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  • AIに丸投げしない仕事設計——Loop Engineeringとは何か

    AIに丸投げしない仕事設計——Loop Engineeringとは何か

    毎回AIに同じことを言っていませんか——仕事の回し方を先に決める方法

    ChatGPTやClaudeに仕事をたのんでも、最初から思ってた答えが返ってくるとは限りません。。

    「もう少し短くしてください」

    「この数字も入れてください」

    「前回と同じ形式にしてください」

    「出典が足りません」

    「この部分だけ書き直してください」

    何度かやり取りすると、ようやく仕事で使えるものになります。

    ここで、一つ疑問が浮かびます。

    この確認と修正を、毎回人間が一つずつ指示し続ける必要はあるのでしょうか。

    今回解説するLoop Engineeringは、AIとのやり取りそのものをなくす考え方ではありません。人間がその都度行っている確認や修正を、最初から仕事の手順に組み込む考え方です。

    AIが作る。決めた条件と照らし合わせる。足りない部分だけを直す。それでも解決しなければ、人間に戻す。

    こうして、行き当たりばったりだったやり取りを、毎回同じ基準で進められる仕事の型に変えます。

    Loop Engineeringとは何か

    Loop Engineeringは、次のように説明できます。

    AIに一回ずつ指示する代わりに、目的、材料、確認方法、やり直す条件、終わる条件、人間が確認する場所を先に決めておく考え方です。

    もっと短く言えば、AIに毎回口頭で指示するのではなく、仕事の進め方とチェック方法を先に決めておくことです。

    ここで注意したいのが、この言葉の由来です。

    Loop Engineeringは、Anthropicが公式の新しい方法論として発表した名称ではありません。

    今回の調査で確認できた範囲では、2026年6月にソフトウェア開発者で著述家のAddy Osmaniが、この言葉を使って考え方を整理しました。その後、Business Insiderなどが取り上げ、AnthropicでClaude Codeを率いるBoris Chernyの実践とともに紹介したことで知られるようになりました。

    一方、Anthropicはそれ以前から公式資料の中で、仕事を小さく分けること、結果を評価すること、長い作業の途中経過を引き継ぐこと、使える場所を制限すること、条件を満たすまで繰り返すことなどを説明してきました。

    つまり、名前は新しいものの、中身はこれまで積み上げられてきたAIの仕事設計に近いのです。突然現れた、まったく新しい技術ではありません。

    一件の依頼票と、毎月使う業務手順書

    普通のプロンプトは、今日の一件をどう処理してほしいかを書いた依頼票です。そして、Loop Engineeringは、同じ仕事を毎回どう進め、どこで検品し、問題があればどこまで戻るかを決めた業務手順書です。

    営業報告書を例にすると、一件の依頼票は次のようになります。

    この売上表を分析して、営業報告書を書いてください。

    これでも下書きは作れます。

    ただし、数字が合っているか。根拠のない説明が混ざっていないか。前回と同じ形式になっているか。人間が一つずつ確認し、その都度AIへ伝えなければなりません。

    Loopでは、先に次の進め方を決めます。

    • 当月の売上表と前月の売上表を読む
    • 年間目標との差を確認する
    • 前月との差が大きい項目を三つ挙げる
    • 数字と文章が一致しているか確認する
    • 資料にない原因を事実のように書かない
    • 前回の報告書と同じ見出しを使う
    • 数字が違えば集計まで戻る
    • 根拠がなければ該当部分だけ書き直す
    • 二回直しても解決しなければ人間へ戻す
    • 上司への提出は人間が行う

    プロンプトは、一回の仕事を頼むものです。

    Loopは、作成、検品、手直し、打ち切り、承認までを含む仕事の決まりです。

    長いプロンプトを書くだけではLoopになりません。完成の条件と、間違ったときの戻り先が決まっていることが重要です。

    ケース1:毎週の情報収集

    営業企画やマーケティング、経営企画では、毎週のように業界ニュースを探します。

    単に毎週月曜日に同じ検索を実行するだけなら、決まった予定の実行です。

    Loopでは、出てきた結果を見て、次の行動を変えます。

    1. 新しい情報を探す
    2. 古い記事や重複を除く
    3. できるだけ元の発表や公式資料を優先する
    4. 重要な話題を三つに絞る
    5. 根拠となるリンクがあるか確認する
    6. 足りなければ追加で調べる
    7. 人間が重要度とコメントを確認する
    8. 社内共有は人間が行う

    情報が少なければ追加で探します。同じ話題が重なっていれば整理します。根拠がなければ、その項目は外すか、もう一度調べます。

    決まった時間に動くことより、結果を見て次の行動を変えることがLoopの特徴です。

    ケース2:毎月の営業報告書

    毎月の営業報告書には、次の材料を使います。

    当月の売上表、前月の売上表、年間目標、報告書のひな型、前回上司から受けた指摘です。

    AIには、集計、前月との差の発見、文章の下書き、形式の確認を任せます。

    人間には、数字の最終確認、原因の判断、来月の方針、上司への提出を残します。

    まずAIが数字を集計します。元のExcelと合わなければ、文章を直す前に集計まで戻ります。

    数字が合ったら、差が大きい項目を抜き出します。

    次に説明文を作ります。ただし、売上が落ちた理由をAIが勝手に決めてはいけません。資料に根拠がなければ「要確認」とします。

    説明に根拠がなければ、その部分だけを書き直します。

    二回直しても数字や説明が合わなければ、人間へ戻します。来月の方針は、営業現場の事情を知る人が決めます。上司への提出も人間が行います。

    ケース3:顧客アンケートから改善案を作る

    顧客アンケートの自由記述を読む仕事にも、Loopを使えます。

    1. 自由記述を似た内容ごとにまとめる
    2. 多かった意見を数える
    3. 深刻な問題を分ける
    4. 改善案を作る
    5. 改善案がどの顧客の声から出たのか確認する
    6. 元の声と結びつかない改善案は削る
    7. 採用する案は人間が決める

    AIは、もっともらしい改善案を増やすことがあります。

    そこで、「その案は、どの顧客の声から出たのか」を必ず確認します。

    元の声に戻れない改善案は、いったん削ります。AIの発想力より、元の材料とのつながりを優先します。

    Loopを作る前に決める六つのこと

    Loop Engineeringを、難しい設計手法として考える必要はありません。

    仕事を頼む前のチェック項目だと思えば十分です。

    1.何を終わらせたいか

    「売上を分析する」では曖昧です。

    「前月との差が大きい商品を三つ挙げ、理由の候補と確認すべき点を報告書にする」のように、完成の形を決めます。

    2.何を材料にするか

    Excel、過去の報告書、会議メモ、公式資料など、AIが使ってよい情報を決めます。

    使ってはいけない資料も決めておきます。

    3.どうなれば合格か

    「いい感じ」では確認できません。

    • 数字が元のExcelと一致している
    • 根拠のない説明がない
    • 指定の見出しがそろっている
    • 重要項目が三つ以内にまとまっている
    • 出典のリンクが付いている

    人が見て確かめられる条件にします。

    4.不合格なら何を直すか

    数字が違えば集計部分へ戻る。出典が足りなければ調査部分だけ追加する。見出しが違えば形式だけ直す。

    全部を最初からやり直すのではなく、足りない部分だけを直します。

    5.何回で打ち切るか

    AIが同じ失敗を繰り返すことがあります。

    二回または三回で止め、人間へ戻すと決めておきます。

    6.どこで人間が確認するか

    公開、送信、削除、購入、契約、採用、金銭、顧客対応などは、人間が最後に確認します。

    戻せない操作ほど、人間を挟む。

    これが基本です。

    Loopはどこに書けばよいのか

    最初は、WordやGoogleドキュメント、メモ帳で構いません。

    普通のチャットで仕事を一度行い、AIが間違えた場所と、人間が出した修正指示を書き留めます。

    仕事が完成したら、AIに次のように頼みます。

    今回行った仕事を、次回も同じ方法で進められるLoop設計メモにまとめてください。
    目的、使う資料、作業手順、完成条件、確認方法、修正方法、停止条件、人間が確認する場所を入れてください。

    AIが作ったメモを人間が確認し、足りない条件を加えます。

    ただし、メモを作っただけでは、次回も確実に使われるとは限りません。

    そこでProjectを使います。

    ProjectはLoopを動かす仕事場

    Projectは、同じ仕事に関係する資料や会話をまとめておく仕事場です。実際の運用では、三つに分けると分かりやすくなります。

    Projectの指示欄

    ここには、毎回必ず守る短いルールを書きます。

    たとえば月次営業報告なら、次のような内容です。

    資料にない原因を事実として書かない。
    重要項目は三つ以内にする。
    修正は二回までとする。
    上司への提出は行わず、人間の確認待ちで止める。

    仕事場の壁に貼った注意事項のようなものです。

    Projectの資料置き場

    ここには、詳しいLoop設計メモや、判断に使う資料を置きます。

    • 報告書のひな型
    • 良い完成例
    • 年間目標
    • 前回の完成版
    • 上司から受けた指摘
    • Loop設計メモ

    ChatGPTでは「情報源」、Claudeでは「プロジェクトナレッジベース」と呼ばれています。

    ChatGPTでは、会話の中で作った良い回答をProjectの資料として保存する仕組みがあります。Claudeでは、次回も確実に参照させたい内容を、会話に置いたままにせずナレッジベースへ追加する運用がより重要です。

    毎回のチャット

    毎月の仕事は、同じProjectの中に新しいチャットを作って実行します。

    たとえば「2026年7月営業報告」というチャットを作り、その月だけ使う資料を渡します。

    • 7月の売上表
    • 6月の売上表
    • 7月の会議メモ
    • 今月の特記事項

    そして、次のように頼みます。

    Projectの指示とLoop設計メモに従って、7月の営業報告を作成してください。
    まず必要な資料がそろっているか確認してください。
    条件を満たさない場合は二回まで修正し、解決しなければ人間へ戻してください。
    上司への提出は行わず、確認待ちで止めてください。

    つまりProjectでは、次のように役割を分けます。

    • 指示欄は、毎回守る注意事項
    • 資料置き場は、手順書と見本
    • 毎回のチャットは、今月の作業記録

    一つの長いチャットを延々と使うより、週別、月別に新しいチャットを作るほうが、どの資料で何を作ったのか追いやすくなります。

    改善はチャットの中だけで終わらせない

    7月分の報告書で、AIが売上高と受注額を混同したとします。

    その場で直すだけでは、翌月も同じ間違いをするかもしれません。

    仕事が終わったあと、AIに次のように頼みます。

    今回、人間が修正した内容を一覧にしてください。
    来月以降も必要なルールと、今回だけの修正を分けてください。
    恒久的に必要なルールは、Loop設計メモへの追記案にしてください。

    人間が内容を確認し、正しければLoop設計メモを更新します。

    たとえば、次の一文を加えます。

    売上高と受注額を混同しない。報告書では売上高だけを使用し、参照した列名を確認結果に記載する。

    短く、毎回必ず守らせたい内容なら、Projectの指示欄にも加えます。

    チャット履歴は実行記録であり、業務手順書ではありません。

    次回も確実に使いたい学びは、指示欄かLoop設計メモへ移します。

    Skillは、複数の仕事場で使う共通マニュアル

    Projectで同じLoopを二回、三回と使うと、毎回変わらない部分が見えてきます。

    • 必要な資料を最初に確認する
    • 数字を元の資料と照合する
    • 根拠のない説明を書かない
    • 指定のひな型に合わせる
    • 二回で止める
    • 提出前に人間へ戻す

    この共通部分を、別のProjectでも使えるようにしたものがSkillです。

    たとえば、東京、大阪、福岡の三つの営業部があるとします。

    Projectは三つ作ります。

    • 東京営業部の月次報告
    • 大阪営業部の月次報告
    • 福岡営業部の月次報告

    売上、目標、上司の指摘は、営業部ごとに違うからです。

    一方、「月次報告をどう作るか」は共通です。

    そこで、共通の手順だけを「月次営業報告Skill」にします。

    Projectには、この部署についての情報を置く。

    Skillには、月次報告をどう作るかを置く。

    毎月変わるExcelや会議メモはSkillへ入れません。変わらない手順、完成条件、確認方法、修正方法、停止条件を入れます。

    利用できるSkillの作成方法や対象プランは、ClaudeとChatGPTで異なります。

    Claudeでは、簡単なSkillなら文章中心で作成でき、個人向けを含む広いプランで利用できます。ただし、登録時には専用のファイルとしてまとめる作業が必要になる場合があります。

    ChatGPTでは、会話や編集画面からSkillを作る仕組みが案内されていますが、独自Skillの提供は現時点では組織向けプランの情報が中心です。個人利用者が全員同じように使えるとは限りません。

    そのため、最初からSkillを使う必要はありません。

    Projectの指示欄とLoop設計メモだけでも、Loopは十分に始められます。

    Skillが役立つのは、同じ進め方を別の案件、別の部署、別の担当者でも使いたくなったときです。

    PC上の作業まで任せる段階

    ProjectやSkillでは、基本的に人間が必要なファイルを選んで渡します。

    PC内のフォルダから必要なファイルを探す。複数のExcelをまとめて読む。結果を別のファイルとして保存する。そこまで任せたい場合は、Claude CodeやCodexなどを検討します。

    これらは、PC上で実際に作業する担当者に近い道具です。

    Skillが作業マニュアルなら、Claude CodeやCodexは、そのマニュアルを見ながらファイルを扱う担当者です。

    ただし、普通のチャットより設定や安全管理が難しくなります。会社員が最初に使う必要はありません。

    人間の役割はなくならない

    Loop Engineeringによって、人間が不要になるわけではありません。

    人間の役割は、毎回同じ細かな指示を出す作業から、次の仕事へ移ります。

    • 何を達成するか決める
    • どの資料を使うか選ぶ
    • 何を良い成果とするか決める
    • AIの結果を評価する
    • 重要な判断を下す
    • 外部へ出す前に承認する
    • Loopそのものを改善する

    人間は作業者から、編集長や監督に近づきます。

    ただし、責任が軽くなるわけではありません。目的や評価基準を考える責任は、むしろ重くなります。

    間違った基準を渡せば、AIはその間違いを効率よく繰り返してしまいます。

    失敗の形と安全策

    AIは自信を持って間違えることがあります。自分の成果を甘く評価することもあります。

    間違った前提を次の作業へ引き継ぐ。何度直しても同じ失敗をする。実行回数と費用だけが増える。似たような文章を大量に作る。個人情報や社内情報を誤って渡す。間違ったメールや資料を外部に送る。

    そうした問題も起こり得ます。

    安全に始めるには、次を守ります。

    • 頻度が高く、間違えても戻せる仕事を選ぶ
    • いきなり送信や公開まで任せない
    • 削除、契約、購入、採用、金銭移動は人間が確認する
    • 最大の試行回数を決める
    • 作業履歴を残す
    • 個人情報や機密情報は社内ルールを確認する
    • AIの結果を元データや別の資料と照合する
    • うまくいくまでは手動で回す

    Loop Engineeringに向かない仕事

    何でもLoopにすればよいわけではありません。

    一度しか行わない仕事、毎回条件がまったく違う仕事、良し悪しを人間も判断できない仕事には向きません。

    ミスの影響が非常に大きい仕事も慎重に扱う必要があります。

    個人情報や機密情報を多く含む仕事、法務、医療、採用、経理などで人間の確認を置けない仕事は、安易にLoopへ入れるべきではありません。

    自動化する準備のほうが、元の作業より大変になる場合もあります。

    まずはシンプルな方法で十分ではないかを考えてください。

    今日から最初のLoopを作る

    1. 毎週または毎月、繰り返している仕事を一つ選ぶ
    2. 普通のチャットで、その仕事を一度行う
    3. どこでAIが間違えたかをメモする
    4. 完成の条件を五つ以内で決める
    5. 不合格だった場合の直し方を決める
    6. 二回または三回で止めると決める
    7. 公開や送信の前に人間の確認を置く
    8. うまくいったらProjectの指示欄と資料置き場へ残す
    9. 数回使って手順が固まったら、必要に応じてSkillにする
    10. PC上の処理まで必要になったらClaude CodeやCodexを検討する

    最初に選ぶなら、毎週の情報収集、月次報告書の下書き、アンケートの整理などが向いています。

    頻度が高く、元の資料と結果を比べやすく、間違えても公開前に戻せるからです。

    よくある誤解

    プロンプトはもういらないのですか

    いいえ。指示や合格基準は必要です。

    減るのは、毎回同じ修正指示を人間が一つずつ入力する作業です。

    完全に自動化しないと意味がありませんか

    いいえ。

    人間が確認と修正を行う手動Loopから始めるのが現実的です。

    プログラムを書けなくてもできますか

    できます。

    普通のチャットとProjectを使えば、手動または半自動で始められます。

    AIが間違えるなら、Loopにする意味はありますか

    間違えるからこそ、確認方法、やり直し、停止、人間承認を先に決めます。

    Claude CodeやCodexを使わないとLoop Engineeringではありませんか

    いいえ。

    普通のチャットやProjectの中で、人間がLoopを回すところから始められます。

    何をもって完成とするか

    Loop Engineeringは、AIへ仕事を丸投げするための技術ではありません。

    AIが何を見て、何を行い、どう確認し、どこでやり直し、いつ人間へ戻るのかを決める考え方です。

    大切なのは、AIを何度も動かすことではありません。

    何をもって完成とするかを、人間が決めることです。

    最初からClaude Codeや複雑な自動化に進む必要はありません。

    まずは普通のチャットで、繰り返している仕事を一つ選びます。完成条件と確認方法を決め、二回ほど回してみます。

    うまくいけばProjectの指示欄と資料置き場へ残します。

    別の仕事でも同じやり方を使いたくなったらSkillを検討します。

    PC上のファイル処理まで必要になったら、そのときにClaude CodeやCodexへ進めば十分です。

    この記事で伝えたかったこと

    Loop Engineeringは、AIを放置して働かせる方法ではありません。目的、合格条件、やり直し方、停止、人間の承認を先に決め、確認と修正を安全に回しやすくする考え方です。

  • 【初心者向け】ChatGPTとClaudeにどこまで仕事を任せる?相談からファイル整理までの4段階

    【初心者向け】ChatGPTとClaudeにどこまで仕事を任せる?相談からファイル整理までの4段階

    旅行先を調べる。メールの文章を直してもらう。冷蔵庫にある食材から献立を考えてもらう。分からない言葉を説明してもらう。ChatGPTを、こうした相談に使っている人は多いでしょう。それだけでも十分に便利です。

    ただ、AIは質問に答えるだけではありません。求人文を作る。売上表をまとめる。研修資料を整える。毎月の報告書を作る。そんな仕事も、少しずつ預けられます。

    とはいえ、最初から難しい機能を覚える必要はありません。すべてを使う必要もありません。分かりやすいのは、「AIにどこまで任せたいか」で四段階に分けることです。

    まずは普通のチャット

    普通のチャットは、その場で相談できる相手です。

    求人募集の文章、お客様へのお詫び文、会議メモの要約、研修用の確認問題、舞台やイベントの告知文、メニューの説明文などを頼めます。ExcelやPDFなどのファイルを渡して、中身を読んでもらうこともできます。

    カフェの売上を調べてもらう

    たとえば、カフェのオーナーが先月の売上を見直したいとします。

    1. ChatGPTかClaudeのチャットを開きます。
    2. 先月の売上が入ったExcelファイルを選んで渡します。
    3. 「曜日別の売上と、よく売れた商品を教えて」と頼みます。
    4. 出てきた数字が元の表と合っているか確認します。
    5. 必要なら「店長会議用のグラフと、短い報告文も作って」と続けます。

    これだけでも、「土曜日は客数が多いが客単価は低い」「雨の日はテイクアウトが増える」といった傾向を見つける手助けになります。

    お客様への案内文を作る

    店の営業時間が変わり、お客様への案内を作る場合は、次のように進められます。

    1. 変更前と変更後の営業時間、変更日、理由をチャットに書きます。
    2. 「店頭掲示用に、やわらかく短い文章にして」と頼みます。
    3. 内容を読み、日付や時間に間違いがないか確認します。
    4. 必要なら「Instagram向けに少し短くして」と作り直してもらいます。

    看護師なら、新人研修のメモから確認問題を作る。役者なら、公演情報から告知文を作る。小売店の店長なら、スタッフへの連絡を読みやすく整える。使い方は同じです。

    文章作成、要約、ファイルの読み取り、表の整理といった基本的な仕事は、ClaudeとChatGPTのどちらでもできます。細かな違いを調べる前に、いま使っているChatGPTで、小さな仕事を一つ試してみて構いません。

    同じ仕事が続くならProject

    普通のチャットで困りやすいのは、新しい会話を始めるたびに説明が必要になることです。

    「うちの店は一人客が多い」

    「文章は親しみやすくする」

    「価格は1,000円以内」

    「前回はこの案を試した」

    こうした事情を毎回書くのは手間です。

    そこで役立つのがProjectです。Projectは、その仕事専用の部屋だと思ってください。関係する会話、資料、過去に作ったもの、AIへのお願いを一か所に置いておけます。

    新メニュー開発の部屋を作る

    カフェで新しいランチメニューを考えるなら、「秋の新メニュー」というProjectを作ります。

    そこに、過去のメニュー、原価表、試作品を食べたスタッフの感想、お客様アンケート、料理の写真、告知文の下書き、これまでAIと相談した内容をまとめます。

    最初の週に「この材料で三つ案を出して」と相談します。翌週は同じProjectを開き、「前回の試作品をもとに、価格と紹介文を考えて」と頼めます。

    前の会話や資料が同じ部屋にあるため、毎回最初から説明し直す手間が減ります。

    Projectが向くのは、新メニュー開発だけではありません。病院や介護施設の新人研修なら、研修資料、確認問題、前回の反省をまとめておけます。店舗の採用活動なら、募集条件、過去の求人文、応募者から多かった質問を置けます。役者の公演準備なら、企画書、稽古日程、プロフィール、告知文を一つにできます。

    一年間の売上改善や店舗マニュアルの作成のように、何週間、何か月も続く仕事にも向いています。

    Claude ProjectsとChatGPT Projectsは、どちらも基本的な目的は同じです。大切なのは細かな機能差ではありません。毎回同じ説明をしなくてよくなることです。

    PCの中でも作業してもらうならClaude Code/Codex

    普通のチャットでは、人がファイルを選び、AIに渡します。

    一方、Claude CodeやCodexは、先に作業するフォルダを決めると、その中から必要なファイルを探し、読んだり、名前を直したり、保存したりできます。

    Claude CodeとかCodexとか、名前だけを見ると、プログラムを作る人の道具に見えます。しかし、日常の仕事にも使えます。

    一年分の売上Excelから必要な月を探して集計する。請求書PDFを月別に分ける。ファイル名を「日付・取引先・金額」の形にそろえる。複数店舗の在庫表を一つにまとめる。Wordの研修資料をまとめて確認する。毎月の報告書を作る。古い資料を一覧にする。こうした仕事が候補です。

    普通のチャットが「相談相手」なら、Claude Code/Codexは、PC上で実際に作業する担当者です。

    請求書整理は、コピーしたフォルダから

    小さな店のオーナーが、一年分の請求書を整理するとします。最初から元のファイルを任せるのは避けます。

    1. 請求書整理用の新しいフォルダを作ります。
    2. 元の請求書をコピーして、その中に入れます。
    3. AIには、その作業用フォルダだけを見せます。
    4. 最初はファイルを動かさず、「日付、取引先、金額の一覧を作って」と頼みます。
    5. 月別の分類案と、変更後のファイル名を出してもらいます。
    6. 内容を確認し、問題がなければコピーしたファイルだけを整理させます。
    7. 最後に、人がフォルダと一覧を見比べます。

    この順番なら、間違いに気づきやすくなります。最初から削除や上書きを任せないことも大切です。変更する前に、何をどう直すのか一覧を出してもらいましょう。

    Claude CodeやCodexは、普通のチャットより導入や最初の設定が難しい道具です。スマホでは使えず、パソコンが必要です。ファイルを一つずつ渡す方法で困っていないなら、急いで使う必要はありません。扱うファイルが増え、人が探して渡すこと自体が負担になったときに検討すれば十分です。

    毎回同じ説明をしているならSkill

    Skillとは、よく頼む作業を「いつものやり方で」と頼めるようにするものです。

    毎週の売上集計を、同じExcel形式で作る。請求書を決まった名前に直して月別に分ける。会議メモを、いつもの議事録形式にする。店舗報告を、本部提出用の形に整える。公演の告知文を、決まった長さと雰囲気で作る。

    こうした作業では、毎回同じ説明を繰り返しがちです。Skillには、その説明、手順、見本、確認項目などを作業マニュアルとしてまとめておけます。

    作り方も、難しい設定から始める必要はありません。

    1. まず一度、いつもの作業をAIと一緒に行います。
    2. 完成した結果を確認します。
    3. 「今の手順を、次回も使える作業マニュアルにまとめて」と頼みます。
    4. 抜けている条件をAIと一緒に追加します。
    5. 次回から「いつもの売上集計で」と頼みます。

    実際の設定方法や使える範囲は、製品や利用環境によって異なります。「一言だけで、いつでも完全に終わる」と考えるのではなく、最初は結果を見ながら育てていくものだと考えるとよいでしょう。

    Claude Code/CodexがPC上で作業する担当者なら、Skillは、その担当者に渡す作業マニュアルです。

    ClaudeとChatGPTはどう選ぶか

    普段からChatGPTを使っているなら、まずChatGPTの普通のチャットを仕事でも試してみてください。同じ仕事が続くようになったら、ChatGPT Projectsへ進むのが自然です。

    Claudeも、全く同じことができます。最近はClaudeのほうが評判がよく、乗り換えている人も多いかもしれません。ただ、無料の枠がChatGPTより少ない印象があり、無償で使いたいならChatGPTを使い続けてもいいでしょう。

    PC内の複数ファイルを探し、まとめて扱う仕事では、Claude Code(Claudeのパソコン版)やCodex(ChatGPTのパソコン版)が候補になります。ただし、どちらを使う場合も、最初はコピーした少量のファイルで試してください。

    一つに決める必要はありません。文章や資料づくりはClaude、普段の相談や続く仕事はChatGPTというように、仕事に合わせて使い分けても構いません。反対の使い分けでも問題ありません。大切なのは製品の勝ち負けではなく、自分の仕事に合うかどうかです。

    AIに仕事を任せるときの約束

    患者、利用者、顧客、従業員の個人情報を、許可なくAIに渡してはいけません。職場や所属先にAI利用の決まりがある場合は、先に確認してください。

    AIは、氏名、金額、日付などを取り違えることがあります。医療、契約、支払いに関する内容も、必ず人が確認する必要があります。

    PC上のファイルを扱わせるときは、コピーした作業用フォルダから始めます。最初から削除や上書きを任せず、変更前に一覧や作業案を出してもらいます。そして最後は、人が結果を確認します。

    AIに仕事を任せることは、確認をやめることではありません。人が判断しやすい形まで、下ごしらえを手伝ってもらうことだと考えると安全です。

    まとめ

    • まずはチャット
    • 同じ仕事が続くならProject
    • PCのファイルも触ってほしいならClaude Code/Codex
    • 毎回同じ説明をしているならSkill

    全部を一度に覚える必要はありません。普通のチャットだけで十分な人も大勢います。いまの使い方で少し物足りなくなったときに、次の段階へ進めば十分です。

    この記事で伝えたかったこと

    AIの道具は、全部覚えるためにあるのではありません。まず相談から始め、同じ仕事が増えたら専用の部屋を作り、必要なときだけPC作業や作業マニュアルへ進む。それくらいの距離感で十分です。

  • 書評|人間と機械の利害は合致できるのか|”The Alignment Problem” by  Brian Christian

    書評|人間と機械の利害は合致できるのか|”The Alignment Problem” by Brian Christian

    グーグルで人工知能(AI)の倫理を研究していたティムニット・ゲブルが解雇されたニュースは2020年の終わりのニュースとしてはかなり衝撃的に受け止められました。なぜか。職場における差別の要素もあるのですが、AI倫理の重要性がかなり大きくなってきているからではないでしょうか。ビジネスと倫理のバランス。これはグーグルのような営利企業にとっては非常にデリケートな問題です。

    今回紹介するブライアン・クリスチャンによる”The Alignment Problem”は「人間と機械の利害は合致できるのか」という倫理を含めた幅広いAIに関する問題を扱った非常にタイムリーな書籍となりました。AIの何が問題で、どのような解決方法が模索されているのかを取材を通じて丁寧に解説しています。AIによるディストピアみたいな遠い将来の話ではなく、今現在何が起きていて、どのようなアプローチで解決が模索されているのか。

    The Alignment Problem: Machine Learning and Human Values (English Edition)

    The Alignment Problem: Machine Learning and Human Values (English Edition)

    • 作者:Christian, Brian
    • 発売日: 2020/10/06
    • メディア: Kindle版
    Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions (English Edition)

    Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions (English Edition)

    • 作者:Christian, Brian,Griffiths
    • 発売日: 2016/04/19
    • メディア: Kindle版

    本書では、まず”Alignment Problem”とは何かを解説します。三つの代表的な例が1) Word2vec、2) 保釈リスクを計算するソフトウェアCOMPAS、そして 3) Googleのイメージ検索です。それぞれ、AIが導き出す結果は必ずしも人間にとって正しくない。つまり、人間と機械の利害が合致(Align)できていない例です。

    Word2vecは非常に優れた言語解析ができると評価される一方で、人間の持つバイアスをそのまま引き継いでしまう性格もあります。例えば以下の数式。

    医者ー男性+女性=看護婦

    医者から男性の要素を抜き出し、女性の要素を加える。そうすると導き出される答えが「看護婦」となってしまう傾向にあるのです。え?正しいと思う?それがバイアスです。本来であれば……

    医者ー男性+女性=医者

    ……でなければいけないですよね。医者は職業なんだから、男性も女性も関係ない。このバイアスを取り除くのにImplicit Association Testが有力視されていますが、現時点でまだ解決できていません。Googleイメージのゴリラ問題もいまだに解決できてないですしね。

    AIは人間の言葉から女性差別や人種差別を学び取る – GIGAZINE

    分散表現とWord2vec|実践的自然言語処理入門 #3 – Liberal Art’s diary

    この他に、この書籍では公平性の問題や透明性の問題など幅広いトピックをカバーしています。例えば、「犯罪者の仮釈放の逃亡リスクをAIで判断していいのか?」という問題。2020年のアメリカ選挙で隔週で行われる投票法案でカリフォルニア州が仮釈放をAIで行う法案(Proposition 25)において住民に評決を託しました(関連記事)。結果的には否決されましたけどね。本書でも多くの専門家はまだAIがそこまで予測するのは難しいとの見解を示しています。

    同様に犯罪を未然に防ぐためにAIを活用できないのでしょうか?AIは犯罪を起こす可能性がある場所や人物を事前に特定できるのでしょうか。これもバイアスの問題と根っこは同じなのですが、公平性に問題があります。つまり、そのデータセットにバイアスがそもそもあるのではないかということです。公平性を高めるにはより多くのデータが必要になります。しかし、その場合はプライバシーの問題もより大きくなってしまいます。機械学習でプライバシーを担保する方法として「差分プライバシー(differential privacy)」が注目されています。

    AIはブラックボックスのシステムとして有名です。どうしてAIはそのように判断したのか人間には説明が難しい。例えばなのですが、コロナ禍でトリアージが必要になったとします。トリアージは「全員を救うことはできない」という前提のもとに、救う優先順位を決めることです。「命の選択」なんて日本語では言われたりもします。その「命の選択」をAIが決めたらどうですか?嫌ですよね。だって、AIがなぜAさんではなく、Bさんを優先したか、理由がわからないんですよ。実際に本書で紹介されているアメリカでの事例では肺炎のトリアージは、ルールベースのシステムが採用されています。ニューラルネットワークのシステムの方が精度が高い結果が出たにもかかわらずです。なぜか?ニューラルネットワークのシステムで出た結果は医師が説明できないからです。

    そこで注目されているのが「説明可能なAI(XAI:explainable AI)」です。XAIはDARPAをはじめとした多くの研究機関が力を入れている分野で、英語圏では一般的なテックメディアでも紹介されるくらいには注目されている分野です。

    XAIの分野で注目されているのは一般化加法モデル(GAM:Generalized Additive Model)だそうです。流石にここまで来ると私もよくわからないので、Qiitaのリンクを下に貼っておくので、興味があったら調べてみてください。

    ここまでが本書の中盤くらいです。残りはディープラーニングの歴史(主に強化学習)をおさらいした上で、「好奇心」をAIに植え付けるにはどうしたらいいのか(intrinsic novelty preference)、「不確実性」をAIが持つにはどうしたらいいのか(inverse reword designAI safety gridworlds)などこれからの課題と現在の研究結果の紹介となっています。

    ブライアン・クリスチャンは前著”Algorithms to Live By”で生活の中にあるアルゴリズムを普通の人にもわかりやすく解説してくれました。本書はそれよりもかなり技術よりの書籍ではありますが、倫理を含めたAIに関する非常にホットなトピックをわかりやすく解説してくれています。AIの知識をアップデートしたい人には強くお勧めします。

     

  • 書評|ルービック・キューブ考案者が語る創造性とデザイン|”Cubed” by Ernő Rubik

    書評|ルービック・キューブ考案者が語る創造性とデザイン|”Cubed” by Ernő Rubik

    ルービック・キューブの考案者エルノ・ルービックの初書籍が今回紹介する”Cubed”です。ルービック・キューブが世に出てから40年以上経過しています。これまでに自伝とか出ていそうなものですが、この本がエルノ・ルービックが初めて書くの書籍。自分とその発明品であるルービック・キューブについて語ります。内容はUXデザイン、成功と失敗、プロフェッショナルとアマチュアなど非常に多岐にわたります。単純な「自伝」ではなく、とても知的好奇心を刺激してくれる良書でした(オーディオブックはScribedにあります)。

    Cubed: The Puzzle of Us All

    Cubed: The Puzzle of Us All

    • 作者:Rubik, Erno
    • 発売日: 2020/09/15
    • メディア: ハードカバー

    本書の構成は「自伝的な部分」と「考察的な部分」に分かれます。時系列的に「自伝的な部分」が全体の骨格を作るのですが、その間に「考察的な部分」が挿入されます。その時点で自分が考えたこと、その時点と現代のつながり。

    エルノ・ルービックは子供の頃からパズルが好きだったのだそうです。タングラム15パズルペントミノに夢中になったそうです。立体的なパズルとの最初の出会いは立体型のペントミノだったと振り返っています。また、ルービック・キューブ以前に立方体のパズルとしてはソーマキューブがあったそうです。内向的な性格だったのでパズルのような一人遊びが合っていたそうです。チェスもやったそうですが、誰かと対戦するゲームより、ナイト・ツアーのような一人遊びの方が好きだったそうです。勝ち負けとか興味がない。

    自分は全てにおいてアマチュアだとエルノ・ルービックは振り返っています。職業としてはずっと教師ですが、発明家として、建築家として、デザイナーとしてそれぞれにおいてアマチュアだと言います。プロフェッショナルはお金や評価など「外的動機づけ」が必要だけど、アマチュアは自分のやりたいことをやりたい「内的動機づけ」が重要になるとエルノ・ルービックは言います。ただ、アマチュアとプロフェッショナルの区切りも実は曖昧でスティーブ・ジョブズのような人はお金に興味はなく「内的動機づけ」に突き動かされたプロフェッショナルなんだろうと。白黒はっきり分かれるようなものではないだろうと言います。

    教師として専門にしていたのは図法幾何学で、ルービック・キューブのアイデアもここから発展していったそうです。エルノ・ルービックがすごいのは想像力だけが創造性ではないと理解しているところです。ちゃんと作れないといけない。ルービック・キューブのプロトタイプは木で作り、輪ゴムや釣り糸で試したそうです。最終的に私たちがしるあの構造までたどり着きます。ルービック・キューブを分解したことがある人ならわかると思いますが、あの構造はすごいですよね。よく一人で考えた。

    そして、アルノ・ルービックは根っこはデザイナーなんでしょうね。お父さんがグライダーを専門にした航空デザイナーだったのと同じで。あの形、あの重さ、あの大きさに至るまで試行錯誤します。スムースに動くことも重要。UXデザイナーでもありインタラクション・デザイナーでもあるんですよ。本書でもUXデザインの重要性について言及しています。

    さらに、このパズルがちゃんと自分で解けるのかも実証します。すごく難しかったそうです、作った本人にとっても。最初は1ヶ月かかったそうです。「すごく根を詰めて必死にパズルを解いた」といろんなところで書かれているそうなのですが、実際には仕事の合間に楽しみながら取り組んだそうです。ルービック・キューブを解くアプローチとして直感派とアルゴリズム派がいるそうなのですが、アルノ・ルービックは直感的なアプローチと論理的思考で解いたそうです。さらに商用化に向けた特許申請や製造、素材をどうするかなどなど。海外で販売するときの登録商標の問題など紹介されています。 

    アルノ・ルービックはお金も地位も名誉も興味がないそうです。だから今まで本も書かなかったんでしょうね。古い車をずっと乗っている。高級な食事や衣服にも興味がない。建築家でもあるので、自分の家を作るのが好きなんだそうです。それができるだけのお金があれば十分。そして、自分の好奇心を満たすことができればいい。だから、いろんなことに興味があるんですね。本書でもルービック・キューブを軸としてAIやシステム思考について思考を巡らしています。

    自伝というよりは、様々な考えをルービック・キューブを中心に語ったエッセーのような本です。ルービック・キューブの発明者が存命で、現代の技術や考え方と関わり合いを持ち続けていることが(大変失礼ながら)単純に驚きでしたし、その考察もとてもユニークだと感じました。なぜユニークなのかと言えば、それが借り物じゃないからなんですよね。エルノ・ルービックはとてもユニークなルービック・キューブを一人で作り上げた人なんですから。

  • 書評|人間の「仕事」消滅後の世界|”A World Without Work” by Daniel Susskind

    書評|人間の「仕事」消滅後の世界|”A World Without Work” by Daniel Susskind

     人工知能によって人は仕事が奪われる!この手の話はすでにクリシェですよね。今さら真面目に語ってどうするの?今回紹介する”A World Without Work”はまさに語り尽くされた感のあるこのネタを改めて大真面目に検証する本です。

    本書を書いたダニエル・サスキンドは情報化による法律実務のパラダイムシフトなどの論文で日本でも知られるリチャード・サスキンド教授の息子さんです。”The Future of the Professions”を父親と共著で出していますが、今回が初めての単著となります。

    A World Without Work: Technology, Automation, and How We Should Respond

    A World Without Work: Technology, Automation, and How We Should Respond

    • 作者:Susskind, Daniel
    • 発売日: 2020/01/14
    • メディア: ハードカバー
    The Future of the Professions: How Technology Will Transform the Work of Human Experts

    The Future of the Professions: How Technology Will Transform the Work of Human Experts

    • 作者:Susskind, Richard,Susskind, Daniel
    • 発売日: 2017/03/02
    • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)

    本書は既に多く語られた感のあるトピックを現在のトレンドに合わせて整理整頓することにより、新鮮な視点を提供することに成功していると思います。例えば、トマ・ピケティが提起しているような格差問題、GAFAの独占の問題にまで議論を広げています。風呂敷を広げすぎると、畳むのは大変。でも、ちゃんと整理整頓できていると思います。

    ダニエル・サスキンドは「テクノロジーが人から職業を奪う」という予測がハズレてきたのか、そして、なぜその予測は今度はハズレないかもしれないのかを説明していきます。まず、テクノロジーが人から職業を奪わなかった理由が以下の三点となります。

    1. テクノロジーは人を効率的にする
    2. テクノロジーはパイを大きくする
    3. テクノロジーはパイを変える

    経済学におけるスキルの定義は学歴でした。高学歴=高スキルという考え方。スキルプレミアムモデルと言います。しかし、スキルプレミアムでは説明できない事象が起きてきました。二極化です。そこで新しいタスクベースの仮説が生まれました。それがALM仮説です。「テクノロジーがルーティンなタスクをなくし、人はクリエイティブな仕事ができるようになる」という楽観的な考えはここからきています。人間とテクノロジーは補完的な関係であるというのが「1. テクノロジーは人を効率的にする」考え方で、これまではその仮説は正しいように見えます。

    また、テクノロジーは生産力が高いのでパイを大きくします。パイが大きくなるので、人の労働する余地は残されるのです。さらに農業から工業、工業からサービスへ産業が移行したようにテクノロジーはパイ自体を変える効果もあります。テクノロジーが一部の人のタスクを奪ったとしても、新しいタスクが生まれます。ALM仮説によりテクノロジーと人間の関係性はうまく説明ができたと思われました。しかし、結論を出すのはまだ早いとダニエル・サスキンドは主張します。

    これまでのテクノロジーは人間が指示をする必要がありました。AIは人間を真似ることで失敗を繰り返してきました。人間を頂点とした考え方が(間違っていたと言わないまでも)うまくいかなかったのです。しかし、現在のAIは人間を真似ることをやめました。AIは人間から学ぶことなく最適解を見つけることができるようになりました。AlphaGo Zeroのように。AGI(強いAI)は遠い将来に可能になるかもしれませんが、目先にある特定のタスクを人間よりできるようになることを目指したANI(弱いAI)が勝利しました。人間が唯一の頂点なのではなく、複数の頂点があり得るとANI(弱いAI)は証明しつつあります。そうなると、人が説明できるルーティンなタスクだけでなく、人が説明できないノンルーティンなタスクもテクノロジーで人間とは違ったやり方でできるようになることを意味しています。

    AIが進化した世界において、ALM仮説でも説明ができないようになってきたとダニエル・サスキンドはいいます。ルーティンではない仕事もできるようになってきた。もちろん、クリエイティブな作業を含めて全ての仕事がルーティン化してしまうには数十年かかるかもしれない。ひょっとしたらそれ以上かかるかもしれない。ジューディア・パールが言うように現在のAIでは因果関係を見つけることはできないと主張していますし。マーカス・デュ・ソートイもAIがアートを作れるようになる日は来ないのではないか?と示唆しています。現在は確かにそうなのですが、100年後の未来までは誰もわからないし、テクノロジーが、これまでは「ノンルーティン」だと考えられてきたタスクを「ルーティン」としてできることが多くなってきているのは確かなのですし、「ルーティン」の割合は徐々にですが大きくなり続けています。

    テクノロジーが人間の仕事を奪うと何が起きるのか?貧富の差が生まれた要因の一つがテクノロジーだとダニエル・サスキンドは解説していきます。この本の前半はAIについてなのですが、後半は経済や社会の仕組みの話になっていきます。人間の仕事がなくなった世界で、私たちはどのような社会の仕組みを作ることができるのでしょうか。ここで大きく参照されるのがトマ・ピケティです。格差をなくすには累進課税が必要だし、資産に対する税金も強化しなければいけない。この辺の主張は丸ごとピケティです。さらにベーシック・インカムにも主張を展開していきます。ただし、ダニエル・サスキンドは全員に平等なUBIは信じていなくて、範囲を決めるCBIが必要だと主張します。

    本書は現代の言論トレンドを「うまくまとめた」感があります。すごく現代の今旬なテーマをよく研究してるし、それを一つのパッケージとしてまとめたのは素晴らしい手腕だと思います。しかしながら、ダニエル・サスキンドが持つユニークな考え方が見えてこないのも欠点ですね。「よくまとめたなー」とは思うけど、新しい考え方には全く触れることがなかった。何とか自分の立ち位置を作ろうと頑張っている若い研究者の本。そう考えれば、少しはあたたかい目で応援したくもなってきますが。

  • 書評|60年前のケンブリッジ・アナリティカはダメなスタートアップの典型だった?|”If Then” by Jill Lepore

    書評|60年前のケンブリッジ・アナリティカはダメなスタートアップの典型だった?|”If Then” by Jill Lepore

    フェイスブックなどから個人情報を集め、データ分析をして、投票行動に影響を与えるキャンペーンを行ったケンブリッジ・アナリティカは多くの人にとって民主主義への脅威に映りました。しかし、ケンブリッジ・アナリティカのような会社は最初ではありませんし、おそらく最後でもないでしょう。

    ジル・ルポールによる書籍”If Then”は行動科学とコンピューターを組み合わせによる投票者の行動分析レポートでジョン・F・ケネディーの大統領選挙戦にも関わったシミュルマティックス社の歴史を振り返ります。ケンブリッジ・アナリティカが誕生するはるか前からコンピューターによる行動操作をしようと考え、実行した人たちがいたんですね。ただ、なぜ彼らは成功しなかったのでしょうか?アイデアは良さそうなんですが。それがこの本のテーマです。

    If Then: How the Simulmatics Corporation Invented the Future (English Edition)

    If Then: How the Simulmatics Corporation Invented the Future (English Edition)

    • 作者:Lepore, Jill
    • 発売日: 2020/09/15
    • メディア: Kindle版

    「シミュルマティック」とは聞きなれない言葉ですが、シミュレーションとオートマティックを組み合わせた造語だそうです。人間行動のシミュレーションと自動化。名前からして、とても不気味なのですが創業者たちは全くそんなこと思っていなかったようです。いまだったら、マーク・ザッカーバーグもラリー・ペイジも自分たちがユーザーの個人的な行動データを集めてビジネスに利用するのが「不気味」だとは思ってないと思うんですよね。それに近い感覚をシミュルマティックス社の創業者たちも持っていたようです。

    シミュルマティックス社の創業は1959年。1950年代に民主主義の根幹である「選挙」を変える二つが発展しました。ひとつは、コンピューター。1952年アメリカ合衆国大統領選挙の予測をUNIVACを使って行ったのが最初。もうひとつは行動科学です。フォード財団とランド研究所が行動科学の分野で本格的にリサーチに力を入れるのがこの時期。

    シミュルマティックス社はこの二つの大きな流れを結び付けました。コンピューターによる人間行動の予測。なんとなく、イギリスのEU離脱キャンペーンやトランプ大統領が勝利した2016年の大統領選挙戦でFacebookなどから得た個人の行動データを使った選挙キャンペーンを主導したケンブリッジ・アナリティカを彷彿させますよね。

    確かに、シミュルマティック社はスキャンダラスな面においてはケンブリッジ・アナリティカに近いです。ジョン・F・ケネディの選挙戦でアンケートをコンピューターで分析して政策と投票行動に関するレポートを出しました。そして、ケネディが選挙で勝利した後に、その事例をメディアに大々的にアピールしてケネディの立場を危うくしてしまいました。無断で自分たちの実績をPR?そりゃそうだよ、馬鹿か?お前らよく考えろ!この行動はロバート・ケネディーの逆鱗に触れて出禁になってしまいます。

    行動科学とコンピューターを組み合わせて選挙に利用する。このアイデアは確かに当時は斬新でした。いろんなことに利用できるぞ!とシミュルマティックス社の創業者たちは胸を躍らせました。広告だ!広告で大儲けできるぞ!なかなかいい目の付け所だと、グーグルやフェイスブックのビジネスモデルを知っている現在のボクらたちは思いますよね。しかし、シミュルマティックス社はグーグルでもフェイスブックでもないのです。データがない。当時、消費者の行動データを持っていたのは広告代理店です。そして、大手の広告代理店は自分たちで同じことをやりはじめ、自分たちのクライアントにサービスを提供しはじめました。

    選挙に関してはケネディー大統領の件もあって出禁状態です。そこで、ピヴォットしたのがメディアです。政党に選挙予測のデータをうることはできないけど、メディアになら売れるのでは?なんとニューヨークタイムズが契約してくれました。しかし、ここでも大チョンボをやらかしてしまいます。シミュルマティックス社にはまともなコンピューターの専門家がいなかった!

    そのあとはベトナム戦争で行動科学とコンピューター予測をベトナムの現地で実験する仕事をアメリカ軍から請け負ったりします。それも、やっぱりイマイチな結果。アイデアはいいのだけれど、スキルがついてこない。なんか、ダメなスタートアップの「あるある」ですよ。

  • 書評|「頭で考えたらモノが動く」はすぐそこにある現実|”The NeuroGeneration” by Tan Le

    書評|「頭で考えたらモノが動く」はすぐそこにある現実|”The NeuroGeneration” by Tan Le

     映画『アベンジャーズ』でロバート・ダウニー・ジュニア扮するトニー・スタークが浮かんでいる画面を手でササっと操作したり、やはり映画『ドクター・ストレンジ』でベネディクト・カンバーバッチが光の魔法陣をバッと手から出して防御したりカッコいいですよね!やってみたいですよね!残念ながら光ってフォトンが何かにぶつからないと出ないから、宙に浮かぶディスプレイや光の魔法陣は今の技術ではできそうにありません。残念!

    しかし、映画『X-MEN』のメインキャラクターの一人で史上最強のテレパスであるプロフェッサーXが使うセレブロのような脳の拡張装置はできてしまうかもしれません。ちなみに、セレブロはスペイン語で「脳」という意味です。

    今回紹介する書籍”The NeuroGeneration”では小型の脳波測定装置を開発するスタートアップEmotivの共同創業者であるタン・リーが様々な最新技術を紹介してくれています。

    タン・リーはまず最初にわかりやすい事例を紹介してくれています。両手、両足が麻痺して動かない四肢麻痺の男性が脳波でF1カーを運転できるようになった事例です。四肢欠損の乙武洋匡さんでも車が運転できるようになる可能性があるということです。論より証拠でYouTubeのビデオを見てもらった方が早いでしょう。

    この本では脳科学を応用した技術的進歩を「ニューロジェネレーション」として7つのケースを紹介しています。全てをここで紹介することはできませんが、面白いと思った一部を紹介します。

    まずは、ブレイン・コンピューター・インターフェイス。F1カーを運転するとか、まさにそうですね。コンピューターのインターフェースは文字のキャラクター・ユーザー・インターフェイス(CUI)から、マウスで操作するグラフィック・ユーザー・インターフェイス(GUI)に。そして、スマホでタッチ・インターフェイスに進化してきました。いま期待されているのはボイス・インターフェイスですが理想とされるのはインターフェイスがない「ノー・インターフェイス」です。おそらく、ノー・インターフェイスに一番近いのがブレイン・コンピューター・インターフェイスです。イーロン・マスクのニューラルリンクも同じコンセプトです。ニューラルリンクの場合は手術で脳に埋め込まないといけないので、ちょっと嫌ですけどね。できれば、プロフェッサーXセレブロのような脳波を使ったウェアラブルでお願いしたい。

    考えていることをコンピューターが理解できるって便利でもありますが、怖いことでもあります。この本でも紹介されていますが、脳波を使った事例としてキャンペーンの多変量テストがあります。タバコのキャンペーンでABCの3種類をテストしました。アンケートではAが一番いいスコアでしたが、脳波が一番反応を示したのはキャンペーンBでした。そして、実際のキャンペーン結果はBが一番良く、Aが一番悪かったそうです。グーグルとかフェイスブックなんて真っ先に飛びつきそうじゃないですか?VRゴーグルのオキュラスとかすごく相性良さそうだけど、自分の脳波がフェイスブックにだだ漏れとかちょっとヤダなあとか。

    また、インプランタブル・デバイスとかも面白そうです。たびたび例に出して恐縮なのですが、四肢欠損の乙武洋匡さんが義手や義足を(自分の手足と同じように)頭で考えて動かせればって思いません?この本で紹介されているアメリカのマーク・ポロックさんは四肢麻痺な上に盲目です。マーク・ポロックさんが使っているのはエクソ・バイオニックという可動式の補助器具です。『エイリアン2』でシガニー・ウィーバーが使ったパワースーツに近いですかね。

    肉体と機械の融合体をサイボーグと言います。例えば『攻殻機動隊』の草薙素子は脳と脊髄の一部を除く全身が人工物なのでサイボーグです。映画『ロボコップ』のロボコップもサイボーグです。脳が人間なので。ちなみに、脳も含めて全てが人工物の場合はアンドロイドやロボットです。わかりやすい例が『ターミネーター』でアーノルド・シュワルツネッガー演じるT-800です。あれはアンドロイド。アンドロイドやロボットの脳は人工知能(AI)ですね。映画『ブレードランナー』に登場するレプリカントはおそらくアンドロイドです。なぜなら原作のタイトルが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』だからです。

    ブレイン・コンピューター・インターフェースやインプランタブル・デバイスのおかげで、サイボーグはだいぶ現実味が増してきています。そのため、サイボーグ・アーティストのニール・ハービソンとニール・リバスが共同でサイボーグ促進を目的としたサイボーグ基金(サイボーグ・ファウンデーション)を設立したりしています。

    人間の脳を活かしたサイボーグが可能なのであれば、人工知能を活かしたアンドロイドだって可能なんじゃないか?って考えちゃいますよね。タン・リーは人工知能は人間の脳と補完関係になると考えているようです。例えば、人間の脳をサイバースペースにアップロードしたり、さらにアンドロイドの人工知能にそれを埋め込んだり。アニメ『楽園追放』がそれに近い世界ですよね。実態のない電脳パーソナリティが器となる生身の体(マテリアルボディ)にダウンロードして動けるようになる。『エヴァンゲリオン』の綾波レイも同じ仕組みだと推測します。

    もちろん、このような世界はまだまだ先の話。人工知能(AI)がシンギュラリティまで到達した上で、意識とは何か解明する必要があります。

    そのほかにもかなり近いであろう分野もたくさん紹介されています。身体的ドーピングだけでなく、意識のドーピングとか。身体拡張だけでなく、脳拡張です。勉強ができるようになるスマートサプリとかです。

    ケトジェニック・ダイエットKeton-esterなどは元々DARPAと民間のHVMNが開発して民生利用されたニューロ医薬といえるサプリです。ニューロ医薬は薬だけでなく、Mindstrongのようなアプリも含まれるコンセプトでFDAの承認が必要になります。

    この本はどんな人にオススメか

    脳科学や将来のインターフェイスに興味がある人にはオススメです。ボク自身もここまで脳のインターフェイスが進んでいるとは知りませんでした。普通の人が身体拡張や脳拡張に使うのもそれほど遠い将来ではないと思いました。人工知能(AI)の研究も脳科学とのシナジーは大きそうです。

    これは本書でも軽く触れられていますが、脳科学の応用が進むにつれて、規制やモラルの問題も大きくなっていくことが予想されます。プライバシーの問題が脳波にまで及ぶのですから。そして、格差問題もより大きくなることが予想されます。だって、脳の拡張ができるような資産を持っている人は、より高度な仕事ができるようになるわけですよ。しかも、それはそれほど遠い将来ではないかもしれない。

  • 書評|アシモフ的なAI三原則|”Human Compatible” by Stuart Russell

    書評|アシモフ的なAI三原則|”Human Compatible” by Stuart Russell

    人工知能(AI)に関して大きく分けて二つの派閥があります。人間のに脳を超えるとき、人間にとって脅威になると主張する派閥と、人間にとって脅威にならないと主張する派閥です。スチュワート・ラッセルは人工知能は人間にとって脅威になると主張する派閥の一人です。スチュワート・ラッセルはカリフォルニア大学バークレー校の人工知能システム研究所(CIS)の所長で、英語では多くの人工知能の著書を執筆しています。

    一番新しい著書の”Human Compatible”でスチュワート・ラッセルは人工知能が人類の脅威になる可能性があるという立場から、いかに危害をなくすことができるのか(人間との共存=Human Compatible)を考察しています。

    Human Compatible: Artificial Intelligence and the Problem of Control (English Edition)

    Human Compatible: Artificial Intelligence and the Problem of Control (English Edition)

    スチュワート・ラッセルの主張を簡単にようやくすれば「AIの目的ではなく、人間の目的を達成するようにデザインすべき」です。「じゃあ、人間の目的って何?』ってなりますよね。問題は人間の目的は数億人の個人の中にあり、機械にはないこと。さらに、人間は自分自身の目的も明確ではないことです。

    まず、この本では「知能とは何か?」を考察しつつ、AIの歴史をその出発点であるダートマス会議まで遡り振り返ります。これも簡単に要約すると、「知能自体がまだよくわかっていない」ですし、「人間が理解できる範囲内での知能しか再現できていない」です。

    単細胞生物の知能は非常に単純で、1) 特定の状況において、2) 何を望み、3) 何を行動するかの三点に要約できます。しかし、単細胞生物は学習ができません。学習にはニューロンとシナプスの神経ネットワークが必要となります。現在のAIは学習できるまで「知能」レベルになってきました。でも、脳の認知レベルはあまりよくわかっていないし、意識レベルは全くわかっていない。

     

    計算スピードだけであれば、コンピューターは人間の脳をすでに凌いでいます。では、なんで現時点で人間と同等のAIが存在しないのか。それは、ハードウェアの問題ではなく、ソフトウェアの問題だとスチュワート・ラッセルは説きます。コンピューターが人間レベルの「知能」を獲得するには複数のブレイクスルーが必要なのだそうです。その代表が、1) 言葉とコモンセンス、2) 世代を超えた学習、3) メンタル行動の管理です。

    例えばなのですが、AIの自然言語処理は本を読んで理解するに至っていません。また、複雑な予測(例としてあげているのが二つのブラックホールの衝突予測)はできません。前提とする知識やデータが必要で、膨大なデータから必要な知識を人間のように効率的に取捨選択するには特徴エンジニアリングが必要ですが、まだまだ人間レベルには程遠い状況です。また、新しいコンセプトを生み出すには帰納プログラミングが期待できますが、これも相対性理論のような科学的コンセプトを生み出すには至っていません。

    つまり、現時点でAIは個別の人間の能力を凌駕する可能性はあるかもしれませんが、集合体としてのn人間をまだまだ凌駕できません。じゃあ、まだまだ先の話だし、それほど脅威を感じなくてもいいのね?とはいきません。AIが人間を凌駕するのは5年後かもしれないし、500年後かもしれない。そこでスチュワート・ラッセルが提唱するのがAI三原則です。これはTED Talkを観てもらうのが早いかもしれません。

    この本はどんな人にオススメか

    AIが現時点で何ができて、何ができないの?を知りたい人にはオススメです。どうしてできないのかをかなり詳しく専門家じゃなくてもわかるように説明してくれます。AIがすでにいろいろ誤用されているから、気をつけようね!という事例も紹介してくれています。「工業化が人間から職を奪わなかったように、AIも人間から職を奪わない」がどうして楽観的すぎて、資本家にとって都合のいい見方なのかも解説してくれています。まあ、生産性が上がるは利益が上がると同義語で、利益は労働者ではなく資本家に分配されますからね。これを「グレート・デカップリング」と言います。

    ただ、ちょっと冗長的だと感じる部分もありました。AIにある程度興味がある人であれば最初のAIの歴史とかはかなり退屈かもしれません。あと、AIの脅威も映画の中の話っぽさが拭いきれず(実際に映画の例が多い)、あまり脅威に感じませんでした。でも、まあ、すでにAIはたくさん誤用されているわけだから、研究者はちゃんと注意しないといけないんでしょうね。

  • 書評|人工知能はパロディではなくオリジナルを作れるか?|”The Creativity Code” by Marcus du Sautoy

    書評|人工知能はパロディではなくオリジナルを作れるか?|”The Creativity Code” by Marcus du Sautoy

    前回紹介した”Possible Minds”では「人工知能は人間の知能を超えるのか?(技術的にはAGIまたは強いAI)」を様々な観点から考察していました。インテリジェンス(知能)とはどういうことなのか?具体的にどのような状態になればシンギュラリティに到達したと言えるのか(紛らわしいですが厳密に言えばAGIができてもシンギュラリティに到達したとは言えません)?

    人工知能が人間と同じレベルに到達した時、人工知能は人間と同様に独立した意識を持ちます。それが人工意識です。独立した意識とは開発した開発者の意識と分離されているという意味です。人工知能が独立した人工意識を持つ時、それは善なのか悪なのか。映画『ターミネーター』みたいな人工知能スカイネットが支配する世界になってしまうのか。映画『her/世界でひとつの彼女』や『ブレードランナー』のレプリカントのように人工知能と恋をすることができるのか?そう言えば、『ブレードランナー』でロイ・バティーを演じた俳優ルトガー・ハウアー がお亡くなりになりましたが、歴史に残る名セリフ「雨の中の涙」のような状況が起きるのでしょうか。っていうか、コンピューターはルトガー・ハウアーのような映画史に残るアドリブができるようになるのか?

    そう、もう一つの興味の方向性が「機械は創造できるのか?」です。パロディやパスティーシュではなく、オリジナルを作れるか?「コナン・ドイルを超えるホームズ作品を書けるか?」ではなく、「コナン・ドイルのホームズ作品に比肩するオリジナルのクラシックを生み出せるのか?」です。「ネクスト・レンブラント」ではなく、レンブラント自身になれるか?です。この主題にどっぷりと取り組んだのが数学者マーカス・デュ・ソートイの”The Creativity Code”です。前置きが長くなりました。 

    The Creativity Code: How Ai is Learning to Write, Paint and Think

    The Creativity Code: How Ai is Learning to Write, Paint and Think

    AGI(強いAI)はチューリング・テストをパスしなければいけません。しかし、マーカス・デュ・ソートイは人工知能がオリジナルを創造するかチューリング・テストではわからないと言います。そこでデュ・ソートイが提唱するのがラブレス・テストです。ラブレス・テストはエイダ・ラブレスから名付けられました。ラブレス・テストで人工知能は全くオリジナルで価値のあるものを創造しなければいけません。そして、その人工知能を開発した開発者にとっても、その創造性はブラックボックスでなければいけません。 

    人工知能と創造性のテーマでの先駆者は認知科学者のマーガレット・ボーデンです。デュ・ソートイもボーデンの定義を踏襲しています。それは以下の三種類です。

    • 探索型(exploratory creativity)
    • 複合型(combinational creativity)
    • 変容型(transformational creativity)

    この中で探索型と複合型はコンピューターが得意とする分野です。”The Creativity Code”で扱うテーマはコンピューターが苦手とする変容型の創造性です。立花ハジメの「信用ベータ」のようにオリジナル(立花ハジメのスタイル)を模したアルゴリズムは昔からあったわけですが、人間が介在せずにコンピューターだけで自律的にアートが作れるかという話。

    The Creative Mind: Myths and Mechanisms

    The Creative Mind: Myths and Mechanisms

    そもそも、アートとはなんでしょうか?マルセル・デュシャンの『』、ジョン・ケージの『4分33秒』が人工知能からアートとして提示された時、私たちは「アート」だと認識できるのでしょうか。ボクはまったく自信が無いです。『銀河ヒッチハイク・ガイド』で世界で二番目に賢いコンピューターのディープ・ソートは「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」は「42」とはじき出しました。42?え?なにそれ?つまり、アートとは受け手の問題でもあるのです。人工知能のアートはフェイクニュースのようなフェイクアートなのか。人間とは独立した意識が生み出した真にユニークなアートなのか。

    銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

    銀河ヒッチハイク・ガイド (河出文庫)

    アートとは自分以外の意識に対するの問いかけでもあります。一種のコミュニケーションですね。それは自発的な表現の欲求です。開発者がアートを作るようにプログラムしたものであれば、それは開発者が生み出したアートであり、人工知能が生み出したアートとは言えないですよね。

    この本はどんな人にオススメか

    アートに興味がある人にはオススメです。パウル・クレーの『教育スケッチブック』と敵対的生成ネットワーク(GAN)の比較はとても刺激的です。創造と観察のぶつかり合い。

    教育スケッチブック (新装版 バウハウス叢書)

    教育スケッチブック (新装版 バウハウス叢書)

    • 作者: パウル・クレー,利光功
    • 出版社/メーカー: 中央公論美術出版
    • 発売日: 2019/08/16
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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    ヴィルヘルム・ヴントのヴント曲線(不快と快感の境界線を表す曲線)やゲシュタルト心理学。さらに敵対的生成ネットワーク(GAN)を超える敵対的創造ネットワーク(CAN)など人工知能とアートに関する最前線が紹介されています。

    個人的にはなんですが、まずは人間が人工知能を使いこなして新しいアートの地平を広げるのが次のステップなんだと思います。チェスがそうなっていますよね。人工知能がどれだけ面白いものを作ったとしても、それは人工知能を作った人間の産物なんですよ。現在の人工知能は人工意識を持っていないですから。真の意味で人工知能がアートを自分の意思で生み出すのは、シンギュラリティーを迎えて、人工意識を持つ人工知能が生まれてからになるでしょうね。

    そして、それはブライアン・イーノのシーニアス(個人ではなく集合的な天才。シーンから生まれるジーニアスという意味)のようなモノになるんでしょうね。

  • 書評|知的好奇心を刺激する触媒としての人工知能|”Possible Minds” by John Brockman

    書評|知的好奇心を刺激する触媒としての人工知能|”Possible Minds” by John Brockman

    宇宙旅行に空飛ぶ自動車。昔から未来予想は夢がありますが、実現するかどうかはわかりません。ある種の思考実験ですよね。人口知能がどこまで人間に近づくのか、人間を超える存在になるのか。人工知能に関する議論も同じです。昔の少年雑誌の未来予想と現在の人口知能に関する議論は、「こうなったらいいな」な夢の話か、「科学的に考えるとこうなるはずだ」な論理なのか手法の違いですね。

    当然ながら人工知能に関する未来予想はたくさん出版されているのですが、今回紹介するのはエッジ財団(Edge Foundation)の創設者であるジョン・ブロックマンがまとめた”Possible Minds”です。

    POSSIBLE MINDS

    POSSIBLE MINDS

    エッジ財団は1981年からはじまったニューヨークのリアリティー・クラブ(The Reality Club)と言う知識人が集まるサロン(日本のインフルエンサーが集金マシンとして運営している「オンラインサロン」とは全く性質が違います)からはじまっています。この集まりにはダニエル・カーネマンやスティーブン・ピンカーだけでなく、アイザック・アシモフなども参加していたようです。

    ジョン・ブロックマンのイントロダクションでは前衛音楽家のジョン・ケージなどのプロジェクトの振り返りなどもあり著者の幅広さを予感させます。実際にジューディア・パールのようなAI畑の人たちだけでなく、セス・ロイドやデイヴィッド・ドイッチュのような量子コンピューターの人たちやスティーブン・ピンカーのような心理学者、ダニエル・デネットのような哲学者まで寄稿しています。面子はマーティン・フォードが編集した”Architects of Intelligence”と被る人たちも多いのですが、こちらは業界人が集まったので幅の広さはないですね。

    Architects of Intelligence: The truth about AI from the people building it (English Edition)

    Architects of Intelligence: The truth about AI from the people building it (English Edition)

     

    内容的にはとても刺激的です。実はスチーム・パンク小説が好きで、アナリティカル・エンジンとか大好物です。サイバネティックから振り返っているので、ノーバート・ウィーナーだけでなく、アラン・チューリングフォン・ノイマンなんてどの記事でもよく出てきます。科学歴史家ジョージ・ダイソンのアナログコンピューターとしての人工知能とかすごく納得してしまいました。

    ノーベル賞を受賞した物理学者のフランク・ウィルチェックも物理学の観点から人間は意識を人工的に作れると主張します。そもそも人間の意識はモノから生まれる。人間はモノを作れる。故に、人間は意識を作れる。現時点で人間の知能は人工知能を上回るが、それは一時的なリードであって、潜在的に人工知能は人間の知能を上回ると言います。

    この本はどんな人にオススメか

    知的刺激を求めている人にはオススメです。人工知能をテーマとしていますが、それを様々な方向で知的に切り込んでいく様は本当に刺激的です。日本の「知識人」の方々は感覚で話をするのでポエム的な未来予想が得意なのですが、ここで集まっている知識人は科学的なアプローチなので、その知識と論理が強力です。当たるも八卦、当たらぬも八卦は変わらないのですが、実現には明確な意思と方向性、さらに科学的なアプローチが必要です。実現は100年後なのかもしれませんが。

    無神論者でモノから生まれる意識の支持者で量子コンピューターのパイオニアであるデイヴィッド・ドイッチュが世代を超えた情報伝達であるミームやトランスミッション・フィデリティーに言及するのは、人工であろうが天然であろうが、それが知識や文明そのものだからなんですよね。そして、それこそがアナログコンピューターであると。