タグ: 起業

  • 蘇りつつあるシャオミー(小米)から学ぶ「モノづくり」から「コトづくり」への変革

    蘇りつつあるシャオミー(小米)から学ぶ「モノづくり」から「コトづくり」への変革

    日本は製造業が強く、「モノづくり」が得意でした。これが過去形になってしまうのはアメリカ(アップルなど)や台湾(シャープを買収したホンハイなど)、韓国(サムソンなど)が日本の製造業を追い越してしまったからです。おそらく作るモノの品質自体はまだまだ追い越されていないのかもしれません。しかし、消費者が求めるものは「品質」から「体験」に変化してしまいました。これが「モノづくり」から体験という「コトづくり」へ変革しなければいけない理由です。

    シャオミー(小米) *1 はスマホのメーカーとして有名ですが、今はその枠にとらわれません。中国で三番目に大きな流通小売ですし、スマートホームやモビリティーでも存在感を示しています。つい最近まで凋落した企業とされていたのにです。今回はシャオミーがどのように「モノづくり」から「コトづくり」に変革したのかを見ていきましょう。ちなみに、今回はスタートアップよりも既存の日本企業に参考になる話かと思います。シャオミーを一般的なスタートアップと捉えると見誤ります。

    スタートアップというには恵まれたスタート

    シャオミーをスタートアップとするのは少し躊躇してしまいます。シャオミーの創業者のレイ・ジュン(雷军)は元々はキングソフトの社長です。そして、キングソフトの経営を退いてからエンジェル投資家として二十以上の企業に投資しています。

    2010年に元Google、MicrosoftやMotorolaのディレクタークラスの人たちとシャオミーを立ち上げます。最初から5億円の資金。ね、スタートアップというには豊富すぎる資金力と経験値でしょ?PayPalで成功してすでに大金持ちだったイーロン・マスクが立ち上げたスペースXやテスラと同じクラスですね。日本だと堀江貴文さんのロケット事業が近いでしょうかね。お金持ちにしかできないスタートアップってやっぱりあるんです。それでも成功したらすごい。スタートアップに貴賎なし。

    資金力も経験もあまりない若いスタートアップは一つのプロダクトに集中しますが、シャオミーの場合は豊富な資金力と経験値によって三方面から事業展開を同時に行いました。ソフトウェア、ハードウェア、サービスです。

    ソフトウェア

    シャオミーを有名にしたのはスマホですが、最初に出したのはハードウェアではなくソフトウェア。最初のプロダクトはAndroidのカスタムUIであるMIUI(ミーユーアイ)でした。これはカスタムROMとして組み込むこともできましたし、自分のAndroidのスマホに入れることもできました。ターゲットは既存のAndroidに満足できていないギークなコアユーザー。

    このコアユーザーにアピールするために既存のオンラインフォーラムを使ってMIUIの宣伝を人海戦術で行います。ポール・ブックハイトのディープアピールの法則と同じで熱狂的な100人のユーザーを育てます。このほかにもウェイボ(微博) *2 やウェイシン(微信:英語名WeChat) *3 を使ってユーザーと積極的に直接コンタクトを取り、フィードバックを受けます。

    メーカーが直接ユーザーの意見を聞いて、その意見がプロダクトに反映される。この当たり前のことができるメーカーってあまりないんですね。それを愚直にやったのがシャオミーでした。のちにシャオミーは独自のオンラインフォーラムを立ち上げますが、そのメンバー数は急速に膨れ上がりました。

    ここで育った熱狂的なシャオミーのファンはミーファン(米粉:ビーフンの意味)と呼ばれ、シャオミー成長の原動力となります。

    サービス

    シャオミーが次に出したのがメッセンジャーアプリである米聊(ミーリャオ)でした。シャオミーに関する書籍を何冊か読んだのですが、シャオミーの成長はこのサービスが支えることになっていました。中国で最初に出たチャットアプリとして実際にミーリャオはそこそこ人気が出ましたが、後発のWeChat(微信)に追い越されてしまいます。結果的に2016年からアップデートされずに仮死状態です。

    また、レイ・ジュンがエンジェル投資家として投資してきたスタートアップを雷军派と呼ぶのだそうですが、これがサービスのエコシステムを形成するはずだというのがシャオミーの書籍で喧伝されていることでした。中国ではGoogleのアプリストアであるGoogle Playがありません。そのために百度手机(検索サイトのバイドゥが運営)や应用宝(チャットアプリの微信の腾讯が運営)など様々なアプリストアがあります。シャオミーも独自のアプリストア小米应用商店を運営しています。

    ハードウェア

    シャオミーが満を持して最後に出したのがハードウェアであるスマホの『小米1』でした。創業から1年目ですね。クドイようですが一般的な若いスタートアップなら一年でスマホは出せないですよ。テスラのように電気自動車も出せないですけどね!

    小米1(クレジット:百度百科)

    シャオミーはオンラインの直販モデルに注力しました。当時はシンガポールに住んでいたので、友人たちも話題にしていました。最新のスマホと遜色ないのに安い。もちろん、各社のフラッグシップモデルと比べれば若干スペックは落ちますよ。でも、値段を考えればお買い得。そして、フラッシュセールという限定発売の手法を取っていたので、レア感がありました。インドで人気があったので、インド人の友人からフラッシュセールのタイミングを教えてもらって実際に買おうとしましたが、すぐに売り切れてしまうので買えませんでした。

    そして、2013年には中国ではスマホのシェア1位、世界でもアップルとサムソンに次ぐ3位まで登り詰めます。海外進出も加速させ、スマートTVなど他のハードウェアにも手を広げます。

    事業不振:飽きられた「モノづくり」

    好調なスタートを切ったシャオミーですが、2015年からあまりビジネスがうまく回らなくなってきます。レイ・ジュンはサプライチェーンの問題とオンラインチャネルへの過度な依存としていました。多くのメディアの分析は上位機種ではアップルとサムソン、下位機種ではファーウェイやOPPOとの競争の激化と説明することが多かったように思います。実際にファーウェイとOPPOにシェアを抜かれてしまいます

    いろいろと原因は考えられますが、根本的な原因は当時のシャオミーのプロダクトに十分な魅力がなかった。これに尽きるのではないでしょうか。求められる価格帯にそれなりのクオリティーのプロダクト。それをフラッシュセールというグロースハックの手法で売っていた。単にそれが飽きられてしまった。シャオミーの考えていたソフトウェア、サービス、ハードウェアによる三位一体の「コトづくり」は実現できていませんでした。

    ソフトウェアに関してはAndroidがアップグレードする毎にMIUIとの差が縮まってきました。例えば、MIUI 9とAndroid Oneでは評価が逆転します。Android Oneは発展途上国向けにシンプルに設計されたAndroidスマホで、ハードウェア設計から部品の調達までGoogleが行います。日本だとワイモバイルから出ていますね。

    www.youtube.com

    サービスに関してもメッセージングアプリのミーリャオは思ったようには立ち上がりませんでしたし、「雷军派」のエコシステムも形になりませんでした。ソフトウェアとサービスによる「コトづくり」が目指すことのはずだったのですが、結局は安くてそこそこのスペックのスマホというモノづくりに終始してしまったというのが飽きられてしまった原因ではないでしょうか。

    復活の兆し:シャオミーにとっての「コトづくり」とは?

    シャオミーは業績が悪化してからあまりメディアに注目されることがなくなりました。テレビだけでなく、炊飯器などの白物家電にも手を出しました。このような様々な取り組みはメディアには迷走に映りました。ただ、「迷走」は半分は正解で半分は誤解です。試行錯誤をしながら方向性を探していたと言った方が正しいでしょう。

    いまシャオミーは復活を遂げつつありますが、レイ・ジュンはシャオミーの復活のカギとして二つ挙げています一つはシャオミーシーチャン(小米市场:販売網)、もう一つはシャオミーインイェ(小米影业:Netflixのような動画サービス)のようなサービス強化です。これにスタートアップへの投資を通じたIoTエコシステムの強化を合わせた三つがシャオミー復活の原動力と言えるでしょう。

    販売網の強化

    オンラインの販売にこだわっていたのに『小米之家(シャオミーのいえ)』という直販店の展開もはじめました。かなりアップルストアを意識しているのがわかりますが、シャオミーのラインアップは家電まで広がっているので、おしゃれなヨドバシカメラな感じがしますね。

    小米之家の店内(クレジット:小米)

    シャオミーは流通小売の側面があります。そして、その販売力はシャオミーの強さの一つです。オンライン、オフラインを合わせた販売能力では中国国内ではアリババ(阿里巴巴)、ジンドン(京东:JD.com)に続き、シャオミーは第3位につけています。ちなみにアップルは第4位。もともとオンラインは強かったのですが、実店舗を加えて販売力を更に増強しました。

    サービスのリブート

    その動画サービスであるシャオミーインイェの立ち上げの時にレイ・ジュンは中国人らしい熱い口調で「心の中で再出発を誓う、この流れる熱い涙のために!2016年を起業の道を歩むすべての仲間と祝おう、永遠に若く、永遠に熱い涙を。*4」と言っています。サービスでシャオミーを作り直す宣言ですね。

    実際にシャオミーのサービス事業は昨年は三倍に増えて2億ドル近く利益を出し、60%の粗利により営業利益を押し上げています。

    スタートアップのIoTエコシステム

    シャオミーは基本的にはスマホの会社です。しかし、炊飯器や空気清浄機までシャオミーブランドで出しています。これはどうしたコトでしょうか?

    シャオミーは2013年に5年で100のスタートアップに投資する宣言をしました。そして、それらのスタートアップはすでにユニコーンとして10億ドル以上の資産評価を受けている企業(ZMINinebot智米(ジーミー))もあれば、すでにIPOしてエグジットした企業(青米(チンミー)Huami)もあります。シャオミー本体がまだIPOしていないのに!この中で特に有名なのはMi Bandを作っているHuamiとセグウェイを買収したNinebotですかね。そう、セグウェイって今はシャオミーなんですよ!

    セグウェイの血を引き継ぐ電子スクーター(クレジット:Ninebot)

    この他にも電子ウクレレのPoputarとか電気歯ブラシのSoocareなどがあります。これらすべてシャオミーが投資をしている会社です。

    電子ウクレレのPopulele(クレジット:Poputar)

    シャオミーが戦略的に投資しているのは以下の5分野です。シャオミーの強みである「高品質な製品を低価格」で提供できるスタートアップに投資します。

    1. スマホ関連周辺機器(スピーカーやヘッドフォンなど:手机周边的智能设备)
    2. スマートホーム(スマートな炊飯器や空気清浄機など:智能白电)
    3. モビリティ(スクーターなど:个人短途交通产品)
    4. ギーク向けノクールなガジェット(ドローンやVRなど:极客酷玩产品)
    5. ライフスタイル(ウクレレなど:关系到人们生活方式类的产品)

    シャオミーはこれらのスタートアップに投資をして自らの強みである販売網を活かして成長させます。シャオミーが投資するのは株式の50%以下。スタートアップ側に議決権を残します。

    更に製造の分野に関してもシャオミーのエンジニアを派遣して品質面での指導をします。ハードウェアの分野であればシャオミーの投資を受けてエコシステムに参加することが成功の条件と言われるくらいです。

    今後の展開

    シャオミーは2018年7月9日に香港証券取引所でIPOしました。当初の調達額は最大6700億円を予定していましたが、それより2割低い約5200億円で落ち着きました。元々の設定額がAppleなどと比べても高すぎた気がします。これからIoTのエコシステムでどこまで市場の予測を裏切って成長するかが楽しみですね。

    参考文献

    シャオミ(Xiaomi) 世界最速1兆円IT企業の戦略

    小米手机_百度百科

    雷军真的会复活米聊吗?_搜狐科技_搜狐网

    小米影业_百度百科

    深度| 小米联合创始人刘德:小米生态链管理的七大逻辑

    销量大跌36%之后今年成功逆袭,在雷军看来,小米做对了什么?_凤凰科技

    A brief history of Xiaomi – China’s tech success story! – Gizchina.com

    Behind the Fall and Rise of China’s Xiaomi | WIRED

    Who Owns Xiaomi Technology, and What Does It Own? — The Motley Fool

    Tech in Asia – Connecting Asia’s startup ecosystem

    Inside Xiaomi’s plan to dominate the connected world

    関連記事

     

    *1:小米に「シャオミ」とふりがなをふるケースを見受けますが、中国語の発音的には間違いです。ご飯は「米饭(ミーファン)」ですがミファンとは言いません。ミファンってなんやねん?また、青米(チンミー)というシャオミー関連企業がありますが、チンミと発音しません。そりゃ珍味。チンミーですね。

    *2:中国のTwitter

    *3:中国のLINE

    *4:中国語では「在我心中,重新出发,还是为了那些热泪盈眶!2016,祝福所有在创业路上的小伙伴们,永远年轻,永远热泪盈眶!」です。

  • Tik Tokのトウティアオ(头条)から学ぶ中国コンテンツビジネス

    Tik Tokのトウティアオ(头条)から学ぶ中国コンテンツビジネス

    アメリカの影響力のある大手テクノロジー会社をまとめてGAFA (Google/Apple/Facebook/Amazon)と言います。ドットコムバブルを生き残ってプラットフォーマーとなった世代ですね。これに続くのがリーマンショック以降に生まれたUber、Airbnb、WeWorkなどのユニコーン *1 です。中国の場合、GAFAにあたるのがBAT (Baidu:百度/Alibaba:阿里巴巴/Tencent:腾讯)です。中国のプラットフォーマーですね。そして、それに続く中国ユニコーンがTMD (Toutiao:头条/Meituan-Dianping:美团点评/ Didi:滴滴出行) です。これに小米(Xiaomi)も加わります。

    中国ユニコーンの中でも美团点评と滴滴出行は比較的わかりやすいかと思います。美团点评はGrouponとYelp(日本だと食べログ)を組み合わせたようなもので、滴滴出行はUberですね。日本と同じで欧米の成功したスタートアップのモデルをその国独自にアレンジして展開しています。そして、头条(以下、トウティアオ)と小米は中国で生まれたユニークなモデルだと言えます。今回はトウティアオの歴史から中国のコンテンツビジネスを学んでいきましょう。

    トウティアオとは

    まず、そもそもトウティアオって何?ってところから。口パクに合わせてかっこいいショートビデオが作れるTik Tokが日本でも10代に人気がありますが、これを作っているのがトウティアオです。同様のストリーミングサービスのMusical.lyもトウティアオが買収しています。昔は中国スタートアップが欧米のスタートアップをパクっていましたが、いまではFacebookがTik Tokをパクるようになるのですから時代は変わりました。ちなみに中国での企業名は北京字节跳动科技有限公司(英語名:Bytedance Technology)です。

    トウティアオの作っている人気アプリ(クレジット:GGVCapital)

    一番多く利用されているアプリはジンリトウティアオ(今日头条)。日本で近いサービスはグノシーとスマートニュース。ディープラーニングを使っている点も類似性があります。日本でもTopBuzzやBuzzVideoというアプリが使えるので試してみてください。

    トウティアオと他の中国ユニコーンの最大の違いは創業者の失敗歴でしょうね。メイトゥアンにしてもシャオミーにしても創業者は前の事業で成功しています。はじめての成功じゃないのです。しかしトウティアオは長い失敗の繰り返しから生まれました。

    トウティアオ創業前:転職と失敗の繰り返し

    トウティアオの創業者はジャン・イーミン(张一鸣)です。トウティアオを創業する前のジャン・イーミンを一言で表せば転職を繰り返す「ジョブホッパー」でした。彼自身は毎日夜中の1時まで働くハードワーカーでしたが、当時は運がなかったんでしょうね。

    ジャン・イーミンは2005年に天津の南开大学 *2 を卒業して企業向けのシステムを開発する会社を起業しますがこれは失敗します。次にクーシュン(酷讯)という後にTrip Adviserに買収されるスタートアップに最初期のエンジニアとして入社します。ここではすぐに頭角を現し、二年目にして40人以上のバックエンド開発者のマネージャーに昇格したそうです。

    次に中国マイクロソフトに転職しますが、すぐに辞めて中国版Twitterのファンフォウ(饭否)に参加します。このファンホウは中国版Facebookであるレンレンワン(人人网)ですでに成功し、後にメイテュエン(美团)を創業するワン・シン(王兴)が作ったスタートアップでした。

    しかし、2009年ウイグル騒乱での言論統制に巻き込まれてファンフォウは政府の命令で強制終了。政府に協力的なライバルのウェイボ(微博)が躍進します。ワン・シンも「スタートアップは政治的に敏感な部分に触れてはいけない(创业公司不该碰政府敏感领域)」という教訓を学びました。ジャン・イーミンはなかなか運に恵まれませんね。ファンフォウがシャットダウンしてから、不動産テックのジウジウファン(九九房)を自ら起業しますがこれも失敗。

    2012年5月に5度目の挑戦としてネイハンドゥアンズ(内涵段子)を開発してリリースします。このサービスの評判に手応えを感じ、同年8月に北京字节跳动科技有限公司を創業してジンリトウティアオ(今日头条)をリリースします。ジャン・イーミンが大学を卒業して7年目のことでした。長かった!

    トウティアオの成功

    当時はスタートアップの投資は中国に集中していました。成功しているアプリであれば資金調達はそれほど難しくなく、ジャン・イーミンもジンリトウティアオをリリースしてすぐに500万ドル(約5億円)をシリーズAで調達します。

    初期のジンリトウティアオはインターネットから記事を探して機械学習でユーザーが好むコンテンツを表示する比較的単純なアプリでした。パーソナライズもありませんし、画像の表示もありません。モバイルに特化したニュースアプリの先駆けはFlipboardで、表示の美しさに重点を置いていました。ジンリトウティアオが重視したのは見た目の美しさではなく、コンテンツの消費しやすさだったそうです。

    初期のジンリトウティアオの画面(クレジット:百度)

    当時の中国メディアはまだモバイルに最適化したコンテンツを独自で作っておらず、ジンリトウティアオがそのギャップを埋めることになりました。その結果、リリースから四ヶ月で1日のアクティブユーザー(DAU)が百万人になります。

    コンテンツプラットフォームとAI

    アプリにとって大事なのは使い続けてもらうこと。そのためにジンリトウティアオは継続して頻繁にアップデートを行います。機械学習による レコメンデーションやパーソナライゼーションなど次々に実装していきました。当然ながらジンリトウティアオの成功をみて多くの競合が立ち上がりました。しかし、機械学習やディープラーニングはデータ量が重要となります。初期に多くのユーザーを獲得したジンリトウティアオに追いつくのはなかなか至難の技でした。

    Tik Tokを含め、トウティアオの様々なサービスはコンテンツプラットフォームです。しかし、そのコアとなる技術はディープラーニングなどAIです。トウティアオではコンテンツのキュレーションだけでなく、作成もAIで行なっています。2016年のリオオリンピックではAI記者のXiaomingbotで約2週間のオリンピック期間中に、AIが作成した記事を450本配信しました。

    Xiaomingbotのスクリーンショット(ソース:百度)

    AIの記事自動作成はイスラエルのArticooloが有名ですが、これほど大規模に実運用したのはトウティアオがはじめてではないでしょうか。次の東京オリンピックでは日本のスタートアップに頑張ってもらいたいところです。

    このような努力の甲斐もあり、トウティアオの売上は急速に伸びました。立上げから4年の売り上げではGoogleやFacebookだけでなく、同じ中国のテンセントやバイドゥより早いことがわかります。

    トウティアオの立上げから4年の売上の伸びはGoogleやFacebookより早い
    (ソース:Y Combinator)

    C2Cプラットフォームと動画への注力

    最近のトウティアオは特に動画コンテンツに力を入れています。ニュースアプリのジンリトウティアオもかなり動画コンテンツが多いですし、Tik Tokなど新しいアプリは全て動画に注力しています。リップシンクもAIが活躍する分野ですよね。最近の評価はグノシーやスマートニュースのようなAIを使ったニュースアプリではなく「動画+人工知能」だと思います。

    参考文献

    张一鸣:今日头条不模拟人性,也不引导人性,你们文化人给了我们太多深刻的命题-虎嗅网

    张一鸣:我遇到的优秀年轻人的5个特质

    如何评价「字节跳动」创始人张一鸣? – 知乎

    “饭否”创业失败的教训 – 【人人分享-人人网】

    拿下中国人工智能最高奖 今日头条写稿机器人有哪些黑

    The Hidden Forces Behind Toutiao: China’s Content King

    My conversation with Zhang Yiming, founder of Toutiao · TechNode

    関連記事

     

    *1:10億ドル以上の資産評価がされている非上場企業

    *2:中国の六大学である国家重点大学のひとつ

  • Oculusから学ぶハードウェアスタートアップのはじめ方

    Oculusから学ぶハードウェアスタートアップのはじめ方

    20世紀のスタートアップ(AmazonやGoogle)と21世紀のスタートアップ(UberやAirbnb)にはいくつか違いがあります。

    1. ドットコムバブルやリーマンショック以降の成熟(リーンスタートアップやグロースハックなどの方法論の確立)
    2. サービスのスタートアップの誕生(Airbnb、UberやWeWorkなど)
    3. ハードウェアのスタートアップの本格化(ドローンのDJIやウェアラブルのFitbitなど)

    すでにソフトウェアとサービスの事例は見たので、今回はハードウェアのスタートアップです。Oculusはなんと最初の資金調達から一年未満でエグジット *1 しています。Instagramもかなり早いエグジットですが、Oculusはアメリカでは三番目に早いエグジットなので尋常ではありません。まあ、エグジットというのは企業としてはスタート地点でもあるのですけどね。今回はOculusの歴史を見ながら彼らがどのようにハードウェアスタートアップを立ち上げたか見ていきましょう。

    バーチャルリアリティーとOculusの歴史

    バーチャルリアリティーの商用ヘッドセットを最初に作ったのはジャロン・ラニアーとトーマス・ジマーマンが1985年に創業したVPL ResearchのPower GloveとNASAのヘッドセット(HMD:Head Mount Display)を組み合わせたものです。ちなみにジャロン・ラニアーは「VRの父」と言われています。

    この最初の商用VR製品が発売されてから30年もたって、多くのヘッドセットが世に出ていました。更に自作のヘッドセットを作るオンラインコミュニティー(stereo3d.comMTBS)もあり、Oculus共同創業者の一人のラッキー・パーマーもそのメンバーの一人でした。2009年頃、16歳には壊れたiPhoneを集め、それを直して売ってました。この売り上げで3Dのヘッドセットを買い集め、分解して研究しました。つまり、最初は自己資金でははじめました。また、学生としてUSCのMixed Reality Labに在籍していました。『遊戯王』が好きなコスプレオタクでもありました。

    自作文化とオンラインコミュニティー

    彼の自作のヘッドセットに関してもMTBSコミュニティーに投稿しています。そして、最初のプロトタイプが下の写真。同時にラッキー・パーマーは3D表示用のUnity3Dプラグインも開発していました。ハードウェアとソフトウェア両方の素養があったんですね。

    Oculus共同創業者ラッキー・パーマーのVRヘッドセット試作一号機(クレジット:Palmertech)

    偶然の出会いから爆発的な注目を浴びる

    そして、MTBSのコミュニティーで出会うのが大ヒットゲーム『DOOM』や『QUAKE』の作者でゲーム界のレジェンドとも言えるジョン・カーマックでした。ラッキー・パーマーが自主制作したヘッドセットに興味を持ち、一つ送ってもらうように頼みます。そして送られてきたのが六番目のプロトタイプであるPR6でした。そしてこれをOculus Riftと名付けました。

    送られてきたプロトタイプを元にジョン・カーマックは『DOOM3』の3D版を作成して国際的なゲームカンファレンスのE3でデモをします。これが2012年6月の出来事。そしてE3の会場でOculus Riftのデモを見ていたのがラッキー・パーマーとともにOculus VRを立ち上げるブレンダン・イリーベ、マイケル・アントノフとネイト・ミッシェルです。すごい偶然というか、運命ですよね。

    ちなみに、ジョン・カーマックは一年後にOculusにCTOとして参加しますが、この時はまだ会社自体が存在していません。当時のインタビューがYouTubeにも残っています。

    起業とクラウドファンディング

    E3の熱狂の冷めやらぬうち、ラッキー・パーマーはカレッジを中退して2012年7月にOculusを起業します。E3から数週間です。そしてKickstarterでクラウドファンディングの準備に取り掛かります。このクラウドファンディングの目的はゲームデベロッパーやゲームスタジオなどに実際に使ってもらうための開発車向けキット(DK1)の開発でした。

    数週間の準備期間を経て2012年8月にクラウドファンディングのキャンペーンを開始します。E3から二ヶ月ですね。すごいスピード感。キャンペーンのゴールは25万ドル(約2500万円)でした。そして、最終的には243万ドル(約2億4300万円)を9522人から調達します。このキャンペーンの終わりには従業員は10人に増えていました。

    DK1(クレジット:Oculus)

    この後、Oculusは開発者向けキットを二つ出荷(DK1とDK2)、ベンチャーキャピタルから資金調達を経て2014年に30億ドル(約3000億円!)でFacebookに買収され、めでたくエグジットとなりました。ただ、ラッキー・パーマーはFacebookから追い出されてしまうんですけどね。Facebookはこれから投資を回収しないといけないので大変です。

    ハードウェアスタートアップの三つの基盤

    以前はハードウェアはもっと成熟した企業がやるものとされ、スタートアップはインターネット関連のソフトウェアやサービスに限られていました。しかし、Oculusは最初はラッキー・パーマーの個人的なプロジェクトでした。個人的なプロジェクトをここまで大きくできた要因はな三つあります。

    1. 知識:個人で学べる情報サイトとコミュニティー
    2. 制作:個人でもプロトタイプが作れるようになった
    3. 資金:クラウドファンディング

    情報:個人で学べる情報サイトとコミュニティー

    ラッキー・パーマーはVRのオンラインコミュニティーに参加して、そこから様々なフィードバックやアドバイスを受けていました。専門家が集まるオンラインコミュニティーはラッキー・パーマーのようにすでに知識がある人にとってはとてもいい場所です。オンラインだけでなく、ハッカースペースと呼ばれるオフラインのコミュニティーもたくさんあります。東京だとTokyo Hackerspaceが有名ですね。

    これから知識を得たい人もインターネットに様々な情報があります。ハードウェアの場合だとAppropediaというハードウェアのWikipediaが有名です。また、動画や画像を使って説明してくれるInstructablesのようなものもあります。YouTubeでも「#作ってみた」動画は人気がありますよね。

    制作:個人でもプロトタイプが作れるようになった

    シンガポールやオランダのハードウェアスタートアップの友人のオフィスには必ず3Dプリンターがありました。当然ながら様々な部品とハンダゴテも。ハードウェアスタートアップにとってプロトタイプとは自分で作るものです。量産は工場でやってもらうにしても、自分で作れないものを他人が作れるはずがありません。深センに行っても無理です。Hotaxに作ってもらったGoProのような例外はありますが。日本の家電スタートアップのUPQCerevoみたいなしっかりした技術集団がついているからできる。

    昔だと秋葉原にたくさん部品やがありましたが、今だとオンラインで調達するのが簡単です。代表的なのがMouserDigikeyですね。両方とも日本語のサイトがあるってのが素晴らしい。Alibabaとかだとある程度の量を発注しないといけませんが、この二つのサイトなら一個から発注できます。ハードウェア側でのプログラミングもラズパイやArduinoのおかげで随分と楽になりました。

    筐体作成に関しても3DプリンターやCNC加工機などありますし、モデリングも熱溶融樹脂法や光造形法で比較的簡単に作れるようになっています。CADデータさえあれば個人でもデジタルモデリングができます。個人で3Dプリンターを所有する必要はありません。ハッカースペースに行けばありますし。

    資金:クラウドファンディング

    プロトタイプは自己資金で自作する必要がありますが、量産にはそれなりの資金が必要です。そして、最近ではOculusのように最初の開発者向けプレビューはクラウドファンディングで調達することができます。スマートウォッチのPebbleもクラウドファンディングでしたよね。

    ただし、ハードウェアスタートアップは立ち上げるのこそ昔より簡単になりましたが、続けることは相変わらず難しいものがあります。ソフトウェアと違い、在庫を持つ必要がありますし、アップデートも頻繁にできません。品質管理も重要です。それは失敗した数多のクラウドファンディングのハードウェアプロジェクトでもわかりますし、成功したPebbleやJawboneも企業としては生き残ることができませんでした。Oculusもまだ商業的には成功してないですしね。

    ハードウェアスタートアップの未来

    ソフトウェアスタートアップも最初から成功の方程式があったわけではありません。ドットコムバブルでたくさん潰れましたし、リーマンショックでもたくさん潰れました。多くの失敗と積み上がった残骸からリーンスタートアップやグロースハックのような手法が生まれたのです。

    ハードウェアスタートアップはまだ確立されていないこれからの分野だと言えます。少なくとも立ち上げやすくなはなった。これから継続して成長する手法を確立していくことになります。カタパルトスープレックスとしてはハードウェアスタートアップの未来には非常に楽観的です。

    参考文献

    Oculus Rift History – How it All Started – Rift Info

    A brief history of VR and the Oculus Rift | TALES FROM THE RIFT

    A Brief History of Oculus, from Day Zero to Day One

    #AltDevBlog » Latency Mitigation Strategies

    関連記事

     

    *1:投資家と創業者が投資を回収すること

  • WeWorkの誕生と成長|自分がやりたいことを実現できるコミュニティーを作るということ

    WeWorkの誕生と成長|自分がやりたいことを実現できるコミュニティーを作るということ

    WeWorkは資産評価35億ドルのユニコーン企業です。彼らのビジネスはコワーキングスペース。なぜWeWorkはそれほど資産評価が高いのでしょうか?コワーキングスペースを提供する企業は山ほどありますし、WeWorkがコワーキングスペースのコンセプトを生み出したわけでもありません。ボクがシンガポールやオランダにいるときも、WeWorkと同じくらいおしゃれでコミュニティー感が強くて広いコワーキングスペースはたくさんありました。代表的な例はImpact Hub(WeWorkより2年早い2008年に創業)やThe Surf Office(湘南や九十九里浜に欲しいなあ……沖縄もいいなあ)でしょう。

    共同創業者でCEOのアダム・ニューマンは「Amazonがオンラインの本屋だと思っている人は本質を見ていなかった」と言います。では、WeWorkの本質とはなんでしょうか。WeWorkと他のコワーキングスペースを分け隔てているのはなんでしょうか。

    イスラエルのキブツと最初のアイデア

    WeWorkの共同創業者のアダム・ニューマンはイスラエル生まれ。失読症で9歳まで字が読めませんでした。10歳でアメリカに来ましたが、あまり馴染めずにイスラエルに戻ります。イスラエルではほとんどキブツで過ごしました。キブツはイスラエル独特の集団農業共同体で小さな規模で100人、大きな規模では1000人が共に暮らし、働きます。このキブツでの生活がWeWorkのアイデアに影響を与えているのではないでしょうか。

    イスラエルの軍役の後、2002年、23歳でアメリカに戻ります。そして、ニューヨーク市立大学バルーク校に通い、起業を専攻します。大学ではスタートアップのコンペがあり、アダムはWeWorkやWeLiveの原型となるアイデアを提案します。そのアイデアは暮らしのコミュニティーと言えるもので「暮らしのコンセプト(Concept Living)」と名付けました。そしてクラスの中で唯一次のステージに進めなかったそうです。このコンペは5ステージあったのですが、一つも通過できなかったそうです。

    実現が遅れたアイデア

    これは後から学長に聞いたのですが、アダムだけが通過できなかったのはそれが不動産を扱うアイデアだったからだそうです。その年齢で不動産を扱うスタートアップをやって資金調達はできないと言われました。この言葉はのちにアダムの判断に影響してしまいます。WeLiveをはじめるのが7年遅れました。

    振り返ってアダムは「教師に限らず影響力のあるリーダーは人々の可能性を限定するような言葉や行動を慎まなければいけない。可能性は無限にある。それに足枷をつけるようなことをしてはいけない」と語っています。ちなみに、アダムは卒業前に起業をしてしまったので、WeWorkで成功した後にバルーク校に戻り学位を取得しました。学長は当時の判断と言葉に関して謝罪してくれたそうです。そして、アダムは卒業したその日に学位授与式のスピーチ(普通はスティーブ・ジョブスのような人が卒業生に贈るスピーチ)を行うというユニークな体験をします。

    WeWorkを立ち上げるまでの寄り道と失敗

    アメリカに来た頃のアダムはお金に取り憑かれていたそうです。そして、「なんで自分ばかりこんなひどい境遇にあるんだ、自分はもっといい暮らしをする権利がある」と考えていたそうです。在学中もどのように成功できるのかを考え、様々なビジネスを立ち上げています。この頃に奥さんでもありビジネスパートナーでもあり映画監督でもあるレベッカ・パルトロウと出会います。レベッカとの出会いがカバラとの出会いに繋がり、お金ではない大事なことに気づき、考え方が徐々に変わっていきます。WeWorkのコンセプトにもレベッカは大きな影響を与えています。

    アダムが最初に立ち上げたビジネスは折りたたみができるヒールがついた女性靴だそうです。これはモデルでもあった妹のアディ・ニューマンの歩く姿を見て思いついたそうです。これは全く成功しなかったようです。次に立ち上げたビジネスは「クローラーズ(Krawlers)」という膝にパッチのついた幼児用のジーンズで赤ちゃんのハイハイに最適でしたが、これも失敗。そしてデザイナーのスーザン・レイザーと「Egg Baby」という幼児用ブランドを立ち上げます。このブランドは大手の流通でも取り扱ってもらえ、今でも「Egg by Susan Lazar」として残っています(アダムは経営から手をひいています)。それでも借金は残ったそうです。その借金はWeWorkで成功した後に完済したそうです。

    このアパレル系のビジネスをしていた頃、WeWorkを一緒に立ち上げるミゲル・マッケルヴィーと出会います。建築デザイン事務所で働いていたミゲルはアダムにブルックリンにあるオフィスに一緒に入るように勧めます。このオフィスがある建物がWeWorkの原型となります。

    WeWorkの原型となるGreen Deskの立ち上げ

    最初のきっかけはちょっとしたことでした。アダムが自分のオフィスの一部を貸すためにCraiglistに広告を掲載したのです。すぐに借り手が見つかりました。アダムとミゲルは当時のオフィスがあった建物にあまり他のテナントがいないことに気がつきました。あれ?スタートアップ向けのコワーキングスペースにできるんじゃない?一週間後に友人のギル・ハックレーを加えた三人はその建物の所有者であったジョシュア・グットマンを説得しようとします。ジョシュア・グッドマンは最初はかなり懐疑的だったようです。

    「キミらはどれだけ不動産ビジネスについて知ってるんだい?」

    「あなたが不動産ビジネスについてそんなに詳しいなら、なんでこの建物はこんなに空っぽなんだい?」

    これがGreen Deskとなります(当時のローカルニュース)。株式の大部分はジョシュア・グットマンがもち、三人はそれぞれの投資額は5000ドル(約50万円)を出します。利益はジョシュア・グットマンと折半。この時は2008年で、Green Deskの準備期間中にリーマンショックが起きました。不動産ビジネスにとって経済環境としては最悪。流石にこの時はアダムも焦ったそうです。しかし、改装中にすでに予約がいっぱいになったそうです。結局のところ、アダムとミゲルのやろうとしていたことは不動産ビジネスではなくて、人とのつながりを生むビジネスで、それを求める人が多かったということでしょう。ちなみに、WeWorkの競合のImpact Hubもこの年に創業しています。

    当時のGreen Desk

    コワーキングスペースのコンセプト自体はブラッド・ニューベルグが生み出したもので、すでに2005年にサンフランシスコに最初のコワーキングスペースがすでにありました。このGreen Deskがユニークだったのは再利用の家具と再利用エネルギーの利用です。だからグリーンなんですね。

    Green DeskはWeWorkというよりもシェアオフィスのRegusに近かったそうです。アダムとミゲルはイベントやアメニティーが充実したコミュニティーとしてのいまのWeWorkのコンセプトに近いモデルを次に試したかったそうですが、ジョシュア・プットマンは成功しているGreen Deskのモデルを展開したかったそうです。方向性の違いが生まれました。

    WeWorkの立ち上げ

    進もうとする方向が違うため、アダムとミゲルはGreen Deckをジョシュア・グットマンに300万ドルの資産価値で売却、そこから得た30万ドル(約3000万円)を頭金にしてSOHOでビルを借り、自分たちでWeWorkを立ち上げます。足りない分は友達に借りたりクレジットカードで借りるだけ借りました。お金をセーブするためにイスラエルから友達を呼んで7日間ぶっ通しで内装工事を手伝ってもらいました。

    「たぶん、ニューヨークで遊ぶために呼んだと思ったろうね!」

    このような節約が功を奏して最初のSOHOのWeWorkは一ヶ月で利益が出るようになりました。これが2010年です。Green Deskをはじめて2年ですね。

    次の物件が三人のイラン人兄弟が所有しているエンパイアステートビルの向かいの格安物件でした。格安と言っても100万ドル(約1億円)が必要でした。もちろん、そんなお金はありません。

    「ニューヨークにいる一人を落とせばいけちゃうかもよ」と後にWeWorkに投資をするジョエル・シュライバーがアダムに囁きます。そして、アダムは実行します。イラン人オーナーの一人をたっぷり酔わせて虚ろなまま契約をもらいます。もちろん、後から文句を言われましたが「ペルシャ人は約束を守る人たちでは?」で問題なかったそうです。これが最初の資金調達。そして、その後にもシードで700万ドルほどの調達にも成功します。その後さらに二つのコワーキングスペースをオープンしてから続々と大型投資が決まって行きます。

    それにしても、コワーキングスペースが多くある中、なぜWeWorkだけがこれほど成功したのでしょうか?

    WeWorkにとっての「プロダクト」とは?

    WeWorkの特徴はお洒落な内装、無料のビール、そしてたくさんのイベントですね。でも、これってすぐにマネできますし、実際におしゃれでイベントがたくさんあるコワーキングスペースってたくさんあります。ただ、内装へのお金のかけ方はWeWorkは突出していますし、無料ビールはなかなかないですけどね。別の言い方をすれば「WeWorkは何故そこまで多くの資金を調達できるのか?」とも言えます。

    いろいろと調べると初期の成功はかなり「運」もあったと思います。WeWorkのようなコワーキングスペースは他のテクノロジー系のスタートアップと違い、不動産が必要です。多くの資金が必要です。最初にそれを引き寄せたのはアダム・ニューマンの熱意と創意工夫(オーナーの一人をたっぷり酔っ払わせるとか)でした。しかし、それもプロダクトとしてのWeWorkが優れていなければ継続して成功し(投資を引きつけ続ける)はできません。そうしないと彼らの考える「プロダクト」に投資できないですからね。

    WeWorkにとってのプロダクトとはなんなのでしょうか?それを具体的な形に落とし込むにはどうしたらいいのでしょうか。

    WeWorkのプロダクトは「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」

    アダム・ニューマンはWeWorkのコンセプトはカバラセンターから影響を受けていると言っています。カバラはユダヤの思想で、カバラセンターはニューヨークを拠点としてマドンナやデミ・ムーアなどセレブから支持を受けていることでも有名ですよね。アダムがカバラに目覚めたのは妻のレベッカの影響だそうです。それまでのアダムはお金のために働いていました。なんで自分はこんなに不幸な環境に生まれたんだと、成功していなことを環境のせいにしていました。言うことは大きい(Talk big)けど、レベッカをディナーに連れいくお金もない。カバラと出会い、お金よりも大事なことがあることに気づき、不健康な生活をやめたそうです。そして、お金よりも大事なことのために働きます。

    アダムに限らず、多くの創業者たちは必死で働きます。でも、それはお金のためではありません。やりたいことがあるからです。Spotifyの創業者のダニエル・エクだったら「全部入りのiTunesを作る」だし、Airbnbの創業者たちなら「旅先での共同生活でしか味わえない体験」です。

    生きていくためにお金を稼ぐのは犬にとってドッグフードを食べるのと同じです。しかし、創業者が必死に寝る間も惜しんで働くのはDropdox創業者のドリュー・ヒューストンが言うように、犬にとってのテニスボールを追いかけるのと同じです。

    そのために働くのは単に「よく働き、よく遊ぶ(Work hard, play harder)」のような表面的な行動だけを抜き取ったものではありません。自分のやりたいことを実現すること自体が楽しいのです。これはスタートアップの創業者だけでなく、働く人一般に言えますよね。そういう環境を作りたいのいうのがWeWorkの原点であり、「プロダクト」です。

    WeWorkのタグラインは「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」です。ドッグフードをもらうためにご主人様の言うことをきちんと聞かなければいけないのであれば「やっと週末だ!(Thanks God It’s Friday!)」となるでしょう。しかし、自分が大好きなテニスボールを追っかけているのであれば、早くボールが欲しいから「やっと月曜日がはじまる!」になるのです。おしゃれなオフィスだからって嫌な仕事が好きになれるわけないですよね。

    コミュニティーマネージメント

    WeWorkにはコミュニティーマネージャーという職種があります。コミュニティーマネージャーはもともとゲームのオンラインコミュニティー(特にMMORPG)をまとめる役割でした。どちらかといえば管理者的な側面が強いですね。これをブランドの代表者として主にソーシャルメディアを通じてユーザーの役に立つ情報を発信する役割に変えたのがLisa Brazielでした。そして、徐々にマーケティングの役割の一つとしてコミュニティーマネージメントは発展していきます。そして、多くの場合はマーケティング会社に外注されます。

    WeWorkにとって、コミュニティーはリアルな集まりで、プロダクトにとってのコアとなります。そのため、WeWorkでコミュニティーマネージャーは外注ではなくそのための部門が存在します。

    メンバーエクスペリエンス(UX)

    これまでのRegusのようなシェアオフィスとは違い、WeWorkのプロダクトは「体験」です。WeWorkのユーザー(メンバーとよばれる)の体験が重要になります。

    デジタルプロダクトであればUXは計測可能です。しかし、WeWorkはデジタルプロダクトではないので一般的なUXのための計測ツールは使えません。そこでWeWorkが開発したのがPolarisです。

    WeWorkで開発されたUXレポジトリのPolaris

    WeWorkは各国にコワーキングスペースを展開していて、それぞれの拠点でUX調査を行なっています。そこで、重複するような調査を避けたり、別の場所での学びを他に展開するために一つの場所にPolarisに調査結果を集めています。WeWorkでは調査の最小単位をNuggetといい、Polarisには調査結果がNugget毎に保存され、検索性を高めています。

    おそらく、他のコワーキングスペースもそのスピリッツや考え方はWeWorkと同じなんだと思います。

    まとめ

    働き方改革などいろいろと言われていますが、究極的には「自分のやりたい仕事ができているのか?」なんだと思います。WeWorkも日本に上陸してきました。日本の働く環境も「やっと月曜日がはじまる!(Thanks God It’s Monday!)」になるといいですね!

    参考文献

    Adam Neumann / Washington Ideas 2017 – YouTube

    ECNY Events – Adam Neumann – YouTube

    Adam Neumann Real Estate | WeWork NYC

    The founding story of WeWork – Business Insider

    Inside The Phenomenal Rise Of WeWork

    When WeWork was young: the early years | VatorNews

    Democratizing UX – Tomer Sharon – Medium

    Community Manager Role Has Changed: A Decade of Community Management

    関連記事

     

  • Instagramの誕生と成長|爆速エグジットの秘密

    Instagramの誕生と成長|爆速エグジットの秘密

    Instagramのエグジット *1 はアメリカで八番目に早い記録になります。資金調達と同時に起業し、その七ヶ月後に製品ローンチ。起業から一年後に更に700万ドル(約7億円)の資金調達をし、その一年後にFacebookに10億ドル(約1000億円)で買収されます。ちなみに、Facebookはその直後にIPOをしてエグジットしています。

    以下がInstagramの立ち上げからビジネスとして成立するまでの年表です。うーん、めっちゃ早いですよね。Facebookに買収されるまで全く売上はなかったのですが、これだけ資金調達ができていれば全く資金的には問題なく運営できていたでしょう。絵に描いたような順風満帆です。でも、どうやって?

    異例の速さで成功したインスタグラム

    これほど大成功したスタートアップなのに、日本ではその創業者のケヴィン・シストロムとマイク・クリーガーについてはあまり知られていません。彼らがInstagramを立ち上げる前に何をしていたのか、Instagramを立ち上げた後に何をしたのかを見ていきましょう。

    Instagramを立ち上げる前

    ケヴィン・シストロムは自称コンピューターオタクで、子供の頃からQ BasicとVisual Basicに親しんでいました。Doomなどのコンピューターゲームにハマっていたそうです。

    スタンフォード大学時代、専攻はビジネスマネージメントでしたが、プログラミングは続けていたそうです。そして、スタンフォード大学生向けのCraiglistのようなものを作りました。8000人くらいのユーザーがいて、これが最初のソーシャルネットワークっぽいプロダクトだったそうです。

    トイカメラとの出会い

    Holga 120GN (5898093683)

    そして、スタンフォード大学在学中にイタリアのフローレンスに留学をして写真を学びました。その時の写真の講師がトイカメラのHolgaを持っていて、ケヴィンが持っていたニコンと交換して使ったそうです。そのころにトイカメラにハマったそうです

    Holgaなどのトイカメラのフレームサイズは他のカメラと違ってブローニという6×6の正方形の形が多いのです。トイカメラはトンネル効果やピンボケ感など独自のロウファイな風合いが出るため、愛好家から非常に人気がありました。日本でも流行りましたよね。Instagramにトイカメラ風のエフェクトが多いのはこのためです。

    Twitter人脈との出会いとスタートアップの経験

    フローレンスにいた頃に卒業後のキャリアを考えてインターンの機会を探していました。フローレンスにはあまりよいインターネット環境は当時なかったそうで、図書館に行かなければいけなかったそうです。そして、ニューヨーク・タイムスでOdeoを知ります。Odeoはポッドキャストのサービスですが、後にピボットしてTwitterになります。ケヴィンはWhoisでOdeoのメールアドレスを探し当ててメールを送ります。そして、それがきっかけでOdeoでインターンとして働くことになりました。

    Odeoでのインターンの期間はローンチまでの三ヶ月半。チームは4、5人から15人くらいに増えるまでだったそうです。ケヴィンはここでスタートアップでの働き方を学びます。しかもTwitterを立ち上げるエヴァン・ウィリアムス、ビズ・ストーン、ジャック・ドーシーといった錚々たる面々から。

    Instagramの原型となるBurbn(バーボン)の開発

    いくつかのインターンを経験して大学を卒業した後にGoogleに入社しました。本当にやりたかったのは開発のプロダクトマネージャーでしたが、コンピューターサイエンスの学位がなかったため、Googleではマーケティングをやることになりました。

    それでもやっぱり開発がやりたくなって元Google社員が起業したNextstopに転職します。ちなみに、NextstopはInstagramが起業した2010年後半にFacebookに買収されます。そこで個人的なサイドプロジェクトとして作っていたのがBurbnというHTML5アプリです。最初の構想はチェックインとソーシャルゲームを組み合わせたものでした。しかし、出来上がったのは(大雑把に言えば)Four Squareのようなチェックインアプリです。ただし、写真の共有機能がありました。

    Instagramの元となるBurbnのホーム画面(ソース: Famous First Landing Pages

    そして、このBurbnが投資家の目にとまり、50万ドルのシード資金を調達できました。Instagramで資金調達したのではなく、Burbnで資金調達をしたのです。まだInstagramはなかったですからね。そして、シード資金を調達したことによりNextStopをやめて起業することに決めました。起業するときに声をかけたのが共同創業者となるマイク・クリーガーです。Instagramはケヴィン・シストロムとマイク・クリーガーの二人ではじめました。

    しかし、ケヴィンはBurbnに今一つ自信が持てなかったようです。Burbnのユーザーベースは数百人を超えることはなかったようです。一番人気があった機能は写真の共有。そこで、写真の共有に集中することにしました。Burbnをやるつもりで参加したマイク・クリーガーは相当びっくりしたでしょうね。え?チェックインアプリじゃなくて、カメラアプリ?

    Instagramの開発

    当時はたくさんのカメラアプリたくさんあって、Appstoreには906のカメラアプリが登録されていました。その中からなぜInstagramだけが浮上したのでしょうか?創業者二人が口を揃えていうのが「運」です。

    ケヴィン・シストロムは「運が最大の要因。誰でも失敗する。どんなに経験がある人でも。適切な時に、適切な人と、適切なことをやる。ここまでの道のりで、それが出来たのは運。そして、運は自分で引き寄せるしかない。それには必死に働くしかない *2」と言っています。

    マイク・クリーガーはインタビューでもう少し分析してくれています。

    「もちろん運の要素が大きい。運以外の要因をあえて挙げるといくつかある。まず、全くスクラッチから作ったプロダクトではないということ。1000人ほどのユーザーベースだったが写真の部分だけはすごく気に入られてた。その経験から解決すべき課題を理解していた。

    1. 写真をよくしたい
    2. よく撮れた写真はシェアしたい
    3. 早くしたい

    この三つ」

    写真をよくしたい

    当時のiPhone 3Gは今のiPhoneと比べてあまりカメラの性能がよくありませんでした。ケヴィンがガールフレンドと旅行に行ったときに、ガールフレンドが写真をよく撮れるようにしてほしいと言いました。実際に当時のカメラアプリはあまりキレイに写真が撮れませんでした。

    そこで開発したのがX-Pro IIというエフェクトで現在でも使われています。Instagramの初期のユーザーからは写真のフィルターアプリだと思っていた人が多かったそうです。

    X-Pro II

    共有したい

    よく撮れた写真は共有したくなります。やはり多くの写真共有アプリが当時もあったそうなのですが、そもそもいい写真を取ることができませんでした。そして、Instagramの初期に重要だったのは人気の写真を集めたポピュラーページだったそうです。友達がInstagramを使っていなくても、いい写真を共有している人をフォローできるました。つまり、友達がいなくてもInstagramにアップした写真を見てくれる人がいる。

    早くしたい

    当時のiPhoneはカメラ性能もよくありませんでしたが、通信速度もあまり早くありませんでした。特に二人がいたサンフランシスコのネットワークスピードは遅かったそうです。そのために、最初からパフォーマンスには気を使っていたそうです。

    例えば、写真やフィルターを選んでいるときにバックグラウンドでアップロードを開始するなどの工夫をしました。そのために、アップロードが早いという感覚が生まれます。

    成長の秘訣

    グロースハック的な意味での成長で言えばTwitterやFacebookのピギーバッギング *3 や有名人にベータを使ってもらうなどいくつかの工夫をしていました。ただ、こういうことはおそらく普通のスタートアップならやってると思うんですよね。

    それよりも大事だったのは、やるべきことに集中したことなんじゃないかと思います。素晴らしい体験を届けるためにすべきことをやる。どうせわからない将来なんて予測(Second Guessing)しない。邪魔なハンバーガーメニューは作らない。何か追加する場合はInstagramの外で試す。マネタイズも考えない(資金はたっぷり調達してますからね)。

    InstagramがFacebookに買収された時の社員数は13人で、当時のユーザー数は約3000万人。ユーザー数が1000万人くらいまでは5人だったそうです。あれもこれもやっていたらできない人数ですよね。

    どうしてそんな少ない人数でできたのか?という質問に対してケヴィン・シストロムは「すごくスマートな人たちが集まったから」と答えています。

    スタッフを雇う時に二つのアプローチがあります。ひとつは早く雇って、早くクビにする(Hire fast, fire fast)。もうひとつはゆっくりその人の能力や企業文化との相性を見極めてから雇う(Hire slow and smart)。インスタグラムの場合は後者でした。そして、参加した仲間たちを信じること。それが少ない人数でこれだけのことを成し遂げた秘訣だそうです。

    参考文献

    BBC – Future – The simple cult camera that inspired Instagram

    Foundation 16 // Kevin Systrom – YouTube

    Instagram: Conversation with Co-Founder Mike Krieger – YouTube

    関連記事

     

    *1:創業者と投資家がIPOやM&Aを通じて投資を回収すること

    *2:すいません。かなり意訳していますが、こういう趣旨のことをインタビューで答えています

    *3:より大きなプラットフォームに乗っかるという意味。

  • ジャック・マーとアリババ誕生と成長|長江のワニ

    ジャック・マーとアリババ誕生と成長|長江のワニ

    アリババ(阿里巴巴)はジャック・マーと17人の共同創業者とともに1999年に設立されました。そして当時の動画映像はかなり多く残っています。なぜかと言えば、2000年に国際マーケティング担当役員として参加して十年間アリババで働いたポーター・エリスマンがドキュメンタリーフィルムを残す意図で当時からビデオ撮影をしていたからです。ジャック・マーも公開前提で撮影することを許可してくれたそうです。あと、ジャック・マーは映像が好きなんでしょうね。教師の頃の映像とか政府の役人との交渉とかとにかくたくさん映像が残っています。

    これらの映像は『長江の鰐 (Crocodile in the Yangtze)』というタイトルで一般公開されました。幸いにしてボクはこれを公開前にシンガポールでポーター・エリスマン本人による上映会で観ることができました。日本ではあまり知られていないこの映画をボクが知っているのはそのためです。

    英語がわかる人はそれを観るのが一番手っ取り早いです。英語は苦手、全部観るのは億劫という人のために要点をまとめてみました。

    ジャック・マー最初の起業:翻訳会社

    • 杭州酒店に九年間自転車で通い、そこにとまる西洋人宿泊客を相手に英語の練習をする。独学で学んだ英語力で地元の大学で英語の講師となる(当時の月収は12米ドル)
    • 外国との貿易が増えたため、翻訳の需要が高まる。1991年に翻訳/通訳会社を起業。月の収入は700元程度で、家賃が2000元とのことであまり成功しなかった。
    • 翻訳/通訳の仕事の関係でアメリカ訪問。ロサンジェルスで詐欺にあい、傷心でシアトルの知り合いの家にとまる。そこではじめてインターネットと出会う。
    • 「ビール」と検索したらドイツのビールやアメリカのビールは出てくるが、中国のビールは出てこない。「中国」と検索しても何も出てこない。そこで、中国語のホームページを立ち上げてみたところ、アメリカ、日本、ドイツから問い合わせがあった。

    二回目の企業:中国最初のインターネット企業

    • アメリカから中国に戻り、1995年に中国最初のインターネット企業『中国黄页(中国イエローページ)』を立ち上げ、広告事業をはじめる
    • 「世界はインターネットで情報を探す。中国の情報がないと世界の人たちが中国の商品を見つけることができない。だから中国の商品を買うことができない。」これが当時の基本的なピッチ
    • 1997年に中国貿易省の公式サイトとして中国製品のコマースサイトを立ち上げるものの、基本的にはうまくいかなかった。タイミングとしてまだ早かった。

    三回目の企業:再出発とアリババの立ち上げ

    • Amazon、eBayといったコマースサイトだけでなく、CommerceOne、AribaといったB2Bのコマースサイトが立ち上がり、ドットネットバブルが起きる
    • 1999年に心機一転、アリババを17人の共同創業者とともに立ち上げる。ジャック・マーのアパートに全員に対してスピーチを行う。
      • 1995年のビジョンを実行する時が来た。
      • 競合は中国の企業ではなく、海外の企業。特にシリコンバレーのスタートアップ。
      • アリババは国際的な競争に勝てるグローバルなサイトでなければいけない
      • シリコンバレーのハードワークの精神を学ばなければいけない。3年から5年の間は誰にも負けないくらい集中して働かなければいけない。それができなければ成功しない。だからアリババのゴールは2002年のIPOする(これは2007年に実現する)。
      • ハードウェアとシステムではアメリカに負けるが、情報とソフトウェアでは中国は負けない
      • インターネットはバブルだと言われるが、バブルじゃない。バブルは個別の企業。常に新しい企業が現れる。アリババもその一つ。
    • 次の7ヶ月、ステルスモードのスタートアップとして17人の仲間はジャック・マーのアパートに引っ越し、共同生活を送りながら集中して働く。
    • 当時のアリババの仕組みはシンプルで、サプライヤーはアリババに商品をアップして、大量購入する企業顧客がそれを買う。
    • 当初売り上げはゼロ。しかし、ユーザーは増え続けて手応えを得る。
    • 1999年に台湾系カナダ人のジョセフ・ツァイがCFOとしてアリババに参画。ゴールドマン・サックス(500万ドル:約5億円)やソフトバンク(2000万ドル:約20億円)から資金調達を行う。
    • 資金調達後にステルスモードから公開モードに切り替え、香港での正式ローンチの準備を開始する
    • モバイルポータルサイトのシンラン(新浪)、サーチエンジンのソウフー(搜狐)などコマースサイトのイーチュー(易趣:のちにeBayに買収される)が前後してローンチする。

    ドットコムバブルの崩壊

    • アリババが海外進出を開始した時期はドットコムバブルが崩壊した時期と重なり、インターネット企業に対しては厳しい目が向けられていた。アリババは当時は全く売り上げを上げていなかったので、ビジネスとしてどう成り立つのか疑問視されていた。
    • 海外メディアで露出が増えると、中国国内メディアの注目度も上がっていった。
    • イメージは膨らんでいったが、ビジネスとしては成立していなかった。中国国内の担当チームと海外担当チームの間にも歪みが生まれてきた。
    • ジャック・マーはこの歪みを解消するために英語のWebサイト開発とオペレーションをアメリカに移した。しかし、これは歪みをさらに悪化させたためにすぐに取りやめ、全従業員を解雇した。
    • 2001年にドットコムバブルが崩壊した。この頃まだアリババはマネタイズの方法が確立されておらず、調達した資金もなくなりはじめていた。そのあおりを受けてアリババも約半分の海外従業員を解雇した。

    希望の兆候

    • 2001年に最初のマネタイズの方法を導入した。それはプレミアムアカウントでプレミアムアカウントは検索結果で上位に表示される。
    • それでも赤字は続き、資金の底が見えはじめたため、マーケティング予算をゼロにして、解雇をさらに進める。
    • 一年後にプレミアムアカウントの売り上げで黒字化を達成する。
    • しかし、すぐにSARSの感染がアリババ社内でも広がり、オフィスを締めなければいけなくなる。社員は全て自宅待機をする必要があり、社員一人ひとりがパソコンを自宅に持ち帰ってWebサイトの運営をリモートで行う。

    eBayとの競争

    • eBayがアリババの中国における競合のイーチュー(易趣)に投資をする
    • 一部の社員はまだSARSの疑いで自宅待機だったが、これに対抗するために特別チームを結成する。そしてB2Cのコマースサイトであるタオバオ(淘宝)を数ヶ月で開発する
    • その翌月、eBayがイーチュー(易趣)の買収と中国でのeBayの本格参入を発表する
    • タオバオを正式にローンチして、最初の三年間は手数料を取らないことを発表。イーチューは当時まだ黒字化しておらず、eBayもウォール・ストリートからの中国への投資回収が期待されているため、この動きに追随しないだろうと判断。
    • eBayはイーチューをグローバルプラットフォームに吸収。中国国内で人気のあったイーチューの機能をやめる。
    • 2005年にタオバオがeBayを取引量で追い抜く。2007年にはさらに突き放すために追加で三年間の手数料無料を宣言。2009年にeBayは撤退。
    • この頃、eBayの株価が下がりはじめ、中国への1億ドル以上の投資が疑問視される
    • 2005年にeBayからパートナーシップの提案を受けるが、断る。その代わり、Yahoo!とパートナーシップを結び、40%の株式を10億ドル(約1000億円)で売却する(この時点でYahoo!がアリババの最大の株主になる)。同時にYahoo!中国法人がアリババ傘下になる。意図としてはGoogleや百度との中国での検索エンジンビジネスの競争。
    • Yahoo!の中国法人とアリババの統合はなかなかうまくいかなかった。
    • 過去にYahoo!中国が中国政府に対すしてメール通信記録を提供するという事件が発覚。このために中国人記者一人が拘束される。当時はまだアリババの傘下ではなかったが、法律には従わなければいけないと説明。
    • 2007年に香港で上場

    まとめ

    ドットコムバブル崩壊前に創業された中国スタートアップと現在を比べるのはなかなか難しいものがあります。ジャック・マーが今日の時点で英語教師だったら同じことができるでしょうか。歴史の「もし」はわからないですし、あまり意味もありません。Instagramの創業者であるロバート・シストロムが言うように「全てが運だとしても、運は自分の手で引き寄せるしかない」のです。そして、現在のスタートアップでもジャック・マーから学べることは多くあります。

    ひとつは自分が熱中できることに集中すること。お金ではなく、自分が実現したいことのために働く。ジャック・マーの場合は「インターネットで世界のマーケットと中国のマーケットをつなげる」でした。

    そして、もう一つがユーザーの価値を考えること。eBayが豊富な資金力にも関わらずタオバオに追いつかれ、追い越されてしまったのはこのためです。

    関連記事

     

  • Spotifyの誕生と成長|二年半の赤字から音楽市場V字回復の立役者に

    Spotifyの誕生と成長|二年半の赤字から音楽市場V字回復の立役者に

    音楽市場は2014年まで15年続けて縮小を続けていましたが、2015年から回復して今も売上を伸ばし続けています。この音楽市場のV字回復に最大限の貢献をしているのが音楽ストリーミングで、Spotifyはその最大手です。日本の音楽市場だけ、未だに回復できていませんが、Spotifyが起爆剤になってくれることに期待ですね。

    日本語でSpotifyの歴史を詳しく解説している情報がなかったので、まとめてみました。

    Spotifyをはじめる前の成功と失敗:Spotifyをはじめるきっかけ

    ダニエル・エクはスウェーデンの生まれで、14歳の時にビジネスを(偶然)はじめました。当時すでにC++でプログラミングができました。1997年当時はWebが流行りだして、Webサイトを欲しがる人たちがいました。特にやりたくはなかったそうですが、その需要に応えるうちにいつの間にかビジネスになり、20歳くらいには人を雇い、自社のサーバー環境を運営する規模になっていたそうです。

    Googleに社員として応募したけれど、断られて自分で検索エンジンを作ることに決めたそうです。これがあまりうまくいかず、会社は破産寸前まで陥って社員を解雇しなければいけなくなりました。この頃に出会ったのがドイツ人で共同創業者のマーティン・ローレンソンでした。マーティンは自分の会社を売ってやることがなく、いろんなアイデアをダニエルと話し合いました。そこで生まれたのがSpotifyでした。2005年のことでした。ダニエル・エクが23歳、マーティン・ローレンソンが37歳でした。

    なぜ音楽ビジネス?

    音楽の聴き方にはもっといいやり方があると最初に示したのはNapsterでした。ボク自身もそれなりの音楽好きですので、Napsterが登場した時は本当に衝撃的でした。すげー!でも、え?こんなこと出来ていいの?という感覚。当時は著作権上「こんなこと出来ていいの?」という不安はまさに的中してNapsterはビジネスとして成り立つことなく消え去りました。

    思春期のダニエル・エクもNapsterの登場には衝撃を受けたそうです。ダニエル・エクにとって幸運だったのはスウェーデンに住んでいたことです。スウェーデンは当時からギガバイトのインターネットのアクセスが非常に安価(2000円/月程度)で、Napsterのような音楽ファイルの共有サービスもそれほどストレスなく使えたことです。

    失敗の後、心機一転、新しいビジネスを考える時、自分の本当にやりたいことをやろうと決めたそうです。金銭的な成功では幸せになれなかった、失敗はそれをさらに悲しいものにしました。次のステップに進むとき「次の五年間に集中できることは何か」を問いかけたそうです。そして、それは音楽とテクノロジーでした。ビジョンは「iTunesに全ての音楽が詰まっている状態」だったそうです。

    Dropboxの共同創業者でCEOのドリュー・ヒューストンも言っていますが「自分のテニスボールを見つけないといけない *1」ということですね。これは起業家だけでなく、働く人すべてにとって本当に大事なことだと思います。

    それでも、なんでよりによってみんなが失敗している音楽ビジネス?

    それにしても、音楽業界は数多のスタートアップが挑戦して失敗した企業の屍が積みあがった市場です。Napster、Rhapsody、Kazaaなど様々な企業が挑戦してノックアウトされて、退場していきました。若干成功していると言えるのはPandoraでしたが、それもユーザーが好きな音楽を好きな時に聴けるサービスではありません。Last.fmもまだ存在はしますが……ダニエルの想定は「音楽サービス自体はユーザーに受け入れられているが、ビジネスモデルが壊れている」でした。つまり、ビジネスモデルさえ確立すればいい。

    そして、ビジネスモデルに関してはダニエル・エクは楽観的だったそうです。何も知らなかったから。何か本当に革新的なことをやるにはその業界にいないほうがいい。「まあ、半年くらいでサービスインできるだろう」と予想していたそうです。そして、結局は二年半かかることになります。

    ローンチまでの二年間半の音楽業界との格闘

    プロダクト面ではプライベートベータからパブリックベータまで公開していきましたが、ライセンスの交渉は難航していました。

    当時「半年くらいでローンチできるだろう」と考えていたのは必要なロイヤリティーさえ支払えば著作権管理団体がうまいことやってくれるだろうと予想していたからです。そこで、投資家のフレッド・ウィルソンの友人のフレッド・デイビスに相談したところ「いやいや、レーベルと個別に交渉しないとダメだよ。なんだったらレーベルの人を紹介するけど」と言われたそうです。

    紹介してもらえたレーベル以外も、様々な方法でコネクションを作って交渉の場を持てるようにしたそうです。例えば、レーベルの担当者の子供が通う学校の間でSpotifyを流行らせたり。直接会えなくても、周りからせめてかなり地道な努力をしたようです。そして、メジャーレーベルや大手のインディーレーベルと交渉をはじめたダニエルでしたが、最初の反応はすごく良かったそうです。ところが、話を詰めていくとどんどんペースが落ちていったそうです。そして最後にはほとんどのレーベルで「交渉はおしまい。もう来ないでね」となってしまいました。

    ダニエル・エクはニューヨークからストックホルムへの飛行機のチケットをキャンセルして粘ることにしました。「もう来ないでね」と言われたので、アポイントは取れません。そこで、レーベルのオフィスの前で寝泊りをしたそうです。ホームレスのように。

    同じ交渉をしても断られるのはわかっているので、作戦を変えました。アメリカのレーベルにとってアメリカ市場は最大の市場であって、あまり実験的なことはやりたくない。そこで、アメリカではなく実験ができる国に最初は絞ったのです。いずれにせよ海賊版の問題があるのだから、テストマーケットとしてスウェーデンは悪くない。

    そうして創業から二年半たった2008年にSpotifyを正式にローンチできました。

    でも、二年半もどうやってお金のやりくりしたの?

    それにしても不思議なのは二年半もの間、どうやってお金のやりくりをして開発者を含む従業員に給料を支払っていたのか?ということです。

    起業家の資金調達は大きく分けて二種類、自分のお金か他人のお金です。自己資金の場合はブートストラップといい、他人のお金はエンジェル投資家やベンチャーキャピタルからの資金調達です。銀行からの借金も他人のお金ですね。Spotifyの場合はブートストラップ。つまり、自己資金でした。

    ダニエルとマーティンという二人の創業者は今で言うところの連続起業家で、それなりに資金を持っていたいんですね。ダニエルの場合は会社が破産したということですが、自分の資金は別に持っていたのでしょう。二人合わせて十億円ほど使ったそうです。

    Spotifyが外部から資金調達をしたのはレーベルとの契約ができた2008年が最初です(Crunchbase参照)。それまではずっと自己資金でやってたってのはすごいですね。

    裏返して言えば、このレーベルとの交渉の結果によってはSpotifyは沈没する可能性もあったわけです。レーベルとの交渉は全てダニエル・エクが行なっていて、社員に詳しい状況は知らせていなかったそうです。振り返って考えると、社員に対してもっと透明性があっても良かったと反省しているそうです。

    Spotifyの成功要因

    プロダクトをローンチできたからといって、それがすぐに成功につながるわけではありません。「市場に受け入れられるプロダクト(Product Market Fit*2)」が必要です。先行する音楽サービスはこれがありませんでした。

    先行するプロダクト/サービスと何が違ったのか?Spotifyの成功要因はよく研究されているので、ここでは要点だけ絞ってご紹介します。

    • 「音楽全部入りのiTunes」というわかりやすいコンセプト
    • オンデマンドで好きな音楽を好きな時に聴ける利便性
    • それが全て無料で利用できるフリーミアムモデル
    • Facebookとの独占的音楽サービスインテグレーション契約(2011年)

    ソース:“Forget Taylor Swift: Spotify is facing a much bigger problem”

    Spotifyは音楽の何を変えたのか?

    Napsterが可能性としてみせたオンデマンドの音楽配信をメインストリームにしたのがSpotifyの功績で、それによって音楽業界はV字回復をすることができました。しかし、Spotifyが変えたのはそれだけではありません。

    音楽の多様化

    音楽はこれまで以上にユーザーの耳に届いています。そして、これまでにない多様な音楽を聞く機会があります。例えば、韓国でSpotifyをローンチした後にアメリカ西海岸でユーザー数が増えたそうです。そしてトルコでローンチした後にドイツでユーザー数が増えたそうです。ボク自身もオランダに住んでいた時に日本の音楽をSpotifyで聴いていました。

    聴き方の多様化

    また、アルバムという単位から解放されました。特にEDMのアーティストは毎週リリースしてるんじゃないかというくらい新曲を頻繁に発表しています。そして、アルバム単位で聴きたい人もSpotifyなら気兼ねなく全て聴く事ができます。iTunesの場合は曲単位での購入なのでアルバム全部よりも好きな曲だけ購入するというパターンが多かったそうです。

    アーティストが作品を作りやすい環境

    Spotifyのようなプラットフォームができてから、アーティストはレーベルを経由せずに直接Spotifyに作品をアップロードできるようになりました。例えば、Distrokidを使えばSpotifyだけではなく、iTunesやAmazonにも作品をアップロードできます。プロモーションも自分でできます。

    まとめ

    Spotifyの共同創業者でCEOのダニエル・エクはなかなかシャイな人であまりメディアに露出する機会がありません。メディアに出る時は色々と話をしてくれるので、隠しているわけではなく、単にシャイなんでしょうね。英語でもあまり多くないのですが、Spotifyに関して日本語でまとまった情報がなかったので、まとめてみました。

    参考文献

    World’s Largest Startup Company Platform | Startups.co

    When Spotify was young: the early years | VatorNews

    Fred Davis, Rainmaker Who Sheparded Spotify, Sticking Around as IPO Talk Ramps Up | Billboard

    E580: Spotify’s Daniel Ek on state of streaming, tenacity, transparency, competition by TWiStartups | TWi Startups | Free Listening on SoundCloud

    関連記事

     

    *1:犬はテニスボールを投げると夢中になって追いかけて遊ぶ。起業家も犬にとってのテニスボールのように夢中になれることを見つけないといけないという意味

    *2:マーク・アンドリーセンが提唱したコンセプト。プロダクトやサービスの生死を決めるもの。プロダクトがマーケットにフィットしている状態。つまり、プロダクトを求めるユーザーがいる状態

  • ボクはいかにして海外起業家になったのか?

    ボクはいかにして海外起業家になったのか?

    そもそもなぜ大企業を辞めた?

    ボクの以前の職場はマイクロソフトなんですが、ここでは「心地よい場所に居続けてはいけない」という教えが綿々と語り継がれています。なんでマイクロソフトを辞めたかといえばその教えに素直に従ったというしかないっす。マイクロソフトのどこにいても心地いい場所になっちゃったよ!

    そこそこのポジションにまでいったんですが、その上も大して変わらんよなあと。トップラインを見る人はトップラインしか見ない。ボトムラインしか見ない人はボトムラインしか見ない。両方見ると言っても与えられたゴールを目指すだけ。それはそれですごいことなんですけどね!外資系企業って無茶ぶりしますから。

    なぜ転職じゃなくて起業?

    多分、転職しても同じソフトウェア企業なら大して変わらんと思うわけですよ。変わらないんだったらマイクロソフトに居続ければいいじゃん?変えたいんだったら自分ではじめてしまえ!というのがきっかけです。

    なぜ海外?

    その時にいたのがシンガポールだからです。日本でやめたら日本で起業してたでしょうね。日本を離れて8年ですよ。もう日本の市場はよくわからない。日本は完全にアウェイ状態。だったらホームのシンガポールで起業するよね!

    シンガポールからオランダへ引っ越す時に出てきた写真。すっごく昔の写真です。右がボクです。ビル・ゲイツも若かったけど、ボクも若かったね!

    トピック「今の仕事を選んだ理由」について