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  • 書評|メールや会議は仕事じゃない、もっと価値のある仕事をしよう|”A World without Email” by Cal Newport

    書評|メールや会議は仕事じゃない、もっと価値のある仕事をしよう|”A World without Email” by Cal Newport

    前著『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』が日本でも翻訳出版されたカル・ニューポートの新著”A World without Email”は最近再び注目されつつあるeメールがテーマになっています。少なくとも英語圏ではHeyのような新しいメールサービスに人気が集まったり、ニュースレターが再び脚光を浴びて多額の投資を手に入れるスタートアップ が出てきたりしています。最近ではTwitterがSubstackを買収して話題になりましたよね。

    A World Without Email: Reimagining Work in an Age of Communication Overload

    A World Without Email: Reimagining Work in an Age of Communication Overload

    • 作者:Cal Newport
    • 発売日: 2021/03/02
    • メディア: Audible版

    しかし、本書”A World without Email”はeメールだけでなく、Slackなどを含めた非同期コミュニケーション手段全般を取り上げています。カル・ニューポートは以前に『大事なことに集中する(原題:Deep Work)』を出版していますが、本著はそのアップデート版であり実用書でもあります。

    大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

    大事なことに集中する―――気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法

    • 作者:カル・ニューポート
    • 発売日: 2016/12/09
    • メディア: 単行本(ソフトカバー)

    まず、カル・ニューポートのポジションを確認しましょう。カル・ニューポートはナレッジワークは2つに分類されると言います。一つはワークエクセキューション、もう一つはワークフローです。ワークエクセキューションが実際の価値を生み出します。「ディープワーク」とは価値を生み出すワークエクセキューションに集中することを指します。

    一方でワークフローは価値を生み出すために調整することです。メールやチャットでのやりとりがまさにワークフローです。まあ、実際に会議ばっかりしている人いますよね。メールがインボックスにすごく溜まってると嘆く人(さりげなく忙しいとアピールする人)もたくさんいます。カル・ニューポートに言わせれば、会議やメールのやり取りに忙しい人は、価値を生み出す活動をあまりしていないことになります。ボクもそう思うんですよね。会議やメールで忙しい人は生産性の悪さを恥じ入るべきだと思います。

    ナレッジワーカーのコンセプトを提唱したのはピーター・ドラッカーです。よく、「自律的に働く人材」と言いますが、この自律的な人材もドラッカーが考えるナレッジワーカー像でした。ナレッジワーカーは高度に専門的なプロフェッショナルなので、働き方は個人に委ねて自律性を尊重すべきだとしました。カル・ニューポートはドラッカーが示した「自律性」はワークエクセキューションであり、ワークフローではないと指摘します。メールやチャットなどの不定形で非同期のコミュニケーションは自律性は高めますが、生産性は低下させます。

    なぜ、メールやチャットは生産性を低下させるのか?まず、単純にボリュームが多い。CCを含め、たくさん宛先を指定できるので、気軽に多くの人に情報を配信できてしまいます。さらに、不定形なコミュニケーションなので、アクションアイテムが明確ではありません。これを解決するためには情報のオーバーロードを最小化するアプローチが必要となります。

    次に、時間が分断されワークエクセキューションに集中する時間が細切れになります。これも生産性の低下につながります。メールやチャットをチェックするのが習慣化してしまい、集中力が長く続かなくなってしまう。集中力が分断化されると生産性が低下するのは様々な研究結果からもわかっています。これを解決するためのアプローチはコンテキストスイッチの最小化です。

    情報のオーバーロードを最小化する、 コンテキストスイッチを最小化する。この二つを具体的にどうしたらいいのか?本書の後半はその具体的な方法を提示しています。カル・ニューポートって理論家ではなく、実践者なんですよね。だから、どうしてもハウトゥー本になってしまう。まあ、それが彼の良さなんでしょうが。

    彼が提案している非同期コミュニケーションの罠から脱出する方法の中で二つはボクもすでに実践していました。

    一つはプロジェクト管理ツールの活用です。何か具体的なアクションアイテムがある場合、プロジェクト化した方が効率的ですし、プロジェクトであればプロジェクト管理ツールを使った方がいい。例えば新入社員の受け入れ。PCやスマホの手配やトレーニング。やることがいっぱいありますよね。だとしたら「新入社員受け入れプロジェクト」としてやることリストをTrelloなどで管理した方がメールでやり取りするより数倍効率的です。

    カル・ニューポートはスクラムやXPなど、アジャイルの手法を普段の仕事に取り入れることも提案しています。ボク自身は開発プロジェクトで日常的にスクラムを実践しているので、これも理解できます。プログラマーならコードを書くことに集中して欲しいし、デザイナーならSketchやPhotoshopでどんどんUIを作って欲しい。ミーティングなんて朝会の15分で十分。進捗なんてJiraを見れてばわかるもの。ああ、そう言えば、そろそろZenHubに移行しようと思ってたんだ。

    ボクがまだ実践していないカル・ニューポートの提案の一つが人力アシスタントの活用です。これは実践してみたいと思いました。コンピュータのおかげで様々な業務が簡単になりました。そのため、バックエンド業務のセルフヘルプ形式が増えました。例えば経費精算。多くの社員は経費清算の作業を自分でやってますよね。しかし、そのために失われる生産性を考えれば、実際は給料が安いスタッフがやったほうが安い。自分がやるべきことじゃないのは、アウトソースしたほうがいい。ディゲーションが大事。

    もう一つ実践してみたいと思ったのがワークタイム制です。これはBasecampが実践している方法で『NO HARD WORK!』でも紹介されている方法です。ワークタイムとは他の人が自分にコンタクトできる時間です。つまり、コミュニケーション(=ワークフロー)に使う時間を限定して、残りの時間を実際の価値を生むワークエクセキューションに使うやり方です。

    カル・ニューポートの書籍は実践的なことが多く書かれているので、ハウトゥー本として低くみられたりします。でも、理論より実践。具体的なハウトゥーの方が役に立つこともあるんですよね。

  • 書評|ダークサイドを飼い慣らす|”The Power of Bad” by John Tierney, Roy F. Baumeister

    書評|ダークサイドを飼い慣らす|”The Power of Bad” by John Tierney, Roy F. Baumeister

    社会心理学者のロイ・バウマイスターとジャーナリストのジョン・ティアニーのコンビは以前にも『WILLPOWER 意志力の科学』がベストセラーになりました。その後に「意志力」系の本がたくさん出ましたが、この二人の仕事が出発点です。彼らの新しい著書”The Power of Bad”もその延長線上にあります。「悪い」は「良い」より強い。悪いことは根に持つけど、良いことを根に持つとは言わないですよね。「根に持つ」という言葉自身に悪い意味が含まれるだからですが、では、「根に持つ」の反対語ってなんでしょうか?

    映画『スターウォーズ』で力を表す「フォース」が登場します。良い力の使い方をするジェダイと悪い力の使い方をするシスが登場します。映画の中でシスはフォースの強力なダークサイドを操ります。これは実際の社会でも同じなんですね。強い「悪い」力を利用して、前に進めることはできないか?がこの本の主題です。

    The Power of Bad: How the Negativity Effect Rules Us and How We Can Rule It (English Edition)

    The Power of Bad: How the Negativity Effect Rules Us and How We Can Rule It (English Edition)

    • 作者:John Tierney,Roy F. Baumeister
    • 出版社/メーカー: Penguin Press
    • 発売日: 2019/12/31
    • メディア: Kindle版
    WILLPOWER 意志力の科学

    WILLPOWER 意志力の科学

    • 作者:ロイ・バウマイスター,ジョン・ティアニー
    • 出版社/メーカー: インターシフト
    • 発売日: 2013/04/22
    • メディア: 単行本

    ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』のおかげで認知バイアスへの理解も広がってきました。とても面白い本なので、まだ読まれていない方にオススメします。ロイ・バウマイスターとジョン・ティエリーの”Power of Bad”は認知バイアスの中でもネガティビティバイアスに焦点を当てています。良い情報より悪い情報に注意を向けやすい傾向がネガティビティバイアスです。良い噂より悪い噂が気になるとか。バイアスの力としては「良い」より「悪い」の方が強いのです。ならば、その「悪い」強い力を利用しましょうというのがロイ・バウマイスターとジョン・ティエリーのアドバイスです。

    例えば、非常に悪いことが起きると人はトラウマを抱えることがあります。心の傷ですね。しかし、実際には80%の人は恐ろしいことが起きてもトラウマを抱えないのだそうです。そして、トラウマを抱えた人も、トラウマを乗り越えることで強くなる。しかし、PTSDなどトラウマの悪い面がクローズアップされます。

    ロイ・バウマイスターとジョン・ティエリーはもう一つダークサイドを飼い慣らすために重要な認知バイアスとして楽観バイアスを挙げています。

    参考:富裕層になれない人の9割は、「楽観バイアス」人生

    多くの人はネガティブバイアスのせいで、悪いことが起きると思っています。さらに悪いことはより多くなっていると思っています。しかし、楽観バイアスのため、悪いことは自分ではなくて他人に起きると思っています。

    この本は基本的に実践書なので、「悪い」を「良い」に変えるためのアドバイスがたくさん紹介されています。例えば、教育におけるアメとムチについて。自信がある子供は学力が上がると広く信じられていますよね。確か自信と学力には相関関係がある。しかし、褒めて自信がつくから学力が上がるという因果関係は間違っていることが最近の研究でわかってきているのだそうです。学力が上がるから、褒められ、自信がつく。これってピアノを習う子は学力が上がるに似ていますよね。ピアノを習う→学力が上がるではない。ピアノを習えるほど裕福→学力が上がる。やっぱり因果関係と相関関係を間違えないって大事だなと思いました。

    No Excuses: Lessons from 21 High-Performing, High-Poverty Schools

    No Excuses: Lessons from 21 High-Performing, High-Poverty Schools

    • 作者:Samuel Casey Carter
    • 出版社/メーカー: Heritage Foundation
    • 発売日: 2000/04/01
    • メディア: ペーパーバック

    この本はどんな人にオススメか

    学術的なことを一般に紹介する書籍には二種類あります。理論的か実践的か。難しい学術的な研究を簡単に解説する本なのか、実践に落とし込んだ本なのか。今回紹介した”The Power of Bad”は後者の「実践的」な要素が強い本です。自分のネガティブな側面を気にしていて、それを飼い慣らしたいと悩んでいる人にはオススメです。きっと、一つか二つは実践できるアドバイスを見つけることができるでしょう。

    一方で理論的なバックボーンを知りたい人にとっては少し物足りないかもしれません。いろんな人の楽曲を集めたオムニバスアルバム的な側面が強いんですよね。一人のアーティストがコンセプトを持って作り上げたアルバムではない。そのため、一つ一つのアドバイスの背景にある理論的な部分が薄く感じてしまいます。

  • 書評|ベン・ホロウィッツの期待の新著は企業文化について|”What You Do Is Who You Are” by Ben Horowitz

    書評|ベン・ホロウィッツの期待の新著は企業文化について|”What You Do Is Who You Are” by Ben Horowitz

    ベン・ホロウィッツの前著『HARD THINGS』は自らのスタートアップで出会った困難を赤裸々に描き、多くの人に絶賛されました。すごくいい本ですので、スタートアップや経営に興味がある人にはオススメします。そのベン・ホロウィッツの二作目なのですから、期待が高まってハードルが上がってしまいます。

    新著”What You Do Is Who You Are”は企業文化に関する本です。『HARD THINGS』でも企業文化について少し触れられていました。「創業者の行動が企業文化を決める」みたいな感じでしたよね。行動したこと、行動しなかったこと両方が価値観を規定する。今回はそこをさらに掘り下げています。

    HARD THINGS

    HARD THINGS

    What You Do Is Who You Are: How to Create Your Business Culture (English Edition)

    What You Do Is Who You Are: How to Create Your Business Culture (English Edition)

    ベン・ホロウィッツはとても現実主義者ですので、文化に過度の期待を抱かないよう警告します。よい文化が成功に導くわけではない。よい文化だから営業パイプラインが増えるわけではない。悪い文化でも成功することもある。よい文化はよい結果に結びつく可能性があるだけ。それでも長期的な成功を望むのであれば、よい文化を作り上げるのは大切ですよと説きます。

    本書は歴史から企業文化の作り方を学ぶ構成となっています。例外的にMITメディアラボのシャカ・センゴーが現代を代表して紹介されています。まず、歴史の紹介があって、次にそれがどのように現在の企業に当てはまるのかを解説しています。ハイチを独立へ導いた一人であるトゥーサン・ルーヴェルチュールや、日本の武士道、モンゴルのチンギス・ハーンが取り上げられています。日本の武士道は新渡戸稲造の『武士道』ではなく、「死ぬ事と見付たり」で有名な『葉隠』などオリジナルに近い文献から多く引用されているのがすごい。

    新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

    新校訂 全訳注 葉隠 (上) (講談社学術文庫)

     

    一番印象に残っているのはトゥーサン・ルーヴェルチュールでした。トゥーサン・ルーヴェルチュールが文化を規定する上で行ったことが7つあって、それがなかなか興味深かったです。覚えてもらうためにちょっとショッキングなルールを作るとか、ドレスコードを守るとか面白いですね。でも、確かにそうかもと思いました。

    一番納得だったのは「明示的に倫理を守る」です。これはボクがマイクロソフトにいたから特にそう思うのかもしれません。倫理なく競争に勝つことだけを求めたら、勝てるかもしれません。マイクロソフトもそうでしたし、ウーバーもそうでした。でも、倫理がなければ最終的には破滅してしまいます。マイクロソフトはそれこそ手厳しくハードに学びましたし、ウーバーも学んでいる最中でしょう。

    この本はどんな人にオススメか

    すごく歴史とヒップホップが好きなんだなーというのは伝わりました。特に武士道に関しては只者じゃないです。ボクもそんなに知らなかったですもの。いっそのこと、歴史書を書いたらいいのに!

    内容的には、うーん、期待が高かった分、肩透かしを食った感じです。語り足りなかったのかもしれませんが、『HARD THINGS』で語り尽くした感はあるんですよね。『HARD THINGS』をまだ読んでない人はまず『HARD THINGS』をオススメします。『HARD THINGS』を読んで、「まだ足りない!おかわり!」という人には”What You Do Is Who You Are”もオススメかもしれません。

  • 書評|アメリカ新自由主義の象徴であるコーク兄弟はいかに富を築いたか?|”Kochland” by Christopher Leonard

    書評|アメリカ新自由主義の象徴であるコーク兄弟はいかに富を築いたか?|”Kochland” by Christopher Leonard

    アメリカのお金持ちといえばビル・ゲイツやウォーレン・バフェット、最近だとアマゾンのジェフ・ベゾスを思い浮かべる人が多いと思います。チャールズ・コークとデイビット・コークのコーク兄弟を思い浮かべる人は少ない(世界長者番付でそれぞれ八位と九位)ですよね。これはコーク兄弟が代表するのが石油化学などのオールドマネーで、彼らの中心企業であるコーク・インダストリーズが非上場企業だからだと思います。

    しかしながら、彼らの政治への影響力は無視できないレベルまで高まってきています。アメリカがパリ協定を脱退したり、温暖化を否定するのはコーク兄弟を中心とするアメリカのオールドマネー勢のロビー活動の力が大きく働いているからです。

    今回紹介する”Kochland”を理解するには現在のアメリカの新自由主義の台頭と政治システムを理解する必要があります。トランプ政権の誕生は衝撃的でしたが、それも現在の大きな流れから生まれた現象のひとつでしかありません。

    Kochland

    Kochland

    本書の書評に入る前に、まずは簡単にアメリカの政治に関する現状を解説します。

    管理から自由へのなだらかなシフト

    中国は共産党の一党独裁の中央集約的なシステムです。一方、アメリカは権力がバランスよく分散されて、分散的なシステムだと一般的には認識されています。具体的には政府の干渉が少ない自由市場にゆだねる「小さな政府」共和党と、政府が自由市場を尊重しつつも、政府として公平性を保つ「大きな政府」民主党がシーソーのように政権を担うことによってバランスをとっています。自由と管理のシーソーゲームです。レッセ・フェールからニューディールと時代に合わせ、公平で民主的な選挙により、アメリカが「極端な自由」や「極端な管理」に振れすぎないようになっていました。

    ニューディール以後、80年代の米レーガン・英サッチャーから時代は「自由」の方向に現在まで振れ続けます。これがシカゴ学派を代表とする新自由主義の流れです。クリントン、オバマの民主党政権の時も比較的「大きな政府」ではありましたが、市場にゆだねる自由の流れに逆らうようなことはしませんでした。それでもオバマ大統領時代は民主党が行政だけでなく、議会も民主党が過半数を制したため、オバマケアなど社会保障が充実した時期でした。しかし、この「オバマショック」で目を覚ましてしまったのがコーク兄弟をはじめとする完全自由主義者であるリバタリアン達でした。

    自由が増えると格差も増える

    自由という言葉は響きはいいのですが、すべてを市場の自由に委ねていると格差が広がります。経済は成長するのですが、格差も広がる。痛し痒しの関係です。格差問題に関してはアナンド・ギリダラダスの”Winners Take All”でも解説されていますし、ティム・ウーの”The Curse of Bigness”も格差が前提にあっての独占禁止法の無力化への批判でした。

    ビル・マッキベンの”Falter”ローレンス・レッシグの”America, Compromised”でも指摘されていますが、市場主義を政治に持ち込もうとする勢力が台頭しつつあります。政治の市場主義とは、つまり、お金の力で政治をコントロールするという意味です。払う税金の額によって投票の重み付けをすべきとか。金持ちの票が貧乏人の票より重い。

    コーク兄弟は秘密結社の親玉か?

    メディアアーティスト落合陽一さんのお父様の落合信彦さんはアメリカの軍産複合体の脅威を叫んでいましたが(あ、今でも叫んでいますね)、なんか陰謀説っぽかったですよね。人は見えないものを恐れます。しかし、実際に内情を覗いてみれば、見えない力が暗躍しているというよりは、普通の企業が企業努力として政治に影響を与えようとしているだけだったりします。単に利益追及も過ぎると犯罪になる。ただそれだけのことなのですが、その単純さがむしろ恐ろしい。

    コーク兄弟の政治干渉とその影響力の大きさに関しては、すでにジェイン・メイヤー著『ダーク・マネー』やダニエル・シュルマン著『アメリカの真の支配者 コーク一族』で詳しく解説されています。いわゆるロビー活動だけではなく、ヘリテージ財団ケイトー研究所などのシンクタンクを通じて政策に影響を与える活動をします。

    コーク兄弟のネットワークにいる富裕層の多くは「インビジブルリッチ」と呼ばれるプライベート企業のオーナーです。リバタリアンで、干渉を嫌い、株式上場しません。コーク・インダストリーズも同じですね。リバタリアンで政府の干渉を嫌うという共通点はありますが、一枚岩というわけではありませんし、万能の力を持っているわけでもありません。事実、彼らはドナルド・トランプを支持していませんでしたが、トランプは大統領選で勝ってしまいました。議会には息のかかった政治家をたくさん送り込んでいるでしょうけどね。

    ダーク・マネー

    ダーク・マネー

    アメリカの真の支配者 コーク一族

    アメリカの真の支配者 コーク一族

     

    で、ここまでが本書”Kochland”を正しく理解するための前提知識です。あー、長かった。

    そもそもなんでこんなに成功した?

    “Kochland”はいわゆる政治の黒幕としてのコーク兄弟ではなく、成功した実業家としてのコーク兄弟に光を当てています。そもそも、なんでこんなに儲かってるの?コーク・インダストリーズの年間売り上げはフェイスブック、ゴールドマンサックス、USスチールを合わせたより大きいです。チャールズとデビッドのコーク兄弟はこの80%の株式を所有していました(デビット・コークは2019年8月に亡くなったので、今はその家族)。二人合わせた資産価値は1200億ドル(約13兆円)にものぼりました。これはアマゾン創業者ジェフ・ベゾスやマイクロソフト創業者ビル・ゲイツより多い額です。破壊的なイノベーションではなく、長い時間をかけて積み上げてきた富です。この長いプロセスを理解しようというのが本書”Kochland”の趣旨です。

    まず、コーク・インダストリーズはどういう会社なのかを簡単に解説します。石油はエクソンやシェルなどのオイルメジャーが原油を採掘します。採掘された原油はそのままでは使えないので、ガソリンやプラスチックのような商品になる前に精製しなければいけません。そのために採掘場から精製場に運ばなければいけません。それがタンカーやパイプラインです。コーク・インダストリーズはこのパイプラインをおさえていました。オイルメジャーですらコーク・インダストリーズを必要としていました。

    チャールズ・コークはもともと家業を引き継ぐことに積極的ではありませんでした。しかし、説得に負けて父親の会社に入社したのが1961年。父親の急死によりコーク・インダストリーズを引き継いだのが1964年でした。時代はニューディール真っ只中。ニューディールは今の新自由主義とは真逆の政府による強い管理を前面に押し出した政策でした。そんな中でも企業は自由を求めて様々な活動をします。コーク・インダストリーズの成功を簡単にまとめると以下に集約されるでしょう。

    コーク・インダストリーズは干渉を避けるために、なるべく目立たないように企業活動を行ってきました。それゆえに一般的にはあまり知られていなかったのですが、とても革新的な企業で、いまのスタートアップ的な手法を積極的に取り入れていました。ある意味、スタートアップでもありベンチャーキャピタルでもあり、金融機関でもあります。

    デリバティブにまで手を広げながらも、2008年の世界金融危機(いわゆるリーマンショック)ではValue At Risk Limit(VAR)でリスクの上限を設定していたため、他の金融機関と比べてダメージは少なかった方ですが、2000人のリストラを実施しました。それでも利益を出したってすごいですけどね。この時の戦略がコンタンゴ・ストレージ・プレイ(またはコンタンゴ操作)でした。これはコーク・インダストリーズが現物と先物の両方の取引をやっていたからです。

    悪名という名のイノベーションとディスラプション

    成長した理由だけを取り出してみると、とてもいい企業な印象を受けます。しかしながら、コーク・インダストリーズは一般的にはあまりいい印象を持たれていません。それは、貪欲な利益追求体質が様々な問題を引き起こしたからです。例えば、コーク・インダストリーズはいち早く労働組合の無力化に取り組みました。アメリカのミドルクラスは労働組合に参加する労働者でかなりの部分が構成されていました。工場で働いていても家を持ち、子供をいい学校に通わせることができました。コーク・インダストリーズが積極的に労働組合の無力化を行わずとも、ニューディールから新自由主義への変化の流れの中で、労働組合は無力化されたのだとは思います。

    そもそも、石油は儲かる商売です。パイプラインや精製場は大きな投資が必要なため、参入障壁が非常に高いビジネスでもあります。つまり、巨額の設備投資が必要になります。さらに石油に関わる施設は廃棄物や温暖化ガスを抑えるために、環境規制に準拠した施設を備える必要があります。コーク・インダストリーズは設備投資をおさえて利益を最大化するために、この規制の抜け道を見つけて環境規制関連法案を無力化することに熱心でした。

    また、利益を優先するために環境対策を怠り、大きな環境破壊の事件を起こしました。そのため1999年から2003年にかけて4億ドル以上の罰金を支払っています。コーク・インダストリーズでは利益の原動力である生産部門が強い力を持ち、環境担当などの間接部門はアドバイスしかできず、強制力を持ちませんでした。そのため、施設に問題があって環境問題が起きていても、生産が優先されて政府で定められている有害物質の排出量が守られていなくてもあらゆる方法でそれを隠し続けていました。また、採掘場から精油場に運ぶ時に過小評価をして実際に運んだ量より少ない量を申告していました。社員のモラル低下を招いたのがマーケット・ベースド・マネージメントだと考えられました。

    政治の介入を防ぎための政治への介入

    『ダーク・マネー』や『アメリカの真の支配者』ですでに解説されていますが、チャールズ・コークが政治への介入を表舞台に立ってはじめたのは民主党のオバマ政権が生まれてからです。政治が自由市場に介入するニューディール時代に戻るのではないかと危機感を感じました。特に地球温暖化が世界で問題となり、アメリカがパリ協定京都議定書に参加することに大きな不満を感じました。

    コーク・インダストリーが政治への影響力を発揮するために作り上げた仕組みは蛸の足のように多岐にわたるためコークトパスと呼ばれています。初期の取り組みは1996年に設立された、Economic Education Trustです。まず、この基金にお金を集めます。この基金自体は政治団体ではないため、資金提供者の開示義務がありません。ここからTriad Management Serviceに献金されます。Triad Management Serviceは特定の共和党議員に無償で様々なサービスを提供する団体でした。このほかにもAmerican Legislative Exchange Councilは保守派の州議員のための組織で、規制緩和を求める企業の多くが献金しています。

    この本はどんな人にオススメか

    まず、この本はとても重厚です。ページ数で704ページ、オーディオで23時間です。コーク・インダストリーズの歴史本なので、気になる章だけ読んでもあまり意味がありません。全体像が見えないからです。そのため、読むにはかなりの気合いが必要です。オーディオブックの早送り再生をしなければ、ボクもかなり時間がかかったと思います。それでも、経営に携わる人には強くオススメしたいです。

    コーク・インダストリーズの歴史を振り返ると、オリンパス事件東芝の不正会計三菱自動車の繰り返される不正体質などが頭をよぎります。リバタリアンは透明性を嫌いますが、透明性が低いとモラルも低下するのですね。新自由主義者が言うように、市場の方が官僚よりも効率的なのかもしれません。しかし、効率ばかりを求めてしまうと、その組織の視野でしか物事が見れず、環境や社会などより広い視野で判断できなくなります。

    コーク・インダストリーズを率いるチャールズ・コークも2019年現在で84歳。弟のデヴィッドも亡くなりましたし、彼自身もそろそろ引退時期です。コーク・インダストリーズの象徴であり、理念の柱であるチャールズ・コークがいなくなった時、コーク・インダストリーズはどのような方向へ進むのでしょうか。

    また、次のチャールズ・コークはどこから現れてもおかしくありません。ペイパル・ギャングの親玉ピーター・ティールなんてそうですよね。マーク・ザッカーバーグやラリー・ペイジが次のチャールズ・コークになる可能性だってあるのです。不正と利益の境界線はとても曖昧なのですから。

  • 書評|失敗を予測するフレームワークとは|”Meltdown” by Chris Clearfield

    書評|失敗を予測するフレームワークとは|”Meltdown” by Chris Clearfield

    日本には『失敗の本質』という素晴らしい失敗学の書籍があるにも関わらず、同じ過ちを繰り返してしまう性質があります。「うん、そうなんだよ。そうそう、それが悪いんだ」と病気の症状がわかっていても、具体的な解決方法というか、処方箋がないからなんでしょうね。だって、できることって「おかしいと思ったら、空気を読まずに、ちゃんとおかしいと言いましょう」ですから。そんなの、あまりにも当たり前じゃないですか。

    Meltdown: Why Our Systems Fail and What We Can Do About It

    Meltdown: Why Our Systems Fail and What We Can Do About It

    失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

    失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

    • 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
    • 出版社/メーカー: 中央公論新社
    • 発売日: 1991/08/01
    • メディア: 文庫
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    じゃあ、海外はどうなんすかね?ということで社会学から見た失敗学である「ノーマル・アクシデント理論」から解説を試みているのが、今回紹介する”Meltdown”です。すでに翻訳が出ていると知らず、原書で読んでしまったなり。それにしても、最近の翻訳本の日本語タイトルってSEO対策っぽくて味気ないです。「失敗の本質」というキーワード入れたり、コンバージョンに効くベタな「…たった一つの方法」入れたり。

    巨大システム 失敗の本質: 「組織の壊滅的失敗」を防ぐたった一つの方法

    巨大システム 失敗の本質: 「組織の壊滅的失敗」を防ぐたった一つの方法

    • 作者: クリス・クリアフィールド,アンドラーシュ・ティルシック,櫻井祐子
    • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
    • 発売日: 2018/11/30
    • メディア: 単行本
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    この本は前編と後編に分かれています。前編は「ノーマル・アクシデント理論」の解説と、現代のケーススタディです。「ノーマル・アクシデント理論」を簡単に説明すると、事故の起きやすさに関するシステムの評価方法です。単純<>複雑を縦軸にして、ユルい結びつき<>キツい結びつきを横軸にして事故の起きやすさを判断します。単純で結びつきがユルければ、事故は起きにくく、複雑で結びつきがキツければ事故は起きやすくなります。コンピューター的に言えば密結合と疎結合。社会学者のチャールズ・ペローがスリーマイル島原発事故の発生原因を調査した結果から生まれました。

    スリーマイル島原発事故は1979年に起きました。当時は「複雑」かつ「結びつきがキツイ」事故の可能性が高い危険領域にある分野は原子力発電所くらいしかありませんでした。しかし、インターネットの登場で様々なものが密接に結びつくようになり、危険領域に含まれる分野が急速に増えてきました。本書で挙げられている例だけでもPR史上においての大惨事の一つに数えられるスターバックスの#SpreadTheCheerキャンペーン、イギリス郵便局のアカウントシステムであるHorizonのバグ被害、エンロン事件、ターゲットのカナダ進出の失敗ミシガン州フリント市の水道水汚染など多岐にわたり事例として取り上げられています。

    後編は待ちに待った防止方法になります。簡単に言えば「ノーマル・アクシデント理論」のフレームワークを使って、複雑さを減らして、結合をなるべく解いていきましょうということになります。いくつか具体的も提示されています。例えばSPIES(Subjective Probability Interval EStimates)を利用しての障害予測です。起こり得る数値をいくつかのインターバルに分けて、予測値を入れていきます。また、事前に基準を決めてリスク評価をするプレデターミンド・クライテリアという方法も紹介されています。この辺はガッツリやる感じでコンサルタントが好みそうな手法ですね。

    ボクが個人的に自分でもやってみようと思ったのがプレモーテムです。ポストモーテムは失敗した理由をブレインストーミングして整理整頓する方法ですが、プレモーテムはこれから起こるであろう失敗の理由をブレインストーミングして整理整頓します。これならチームで気軽にできますよね。ポストモーテムは振り返りにとてもいい手法でボク自身よく使うので、プレモーテムも使ってみたいと思いました。

    この本はどんな人にオススメか

    コンサルタントにはまずオススメなんでしょうね。くどいくらいに事例が豊富ですし、紹介されているフレームワークも時間をたっぷりかけてリスク評価をする方法です。事業をしている人がやるには専門的すぎるかなあ。専門家向けだと思います。

    ただ、最終的には『失敗の本質』でも指摘されているように、内部から「おかしい」と感じたことは「おかしい」とはっきりと言える組織や文化にすることが大切なんですよね。こればっかりはコンサルタントではできないことで、事業をやっている本人たちがそういう組織や文化を作らなければいけない。

  • 書籍|脳で語られる男女の差はほとんどウソ|”The Gendered Brain” by Gina Rippon

    書籍|脳で語られる男女の差はほとんどウソ|”The Gendered Brain” by Gina Rippon

    Aは〇〇で、Bは〇〇のようなレッテルはわかりやすく、話題にしやすいですよね。「日本人は」とか「外国人は」とか。女性は直感的で、男性は論理的。女性は地図を読むのが苦手で、男性は話を聞かない。そんな本も出ているくらいです。そんな男女脳のカジュアル(かつ差別を助長する)疑似科学的な分析に「もう!いい加減にして!」と声をあげたのが今回紹介する”The Gendered Brain”の著者であるジーナ・リッポンです。

    The Gendered Brain: The new neuroscience that shatters the myth of the female brain

    The Gendered Brain: The new neuroscience that shatters the myth of the female brain

    生まれてから周りの環境に合わせて、男性と女性の脳がどのように形作られていくのか詳しく説明されています。おかげで長年不思議に思っていた疑問「なんで日本は女性の社会進出がこれほどまでに遅れているんだろう?」に自分なりの回答が得られました。

    日本は世界の中で圧倒的に女性の社会進出が遅れている

    世界の中で日本は女性の社会進出が遅れています。どれくらいか?圧倒的にです。東京医大の入試における女性差別もかなり衝撃的でしたが、それも氷山の一角です。

    2018年において国際経済フォーラム(WEF)のレポートでは149カ国中110位。エコノミスト誌が毎年発表しているガラスの天井インデックスではOECD29カ国中28位でした。国際労働機関(ILO)のレポートにようると女性の取締役の割合はわずか3.4%でG7の中で圧倒的な最下位です。その次がアメリカで、それでも女性の取締役の割合は16.4%です。列国議会同盟(IPU)の調査によると女性議員の割合も日本は世界193カ国中165位です。

    女性の社会進出が遅れているのは、日本人が他の国の人たちに比べて野蛮で民度が低いというわけではありません。単に社会として差別を解決する継続的な努力をしていないだけです。日本の女性は結婚しても仕事を辞めてしまう。女性は男性と比べてキャリア的な野心が少ない。「日本の女性はそういうもの」みたいな空気感。じゃあ、日本の女性が悪いのか、努力が足りないのかといえば、そうでもありません。ジーナ・リッポンは脳科学の見地からそれを設明してくれています。

    脳は生まれつきか、生まれつきではないか

    男女の脳が生まれつき違いがあるのか?それとも、最初は違いがないが、徐々に男女で違いが生まれてくるのか?ジーナ・リッポンはこれに単純には答えません。簡単に答えるのであれば、男と女の脳は生まれる前から違います。問題は、それがそれほど重要な違いなのかどうか?です。

    以前に紹介したマシュー・リーバーマンの書籍『21世紀の脳科学』でも解説していましたが、脳は社会的な存在です。周りの影響を受けて変質していきます。

    ジーナ・リッポンは男女の脳の差は生まれつきのもの(nature)よりも育ってきた環境(nurture)だと科学的に根気強く証明していきます。まだ母体にいる頃から、生まれて、どのようにそだって行くのか。その間、どのように脳は環境の影響を受けながら「男」になり、「女」になるのか。それは生まれてから性別がわかってからの周りの反応、幼児期に与えられるおもちゃにまで至ります。「女性らしさ」や「男らしさ」は生まれてから徐々に作られていくのです。実際によく科学的にここまで調査したものだと感心してしまいます。

    「女性は結婚したら家庭に入るもの」と現代の日本女性が考えているのは環境の影響の方が大きいのですね。日本女性が生まれつきに「お嫁さんになったらお母さんになる」ために生まれたわけではないのです。育った環境がそういう「いいお母さん」を作っています。もちろん、そういう価値観が悪いわけではありません。同じ意味で専業主夫の「いいお父さん」がいてもいいですし。男の役員や政治家がいたらいけないわけでもありません。同じ意味で女性の役員や政治家がいてもいい。男女差が社会進出における格差に繋がっている環境が問題なのです。日本の社会は女性にとってフェアじゃないのです(それは男性にとってもフェアでもないのですがーお金を稼がない男は甲斐性がないとかね。フェアな社会であれば女性も同じでしょ?)。

    「お母さんが家庭にいないと子供がかわいそう!」と言う声が聞こえてきそうですが、世界の幸福度ランキング上位の国(フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ニュージーランドなど)は男女格差が少ないトップの国だったりしますからね。日本の幸福度は156カ国中58位です。

    脳科学の見地から偏見が生まれるメカニズム

    サイモン・バロン=コーエンの『共感する女脳、システム化する男脳』やアラン・ピーズとバーバラ・ピーズの『話を聞かない男、地図が読めない女』もそうなのですが、男と女の脳は違う話はヒットしやすいです。自分たちの考えを肯定してくれるし、わかりやすいですから。実際には男女の脳に差がないという実験結果の方が多いのですが、差があるという「衝撃の発見」の方が表に出やすい。これを出版バイアスと言います。書籍としての出版だけではなく、大学などの論文でも同じことが言えます。男と女は違うという偏見を肯定して補強してくれるデータの方が受け入れやすいのです。東京大学の四本裕子准教授も近い主張をしていますね。おそらく脳科学者の一般的な合意事項なんでしょう。

    サイモン・バロン=コーエン(心理学者)もアラン・ピーズとバーバラ・ピーズ(コミュニケーション)も脳科学者ではありません。男女の脳の違いの研究が盛んになったのは脳スキャン(fMRI)の登場が大きく寄与しています。脳スキャンで脳の「アクティブ」な部分を表すことで、とてもわかりやすい説明ができます(科学的に正しいかどうかは別として)。

    実際に脳スキャンを使う専門家は色分けした画像を使いません。レントゲン写真のように白黒の画像を使います。微妙な変化を捉えることが難しいからです。脳の機能を単純に部位で説明することはできません。胃や肝臓、心臓のようにわかりやすい役割があるわけではなく、それぞれの部位がネットワークによって繋がって機能していることがわかっています。単純に色分けして説明できません。

    また、脳スキャンは血流の流れを映し出します。脳の活動は電気信号ですから、実際の活動とは時差があります。脳スキャンが出たばかりの頃、このような脳の特性や脳スキャンの科学的な使い方が確立されていませんでした。そのために、科学的に正しいとは言えない分析に専門外の人たちが飛びついてしまいました。立派な道具も正しく使わなければ意味がありません。

    これはホルモンについても同じことが言えます。テスタトロンは男性ホルモン、エストロゲンは女性ホルモンと言われますが、実際には男性にも女性にもテスタトロンもエストロゲンもあります。それぞれ男女で割合が違うだけです。テスタトロンが論理的思考、エストロゲンが情緒的思考に繋がる科学的な証明はされていません。ホルモンに関連する女性特有の減少に生理があります。これも偏見のネタになっています。生理はネガティブな印象があるため、生理がもたらす心理的なネガティブな影響を調査する傾向があります。しかし、実際には生理中は思考がクリアになるなど、ポジティブな調査結果も少なくないそうです。

    この本はどんな人にオススメか

    私がマイクロソフト本社で働いていた頃、会社の方針として女性の管理職を採用するように奨励されていました。同じ能力の男性の候補者と女性の候補者であれば女性を選ぶことが強く推奨されていました。そして、組織のダイバーシティー(男女比率)は数値で管理されていました。

    私はディレクターという立場だったので、なるべくアジア人女性を管理職として昇進するようにしました(残念ながら日本人女性は数が圧倒的に少なかったので、そもそも本社レベルの土俵に上がってきませんでした)。つまり、会社の方針に素直に従っていました。IT業界の男女格差は当時から社会問題でしたし、男女格差だけでなく、人種格差も解消したいと考えていました。会社がそういう方針を出したとしても、まだまだ解決されていません。しかし、個人的にはモヤモヤとしたものがなかったと言えばウソになります。これって逆差別じゃない?とか。このモヤモヤに対する答えは今まで自分自身の中でありませんでした。

    しかし、この本を読んで、女性が生まれてから脳レベルで「女性らしさ」を周りの環境によってハードコーディングされていることを理解しました。環境が変わらなければ格差は変わらない。生まれたばかりの赤ん坊は環境を変えることはできませんからね。ある程度まで強制的に女性のリーダー(役員、管理職、国会議員、学者などなど)を増やしていく必要があるんですね。

    日本の場合だと有望な女性リーダーも「せっかく育ててきたのに寿退社しちゃった」みたいなことは頻繁に起きると思います。実際に日本の社会では日常的な風景です。ガッカリする気持ちはわかります。でも、今の日本はそういう社会になっちゃってますから。粘り強くやっていくしかない。すでに生まれてから脳レベルでハードコーディングされてしまっている「女性らしさ」や「男性らしさ」を変えるのは難しいですが、それを生み出す根源となっている社会を変えないと、日本はずっとこのまま変わりません。

    この本は幅広く多くの人に読んで欲しいです。今年のオススメ本の一つ。早く翻訳されて欲しい。

  • 書評|イノベーションは文化でなく仕組みで作る|”Loonshots” by  Safi Bahcall

    書評|イノベーションは文化でなく仕組みで作る|”Loonshots” by Safi Bahcall

    イノベーション推進の取り組みを行っている企業はたくさんあると思います。組織の外から取り込むこともあります。スタートアップを買収したり。また、組織の内側から変える取り組みもあります。アジャイルやリーンスタートアップに取り組んだGEなんて代表例ですよね。日本だと新規事業を専任でやる組織を作る場合もあります。このような取り組みは成功することもあるし、失敗することもあります。

    大企業とスタートアップを比較して、企業文化がイノベーションを推進する原動力になっているという考え方もあります。しかし、今回紹介する”Loonshots”の著者であるサフィ・バーコールは「企業文化」はイノベーションには関係ないといいます。実際に、多くのイノベーションを生み出した携帯電話のノキア、医薬品のメルク、そしてディズニーもイノベーションを生み出したにも関わらず、同じ企業文化で同じ人材がその後に失敗したりしています。

    タイトルとなっているルーンショットは一般的に言われる「ムーンショット(月に行くような難しいこと)」にかけて「いっけん馬鹿げた(Loon)クレイジーなアイデア」という意味です。

    LOONSHOTS<ルーンショット> クレイジーを最高のイノベーションにする

    LOONSHOTS<ルーンショット> クレイジーを最高のイノベーションにする

    • 作者:サフィ・バーコール
    • 発売日: 2020/01/23
    • メディア: 単行本
    Loonshots: How to Nurture the Crazy Ideas That Win Wars, Cure Diseases, and Transform Industries

    Loonshots: How to Nurture the Crazy Ideas That Win Wars, Cure Diseases, and Transform Industries

    液体の組織と固体の組織

    水は液体、氷は固体ですよね。組織も同じだとサフィ・バーコールは言います。この状態の変化を相転移(そうてんい)といいます。水はゼロ度で液体から固体になります。液体でいながら固体でいることはできません。組織も同様でイノベーションを生み出す液体型の組織と管理が得意な固体型の組織は両立しません。組織において「元素」にあたるのは人です。元素が液体と固体では行動が違うように、人も組織の状態によって行動が変わります。

    このような考えのルーツは第二次世界大戦で軍隊と科学を結びつけたヴァネヴァー・ブッシュなのだそうです。当時のアメリカはドイツと比べて科学的な兵器開発が遅れていました。潜水艦「Uボート」、弾道ロケット「V2ロケット」やメッサーシュミットが開発した初のジェット戦闘機「シュヴァルベ」が代表例ですね。アメリカは科学力がなかったわけでなく、固形的な当時のアメリカ軍隊が液体的な科学者のアイデアを取り入れることができなかったのです。

    固形型組織と液体型組織の化学反応

    ヴェネヴァー・ブッシュは軍隊の外に科学研究開発局(OSRD:Office of Scientific Research and Development)を設立、固形型の軍隊組織から離れた場所で液体型の科学者組織を作りました。この「兵士と芸術家を分ける」というのが成功の秘訣のひとつめ。

    ふたつ目が「技術」を管理するのではなく、「移転」を管理するということ。液体型組織が作り上げた「クレイジーなアイデア」を固体型組織に採用してもらうことですね。つなぎ役が大切。これが、イノベーションは文化でなく、組織の立て付けが大切だということです。

    イノベーションの罠

    この本ではイノベーションを妨げる様々な罠についても解説されています。その中でも興味深かったのが、ふたつのルーンショットです。P型ルーンショットは派手でわかりやすいアイデア。例えば、ネットフリックスやアマゾン。もう一つはS型ルーンショットで地味でわかりにくいアイデア。例えばウォルマートやグーグル。P型ルーンショットを続けて、S型ルーンショットに敗れ去る例がたくさん紹介されています。パンナムやポラロイドが代表例ですね。アップルを追い出されて、ネクストを創業した頃のスティーブ・ジョブスもその一人です。

    もうひとつ興味深かったのは「結果」のマインドセットと「システム」のマインドセットの違いです。何かに失敗した場合(もしくは成功した場合)、その結果の原因を分析するのが「結果」のマインドセット。例えば、競合より価格が高かったとか。「システム」のマインドセットはその結果を生んだプロセスに着目します。なぜそのような決断をしたのか?誤った決断を避けるためには何をしたらいいのか?

    この本はどのような人にオススメか

    イノベーションに興味がある人にはまずはオススメです。イノベーションのツールや文化について書かれた本は多いのですが、組織について書かれた本はあまり多くありません。

    この本では組織が液体から固体になる方程式を提示しています。実際の方程式は本で確認してください。水が液体から固体に変わるのがゼロ度であるように、組織が液体から固体になるのが150です。これは偶然にもダンバー数と同じです。

    ただ、これはまだまだ仮説として考えたほうがいいでしょうね。”Loonshots”で提示されている仮説が本当にそうなのかはまだまだ分からない。

    サフィ・バーコールは物理学の博士号を取ってるだけあって、科学者なんですよ。過去のイノベーション事例から数式を作り出したら生存バイアスを受けますからね。ジム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』なんてまさに生存バイアスの代表例で、彼の本に取り上げられた企業の多くはその後に没落しています。そういう意味では、”Loonshots”は誠実な本でもあります。

    *2020/1/23に日本語に翻訳出版されました。

  • イギリスの取り組みから学ぶ児童相談所問題とサービスデザイン

    イギリスの取り組みから学ぶ児童相談所問題とサービスデザイン

    千葉小4虐待死事件から自動相談所の問題点について多くが語られるようになりました。自動相談所の対応が杜撰だったと「質」を批判する声が上がるとともに、児童相談所の職員はそもそも足りておらず、対応が追いつかないと「量」の問題を提起する声も上がりました。実を言えば「質」の問題はなかなか解決が難しく、「量」の問題の方が解決しやすいです。

    実際に安倍晋三首相は2019年2月9日に児童相談所の専門職員を5000人体制にする意向を表明しました。現在は3200人で、来年度から4200人に増やし、その後5000人体制にするそうです。まずは、「量」の問題を解決する姿勢を示しました。

    「量」の問題と「質」の問題の解決方法

    もちろん「量」の問題を解決するのは大切です。「量」の問題とはベースとなる数字の問題です。例えば10+10=20で例えれば「10」を「40」にして10+40=50にするのが「量」の問題の解決方法です。そもそも50必要なのに10しかないのであれば、まずは40足すしかないでしょう。

    一方で、「質」の問題は演算子の問題です。同じ10+10=20をたとえに使えば、「+足し算」を「×掛け算」にして10×10=100にするのが「質」の問題の解決方法です。「質」の問題の解決方法はスタートアップでは「スケールするやり方を見つける」と言います。例えば、「数が足りていれば児童相談所は誤った判断をしなかったのか?」という問題です。正しい判断が個人に依存せずに(できる/できない)というのは質の問題です。

    それでは、いきなり「+足し算」を「×掛け算」にできるかと言えばそんなことはありません。「スケールしない方法」から学び、徐々に「スケールするやり方を見つける」必要があります。じゃあ、そうすればいいじゃない?と思いますよね。しかし、これがなかなかできません。

    「質」の問題解決に転換できない原因

    誰しも「悪いことをしてやろう」とか「子供なんて適当にしておけばいい」なんて思っているはずはなく、それは児童相談所で働く人たちも同じです。たくさん人数がいるので、ひょっとしたらいるかもしれませんが、それほど多くないはずです。だから、「質」の問題と言われると抵抗感を感じることもあるでしょう。

    「こんなにガンバっているのに」

    問題は個人の頑張りではなく、仕組みです。「10」はどれだけ頑張っても「10」ですし、残業して「12」にしても長続きはしません。つまり、スケールしません。「スケールするやり方を見つける」というのは個人が頑張らなくてもできる仕組みを作るということです。

    この、仕組みを作るというのは「言うは易く行うは難し」です。特に児童相談所のような公共サービスはそうです。様々なステークホルダーがいますし、法律など従わなければいけない規則もあります。

    優先順位と信念

    自分自身、様々なサービスのプロジェクトに関わった経験上、日本のプロジェクトでデザインプリンシプルを定めているケースはあまりないように感じます。「質」の問題があるとしたら、第一の理由はここにです。プリンシプルというのは日本語では「原理原則」です。法律でいえば憲法のようなものです。

    イギリス政府のデジタル公共サービスの場合ですとデザインプリンシプルは以下になります。

    1. ユーザー起点(Start with users)
    2. なるべく少なく(Do less)
    3. データに基づいて設計する(Design with data)
    4. シンプルにするために頑張る(Do the hard work to make it simple)
    5. 繰り返し改善(Iterate. Then iterate again)
    6. 全ての人のために(This is for everyone)
    7. 背景を理解する(Understand context)
    8. Webサイトではなくデジタルサービスを作る(Build digital services, not websites)
    9. 統一性ではなく、一貫性を持たせる(Be consistent, not uniform)
    10. オープンにする。オープンにすれば良くなる(Make things open: it makes things better)

    おそらく特徴的なのは6番目の「全ての人のために(This is for everyone)」でしょう。これは公共サービスならではです。民間のサービスですと、ターゲット顧客がいて、そのターゲット顧客に最適かすることで効率化を行います。しかし、公共サービスですと市民全員がユーザーですので、インクルーシブなデザインを心がける必要があります。

    しかし、一番重要なのは1番目の「ユーザー起点」でしょう。ユーザーからはじめる。これを原理原則とする。そのためにはまずはユーザーを理解しなければいけません。では、どのようにユーザーを理解すればいいのでしょうか。

    ユーザー起点で考える公共サービスデザイン

    サービスデザインの考え方ではユーザーは二種類あります。一つはサービスを受ける側。もう一つはサービスを提供する側です。児童相談所の場合、相談をする児童や関係者がサービスを受ける側で、児童相談所の職員やその関係者がサービスを提供する側になります。この関係性を描く図式をサービスブループリント(以下の図)と言います。

    サービスブループリントではサービスを舞台に見立て、サービスを受ける側の舞台を「フロントステージ」、サービスを提供する側の舞台を「バックステージ」と呼びます。そして、左から右へプロセスを書いていきます。フロントステージのユーザーが右端まで来るとき、問題が解決されていなければいけません。

    それを「バックステージ」のユーザーのユーザーがどのようなプロセスや仕組みで「フロントステージ」のユーザーを助けるのかを「バックステージ」のプロセスとして描きます。サービスブループリントを描くためには「フロントステージ」と「バックステージ」双方のユーザープロセスとそれを支える仕組みを棚卸しなければいけません。上記のデザインプリンシプルでは7番目の「背景を理解する(Understand context)」がここにあたります。その時に重要なのが「タッチポイント」の概念です。

    例えば、児童相談所に相談したい児童がいた場合、その児童がどのように最初のコンタクトを児童相談所にするのか?何か書類があるのか?Webサイトから申し込むのか?それとも、児童相談所に直接行くか、電話をするのか?その場合、児童相談所の住所や電話番号はどうやって調べるのか?Googleで検索するのか?このハイライトした部分が全てタッチポイントです。タッチポイントは「フロントエンド」と「バックエンド」をつなぐラインです。ユーザーである児童がLINEをよく使うのであれば、LINEが最も適切なタッチポイントである可能性は高いです。ユーザー起点でタッチポイントを考えるというのはこういうことです。

    このラインが断線しているとサービスを受けることができません。例えば、児童相談所の住所や電話番号がわかりづらければサービスは断線してしまいます。また、脱線してしまうと、本来受けたいサービスが受けられずにたらいまわしになります。所得税なのか住民税なのかで税金を納める場所が違いますが、こういう場合は脱線が起きやすいです。この断線と脱線の概念もサービスデザインやUXでは非常に重要な概念です。

    事実をベースにデザインする

    このようにサービスを「フロントステージ」と「バックステージ」に分けて整理をするとどこで断線が起きるのか、どこで脱線するのか、どこで停滞するのかが見えるようになります。これは観察から導き出してもいいですし、何かシステムを使ってデータをとってもいいです。何れにせよ「なんとなくそう思う」ではなく、事実ベースで整理整頓をすることが必要になります。3番目のデザインプリンシプルである「データに基づいて設計する」です。

    この整理整頓のフェーズとデザインのフェーズでは必ず憲法であるデザインプリンシプルに従っているのかを確認する必要があります。特に2番目の「なるべく少なく」や4番目の「シンプルにするために頑張る」は常に意識しないとできません。

    多くのプロジェクトは仕組みを作ることがゴールとなってしまいます。そのため結果を振り返ることは稀です。振り返らなければ学びは失われます。そこで重要なのが5番目のデザインプリンシプルである「繰り返し改善」です。仕組みを作ることがゴールではなく、ユーザーの問題を解決することがゴールです。そのためには常にデータを取り、データに基づいて繰り返し改善をする必要があります。

    イギリスの公共サービスデザインから学ぶ

    イギリスの公共サービスデザインからは学ぶことが多くあります。多くの事例をこのブログでは翻訳していますので、ぜひ参考にしてみてください。

     

  • 書評|アメリカ海軍特殊部隊から学ぶデザインとリーダーシップ|”The Dichotomy of Leadership” by Jacko Wilink

    書評|アメリカ海軍特殊部隊から学ぶデザインとリーダーシップ|”The Dichotomy of Leadership” by Jacko Wilink

    企業ではいろんな事業やプロジェクトに取り組みますよね。中には、その企業の存続を左右するようなプロジェクトもあるかもしれません。でも、人は死にませんよね。会社が倒産して、そのために社員が路頭に迷って、間接的に人の生死を左右することはあるかもしれませんが。戦場はそうではありません。プロジェクト(オペレーション)は人の生死に直接的に影響します。戦争の倫理的な問題はありますが、現実として戦闘現場でのオペレーションほどシビアなプロジェクトはありません。そして、そこから学べることも多いのです。

    ジャコ・ウィリンク(写真)はアメリカ海軍少佐で湾岸戦争で特殊部隊ネイビーシールズの部隊を率いていました。そこからの経験を元にコンサルティング会社を立ち上げ、”Extreme Ownership“というベストセラーを書きました。この本をひとことで解説すると「リーダーはすべての責任を負う」です。部下が失敗しても、それは上司の責任。ただ、この”Extreme”は誤解を生みやすい言葉です。「極端」になればいいというものではない。そこで今回紹介する最新著書の”The Dichotomy of Leadership”ではバランスをとることの大切さを書いています。

    The Dichotomy of Leadership: Balancing the Challenges of Extreme Ownership to Lead and Win (English Edition)

    The Dichotomy of Leadership: Balancing the Challenges of Extreme Ownership to Lead and Win (English Edition)

    特殊部隊とデザインの共通点

     「軍隊方式」というとトップダウンの指揮形態で、一糸乱れぬ行動をとることを求められるイメージがあります。しかし、実際はそんなことありません。ジャコ・ウィリンクは「戦場における四つの法則」を解説しています。

    1. Cover and move:お互い助け合う。誰かが移動するときは、他の誰かは周りの危険を排除する。
    2. Simple:複雑さはカオスを生み出す。理解できないものは実行できない。
    3. Prioritize and execute:優先順位を決めて行動する。
    4. Decentralized command 全員がリードする。そのためには「何をするのか」だけでなく、「なぜそうするのか」を全員が理解しないといけない。信頼が必要。明確なコミュニケーションが必要。

     この四つだけでも、デザインとの共通点がたくさんありますよね。具体的な例を挙げると、軍隊には“Commander’s Intent”という作戦の目的をざっくりと説明する資料があります。これが上記の四番目”Decentralized command”で重要になります。デザインプロジェクトでいえば「デザイン原則」がこれにあたります。どれだけ緻密に計画を立てて、あらゆる状況を想定して訓練しても、そうならないことが多いのが戦場です。個々が判断できるざっくりとした指針が必要となります。

    そして、個々の現場での行動原則は“Standing Operating Procedures”となります。これはその現場の隊長が部隊の指揮をするためのガイドラインとなります。デザインプロジェクトでいえば「デザインブリーフ」がこれにあたります。デザインブリーフもガイドラインですよね。なぜ「ガイドライン」なのかといえば、戦場で想定通りの状況にならないことが多いからです。デザインプロジェクトでも、ユーザーテストしたら全然ダメだったってこともあります。いきなりSketchやInVisionからはじめてしまうと、どこに立ち返ればいいのかわからなくなります。

    多くのデザイン現場やプロダクト開発現場では「デザイン原則」や「デザインブリーフ」を作りません。ボクは絶対作りますけどね。マジで、皆さんちゃんと作ったほうがいいですよ。

    特殊部隊と企業でのリーダーシップの共通点

    “The Dichotomy of Leadership”では人のバランス、仕事のバランスなど様々な観点でのバランスを戦場での事例と企業での応用で紹介しています。例えば、マイクロマネージメントとフリーハンドのバランス、自分のやり方をどこまで通すのか、トレーニングはどれくらいの難易度が適切なのかなど解説しています。

    その中でも大事だなーと思ったのがリーダーシップ・キャピタルの考え方。リーダーシップは資産だという考え方ですね。無理を通せば資産は減る。それだけの価値があるのかを考える必要があるとジャコ・ウィリンクは言います。また、引き締めるべき時に緩すぎるのもリーダーシップの資産は目減りします。

    リーダーシップ・キャピタルは日本語でいえば「人徳」みたいなものに通じるかもしれないです。日本企業の役員には親分肌で人徳がある人が少なくないです。ただ、それがリーダーシップにつながっているかといえばどうなんだろうと考えてしまいます。それは、リーダーシップ・キャピタルがある程度数値化できるのに対して、「親分肌」は数値化できないからではないでしょうか。

    The Leadership Capital Index: Realizing the Market Value of Leadership

    The Leadership Capital Index: Realizing the Market Value of Leadership

    日本の組織はマネジメント(管理)は得意です。日本が世界に誇るカンバン方式もマネジメントです。しかし、リーダーシップは苦手です。最近は学校でのブラック校則が問題になっています。リーダーシップのない組織はマネジメントに過度に依存して、所属する人たちを締め付けようとします。ブラック校則はその典型的な例ですよね。

    この本はどんな人にオススメか

    もともと管理職向けに書かれた本なので、管理職にある人にはオススメです。特にマネジメント(管理)はできるけど、リーダーシップももっと学びたい人には最適なテキストになるでしょう。

    あと、プロジェクト管理をする人にとっても示唆に満ちたコンテンツが多いのではないかと思います。アジャイルとか方法論以前に、チームでプロジェクトを遂行するとはどういうことなのかという心構えについて学ぶことができます。

    日本の自衛隊はアメリカの軍隊のように戦場の最前線に行くことはありませんが、災害地域での救出活動など様々な人命に関わる活動をしています。せっかくなのだから、自衛隊の人たちがこういう本を書いてくれればなーと思ったりします。

  • 書評|自分のペースで仕事をする大切さ|”It Doesn’t Have to Be Crazy at Work” by David Heinemeier Hansson and Jason Fried

    書評|自分のペースで仕事をする大切さ|”It Doesn’t Have to Be Crazy at Work” by David Heinemeier Hansson and Jason Fried

    いきなり個人的なことですが、ボクは最近になって日本企業で働いています。これまでずっと外資系企業に勤めたり、海外でスタートアップやったりしていたので、日本企業で働くのは本当に初めてのことです。で、これが驚くほどに快適なんですね。なぜかといえば、自分のペースで自分の好きな仕事を存分にできるからなんだと思います。

    自分の仕事が会社に貢献できていると感じることができる。それでいてオフィスにも基本的には定時しかいないし、そのあとは仕事とは関係のない好きなことができる。これほど幸せなことはありません。

    ひょっとしたらボクが所属する部署が特別なのかもしれない。ボク自身が特別な扱いを受けているのかもしれない。でも、大切なことは日本企業の中にも(レアかもしれないけど)そういう場所があるということです。

    今回紹介する書籍”It Doesn’t Have to Be Crazy at Work”を書いたジェイソン・フリードとデイヴィッド・ハイネマイナー・ハンソン(通称DHH)が経営しているBasecampもスタートアップ界のレアケースとも言える幸せな場所です。

    NO HARD WORK! 無駄ゼロで結果を出すぼくらの働き方 (早川書房)

    NO HARD WORK! 無駄ゼロで結果を出すぼくらの働き方 (早川書房)

    • 作者:ジェイソン フリード,デイヴィッド ハイネマイヤー ハンソン
    • 発売日: 2019/01/31
    • メディア: Kindle版
    It Doesn't Have to Be Crazy at Work (English Edition)

    It Doesn’t Have to Be Crazy at Work (English Edition)

     

    スロースタートアップ

    以前に「スロースタートアップ」として外部から資金調達をせずに、自己資金だけでゆっくりと成長しているスタートアップを紹介しました。MailChimpdribbbleなどです。Basecampはスロースタートアップの代表です。

    Basecampは1999年にジェイソン・フリードを含む3人の共同創業者とともに37signalsとして立ち上がりました。もう20年も事業が続いています。広く使われている開発フレームワークのRuby on RailsはBasecamp開発のためにDHHによって作られてオープンソースになったものです。開発言語としてのRubyがこれほど普及したのはRuby on Railsのおかげです。

    Basecampのようなスロースタートアップは外部から資金調達をせずにブートストラップ(自己資金だけ)で経営しています。しかし、多くのスタートアップは外部から大きな資金調達をして、大きくスケールすることを目指します。前回紹介した”Lab Rats”を書いたダン・リオンズに言わせれば、それこそが不幸の原因です。

    売上は全ての傷を癒す(Revenue heals all wounds)

    スタートアップには多くの金言があります。「売上は全ての傷を癒す”Revenue heals all wounds”」はその一つです。成果が出ないと組織内の雰囲気はどんどん悪くなります。他部署への批判が増え、モラルが低下します。しかし、どれだけ苦労しても成果が出れば報われる。雰囲気は一気に明るくなる。一般的には「時は全ての傷を癒す”Time heals all wounds”」ですが、時だけが過ぎて売上がなければ企業は死んでしまいます。結果が全てなのがスタートアップです。

    Basecampが外部から資金調達をせずに20年間事業を継続できているのはコストをカバーするための十分な売り上げがあり、利益を確保しているからです。どうやって?ユーザーから愛されるプロダクトを作る。それだけのことです。「ユーザーを理解する」、「ユーザーの声に耳を傾ける」、「それをプロダクトに反映する」です。それだけのことなのですが、それをするのが難しい。

    「売上は全ての傷を癒す」のですが、それは「ユーザーから愛されるプロダクトを作る」しかないんです。ボクが会社の中でやってることも、結局のところは顧客起点で考える習慣を作ること、そこから得た知見をもとにユーザーが求めるであろうプロダクトを科学的に検証して早くリリースすること。それしかないんですよね。

    立ち止まる大切さ

    Bootcampでは全ての人たちが自分のペースで働いています。チームで仕事をする場合、他人のスケジュールに影響されることがありますよね。Aさんがいないと自分の仕事が先に進まない。Basecampではそんな時にどうするのか?待つのです。Aさんがその仕事に取りかかれるまで待つ。

     

    Basecampは長い時間をかけて自分たちにとって最適な開発サイクルを作りました。ゴールはないが、そのサイクル期間内に実装したい機能はある。でも、実装できなかったらそれは次のサイクルで実装する。それがBasecampで自分のペースで仕事をできる秘訣です。

    日本の多くの課題は「待つ」ことで解決するんじゃないか

    トーキョーネイティブではない人から「東京の人はぶつかっても謝らないでそのまま立ち去ってしまう」って言われることがあります。自分はトーキョーネイティブですが、確かに「感じ悪いなあ」と思うことはありました。後ろから来て人の目の前を平気で横切る。何も言わずに黙ってぶつかりながら進む。ドアを後ろから来る人のために開けておくのは海外では常識なのですが、日本でそれをやる人は少ない。ボクは正直なところ、日本人は「他の国の人たちと比べると優しくない」と捉えていました。「おもてなし」も非常に表面的で、お金を払うお客さんにだけ。赤の他人にはとても冷たい。

    でも、実際は人間として「他人のことを思いやる」ことに国や人種は関係ない。日本人だけ特別に「氷のように冷たい心」を持っているわけではない。単に、他人を思いやる行動ができないだけ。どうすれば他人とぶつからないのか?道を譲ればいいんです。立ち止まればいい。それだけのことなんです。

    満員電車も無理に詰め込んで入らなくても、次の車両を「待て」ばいい。自分の進行方向に人がいて通れない場合、「すみません、ちょっと通ります」といえばいい。黙ってぶつかって押し分けて通らなくてもいい。海外ではみんな”Excuse me”って言うでしょ?英語の授業でも習いましたよね。母国語である日本語でもそうしましょう。

    日本人はスタート時間にこだわりがあって、他人が遅れると気分を害してしまいがちです(そのわりに終わる時間にはルーズなのですが)。でも、待てばいいのではないでしょうか。「待てばいいんだ」と思えばいろんなフラストレーションは消えて無くなります。

    この本はどんな人にオススメか

    いわゆる「働き方改革」のヒントがたくさん詰まっています。根本的には「ユーザーが愛するプロダクトを作る」と「必要な利益を確保する」なんですが、それをした上で、どうすれば幸せな職場環境を作れるのか。そう言う意味では、上級編なのかもしれません。小手先だけ真似してもうまくいかない。

    経営者も、従業員も、顧客も幸せにできる企業を作って維持するのって簡単じゃないと思います。Basecampはそれが20年続いている非常にレアなケースです。そこから何か少しでも学びたいと思えるなら、この本はとてもオススメです。