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  • 書評|チンパンジーより世界を正しく認識する方法|”Factfulness” by Hans Rosling

    書評|チンパンジーより世界を正しく認識する方法|”Factfulness” by Hans Rosling

    まずは13の質問に答えてください。この質問はGoogle Formで作成され、回答は全ての質問に答えた後に表示されます(一人一回しか回答できないためGoogleのログインが必要です)。多くの答えが間違っていても、ガッカリする必要はありません。ダボス会議の参加者を含む多くの人たちがチンパンジーより悪い成績だったのですから。

    FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

    FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

    • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
    • 出版社/メーカー: 日経BP社
    • 発売日: 2019/01/11
    • メディア: 単行本
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    Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think

    Factfulness: Ten Reasons We’re Wrong About The World – And Why Things Are Better Than You Think

     

     

    [:contents]

     

    チンパンジーは何も考えずに答えを選ぶからほぼランダムです。つまり、三つ選択肢があれば33%の確率で正解します。なぜ多くの人がこの質問に関してチンパンジーより成績が悪いのか?というのが今回紹介する書籍『ファクトフルネス “Factfulness”』の主題です。

    なぜ人は正しい世界認識をしていないのか?

    簡単に言えば人の世界認識は70年代や80年代からアップデートされていません。昔のイメージの世界観でいまの世界を見てしまっている。これは教育やメディアが悪いわけではなく、高学歴で社会的にも大きな影響を与えているダボス会議の参加者もチンパンジーより悪いスコアだったそうです。それには様々な理由があって、多くの場合はバイアスで正しいデータを間違った見方をしてるからです。なるほど、ダボス会議に参加しているビル・ゲイツがこの本を勧めるわけです。

    そして、そのバイアスを矯正して正しい見方ができるヒントを「ファクトフルネス」として紹介しています。ここでは全てを紹介できませんが、代表的な「ファクトフルネス」を紹介します。

    世界は悪いけど良くなっている

    悪いことほど目につきやすい。そして、「世の中は悪くなっている」と考えてしまう傾向にあります。「昔はよかった」と懐かしむのはいいのですが、「昔は悪かった」ことはあまり覚えていません。

    実際にデータを見ると多くの悪いことは良くなっています。最貧国に住む人は半分に減りましたし、女性も教育が受けられるようになりました。もちろん、パーフェクトな状態ではない。「悪い」かもしれない。けど、「良く」なっている。

    世界は二つに分かれていない

    最近は発展国と発展途上国という区別をしません。富める国と貧しい国。実際に多くの人が住んでいるのはどちらでもなく、中くらいの国です。二つに分けるのはシンプルでわかりやすいですが、間違っていては意味がありません。

    多くの人は世界は二つに分かれていて、その間に大きなギャップがあると考えています。しかし、その考えは大抵間違っていて、多くの人は実は真ん中にいるのです。貧しい人と裕福な人の間にある中間所得者層が多いのです。

    国連では発展国と発展途上国という二つの区切りではなく、レベル1(徒歩)、レベル2(自転車を所有)、レベル3(バイクを所有)、レベル4(クルマを所有)という四つの区分を使っています。日本やアメリカはレベル4です。そして、レベル4から見るとレベル3以下は貧しくみえる。

    「富める国と貧しい国の二極化してその差は広がっている」という世界観は正しくない。実際はレベル1だった国はレベル2に上がり、レベル2だった国はレベル3に上がってきている。一番多いのはレベル2とレベル3の国なんですね。そして、レベル4の国も増えてきている。

    線は直線とは限らないし、曲線もいろんな形がある

    このまま人口が増え続けたら地球は人間だらけになってしまう!と心配したことありませんか?それは人口が直線的に増えると考えてしまうからです。実際には子供の数は全く増えないので、人口の伸びも徐々に鈍化していくと予想されています。

    これは前に紹介したジェフリー・ウエストの”Scale”でも指摘されていましたが、人間はどうしても直線的に考えてしまいます。線は直線とは限らず、曲線にも色々な形があります。

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  • グローバルコミュニティーの作り方|第三回:Product Hunt|スタートアップの登竜門

    グローバルコミュニティーの作り方|第三回:Product Hunt|スタートアップの登竜門

    前回に引き続き今回もProduct Huntです。前回はProduct Hunt自身のコミュニティーづくりについてでしたが、今回はProduct Huntを実際に使ってどのようにコミュニティーを作るかを解説します。

    王道の流れはProduct Huntで上位にランクし、主要なメディアに取り上げられるというパターン。ここではProduct Huntの掲載方法と、それを主要メディアにフォローアップして掲載してもらうまでの流れを説明します。海外展開に海外のPR会社を雇う必要ありません。英語さえできれば個人で全部できます。ボク自身もService Dioramaでやりましたので、その経験に基づいて解説します。海外で自分のプロダクトについて知って欲しければ、この方法を試してみましょう。

     

    Product Huntとは

    アメリカ、ヨーロッパ、シンガポールといった英語圏のスタートアップがプロダクトをローンチする時にまず掲載を目指すサイトがいくつかあります。いきなりTechCrunchThe Next WebThe VergeといったメジャーなTechメディアでの掲載は無理です。もっと現実的に考えましょう。Redditの関連Sub RedditやHacker Newsは誰でも投稿できるのでやって損はありません。しかし、Redditはカルマが溜まってないとほぼ無視されますし、Hacker Newsも相当クールでないと無視されます。

    Product Huntは新しいプロダクトやサービスのランキングです。一般の人が掲載、投票します。ランキングは毎日変わって、その日にローンチした面白いプロダクトやサービスを知ることができます。新しモノ好きにはたまらないサイトです。プロダクトをローンチする側からしたらアーリーアダプターの集まりとも言えます。そういう意味ではオーディエンス的にはKickstarterにも似ていますね。

    Product Huntに自分のプロダクトを掲載する

    Product Huntに自分のプロダクトを掲載してもらう方法は二つあります。一つは掲載する権利を獲得して、自分で掲載する。もう一つは掲載する権利を持っている人に自分のプロダクトを掲載してもらう、です。

    自分で掲載する

    Product Huntに新しいプロダクトを掲載する(コントリビューターになる)には一定の条件があって、Product Huntのコミュニティーでの貢献が認められた人だけが掲載できます。明日プロダクトローンチだから今日Product Huntに登録しても、すぐには掲載できる権利はもらえません。

    ボクの場合は掲載できる権利がもらえるまで3カ月くらいかかりましたが、現在はこちらから確認することができます。ただ、最初はフォロワーが少ないので、掲載しても気づいてもらえない可能性があります。

    他人に掲載してもらう

    すでにProduct Huntのコントリビューターになっている人に人に掲載してもらう方法もあります。自分のサービスと似たようなサービスを掲載した人のプロフィールをチェックして、Twitterなどでコンタクトしてみるといいでしょう。その人自身が「あ、これは面白いな」と思ってくれればProduct Huntに登録してくれるでしょう。ボクも掲載できますが、やっぱり自分がいいサービスだと思わないと掲載はしませんね。自分のサービスはすげーからグローバルに知ってほしい!という日本のスタートアップはTwitterでご連絡ください。ただ、あとで説明する事前準備やフォローアップは自分でやってくださいね。

    掲載できる人のフォロワーが多ければ多いほど、たくさん票が入る可能性があります。

    掲載する事前準備

    成功はどれだけ準備できているかにかかっています。例えば、Product Huntに掲載しても上位に入らなければ意味がありません。上位に入っても主要メディアに取り上げられなければ効果は半減です。事前準備は非常に重要です。

    Product Huntで上位に入るための準備

    先ずは掲載された後にランキングで上位に入らなければいけません。できればトップになりたいところです。

    投票してくれそうな人と関係を作る

    Product HuntはRedditと少し似ていて、人によって一票の重みが違います(明示的にそうは説明されていませんが、経験上そう思います)。新しい人よりも常連の一票のほうが重い。自分のサービスに投票している友達を大量にProduct Huntに登録してもらうという行動はよくあります。そういう投票はあまり信用できませんよね。Product Huntを継続して利用している人の方が目利きの信頼性が高いと言えます。そこで、自分のサービスに興味がありそうな人を事前調査して、そのような人たちとコメントやメッセージでコンタクトをすることをお勧めします。

    友人や関係者に投票してもらうことは推奨されていません。注意しましょう。

    Product Huntだけの特別キャンペーンを準備する

    多くの成功しているキャンペーンはProduct Hunt用の特別なランディングページを準備しています。例えば、Product Huntのオーディエンスはほぼ英語圏の人たちなので、英語のランディングページでなければいけません。日本語のランディングページではダメですよ。

    他にもProduct Huntならではのイメージを出すためにGlasshole Kittyを使うこともオススメです。Glasshole KittyはGoogle Glassをつけた子猫のイメージで元々はProduct Huntのファンが作ったものを喜んだProduct Huntのスタッフがオフィシャルなイメージとして採用したものです。

     多くのプロジェクトはGlasshole Kittyを使った特別なランディングページを用意します。もし、プロダクトが有償なのであれば特別なキャンペーンコードを準備してProduct Hunt経由でランディングページに来てくれた場合は特別なディスカウントを提供する場合もあります。

    事前にメディアとコンタクトを取る

    もしProduct Huntで上位になった場合、主要メディアでの掲載を目指します。これもProduct Hunt掲載前に準備をしておくといいでしょう。

    メディアキットを作る

    どのようなメディアにどのようなストーリーで取り上げてもらうのか?何がユニークで何が強みなのか。これが簡単に説明されているメディアキットを作っておきます。スクリーンショットとかイメージ写真も用意してメディアキットに含めましょう。プロダクトを説明するビデオがあればベスト。これらはProduct Huntのプロダクト説明でも使えます。

    プレスリストを作る

    そして、各主要メディアで自分のプロダクトを取り上げてくれそうな記者をリストアップします。スタートアップ、ライフサイエンス、IoTなど記者によってカバー範囲が異なるので、適切な記者にコンタクトをすることが重要です。ハードウェアの記者にソフトウェアを紹介しても無視されるだけです。

    コンタクトする

    コンタクトはTwitterかメールで行います。どの記事を読んで記者を知ったのか(ちゃんとあなたの専門分野と興味がわかってコンタクトしているという意味)、その分野で新しいプロダクトを準備している、ローンチする日(Product Huntに掲載する日)はいつという情報をメディアキットを添えて記者に伝えます。もし興味も持ってくれれば事前に試してくれる可能性もあります。

    返信の可能性が高いのはメールではなくTwitterです、特にDM。対象の記者をフォローしてどのような発信をしているのか知りましょう。そして、返信したりリツイートしたりしましょう。ちゃんと関係性を事前に作っておくことが大事です。ボクの場合はTwitterでメディアリストを作りました。

    タイミングが合わずに掲載にはなりませんでしたが、Product HuntでService Dioramaのローンチ前にThe Vergeの記者と記事掲載に向けた話ができました。

    注意事項:タイムゾーンを意識する

    Product Huntはリアルタイムのランキングです。見て欲しいオーディエンスに見てもらうためにはタイムゾーンを意識する必要があります。英語圏なら先ずはアメリカですよね。そして、アメリカで最初に朝になるのは東海岸(ニューヨークなど)で、イギリスはまだお昼ですね。つまり、東海岸の朝に掲載することが重要です。Product Huntはアメリカの時間で前日のリストがリフレッシュされるので、東海岸でトップに入ればその日は上位を継続できる可能性が高まります。西海岸の朝に東海岸の昼。

    日本だけで働いているとタイムゾーンを意識したプロダクトローンチをしませんが、グローバルでプロダクトローンチをする場合はタイムゾーンを意識する必要があります。

     

  • グローバルコミュニティーの作り方|第二回:Product Hunt|プロダクトのコミュニティーづくり

    グローバルコミュニティーの作り方|第二回:Product Hunt|プロダクトのコミュニティーづくり

    スタートアップのグローバルコミュニティーはStartup Grindなどいくつかあります。その中でも特にオンラインでグローバルに存在感があるのはProduct Huntでしょう。Product Huntは英語のサイトなので日本ではあまり知られていませんが、英語圏ではスタートアップの登竜門とも言える重要なサイトです。

    今回はProduct Huntのそもそもの成り立ちについて解説します。Product Hunt自体はどうやってグローバルなコミュニティーを構築したのでしょうか。また、ZapierやBufferの創業者といったもっと有名な人たちとやっていたStartup Editionはうまくいかなかったのはなぜでしょうか。

     

     

    Product Huntを立ち上げる前、ライアン・フーヴァーは「ギグ経済」に生きていました。「ギグ」とはスポットの小さな仕事のことで、フリーランスがスポットの仕事をしながら生計を立てるスタイルを指します。以前の記事「書評|ソーシャルメディアの協同体|”Ours to Hack and to Own” by Trebor Scholz and etc」でも紹介したように、クラウドソーシングやシェアリング経済による搾取の仕組みは海外では徐々に批判の対象となりつつあります。

    ライアンも自分の価値が時間によってのみ測られる「ギグ経済」に不満を持っていました。そのアウトプットがどのような価値を産もうと1時間は1時間ですからね。ところが、Product HuntのMVPは20から30分、Product Hunt自体は8日間でローンチしています。そして、Angellistによって2000万ドル(約20億円)で買収されます。

    プロダクトのシグナル

    不満があっても具体的なアイデアがなければどうしようもありません。Product Huntのアイデアは「シグナル」という形でライアン・フーヴァーに訪れます。最初のシグナルはMessageMe(後にYahoo!が買収)でのチャットでした。ここに30人ほどの多くの起業家や投資家が集まり新しいアプリやサービスについてチャットしていました。

    そのほかにもオフラインでのシグナルがありました。映画が好きな人たちなら「この前あの映画見た?」のような会話をします。スタートアップが好きなら「あのアプリ試した?」のような会話をします。ある意味テンプレ化した会話ですね。しかし、このようなオフラインではテンプレ化した会話がオンラインではない。これもシグナルでした。

    最初のMVP

    ロンドンのMakeshiftが作ったLinkydinkというシステムで2013年11月に作ったメーリングリストがProduct Huntの最初のプロトタイプでした。ライアンが自分自身でRuby on Railsで作れば数週間かかるところ、Linkydinkを使えば20から30分でできました。

    ライアンはプログラミングもできましたが、どちらかといえばハッカー(デベロッパー)というよりはハスラー(ビジネス)の素養がありました。ライアンはProduct Huntを立ち上げる前にニール・イヤールのベストセラー”Hooked”(邦題:Hooked ハマるしかけ 使われつづけるサービスを生み出す[心理学]×[デザイン]の新ルール)の執筆を手伝います。そのため、行動心理学に基づいたデザインややり方を採用しています。ゴールは仮説を検証することで、システムはそれを検証するためという割り切りができています。

    Linkydinkで作ったメーリングリストのMVPの目的は「流行りのプロダクトのリストが求められている」という仮説の検証でした。 スタートアップはリスクがたくさんあります。そのため、最初は細かにリスクを取り除いていきます。「早く、安く、多く失敗する(Fail fast, fail cheap, fail often)」のはこのためです。

    結果は素晴らしいものでした。Sequoia CapitalやUnion Square Venturesといった大手のヴェンチャーキャピタルのほか、有力なスタートアップから大きな反応がありました。二週間で170人が新たにメーリングリストに登録しました。この成功の裏にはProduct Huntのアイデアの素晴らしさもありますが、ライアン自身のネットワークもありました。ライアン自身はブログ記事を多く書き他の媒体にもゲストライターとして記事を書いていました。こうしたオンライン上の信頼(Credibility)は何かをはじめる上で非常に重要だと振り返っています。

    LinkydinkでのMVP成功(クレジット:Ryan Hoover)


    プロダクト開発

    MVPで仮説が検証されたため、プロダクトとしてのProduct Huntのローンチの準備を始めます。ライアン自身も開発はできるものの、それほど複雑なことはできないため開発ができる人を見つけるために心当たりのある友人何人かにメールをします。

    その中でいい返事をくれたのがネイサン・バショウでした。

    ライアン「シンプルで技術的な知識がなくてもサクッと立ち上げるにはどうしたらいい?」

    ネイサン「もうすご感謝祭(11月の後半)で実家に戻るから、一緒にやってみる?」

    ライアン「もちろん、スゲーうれしい!」

    そして、8日後にできたのがProduct Huntでした。

    最初のProduct Hunt(クレジット:Ryan Hoover)

     

    当時、ライアンはフリーランスとして他の仕事をしていて、ネイサンもGeneral Assembly(WeWorkの教育版みたいなもの)でフルタイムで働いていました。数ヶ月はお互いにサイドプロジェクトとしてProduct Huntに関わります。

    サイドプロジェクトからスタートアップに

    2014年はProduct Huntにとって転換期となりました。ネイサンが仕事の関係でニューヨークに移り住むことになったのです。ライアンとネイサンはフルタイムでProduct Huntにコミットするか話し合いました。そして、ライアンはProduct Huntにフルタイムでコミットし、ネイサンはサイドプロジェクトのままニューヨークに移り住むことになります。

    スタートアップにフルコミットするのは大変です。安定した職業についていれば特にです。MailChimpも初期メンバーが抜けていますし、Dribbleもフルタイムになるまで時間をかけましたよね。Product Huntでも同様でした。

    Product Huntの場合、2014年7月にAirbnbと同様にY Combinatorのプログラムに合格することでフルタイムでのコミットメントの道が拓けます。さらに2014年の後半には610万ドル(約6億1000万円)の資金調達に成功します。

    コミュニティーの育て方

    ライアン自身はブログやミートアップを通じてサンフランシスコのスタートアップコミュニティーとつながりを持っていました。これがProduct Huntのコミュニティーのタネになります。これにメーリングリストやProduct Huntへの登録によって徐々に増えていきます。ライアンはコミュニティーをはじめる場合、このコミュニティーのタネとなる人達が一定の人数まで集まる必要があると考えています。

    このコミュニティーのタネをライアンは慎重に育てました。例えば、登録したばかりのユーザーはコメントをすることができませんでした。ボク自身もある程度Product Huntでの活動(投票やTwitterでのシェア)を継続的にして、ようやくコメントをすることが認められました。いまではそうでもありませんが、スタート当初はコミュニティーの雰囲気をよくコントロールしていました。

    最初のタネとなる人達はすでになんらかの形で知り合いです。これらの人たちはすでにエンゲージされている状態なので、特別な何かは必要ありません。しかし、新しく参加する人達もいます。ライアンはProduct Huntに登録してくれた人たちに一人一人お礼のメールを書きました。テンプレートを使わず、コピペもせず、一件づつ丁寧に。そして、Product Huntで特にアクティブな人には「Product Huntが好きそうな友達がいたら是非紹介して!招待状を送るから!」とアプローチしました。このようにユーザーを徐々に増やしながらよい雰囲気のコミュニティーに育てていきました。

    コミュニティー管理の問題

    もちろん、登録したユーザーに自動でテンプレ化したメッセージを送ることもできました。しかし、初期のコミュニティーづくりにはこのような手作り感が重要だと考えました。

    また、コミュニティーのサイズが大きくならないようにも注意を払いました。これはライアンとネイサンの二人しかいないので管理が行き届かないという問題もありました。Dribbleでも同じ理由で招待制にしていましたが、Product Huntもやはり最初は招待制でした。初期の頃は大きなオープンなコミュニティーよりも小さな町の集会のようなコミュニティーであることに心がけました。

    少し前にやっていたStartup Editionがサイドプロジェクトでとどまっていたのは、このようなコミュニティーが無かったからとも言えます。有名人がコンテンツを書いてもそれはいつか尽きてしまいます。

    コミュニティーのスケールアップ

    手の届く範囲で徐々にコミュニティーを作ると言ってもライアンはサンフランシスコ、ネイサンはニューヨークです。アメリカはとても広いので、その間には大きな空白地帯があります。オンラインでカバーするにしても親密さはなかなか生まれません。

    Product Huntがオフラインをカバーした方法がハッピーアワーです。ハッピーアワーはProduct Huntのファンが集まるミートアップのことです。それぞれの国や地域にProduct Huntのコミュニティーがあって、その人たちが集まる支援をProduct Huntがしています。

    ただ、これにもなかなか難しくって、ボクの場合はシンガポールのハッピーアワーには参加しましたが、アムステルダムのハッピーアワーには参加しませんでした。それを取り仕切る人の人望って大事なんですよね。主催者が仕切り屋すぎると参加者は受動的になるし、「自分たちのコミュニティー」というより「主催者のためのコミュニティー」という感じになってしまう。アムステルダムがまさにそんな感じでした。その地域のコミュニティーのために献身的に働いてくれる人でないと難しい。

    参考記事

    The Product Hunt Story: How it all began according to its founder Ryan Hoover

    How To Build Active Online Communities: Q&A With Product Hunt Founder Ryan Hoover

    Product Hunt Began as an Email List | Ryan Hoover

    Hunting for Habits: Keying in on smart design to… | Ryan Hoover

    How We Got Our First 2,000 Users Doing Things That Don’t Scale

  • グローバルコミュニティーの作り方|第一回:Kickstarter|クリエーターのためのコミュニティー

    グローバルコミュニティーの作り方|第一回:Kickstarter|クリエーターのためのコミュニティー

    21世紀のビジネスの特徴にコミュニティーの重視があります。20世紀だとブランドロイヤリティーが重要視されていましたが(もちろん、今も重要視されていますが)、コミュニティーはその一歩進んだ考え方です。ハーレーダビッドソンとかいい例ですよね。ハーレーダビッドソンのバイクに乗る人にとってはライフスタイルの象徴なわけです。これがブランドロイヤリティーの源泉ですね。そして、それはハーレーダビットソンを愛する人たちのコミュニティーで維持されている。コミュニティーがなければロイヤリティーもありません。今回の特集ではビジネスにおけるコミュニティーの重要性についてみていきたいと思います。

    第一回目はクラウドファンディングのKickstarterです。物理的なプロダクトを作るときの資金集めでクラウドファンディングは非常にありがたい存在です。OculusもPebbleもグローバルなプロダクトですがKickstarterがなければ存在しませんでした。

     

     

    そもそもクラウドファンディングとは

    資金を一般から調達するパブリックファンディング自体は昔からあって、新しいアイデアではありません。ホメロスは『イーリアス』の翻訳のため750人の支援者をパブリックファンディングで獲得して出版しました。モーツァルトもコンチェルト作成のためにパブリックファンディングを行いましたし、自由の女神もパブリックファンディングです。あれ、税金で作ってないですからね(本体はフランスからの贈り物で、台座はアメリカ側で一般の募金で資金調達)。

    このパブリックファンディングをインターネットで行うのがクラウドファンディングです。

    クラウドファンディングで成功するために必要なコミュニティー

    クラウドファンディングで成功するにはコミュニティーが必要です。そして、クラウドファンディングのコミュニティーには二つのレイヤーがあります。一つはその商品独自のコミュニティー。もう一つはクラウドファンディングのプラットフォームがもつコミュニティーです。

    商品独自のコミュニティー

    以前にインタビューしたIoTプラットフォームのThe Things Networkの場合、クラウドファンディングをはじめる前にワークショップをたくさん開催しました。実際にツールに触れてもらい、簡単にIoTネットワークを構築できることを体験してもらいました。そして、ワークショップ参加者の中から「早くこの商品が欲しい!」という声が十分あがるまで待ちました。例えば、支援する人(バッカー)が100人必要だったら、最初の20人をこのコミュニティーの中から確保する必要があります。以前に「Kickstarterで資金調達するときに大事な三つのこと」という記事を書きましたが、数日で20%達成したプロジェクトの79%は成功するからです。

    この商品独自のコミュニティーはローカルなコミュニティーで構いません。The Things Networkの場合も最初はアムステルダムでワークショップをやってました。オンラインのプロダクトならいきなりWebでグローバルもありでしょうが、今回はクラウドファンディング(=物理的なプロダクト)ということで物理的なプロダクト前提です。オンラインは第二回:ProductHuntでカバーします。

    プラットフォームのコミュニティー

    クラウドファンディングのコミュニティーは言語で分断化されています。本当の意味でグローバルなプラットフォームはまだありません。日本(だけ)でクラウドファンディングをしたければやっぱりMakuakeCampfireの方がいいですし、中国(だけ)だったらJD.comのジョンチョウ(众筹)でしょうし、韓国(だけ)だったらWadizでしょう。しかし、できるだけ多くの国をカバーしてグローバルコミュニティーに広げるならば英語でKickstarterでということになります。*1

    前置きが長くなりましたが、クラウドファンディングのプラットフォームにはその中に独自のコミュニティーがあります。Kickstarterは独自のコミュニティー作りに成功していて、その特徴の一つがリピート率です。Kickstarterは統計を公開していますが、クラウドファンディングを支援する人(バッカー)の30%以上がリピーターです。単純に考えると商品独自のコミュニティー(20)にプラットフォームのコミュニティー(30)を足せば半分以上がコミュニティーからの資金調達になります。残りが新規ですね。新規を獲得するのは大変ですから、コミュニティーの割合が高いほど成功の確率は高まります。

    それほどクラウドファンディングにとって大切なコミュニティーなのですが、そもそもKickstarterはどうやってコミュニティーを作り上げたのでしょうか?先に答えを言ってしまうとほぼ何もしていないです。では、どうやってここまで大きくなったんでしょう?

    Kickstarterのはじまり

    ペリー・チェン(2001/2002)

    Kickstarterの創業者の一人であるペリー・チェンはニューヨークで生まれて、ニューオリンズに移り住んでいました。2001年か2002年の頃の話です。いろんな仕事を掛け持ちしながら音楽もやっていました。音楽が好きだったら考えますよね。自分で好きなアーティストを呼べたらなあって。ペリー・チェンも同じことを考えていて、そのためのWebサイトとかあればいいのにと思っていました。でも、彼自身はデベロッパーでもないし、デザイナーでもないのでアイデアだけでとどまっていました。

    ヤンセイ・ストリクラー(2005)

    しかし、人生で選択を迫られる時ってあるものです。ペリー・チェンはニューオリンズで仕事がなくなって、ニューヨークに帰ることになりました。だったらレストランで働きつづけるより、自分のやりたいことを追いかけてみたら?そう考えたそうです。そして、ニューヨークに戻ってからウェイターとして働いていたレストランで二人目の創業者のヤンセイ・ストリクラーと出会います。これが2005年。そのレストランの常連だったヤンセイは音楽雑誌の記者だったので話があったのでしょうね。ペリーの考えているアイデアを二人で具体的にイメージしていきました。

    ペリー・チェンが描いた初期のワイヤーフレーム

    チャールズ・アドラー(2007)

    三人目の共同創業者のチャールズ・アドラーはシカゴのWebのデザインエージェンシーのAgency.com(今は吸収合併されて別の名前)に長年勤めていました。ほぼ初期メンバーですね。最後の方は(あまりやりたくない)営業職でしたが、それもこなしていました。上司とクライアントに行く途中に飛行場で「キミが失敗してもクビにしないから安心したまえ」と言われました。(ざけんじゃねーよ、オレはこの会社の苦しい時からやってきてんだ。てめー何様だ)と内心思いました。ちなみにこの上司は前の会社をクビになって移ってきたそうです。そして、チャールズは会社を辞めてニューヨークへ行きます。

    チャールズはニューヨークで自分のデザインスタジオを設立しました。そして、友達からペリーを紹介されます。最初にペリーと電話で話をした時、ぶっちゃけクライアント候補と考えていたそうです。ペリーは電話でアイデアについてまくし立て、チャールズは大まかに理解しました。まだ存在しないアイデアだけを人に伝えるのは難しいことも含め理解しました。そして、面白そうだと思いました。

    まず、数週間だけ一緒にコラボレーションすることにしました。まあ、ビールを奢ってくれればいいよと。その間に何か意味のあるものが生まれなかったらやめればいいし、意味があるものが生まれたらその時に考えようと。そして、それが続くことになります。チャールズが参加してから紙のワイヤーフレームからデジタル版に進みはじめました。チャールズは開発とデザインの両方ができました。ちなみに、これは2007年の話で、三人とも別の仕事をしていました。アイデアで食べていけませんからね。

    チームの立ち上げとローンチ(2009)

    チャールズは開発を進めるためにチームを作りはじめます。最初は外部の開発会社やデザインエージェンシー。4回目でようやくこれはと思えるチーム(アンディー・バイオとランス・アイヴィー)に当たったそうです。スタートアップの場合はあまり大きな金額を払うことができないので、株で参加してもらうことが多いですよね。Kickstarterも同様でした。

    そしていよいよ2009年にローンチします。最初の着想から8年ですね。最初にペリーがグレース・ジョーンズのTシャツプロジェクトを立ち上げ、ヤンセイがその最初の支援者となりました。この時点で初めて正社員を雇います。

    Kickstarterがマーケティングらしいことをしたのは50人の友人にプロジェクトをスタートさせる招待状を渡したこと。そしてその50人がそれぞれ5人の友達を招待できるように招待状をプレゼントしたことでした。たったそれだけ。そしてローンチから三日目で最初の成功プロジェクトが生まれました。

    Kickstarterにとってのプロダクトとコミュニティーとは

    Kickstarterの創業者たちはKickstarterをクラウドファンディングと言ったことはないそうです。Kickstarterはクリエーターが自分たちのやりたいことを実現するためのプラットフォームなのだそうです。その仕組みがたまたまクラウドファンディングだったと。

    そして、クリエーターを支援したい人たちがプロジェクトを見つけることができる場所でもある。クリエーターは自分たちのプロジェクトとともに自分たちのコミュニティーをKickstarterに呼び込み、Kickstarterのコミュニティーは徐々に広がります。

    参考文献

    Startup Grind Chicago Hosts Charles Adler (Co-founder Kickstarter) – YouTube

    at first i remember standing in my kitchen talking…

    How Was The First Year Of Kickstarter?

    Happy 3rd Birthday, Kickstarter! — Kickstarter

    Kickstarter and the Economics of Creativity (Full Session) – YouTube

    Employee #1: Kickstarter

    On to the next 2,271 days… – Hacker Noon

    Eight Years of Kickstarter (1 of 2) – Lance Ivy – Medium

    関連記事

     

    *1:日本語でKickstarterはオススメしないです。日本語なら素直にMakuakeでやりましょう。Makuake(日本語)で成功してから、次のステップででKickstarter(英語)やジンチョウ(中国語)というのはアリです。

  • なぜブロックチェーンは自由なのか|第三回:自由からも自由になったイーサリアム

    なぜブロックチェーンは自由なのか|第三回:自由からも自由になったイーサリアム

    今回の特集はブロックチェーンです。第一回目はブロックチェーンが生まれる背景となるサイファーパンク第二回目はサイファーパンクとビットコインをつないだハル・フィニーの話でした。サイファーパンクもそこから生まれたビットコインもアメリカの完全自由主義が背景にあります。ある意味、完全自由主義に縛られていた面もあるかと思います。そして、アメリカの完全自由主義からも自由になったのがロシア生まれのカナダ人であるヴィタリック・ブテリンのイーサリアムなのかもしれません。

     

     

    なぜビットコイン/ブロックチェーンは自由なのか

    サイファーパンクから生まれたビットコインは必然的に自由を求めます。

    サイファーパンクはリバタリアン(完全自由主義者)の集まりでした。 完全自由主義は権威主義の反対ですね(下のノーラン・チャート参照)。アメリカでは選挙権を持つ10%から20%が完全自由主義者と言われています。さすが自由の国アメリカ。「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する (Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.) 」が彼らの信念です。

    名前がリベラルに似てるので勘違いされがちですが、リバタリアンはリベラルと全く違います。リベラルは「大きな政府」で、保守は「小さな政府」をよしとします。リバタリアンはは全く政府のない状態を理想とします。日本は与党も野党もリベラル(大きな政府と社会保障)なので、なかなか理解しづらいコンセプトだと思います。

    サイファーパンクの人たちが政府の干渉を嫌い、暗号化技術で自由を勝ち取ろうとしたのはこのような背景があります。

    ロシアから来た少年

    ヴィタリック・ブテリンはモスクワで生まれ、6歳の時の両親とカナダに移住しました。ヴィタリックがビットコインと出会うのは2011年、17歳の時です。父親のデミトリーはエンジニアでスタートアップを立ち上げていました。その父親から教えてもらいました。まだビットコインが誕生して2年しか経っていませんでした。その頃はオンラインゲームのWorld of Warcraftにハマっていて、興味は持てなかったそうですが、徐々に他の人からもビットコインについて聞くようになり興味を持ちました。

    ヴィタリックはビットコインのブログで記事一つあたり5BTCで記事を書くことになります。これでビットコインのTシャツとか買ったそうです。しかし、このブログはすぐに破綻してしまいます。当時はそれほどビットコインに関心を持つ人がいなかったからです。

    それでもビットコインの情熱を失わなかったヴィタリックは2012年に最初のビットコインメディアであるBitcoin Magazineをミハイ・アリジエと共に立ち上げます。

    イーサリアムの立ち上げ

    2013年にサンノゼで開催された暗号化通貨のイベントがヴィタリックにとって大きな転換期となります。ここで多くの人と関わり、実際のプロジェクトを体験することで暗号化通貨の可能性を確信し、次の学期に大学を中退します。大学を辞めたヴィタリックはイスラエルやアムステルダムなど世界中にいる暗号化通貨の関係者を訪れます。そして、多くの人たちがやろうとしているビットコイン2.0は上手くいかないと考えるようになります。

    ビットコインはセキュリティーの関係上、その上にアプリケーションを作りにくくなっている。ビットコインの上に何かを作るのではなく、新しいものを作らなければいけない。ヴィタリックは早速トロントに戻り、ホワイトペーパーを作成。15人の友人に送りました。これがイーサリアムになります。

    イーサリアムとリバタリアン(完全自由主義)

    ピーター・ティール

    ピーター・ティールはPayPalの創業者として有名で、イーロン・マスクを含むPayPalギャングの親分格とされています。最近ではデータ分析企業でユニコーンのパランティアの共同創業者としても有名ですよね。彼が立ち上げたベンチャーキャピタルのFounders Fundは大量のビットコインを購入して資産を大きく増やしました。そして、ピーター・ティールは生粋のリバタリアンでもあります。

    暗号化は完全自由主義者、AIは共産主義者 by ピーター・ティール *1
    “Crypto is libertarian, AI is communist”by Peter Thiel

    そして、ヴィタリック・ブテリンは2014年にピーター・ティールの立ち上げたThiel Fellowshipのフェローの一人として10万ドルを受け取り、これを元にイーサリアムの開発を本格化します。ちなみに、これを受け取れるのは学校をドロップアウト(中退)した若者だけです。

    その後、ヴィタリックと創業チームはクラウドファンディングで1800万ドルを調達し、翌年の2015年7月にイーサリアムをローンチします。

    スマートコントラクト

    イーサリアムの特徴の一つがスマートコントラクトです。ビットコインがサイファーパンクによるイノベーションの集大成だったのと同様に、イーサリアムもサイファーパンクのイノベーションを活用しています。スマートコントラクトもその一つです。

    スマートコントラクトの名付け親はサイファーパンクのニック・サボです。1996年にネットワーク上のプロトコルとしてプログラムされる「スマートコントラクト」のアイデア”Smart Contracts: Building Blocks for Digital Markets“を発表し、1998年にはそれを使った暗号化通貨Bit Goldのアイデアを発表します。このアイデアはすぐに実現しませんでしたが、暗号化通貨はビットコイン、スマートコントラクトはイーサリアムで実装されます。

    ビットコインは人間が使う暗号化通貨で、イーサリアムはマシンが使う暗号化通貨です。暗号化の思想の根幹にあるのが人間の自由なので、暗号化は人のためにあり、契約も人のものなんですね。イーサリアムはそこから一歩踏み出した形になります。

    ヴィタリック・ブテリン

    イーサリアムはあらゆる意味でリバタリアンの血を引き継いでいますが、そこから適当な距離も取ってもいます。ヴィタリック自身もリバタリアンではありません。ウラジミール・プーチンを含む多くの政治家たちと会う機会があり、概ねよい印象を持ったそうです。むしろ、暗号化通貨のコミュニティーの諍いに辟易しているようでもあります。

    ビットコインはサイファーパンクの思想を強く引き継いでいます。これはこれで良いことなのですが、しなやかさを失う部分もあります。イーサリアムはそこから一歩引いた立場にいるため、思想に縛られないところがあります。例えばThe DAOのハッキングでハードフォークをすることに決めましたが、賛否両論あるものの、このような判断ができたのも理想より現実をとるしなやかさのためだと思います。

    イーサリアムでブロックチェーンもようやく「自由」から自由になれたんですね。

    参考文献

    Bitcorati Interview Series : Vitalik Buterin – Head Writer, Bitcoin Magazine – YouTube

    The Abelard School | Toronto Private School | Canada | – ALUMNI

    The Rise of Smart Contracts : Hodl the Moon

    Who is Nick Szabo, The Mysterious Blockchain Titan – unblock.net

    Cryptocurrency Might be a Path to Authoritarianism – The Atlantic

    Here’s Why Billionaire Peter Thiel Said ‘Crypto Is Libertarian, A.I. Is Communist’ | Inc.com

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    *1:ちなみにパランティアのデータ解析はAIではなくAIと人の解析を組み合わせたIntelligence Augmentationです

  • 中国のヨドバシカメラ JD.comが日本企業から学んだこと

    中国のヨドバシカメラ JD.comが日本企業から学んだこと

    中国のスタートアップはすでに巨大プラットフォーマーとなったアリババ、テンセント、バイドゥのBAT(Baidu, Alibaba, Tencent)の他、それに続くユニコーンのトウティアオ、メイトゥアン、ディディチューシンのTMD(Toutiao, Meituan-Dianping, Didi) について記事を見かけることは多いかもしれません。今回取り上げるJD.comはすでにIPOしているのでユニコーンというよりもすでに大企業ですが、その傘下の物流企業や金融企業はまだ非上場なのでユニコーンとして数えられています。

    JD.comを日本の企業で例えるとヨドバシカメラですかね。ヨドバシカメラもそうですが、家電は意外とAmazonの手が届きづらいのか、世界で競合会社があります。アメリカならベストバイですし、ヨーロッパだとドイツのメディア・マルクト(Media Markt)やフランスのフナック(Fnac)とか。それにしてもなんでJD.comはこれほど成功したのでしょうか?

     

    大学時代と最初の失敗

    中国の起業家ではよくある話のなのですがJD.com(京东)を立ち上げるリチャード・リュウ(刘强东)の家庭も貧しく、北京大学入学のために上京してきた時、家庭からの仕送りをもらわないことに決めて、プログラミングをしながら学費と生活費を稼ぎました。

    そして、リチャード・リュウの起業人生は大学四年の時に大学近くのレストランをプログラミングで稼いだお金と親族からの借金の24万元で買ったことからはじまります。このレストラン業が失敗して資金を失っただけでなく20万元(日本円で330万円くらいですが、当時の中国での価値はもっと大きかったでしょうね)の借金を背負うことになります。起業という甘い夢。魔が刺しちゃったんですかね。

    しかし、この失敗で起業の夢を失うことはなかったようです。ただ、借金は返さないといけないので、卒業後は日本生命の中国支社に就職します。日本企業ではミスが許されない文化でした。大学時代のアルバイトや最初に経営したレストランではミスを許していました。このミスを許さない姿勢に大きく影響を受けたそうです。更に、物流、調達、ITなど様々な経営の仕組みを学んでいきます。

    起業と失恋

    借金を全て返済したリチャード・リュウは1998年に再び起業します。これがJD.com(京东)です。なんと、後にライバルとなるアリババの一年前に起業してるんですね。最初は親に黙って起業しました。しかし、不審に思った母親が事前の連絡なしに北京を訪れ日本企業をやめてしまったことがバレたそうです。そして、そのことにすごく悲しんだそうです。しかも、当時付き合っていたガールフレンドからも起業が原因で別れを告げられてしまいます。当時の中国ではスタートアップはならず者のやることだったんですね!まあ、日本でも似たようなもんだったでしょうね。

    それにしても、金もない、技術もない、頼る人もいない中での起業で、周りからの理解も得られなかったのはツラかったそうです。それでもやるのがすごいと思います。

    オンラインビジネスへの転換のきっかけ

    当時のビジネスはパソコンショップでした。まだあまりパソコンの操作に慣れた人がいなかったため、差別化のために無償トレーニングを提供していました。Gome(国美電器)が最も大きいパソコンショップチェーンで、いつかはGomeのようになると考えていたそうです。そんな夢を打ち砕いたのがSARSでした。

    これはアリババの映画でも確認できますが、SARSが猛威を振るっていた頃(2002年11月から2003年7月)、外出は制限されていました。リチャード・リュウも店を閉めて、在庫管理を家からしなければいけませんでした。顧客とのコンタクトは店のオンラインフォーラムで、ここで全てのやりとり不眠不休でおこないました。

    この経験でオンラインでのビジネスの可能性を見出します。SARSの脅威がなくなり、店を再び開けましたが、2004年1月1日にオンラインビジネスに転換することを決めます。これが正式な起業の年となります。最初は三人のスタッフと98種類の製品でのスタートでした。この時、リチャード・リュウは30歳でした。そして翌年には店舗を占めて完全にオンラインでビジネスを行うことを決めます。そして起業から10年でIPOすることになります。

    リチャード・リュウがSARSの期間に気づいたのは、日本企業に勤めていた時に学んだ物流の大切さだったそうです。そこで、オンラインビジネスに舵を切る時に物流に力を入れることにします。

    起業から十年間、何度もやめようと思ったそうです。IPOの時は40歳でしたが、かなり白髪が増えたそうです。実際にJD.comは利益が出ていません。Amazonは戦略的な投資を多く行うことで利益を出さないことで有名ですが。JD.comもロボットやドローンを使った最先端のロジスティックに投資していますが、AmazonにとってのAWSのような次の「金のなる木」が見つかっていないのが気になります。

    (ソース:Stockclip)

    大企業の目論見

    利益が出ていないにも関わらず、JD.comはテンセントやウォルマートが投資をしています。これは中国のeコマースがまだまだ成長するという期待もあるのでしょうが、それぞれの企業の思惑が大きい気がします。つまり、JD.comを理解するにはそれを取り巻くエコシステム全体を理解する必要があるということです。

    eコマースは大きく分けてC2CとB2Cの二種類があります。日本を例に例えるとC2Cはヤフオクや楽天市場の個人商店。メルカリもそうですね。B2Bはアマゾンやヨドバシドットコムですね。中国のeコマースではアリババが有名ですが、C2Cがタオバオ、B2CがTmallと二つのプラットフォームを運営しています。ちなみに本家のアリババはB2Bのコマースサイトですね。そして、JD.comはB2Cのeコマースなので直接競合しているのはTmallになり、この分野ではJD.comは最大のシェアを持っています。

    テンセントの目論見

    IPO前にテンセントがJD.comが投資により株式を15%取得して筆頭株主になっています。テンセントとしてはアリババのAlipayとの競合の関係上、WeChatの優位性を持たせるためにコマースなどO2Oのパートナーが欲しい。ペイメントに関しては常にアリババが先行していて、テンセントは追う立場ですからね。そこで白羽の矢が当たったのがB2CのeコマースでトップシェアのJD.comでした。

    この効果はJD.comにとっても絶大だったようで、新規顧客の1/3はWeChatからのトラフィックだったそうです。上のチャートを見てもらえばわかるように、売上げも営業利益率も2015年から改善しています。売り上げはわかるけど、なぜ利益まで?それはこのパートナーシップのおかげで5年間は無料でWeChatから送客されることが大きいと思います。つまり、1/3の新規顧客のCPA(Cost Per Acquisition)がゼロな訳です。そりゃ利益も改善するよ。

    ウォルマートの目論見

    中国市場を狙っているのはウォルマートも同じです。ウォルマートは2011年から日用品のeコマースサイトのイーハオディエン(1号店)に投資をし続け、2015年には完全買収をしました。イーハオディエンもカテゴリーとしてはJD.comと同じB2Cのeコマースです。しかし、一度は手にした100%資本の中国法人ですが、2016年にあっさりと5%の株式交換でJD.comに売却してしまいます。これによりウォルマートもJD.comの大株主に仲間入りです。これは勝ち馬に乗ろうということでしょうね。

    Googleの目論見

    Googleも少額(それでも5億5000万ドル)ではありますがJD.comに投資をすることを2018年6月に発表しました。そして、それに先立つ2018年1月にテンセントとGoogleは特許の共有協定を締結しています。偶然なんですかね?

    Googleは検索においてバイドゥ(百度)とガチバトルをして中国市場から撤退した経験があります。それから2017年にAIを軸にして中国市場に足場を築こうとしています。これは想像なんですが、Googleはガチバトルではなく、パートナーシップで中国市場にプレゼンスを確保する戦略に切り替えたのではないでしょうか。

    参考資料

    京东创始人刘强东创业史:女朋友父母认为我是耻辱_创业&资本 – 前瞻网

    刘强东的创业经历和故事,讲述刘强东的创业史

    Q&A: JD.com Founder and Chief Executive Richard Liu – China Real Time Report – WSJ

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  • はじめての中国Fintech:モバイルペイメント編【赤盤】

    はじめての中国Fintech:モバイルペイメント編【赤盤】

    モバイルペイメントというのはモバイルとペイメントが合わさった言葉です、あたりまえですが。つまり、モバイルとペイメントの両方の発展を見ていくことによって、より理解が深まるのですね。中国のモバイルペイメントについて様々な記事を見かけます、その時のニュースについて知ることは大事なのですが、その背景や経緯などを理解すると、さらに深い知識となります。

    まあ、よく考えてくださいよ。ある日いきなりドカンと新しいものが出てくるなんてないわけですよ。スティーブン・ジョンソンは著書『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』で一つのイノベーションが生まれるためには複数の要素が一定水準に達する必要があることを隣接可能性と呼んでいます。スマホだっていくつかのイノベーションが組み合わさってできている。これはモバイルペイメントも同じ。AlipayやWeChat Payが普及するまで、それが機能するための複数の要素が十分に中国で普及する必要があったわけです。

     

    モバイルペイメントの条件

    まず、モバイルペイメントを実現するためにいくつかの要素が必要になります。

    1. 金融機関の受け入れ態勢
    2. 消費者の受け入れ態勢
    3. 店舗の受け入れ態勢

    まず第一に、金融機関がペイメントを受け入れられなければそもそも支払いができません。銀行でもPayPalのような第三者決済機関でもいいのですが、決済機関は必要です。

    次に消費者が実際に買い物をするために使うモバイル端末が必要です。現金だったら必要ないですが、モバイルペイメントというから人はモバイル端末を使うわけです。それが利用されるにはメリットがないといけない。例えば、お金を持ち歩かなくてすむとモバイルペイメントでなければ買えないものがあるとか。そしてUXの問題。普通に考えればスマホを取り出して、アプリを起動してQRコードやICカードを読み取るって面倒な作業です。ステップ数的には現金やカードより多い。それなりのメリットがなければ使わないですよね。

    そして最後に買い物をする店舗側での受け入れ準備が必要です。QRコードを使うならQRコードを表示したり、読み取ったりしなければいけません。ICチップならICチップを読み取る機械が必要です。また、手数料が低いほど受け入れやすい。小売は薄利多売が多いので、利益を大きく圧迫する仕組みは受け入れられません。

    この三つの要素が十分に成熟して、銀行、消費者、店舗がWin Win Winの状態になってはじめてモバイルペイメントが実現できます。では、中国でそれぞれの要素がどのように発展していったのでしょうか。

    2002年:オフライン主体で金融インフラ構築段階

    金融機関の受け入れ:NG

    中国で一番最初のオンライン決済の仕組みはAlipay(支付宝)でもなければUnionPay(银联)でもありません。1998年にできたPayEase(首易信支付)が一番はじめです。しかし、初期のPayEaseは銀行のサイトで最終的な決済手続きをしなければならず、使い勝手が悪く普及しませんでした。

    むしろ、銀行がバラバラのシステムを使っているのが問題でした。これは日本の銀行でもそうでしたが、中国でも別の銀行のキャッシュカードを使ってお金を引き出すことができませんでした。さらに、同じ銀行でも別の地方では使えませんでした。これを解決するために生まれたのがUnionPayです。

    中国ではあまり銀行は信用されていません。少なくとも、銀行の支店は信用されていません。おそらく日本の銀行以上に事務的で官僚的でプロセスが遅い。だいたい中国人の友達と話をすると銀行の悪口が話題にのぼります。自分自身が体験したわけではないですが、話を聞くと確かにひどいなと思うことが多かったです。

    中国の銀行にはその頭文字を使ったニックネームがあります。例えば、中国工商银行(ICBC)だと「貯金は好きだけど貯金しない(爱存不存:I Cun Bu Cun)」とか中国农业银行(ABC)だと「ああ、貯金しないの?(啊?不存?:Ah, Bu Cun)」とか。香港のHSBCですら「それでも貯金しない!(还是不存!:Hai She Bu Cun)」ですからね。全ての銀行にこのようなニックネームがあります。まあ、銀行に勤めている人にとっては残念ですが、銀行はどこの国でも嫌われる運命にあるようです。

    そういう背景もあり、窓口の必要ない銀行カードの利便化は強く求められていました。

    これはペイメントにとって重要な一歩ですが、2004年まで店舗でUnionPayは使えませんでした。

    消費者の受け入れ:NG

    当時の中国では現在ほど携帯電話は普及していません。当然ながらスマホなんてありません。コミュニケーションは電話かSMSです。特にSMSは若者に人気が出ました。

    Nokia 3310(クレジット:中国网)

    ノキアはいち早く中国のピンイン(拼音)での入力をサポートしたためにモトローラから大きくシェアを奪いました。日本でもポケベルのコミュニケーションが流行りましたが、中国でもSMSによる数字のコミュニケーションが流行ります。例えば880だと「キミを抱きしめる(抱抱你:ba ba ling)」だし1314520だと「キミを一生愛する(一生一世都爱你:yi san yi si wo er ling)」といった感じです。

    余談ですが、中国では数字を数えるハンドサインも日本とは異なるので、数字を手で数える方法を覚えておくと中国で暮らすには便利ですよ。一から十まで片手で数えます。これ、本当によく使います。

    店舗の受け入れ:NG

    いろんな資料を読むとこの当時からSMSを使ったペイメントの仕組みが中国にもあったようですが、うーん、どうなんでしょう。ボクとしては今ひとつピンときません。SMSによるモバイルペイメントの成功事例といえばケニアのMペサですが、Mペサだって2007年ですからね。その5年前に中国でSMSのペイメントがあったと言われてもねえ。

    UnionPayは基本的にはデビットカードの発行が主体で、店舗にPOS端末につながるカードリーダーを貸し出し対応店舗を獲得していきます。最初のフォーカスはオンラインではなくオフラインでのペイメントでした。

    2005年:オンラインペイメントの誕生

    金融機関の受け入れ:OK

    UnionPayは今でこそ日本のヨドバシカメラでもUnionPayでの支払いを受け付けていますが、デビットカードとして機能して店舗のPOSで受け付けることができるようになったのは2004年以降です。少なくとも、金融機関側の受け入れ準備ができたのはこの年です。後は消費者と店舗の受け入れさえできればいい状態。

    この前年の2004年はアリババ(阿里巴巴)がAlipay(支付宝)をローンチした年でした。タオバオ(淘宝网)の中だけですが、中国で有力な第三者決済機関が生まれたのです。そして、2005年にはAlipayに続きPayPalが中国でビジネスを開始して、テンセントもTenPay(财付通)で追従します。

    モバイルペイメントが中国で普及する理由の一つとして「中国ではパソコンを飛ばしてモバイルが発展した」と言われることがありますが、カタパルトスープレックスではそう考えていません。スマホ普及以前に中国のオンラインコマースは急成長していましたし、それを背景に中国では第三者決済機関が生まれます。アメリカではPayPalが生まれましたが、日本を含む多くの国ではクレジットカードをつなぐペイメントゲートウェイは生まれても、第三者決済機関は生まれませんでした。

    また、「中国ではクレジットカードの利用が低いからモバイルペイメントが使われる」という説明も同様です。それだとクレジットカードの国であるアメリカからPayPalが生まれた説明ができません。たくさんある要素の一つだとは思いますが、決定的な要素ではないでしょう。

    消費者の受け入れ:NG

    この時点でも基本的な携帯電話の機能は変わりません。まだまだ電話とSMSだけです。しかし、2005年は携帯電話が普及しはじめる年でもありました。そして、中国で最も使われた携帯電話は中国国産のNingbo Bird(宁波波导)でした。スマホが普及するまで中国の携帯電話といえばこれだったのです。オンラインでのコマースはまだまだブラウザーベースのeコマースが主体でした。

    スマホ登場まで中国で人気だったNingbo Bird

    シャオミー(小米)のような中国国産スマホが受け入れられる土壌はここから生まれています。

    店舗の受け入れ:NG

    2005年の最初のオンラインペイメントブームを牽引したのはeコマースです。アリババのタオバオがeBayを中国における取引量で追い越した年でもあります。カタパルトスープレックスを隅から隅まで読んでいる人ならわかってますよね!日本の楽天や楽天ペイがどうしてそうならなかったのは不思議ですよね。

    オフラインもようやくUnionPayのデビットカードが普及しはじめました。ATMで現金の引き出しだけでなく、水道、電気、ガス等の公共料金の支払いや店舗側のPOS端末で支払いができるようになりました。セキュリティーの問題のあった磁気カードからUnionPayのバージョン2からICチップに移行しはじめたのもこの頃です。

    このようにオンラインでの第三者決済機関(Alipay)とオフラインでは銀行(UnionPay)は異なる発展をしてきました。

    2010年:モバイルペイメント元年(オンラインとオフラインの境界線がなくなる)

    金融機関の受け入れ:OK

    オフラインのペイメントではUnionPayの標準バージョン2は2004年から推進されていましたが、信頼性が高まり普及したのは2009年からです。この標準はICカードやPOSシステム、モバイルペイメントなど8の大分類からなる技術標準でした。

    オンラインのペイメントでは2010年から第三者決済機関はライセンス制度となります *1。中央銀行である中国人民銀行からライセンスを持っていないと事業ができないことになりました。海外のペイメントプラットフォームの参入が難しくなるのもこのころですね。ルールがない状態からルールを作り、徐々に実態に合わせていくことになります。2011年にはAlipayがQRコードでのペイメントを発表し、オフラインとオンラインの境界線がなくなります。そして2013年にAlipayはPayPalを抜いて世界一のペイメントプラットフォームとなりました。それだけではありません、

    Alipayは日本のペイメントプラットフォームと違い、もともとクレジットカードへの依存は高くありませんでした。それでも、中国の銀行への依存度は高い。そこで、Alipayはユアバオ(余额宝)というマネーリザーブファンドを立ち上げて、ほぼ銀行のようなことができるようになりました。つまり、この年にAlipayは銀行が集まって作ったUnionPayと直接対決できるまで力をつけます。当然ながら、テンセントもこの動きに追従してリーツァイトン(理财通)を立ち上げます。

    アリババがNFCではなくQRコードを採用したのはコストの問題もあったでしょうが、店舗のICカードリーダーはUnionPayのインフラなので、そこに乗りたくないという思惑もあったのではないかと思います。UnionPayはQuickPass(闪付)というブランドでNFCによるペイメントをオフラインで推進してきました。オフラインのインフラではUnionPayに一日の長があるので、同じ土俵では勝てません。

    消費者の受け入れ:OK

    2008年にiPhoneが中国で発売され、中国でもスマホ時代がはじまります。また、レイ・ジュンがシャオミー(小米)を起業するのが2010年です。AlipayがQRコード対応したのはこのようなスマホの普及に合わせたものです。ニーズがないのにインフラ作っても仕方ないですからね。

    小米1(クレジット:百度百科)

    Alipayが2011年、テンセントがWechatPayを2014年にリリースしたことで、インフラとして消費者が受け入れることができる体制ができました。あとはスマホがどれだけ普及するかという問題だけです。

    店舗側の受け入れ:OK

    店舗側でモバイルペイメントを受け入れるためにはコストの問題を解決しなければいけません。UnionPayが店舗側で普及した要因の一つとして手数料の安さがあります。VisaやMasterCardなどメジャーなクレジットカードの場合、1%から5%の手数料が発生します。粗利の低い小売では大きい。中国ではUnionPayのクレジットカード手数料は0.3%、デビットカード手数料は0.1%以下なので、コストが安く、店舗側に大きなメリットがあります。

    しかし、どれだけ手数料が安くてもPOSレジはコストがかかります。QRコードはこのPOSレジの必要性をなくしました。つまり、モバイルペイメントを導入する初期費用が限りなく安い。QRコードを印刷するだけですからね。

    初期費用が安くても運用費用が高ければ普及しません。特に手数料ですね。AlipayもWeChat Payも一回あたりのペイメントの手数料はかかりません。これは大きい。Alipayの場合、2万元(約33万円)を超えた分について現金化をすると0.1%の手数料がかかりますが。UnionPayのデビットカードと同じくらいですね。十分安い。しかも、アリババにはユアバオというお金を貯めておく仕組みがあります。そのため、現金として使わないのであればユアバオに貯めておく方が現実的です。そうなると手数料はゼロで銀行の口座よりも高い利息がつきます。銀行よりメリットが大きい。

    ちなみに、日本のQRコードのペイメントの先駆者であるOrigamiの場合は手数料が3.5%なのでクレジットカードなみです。楽天ペイも3.24%です。日本のペイメントの場合はクレジットカードのプラットフォームに乗ってしまってるから仕方ないのですけどね。また、日本のペイメントの場合は「決済手数料0円」となっていても、それはトランザクションフィーのことで、クレジットカードの決済手数料は必要だったり、年間100万円以下の決済まで無料などの限度があったりするのでわかりにくいです。

    中国の場合はわかりやすく、UnionPayのデビットカードより導入設置費用と運用費用がやすいため、QRコードによるモバイルペイメントの仕組みはこれまでPOSを導入できなかった小さな店舗や個人商店、露天にまで広がりました。Mobikeのような無人店舗でも使えるのでユースケースは広がります *2

    アリババの儲かる仕組み

    手数料があまりに安いとアリババが儲からない気がしますが、ちゃんと儲ける仕組みがあります。銀行が利益を出す仕組みは二つあります。一つは取扱手数料。例えばATMの手数料ですね。どこの銀行もこれはあまり大きくありません。大きいのはもう一つの利ざや収入です。アリババを含む中国の第三者決済機関は厳密には銀行ではないですが基本的に同じ仕組みです。

    銀行の場合、顧客から預金を集めて、そのお金を企業や個人に貸し出しています。預金に対して支払う利子と、融資先から徴収する利子の差額(利ざや)が銀行の最終的な利益となります。お金を集めるほど、大きなお金が運用でき、利ざやも大きくなります。AlipayやWeChat Payの場合、使ってもらったほうがお金が集まるので、手数料が安いのです。

    アリババというとQRコードのモバイルペイメントだけが注目されますが、ユアバオ(余额宝)というマネーリザーブファンド(預金機能)とマーイーフアベイ(蚂蚁花呗)という金融商品がセットとなっていると考える方がビジネス的にはしっくりくると思います。更にセサミ・クレジット(芝麻信用)というAlipayの利用状況を反映した信用情報を持っていて、貸し出しリスクを減らすことができます。これがAnt Financial(蚂蚁金服)がUberやAirbnbより大きな世界最大のユニコーン企業とされる原動力ですね。

    でも、これからも儲けられる?

    正直、わかりません。

    これはどこの国もそうですが、金融機関は強い規制のもとに運営されています。アリババのような第三者決済機関はほぼ銀行のような運営をしているので、徐々に銀行と同様の規制が強まってきています。これは日本でも同様です。日本でAlipayやWeChat Payのようなサービスをやると仮定して、SuicaやNanacoと同様に資金決算法により供託金を拠出しないといけません。供託金は運用できないんですね。利ざやを稼げない。

    日本の「供託金」は中国では「ベイフージン(备付金)」が近いと思います。日本の漢字だと備え付けるお金で「備付金」です。これは法律で決まっていて2013年に発布された「支付机构客户备付金存管办法」に基づきます。以下はアリババのユアバオの資産配分です。「ベイフージン(备付金)」と銀行に預ける預金は87.11%ですね。これが利益収入になります。

    ユアバオの2017年度2期、3期の資産配分(クレジット:蔡凯龙)

    この「ベイフージン(备付金)」に対する規制は年々高まってきています。今後は日本の供託金より厳しい規制になりそうなので、いつまで同様のビジネスモデルが通用するのかは未知数です。

    まとめ

    よく、「中国は偽札が多くて現金が信用されず、それがモバイルペイメントの普及の原因」と言われます。もちろん、それもあると思います。ATMから偽札が出てきますからね *3。しかし、スーツケースに現金を詰め込んでロールスロイスを買う人もいるんです *4

    っというわけで、何か一つの要因だけで説明できるほど単純ではありません。通説が間違いだとは言いません。それらも合わせて色んな要素があるのです。色々な複合的な発展が合わさってモバイルペイメントが普及する土台ができてきたことを理解することは重要だと思います。これを無視して「これからはQRコードが主流になる!」と息巻いて日本で同じことをやろうとしても、日本は同じ状況(法律やPOS普及率)ではないので、同じ実装(手数料ゼロとか)にはなりませんし、同じ結果にはなりません。日本には日本の最適解が見つかると思いますよ!

    参考文献

    China’s Mobile Revolution: 15 years in phones – Thatsmags.com

    中国银联_百度百科

    回顾:中国银行卡产业发展史 – 中国一卡通网

    中国3G_百度百科

    银联股权十年变迁史:一直没有控股股东_网易科技

    手机支付的发展历程

    第三方支付发展史,一路走来到底经历了什么?

    首信易支付_百度百科

    支付宝不收用户一分钱,却越做越大,那马云的支付宝是怎么盈利的?

    余额宝自废武功,马云手握1.5万亿却很委屈_腾讯财经_腾讯网

    支付宝海量沉淀备付金倒逼余额宝,蚂蚁金服2017年上市_营销案例_新闻资讯-商界招商网

    一般社団法人日本資金決済業協会|発行保証金の供託について

    UnionPay takes mobile payment services fight to Alibaba and Tencent with integrated app | South China Morning Post

    AB+F: UnionPay moves into mobile payments outside China

    関連記事

     

    *1:非金融机构决済服务管理弁法

    *2:これはNFCでもできますが

    *3:ボクのインド人部下が中国出張の時に被害にあいました

    *4:これはボクの目で実際に見ました!

  • 書評|バーチャルリアリティーの歴史|Dawn of the New Everything by Jaron Lanier

    書評|バーチャルリアリティーの歴史|Dawn of the New Everything by Jaron Lanier

    ジャロン・ラニアーはヴァーチャルリアリティーを商用製品としてはじめて世に送り出したVPL Researchの共同創業者で「VRの父」と呼ばれる人です。VR自体はずっと前に生み出されているので、彼自身はその称号にあまり心地よさを感じてはいないようですが、間違いなくVRのパイオニアの一人です。

    日本でも彼の著作が翻訳されていますが、ボクはこの本がはじめて。内容的にはジャロン・ラニアーの生い立ちとヴァーチャルリアリティーの解説の二つの軸が入れ替わるように進んでいきます。トマス・ピンチョンがたまに出てきますが、「ああ、こういうのが好きなんだなあ」感がひしひし伝わってきます。つまり、読みづらいけど面白い。

     

    Dawn of the New Everything: A Journey Through Virtual Reality

    Dawn of the New Everything: A Journey Through Virtual Reality

     

     

    ジャロン・ラニアーの生い立ち

    まず、ジャロン・ラニアーの生い立ちが面白い。家庭の大黒柱で彼にとっても精神的な支柱であった母親を若くして亡くしたことが彼の人生に大きな影響を与えます。母親が家計を支えていたので、父親が働くことに。母親が残してくれたお金で買った家が完成前に放火で焼失。数年間父親とテント暮らしをします。

    ジオデシック・ドームの家

    いろんなことに興味があって、オシロスコープを家に照射してハロウィーンの演出をしたりしていたそうです。テント暮らしで少しづつお金がたまり、それで徐々に家を建てました。父親はジャロンに家を設計させてくれました。そこでジオデシック・ドームを設計して二年かけて完成させます。普通の子供はオシロスコープで遊んだりジオでシック・ドームの家を作ったりしませんよね。

    権威も学位も何もないアヴァンギャルドサイケデリックヒッピー

    高校はあまりいかず、ニューメキシコ州立大学でなんとなく講義を受けます。そして、そのままニューメキシコ州立大学に入ってしまったそうです。プログラミングはここで覚えます。そのあとはニューヨークに行ってミュージシャンをしたり、恋人についてロサンジェルスまで行ったりします。基本的に無職の放浪生活。なんとなくジャック・ケルアックの『路上』を彷彿させます。ビートではなく、アヴァンギャルドサイケデリックヒッピー風ではありますが。ジョン・ケージとか出てきます。

    ふとしたきっかけで国境の川べりに沈んでいたクルマをもらい、それでシリコンバレーに行きます。スクリュードライバーでエンジンスタート。最初はミートアップのスピーカーとして呼ばれたそうです。そこでヴァーチャルリアリティーの話をしたのがシリコンバレーにきたきっかけ。ストリートミュージシャンをしながら生計を立てていたそうですが、ゲーム会社に就職してようやく社会人デビュー。アラン・ケイやスティーブ・ジョブズなどいろんな人が登場してきます。また、Suicide ClubとかSurvival Researchとか失われた当時のシリコンバレー文化についても触れられています。

    シリコンバレーでビデオゲームのプログラミング。そのお金でVRの会社を立ち上げ。ビジュアルを操作できるコンピュータはまだなかったので、最初はプログラム言語の開発。これがバーチャルリアリティーとしては初めての商用セットRB2 (reality built for two)を開発するVPL Researchとなります。でも、一番売れたのはEyePhoneとDataGloveだそうです。

    バーチャルリアリティとは

    この本では50以上のバーチャルリアリティーの定義が紹介されています。つまり、バーチャルリアリティーはいろんな意味に捉えることができる。それがこの本のタイトル”Dawn of the New Everything”の由来となっているのでしょう。バーチャルリアリティの定義の一つが「脳と感覚のシミュレーション」です。人間の脳は直接風景を見ることはできませんよね。目というセンサーを通じて見ることができる。これをジャロン・ラニアーは潜水艦と潜望鏡の関係に例えています。

    人間にはたくさんのセンサーがあります。皮膚にもたくさんのセンサーがある。熱を感じるセンサー、痛みを感じるセンサー、摩擦を感じるセンサー。パブリックイメージではゴーグルがバーチャルリアリティーですが、バーチャルリアリティーは視覚だけではないんですね。ポケモンGOもそういう意味ではバーチャルリアリティーなんです。

    バーチャルリアリティーに関する素朴な疑問への回答

    アベンジャーズみたいに画面操作できるようになる?

    ハリウッド映画とかで目の前にスクリーンが出てきてそれを操作するシーンとかありますよね。アヴェンジャーズとか。 ジャロン・ラニアーによるとあれは無理なんだそうです。フォトンが物質にあたる必要がある。そうしないと光は発生しない。でも、ナノロボットでそういう操作はできるようになるかもしれない。ナノロボットもバーチャルリアリティーを構成する要素なんです。

    ナノロボットもバーチャルリアリティー?

    例えば、ゴーグルで風景を見たとしても、実際に触れることはできない。でも、ナノロボットでバーチャルな物質を作ればそれを触れることでバーチャルに触れることができる。人間の視覚と触覚を騙すことができる。

    この人間のセンサーを騙すのがバーチャルリアリティーなんですね。少なくともその定義の一つ。

    なんで3D酔いするの?

    あまり長い間、バーチャルリアリティーの世界にいると3D酔いします。バーチャルリアリティーは人間のセンサーを騙す仕組みなので、これがうまくいかないと酔ってしまうわけです。そして視覚を騙すにはトラッキングが重要なのだそうです。このトラッキングの問題は徐々に改善されてきてはいるものの、完全に無くすことは難しいとのことです。まず、個人差が大きい。そして、人間はすぐに慣れて、騙されていることに気づいてしまうんですって。人間ってすごいですね。

    この他にも、LSDとバーチャルリアリティーの違いや明晰夢(Lucid Dream)とバーチャルリアリティーの違いなども解説してくれています。Kinect Hackなど最近のバーチャルリアリティー文化についても触れられています。

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  • スロースタートアップ|第三回:MailChimp|選んだ道じゃないけれど

    スロースタートアップ|第三回:MailChimp|選んだ道じゃないけれど

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    「スロースタートアップ」の第三回目はスタートアップなら誰しも(おそらく)お世話になったことがあるMailChimpです。当然、ボクもお世話になっています!これまで見てきたGithubはやりたいことを求めてdribbbleはおじさんたちのサイドプロジェクトとして資金調達をしない自らスロースタートアップの道を進みましたね。MailChimpの場合は全く別の理由でスロースタートアップの道を歩まなくてはなりませんでした

    MailChimpってなに?

    簡単に言えばeメールによるマーケティングツールです。マーケティングオートメーション(MA)のメールだけに特化したサービスです。2000サブスクライバーまでは無料なのでスタートアップがよく使います。ほんと助かってます。

    勘違いによる出会いと解雇

    創業者のベン・チェスナットとダン・クルジアスはアトランタで出会います。ベンはデザイナーとしてCoxという会社に勤めていました。MP3のプロジェクトでデベロッパーが必要だったベンは友人からダンを紹介されます。ダンは元々はDJで不動産業をしていました。音楽の仕事でDJのプログラミングだと思ってたら、コンピューターのプログラミングだった。とんだ勘違いですが、速攻でコンピューターのプログラミングを覚えたそうです。マジか!

    勘違いからの出会いでしたが、二人は息があったようで一緒に働きます。しかし、CoxのMP3の事業は二人の仲ほどはうまくいかず、2000年にベンとダンは一緒に解雇されてしまいます。まあ、Spotifyまで音楽ビジネスはうまくいかないのですから、これは仕方がない。

    失意の起業と失敗の連続

    そして、失業者となった二人は2001年にRocket Science Groupを立ち上げます。最初はコンサルティング業、次に旅行業にピボット、更に不動産業にピボットします。つまり、うまくいかなかったわけです。ベンもダンも奥さんと子供がいましたが、この頃の生活費は奥さんが稼いでくれました。実はもうひとり創業者がいたのですが、その人とはコンタクトが取れないそうです。まあ、うまくいかない時期ってそんなもんですよね。

    うまくいかなかった理由は二人とも営業が苦手だったからです。アトランタにはデルタ航空、コカコーラ、CNNなどの大企業があるのですが、そういう大企業を相手にするのも苦手でした。自分たちでもできたのは中小企業で、中小企業はeメールマーケティングを求めていました。

    MailChimpの誕生

    そこで、普段は大企業相手につらい営業をしつつ、空いた時間で中小企業向けにeメールマーケティングの自動化の手伝いをしていました。この隙間時間のeメールマーケティングのプログラムはすごく楽しむことができたそうです。そして、それが1万ドル(約10万円)、2万ドル(約20万円)くらい入ってくるようになりました。そこで、使っていたプログラムをMailChimpと名付けて、それだけでやっていくことに決めました。これが2007年の話。創業から6年ですね。すっごく長かった!

    2007年と言えばMailChimpの競合会社でベンチャーキャピタルから資金調達をしていたConstant ContactがIPOをした年です。当然ながらベンチャーキャピタルはMailChimpにも来たそうです。でも、ぶっちゃけファイナンシングというのがよく分からなかったそうです。何か信念があって資金調達をしなかったわけではなく、よく分からなかった。少なくとも初期のインタビューではそう答えています。当時のベンチャーキャピタルのアドバイスは中小企業ではなく、大企業のエンタープライズビジネスにシフトすることでした。しかし、それは二人がやりたくないことでした。

    フリーミアムで飛躍

    MailChimpが急速に成長したのは2009年にフリーミアムモデルを導入してからです。当時は10万人くらいだったユーザーがその年で100万人になり、翌年に200万人になりました。

    ブートストラップし続けるということは、エグジットする必要がないということです。回収しなければいけないものがないですから。ベンチャーキャピタルから投資を受け入れるということは、投資を回収する(エグジットする)ためにIPOなりM&Aをしなければいけません。進んで起業したわけでもなく、選んでブートストラップしたわけでもありませんが、MailChimpの場合はそういう圧力がないので今日も元気にブートストラップ中です。

    参考文献

    Want Proof That Patience Pays Off? Ask the Founders of This 17-Year-Old $525 Million Email Empire | Inc.com

    MailChimp Story – Profile, CEO, Founder, History | Email Marketinng Companies | SuccessStory

    Monkey Business: The Story Behind MailChimp’s Wild Growth | Drift Blog

    MailChimp and the Un-Silicon Valley Way to Make It as a Start-Up – The New York Times

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

  • スロースタートアップ|第二回:dribbble|おじさんたちのサイドプロジェクト

    スロースタートアップ|第二回:dribbble|おじさんたちのサイドプロジェクト

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    「スロースタートアップ」の第二回目はデザイナーならみんな大好きdribbble *2 です。どういうわけか、デザイナー御用達ツールはブートストラップが多いんですよね。ShutterStockとかBalsamiqとか。次回紹介するMailChimpもデザイナーのスタートアップですし。今回は若者スタートアップのヒリヒリした話ではなく、おじさんスタートアップのほんわかした話です。

    dribbbleってなに?

    まず、簡単にdribbbleについて。dribbbleはデザイナーが自分の作品をシェアできるWebサービスです。非常にコミュニティー色が強く、多くの場所でボランティアがdribbbleミートアップを開催しています。そういう意味では、世界で最も大きなデザイナーコミュニティーの一つだとも言えます。ボク自身はグラフィックデザイナーではないのでdribbbleは使ってなかったですが、シンガポールやアムステルダムにいた時代にUX関連のトピックではよく参加していました。dribbbleは招待制で、既存のユーザーから招待がないと正式なメンバーになれません。これがスノッブな感じがして、一部にはアンチも存在します。あとで説明しますが、招待制にしたのは理由があって、彼らが外部から資金調達をしないブートストラップのスタートアップであるのが影響しています。

    創業者はおじさんヒップスターとハッカー

    dribbbleの創業者であるリック・ソーネットとダン・シーダーホルムがユニークなのは、かなりおじさんだということですね。スタートした当時には結婚して子供もいた。それなりに安定した仕事もあった。Webの黎明期にインスパイアされてダンはデザイナーに、リックはデベロッパーになります。普通に考えれば、わざわざ大変なスタートアップなんてやる必要ありません。

    リック・ソーネットはリサーチャーだったそうです。でも、黎明期のWebの魅力にとりつかれ、プログラミングを再び学ぶために大学の修士課程に戻り、デベロッパーになりました。IBMやFideltyなどの大企業のほか、スタートアップでも働いていました。

    ダン・シーダーホルムはもともとWebデザインの世界では超有名人で、CSSの可能性を広げた人で、たくさんの著書があります。日本でも『Web標準デザインテクニック即戦ワークブック』が翻訳されていますね。元々はスケートボードのロゴやデザインが好きで、ミュージシャンとして働いていた時にアルバムのデザインなどをしていたそうです。自分がデザイナーだと認識しはじめたのは黎明期のWebの影響が大きかったそうです。タイポグラフィーなどいろんな要素が必要で、多くの人に見られることでデザイナーであることを意識したそうです。

    おじさん達の出会い

    この二人はどうやって出会ったのでしょうか。ダンとリックはボストンで近所に住んでいて、同じ年代の子供がいました。そこでおくさん同士が知り合いになり、二人は出会います。リックは「ダン・シーダーホルムってなんか聞いた名前だな?本とか出してなかったっけ?」と調べました。あ、やっぱり有名な人だ!

    最初は有名人とは釣り合わないんじゃないかと遠慮していたそうですが、そのうちに友達になります。リックは週二日ダンのオフィスを使わせてもらい、残りは家で仕事をしていました。当時はヘルスケアスタートアップのPatientsLikeMeというプロジェクトに関わっていました。リックがダンのオフィスにいるときに二人でサイドプロジェクトができたらいいねという話になりました。デザイナーとデベロッパー。ヒップスターとハッカーはいつの時代も黄金のコンビですよね。

    サイドプロジェクトとしてのdribbble

    ダンが考えていたのはデザイナーが自分たちの仕事を共有できて、「ドリブル」できる場所。2007年くらいからアイデアを温めていました。当時は写真共有サイトのFlickrがとても人気があり、Twitterも人気がではじめた頃でした。その二つを組み合わせたらどうだろうというのが最初のアイデアでした。そして、それは紫でなければいけない!と最初から決まっていたそうです(笑)

    ダンとリックの二人はプロトタイプを徐々に磨き上げ、ベータテストを始めます。手書きの招待状に招待コードを書いて、dribbbleのTシャツを同梱してデザイナーの友人たちに送りました。eメールではなく、創業者による手書きの招待状と手作りのTシャツ。これは最初のベータテスターに参加してもらうのにとても大事だったそうです。ダンのネットワークもあり初期の段階から30人のデザイナーが作品をアップするようになりました。

    dribbbleにとってプロダクトとは

    リックはベータの段階では最初は自分の家の猫の写真などをアップしていたそうです。本物のデザイナーが実際に作品をシェアするまで自分でも確信を持てなかったようです。つまり、Flicker+Twitterというコンセプトはあったものの、デザイナーのコミュニティーというアイデアが最初からあったわけではなかったのです。

    デザイナーたちが作品をアップしはじめると、彼らがどのような意図で、どのようなプロセスでデザインをしているのかがわかるようになりました。普段は最終的なデザインだけではわからなかったものが見えてくる。これ自体がエクスペリエンス(体験)だということがわかりました。

    当初はPixelの交換やゲーミフィケーションなど様々なアイデアがあったり、実際に実装したものもありましたが、ベータテストで方向性がクリアになると不必要な実装やアイデアは全て捨てたそうです。

    長いベータと最初の危機

    ダンもリックもフルタイムの仕事があって、家庭があって子供もいました。dribbbleはかなり長い間サイドプロジェクトでベータでした。招待制はあまり大きなサービスをサイドプロジェクトで続けることができないという理由からでした。多くの機能追加のリクエストもありましたが、優先順位をきちんとつける必要がありました。

    この長いベータ期間のため、デザイナーにとってdribbbleは知り合いが気兼ねなく作品をシェアできる場所でした。そしてこれが正式版のローンチになると問題になりました。デザイナーとしては自分の初期のアイデアをあまり共有したくない。ベータで少ない人だけに共有されていたからよかったが、一般公開になると話が違う。当然ながらプライベートモードなど多くのリクエストがありました。

    しかし、ダンと(特に)リックはプライベートモードの実装には反対しました。一部しか見れないのであればエクスペリエンスは失われてしまう。ユーザーがそれで離れていってしまうのだったら直さなければいけないが、まずはプライベートモード無しでいくと決めます。数週間はクレームの嵐だったそうですが、それでも作品の投稿が減ることはなかったそうです。ここでの学びは「目に見えた変更を行えばネガティブな反応がある。ネガティブな反応があったからといって、その変更が悪いかどうかはわからない。ユーザーの行動を見ていいか悪いかの判断をする必要がある」だそうです。

    ブートストラップとフルタイム

    一般的な若いスタートアップは資金調達をして必死に働いて急速に成長させようとします。その間、仕事に100%コミットする必要があります。ダンとリックの場合は違いました。ダンとリックにとっては家庭が最優先でした。これは他の若いスタートアップの起業家と大きく異なるところです。子供がいて家族を養うとなると「ラーメン利益 (Ramen Profitable)」ではやっていけません。

    最初は大きな宣伝はせずにゆっくりと育てる。これは前回紹介したGithubも同じことが言えます。Githubは最初の二年間で一回しかTechCrunchに取り上げられていません。外部から資金調達する一般的なスタートアップがファストスタートアップだとしたら、ブートストラップの場合はスロースタートアップですね。

    最初にdribbbleでフルタイムとして働きはじめたのはリックでした。2010年5月です。dribbbleの広告でリックの半分のサラリーが賄えるくらいの売り上げがありました。当時のdribbbleはデザインよりもエンジニアリングでやることが多かったので、まずはデベロッパーのリックから。二人一緒にフルタイムの必要はない。リックとしては一時的に収入が減ったとしてもdribbbleをフルタイムでやってみようと決意します。ダメだったらまたスタートアップでデベロッパーとして働けばいいじゃない。

    普通の(でもリッチな)おじさんに戻る

    dribbbleはInstagramと同様に少人数のチームで続けました。2017年1月にTinyに買収された時、従業員は8人でした。7年のスロースタートアップの後、ダンとリックは元の場所に戻っていきます。前よりお金に余裕をもって。

    参考資料

    Rich Thornett on bootstrapping Dribbble – DNSimple Blog

    Interview with Dribbble’s co-founder Dan Cederholm | Webdesigner Depot

    What Drives Dribbble Founder Dan Cederholm? – Envato

    Dribbble Founders on Design, Entrepreneurship, & Community – YouTube

    Dribbble 2.0 – Andrew Wilkinson – Medium

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

    *2:ドリブルと読みます。ロゴはバスケットボール。