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  • なぜブロックチェーンは自由なのか|第三回:自由からも自由になったイーサリアム

    なぜブロックチェーンは自由なのか|第三回:自由からも自由になったイーサリアム

    今回の特集はブロックチェーンです。第一回目はブロックチェーンが生まれる背景となるサイファーパンク第二回目はサイファーパンクとビットコインをつないだハル・フィニーの話でした。サイファーパンクもそこから生まれたビットコインもアメリカの完全自由主義が背景にあります。ある意味、完全自由主義に縛られていた面もあるかと思います。そして、アメリカの完全自由主義からも自由になったのがロシア生まれのカナダ人であるヴィタリック・ブテリンのイーサリアムなのかもしれません。

     

     

    なぜビットコイン/ブロックチェーンは自由なのか

    サイファーパンクから生まれたビットコインは必然的に自由を求めます。

    サイファーパンクはリバタリアン(完全自由主義者)の集まりでした。 完全自由主義は権威主義の反対ですね(下のノーラン・チャート参照)。アメリカでは選挙権を持つ10%から20%が完全自由主義者と言われています。さすが自由の国アメリカ。「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する (Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.) 」が彼らの信念です。

    名前がリベラルに似てるので勘違いされがちですが、リバタリアンはリベラルと全く違います。リベラルは「大きな政府」で、保守は「小さな政府」をよしとします。リバタリアンはは全く政府のない状態を理想とします。日本は与党も野党もリベラル(大きな政府と社会保障)なので、なかなか理解しづらいコンセプトだと思います。

    サイファーパンクの人たちが政府の干渉を嫌い、暗号化技術で自由を勝ち取ろうとしたのはこのような背景があります。

    ロシアから来た少年

    ヴィタリック・ブテリンはモスクワで生まれ、6歳の時の両親とカナダに移住しました。ヴィタリックがビットコインと出会うのは2011年、17歳の時です。父親のデミトリーはエンジニアでスタートアップを立ち上げていました。その父親から教えてもらいました。まだビットコインが誕生して2年しか経っていませんでした。その頃はオンラインゲームのWorld of Warcraftにハマっていて、興味は持てなかったそうですが、徐々に他の人からもビットコインについて聞くようになり興味を持ちました。

    ヴィタリックはビットコインのブログで記事一つあたり5BTCで記事を書くことになります。これでビットコインのTシャツとか買ったそうです。しかし、このブログはすぐに破綻してしまいます。当時はそれほどビットコインに関心を持つ人がいなかったからです。

    それでもビットコインの情熱を失わなかったヴィタリックは2012年に最初のビットコインメディアであるBitcoin Magazineをミハイ・アリジエと共に立ち上げます。

    イーサリアムの立ち上げ

    2013年にサンノゼで開催された暗号化通貨のイベントがヴィタリックにとって大きな転換期となります。ここで多くの人と関わり、実際のプロジェクトを体験することで暗号化通貨の可能性を確信し、次の学期に大学を中退します。大学を辞めたヴィタリックはイスラエルやアムステルダムなど世界中にいる暗号化通貨の関係者を訪れます。そして、多くの人たちがやろうとしているビットコイン2.0は上手くいかないと考えるようになります。

    ビットコインはセキュリティーの関係上、その上にアプリケーションを作りにくくなっている。ビットコインの上に何かを作るのではなく、新しいものを作らなければいけない。ヴィタリックは早速トロントに戻り、ホワイトペーパーを作成。15人の友人に送りました。これがイーサリアムになります。

    イーサリアムとリバタリアン(完全自由主義)

    ピーター・ティール

    ピーター・ティールはPayPalの創業者として有名で、イーロン・マスクを含むPayPalギャングの親分格とされています。最近ではデータ分析企業でユニコーンのパランティアの共同創業者としても有名ですよね。彼が立ち上げたベンチャーキャピタルのFounders Fundは大量のビットコインを購入して資産を大きく増やしました。そして、ピーター・ティールは生粋のリバタリアンでもあります。

    暗号化は完全自由主義者、AIは共産主義者 by ピーター・ティール *1
    “Crypto is libertarian, AI is communist”by Peter Thiel

    そして、ヴィタリック・ブテリンは2014年にピーター・ティールの立ち上げたThiel Fellowshipのフェローの一人として10万ドルを受け取り、これを元にイーサリアムの開発を本格化します。ちなみに、これを受け取れるのは学校をドロップアウト(中退)した若者だけです。

    その後、ヴィタリックと創業チームはクラウドファンディングで1800万ドルを調達し、翌年の2015年7月にイーサリアムをローンチします。

    スマートコントラクト

    イーサリアムの特徴の一つがスマートコントラクトです。ビットコインがサイファーパンクによるイノベーションの集大成だったのと同様に、イーサリアムもサイファーパンクのイノベーションを活用しています。スマートコントラクトもその一つです。

    スマートコントラクトの名付け親はサイファーパンクのニック・サボです。1996年にネットワーク上のプロトコルとしてプログラムされる「スマートコントラクト」のアイデア”Smart Contracts: Building Blocks for Digital Markets“を発表し、1998年にはそれを使った暗号化通貨Bit Goldのアイデアを発表します。このアイデアはすぐに実現しませんでしたが、暗号化通貨はビットコイン、スマートコントラクトはイーサリアムで実装されます。

    ビットコインは人間が使う暗号化通貨で、イーサリアムはマシンが使う暗号化通貨です。暗号化の思想の根幹にあるのが人間の自由なので、暗号化は人のためにあり、契約も人のものなんですね。イーサリアムはそこから一歩踏み出した形になります。

    ヴィタリック・ブテリン

    イーサリアムはあらゆる意味でリバタリアンの血を引き継いでいますが、そこから適当な距離も取ってもいます。ヴィタリック自身もリバタリアンではありません。ウラジミール・プーチンを含む多くの政治家たちと会う機会があり、概ねよい印象を持ったそうです。むしろ、暗号化通貨のコミュニティーの諍いに辟易しているようでもあります。

    ビットコインはサイファーパンクの思想を強く引き継いでいます。これはこれで良いことなのですが、しなやかさを失う部分もあります。イーサリアムはそこから一歩引いた立場にいるため、思想に縛られないところがあります。例えばThe DAOのハッキングでハードフォークをすることに決めましたが、賛否両論あるものの、このような判断ができたのも理想より現実をとるしなやかさのためだと思います。

    イーサリアムでブロックチェーンもようやく「自由」から自由になれたんですね。

    参考文献

    Bitcorati Interview Series : Vitalik Buterin – Head Writer, Bitcoin Magazine – YouTube

    The Abelard School | Toronto Private School | Canada | – ALUMNI

    The Rise of Smart Contracts : Hodl the Moon

    Who is Nick Szabo, The Mysterious Blockchain Titan – unblock.net

    Cryptocurrency Might be a Path to Authoritarianism – The Atlantic

    Here’s Why Billionaire Peter Thiel Said ‘Crypto Is Libertarian, A.I. Is Communist’ | Inc.com

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    *1:ちなみにパランティアのデータ解析はAIではなくAIと人の解析を組み合わせたIntelligence Augmentationです

  • 中国のヨドバシカメラ JD.comが日本企業から学んだこと

    中国のヨドバシカメラ JD.comが日本企業から学んだこと

    中国のスタートアップはすでに巨大プラットフォーマーとなったアリババ、テンセント、バイドゥのBAT(Baidu, Alibaba, Tencent)の他、それに続くユニコーンのトウティアオ、メイトゥアン、ディディチューシンのTMD(Toutiao, Meituan-Dianping, Didi) について記事を見かけることは多いかもしれません。今回取り上げるJD.comはすでにIPOしているのでユニコーンというよりもすでに大企業ですが、その傘下の物流企業や金融企業はまだ非上場なのでユニコーンとして数えられています。

    JD.comを日本の企業で例えるとヨドバシカメラですかね。ヨドバシカメラもそうですが、家電は意外とAmazonの手が届きづらいのか、世界で競合会社があります。アメリカならベストバイですし、ヨーロッパだとドイツのメディア・マルクト(Media Markt)やフランスのフナック(Fnac)とか。それにしてもなんでJD.comはこれほど成功したのでしょうか?

     

    大学時代と最初の失敗

    中国の起業家ではよくある話のなのですがJD.com(京东)を立ち上げるリチャード・リュウ(刘强东)の家庭も貧しく、北京大学入学のために上京してきた時、家庭からの仕送りをもらわないことに決めて、プログラミングをしながら学費と生活費を稼ぎました。

    そして、リチャード・リュウの起業人生は大学四年の時に大学近くのレストランをプログラミングで稼いだお金と親族からの借金の24万元で買ったことからはじまります。このレストラン業が失敗して資金を失っただけでなく20万元(日本円で330万円くらいですが、当時の中国での価値はもっと大きかったでしょうね)の借金を背負うことになります。起業という甘い夢。魔が刺しちゃったんですかね。

    しかし、この失敗で起業の夢を失うことはなかったようです。ただ、借金は返さないといけないので、卒業後は日本生命の中国支社に就職します。日本企業ではミスが許されない文化でした。大学時代のアルバイトや最初に経営したレストランではミスを許していました。このミスを許さない姿勢に大きく影響を受けたそうです。更に、物流、調達、ITなど様々な経営の仕組みを学んでいきます。

    起業と失恋

    借金を全て返済したリチャード・リュウは1998年に再び起業します。これがJD.com(京东)です。なんと、後にライバルとなるアリババの一年前に起業してるんですね。最初は親に黙って起業しました。しかし、不審に思った母親が事前の連絡なしに北京を訪れ日本企業をやめてしまったことがバレたそうです。そして、そのことにすごく悲しんだそうです。しかも、当時付き合っていたガールフレンドからも起業が原因で別れを告げられてしまいます。当時の中国ではスタートアップはならず者のやることだったんですね!まあ、日本でも似たようなもんだったでしょうね。

    それにしても、金もない、技術もない、頼る人もいない中での起業で、周りからの理解も得られなかったのはツラかったそうです。それでもやるのがすごいと思います。

    オンラインビジネスへの転換のきっかけ

    当時のビジネスはパソコンショップでした。まだあまりパソコンの操作に慣れた人がいなかったため、差別化のために無償トレーニングを提供していました。Gome(国美電器)が最も大きいパソコンショップチェーンで、いつかはGomeのようになると考えていたそうです。そんな夢を打ち砕いたのがSARSでした。

    これはアリババの映画でも確認できますが、SARSが猛威を振るっていた頃(2002年11月から2003年7月)、外出は制限されていました。リチャード・リュウも店を閉めて、在庫管理を家からしなければいけませんでした。顧客とのコンタクトは店のオンラインフォーラムで、ここで全てのやりとり不眠不休でおこないました。

    この経験でオンラインでのビジネスの可能性を見出します。SARSの脅威がなくなり、店を再び開けましたが、2004年1月1日にオンラインビジネスに転換することを決めます。これが正式な起業の年となります。最初は三人のスタッフと98種類の製品でのスタートでした。この時、リチャード・リュウは30歳でした。そして翌年には店舗を占めて完全にオンラインでビジネスを行うことを決めます。そして起業から10年でIPOすることになります。

    リチャード・リュウがSARSの期間に気づいたのは、日本企業に勤めていた時に学んだ物流の大切さだったそうです。そこで、オンラインビジネスに舵を切る時に物流に力を入れることにします。

    起業から十年間、何度もやめようと思ったそうです。IPOの時は40歳でしたが、かなり白髪が増えたそうです。実際にJD.comは利益が出ていません。Amazonは戦略的な投資を多く行うことで利益を出さないことで有名ですが。JD.comもロボットやドローンを使った最先端のロジスティックに投資していますが、AmazonにとってのAWSのような次の「金のなる木」が見つかっていないのが気になります。

    (ソース:Stockclip)

    大企業の目論見

    利益が出ていないにも関わらず、JD.comはテンセントやウォルマートが投資をしています。これは中国のeコマースがまだまだ成長するという期待もあるのでしょうが、それぞれの企業の思惑が大きい気がします。つまり、JD.comを理解するにはそれを取り巻くエコシステム全体を理解する必要があるということです。

    eコマースは大きく分けてC2CとB2Cの二種類があります。日本を例に例えるとC2Cはヤフオクや楽天市場の個人商店。メルカリもそうですね。B2Bはアマゾンやヨドバシドットコムですね。中国のeコマースではアリババが有名ですが、C2Cがタオバオ、B2CがTmallと二つのプラットフォームを運営しています。ちなみに本家のアリババはB2Bのコマースサイトですね。そして、JD.comはB2Cのeコマースなので直接競合しているのはTmallになり、この分野ではJD.comは最大のシェアを持っています。

    テンセントの目論見

    IPO前にテンセントがJD.comが投資により株式を15%取得して筆頭株主になっています。テンセントとしてはアリババのAlipayとの競合の関係上、WeChatの優位性を持たせるためにコマースなどO2Oのパートナーが欲しい。ペイメントに関しては常にアリババが先行していて、テンセントは追う立場ですからね。そこで白羽の矢が当たったのがB2CのeコマースでトップシェアのJD.comでした。

    この効果はJD.comにとっても絶大だったようで、新規顧客の1/3はWeChatからのトラフィックだったそうです。上のチャートを見てもらえばわかるように、売上げも営業利益率も2015年から改善しています。売り上げはわかるけど、なぜ利益まで?それはこのパートナーシップのおかげで5年間は無料でWeChatから送客されることが大きいと思います。つまり、1/3の新規顧客のCPA(Cost Per Acquisition)がゼロな訳です。そりゃ利益も改善するよ。

    ウォルマートの目論見

    中国市場を狙っているのはウォルマートも同じです。ウォルマートは2011年から日用品のeコマースサイトのイーハオディエン(1号店)に投資をし続け、2015年には完全買収をしました。イーハオディエンもカテゴリーとしてはJD.comと同じB2Cのeコマースです。しかし、一度は手にした100%資本の中国法人ですが、2016年にあっさりと5%の株式交換でJD.comに売却してしまいます。これによりウォルマートもJD.comの大株主に仲間入りです。これは勝ち馬に乗ろうということでしょうね。

    Googleの目論見

    Googleも少額(それでも5億5000万ドル)ではありますがJD.comに投資をすることを2018年6月に発表しました。そして、それに先立つ2018年1月にテンセントとGoogleは特許の共有協定を締結しています。偶然なんですかね?

    Googleは検索においてバイドゥ(百度)とガチバトルをして中国市場から撤退した経験があります。それから2017年にAIを軸にして中国市場に足場を築こうとしています。これは想像なんですが、Googleはガチバトルではなく、パートナーシップで中国市場にプレゼンスを確保する戦略に切り替えたのではないでしょうか。

    参考資料

    京东创始人刘强东创业史:女朋友父母认为我是耻辱_创业&资本 – 前瞻网

    刘强东的创业经历和故事,讲述刘强东的创业史

    Q&A: JD.com Founder and Chief Executive Richard Liu – China Real Time Report – WSJ

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  • アップルから学ぶベンチャーキャピタルの役割

    アップルから学ぶベンチャーキャピタルの役割

    今回取り上げるのはアップルです。アップルは「資金を提供する人のメリットは何か」と「いつ外部から資金調達をするべきなのか」と「創業者が資金以外に必要なもの」を理解するのに最適な事例だからです。

    資金を提供する人のメリットは何か

    そもそもベンチャーキャピタル って何?

    スタートアップは人生でもありゲームでもあります。創業者にとっては人生ですし、投資家にとってはゲームです。創業者は自分のプロダクトを形にするためにお金が必要で、投資家は持っているお金を増やす必要があります。

    お金ってほっとくと価値が下がるんですよね。今の日本だと実感しづらいかもしれませんが、インフレで物価は上がるので、相対的に貨幣価値は下がるんです。だから投資家はお金を運用して動かさないといけない。そのために沢山の金融商品が開発されました。プライベートエクイティもその一種です。書評で紹介した”Principles”の著者のレイ・ダリオのヘッジファンドも同様です。

    プライベートエクイティは未公開株のことです。公開株はパブリックエクイティ。エクイティは株のことです。未公開株を使った投資戦略はいくつかあり、ベンチャーキャピタル はその一種です。他にもソフトバンクがボーダーフォンを買収するときに使ったレバレッジバイアウト(LBO)などがあります。

    ベンチャーキャピタルにとって顧客は機関投資家で、プロダクトはスタートアップの成長性。投資を回収して利益を機関投資家に還元します。慈善事業ではないのです。

    最初のベンチャーキャピタル

    ベンチャーキャピタルの父と言われているのはビジネススクールINSEADの設立者であるジョルジュ・ドリオです。第二次世界大戦後の帰還兵がビジネスを立ち上げるためのファンドを作るために機関投資家に働きかけたのが最初と言われています。

    彼が立ち上げたARDC (American Research and Development Corporation)が1957年に7万ドルを投資したDECが十年後の1968年に3億5500万ドルでIPOしました。ベンチャーキャピタルが機関投資家から資金を集めて、スタートアップに投資して回収するというこのモデルは基本的に今でも変わりません。

    簡単に言えば1) 大きな資金で、2) お金を大きく育てられる。この二つの条件が揃った時にベンチャーキャピタルによる資金調達は有効だし、お互いにメリットがあるということですね。そうじゃない場合、例えば、少ない資金でできる場合はブートストラップでやったほうがいいですし、大きな資金が必要だけど、事業としてはあまり育たないならやらないほうがいい。どうしてもやりたければ借金でやったほうがいい。

    いつ外部から資金調達をするべきなのか

    これまで見てきたスロースタートアップはベンチャーキャピタルから資金調達をしないで自己資金(ブートストラップ)で起業しました。

    アップルだってブートストラップではじめました。スティーブ・ジョブズはフォルクスワーゲントラックを750ドルで売って、スティーブ・ウォズニアックはHPの計算機を500ドルで売って資金を作り、それを元手にコンピューターの基盤を作りました。これがApple Iです。ガレージで作ったのは、オフィスを借りる資金なんてなかったからです。ファッションでそんなことやってたわけじゃない。

    アップルの最初の製品”Apple I”のレプリカ(クレジット:Cameron’s Closet)

    The Byte Shopを経営するポール・テレルがApple Iを50個オーダーしてくれました。しかし、ボードだけじゃなくて完成品じゃなければいけない。1個配送する毎に現金で500ドル払ってくれる。さすがに1250ドルではパソコンそのものは作れない。オーダーをうけるには1万5000ドル必要でした。銀行は貸してくれないので、手形で部品を購入します。まあ、つまり借金ですね。でも、全て売り切って利益が出た。

    アップルの場合、Apple IはMVPと言えます。これで利益が出たことでビジネスとして成立できるという仮説を立証できました。そこまではブートストラップだったんですね。

    アップルの最初の資金調達

    スティーブ・ジョブズはAtari、スティーブ・ウォズニアックはHPに勤めていました。まだ、アップルにフルタイムでコミットしていたわけではなかったんですね。そう、どんなスーパーマンでも衣食住は必要なんです。ハードウェアのスタートアップはお金がかかるので、ブートストラップでは限界があります。Apple IIを開発するには流石に外部から資金調達をする必要がありました。

    最初にアップルに投資をしたのはベンチャーキャピタルではなく、エンジェル投資家のマイク・マークラでした。最初の資金を投資してくれるのは家族、友達、エンジェルの三種類でしたよね。3F (Family, Friends, Fools) です。

    マイク・マークラが25万ドルの資金提供をしてくれ、アップルに参加することによって1977年にApple IIを作ることができ、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックもフルタイムでアップルにコミットできるようになりました。

    創業者が資金以外に必要なもの

    しかし、この出会いをお膳立てをしたのは有力ベンチャーキャピタルSequoia Capitalを立ち上げるドン・バレンタインでした。資金を提供するだけならドン・バレンタインだけでできたはずです。なぜマイク・マークラを紹介したのでしょうか?

    スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは同じ学校に通っていましたが、仲良くなったのは卒業してからだそうです。お互いにエンジニアリングが趣味だということがわかり、仲良くなりました。ある日、ウォズニアックが小説を読んでいるとブルーボックスという、どこでも電話がかけられる機械が登場してきました。しかし、色々調べているとあながち作り話でもなさそうです。そこで、ウォズニアックとジョブズはThe Stanford Linear Accelerator Centerに夜に忍び込んで図書館で文献を漁りまくりました。そうしたらとある文献に小説に出てきた周波数が書いてある。あ、これ本物だ!ということで二人は実際にブルーボックスを使ってバチカンやホワイトハウスに無料で電話をしまくります。これが二人にとっての最初のプロダクトでした。まあ、そういう人たちだったんです。

    ジョブズ

    ドン・バレンタインは資金調達のために会いに来たスティーブ・ジョブズと話をした時に投資をするにはビジネスの経験がないとを感じました。スタートアップに必要な三つの役割はハッカー、ハスラー、ヒップスターの3H (Hacker, Hustler, Hipster)の三つでしたよね。スティーブ・ジョブズはソフトウェア開発者(ハッカー)とデザイナー(ヒップスター)の要素を持っていました。スティーブ・ウォズニアックはソフトウェアとハードウェアの開発者(ハッカー)の要素を持っていました。そう、ビジネスが分かるハスラーがいなかったのです。

    創業者に足りないのって資金だけじゃなくて経験も足りないんですよね。成長に足りないものを見抜いて補完するのもベンチャーキャピタル の仕事の一つです。マイク・マークラはエンジェルとして資金を提供するだけでなく、三人目の共同創業者としてアップルに参加することになります。Googleにおけるエリック・シュミットの役割ですね

    スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックに無かったのはビジネスの経験で、三人目の共同創業者としてマイク・マークラはハスラーとしてビジネスの経験を提供しました。そして、元々インテルでエンジニアだったため、ハッカーとしてもかなりのコードをアップルで書いたようです。

    ベンチャーキャピタルからの資金調達

    1977年に発売されたApple IIは大成功し、翌年の1978年にドン・バレンタインのSequoia Capitalもアップルに投資します。ベンチャーキャピタルは機関投資家の資金を預かり、それを投資しているのでスタートアップをエグジット *1 させて投資を回収しないといけません。アップルの場合は投資から約二年後の1980年12月に1億7900万でIPOします。

    参考文献

    17 things you didn’t know about the Apple 1 – one of the world’s most expensive computers – BT

    Apple chronology – Jan. 6, 1998

    An ‘Unknown’ Co-Founder Leaves After 20 Years of Glory and Turmoil – The New York Times

    Sequoia

    Wozniak Meets Steve Jobs: Blue Box Free Phone Calls Worldwide – YouTube

    Blue Box – Why Steve Jobs and Steve Wozniak hacked the phone network › Mac History

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    *1:IPOやM&Aなどにより投資した資金を回収すること

  • スロースタートアップ|第四回:GoPro|ハスラーのブートストラップ

    スロースタートアップ|第四回:GoPro|ハスラーのブートストラップ

    ニック・ウッドマンは他のスタートアップ創業者と少し違います。スタートアップにはハッカー(開発者)、ハスラー(ビジネス)、ヒップスター(デザイナー)の三種類の人が必要だと言われています。頭文字をとって3H (Hacker, Hustler, Hipster) 。多くのスタートアップはハッカー(開発者)かヒップスター(デザイナー)が創業者です。ハスラー(ビジネス)が創業者のケースは非常に少ないです。

    これは、プロダクトを作る人がまずは必要だからです。ハスラーはビジネスに関する知識があってもモノは作れないですからね。デザインと開発を外注しないといけない。GoProのようなハードウェアスタートアップであればハードウェアの開発者が創業者のことが多いです。例えば、Oculusのラッキー・パーカーのように。しかし、ニック・ウッドマンはモノを作った経験がないハスラーの創業者でした。どうやってGoProを作ったのでしょうか?

    GoPro創業前

    ニック・ウッドマンは40歳までにスタートアップで億万長者になる夢がありました。周りと違うことをしたい *1

    そこで、大学を卒業してすぐに二つのスタートアップ(ショッピングサイトのEmpowerAll.comとゲーム会社のFunbug)を立ち上げています。ベンチャーキャピタルから400万ドル調達しましたが、これらはうまくいきませんでした。何もやりたいことが見つからず、半年くらい落ち込んだそうです。

    GoProの創業

    ニックが大学時代に打ち込んでいたことはサーフィンでした。そこで、インドネシアとオーストラリアに5ヶ月間のサーフィンの旅に出ることにしました。この旅を写真に収めるために腕にカメラを取り付けてサーフィンをしている姿を撮りたいと考えました。そこで、市販の防水インスタントカメラを腕に取り付けることにします。しかし、市販のカメラを腕に取り付けるストラップがない……あれ?これビジネスとしてイケるんじゃない?

    最初のアイデアは市販のカメラを腕につけるストラップでした。GoProはいきなりカメラじゃないんです。こちらがその最初のプロトタイプ。このアイデアを元に再び起業。三度目の正直ですね。2002年のことでした。

    最初のGoPro(リストストラップ)のプロトタイプ(クレジット:Forbes/YouTube)

    ニックは作ったリストバンドを近所のサーフショップで15ドルで売ってみました。そこで気がついたのはリストバンドよりむしろ市販の防水インスタントカメラが問題だということです。サーフィンで使うには耐久性が弱い。そこで、このリストバンドの権利をKodakに売って、Kodakにリストバンドにあったもっといいカメラを作ってもらおうと考えましたが、これはうまく行きませんでした。まあ、そうですよね。

    最初のカメラ

    Kodakが作ってくれないので、自分で作ることにしました。自分で工具を使ってプラスチックを削り、型を作りました。これを中国のカメラ製造会社のHotaxに送ります。Hotaxから送り返されてきたのはCADファイルでした。なんとここのファイルを開けて確認したところ、うまくいきそうでした。

    ハードウェアのスタートアップの場合、製造コストが必要です。でも、そんなお金なかったら?

    他人から借りるのです。スタートアップには”3F”という言葉があります。最初にお金を貸してくれるのは家族、友達かエンジェル投資家。その頭文字をとって3F (Family, Friends, Fools) です。エンジェルがFoolというのもひどいですね!「アクションカメラ」というジャンルを築き上げたGoProの場合は家族が初期の投資をしてくれました。お父さんは投資銀行の役員ですからね。20万ドル(約2000万円)を「投資」してくれました。身内から借りるのもブートストラップのやり方の一つ。

    これを元手にHotaxで一個あたり3ドルの製造し、14ドルでサーフショップで売ることにします。これが最初のGoProになります。起業から2年目の2004年です。

    テレビショッピングで販売

    GoProといえばデジタルカメラを思い浮かべると思いますが、最初は35mmフィルムのカメラでした。だから3ドルで作れるんですね。

    最初はサーフショップだけで販売していましたが、テレビショッピングまでチャネルを広げました。いまだったらネットショップで売ったんでしょうが、当時はまだテレビショッピングの影響が大きかったのです(下が当時の番組を録画したYouTubeビデオ)。これを二年間売り続けました。

    テレビショッピングで売られる初代GoPro(クレジット:youtu.be

    デジタルカメラのGoPro

    しかし、友人たちから「デジタルカメラにしてほしい」と言われます。流石にそろそろフィルムはツライですよね。そこで、いよいよ2006年にデジタルカメラのGoPro Hero Digitalを発表します。初代のGoProの売り上げのおかげでデジタルカメラを製造できるくらいの原資もできました。ここでようやく私たちにも馴染みのあるGoPro Digital Heroが誕生します。音声は録音できませんでしたが、10秒のビデオが撮影できました。

    大人になるということ

    ここまでニック・ウッドマンはGoProで外部資金を調達していませんでした。しかし、Oculusの事例で見てきたように、ハードウェアのスタートアップは難しい。イノベーションを続けるためにR&Dが必要だし、在庫を持たなければいけないのでサプライチェーンの管理もしなければいけない。

    そこで、創業から9年後の2011年にRiverwood Capitalをリードとしてベンチャーキャピタルから資金調達をします。Riverwood Capitalは製造業のために受託生産サービス(EMS)を提供しているFlextronicsのマイケル・マークスのベンチャーキャピタルです。つまり、製造業のプロ。さらに、マイケル・マークスの仲介でFoxconn(鸿海)からも資金調達を受けます。

    この製造のプロからの支援によりGoProはブートストラップから卒業して大人の階段を登りはじめます。ニック・ウッドマンはこうしてスタートアップで億万長者になる夢を叶えていきます。ただニックがハスラー(ビジネス)ではなくハッカー(デベロッパー)やヒップスター(デザイナー)だったらもっと違った形になってたのかもしれないと思ったりもします。

    参考文献

    GoPro CEO Nick Woodman’s Formative Moment – YouTube

    How GoPro Made A Billionaire | Forbes – YouTube

    First ever GoPro camera – Hero 35 mm – Full story. | Pevly

    The Evolution of the GoPro – Poundit

    Can GoPro Rise Again?

    Foxconn CEO Terry Gou On His Company’s Growing Relationship With GoPro

    GoPro Reveals Why Foxconn CEO Terry Gou Didn’t Take Board Seat

    The Untold Story of How Massive Success Made GoPro’s CEO Lose His Way. Can He Recover? | Inc.com

    The Life And Awesomeness Of A GoPro Founder Nick Woodman – Business Insider

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    *1:ちなみに、ニックの父親は投資銀行の役員で、家庭はすごくリッチだったと思います。まわりの友人も弁護士とか投資銀行とかの家庭が多かったそうです。レーシングカーにも乗ってますからね、金持ちじゃないとできません。金持ちがスタートアップやっちゃいけないなんてことはないですからね。スタートアップに貴賎なし。

  • スロースタートアップ|第三回:MailChimp|選んだ道じゃないけれど

    スロースタートアップ|第三回:MailChimp|選んだ道じゃないけれど

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    「スロースタートアップ」の第三回目はスタートアップなら誰しも(おそらく)お世話になったことがあるMailChimpです。当然、ボクもお世話になっています!これまで見てきたGithubはやりたいことを求めてdribbbleはおじさんたちのサイドプロジェクトとして資金調達をしない自らスロースタートアップの道を進みましたね。MailChimpの場合は全く別の理由でスロースタートアップの道を歩まなくてはなりませんでした

    MailChimpってなに?

    簡単に言えばeメールによるマーケティングツールです。マーケティングオートメーション(MA)のメールだけに特化したサービスです。2000サブスクライバーまでは無料なのでスタートアップがよく使います。ほんと助かってます。

    勘違いによる出会いと解雇

    創業者のベン・チェスナットとダン・クルジアスはアトランタで出会います。ベンはデザイナーとしてCoxという会社に勤めていました。MP3のプロジェクトでデベロッパーが必要だったベンは友人からダンを紹介されます。ダンは元々はDJで不動産業をしていました。音楽の仕事でDJのプログラミングだと思ってたら、コンピューターのプログラミングだった。とんだ勘違いですが、速攻でコンピューターのプログラミングを覚えたそうです。マジか!

    勘違いからの出会いでしたが、二人は息があったようで一緒に働きます。しかし、CoxのMP3の事業は二人の仲ほどはうまくいかず、2000年にベンとダンは一緒に解雇されてしまいます。まあ、Spotifyまで音楽ビジネスはうまくいかないのですから、これは仕方がない。

    失意の起業と失敗の連続

    そして、失業者となった二人は2001年にRocket Science Groupを立ち上げます。最初はコンサルティング業、次に旅行業にピボット、更に不動産業にピボットします。つまり、うまくいかなかったわけです。ベンもダンも奥さんと子供がいましたが、この頃の生活費は奥さんが稼いでくれました。実はもうひとり創業者がいたのですが、その人とはコンタクトが取れないそうです。まあ、うまくいかない時期ってそんなもんですよね。

    うまくいかなかった理由は二人とも営業が苦手だったからです。アトランタにはデルタ航空、コカコーラ、CNNなどの大企業があるのですが、そういう大企業を相手にするのも苦手でした。自分たちでもできたのは中小企業で、中小企業はeメールマーケティングを求めていました。

    MailChimpの誕生

    そこで、普段は大企業相手につらい営業をしつつ、空いた時間で中小企業向けにeメールマーケティングの自動化の手伝いをしていました。この隙間時間のeメールマーケティングのプログラムはすごく楽しむことができたそうです。そして、それが1万ドル(約10万円)、2万ドル(約20万円)くらい入ってくるようになりました。そこで、使っていたプログラムをMailChimpと名付けて、それだけでやっていくことに決めました。これが2007年の話。創業から6年ですね。すっごく長かった!

    2007年と言えばMailChimpの競合会社でベンチャーキャピタルから資金調達をしていたConstant ContactがIPOをした年です。当然ながらベンチャーキャピタルはMailChimpにも来たそうです。でも、ぶっちゃけファイナンシングというのがよく分からなかったそうです。何か信念があって資金調達をしなかったわけではなく、よく分からなかった。少なくとも初期のインタビューではそう答えています。当時のベンチャーキャピタルのアドバイスは中小企業ではなく、大企業のエンタープライズビジネスにシフトすることでした。しかし、それは二人がやりたくないことでした。

    フリーミアムで飛躍

    MailChimpが急速に成長したのは2009年にフリーミアムモデルを導入してからです。当時は10万人くらいだったユーザーがその年で100万人になり、翌年に200万人になりました。

    ブートストラップし続けるということは、エグジットする必要がないということです。回収しなければいけないものがないですから。ベンチャーキャピタルから投資を受け入れるということは、投資を回収する(エグジットする)ためにIPOなりM&Aをしなければいけません。進んで起業したわけでもなく、選んでブートストラップしたわけでもありませんが、MailChimpの場合はそういう圧力がないので今日も元気にブートストラップ中です。

    参考文献

    Want Proof That Patience Pays Off? Ask the Founders of This 17-Year-Old $525 Million Email Empire | Inc.com

    MailChimp Story – Profile, CEO, Founder, History | Email Marketinng Companies | SuccessStory

    Monkey Business: The Story Behind MailChimp’s Wild Growth | Drift Blog

    MailChimp and the Un-Silicon Valley Way to Make It as a Start-Up – The New York Times

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

  • スロースタートアップ|第二回:dribbble|おじさんたちのサイドプロジェクト

    スロースタートアップ|第二回:dribbble|おじさんたちのサイドプロジェクト

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    「スロースタートアップ」の第二回目はデザイナーならみんな大好きdribbble *2 です。どういうわけか、デザイナー御用達ツールはブートストラップが多いんですよね。ShutterStockとかBalsamiqとか。次回紹介するMailChimpもデザイナーのスタートアップですし。今回は若者スタートアップのヒリヒリした話ではなく、おじさんスタートアップのほんわかした話です。

    dribbbleってなに?

    まず、簡単にdribbbleについて。dribbbleはデザイナーが自分の作品をシェアできるWebサービスです。非常にコミュニティー色が強く、多くの場所でボランティアがdribbbleミートアップを開催しています。そういう意味では、世界で最も大きなデザイナーコミュニティーの一つだとも言えます。ボク自身はグラフィックデザイナーではないのでdribbbleは使ってなかったですが、シンガポールやアムステルダムにいた時代にUX関連のトピックではよく参加していました。dribbbleは招待制で、既存のユーザーから招待がないと正式なメンバーになれません。これがスノッブな感じがして、一部にはアンチも存在します。あとで説明しますが、招待制にしたのは理由があって、彼らが外部から資金調達をしないブートストラップのスタートアップであるのが影響しています。

    創業者はおじさんヒップスターとハッカー

    dribbbleの創業者であるリック・ソーネットとダン・シーダーホルムがユニークなのは、かなりおじさんだということですね。スタートした当時には結婚して子供もいた。それなりに安定した仕事もあった。Webの黎明期にインスパイアされてダンはデザイナーに、リックはデベロッパーになります。普通に考えれば、わざわざ大変なスタートアップなんてやる必要ありません。

    リック・ソーネットはリサーチャーだったそうです。でも、黎明期のWebの魅力にとりつかれ、プログラミングを再び学ぶために大学の修士課程に戻り、デベロッパーになりました。IBMやFideltyなどの大企業のほか、スタートアップでも働いていました。

    ダン・シーダーホルムはもともとWebデザインの世界では超有名人で、CSSの可能性を広げた人で、たくさんの著書があります。日本でも『Web標準デザインテクニック即戦ワークブック』が翻訳されていますね。元々はスケートボードのロゴやデザインが好きで、ミュージシャンとして働いていた時にアルバムのデザインなどをしていたそうです。自分がデザイナーだと認識しはじめたのは黎明期のWebの影響が大きかったそうです。タイポグラフィーなどいろんな要素が必要で、多くの人に見られることでデザイナーであることを意識したそうです。

    おじさん達の出会い

    この二人はどうやって出会ったのでしょうか。ダンとリックはボストンで近所に住んでいて、同じ年代の子供がいました。そこでおくさん同士が知り合いになり、二人は出会います。リックは「ダン・シーダーホルムってなんか聞いた名前だな?本とか出してなかったっけ?」と調べました。あ、やっぱり有名な人だ!

    最初は有名人とは釣り合わないんじゃないかと遠慮していたそうですが、そのうちに友達になります。リックは週二日ダンのオフィスを使わせてもらい、残りは家で仕事をしていました。当時はヘルスケアスタートアップのPatientsLikeMeというプロジェクトに関わっていました。リックがダンのオフィスにいるときに二人でサイドプロジェクトができたらいいねという話になりました。デザイナーとデベロッパー。ヒップスターとハッカーはいつの時代も黄金のコンビですよね。

    サイドプロジェクトとしてのdribbble

    ダンが考えていたのはデザイナーが自分たちの仕事を共有できて、「ドリブル」できる場所。2007年くらいからアイデアを温めていました。当時は写真共有サイトのFlickrがとても人気があり、Twitterも人気がではじめた頃でした。その二つを組み合わせたらどうだろうというのが最初のアイデアでした。そして、それは紫でなければいけない!と最初から決まっていたそうです(笑)

    ダンとリックの二人はプロトタイプを徐々に磨き上げ、ベータテストを始めます。手書きの招待状に招待コードを書いて、dribbbleのTシャツを同梱してデザイナーの友人たちに送りました。eメールではなく、創業者による手書きの招待状と手作りのTシャツ。これは最初のベータテスターに参加してもらうのにとても大事だったそうです。ダンのネットワークもあり初期の段階から30人のデザイナーが作品をアップするようになりました。

    dribbbleにとってプロダクトとは

    リックはベータの段階では最初は自分の家の猫の写真などをアップしていたそうです。本物のデザイナーが実際に作品をシェアするまで自分でも確信を持てなかったようです。つまり、Flicker+Twitterというコンセプトはあったものの、デザイナーのコミュニティーというアイデアが最初からあったわけではなかったのです。

    デザイナーたちが作品をアップしはじめると、彼らがどのような意図で、どのようなプロセスでデザインをしているのかがわかるようになりました。普段は最終的なデザインだけではわからなかったものが見えてくる。これ自体がエクスペリエンス(体験)だということがわかりました。

    当初はPixelの交換やゲーミフィケーションなど様々なアイデアがあったり、実際に実装したものもありましたが、ベータテストで方向性がクリアになると不必要な実装やアイデアは全て捨てたそうです。

    長いベータと最初の危機

    ダンもリックもフルタイムの仕事があって、家庭があって子供もいました。dribbbleはかなり長い間サイドプロジェクトでベータでした。招待制はあまり大きなサービスをサイドプロジェクトで続けることができないという理由からでした。多くの機能追加のリクエストもありましたが、優先順位をきちんとつける必要がありました。

    この長いベータ期間のため、デザイナーにとってdribbbleは知り合いが気兼ねなく作品をシェアできる場所でした。そしてこれが正式版のローンチになると問題になりました。デザイナーとしては自分の初期のアイデアをあまり共有したくない。ベータで少ない人だけに共有されていたからよかったが、一般公開になると話が違う。当然ながらプライベートモードなど多くのリクエストがありました。

    しかし、ダンと(特に)リックはプライベートモードの実装には反対しました。一部しか見れないのであればエクスペリエンスは失われてしまう。ユーザーがそれで離れていってしまうのだったら直さなければいけないが、まずはプライベートモード無しでいくと決めます。数週間はクレームの嵐だったそうですが、それでも作品の投稿が減ることはなかったそうです。ここでの学びは「目に見えた変更を行えばネガティブな反応がある。ネガティブな反応があったからといって、その変更が悪いかどうかはわからない。ユーザーの行動を見ていいか悪いかの判断をする必要がある」だそうです。

    ブートストラップとフルタイム

    一般的な若いスタートアップは資金調達をして必死に働いて急速に成長させようとします。その間、仕事に100%コミットする必要があります。ダンとリックの場合は違いました。ダンとリックにとっては家庭が最優先でした。これは他の若いスタートアップの起業家と大きく異なるところです。子供がいて家族を養うとなると「ラーメン利益 (Ramen Profitable)」ではやっていけません。

    最初は大きな宣伝はせずにゆっくりと育てる。これは前回紹介したGithubも同じことが言えます。Githubは最初の二年間で一回しかTechCrunchに取り上げられていません。外部から資金調達する一般的なスタートアップがファストスタートアップだとしたら、ブートストラップの場合はスロースタートアップですね。

    最初にdribbbleでフルタイムとして働きはじめたのはリックでした。2010年5月です。dribbbleの広告でリックの半分のサラリーが賄えるくらいの売り上げがありました。当時のdribbbleはデザインよりもエンジニアリングでやることが多かったので、まずはデベロッパーのリックから。二人一緒にフルタイムの必要はない。リックとしては一時的に収入が減ったとしてもdribbbleをフルタイムでやってみようと決意します。ダメだったらまたスタートアップでデベロッパーとして働けばいいじゃない。

    普通の(でもリッチな)おじさんに戻る

    dribbbleはInstagramと同様に少人数のチームで続けました。2017年1月にTinyに買収された時、従業員は8人でした。7年のスロースタートアップの後、ダンとリックは元の場所に戻っていきます。前よりお金に余裕をもって。

    参考資料

    Rich Thornett on bootstrapping Dribbble – DNSimple Blog

    Interview with Dribbble’s co-founder Dan Cederholm | Webdesigner Depot

    What Drives Dribbble Founder Dan Cederholm? – Envato

    Dribbble Founders on Design, Entrepreneurship, & Community – YouTube

    Dribbble 2.0 – Andrew Wilkinson – Medium

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

    *2:ドリブルと読みます。ロゴはバスケットボール。

  • スロースタートアップ|第一回:Github|スポーツバーとラーメン利益

    スロースタートアップ|第一回:Github|スポーツバーとラーメン利益

    スタートアップといえば急速な成長のためにベンチャーキャピタルからガツンと資金調達をするイメージがあると思います。しかし、ベンチャーキャピタルから資金調達をせずにずっとブートストラップ *1 しながら成長するスタートアップも存在します。日本だとサイバーエージェントがそうですよね。そういうブートストラップなスタートアップをスロースタートアップと呼びたいと思います。

    これから何回かにわたってブートストラップで大きくなった「スロースタートアップ」をいくつか紹介していきます。まずは先日、マイクロソフトに買収されたGithubから。Githubは2008年に創業して、2012年までブートストラップでした。創業者たちはどのように生活費を稼ぎながらGithubをブートストラップしたのかみていきましょう。

    スポーツバーとサイドプロジェクト

    Githubはスポーツバーで生まれました。創業者のトム・プレストン・ワーナーとクリス・ワンストラスは夜遅くにバーで開催されるRuby開発者のミートアップに参加していました。何杯か飲んで休んでいるときにトムがクリスを見かけました。なぜかは覚えていないそうですが、その時にトムがやっていたプロジェクトだったGritをクリスに見せたそうです。GritはRubyで開発したGitレポジトリにアクセスするプログラムでした。トムはすでにWebでGitレポジトリを共有できるプラットフォームのアイデアを持っていました。そして、クリスが言います。「よし、一緒にやろう (I’m in. Let’s do it.)」このスピード感がいいですね。

    そして、翌日の2007年10月19日午後10時24分にクリスが最初のコードをGithubにコミットします。これがGithubのはじまりです。企業立ち上げの公式な手続きがあったわけではなく、二人のプログラマーがクールなことをやろうとした結果でした。

    次の三ヶ月、二人はGithubのプログラミングを行います。トムはGritを開発し続け、UIをデザインし、クリスはRailsのアプリケーションを作りました。毎週土曜日に会って、方向性を話し合いました。この頃、二人ともフルタイムで働いていてGithubはサイドプロジェクトでした。Githubはほぼ全てRubyで開発され、一部だけErlangのgit daemonを使いました。

    ローンチとマイクロソフトと「生かすか殺すか」の決断

    最初のプライベートベータは2008年1月。最初のコミットから三ヶ月後でした。そして、三人目の創業者となるPJハイアットが加わって4月に正式なローンチをします。この時のユーザー数は300人強。自分たちが素晴らしいことをしているという意識はあったそうですが、すごく大きくなるとは想像していませんでした。ローンチもメディアを招待して壮大にやったわけではありません。

    そして、その年の7月にトムは人生の岐路に立ちます。フルタイムで勤めていたPowersetがマイクロソフトに買収されたのです。29歳でした。トムはWordpressなどで使われるアバターのアドインとして有名なGravitorの開発者で前年にAutomatticに売却してからPowersetに勤めています。そのせいなのか、贅沢な暮らしが板についてしまっていて、この頃にはそれなりの額の借金があったそうです。しかも、マイクロソフトの条件はすごくいい。クリスとPJはトムより年下で、すでにフルタイムでGithubにコミットしていたそうです。フリーランスをしながら食いつないでいた。クリスなんてCNETで働いていたんですけどね。トムがマイクロソフトに移ったらGithubはお終い。そして、結局は期限ギリギリにPowersetを退職してGithubにフルタイムでコミットすることに決めたそうです。

    ブートストラップと「ラーメン利益」

    さて、三人は安定した収入を絶ってフルタイムでGithubにコミットします。そして、結果的に5年近く外部から資金調達をせずに自己資金だけで運営していくことになります。

    トムはGravitorで起業の経験があるので、無償で大きなサービスを提供するのは危険だと理解していました。Githubは大きなデータベースなのでサーバーコストの問題を解決する必要がありました。そうした理由でプライベートベータの段階では友人しか招待しませんでした。しかし、徐々にプライベートなレポジトリにお金を払っていいという人たちが出てきました。このプライベートリポジトリによるビジネスモデルが見えていたので三人はそれにかけてフルタイムでコミットできたんですね。

    サーバーコストはSlicehostのドメインとストックフォトくらいで、あまり大したことありませんでした。一番の問題は創業者たちの生活費。これが一番大きかったそうです。おそらくこれはどのスタートアップでも言えることだと思います。だからY Combinatorのポール・グレアムは「ラーメン利益 (Ramen Profitable)」が大事だと言ってるんですね。スタートアップの創業者がどれだけすごくても人間なんで、毎日カップラーメンが食べれるくらいの生活費は必要なんです。

    最初の頃は少額の給料をGithubから受け取り、設定したゴールを達成したら翌月からその額を少し上げていったそうです。足りない生活費はフリーランスの仕事などアルバイトで稼ぎました。ゴールを達成できなかった月もあったそうですが、最終的には三人とも生活費が稼げるくらいの収入になったそうです。約5年後の2012年に外部から資金調達をしますが、それまではこんな感じでブートストラップしてきたそうです。

    あとはご存知の通り、Githubはとても人気のあるサイトになり、マイクロソフトに買収されました。しかし、残念ながらトム・プレストン・ワーナーはマイクロソフトに買収される前にハラスメント問題でGithubを去ることになってしまいます。なんか、マイクロソフトと縁がない人なんですね……

    参考文献

    Bootstrapped, Profitable, & Proud: GitHub – Signal v. Noise

    Tom Preston-Werner on Powerset, GitHub, Ruby and Erlang

    How I Turned Down $300,000 from Microsoft to go Full-Time on GitHub

    GitHub co-founder Chris Wanstrath shares his story, University of Cincinnati

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    *1:自己資金で事業をするという意味。コンピューター用語としてコンピューターを起動することをブートと言います。ブートストラップは外部からの助けがなくプロセス実行できることを言います。それがスタートアップの世界でもそのまま使われるようになりました。ちなみに、本来的な意味はブーツの後ろにつく輪っかの部分です。ブーツをかける輪っか。

  • テンセント(腾讯)に学ぶ自己破壊による成長の仕方

    テンセント(腾讯)に学ぶ自己破壊による成長の仕方

    スタートアップは創業者のビジョンをプロダクトなりサービスを具体的な形にして提供する企業だと思います。マイクロソフトのビル・ゲイツの場合は”Infomation on fingertips“ですよね。手のひらに情報を。パソコンはその手段。

    しかし、企業はそのビジョンを達成した後も存続します。場合によってはこれまでやってきたことが古くなってしまうこともあります。そのような場合は創業者ではなく、中から変わっていく必要がありますよね。同じくマイクロソフトの例だとサティア・ナデラがそれに当たります。

    これは中国のテンセント(腾讯)にも同じことが言えます。マイクロソフトを理解するために創業者のビル・ゲイツと現CEOのサティア・ナデラを理解する必要があるように、テンセントを理解するには創業者のポニー・マ(马化腾)とWeChat(微信)の開発者のアレン・ジャン(张小龙)の二人を理解する必要があります。

    テンセントの創業前から現在までかなり濃密にカバーしてますので今回はかなり長いです。Pocketやはてなブックマークで保存しておくことをお勧めします!

    プログラミング好きが高じてテンセント創業

    テンセントの創業者であるポニー・マは広東省に1971年に生まれました。家庭は貧しく、父親が職を探すために各地を転々としました。家族は深センに落ち着き、ポニー・マは深セン大学を卒業、ポケベルのためのソフトウェアを開発する技術者として通信機器IT会社(润迅通信发展有限公司)に就職します。

    当時のポニー・マは非常に内向的で、あまり人と話すのが好きではなかったそうです。実際にいまでもポニー・マはなかなか人前に出てきません。コンピューターに向き合っている方が好きだった。自分にとって資産と呼べるのはプログラミングしかないと感じていたそうです。C言語でたくさんのプログラムを書いた。自分のプログラムを多くの人に使って欲しいと考えたそうですが、就職した会社ではそれができない。ジャン・ジードン(张志东)もコンピューターが好きで、ソフトウェア会社に入りたかったのですが、当時の中国でコンピューターに関わる仕事はSIしかなかったそうです。

    そして1998年に大学の友人だったジャン・ジードンや中学生時代の友人とともにテンセントを創業します。資本金は創業メンバーの自己資金でした。ポニー・マが50%未満で、残りの創業者を合わせると過半数が取れるようにしました。創業する前は本で読んだシリコンバレーのスタートアップのような刺激的な生活を想像していたそうですが、実際のスタートアップは家賃や光熱費の支払いや翌月の給料の心配ばかりでした。

    三回死にそうになってソーシャルネットワーク企業としての地位を確立

    最初の臨死体験

    テンセントの最初のプロダクトはインターネットにつながるポケベルアプリでした。しかし、携帯電話の普及が予想以上に早く、このプロダクトは失敗します。

    二回目の臨死体験

    1999年に最初のプロダクトOICQ(後にAOLに訴えられて名前をQQに変える)を発表します。これはパソコン用のチャットアプリで、当時流行していたAOLのICQと同じものです。ポニー・マは通信関連会社に勤めていたこともあり、ポケベルのような単純なものを作る予定でした。最初の目標は3万ユーザー。ユーザー獲得のために各学校の掲示板に訪れ、一人一人勧誘していきました。獲得できたユーザーは平均で1日12人くらいだったそうです。この頃、貯金残高は1万中国元(約15万円)まで目減りしていたそうです。

    IOCQ時代のQQのスクリーンショット(クレジット:百度)

    三回目の臨死体験

    それでもソフトウェアとしての品質が高く、落ちないチャットアプリとして徐々に人気が出てきました。そして、2000年にユーザーが増えてきたところでベンチャーキャピタルからの資金調達を行いました。20%のシェアで220万ドル(約2億2000万円)の資金調達でした  *1 。しかし、テンセントは3年は利益が出ていなかったそうです。しかもその頃にインターネットバブルがはじけて資金はどんどん目減りしていったそうです。これが三回目の臨死体験。

    そして安定

    テンセントのビジネスモデルは広告収入とプレミアムユーザーでした。プレミアムユーザーは追加機能が使え、アバターの着せ替えなどができました。また着せ替え用のグッズ収入もありました。2008年にはかなりの利益が出るようになっていました。

    パソコン用のメッセンジャーアプリとして最大の競合はMSNでしたが、ポニー・マの分析では二つの理由で自滅したそうです。一つはソーシャルに対応できなかったこと。QQの場合は独自のソーシャルネットワークであるQzone(QQ空間)がありました。このQzoneはFacebookというよりもギラギラデザインのMySpaceに日本のMixiの日記の要素を加えた感じですね。ボクは中国人の友達とチャットするためにQQは使ってましたが、流石にQzoneには手が出ませんでした。

    QQ空間のスクリーンショット(クレジット:百度)

    もう一つのMSNの敗因は中国向けのローカライズが足りなかったとのことです。うん、確かにこのギラギラの世界観をアメリカ企業はマネできないですよね。

    テンセントの収入源は?

    とはいえ、テンセントの売り上げの70%は付加価値サービスでそのかなりの部分はPCやスマホのゲームです。残りの30%がeコマースや広告となります(テンセントのAnnual Reportはこちら)。これらのゲームの大半はすでにあるゲーム企業の投資によるものです。例えばクラクラのスーパーセルをソフトバンクから買ってます。実に世界のオンラインゲームの13%をテンセントが握っていることになります。QQやWeChatに目がいきがちですが、実はゲームがテンセントにとっての稼ぎ頭なのでした。

    こういう安定した収入があるからイノベーションに力を入れられるという面があると思います。今回は投資会社としてのテンセントはフォーカスしていないのですが、この部分は触れておいたほうがいいかと思います。このおかげでWeChatのマネタイズを急がず、ユーザーベースとエコシステムの拡大に注力することができるのですから。

    WeChat(微信)とアレン・ジャン

    WeChat(微信)の開発者アレン・ジャンは1969年湖南省生まれです。実はポニー・マよりちょっとだけ年上なんですね。シャオミーのレイ・ジュン(雷军)と同い年。

    アレン・ジャンは华中科技大学を卒業後、広州で就職してソフトウェアエンジニアとして働きます。その後、メールアプリのFoxmailを開発します。これはポニー・マがテンセントを創業する一年前の1997年の出来事。Foxmailはとても人気が出て200万ユーザーを獲得、一時期はMicrosoft Outlookと同じくらいのシェアがあったそうです。アレン・ジャンはFoxmailを1200万中国元(約2億円)で博大公司に売却し、バイスプレジデントとして博大公司に残ることにします。

    中国版Gmailで最初の成功

    そして、2005年にテンセントがFoxmailを博大公司から購入、それに伴いアレン・ジャンもテンセントに転籍し、テンセントの広州開発拠点のゼネラルマネージャーとしてQQ Mail(QQ邮箱)の開発に従事します。Gmailのローンチが2004年ですから、その対抗だったのでしょうね。

    ところが、すでにあったQQ Mailはクオリティーが低く、全く使えなかったそうです。そこでアレン・ジャンはQQ Mailをスクラッチから開発し直すことにします。2007年にリリースした新しいQQ Mailはその品質から高い人気を獲得して、中国で一番使われるメールサービスとなりました ただ、ボクの記憶が正しければ、*2

    チャットアプリWeChat(微信)の開発

    2010年にアレン・ジャンはスマホ向けのメッセージングアプリのために10名のちいさなチームを招集します。すでに市場ではWhatsApp(2009年1月)やKik(2010年10月)が人気が出ていていました。短略的に考えればQQのスマホ版を出せばいいと思うのですが、パソコンのメッセンジャーアプリとスマホのチャットアプリでは本質的に違うものなのです。アレン・ジャンは自分でKikを使っていて、それに気がついたそうです。これってすごいと思うんですよね。マイクロソフトだってSkypeとの共食いを恐れてチャットアプリは出せませんでした。でも、自らをディスラプトしなければQQは他社にディスラプトされてしまう。それを理解して実行できるってすごいと思います。

    WeChatは後発で2011年1月にローンチします。かかったのは二ヶ月弱。早い!しかし中国でもシャオミー(小米)のミーリャオ(米聊)が一ヶ月前の2010年12月にローンチしていました。そうなんです、WeChatよりミーリャオの方が早かったんです。また、チーフー(奇虎)もコウシン(口信)を発表するなど、中国国内でもチャットアプリの競合が増えました。数ヶ月で開発したWeChatはテキスト機能しかなく、最初はあまり人気が出ませんでした。2011年4月にはTalkboxのボイス機能が中国で人気が出ました。そうなんです。WeChatの人気機能のボイスもTalkboxが最初に人気が出たのです。そこでボイス機能をバージョン2で組み込みます。

    このような競合がしのぎを削る中、WeChatが人気が出たのは近くの友達発見機能を発表してからです。これが2011年8月のバージョン2.5。そして、WeChatの人気を決定的にしたのがシェイクによる友達追加。これが2011年10月のバージョン3。

    最初のバージョンではミーリャオに負けていましたが、半年後にはユーザー数でミーリャオが400万ユーザーに対してWeChatは改良を重ね1500万ユーザーまで差をつけました。

    そして、初期で一番重要な機能追加がバージョン4のQRコード対応です。これが2011年12月。開発をスタートさせてからちょうど1年ですね。

    チャットアプリからライフスタイルアプリへ

    2012年に入るとアレン・ジャンはWeChatをチャットアプリからライフスタイルアプリへと位置付けを変更します。これ、すごく大事です。そしてインターナショナル版のWeChatブランドを発表したのもこの年です。このインターナショナル版と中国語版は随分違うのでWeChatが「ライフスタイル」アプリといってもこの当時はあまりピンと来る人は中国の外では少なかったと思います。

    しかし、この年を境にニュースを購読できたり、外部とのインテグレーションが盛んになります。さらに、QRコードが街に溢れるのがこの時期からです。ユーザーと繋がるためにブランドが独自のWeChatアカウントを作り、そこに勧誘するために使われたのがQRコードでした。

    ペイメントへの参入

    2013年にはWeChatウォレット(微信钱包)でモバイルペイメントに参入します。当時のモバイルペイメントはアリババの一人勝ちでした。

    インターネットにおけるペイメントでは2004年からアリババがAlipay(支付宝)で先行して、つづいてテンセントもTenPay(财付通)で追従します。Alipayは常にテンセントを先行して2011年にはQRコードによるペイメントを発表しています。さらに、2013年にはPayPalを抜いて世界一のペイメントプラットフォームになっていました。そして、アリババは同年にユエバオ(余额宝)というマネーリザーブファンドを立ち上げて、ほぼ銀行のようなことができるようになりました。ちなみに中国の資金の1/4がユエバオに預けられているそうです。すごいですね。テンセントはWeChatでこのアリババの牙城に攻勢を仕掛けることになります。WeChatで支払いができる自動販売機もこの頃から始めています。

    2013年はWeChatがゲームプラットフォームとしてログイン機能を提供した年でもあります。テンセントはゲーム会社でもありますからね。

    ペイメントの立ち上がりとパートナーエコシステム

    WeChatのペイメントを立ち上げた施策は二つあります。一つは「红包(お年玉)作戦」です。中国ではお正月(日本の旧正月)にホンバオという赤い袋に入ったお年玉をあげる習慣があります。これは大人が子供にあげるだけでなく、会社でも上司が部下に日頃の苦労をねぎらって渡します。ボクもシンガポールで働いているときはちゃんとホンバオを渡してましたよ!このホンバオをWeChatのユーザー向けに公開したのでした。ちなみに、アレン・ジャンは個人的にはこのようなグロースハックは嫌いらしいです。ただ、本人は嫌いでも、実際にこれでユーザーが増えたのでした。

    もう一つはパートナーの囲い込みです。これはポニー・マも認めるところですが、テンセントは競合を徹底的に叩く企業として有名でした。しかし、方向転換してパートナーと協業をする企業へと変わっていきます。おそらくこれはペイメントの立ち上がりが思ったほどうまくいかなかったことも関係しているかもしれません。その代表例が中国版Uberのディディチューシン(滴滴出行)とのパートナーシップです。

    さらに、アリババのライバルであるeコマースサイトのJD.com(东京)にも投資を行い、コマースサイトでのWeChatのペイメントの地位を確立します。この戦略はずっと続いていて、最近ではテンセントは自転車のシェアサービスであるMobikeに投資しましたよね。それに対抗するようにアリババはMobikeのライバルであるofoに投資をするといった具合になっています。

    しかし、アリペイがすでに対応したQRコードによるオフラインのモバイルペイメントにWeChatが対応するのは翌年の2014年からです。

    ミニプログラムとパートナープログラムの拡充

    テンセントがWeChatで目指すライフスタイルアプリはペイメントに止まりません。WeChatが生活をする上での起点となることがゴール(だと思います)。そして、それを進めるのがサードパーティーアプリです。これまではずっと遅れを取っていましたが、このアプリ戦略に関してはテンセントがアリババを先行します。

    WeChatはAPIを公開してHTML5アプリをサードパーティーが開発できるようにしていました。そうすることでWeChatを離れることなく別のアプリが使えるわけです。これをさらに進めたのがアプリ内のネイティブアプリであるミニプログラム(小程序)です。このミニプログラムについては以前に記事を書いているので、詳しくはそちらを参照してください。

    この分野でがっつり競合しているのがメイトゥアンです。ライフスタイルアプリはつまりはメイトゥアンが得意とするO2Oだからです。メイトゥアンが自前でタクシーや旅行サービスを揃えているのに対して、テンセントはミニプログラムをプラットフォームとしてパートナーエコシステムでO2Oの世界を構築しようとしています。どちらも勢いのある会社ですから、これからどうなるか楽しみですね。

    ミニプログラムをアリババとバイドゥもはじめましたが、WeChatほどはうまくいっていません。これはWeChatのミニプログラムがライフスタイル全般をユースケースとして想定しているのに対して、アリババはコマース、バイドゥはランディングページへの有手段として想定しているからではないかというのが中国メディアの分析です。

    WeChatのミニプログラムの伸び(クレジット:新浪科技)

    まとめ

    長い記事をここまで読んでくれてありがとうございました。テンセントの事業は多岐にわたるので、一本筋道を通してみようとするとなかなか難しくはあります。それでも、事業に関しては徐々にポニー・マからアレン・ジャンにシフトしていく様子がわかったのではないでしょうか。

    アレン・ジャンがやり易いように環境を整えるのがポニー・マなんだとおもいます。実際に今お金を稼いでいるのはゲーム事業でWeChatはこれからの事業ですからね。事業と人材のシフトがうまくいっているのがまさにテンセントなんでしょうね。事業と人材のシフトを両方できているのはBATの中でテンセントだけですから。

    参考文献

    张志东自述:我在腾讯的创业过程_创业家_i黑马

    马化腾回顾腾讯创业史:这类中层干部,我最多忍你半年_搜狐财经_搜狐网

    看完了张小龙的 2359 条饭否日记

    张小龙(腾讯副总裁、FoxMail创始人、微信创始人)_百度百科

    QQ前身(OICQ)誕生 – StockFeel 股感知識庫StockFeel 股感知識庫

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    https://web.archive.org/web/20121127173150/http://www.cn.wsj.com/gb/20121119/tec072332.asp

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    *1:Crunchbaseによるとその前年にも資金調達をエンジェル投資家からしているのですが、それについてはあまり触れられていません。QQは無料のアプリなので、二年間もお金がそれほど持たないと思うんですよね。

    *2:ワンイ(NetEase|网易)のメールが一番使われてた気がしたんですが、数え方にもよるんでしょうね

  • バイドゥ(百度)のロビン・リー|Googleに勝った男が苦しんでいる理由

    バイドゥ(百度)のロビン・リー|Googleに勝った男が苦しんでいる理由

    バイドゥ(百度)は中国のプラットフォーマーであるBAT(バイドゥ/アリババ/テンセント)の一角にも関わらず、アリババやテンセントほど話題に上がりません。

    アリババやテンセントといったライバルに大きく後れを取っているというのが現在の評価です。どうしてそんなことになってしまったのでしょうか?創業のきっかけから現在に至るまでを見ていきましょう。

    BATの規模とそれぞれのポジション

    まず、バイドゥが置かれている現在の立場を理解する必要があります。アメリカのGAFA(Google/Apple/Facebook/Amazon)と中国のBATを比較してみましょう。また、より身近に数字を感じるために、日本企業もその中に入れてみましょう。単位は米ドルでBillion(10億)です。日本円だと1000億円。つまり、アップルの時価総額は約92兆円ということですね。すごいですね!

    アップル:$926.9

    アマゾン:$777.8

    アルファベット:$766.4 (Googleの親会社)

    フェイスブック:$541.5

    アリババ:$499.4

    テンセント:$491.3

    トヨタ自動車:$200.7

    バイドゥ$94.1

    ソフトバンク:$84.9

    ソニー:$59.9

    パナソニック:$34.9

    さて、アリババはFacebookに肉薄してきていますが、まだ届きません。そしてバイドゥはBATの中ではかなり低いポジションでアリババとテンセントと比べて時価総額は1/5ですね。それでも日本のソフトバンクより大きいのだから大したものですが。アリババとテンセントはそれぞれのコアビジネスに加えてモバイルペイメントとそれに付随するエコシステムの構築に成功しました。そして、それぞれトヨタ自動車の二倍以上の時価総額となっています。ちなみにパナソニックとWeWorkが同じくらいですかね。

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    経済的に恵まれない家庭からアメリカ留学まで

    バイドゥの創業者のロビン・リー(李彦宏)は1968年生まれ。陽泉市の工場で働いている夫婦の間で生まれました。中国は長らく「一人っ子政策」を実施してきましたが、なんとロビン・リーは五人兄弟の四番め。三人のお姉さんと一人の妹。ちなみに、彼自身も子供を四人授かります。

    ロビン・リーの生まれた家庭は経済的にはあまり恵まれていませんでした。そのため、母親は彼に勉強の大切さを教えます。裕福な家庭ならいろいろなコネがありますが、貧しい家庭だと中国で成功するために大切なコネがないんですね。勉強するしかないわけです。そして、北京大学を卒業後、一時期は企業で働きます。一年半後にニューヨーク州立大学のフェローシッププログラム *1 に合格してアメリカに留学します。頑張ればいいことあるわけですよ!

    バイドゥ前夜:検索エンジンで解決しようとしたインターネットの課題

    ニューヨーク州立大学の修士課程を卒業後(1994年)、ダウ・ジョーンズの子会社であるIDD Information Servicesに就職し、金融情報のデータベースとシステム化に取り組みます。また、The Wall Street Journalのオンライン版を作成します。この頃に奥さんと出会ってアメリカで結婚もしています。ここまで意外と普通ですよね。

    しかし、普通とちょっと違うのがIDDに務めていたときに独自に検索アルゴリズムを開発して、アメリカでその特許を取得したことです。当時はまだインターネットは成熟しておらず、登録されているドメイン数は1995年時点で18万ありました。AltaVistaなどの初期の検索エンジンはすでにありましたが、インターネット上にある情報を効率的に探し出すことはまだできませんでした。

    ロビン・リーはこの問題に取り組み、Webサイトから貼られたハイパーリンクの数を元に検索結果の優先度を決めるリンク分析の手法を開発します。このRankdexがバイドゥの技術的な基盤となります。これはほぼ同時期にスタンダード大学でセルゲイ・ブリン(当時の個人ページ)とラリー・ペイジ(当時の個人ページ)が開発していたBackRub(Googleの前身:当時のサイト)で使われるPageRankに近いものです。実はGoogleのPageRankより先にバイドゥのRankdexの方が先に実運用されて、特許もとってたんですね。

    しかし、このRankdexの開発はIDDではあまり評価されなかったようで、ロビン・リーは検索技術を活かせる企業への転職を模索します。そして、西海岸に拠点を持つInfoseekにソフトウェアエンジニアとして転職ます。のちにバイドゥの共同設立者となるエリック・シュー(徐勇)と出会うのもInfoseek時代です。エリック・シューは”A Journey to Silicon Valley”というテレビ番組のプロデューサーでした。

    Infoseekも初期のインターネット検索サイトの一つで、基盤技術としてはInktomiを使ってました。また、Infoseekは初めてインプレッションによるオンライン広告の評価であるCPM(Cost Per Thousand Impressions)で広告を販売した企業としても知られています。

    ロビン・リーは検索技術に集中するために転職したのですが、Infoseekは1999年にディズニーに買収され、検索企業からコンテンツ企業への転身することになります。この結果、検索エンジンに取り組んでいたエンジニアは職を失いました。ロビン・リーもその一人でした。1998年9月にはGoogleが最初の資金調達をします。検索エンジンがビジネスとして成り立つのかどうか、まだビジネスが判断しきれていない時期でした。

    バイドゥの立ち上げ:最初のビジネスモデルとピボット

    このような背景もあり、ロビン・リーは1999年に北京に戻ります。この年はジャック・マーが再起をかけてアリババ(阿里巴巴)を立ち上げた年でもありますね。当時は中国共産党50周年で、国としても盛り上がっていましたし、中国インターネットの黎明期となります。ロビン・リーとエリック・シューはシリコンバレーでのスタートアップ文化を直接体験してきました。どのように資金調達をしてスクラッチからビジネスを立ち上げるのかを見てきました。

    そして、ロビン・リーとエリック・シューはシリコンバレーのベンチャーキャピタルから120万ドルを資金調達して、1999年にバイドゥ(百度)を立ち上げます。最初のビジネスモデルはポータル向けの有償サービスとしての検索エンジンでした。独自のサイトは持っていませんでした。最初の顧客は当時から人気のあったシンラン(新浪)とソウフ(搜狗)で、独自のサイトを持たなくてもトラフィックは確保できていたからです。

    なぜ中国でGoogleが検索シェアを取れなかった?日本と中国の違い

    バイドゥが検索エンジンとして中国で確固としたポジションを築けたのもこの初期のシンランとソウフとのパートナーシップによるものが大きいと思います。中国のYahoo!は日本と比べてあまりうまく機能していませんでした。そのため、Yahoo!本社はアリババに投資をするのと引き換えに、中国Yahoo!の運営をアリババに任せることにしました。これもあまりうまくいきませんでしたが。

    日本の場合はYahoo!が最大のポータルサイトでしたよね。そして、検索パートナーとして選んだのはGoogleでした。日本の場合は中国と違って独自の検索エンジンがありませんでしたから。さらに日本にはYahoo!より人気のあるシンランやソウフのような独自のポータルもありませんでした。そのポジションに一番近かったのがLivedoorですかね。

    初期のGoogleが日本でのポジションを確立するのに日本のYahoo!が果たした役割は非常に大きなものがありました。日本にバイドゥのような独自の検索エンジンがあったら今とは全く状況が違っていたと思います。

    ビジネスモデルの転換

    閑話休題。しかし、この有償サービスとしての検索はビジネスモデルはあまり利益を生みませんでした。そこでロビン・リーが目をつけたのはOvertureがはじめた検索連動型広告 *2 でした。これはGoogleも直面する問題でしたが、独自のWebサイトでトラフィックを生んでそれを主体にビジネスをする判断って勇気が必要ですよね。大手のポータルサイトのトラフィックはあるものの、利益が低い。もちろん、自分でトラフィックを稼げば利益は高い。結局はロビン・リーは後者を選び、投資家やバイドゥの役員を説得します。そして2001年に独自のWebサイトであるbaidu.comをローンチします。Googleが独自の検索連動型広告をはじめるのが2002年です。

    Googleの中国上陸とダークサイドの時代

    ページランクと検索連動型広告の組み合わせは(Googleと同様に)ビジネスモデルとしては機能して、2004年には利益を出すようになりました。しかし、2006年にGoogleが中国に現地法人を設立して正式にローンチします。

    当時のバイドゥの検索シェアは80%でした。しかし、独自サイトを立ち上げるというバイドゥの決断を快く思わない一部のパートナーはGoogleにスイッチしたり、自ら検索エンジンを立ち上げるなどバイドゥから離れていきました。このため、2009年には検索シェアは60%まで落ち込み、Googleのシェアは33%まで追いつきます。悪いことは続くもので、アリババのショッピングサイトであるタオバオ(淘宝网)がバイドゥの検索からサイトをブロックします。

    そして、ならず者国家の中国とその手先のバイドゥというイメージがついてしまう一連の事件が起きるのもこの時期です。

    仁義なき戦いと政府の干渉

    バイドゥが中国政府と検索ワードのフィルタリングに合意するのがこの頃です。例えば、天安門やダライ=ラマといった中国政府が国民に触れて欲しくない情報を検索しようとすると以下のメッセージが表示されるようになりました *3

    捜索结果可能不符合相关法律和政策
    (法律法規や政策に合致しない恐れがあるため、検索結果を表示できません。)

    中国政府は1998年にジンジュン(金盾)というネットワークセキュリティーのプロジェクトを立ち上げています。このプロジェクトは電子マネーに関する取り組みのジンカー(金卡)や農業に関する取り組みのジンノン(金农)など12のサブプロジェクトから構成されています。これらの取り組みの中で特に有名なのがグレートファイヤーウォール(GFW:防火长城)という中国政府から見て有害な海外サイトを遮断する仕組みです。

    バイドゥが中国政府と合意したフィルタリングはGoogleにはその信念において合意できないものでした。リンクはGFWで遮断され、2009年にはGmailが攻撃を受けます。そして、Googleは2010年に中国からの撤退を決めます。この頃にはGoogleの検索シェアは17%まで落ち込んでいました。

    著作権問題やプライバシー問題、そして粉ミルク事件

    Googleの撤退は直接的には政治の問題ですが、この時期のバイドゥ自身も批判を集めることを多くしています。

    例えば、音楽の検索はバイドゥの検索トラフィックに大きく寄与していました。MP3の音楽ファイルを検索して、ダウンロードできたからです。このことにより、ワーナーミュージックやソニーBMGといったメジャーな音楽レーベルに訴訟を起こされていました。

    日本だと記憶に新しいのは日本語変換ソフトの情報漏洩ですね。

    しかし、バイドゥの企業イメージに国内外で大きくダメージを与えたのは粉ミルク事件に関連した検索結果の操作です。2008年にサンルー(三鹿)が製造した粉ミルクに化学物質メラミンが混入されていることが見つかりました。そして、新生児を含む多くの被害者が出ました。

    バイドゥはこの粉ミルクを製造していたサンルーから300万中国元を受け取り、検索結果を操作することを受け入れたというニュースが話題となり、中国国営テレビでも特集が組まれました。

    メラミン粉ミルク事件を呼び込んだ「免検制度」:日経ビジネスオンライン

    検索サイト「百度」がえらいことになっている – ITmedia PC USER

    このことが原因でバイドゥの企業イメージが大きく低下して、株価の下落や従業員のレイオフにつながりました。

    AIでアリババ、テンセントに追いつけるか?

    バイドゥは検索に依存したビジネスモデルからの脱却を図っています。そのカギとなるのがAIで、2013年にディープラーニングの研究所である百度深度学习研究院IDL(Institute of Deep Learning)をシリコンバレーに設立しています。

    そして、その研究成果が60のAIサービスから構築されるBaidu Brain(百度大脑)というAIプラットフォームです。この中で特に二つの技術にフォーカスしています。

    ひとつは音声認識技術のDuerOSで、AmazonのAlexaやAppleのSiriに近いものです。もうひとつはクルマの自動運転のApolloです。

    なお、中国を撤退したGoogleは2017年にGoogle AI China Centerを設立してAIを中心に中国ビジネスを再構築しようとしています。検索で受けた仕打ちをAIで返すことができるのでしょうか。ちなみに、初任給だけをみれば、中国でAI人材に一番投資しているのがGoogleとMicrosoftなんですよね。中国国内企業だとテンセントが高い。

    参考文献

    百度创业史_力成文学_励志的句子_励志名人名言大全_励志语录_励志小故事

    百度的创业过程_百度知道

    百度大脑_百度百科

    What investors need to know about China’s big trio: Baidu, Alibaba and Tencent | afr.com

    To find $13.5 billion: how rich is the Creator of the search engine Baidu Robin Li – FreeNews English – FreeNews-en.tk

    10 Things You Didn’t Know About Baidu Founder Robin Li

    The Rise of Baidu (That’s Chinese for Google) – The New York Times

    How Baidu Will Win China’s AI Race—and, Maybe, the World’s | WIRED

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    *1:アメリカの大学にはスカラシップとフェローシップがあります。スカラシップは奨学金で、日本の学資ローンのような「奨学金」と異なり返す必要はありません。フェローシップはフェローというステータスを指しますが、スカラシップと同様に金銭的な補助を含むことがあります。貧しい家庭のロビン・リーがアメリカへ留学できた背景にはこのようなアメリカの制度があります。

    *2:入札価格で広告掲載順位が決定される完全オークション形式。源泉を辿ればIdeaLabのスピンオフプロジェクトだったGoTo.comです。

    *3:今では緩和されてるんですけどね。

  • 中国版食べログのメイトゥアン(美团)が「O2Oのキング」となるまで

    中国版食べログのメイトゥアン(美团)が「O2Oのキング」となるまで

    中国のプラットフォーマーであるBAT (Baidu:百度/Alibaba:阿里巴巴/Tencent:腾讯)に続く中国ユニコーンがTMD (Toutiao:头条/Meituan-Dianping:美团点评/ Didi:滴滴出行) ですね。今回は美团(以下メイトゥアン)です。

    トウティアオ(头条)が中国における「コンテンツのキング」だとしたらメイトゥアンは中国における「O2Oのキング」です。もともとはGrouponのコピーとしてはじまりましたが、現在では外食だけでなく、タクシー、映画や旅行のサービスまで拡大しています。

    メイトゥアンについて語るとき、その創業者である王兴(以下ワン・シン)のこれまでの道のりを知る必要があります。

    ワン・シンは福建省の裕福な家庭に生まれた「フーアーダイ(富二代)」で、地元では最初にパソコンを持つことができました。これが1995年の出来事。学業も優秀で清华大学を卒業後、デラウェア大学にコンピューターサイエンス博士課程取得のために留学しましたが、シリコンバレーで起きていることをそのまま中国にコピーして持って来ることの可能性を感じます。そこで、博士課程を途中でやめて、北京に戻ることにします。ワン・シンは徹頭徹尾コピー戦略を推し進めます。ここまでやり抜けば見事というくらい。

    日本でも欧米のスタートアップのコピーがたくさんあります。むしろ本当にオリジナルのアイデアって少ない。スタートアップで言われるのは「アイデアはフリー、実行はプライスレス(Idea is free, execution is priceless)」です。実行して成功した人が正しい。コピーも一貫してやり続ければ戦略になるということですね。

    中国版Facebookレンレンワン(人人网)の立ち上げと最初の苦い成功

    最初にコピーしたのがFacebookでした。2005年にワン・シンは大学時代の友人のワン・フイウェン(王慧文)と中学時代の同級生のライ・ビンチャン(赖斌强)の三人でFacebookのコピーであるシャオネイワン(校内网)を立ち上げます。これは大学の卒業生たちをインターネットでつなぐもので、すぐに10万ユーザーを獲得します。そして、一年後には100万ユーザーまで膨れ上がりました。

    見ての通り、モロにFacebookですね!(クレジット:百度)

    しかし、ユーザー数が増えてもビジネスモデルが見つかりませんでした。そのため、Sequoiaなどの米国の有力なVCからなかなか投資を受けることができませんでした。100万ユーザーのシステムの運用費を稼ぐことができず、仕方なくチェン・イージョウ(陈一舟)に200万ドル(約2億円)で売却します。

    ちなみに、チェン・イージョウは買収したシャオネイワンをFacebookと同様に一般公開をしてレンレンワン(人人网)に発展させました。2008年にはソフトバンクが3億4000万ドルの投資で14%の株式を取得します。レンレンワンの成功と比べるともともとそれを作ったワン・シンが得たものはそれほど多くはなかったと言えます。

    中国版Twitterファンホウ(饭否)での挫折

    ワン・シンが次にコピーしたのがTwitterでした。マイクロブログのファンフォウ(饭否)を立ち上げます。前回と同様にすぐに10万ユーザー、2年後には100万ユーザーを獲得します。日本でもTwitterコピーはたくさん現れましたよね、成功したのは一つもありませんでしたが。

    見ての通り、モロにTwitterですね!(クレジット:饭否)

    前回のレンレンワンでビジネスモデルの重要性を理解していたので、ファンフォウはスポンサーモデルをとりました。最初のスポンサーはHPでした。しかし、そこで起きたのが2009年のウルグイ騒乱です。この話題がファンフォウに溢れてきました。中国はこの手の言論統制に非常に厳しいので、シャットダウンしなくてはならなくなりました。この時在籍していたのが同じく不運なトウティアオ(头条)の創業者であるジャン・イーミン(张一鸣)でしたね。

    当初は暫定的な処置だったのですが結果的に505日後の2010年11月25日まで再開することができませんでした。シャットダウンの間に立ち上がった同様のマイクロブログのウェイボ(新浪微博)に90%のユーザーを奪われてしまいました。

    三度目の成功と競合との差別化

    今回のメインとなるメイトゥアン(美团)は三回目の起業の起業となります。その時にワン・シンがコピーしたのがクーポンサイトのGrouponでした。2010年6月のことです。しかし、クーポンサイトの流行により同じようなサービスが5000くらい立ち上がったそうです。すごいレッドオーシャンですね。様々なサイトが顧客獲得のために多大な広告費を投入しました。クーポンサイトがかける一人当たりの獲得コスト(CPA)は100中国元(当時の1500円くらい)だったそうです。

    微妙な成功と大きな失敗の後、ワン・シンが学んだことはゆっくりと進むことだったそうです。FacebookのコピーもTwitterのコピーも多くのユーザーを獲得できましたが、それをうまく活用することができませんでした。他のクーポンサイトが新規顧客に注力している中、ワン・シンが注力したのが顧客維持でした。新規顧客獲得のためのCPAは10中国元に抑え、顧客満足のための施策を多く打ち出しました。その中で特に特徴的なのは未使用のクーポンの返金でした。これらの施策のため、最初の三ヶ月は大きな利益を上げることはできませんでしたが、会員数が増えると利益も生むようになりました。

    二回目の資金調達の頃にはすでに同じくらいの額のキャッシュがあり、クーポン提供のパートナー企業は競合よりもメイトゥアンと契約を望むようになりました。そしてメイトゥアン立ち上げから約1年半でクーポンサイトのシェア40%を達成します。

    ピンチをチャンスに

    しかし、クーポンサイトの流行に陰りがではじめるとメイトゥアンの資産評価も最盛期の1/3まで下がりました。これはライバルのクーポンサイトも同じで、資本市場からの圧力が高まります。更にアリババ(阿里巴巴)のバックアップの元で新しいフードデリバリーサービスであるEle.me(饿了么)が徐々に追い上げてきました。この頃、メイトゥアンは単月で約6億元の損失を計上しています。

    当時ライバルだったダージョン・ディエンピン(大众点评)との合併もこのような背景から進むことになりました。敵の敵は味方ということですね。これによりビジネスの土台を確かなものにします。

    コピーからオリジナルへ:なぜO2Oキングなのか

    メイトゥアンはO2Oのビジネスを各産業ごとに展開します。外食関連の次は映画の予約とチケット販売でした。クーポンによるグループ購買は映画のチケットとの相性が良く、メイトゥアンの売り上げの30%まで成長します。そして、その範囲をグループ購買だけでなく、予約や口コミにまで広げます。

    タクシーではディディと、旅行ではCtripと競合

    下のイメージはメイトゥアンのスクリーンショットです。これを見ても分かる通り、グルメや映画だけでなく、ホテルや航空券といった旅行サービスやタクシーの予約といった滴滴出行と直接競合するサービスもアプリ内で提供しています。すでにサービス提供を行っている上海ではタクシーブッキングのシェアをすでに1/3をメイトゥアンが獲得しています。

    メイトゥアンのスクリーンショット

    例えば、旅行の場合だと中国ではCtrip(携程)が有名です。日本で言うところの楽天トラベルみたいなサービス。メイトゥアンはブッキングに関してCtripに及びませんが、旅行のために参考にするサイトとしては四番目に入っています。

    メイトゥアンは旅行のための参考サイトとして人気が出てきている(クレジット:Skift)

    Booking.comやAgodaの親会社であるBooking Holdingsがメイティエンに投資を決めたのもこのためでしょう。Booking HoldingsはCtripにも投資してるんですけどね。世界最大のOTAでも中国の旅行を取り入れたければCtripとメイトゥアンは外せないと判断したのでしょう。

    メイトゥアンはユーザーがオフラインで何かやりたいときに使うオンラインプラットフォーム。つまり、O2Oの地位を獲得していると言えます。外食と映画で成功したO2Oのモデルをそれ以外のサービスまで広げて成功することで中国における「O2Oのキング」の座を勝ち取るのでした。

    メイトゥアンは今年のIPOが囁かれていますが、IPOにより多くの資金を獲得できたらO2Oの地位を高めるために更に旅行やタクシーなどの分野に投資をしてくるでしょう。

    それにしても、アリババとテンセント(腾讯)を敵に回してここまでの地位を築くのはすごいですよね。アメリカで言えばFacebookとGoogleを、日本で言えばソフトバンクとサイバーエージェントを敵に回して勝つってことですよ。

    日本でのメイティエン活用方法:インバウンドの必須ツール

    ボクの個人のインスタを見てもらえばわかりますが、ボクは美味しい食べものや飲みものが大好きです。『食いしん坊のデザイナーたち』という会を主催しているくらいです。好きが高じて『THREE BOTTLE BAR』なんて立ち上げるくらいです。美味しいもの大好きです。海外に出張に行くときは必ずその土地の美味しい食べものを調べます。綿密に予定を組みます。中国に行くならメイトゥアンで事前にチェックしておく必要があります。必須アプリです。あ、前置きが長くなってすみません。

    東京で行列のできるお店に並んでいると、かなりの確率で中国人観光客も並んでいます。なぜか?彼らもまた事前にメイティエンで調べて来るのです。メイティエンはCtripやチューナー(去哪儿)のような旅行サイトを除いて最も旅行情報として活用されているサイトです。下のスクリーンショットはボクの行きつけである吉祥寺のホルモン酒場 焼酎屋『わ』です。メイトゥアンで検索すればサクッと見つかります。インバウンドを考える上でメイトゥアン対策は欠かせません。

    メイティエンでは東京のお店も紹介されている

    更に支払いもQRコードに対応するといいですね。海外では飲食で現金払いはしません。特に旅行中はクレジットカードですね。中国ではアリペイ(支付宝)またはWeChatペイ(微信支付)が主流です。

    日本でこの二つに簡単に対応するにはOrigami(アリペイ対応)かコイニー(WeChatペイ対応)ですね。残念ながら両方に対応しているペイメントサービスはまだ日本にはなさそうです。楽天ペイは対応すると発表していますが、現時点(2018年6月時点)ではまだ対応していません。

    中国人向けインバウンド対策やってみたい!と言う飲食店があればTwitterでお声かけください。これは紹介したい!と思えるようないいお店なら2018年7月末までは絶賛無料でお手伝いします。ちょっと、自分でも試して見たいんで!

    参考文献

    美团创业故事:王兴和他的“八大金刚” – 红商网

    【美团创业历程】美团创业的心酸历程_主妇创业_主妇网

    “饭否”创业失败的教训 – 【人人分享-人人网】

    人人网陨落:王兴的“娃”被陈一舟养的面目全非

    斗士王兴:人人网、饭否、美团……他总是与成功失之交臂,又绝处逢生-科技频道-手机搜狐

    美团打车来势凶猛,滴滴到底该如何接招? | 青瓜传媒

    Little-known start-up Meituan Dianping just hit a valuation of $30 billion

    New Research Available: Analyst Session + Data Sheet on Ctrip and China Online Travel – Skift

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