして有名ですが、今はその枠にとらわれません。中国で三番目に大きな流通小売ですし、スマートホームやモビリティーでも存在感を示しています。つい最近まで凋落した企業とされていたのにです。今回はシャオミーがどのように「モノづくり」から「コトづくり」に変革したのかを見ていきましょう。ちなみに、今回はスタートアップよりも既存の日本企業に参考になる話かと思います。シャオミーを一般的なスタートアップと捉えると見誤ります。

    スタートアップというには恵まれたスタート

    シャオミーをスタートアップとするのは少し躊躇してしまいます。シャオミーの創業者のレイ・ジュン(雷军)は元々はキングソフトの社長です。そして、キングソフトの経営を退いてからエンジェル投資家として二十以上の企業に投資しています。

    2010年に元Google、MicrosoftやMotorolaのディレクタークラスの人たちとシャオミーを立ち上げます。最初から5億円の資金。ね、スタートアップというには豊富すぎる資金力と経験値でしょ?PayPalで成功してすでに大金持ちだったイーロン・マスクが立ち上げたスペースXやテスラと同じクラスですね。日本だと堀江貴文さんのロケット事業が近いでしょうかね。お金持ちにしかできないスタートアップってやっぱりあるんです。それでも成功したらすごい。スタートアップに貴賎なし。

    資金力も経験もあまりない若いスタートアップは一つのプロダクトに集中しますが、シャオミーの場合は豊富な資金力と経験値によって三方面から事業展開を同時に行いました。ソフトウェア、ハードウェア、サービスです。

    ソフトウェア

    シャオミーを有名にしたのはスマホですが、最初に出したのはハードウェアではなくソフトウェア。最初のプロダクトはAndroidのカスタムUIであるMIUI(ミーユーアイ)でした。これはカスタムROMとして組み込むこともできましたし、自分のAndroidのスマホに入れることもできました。ターゲットは既存のAndroidに満足できていないギークなコアユーザー。

    このコアユーザーにアピールするために既存のオンラインフォーラムを使ってMIUIの宣伝を人海戦術で行います。ポール・ブックハイトのディープアピールの法則と同じで熱狂的な100人のユーザーを育てます。このほかにもウェイボ(微博) *2 やウェイシン(微信:英語名WeChat) *3 を使ってユーザーと積極的に直接コンタクトを取り、フィードバックを受けます。

    メーカーが直接ユーザーの意見を聞いて、その意見がプロダクトに反映される。この当たり前のことができるメーカーってあまりないんですね。それを愚直にやったのがシャオミーでした。のちにシャオミーは独自のオンラインフォーラムを立ち上げますが、そのメンバー数は急速に膨れ上がりました。

    ここで育った熱狂的なシャオミーのファンはミーファン(米粉:ビーフンの意味)と呼ばれ、シャオミー成長の原動力となります。

    サービス

    シャオミーが次に出したのがメッセンジャーアプリである米聊(ミーリャオ)でした。シャオミーに関する書籍を何冊か読んだのですが、シャオミーの成長はこのサービスが支えることになっていました。中国で最初に出たチャットアプリとして実際にミーリャオはそこそこ人気が出ましたが、後発のWeChat(微信)に追い越されてしまいます。結果的に2016年からアップデートされずに仮死状態です。

    また、レイ・ジュンがエンジェル投資家として投資してきたスタートアップを雷军派と呼ぶのだそうですが、これがサービスのエコシステムを形成するはずだというのがシャオミーの書籍で喧伝されていることでした。中国ではGoogleのアプリストアであるGoogle Playがありません。そのために百度手机(検索サイトのバイドゥが運営)や应用宝(チャットアプリの微信の腾讯が運営)など様々なアプリストアがあります。シャオミーも独自のアプリストア小米应用商店を運営しています。

    ハードウェア

    シャオミーが満を持して最後に出したのがハードウェアであるスマホの『小米1』でした。創業から1年目ですね。クドイようですが一般的な若いスタートアップなら一年でスマホは出せないですよ。テスラのように電気自動車も出せないですけどね!

    小米1(クレジット:百度百科)

    シャオミーはオンラインの直販モデルに注力しました。当時はシンガポールに住んでいたので、友人たちも話題にしていました。最新のスマホと遜色ないのに安い。もちろん、各社のフラッグシップモデルと比べれば若干スペックは落ちますよ。でも、値段を考えればお買い得。そして、フラッシュセールという限定発売の手法を取っていたので、レア感がありました。インドで人気があったので、インド人の友人からフラッシュセールのタイミングを教えてもらって実際に買おうとしましたが、すぐに売り切れてしまうので買えませんでした。

    そして、2013年には中国ではスマホのシェア1位、世界でもアップルとサムソンに次ぐ3位まで登り詰めます。海外進出も加速させ、スマートTVなど他のハードウェアにも手を広げます。

    事業不振:飽きられた「モノづくり」

    好調なスタートを切ったシャオミーですが、2015年からあまりビジネスがうまく回らなくなってきます。レイ・ジュンはサプライチェーンの問題とオンラインチャネルへの過度な依存としていました。多くのメディアの分析は上位機種ではアップルとサムソン、下位機種ではファーウェイやOPPOとの競争の激化と説明することが多かったように思います。実際にファーウェイとOPPOにシェアを抜かれてしまいます

    いろいろと原因は考えられますが、根本的な原因は当時のシャオミーのプロダクトに十分な魅力がなかった。これに尽きるのではないでしょうか。求められる価格帯にそれなりのクオリティーのプロダクト。それをフラッシュセールというグロースハックの手法で売っていた。単にそれが飽きられてしまった。シャオミーの考えていたソフトウェア、サービス、ハードウェアによる三位一体の「コトづくり」は実現できていませんでした。

    ソフトウェアに関してはAndroidがアップグレードする毎にMIUIとの差が縮まってきました。例えば、MIUI 9とAndroid Oneでは評価が逆転します。Android Oneは発展途上国向けにシンプルに設計されたAndroidスマホで、ハードウェア設計から部品の調達までGoogleが行います。日本だとワイモバイルから出ていますね。

    www.youtube.com

    サービスに関してもメッセージングアプリのミーリャオは思ったようには立ち上がりませんでしたし、「雷军派」のエコシステムも形になりませんでした。ソフトウェアとサービスによる「コトづくり」が目指すことのはずだったのですが、結局は安くてそこそこのスペックのスマホというモノづくりに終始してしまったというのが飽きられてしまった原因ではないでしょうか。

    復活の兆し:シャオミーにとっての「コトづくり」とは?

    シャオミーは業績が悪化してからあまりメディアに注目されることがなくなりました。テレビだけでなく、炊飯器などの白物家電にも手を出しました。このような様々な取り組みはメディアには迷走に映りました。ただ、「迷走」は半分は正解で半分は誤解です。試行錯誤をしながら方向性を探していたと言った方が正しいでしょう。

    いまシャオミーは復活を遂げつつありますが、レイ・ジュンはシャオミーの復活のカギとして二つ挙げています一つはシャオミーシーチャン(小米市场:販売網)、もう一つはシャオミーインイェ(小米影业:Netflixのような動画サービス)のようなサービス強化です。これにスタートアップへの投資を通じたIoTエコシステムの強化を合わせた三つがシャオミー復活の原動力と言えるでしょう。

    販売網の強化

    オンラインの販売にこだわっていたのに『小米之家(シャオミーのいえ)』という直販店の展開もはじめました。かなりアップルストアを意識しているのがわかりますが、シャオミーのラインアップは家電まで広がっているので、おしゃれなヨドバシカメラな感じがしますね。

    小米之家の店内(クレジット:小米)

    シャオミーは流通小売の側面があります。そして、その販売力はシャオミーの強さの一つです。オンライン、オフラインを合わせた販売能力では中国国内ではアリババ(阿里巴巴)、ジンドン(京东:JD.com)に続き、シャオミーは第3位につけています。ちなみにアップルは第4位。もともとオンラインは強かったのですが、実店舗を加えて販売力を更に増強しました。

    サービスのリブート

    その動画サービスであるシャオミーインイェの立ち上げの時にレイ・ジュンは中国人らしい熱い口調で「心の中で再出発を誓う、この流れる熱い涙のために!2016年を起業の道を歩むすべての仲間と祝おう、永遠に若く、永遠に熱い涙を。*4」と言っています。サービスでシャオミーを作り直す宣言ですね。

    実際にシャオミーのサービス事業は昨年は三倍に増えて2億ドル近く利益を出し、60%の粗利により営業利益を押し上げています。

    スタートアップのIoTエコシステム

    シャオミーは基本的にはスマホの会社です。しかし、炊飯器や空気清浄機までシャオミーブランドで出しています。これはどうしたコトでしょうか?

    シャオミーは2013年に5年で100のスタートアップに投資する宣言をしました。そして、それらのスタートアップはすでにユニコーンとして10億ドル以上の資産評価を受けている企業(ZMINinebot智米(ジーミー))もあれば、すでにIPOしてエグジットした企業(青米(チンミー)Huami)もあります。シャオミー本体がまだIPOしていないのに!この中で特に有名なのはMi Bandを作っているHuamiとセグウェイを買収したNinebotですかね。そう、セグウェイって今はシャオミーなんですよ!

    セグウェイの血を引き継ぐ電子スクーター(クレジット:Ninebot)

    この他にも電子ウクレレのPoputarとか電気歯ブラシのSoocareなどがあります。これらすべてシャオミーが投資をしている会社です。

    電子ウクレレのPopulele(クレジット:Poputar)

    シャオミーが戦略的に投資しているのは以下の5分野です。シャオミーの強みである「高品質な製品を低価格」で提供できるスタートアップに投資します。

    1. スマホ関連周辺機器(スピーカーやヘッドフォンなど:手机周边的智能设备)
    2. スマートホーム(スマートな炊飯器や空気清浄機など:智能白电)
    3. モビリティ(スクーターなど:个人短途交通产品)
    4. ギーク向けノクールなガジェット(ドローンやVRなど:极客酷玩产品)
    5. ライフスタイル(ウクレレなど:关系到人们生活方式类的产品)

    シャオミーはこれらのスタートアップに投資をして自らの強みである販売網を活かして成長させます。シャオミーが投資するのは株式の50%以下。スタートアップ側に議決権を残します。

    更に製造の分野に関してもシャオミーのエンジニアを派遣して品質面での指導をします。ハードウェアの分野であればシャオミーの投資を受けてエコシステムに参加することが成功の条件と言われるくらいです。

    今後の展開

    シャオミーは2018年7月9日に香港証券取引所でIPOしました。当初の調達額は最大6700億円を予定していましたが、それより2割低い約5200億円で落ち着きました。元々の設定額がAppleなどと比べても高すぎた気がします。これからIoTのエコシステムでどこまで市場の予測を裏切って成長するかが楽しみですね。

    参考文献

    シャオミ(Xiaomi) 世界最速1兆円IT企業の戦略

    小米手机_百度百科

    雷军真的会复活米聊吗?_搜狐科技_搜狐网

    小米影业_百度百科

    深度| 小米联合创始人刘德:小米生态链管理的七大逻辑

    销量大跌36%之后今年成功逆袭,在雷军看来,小米做对了什么?_凤凰科技

    A brief history of Xiaomi – China’s tech success story! – Gizchina.com

    Behind the Fall and Rise of China’s Xiaomi | WIRED

    Who Owns Xiaomi Technology, and What Does It Own? — The Motley Fool

    Tech in Asia – Connecting Asia’s startup ecosystem

    Inside Xiaomi’s plan to dominate the connected world

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    *1:小米に「シャオミ」とふりがなをふるケースを見受けますが、中国語の発音的には間違いです。ご飯は「米饭(ミーファン)」ですがミファンとは言いません。ミファンってなんやねん?また、青米(チンミー)というシャオミー関連企業がありますが、チンミと発音しません。そりゃ珍味。チンミーですね。

    *2:中国のTwitter

    *3:中国のLINE

    *4:中国語では「在我心中,重新出发,还是为了那些热泪盈眶!2016,祝福所有在创业路上的小伙伴们,永远年轻,永远热泪盈眶!」です。

  • Tik Tokのトウティアオ(头条)から学ぶ中国コンテンツビジネス

    Tik Tokのトウティアオ(头条)から学ぶ中国コンテンツビジネス

    アメリカの影響力のある大手テクノロジー会社をまとめてGAFA (Google/Apple/Facebook/Amazon)と言います。ドットコムバブルを生き残ってプラットフォーマーとなった世代ですね。これに続くのがリーマンショック以降に生まれたUber、Airbnb、WeWorkなどのユニコーン *1 です。中国の場合、GAFAにあたるのがBAT (Baidu:百度/Alibaba:阿里巴巴/Tencent:腾讯)です。中国のプラットフォーマーですね。そして、それに続く中国ユニコーンがTMD (Toutiao:头条/Meituan-Dianping:美团点评/ Didi:滴滴出行) です。これに小米(Xiaomi)も加わります。

    中国ユニコーンの中でも美团点评と滴滴出行は比較的わかりやすいかと思います。美团点评はGrouponとYelp(日本だと食べログ)を組み合わせたようなもので、滴滴出行はUberですね。日本と同じで欧米の成功したスタートアップのモデルをその国独自にアレンジして展開しています。そして、头条(以下、トウティアオ)と小米は中国で生まれたユニークなモデルだと言えます。今回はトウティアオの歴史から中国のコンテンツビジネスを学んでいきましょう。

    トウティアオとは

    まず、そもそもトウティアオって何?ってところから。口パクに合わせてかっこいいショートビデオが作れるTik Tokが日本でも10代に人気がありますが、これを作っているのがトウティアオです。同様のストリーミングサービスのMusical.lyもトウティアオが買収しています。昔は中国スタートアップが欧米のスタートアップをパクっていましたが、いまではFacebookがTik Tokをパクるようになるのですから時代は変わりました。ちなみに中国での企業名は北京字节跳动科技有限公司(英語名:Bytedance Technology)です。

    トウティアオの作っている人気アプリ(クレジット:GGVCapital)

    一番多く利用されているアプリはジンリトウティアオ(今日头条)。日本で近いサービスはグノシーとスマートニュース。ディープラーニングを使っている点も類似性があります。日本でもTopBuzzやBuzzVideoというアプリが使えるので試してみてください。

    トウティアオと他の中国ユニコーンの最大の違いは創業者の失敗歴でしょうね。メイトゥアンにしてもシャオミーにしても創業者は前の事業で成功しています。はじめての成功じゃないのです。しかしトウティアオは長い失敗の繰り返しから生まれました。

    トウティアオ創業前:転職と失敗の繰り返し

    トウティアオの創業者はジャン・イーミン(张一鸣)です。トウティアオを創業する前のジャン・イーミンを一言で表せば転職を繰り返す「ジョブホッパー」でした。彼自身は毎日夜中の1時まで働くハードワーカーでしたが、当時は運がなかったんでしょうね。

    ジャン・イーミンは2005年に天津の南开大学 *2 を卒業して企業向けのシステムを開発する会社を起業しますがこれは失敗します。次にクーシュン(酷讯)という後にTrip Adviserに買収されるスタートアップに最初期のエンジニアとして入社します。ここではすぐに頭角を現し、二年目にして40人以上のバックエンド開発者のマネージャーに昇格したそうです。

    次に中国マイクロソフトに転職しますが、すぐに辞めて中国版Twitterのファンフォウ(饭否)に参加します。このファンホウは中国版Facebookであるレンレンワン(人人网)ですでに成功し、後にメイテュエン(美团)を創業するワン・シン(王兴)が作ったスタートアップでした。

    しかし、2009年ウイグル騒乱での言論統制に巻き込まれてファンフォウは政府の命令で強制終了。政府に協力的なライバルのウェイボ(微博)が躍進します。ワン・シンも「スタートアップは政治的に敏感な部分に触れてはいけない(创业公司不该碰政府敏感领域)」という教訓を学びました。ジャン・イーミンはなかなか運に恵まれませんね。ファンフォウがシャットダウンしてから、不動産テックのジウジウファン(九九房)を自ら起業しますがこれも失敗。

    2012年5月に5度目の挑戦としてネイハンドゥアンズ(内涵段子)を開発してリリースします。このサービスの評判に手応えを感じ、同年8月に北京字节跳动科技有限公司を創業してジンリトウティアオ(今日头条)をリリースします。ジャン・イーミンが大学を卒業して7年目のことでした。長かった!

    トウティアオの成功

    当時はスタートアップの投資は中国に集中していました。成功しているアプリであれば資金調達はそれほど難しくなく、ジャン・イーミンもジンリトウティアオをリリースしてすぐに500万ドル(約5億円)をシリーズAで調達します。

    初期のジンリトウティアオはインターネットから記事を探して機械学習でユーザーが好むコンテンツを表示する比較的単純なアプリでした。パーソナライズもありませんし、画像の表示もありません。モバイルに特化したニュースアプリの先駆けはFlipboardで、表示の美しさに重点を置いていました。ジンリトウティアオが重視したのは見た目の美しさではなく、コンテンツの消費しやすさだったそうです。

    初期のジンリトウティアオの画面(クレジット:百度)

    当時の中国メディアはまだモバイルに最適化したコンテンツを独自で作っておらず、ジンリトウティアオがそのギャップを埋めることになりました。その結果、リリースから四ヶ月で1日のアクティブユーザー(DAU)が百万人になります。

    コンテンツプラットフォームとAI

    アプリにとって大事なのは使い続けてもらうこと。そのためにジンリトウティアオは継続して頻繁にアップデートを行います。機械学習による レコメンデーションやパーソナライゼーションなど次々に実装していきました。当然ながらジンリトウティアオの成功をみて多くの競合が立ち上がりました。しかし、機械学習やディープラーニングはデータ量が重要となります。初期に多くのユーザーを獲得したジンリトウティアオに追いつくのはなかなか至難の技でした。

    Tik Tokを含め、トウティアオの様々なサービスはコンテンツプラットフォームです。しかし、そのコアとなる技術はディープラーニングなどAIです。トウティアオではコンテンツのキュレーションだけでなく、作成もAIで行なっています。2016年のリオオリンピックではAI記者のXiaomingbotで約2週間のオリンピック期間中に、AIが作成した記事を450本配信しました。

    Xiaomingbotのスクリーンショット(ソース:百度)

    AIの記事自動作成はイスラエルのArticooloが有名ですが、これほど大規模に実運用したのはトウティアオがはじめてではないでしょうか。次の東京オリンピックでは日本のスタートアップに頑張ってもらいたいところです。

    このような努力の甲斐もあり、トウティアオの売上は急速に伸びました。立上げから4年の売り上げではGoogleやFacebookだけでなく、同じ中国のテンセントやバイドゥより早いことがわかります。

    トウティアオの立上げから4年の売上の伸びはGoogleやFacebookより早い
    (ソース:Y Combinator)

    C2Cプラットフォームと動画への注力

    最近のトウティアオは特に動画コンテンツに力を入れています。ニュースアプリのジンリトウティアオもかなり動画コンテンツが多いですし、Tik Tokなど新しいアプリは全て動画に注力しています。リップシンクもAIが活躍する分野ですよね。最近の評価はグノシーやスマートニュースのようなAIを使ったニュースアプリではなく「動画+人工知能」だと思います。

    参考文献

    张一鸣:今日头条不模拟人性,也不引导人性,你们文化人给了我们太多深刻的命题-虎嗅网

    张一鸣:我遇到的优秀年轻人的5个特质

    如何评价「字节跳动」创始人张一鸣? – 知乎

    “饭否”创业失败的教训 – 【人人分享-人人网】

    拿下中国人工智能最高奖 今日头条写稿机器人有哪些黑

    The Hidden Forces Behind Toutiao: China’s Content King

    My conversation with Zhang Yiming, founder of Toutiao · TechNode

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    *1:10億ドル以上の資産評価がされている非上場企業

    *2:中国の六大学である国家重点大学のひとつ

  • Oculusから学ぶハードウェアスタートアップのはじめ方

    Oculusから学ぶハードウェアスタートアップのはじめ方

    20世紀のスタートアップ(AmazonやGoogle)と21世紀のスタートアップ(UberやAirbnb)にはいくつか違いがあります。

    1. ドットコムバブルやリーマンショック以降の成熟(リーンスタートアップやグロースハックなどの方法論の確立)
    2. サービスのスタートアップの誕生(Airbnb、UberやWeWorkなど)
    3. ハードウェアのスタートアップの本格化(ドローンのDJIやウェアラブルのFitbitなど)

    すでにソフトウェアとサービスの事例は見たので、今回はハードウェアのスタートアップです。Oculusはなんと最初の資金調達から一年未満でエグジット *1 しています。Instagramもかなり早いエグジットですが、Oculusはアメリカでは三番目に早いエグジットなので尋常ではありません。まあ、エグジットというのは企業としてはスタート地点でもあるのですけどね。今回はOculusの歴史を見ながら彼らがどのようにハードウェアスタートアップを立ち上げたか見ていきましょう。

    バーチャルリアリティーとOculusの歴史

    バーチャルリアリティーの商用ヘッドセットを最初に作ったのはジャロン・ラニアーとトーマス・ジマーマンが1985年に創業したVPL ResearchのPower GloveとNASAのヘッドセット(HMD:Head Mount Display)を組み合わせたものです。ちなみにジャロン・ラニアーは「VRの父」と言われています。

    この最初の商用VR製品が発売されてから30年もたって、多くのヘッドセットが世に出ていました。更に自作のヘッドセットを作るオンラインコミュニティー(stereo3d.comMTBS)もあり、Oculus共同創業者の一人のラッキー・パーマーもそのメンバーの一人でした。2009年頃、16歳には壊れたiPhoneを集め、それを直して売ってました。この売り上げで3Dのヘッドセットを買い集め、分解して研究しました。つまり、最初は自己資金でははじめました。また、学生としてUSCのMixed Reality Labに在籍していました。『遊戯王』が好きなコスプレオタクでもありました。

    自作文化とオンラインコミュニティー

    彼の自作のヘッドセットに関してもMTBSコミュニティーに投稿しています。そして、最初のプロトタイプが下の写真。同時にラッキー・パーマーは3D表示用のUnity3Dプラグインも開発していました。ハードウェアとソフトウェア両方の素養があったんですね。

    Oculus共同創業者ラッキー・パーマーのVRヘッドセット試作一号機(クレジット:Palmertech)

    偶然の出会いから爆発的な注目を浴びる

    そして、MTBSのコミュニティーで出会うのが大ヒットゲーム『DOOM』や『QUAKE』の作者でゲーム界のレジェンドとも言えるジョン・カーマックでした。ラッキー・パーマーが自主制作したヘッドセットに興味を持ち、一つ送ってもらうように頼みます。そして送られてきたのが六番目のプロトタイプであるPR6でした。そしてこれをOculus Riftと名付けました。

    送られてきたプロトタイプを元にジョン・カーマックは『DOOM3』の3D版を作成して国際的なゲームカンファレンスのE3でデモをします。これが2012年6月の出来事。そしてE3の会場でOculus Riftのデモを見ていたのがラッキー・パーマーとともにOculus VRを立ち上げるブレンダン・イリーベ、マイケル・アントノフとネイト・ミッシェルです。すごい偶然というか、運命ですよね。

    ちなみに、ジョン・カーマックは一年後にOculusにCTOとして参加しますが、この時はまだ会社自体が存在していません。当時のインタビューがYouTubeにも残っています。

    起業とクラウドファンディング

    E3の熱狂の冷めやらぬうち、ラッキー・パーマーはカレッジを中退して2012年7月にOculusを起業します。E3から数週間です。そしてKickstarterでクラウドファンディングの準備に取り掛かります。このクラウドファンディングの目的はゲームデベロッパーやゲームスタジオなどに実際に使ってもらうための開発車向けキット(DK1)の開発でした。

    数週間の準備期間を経て2012年8月にクラウドファンディングのキャンペーンを開始します。E3から二ヶ月ですね。すごいスピード感。キャンペーンのゴールは25万ドル(約2500万円)でした。そして、最終的には243万ドル(約2億4300万円)を9522人から調達します。このキャンペーンの終わりには従業員は10人に増えていました。

    DK1(クレジット:Oculus)

    この後、Oculusは開発者向けキットを二つ出荷(DK1とDK2)、ベンチャーキャピタルから資金調達を経て2014年に30億ドル(約3000億円!)でFacebookに買収され、めでたくエグジットとなりました。ただ、ラッキー・パーマーはFacebookから追い出されてしまうんですけどね。Facebookはこれから投資を回収しないといけないので大変です。

    ハードウェアスタートアップの三つの基盤

    以前はハードウェアはもっと成熟した企業がやるものとされ、スタートアップはインターネット関連のソフトウェアやサービスに限られていました。しかし、Oculusは最初はラッキー・パーマーの個人的なプロジェクトでした。個人的なプロジェクトをここまで大きくできた要因はな三つあります。

    1. 知識:個人で学べる情報サイトとコミュニティー
    2. 制作:個人でもプロトタイプが作れるようになった
    3. 資金:クラウドファンディング

    情報:個人で学べる情報サイトとコミュニティー

    ラッキー・パーマーはVRのオンラインコミュニティーに参加して、そこから様々なフィードバックやアドバイスを受けていました。専門家が集まるオンラインコミュニティーはラッキー・パーマーのようにすでに知識がある人にとってはとてもいい場所です。オンラインだけでなく、ハッカースペースと呼ばれるオフラインのコミュニティーもたくさんあります。東京だとTokyo Hackerspaceが有名ですね。

    これから知識を得たい人もインターネットに様々な情報があります。ハードウェアの場合だとAppropediaというハードウェアのWikipediaが有名です。また、動画や画像を使って説明してくれるInstructablesのようなものもあります。YouTubeでも「#作ってみた」動画は人気がありますよね。

    制作:個人でもプロトタイプが作れるようになった

    シンガポールやオランダのハードウェアスタートアップの友人のオフィスには必ず3Dプリンターがありました。当然ながら様々な部品とハンダゴテも。ハードウェアスタートアップにとってプロトタイプとは自分で作るものです。量産は工場でやってもらうにしても、自分で作れないものを他人が作れるはずがありません。深センに行っても無理です。Hotaxに作ってもらったGoProのような例外はありますが。日本の家電スタートアップのUPQCerevoみたいなしっかりした技術集団がついているからできる。

    昔だと秋葉原にたくさん部品やがありましたが、今だとオンラインで調達するのが簡単です。代表的なのがMouserDigikeyですね。両方とも日本語のサイトがあるってのが素晴らしい。Alibabaとかだとある程度の量を発注しないといけませんが、この二つのサイトなら一個から発注できます。ハードウェア側でのプログラミングもラズパイやArduinoのおかげで随分と楽になりました。

    筐体作成に関しても3DプリンターやCNC加工機などありますし、モデリングも熱溶融樹脂法や光造形法で比較的簡単に作れるようになっています。CADデータさえあれば個人でもデジタルモデリングができます。個人で3Dプリンターを所有する必要はありません。ハッカースペースに行けばありますし。

    資金:クラウドファンディング

    プロトタイプは自己資金で自作する必要がありますが、量産にはそれなりの資金が必要です。そして、最近ではOculusのように最初の開発者向けプレビューはクラウドファンディングで調達することができます。スマートウォッチのPebbleもクラウドファンディングでしたよね。

    ただし、ハードウェアスタートアップは立ち上げるのこそ昔より簡単になりましたが、続けることは相変わらず難しいものがあります。ソフトウェアと違い、在庫を持つ必要がありますし、アップデートも頻繁にできません。品質管理も重要です。それは失敗した数多のクラウドファンディングのハードウェアプロジェクトでもわかりますし、成功したPebbleやJawboneも企業としては生き残ることができませんでした。Oculusもまだ商業的には成功してないですしね。

    ハードウェアスタートアップの未来

    ソフトウェアスタートアップも最初から成功の方程式があったわけではありません。ドットコムバブルでたくさん潰れましたし、リーマンショックでもたくさん潰れました。多くの失敗と積み上がった残骸からリーンスタートアップやグロースハックのような手法が生まれたのです。

    ハードウェアスタートアップはまだ確立されていないこれからの分野だと言えます。少なくとも立ち上げやすくなはなった。これから継続して成長する手法を確立していくことになります。カタパルトスープレックスとしてはハードウェアスタートアップの未来には非常に楽観的です。

    参考文献

    Oculus Rift History – How it All Started – Rift Info

    A brief history of VR and the Oculus Rift | TALES FROM THE RIFT

    A Brief History of Oculus, from Day Zero to Day One

    #AltDevBlog » Latency Mitigation Strategies

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    *1:投資家と創業者が投資を回収すること

  • WeWorkの誕生と成長|自分がやりたいことを実現できるコミュニティーを作るということ

    WeWorkの誕生と成長|自分がやりたいことを実現できるコミュニティーを作るということ

    WeWorkは資産評価35億ドルのユニコーン企業です。彼らのビジネスはコワーキングスペース。なぜWeWorkはそれほど資産評価が高いのでしょうか?コワーキングスペースを提供する企業は山ほどありますし、WeWorkがコワーキングスペースのコンセプトを生み出したわけでもありません。ボクがシンガポールやオランダにいるときも、WeWorkと同じくらいおしゃれでコミュニティー感が強くて広いコワーキングスペースはたくさんありました。代表的な例はImpact Hub(WeWorkより2年早い2008年に創業)やThe Surf Office(湘南や九十九里浜に欲しいなあ……沖縄もいいなあ)でしょう。

    共同創業者でCEOのアダム・ニューマンは「Amazonがオンラインの本屋だと思っている人は本質を見ていなかった」と言います。では、WeWorkの本質とはなんでしょうか。WeWorkと他のコワーキングスペースを分け隔てているのはなんでしょうか。

    イスラエルのキブツと最初のアイデア

    WeWorkの共同創業者のアダム・ニューマンはイスラエル生まれ。失読症で9歳まで字が読めませんでした。10歳でアメリカに来ましたが、あまり馴染めずにイスラエルに戻ります。イスラエルではほとんどキブツで過ごしました。キブツはイスラエル独特の集団農業共同体で小さな規模で100人、大きな規模では1000人が共に暮らし、働きます。このキブツでの生活がWeWorkのアイデアに影響を与えているのではないでしょうか。

    イスラエルの軍役の後、2002年、23歳でアメリカに戻ります。そして、ニューヨーク市立大学バルーク校に通い、起業を専攻します。大学ではスタートアップのコンペがあり、アダムはWeWorkやWeLiveの原型となるアイデアを提案します。そのアイデアは暮らしのコミュニティーと言えるもので「暮らしのコンセプト(Concept Living)」と名付けました。そしてクラスの中で唯一次のステージに進めなかったそうです。このコンペは5ステージあったのですが、一つも通過できなかったそうです。

    実現が遅れたアイデア

    これは後から学長に聞いたのですが、アダムだけが通過できなかったのはそれが不動産を扱うアイデアだったからだそうです。その年齢で不動産を扱うスタートアップをやって資金調達はできないと言われました。この言葉はのちにアダムの判断に影響してしまいます。WeLiveをはじめるのが7年遅れました。

    振り返ってアダムは「教師に限らず影響力のあるリーダーは人々の可能性を限定するような言葉や行動を慎まなければいけない。可能性は無限にある。それに足枷をつけるようなことをしてはいけない」と語っています。ちなみに、アダムは卒業前に起業をしてしまったので、WeWorkで成功した後にバルーク校に戻り学位を取得しました。学長は当時の判断と言葉に関して謝罪してくれたそうです。そして、アダムは卒業したその日に学位授与式のスピーチ(普通はスティーブ・ジョブスのような人が卒業生に贈るスピーチ)を行うというユニークな体験をします。

    WeWorkを立ち上げるまでの寄り道と失敗

    アメリカに来た頃のアダムはお金に取り憑かれていたそうです。そして、「なんで自分ばかりこんなひどい境遇にあるんだ、自分はもっといい暮らしをする権利がある」と考えていたそうです。在学中もどのように成功できるのかを考え、様々なビジネスを立ち上げています。この頃に奥さんでもありビジネスパートナーでもあり映画監督でもあるレベッカ・パルトロウと出会います。レベッカとの出会いがカバラとの出会いに繋がり、お金ではない大事なことに気づき、考え方が徐々に変わっていきます。WeWorkのコンセプトにもレベッカは大きな影響を与えています。

    アダムが最初に立ち上げたビジネスは折りたたみができるヒールがついた女性靴だそうです。これはモデルでもあった妹のアディ・ニューマンの歩く姿を見て思いついたそうです。これは全く成功しなかったようです。次に立ち上げたビジネスは「クローラーズ(Krawlers)」という膝にパッチのついた幼児用のジーンズで赤ちゃんのハイハイに最適でしたが、これも失敗。そしてデザイナーのスーザン・レイザーと「Egg Baby」という幼児用ブランドを立ち上げます。このブランドは大手の流通でも取り扱ってもらえ、今でも「Egg by Susan Lazar」として残っています(アダムは経営から手をひいています)。それでも借金は残ったそうです。その借金はWeWorkで成功した後に完済したそうです。

    このアパレル系のビジネスをしていた頃、WeWorkを一緒に立ち上げるミゲル・マッケルヴィーと出会います。建築デザイン事務所で働いていたミゲルはアダムにブルックリンにあるオフィスに一緒に入るように勧めます。このオフィスがある建物がWeWorkの原型となります。

    WeWorkの原型となるGreen Deskの立ち上げ

    最初のきっかけはちょっとしたことでした。アダムが自分のオフィスの一部を貸すためにCraiglistに広告を掲載したのです。すぐに借り手が見つかりました。アダムとミゲルは当時のオフィスがあった建物にあまり他のテナントがいないことに気がつきました。あれ?スタートアップ向けのコワーキングスペースにできるんじゃない?一週間後に友人のギル・ハックレーを加えた三人はその建物の所有者であったジョシュア・グットマンを説得しようとします。ジョシュア・グッドマンは最初はかなり懐疑的だったようです。

    「キミらはどれだけ不動産ビジネスについて知ってるんだい?」

    「あなたが不動産ビジネスについてそんなに詳しいなら、なんでこの建物はこんなに空っぽなんだい?」

    これがGreen Deskとなります(当時のローカルニュース)。株式の大部分はジョシュア・グットマンがもち、三人はそれぞれの投資額は5000ドル(約50万円)を出します。利益はジョシュア・グットマンと折半。この時は2008年で、Green Deskの準備期間中にリーマンショックが起きました。不動産ビジネスにとって経済環境としては最悪。流石にこの時はアダムも焦ったそうです。しかし、改装中にすでに予約がいっぱいになったそうです。結局のところ、アダムとミゲルのやろうとしていたことは不動産ビジネスではなくて、人とのつながりを生むビジネスで、それを求める人が多かったということでしょう。ちなみに、WeWorkの競合のImpact Hubもこの年に創業しています。

    当時のGreen Desk

    コワーキングスペースのコンセプト自体はブラッド・ニューベルグが生み出したもので、すでに2005年にサンフランシスコに最初のコワーキングスペースがすでにありました。このGreen Deskがユニークだったのは再利用の家具と再利用エネルギーの利用です。だからグリーンなんですね。

    Green DeskはWeWorkというよりもシェアオフィスのRegusに近かったそうです。アダムとミゲルはイベントやアメニティーが充実したコミュニティーとしてのいまのWeWorkのコンセプトに近いモデルを次に試したかったそうですが、ジョシュア・プットマンは成功しているGreen Deskのモデルを展開したかったそうです。方向性の違いが生まれました。

    WeWorkの立ち上げ

    進もうとする方向が違うため、アダムとミゲルはGreen Deckをジョシュア・グットマンに300万ドルの資産価値で売却、そこから得た30万ドル(約3000万円)を頭金にしてSOHOでビルを借り、自分たちでWeWorkを立ち上げます。足りない分は友達に借りたりクレジットカードで借りるだけ借りました。お金をセーブするためにイスラエルから友達を呼んで7日間ぶっ通しで内装工事を手伝ってもらいました。

    「たぶん、ニューヨークで遊ぶために呼んだと思ったろうね!」

    このような節約が功を奏して最初のSOHOのWeWorkは一ヶ月で利益が出るようになりました。これが2010年です。Green Deskをはじめて2年ですね。

    次の物件が三人のイラン人兄弟が所有しているエンパイアステートビルの向かいの格安物件でした。格安と言っても100万ドル(約1億円)が必要でした。もちろん、そんなお金はありません。

    「ニューヨークにいる一人を落とせばいけちゃうかもよ」と後にWeWorkに投資をするジョエル・シュライバーがアダムに囁きます。そして、アダムは実行します。イラン人オーナーの一人をたっぷり酔わせて虚ろなまま契約をもらいます。もちろん、後から文句を言われましたが「ペルシャ人は約束を守る人たちでは?」で問題なかったそうです。これが最初の資金調達。そして、その後にもシードで700万ドルほどの調達にも成功します。その後さらに二つのコワーキングスペースをオープンしてから続々と大型投資が決まって行きます。

    それにしても、コワーキングスペースが多くある中、なぜWeWorkだけがこれほど成功したのでしょうか?

    WeWorkにとっての「プロダクト」とは?

    WeWorkの特徴はお洒落な内装、無料のビール、そしてたくさんのイベントですね。でも、これってすぐにマネできますし、実際におしゃれでイベントがたくさんあるコワーキングスペースってたくさんあります。ただ、内装へのお金のかけ方はWeWorkは突出していますし、無料ビールはなかなかないですけどね。別の言い方をすれば「WeWorkは何故そこまで多くの資金を調達できるのか?」とも言えます。

    いろいろと調べると初期の成功はかなり「運」もあったと思います。WeWorkのようなコワーキングスペースは他のテクノロジー系のスタートアップと違い、不動産が必要です。多くの資金が必要です。最初にそれを引き寄せたのはアダム・ニューマンの熱意と創意工夫(オーナーの一人をたっぷり酔っ払わせるとか)でした。しかし、それもプロダクトとしてのWeWorkが優れていなければ継続して成功し(投資を引きつけ続ける)はできません。そうしないと彼らの考える「プロダクト」に投資できないですからね。

    WeWorkにとってのプロダクトとはなんなのでしょうか?それを具体的な形に落とし込むにはどうしたらいいのでしょうか。

    WeWorkのプロダクトは「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」

    アダム・ニューマンはWeWorkのコンセプトはカバラセンターから影響を受けていると言っています。カバラはユダヤの思想で、カバラセンターはニューヨークを拠点としてマドンナやデミ・ムーアなどセレブから支持を受けていることでも有名ですよね。アダムがカバラに目覚めたのは妻のレベッカの影響だそうです。それまでのアダムはお金のために働いていました。なんで自分はこんなに不幸な環境に生まれたんだと、成功していなことを環境のせいにしていました。言うことは大きい(Talk big)けど、レベッカをディナーに連れいくお金もない。カバラと出会い、お金よりも大事なことがあることに気づき、不健康な生活をやめたそうです。そして、お金よりも大事なことのために働きます。

    アダムに限らず、多くの創業者たちは必死で働きます。でも、それはお金のためではありません。やりたいことがあるからです。Spotifyの創業者のダニエル・エクだったら「全部入りのiTunesを作る」だし、Airbnbの創業者たちなら「旅先での共同生活でしか味わえない体験」です。

    生きていくためにお金を稼ぐのは犬にとってドッグフードを食べるのと同じです。しかし、創業者が必死に寝る間も惜しんで働くのはDropdox創業者のドリュー・ヒューストンが言うように、犬にとってのテニスボールを追いかけるのと同じです。

    そのために働くのは単に「よく働き、よく遊ぶ(Work hard, play harder)」のような表面的な行動だけを抜き取ったものではありません。自分のやりたいことを実現すること自体が楽しいのです。これはスタートアップの創業者だけでなく、働く人一般に言えますよね。そういう環境を作りたいのいうのがWeWorkの原点であり、「プロダクト」です。

    WeWorkのタグラインは「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」です。ドッグフードをもらうためにご主人様の言うことをきちんと聞かなければいけないのであれば「やっと週末だ!(Thanks God It’s Friday!)」となるでしょう。しかし、自分が大好きなテニスボールを追っかけているのであれば、早くボールが欲しいから「やっと月曜日がはじまる!」になるのです。おしゃれなオフィスだからって嫌な仕事が好きになれるわけないですよね。

    コミュニティーマネージメント

    WeWorkにはコミュニティーマネージャーという職種があります。コミュニティーマネージャーはもともとゲームのオンラインコミュニティー(特にMMORPG)をまとめる役割でした。どちらかといえば管理者的な側面が強いですね。これをブランドの代表者として主にソーシャルメディアを通じてユーザーの役に立つ情報を発信する役割に変えたのがLisa Brazielでした。そして、徐々にマーケティングの役割の一つとしてコミュニティーマネージメントは発展していきます。そして、多くの場合はマーケティング会社に外注されます。

    WeWorkにとって、コミュニティーはリアルな集まりで、プロダクトにとってのコアとなります。そのため、WeWorkでコミュニティーマネージャーは外注ではなくそのための部門が存在します。

    メンバーエクスペリエンス(UX)

    これまでのRegusのようなシェアオフィスとは違い、WeWorkのプロダクトは「体験」です。WeWorkのユーザー(メンバーとよばれる)の体験が重要になります。

    デジタルプロダクトであればUXは計測可能です。しかし、WeWorkはデジタルプロダクトではないので一般的なUXのための計測ツールは使えません。そこでWeWorkが開発したのがPolarisです。

    WeWorkで開発されたUXレポジトリのPolaris

    WeWorkは各国にコワーキングスペースを展開していて、それぞれの拠点でUX調査を行なっています。そこで、重複するような調査を避けたり、別の場所での学びを他に展開するために一つの場所にPolarisに調査結果を集めています。WeWorkでは調査の最小単位をNuggetといい、Polarisには調査結果がNugget毎に保存され、検索性を高めています。

    おそらく、他のコワーキングスペースもそのスピリッツや考え方はWeWorkと同じなんだと思います。

    まとめ

    働き方改革などいろいろと言われていますが、究極的には「自分のやりたい仕事ができているのか?」なんだと思います。WeWorkも日本に上陸してきました。日本の働く環境も「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」になるといいですね!

    参考文献

    Adam Neumann / Washington Ideas 2017 – YouTube

    ECNY Events – Adam Neumann – YouTube

    Adam Neumann Real Estate | WeWork NYC

    The founding story of WeWork – Business Insider

    Inside The Phenomenal Rise Of WeWork

    When WeWork was young: the early years | VatorNews

    Democratizing UX – Tomer Sharon – Medium

    Community Manager Role Has Changed: A Decade of Community Management

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  • Instagramの誕生と成長|爆速エグジットの秘密

    Instagramの誕生と成長|爆速エグジットの秘密

    Instagramのエグジット *1 はアメリカで八番目に早い記録になります。資金調達と同時に起業し、その七ヶ月後に製品ローンチ。起業から一年後に更に700万ドル(約7億円)の資金調達をし、その一年後にFacebookに10億ドル(約1000億円)で買収されます。ちなみに、Facebookはその直後にIPOをしてエグジットしています。

    以下がInstagramの立ち上げからビジネスとして成立するまでの年表です。うーん、めっちゃ早いですよね。Facebookに買収されるまで全く売上はなかったのですが、これだけ資金調達ができていれば全く資金的には問題なく運営できていたでしょう。絵に描いたような順風満帆です。でも、どうやって?

    異例の速さで成功したインスタグラム

    これほど大成功したスタートアップなのに、日本ではその創業者のケヴィン・シストロムとマイク・クリーガーについてはあまり知られていません。彼らがInstagramを立ち上げる前に何をしていたのか、Instagramを立ち上げた後に何をしたのかを見ていきましょう。

    Instagramを立ち上げる前

    ケヴィン・シストロムは自称コンピューターオタクで、子供の頃からQ BasicとVisual Basicに親しんでいました。Doomなどのコンピューターゲームにハマっていたそうです。

    スタンフォード大学時代、専攻はビジネスマネージメントでしたが、プログラミングは続けていたそうです。そして、スタンフォード大学生向けのCraiglistのようなものを作りました。8000人くらいのユーザーがいて、これが最初のソーシャルネットワークっぽいプロダクトだったそうです。

    トイカメラとの出会い

    Holga 120GN (5898093683)

    そして、スタンフォード大学在学中にイタリアのフローレンスに留学をして写真を学びました。その時の写真の講師がトイカメラのHolgaを持っていて、ケヴィンが持っていたニコンと交換して使ったそうです。そのころにトイカメラにハマったそうです

    Holgaなどのトイカメラのフレームサイズは他のカメラと違ってブローニという6×6の正方形の形が多いのです。トイカメラはトンネル効果やピンボケ感など独自のロウファイな風合いが出るため、愛好家から非常に人気がありました。日本でも流行りましたよね。Instagramにトイカメラ風のエフェクトが多いのはこのためです。

    Twitter人脈との出会いとスタートアップの経験

    フローレンスにいた頃に卒業後のキャリアを考えてインターンの機会を探していました。フローレンスにはあまりよいインターネット環境は当時なかったそうで、図書館に行かなければいけなかったそうです。そして、ニューヨーク・タイムスでOdeoを知ります。Odeoはポッドキャストのサービスですが、後にピボットしてTwitterになります。ケヴィンはWhoisでOdeoのメールアドレスを探し当ててメールを送ります。そして、それがきっかけでOdeoでインターンとして働くことになりました。

    Odeoでのインターンの期間はローンチまでの三ヶ月半。チームは4、5人から15人くらいに増えるまでだったそうです。ケヴィンはここでスタートアップでの働き方を学びます。しかもTwitterを立ち上げるエヴァン・ウィリアムス、ビズ・ストーン、ジャック・ドーシーといった錚々たる面々から。

    Instagramの原型となるBurbn(バーボン)の開発

    いくつかのインターンを経験して大学を卒業した後にGoogleに入社しました。本当にやりたかったのは開発のプロダクトマネージャーでしたが、コンピューターサイエンスの学位がなかったため、Googleではマーケティングをやることになりました。

    それでもやっぱり開発がやりたくなって元Google社員が起業したNextstopに転職します。ちなみに、NextstopはInstagramが起業した2010年後半にFacebookに買収されます。そこで個人的なサイドプロジェクトとして作っていたのがBurbnというHTML5アプリです。最初の構想はチェックインとソーシャルゲームを組み合わせたものでした。しかし、出来上がったのは(大雑把に言えば)Four Squareのようなチェックインアプリです。ただし、写真の共有機能がありました。

    Instagramの元となるBurbnのホーム画面(ソース: Famous First Landing Pages

    そして、このBurbnが投資家の目にとまり、50万ドルのシード資金を調達できました。Instagramで資金調達したのではなく、Burbnで資金調達をしたのです。まだInstagramはなかったですからね。そして、シード資金を調達したことによりNextStopをやめて起業することに決めました。起業するときに声をかけたのが共同創業者となるマイク・クリーガーです。Instagramはケヴィン・シストロムとマイク・クリーガーの二人ではじめました。

    しかし、ケヴィンはBurbnに今一つ自信が持てなかったようです。Burbnのユーザーベースは数百人を超えることはなかったようです。一番人気があった機能は写真の共有。そこで、写真の共有に集中することにしました。Burbnをやるつもりで参加したマイク・クリーガーは相当びっくりしたでしょうね。え?チェックインアプリじゃなくて、カメラアプリ?

    Instagramの開発

    当時はたくさんのカメラアプリたくさんあって、Appstoreには906のカメラアプリが登録されていました。その中からなぜInstagramだけが浮上したのでしょうか?創業者二人が口を揃えていうのが「運」です。

    ケヴィン・シストロムは「運が最大の要因。誰でも失敗する。どんなに経験がある人でも。適切な時に、適切な人と、適切なことをやる。ここまでの道のりで、それが出来たのは運。そして、運は自分で引き寄せるしかない。それには必死に働くしかない *2」と言っています。

    マイク・クリーガーはインタビューでもう少し分析してくれています。

    「もちろん運の要素が大きい。運以外の要因をあえて挙げるといくつかある。まず、全くスクラッチから作ったプロダクトではないということ。1000人ほどのユーザーベースだったが写真の部分だけはすごく気に入られてた。その経験から解決すべき課題を理解していた。

    1. 写真をよくしたい
    2. よく撮れた写真はシェアしたい
    3. 早くしたい

    この三つ」

    写真をよくしたい

    当時のiPhone 3Gは今のiPhoneと比べてあまりカメラの性能がよくありませんでした。ケヴィンがガールフレンドと旅行に行ったときに、ガールフレンドが写真をよく撮れるようにしてほしいと言いました。実際に当時のカメラアプリはあまりキレイに写真が撮れませんでした。

    そこで開発したのがX-Pro IIというエフェクトで現在でも使われています。Instagramの初期のユーザーからは写真のフィルターアプリだと思っていた人が多かったそうです。

    X-Pro II

    共有したい

    よく撮れた写真は共有したくなります。やはり多くの写真共有アプリが当時もあったそうなのですが、そもそもいい写真を取ることができませんでした。そして、Instagramの初期に重要だったのは人気の写真を集めたポピュラーページだったそうです。友達がInstagramを使っていなくても、いい写真を共有している人をフォローできるました。つまり、友達がいなくてもInstagramにアップした写真を見てくれる人がいる。

    早くしたい

    当時のiPhoneはカメラ性能もよくありませんでしたが、通信速度もあまり早くありませんでした。特に二人がいたサンフランシスコのネットワークスピードは遅かったそうです。そのために、最初からパフォーマンスには気を使っていたそうです。

    例えば、写真やフィルターを選んでいるときにバックグラウンドでアップロードを開始するなどの工夫をしました。そのために、アップロードが早いという感覚が生まれます。

    成長の秘訣

    グロースハック的な意味での成長で言えばTwitterやFacebookのピギーバッギング *3 や有名人にベータを使ってもらうなどいくつかの工夫をしていました。ただ、こういうことはおそらく普通のスタートアップならやってると思うんですよね。

    それよりも大事だったのは、やるべきことに集中したことなんじゃないかと思います。素晴らしい体験を届けるためにすべきことをやる。どうせわからない将来なんて予測(Second Guessing)しない。邪魔なハンバーガーメニューは作らない。何か追加する場合はInstagramの外で試す。マネタイズも考えない(資金はたっぷり調達してますからね)。

    InstagramがFacebookに買収された時の社員数は13人で、当時のユーザー数は約3000万人。ユーザー数が1000万人くらいまでは5人だったそうです。あれもこれもやっていたらできない人数ですよね。

    どうしてそんな少ない人数でできたのか?という質問に対してケヴィン・シストロムは「すごくスマートな人たちが集まったから」と答えています。

    スタッフを雇う時に二つのアプローチがあります。ひとつは早く雇って、早くクビにする(Hire fast, fire fast)。もうひとつはゆっくりその人の能力や企業文化との相性を見極めてから雇う(Hire slow and smart)。インスタグラムの場合は後者でした。そして、参加した仲間たちを信じること。それが少ない人数でこれだけのことを成し遂げた秘訣だそうです。

    参考文献

    BBC – Future – The simple cult camera that inspired Instagram

    Foundation 16 // Kevin Systrom – YouTube

    Instagram: Conversation with Co-Founder Mike Krieger – YouTube

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    *1:創業者と投資家がIPOやM&Aを通じて投資を回収すること

    *2:すいません。かなり意訳していますが、こういう趣旨のことをインタビューで答えています

    *3:より大きなプラットフォームに乗っかるという意味。

  • ジャック・マーとアリババ誕生と成長|長江のワニ

    ジャック・マーとアリババ誕生と成長|長江のワニ

    アリババ(阿里巴巴)はジャック・マーと17人の共同創業者とともに1999年に設立されました。そして当時の動画映像はかなり多く残っています。なぜかと言えば、2000年に国際マーケティング担当役員として参加して十年間アリババで働いたポーター・エリスマンがドキュメンタリーフィルムを残す意図で当時からビデオ撮影をしていたからです。ジャック・マーも公開前提で撮影することを許可してくれたそうです。あと、ジャック・マーは映像が好きなんでしょうね。教師の頃の映像とか政府の役人との交渉とかとにかくたくさん映像が残っています。

    これらの映像は『長江の鰐 (Crocodile in the Yangtze)』というタイトルで一般公開されました。幸いにしてボクはこれを公開前にシンガポールでポーター・エリスマン本人による上映会で観ることができました。日本ではあまり知られていないこの映画をボクが知っているのはそのためです。

    英語がわかる人はそれを観るのが一番手っ取り早いです。英語は苦手、全部観るのは億劫という人のために要点をまとめてみました。

    ジャック・マー最初の起業:翻訳会社

    • 杭州酒店に九年間自転車で通い、そこにとまる西洋人宿泊客を相手に英語の練習をする。独学で学んだ英語力で地元の大学で英語の講師となる(当時の月収は12米ドル)
    • 外国との貿易が増えたため、翻訳の需要が高まる。1991年に翻訳/通訳会社を起業。月の収入は700元程度で、家賃が2000元とのことであまり成功しなかった。
    • 翻訳/通訳の仕事の関係でアメリカ訪問。ロサンジェルスで詐欺にあい、傷心でシアトルの知り合いの家にとまる。そこではじめてインターネットと出会う。
    • 「ビール」と検索したらドイツのビールやアメリカのビールは出てくるが、中国のビールは出てこない。「中国」と検索しても何も出てこない。そこで、中国語のホームページを立ち上げてみたところ、アメリカ、日本、ドイツから問い合わせがあった。

    二回目の企業:中国最初のインターネット企業

    • アメリカから中国に戻り、1995年に中国最初のインターネット企業『中国黄页(中国イエローページ)』を立ち上げ、広告事業をはじめる
    • 「世界はインターネットで情報を探す。中国の情報がないと世界の人たちが中国の商品を見つけることができない。だから中国の商品を買うことができない。」これが当時の基本的なピッチ
    • 1997年に中国貿易省の公式サイトとして中国製品のコマースサイトを立ち上げるものの、基本的にはうまくいかなかった。タイミングとしてまだ早かった。

    三回目の企業:再出発とアリババの立ち上げ

    • Amazon、eBayといったコマースサイトだけでなく、CommerceOne、AribaといったB2Bのコマースサイトが立ち上がり、ドットネットバブルが起きる
    • 1999年に心機一転、アリババを17人の共同創業者とともに立ち上げる。ジャック・マーのアパートに全員に対してスピーチを行う。
      • 1995年のビジョンを実行する時が来た。
      • 競合は中国の企業ではなく、海外の企業。特にシリコンバレーのスタートアップ。
      • アリババは国際的な競争に勝てるグローバルなサイトでなければいけない
      • シリコンバレーのハードワークの精神を学ばなければいけない。3年から5年の間は誰にも負けないくらい集中して働かなければいけない。それができなければ成功しない。だからアリババのゴールは2002年のIPOする(これは2007年に実現する)。
      • ハードウェアとシステムではアメリカに負けるが、情報とソフトウェアでは中国は負けない
      • インターネットはバブルだと言われるが、バブルじゃない。バブルは個別の企業。常に新しい企業が現れる。アリババもその一つ。
    • 次の7ヶ月、ステルスモードのスタートアップとして17人の仲間はジャック・マーのアパートに引っ越し、共同生活を送りながら集中して働く。
    • 当時のアリババの仕組みはシンプルで、サプライヤーはアリババに商品をアップして、大量購入する企業顧客がそれを買う。
    • 当初売り上げはゼロ。しかし、ユーザーは増え続けて手応えを得る。
    • 1999年に台湾系カナダ人のジョセフ・ツァイがCFOとしてアリババに参画。ゴールドマン・サックス(500万ドル:約5億円)やソフトバンク(2000万ドル:約20億円)から資金調達を行う。
    • 資金調達後にステルスモードから公開モードに切り替え、香港での正式ローンチの準備を開始する
    • モバイルポータルサイトのシンラン(新浪)、サーチエンジンのソウフー(搜狐)などコマースサイトのイーチュー(易趣:のちにeBayに買収される)が前後してローンチする。

    ドットコムバブルの崩壊

    • アリババが海外進出を開始した時期はドットコムバブルが崩壊した時期と重なり、インターネット企業に対しては厳しい目が向けられていた。アリババは当時は全く売り上げを上げていなかったので、ビジネスとしてどう成り立つのか疑問視されていた。
    • 海外メディアで露出が増えると、中国国内メディアの注目度も上がっていった。
    • イメージは膨らんでいったが、ビジネスとしては成立していなかった。中国国内の担当チームと海外担当チームの間にも歪みが生まれてきた。
    • ジャック・マーはこの歪みを解消するために英語のWebサイト開発とオペレーションをアメリカに移した。しかし、これは歪みをさらに悪化させたためにすぐに取りやめ、全従業員を解雇した。
    • 2001年にドットコムバブルが崩壊した。この頃まだアリババはマネタイズの方法が確立されておらず、調達した資金もなくなりはじめていた。そのあおりを受けてアリババも約半分の海外従業員を解雇した。

    希望の兆候

    • 2001年に最初のマネタイズの方法を導入した。それはプレミアムアカウントでプレミアムアカウントは検索結果で上位に表示される。
    • それでも赤字は続き、資金の底が見えはじめたため、マーケティング予算をゼロにして、解雇をさらに進める。
    • 一年後にプレミアムアカウントの売り上げで黒字化を達成する。
    • しかし、すぐにSARSの感染がアリババ社内でも広がり、オフィスを締めなければいけなくなる。社員は全て自宅待機をする必要があり、社員一人ひとりがパソコンを自宅に持ち帰ってWebサイトの運営をリモートで行う。

    eBayとの競争

    • eBayがアリババの中国における競合のイーチュー(易趣)に投資をする
    • 一部の社員はまだSARSの疑いで自宅待機だったが、これに対抗するために特別チームを結成する。そしてB2Cのコマースサイトであるタオバオ(淘宝)を数ヶ月で開発する
    • その翌月、eBayがイーチュー(易趣)の買収と中国でのeBayの本格参入を発表する
    • タオバオを正式にローンチして、最初の三年間は手数料を取らないことを発表。イーチューは当時まだ黒字化しておらず、eBayもウォール・ストリートからの中国への投資回収が期待されているため、この動きに追随しないだろうと判断。
    • eBayはイーチューをグローバルプラットフォームに吸収。中国国内で人気のあったイーチューの機能をやめる。
    • 2005年にタオバオがeBayを取引量で追い抜く。2007年にはさらに突き放すために追加で三年間の手数料無料を宣言。2009年にeBayは撤退。
    • この頃、eBayの株価が下がりはじめ、中国への1億ドル以上の投資が疑問視される
    • 2005年にeBayからパートナーシップの提案を受けるが、断る。その代わり、Yahoo!とパートナーシップを結び、40%の株式を10億ドル(約1000億円)で売却する(この時点でYahoo!がアリババの最大の株主になる)。同時にYahoo!中国法人がアリババ傘下になる。意図としてはGoogleや百度との中国での検索エンジンビジネスの競争。
    • Yahoo!の中国法人とアリババの統合はなかなかうまくいかなかった。
    • 過去にYahoo!中国が中国政府に対すしてメール通信記録を提供するという事件が発覚。このために中国人記者一人が拘束される。当時はまだアリババの傘下ではなかったが、法律には従わなければいけないと説明。
    • 2007年に香港で上場

    まとめ

    ドットコムバブル崩壊前に創業された中国スタートアップと現在を比べるのはなかなか難しいものがあります。ジャック・マーが今日の時点で英語教師だったら同じことができるでしょうか。歴史の「もし」はわからないですし、あまり意味もありません。Instagramの創業者であるロバート・シストロムが言うように「全てが運だとしても、運は自分の手で引き寄せるしかない」のです。そして、現在のスタートアップでもジャック・マーから学べることは多くあります。

    ひとつは自分が熱中できることに集中すること。お金ではなく、自分が実現したいことのために働く。ジャック・マーの場合は「インターネットで世界のマーケットと中国のマーケットをつなげる」でした。

    そして、もう一つがユーザーの価値を考えること。eBayが豊富な資金力にも関わらずタオバオに追いつかれ、追い越されてしまったのはこのためです。

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