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  • 書評|復讐を政策に変えるトランプの側近たち|”Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump”

    書評|復讐を政策に変えるトランプの側近たち|”Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump”

    トランプ第2次政権のニュースを追っていると、米国内では大統領の要求がほとんどそのまま実行されているように見えます。敵とみなした相手には政府機関を使って報復し、文化施設には展示内容を変えるよう圧力をかけます。一度の威嚇では終わらず、相手が従うまで続けます。

    マギー・ハバーマンとジョナサン・スワンの “Regime Change: Inside the Imperial Presidency of Donald Trump” は、第2次政権の最初の1年を、政権関係者への取材から描いた本です。二人はいずれも『ニューヨーク・タイムズ』のホワイトハウス担当記者で、2015年からトランプを取材してきました。ハバーマンはトランプ本人と周辺人物を長く取材し、スワンは第1次政権の終盤から政権復帰への準備を追ってきました。

    本書では、イランの体制転換を狙う政権内の協議にも「regime change」という表現が使われています。ただし、題名が指す変化は外国の政権転覆だけではありません。著者たちは、米国の大統領職そのものが変わったという意味も題名に重ねています。本書は、人選や非公開会議でのやり取りをたどりながら、第1次政権のときより大統領の要求が通りやすくなった理由を説明します。

    私が本書から強く感じたのは、トランプ個人の復讐心や衝動だけでは、現在の強権的な政権運営を説明できないということでした。第2次政権には、その意向を実行可能な政策に変える側近がそろっています。一方、連邦行政機関の内部で命令を通せても、外国の判断や戦争の結果までは支配できません。本書を読むと、トランプ政権が米国内で権力を行使できる理由と、国外では同じように振る舞えない理由の両方が分かります。

    第2次政権では、大統領を止める側近が要職から消えた

    トランプの復讐心や衝動は、第1次政権にもありました。大きく変わったのは、その意向を受けた側近の行動です。第1次政権では、軍人や法律家が要求を退けたり、実行を遅らせたりすることがありました。第2次政権では制止役が要職を去り、大統領の要求を退けるより、実現する方法を探す人物が選ばれました。

    違いは政権移行期の人選に表れています。マール・ア・ラーゴでは、少人数の側近が画面に候補者の顔を映し、国防や国家安全保障の要職を検討しました。重視されたのは担当分野の経験だけではありません。テレビに映ったときの印象と、トランプへの忠誠も任用を左右しました。約300万人を抱える国防総省の長官候補についてさえ、巨大組織を管理する力量への懸念より、テレビ映りのよさと過去にトランプを擁護したことが高く評価されました。

    ここで求められた忠誠は、政権の政策に賛成するだけにとどまりません。トランプが敵とみなした人物を敵視し、本人が認めない選挙結果を疑い、2021年1月6日の議会襲撃事件についても本人の見方を受け入れることまで求められました。第1次政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務め、退任後もトランプを擁護したロバート・オブライエンさえ、この基準を満たせず再登用されませんでした。

    対照的に、J・D・バンスやマルコ・ルビオは過去にトランプを厳しく批判していましたが、第2次政権の中枢に入りました。過去の発言より、2020年大統領選挙と議会襲撃事件について、いまのトランプの見方を受け入れるかどうかが重く見られたからです。忠誠は、長年仕えたかどうかではなく、いま大統領が求める見方に異を唱えないかどうかで測られていました。

    この人選は、選挙後に急ごしらえしたものではありません。スワンは2022年の連載で、トランプ陣営が政権復帰後に連邦政府を作り替える準備を進めていたと報じています。第1次政権で要求を止められた経験を踏まえ、今度は大統領の意向を拒まない人物を選びました。制止する人が減り、実行する人が要職を占めたため、トランプの衝動は以前より速く政府の行動に変わるようになりました。

    第2次政権でも、法的な懸念を述べる人物が完全に消えたわけではありません。変わったのは、側近に期待される役割です。周囲が大統領に不都合な情報を伝えなくなり、本人には他人にはない直感があると信じるようになれば、反対意見はさらに届きにくくなります。

    忠誠を基準にした人事が、個人的な復讐を政府の仕事に変えた

    トランプ個人の恨みが政府の行動に移るのを止める側近が少なくなると、司法省の仕事まで変わります。本書が詳しく描くのが、ニューヨーク州司法長官レティシア・ジェームズへの対応です。ジェームズはトランプとその企業を相手に民事詐欺訴訟を起こしました。第一審では約5億ドルの支払いを命じる判決が下されましたが、金銭支払いの命令は2025年8月にニューヨーク州の中間上訴裁判所が取り消しました。本書で語られる政権内の協議では、ジェームズは政策上の反対者ではなく、トランプ本人とその会社を追い詰めた報復の対象として扱われています。

    司法省では、ジェームズを住宅ローン詐欺で起訴できるかが検討されました。当時の司法副長官トッド・ブランシュは、起訴には故意の立証が必要であり、起訴に足る事件かどうか確信を持てませんでした。ところが著者たちの取材によれば、トランプが重視していたのは最終的な有罪判決ではありません。ジェームズを法廷に立たせ、訴訟への対応に時間と費用を使わせること自体を重く見ていました。証拠から起訴の要否を判断するより、大統領が望む報復を実現する方法を司法省に探させようとしたのです。

    別の場面では、トランプ、スティーブン・ミラー、法律顧問のボリス・エプスタインが、2020年の選挙に関わった人物を調査対象にしようと話していました。三人は相手の名前を思い出せず、その場でクリス・クレブスだと確認しました。その後、クレブスの調査を求める大統領覚書が出ました。この会話では、具体的な疑惑を検討するより先に、調査対象にしたい人物の特定が進められていました。

    ジェームズとクレブスの事例では、大統領が敵とみなした人物に対し、側近が司法省や大統領覚書を使って政府を動かそうとしています。報復は怒りに任せた発言で終わりません。調査や起訴が処罰につながるかどうかとは別に、対象になった人物は調査や訴訟への対応を迫られ、そのために時間と費用を費やします。トランプにとっては、その負担を強いること自体が報復になりえます。

    個人的な復讐心に基づく要求を政府に実行させるには、その要求を公務として引き受ける側近と政府機関が必要です。忠誠を任用の基準にすれば、政策や法律に詳しい人物が異論を述べる余地も狭くなります。第2次政権は、人選の段階で、個人の執念を政府の仕事へ変える条件を整えていました。

    この人事は、誰が命令を実行するかだけでなく、どの情報が大統領に届くかも変えます。起訴の難しさや法的な危険を伝える人物が残っていても、その懸念を理由に要求を退けるのではなく、要求に近い結果を得る別の手段を探すようになります。トランプの復讐心が以前より強くなったことだけではなく、政府内で復讐を止める判断が採用されにくくなったことが、第2次政権の違いです。

    スティーブン・ミラーは、トランプの衝動を政策にする手段を用意した

    トランプは結果を早く求めますが、行政手続きを自分で組み立てるわけではありません。著者たちによれば、トランプとスティーブン・ミラーは政権発足前から、政策を短期間で実行する方法を検討していました。国境、難民、薬物をめぐって緊急事態を宣言し、広い大統領権限を主張する案も準備に含まれていました。

    ミラーが担ったのは、衝動的な要求を行政命令や具体的な政策に落とし込む仕事です。どの法律や大統領権限を根拠とし、どの手続きを使うかまで事前に考えていました。行使する権限と行政手続きを先に決めておけば、大統領が要求してから政府機関が実行に移るまでの時間を短くできます。政策の妥当性とは別に、権限を最大限に使う人員と手段が政権発足前から用意されていたことが重要です。

    緊急事態の宣言は、その準備を象徴しています。国境、難民、薬物という別々の課題を緊急事態として扱えば、通常の政策過程より広い権限を主張できます。どの課題にどの権限を結び付けるかを就任前に決めておけば、政権発足後に一から案を作る必要がありません。第1次政権で意向を十分に実現できなかった経験が、次は初日から実行するための準備に使われました。

    私には、ミラーがトランプへの献身を示し続けることで、政権内での立場を強めたように読めました。これは本人の内心を確認したうえでの評価ではなく、本書に描かれた行動と地位に基づく私の人物評です。大統領の要求に応じた政策を、ほかの側近より早く実行に移せる人物は、トランプにとって手放しにくい存在になります。こうした実行力が、ミラーの政権内での影響力を強めたように思えます。

    ミラーは単なる強硬派ではありません。第1次政権で政策の実行を阻んだ法律、手続き、人事を調べ、次の政権では同じ場所で止まらないよう準備した人物です。トランプの衝動が政府の行動になる速さは、大統領の性格だけでは説明できません。実行手段を先回りして用意する側近がいたからこそ、トランプの要求をそれだけ速く実行できたのです。

    文化施設への圧力は、正式な命令がなくても施設側を動かした

    政権の圧力は、司法機関や政府職員だけに向けられたわけではありません。本書には、議会から資金を受けて博物館や研究施設を運営するスミソニアン協会に対し、政権側が展示内容や人事を変えるよう迫る場面があります。

    画家エイミー・シェラルドの展覧会には、自由の女神をトランスジェンダーの女性として描いた作品が含まれていました。スミソニアン協会の運営を話し合う会議で、副大統領の側近は作品を端末に表示し、米国人が見るべき作品ではないという趣旨の主張をしました。ほかの出席者からは、開催予定先だったナショナル・ポートレート・ギャラリーの責任者を解任するよう求める発言も出ました。

    問題は、一つの作品への賛否にとどまりません。政権側は、好まない展示を企画した責任者の処分まで求めました。スミソニアン協会の内部では、資金を失うおそれも意識されていました。展示内容への異論とともに、責任者の解任や資金削減の可能性まで示されれば、文化施設は正式な禁止命令を受ける前に、企画の変更や中止を迫られます。

    シェラルドは展覧会への介入を受け入れず、自ら展示を取り下げました。政権が作品を直接禁止しなくても、予定されていた展覧会は開かれません。政権側の文化政策上の判断が、側近を通じて公共施設への圧力に変わった例です。相手が個人でも組織でも、人事権や資金配分を握る側が解任や資金削減の可能性を示せば、正式な命令を出さなくても相手の判断を変えられます。

    トランプ政権は、外国の反応までは支配できない

    ここまで述べた強権的な手法は、主に米国内の組織に対して使われています。大統領が人事権を握り、その意向を実行する側近を要職に置けば、連邦行政機関を通じて反対者や組織に圧力をかけられます。適法性が争われていても、調査や資金停止を示唆されれば、相手はその対応に時間と費用を割かざるをえません。トランプの執念が政府の行動に変わるのは、その命令を受けて動く人と組織が米国内にあるからです。

    しかし、外国政府は米大統領の指揮下にありません。米国が軍事力や経済力で圧力をかけても、相手国は自国の利害に従って判断します。相手国が抵抗したり条件を拒んだりすれば、米国が想定した筋書きどおりには進みません。国内で反対者を排除し、政策決定を速めても、国外で望んだ結果を得られる保証はありません。

    本書でこの限界を示すのが、イランとの戦争です。著者たちが紹介した政権内の協議では、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相がイランの体制転換を見込んだ案を示しました。中央情報局は一晩で分析し、現実離れした案だと判断しました。ジョン・ラトクリフCIA長官も、非現実的だと伝えました。それでもトランプは、自分の直感では短い戦争で体制が崩れると考えました。政権内で戦争に反対した人物はいましたが、トランプに強く異論を述べたのはJ・D・バンス副大統領だけだったといいます。

    インタビューでは、政権が掲げた主要な目標が達成されていないとの指摘がありました。スワンによれば、イランが保有するミサイルの約70%は、まだ使用可能な状態にあり、トランプは戦争から抜け出すための合意を求めていました。連邦行政機関の意思決定を速めることはできても、相手国の抵抗を短期間で抑え、戦争を望みどおりの結末へ導けるとは限りません。速く決めたことと、思惑どおりに事態が進むことは別です。

    側近が大統領の意向を短時間で軍事行動に移せるほど、この違いは重要になります。米国側の検討時間を短くしても、相手国が態度を決めるまでの時間や、攻撃を受けてから反応するまでの時間は短くできません。国内では障害を取り除くほど実行が速くなりますが、外交では相手の選択によって状況が変わります。国内で効果を発揮した意思決定の速さが、国外でも成功をもたらすとは限らないのです。

    この違いを見落とすと、トランプの強さを過大にも過小にも評価しかねません。米国内では、忠誠を基準とする人事と大統領権限の広い解釈により、連邦行政機関が大統領の意向を実行しやすくなりました。外交では、相手国の指導者が自国の主権と利害に基づいて判断し、米国の軍事行動にも独自に対応します。米国の力が大きいことと、米大統領が望む結果を必ず得られることは同じではありません。

    日本からトランプ政権を見るときも、この区別が必要です。米国への安全保障上の依存が大きくても、日本政府は国内政治、企業への影響、他国との関係を考えて対応します。連邦行政機関の内部で大統領の意向が通りやすくなったことを、そのまま日本への支配力と読み替えるべきではありません。

    本書は、ばらばらのニュースを政権内部の因果でつないだ

    本書の長所は、個別に報じられてきた出来事を、人事が政策決定へつながる一連の経緯として整理したことです。司法省を通じた報復、忠誠を基準とする人事、文化施設への圧力、危険を伴う外交判断は、単独で見れば別々の問題に思えます。本書を通して読むと、これらの出来事は、大統領に異論を唱える人が減り、その意向をすぐ実行する人が要職に就いた結果だと理解できます。

    著者たちは多数の政権関係者を取材し、会議の日時や場所、参加者、そこで交わされた話を具体的に記しています。誰がどの場で案を出し、誰が反対し、最終的に何が政府の行動になったのかを追っています。そのため、トランプの発言だけを見ていては分からない、発言が政策になるまでの過程をたどれます。さまざまな出来事の背景が分かって面白かったという私の読後感は、この取材の積み重ねから生まれました。

    著者たちは、一人だけの証言には頼らず、確認できない情報は本に入れなかったと説明しています。閉鎖的な政権内部を取材するには、匿名の証言が必要になる場合があります。一方、情報源の多くが匿名であるため、読者は再現された会話を独力で検証できません。複数の証言を照合したと聞けば、取材が慎重だったことは分かります。ただし、匿名情報の裏付けを読者自身が確かめられないことに変わりはありません。

    政治ニュースを日々追ってきた読者には、すでに知っている出来事も多いでしょう。新事実だけを期待すると、既報をまとめ直しただけに思える箇所もあります。それでも、個々のニュースだけでは分かりにくかった人事、報復、政策決定のつながりを一続きの経緯として読めることに、本書の意義があります。個々の事件を知っている人ほど、事件同士を結ぶ人事と意思決定に目を向けることで、第2次政権が第1次政権より速く動く理由を理解できます。

    本書は、トランプ一人の性格を語るだけではありません。その復讐心や衝動が、忠誠を重んじる人事と側近の準備を経て、政府の行動になるまでを追っています。同時に、イランとの戦争をめぐる経緯を通じ、米国内で大統領の意向を速く実行できても、国外の反応や結果までは支配できないことも描いています。日本からトランプ政権を見る際にも、米国内で強権的に政策を進められることと、外交でも望みどおりの結果を得られることを同一視しないことが重要です。

    企業組織に置き換えて読んでも、本書の教訓は明確です。トップの性格だけを見ても、組織の行動は説明できません。誰を昇進させ、反対意見をどこまで認め、トップの要求を実行する手段を誰が準備しているかによって、同じ人物の命令でも結果は変わります。第2次政権の強さは、トランプという個人の権力だけでなく、その要求を拒まない人物を要職に置く人事と、要求が出る前から実行方法を用意する側近によって支えられています。同時に、どれほど内部の統制を強めても、組織の外にいる相手までは統制できません。この二つを分けて考えられるようになることに、本書を読む大きな価値があります。

    参考リンク

    • https://www.simonandschuster.com/books/Regime-Change/Maggie-Haberman/9781668067246
    • https://www.simonandschuster.com/authors/Maggie-Haberman/233182093
    • https://www.simonandschuster.com/authors/Jonathan-Swan/268310643
    • https://www.axios.com/2022/07/22/trump-2025-radical-plan-second-term
    • https://www.newyorker.com/magazine/2026/07/06/chronicle-of-a-disaster-foretold
    • https://www.nytimes.com/2026/06/18/books/review/regime-change-maggie-haberman-jonathan-swan.html
    • https://www.kirkusreviews.com/book-reviews/maggie-haberman/regime-change/
    • https://www.wsj.com/arts-culture/books/regime-change-review-the-not-so-imperial-presidency-4ae4b41e
    • https://www.nycourts.gov/reporter/3dseries/2025/2025_04756.htm
    • https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/04/addressing-risks-from-chris-krebs-and-government-censorship/
    • https://www.youtube.com/watch?v=xdmdGTrJ2nI
    • https://www.youtube.com/watch?v=3DHBJC4aOww
    • https://www.youtube.com/watch?v=J8BBDqaYZuc

  • 書評|出生率を戻す方法を、まだ誰も知らない|”After the Spike” by Dean Spears and Michael Geruso

    書評|出生率を戻す方法を、まだ誰も知らない|”After the Spike” by Dean Spears and Michael Geruso

    社会保障も事業計画も、増え続けることを見込んで作られた

    事業計画は、市場が毎年少しずつ大きくなることを前提に立てられてきました。来年の売上目標は今年より高く設定され、採用は続き、設備は増えていく。どれも、人が増えることを織り込んだ数字です。

    社会保障も同じように組み立てられています。現役世代が納めたものが、そのまま高齢世代への給付に回ります。若い世代が前の世代より多いあいだは、これが無理なく続きます。

    日本の年金制度が、まさにこの例だと私は考えています。人口が増えることを前提に設計されているため、破綻しつつあります。本書が主に論じるのは日本の年金ではありませんが、読者にいちばん身近な話はここだと思います。

    では、なぜ人が増えるという前提を置けたのでしょうか。

    "After the Spike" by Dean Spears and Michael Geruso

    過去200年で、貧困も病気も大きく減りました。同じ200年のあいだに、世界の人口は10億人ほどから80億人あまりに増えています。『After the Spike』の著者である Dean Spears と Michael Geruso(ともにテキサス大学オースティン校の経済学者)は、人口の増加と暮らしの改善が同じ時期に起きたことを偶然とは考えません。人が増えたからこそ、暮らしが良くなった面があると論じます。

    理由の一つは、アイデアは使っても減らないことです。Spears は経口補水塩を例に挙げます。1960年代にダッカのコレラ専門病院で、水に塩と糖を溶かして飲ませる治療法が生まれました。ボトル1本を飲めば、その1本はなくなります。しかし、どの割合で混ぜれば脱水症の子どもが助かるのかという知識は、誰が使っても減りません。次の世代は、その知識を土台にして先へ進めます。

    人が多いほど、こうした発見や改良に取り組む人も多くなります。これは経済学では Paul Romer の内生的成長理論として整理されており、著者らもこの系譜に立ちます。

    人が多いほうがよい理由の二つ目は、開発に固定費がかかることです。作るのに大きな費用がかかるものは、同じものを必要とする人が一定数いなければ、そもそも作られません。Spears は母親を粘膜黒色腫という希少ながんで亡くしています。この型は米国で1970年代以降に数百件しか記録がなく、標準的な治療法もなかったといいます。患者が少なすぎたためです。自分がそれを手に入れられるのは、必要とする人がほかにもいるからです。

    その前提は、もう成り立たない

    いま、世界の3分の2の人が、出生率が2を下回る国に住んでいます。男女2人から子どもが2人生まれれば、世代の人数は変わりません。多くの国の出生率は、これを下回っています。

    豊かな国だけの話ではありません。インドは2を下回り、ラテンアメリカ全体では1.8、中国は1です。メキシコもカナダも、米国の1.6より低い出生率です。出生率が高い地域として残っているのは主にサブサハラ・アフリカで、ケニアは3を超え、モザンビークは5に近い水準です。

    豊かな国々の平均は1.5です。出生率が1.5前後のまま続くと、人口は10年ごとに約10%減り、1世紀で3分の1になります。

    記録のある範囲で1950年以降に生まれた世代を見ると、女性が生涯に産んだ子どもの数の平均が1.9を下回った国は26あります。そのうち、その後2まで戻った国は一つもありません。

    出生率がこれほど下がっても、日々の暮らしのなかでは気づきません。理由は二つあります。

    一つは、出生率1.8の社会と2.2の社会とで、暮らしの実感に差がないことです。買い物に行っても、公園を歩いても、見分けはつきません。一人の女性が産む子どもの数が、平均で0.4人違うだけです。しかし、1.8の社会では世代ごとに人数が減り、2.2の社会では増えていきます。

    もう一つは、人口そのものはまだ増えていることです。すでに生まれている子どもが成人して子どもを持つため、いま出生率が2に戻ったとしても、人口は数十年のあいだ増え続けます。人口学ではこれを人口モメンタムと呼びます。国連の予測では、世界の平均出生率が2を下回るのが2064年、人口が103億人で頭打ちになるのが2084年です。

    出生率が2を下回ること自体は、最近始まったことではありません。1980年の時点で、2を下回る国に住む人は5人に1人でした。

    現役世代が高齢世代を支える仕組みも、市場が毎年広がるという事業計画の前提も、人が増えるあいだに成り立ってきたものです。その条件が、すでに多くの国で失われています。

    「減ってもいい」も「代わりがある」も成り立たない

    人口が減ってもよいという意見は根強くあります。減ってもいいではないか、減っても代わりがあるではないか。著者は、どれも成り立たないと論じます。以下、四つに分けて見ていきます。

    第一の反論は、人口が減れば環境に良いのではないか、というものです。

    人口が減り始めるのは、国連の推計では2080年代、最も早いとする推計でも2060年代です。一方、脱炭素は今後数十年のうちに進めなければ間に合いません。人口が減って排出量が下がるとしても、それは対策が必要な時期を数十年過ぎたあとの話です。

    その差も小さいままです。本書の計算では、人口が120億人で安定する世界と、2150年に85億人まで減る世界とで、長期的な気温差は0.06°Cしかありません。

    そもそも、これまでの環境問題も人口を減らすことで解決したのではありません。中国の粒子状物質による大気汚染は2013年に国際的な問題になりました。そこからの10年間で中国の人口は5000万人増えましたが、汚染は半分に減っています。規制と技術で対処したからです。オゾン層を壊すフロン、有鉛ガソリン、酸性雨をもたらす二酸化硫黄も同じです。人の数ではなく、人が何をするかを変えることで対処してきました。

    第二の反論は、人が減れば一人当たりの取り分が増えるのではないか、というものです。

    そうとはかぎりません。ここでも、開発にかかる固定費が問題になるからです。人が減れば、そもそも作られなくなるものが出てきます。需要が一定の規模に届かないものは、誰の取り分にもなりません。

    炭素の除去については、著者らが実際に計算しています。William Nordhaus は、気候変動を経済モデルに組み込んだ研究でノーベル経済学賞を受けています。著者らはそのモデルに、人口の多い経路と少ない経路を入れました。長期的な気温がわずかに低かったのは、人口の多いほうでした。大気から炭素を取り除く作業には、設備が必要で、費用も労力もかかるからです。分け合う人数が多いほど、一人当たりの負担は小さくなります。Spears は最初、これを計算間違いだと考え、研究員にコードを見直させたと語っています。

    第三の反論は、移民で埋められるのではないか、というものです。

    世界全体を見れば、これは成り立ちません。地球の外から人が来ることはないので、世界の人口は出生と死亡の差だけで決まります。

    一国だけを見ても、移民では人口減少は止まらないと著者は述べます。移住してきた人の出生率は、世代を重ねるにつれて移住先の水準に近づくからです。ある国の人口を減らさずに保とうとすれば、毎年、実現できない規模の受け入れが必要になります。しかも、送り出す側の出生率も下がっていきます。いまは出生率の高い国も、やがて2を下回ります。移民は減少を先延ばしにするだけで、最終的にどこまで減るかは変わりません。

    第四の反論は、AIが人手不足を埋めるのではないか、というものです。

    ここで著者は、Daron Acemoglu が分けている代替と補完という考え方を使います。羊毛を紡ぐ機械は、それまで人がやっていた作業をそのまま置き換えました。一方、水車で動く工場では、人の作業が奪われるのではなく、同じ人がより多くを作れるようになりました。前者が代替、後者が補完です。

    著者は、AIは補完の側になる可能性が高いと見ています。そうであれば、人が何人いるかによって生産の伸び方が変わります。生産性を高める相手がいなければ、その技術は使いようがないからです。AIに期待する人ほど、人の数を気にしなければならないことになります。

    答えがないのは、誰も経験していないから

    では、出生率を上げればよいのではないか。ここで著者は明確な答えを出しません。よく持ち出される見方が三つありますが、著者はそのどれも否定するからです。

    第一の見方は、子育ての費用が高いから産まないのだ、というものです。

    これが正しければ、費用を下げた国では出生率が上がるはずです。ところが、保育も大学も医療も無償か低額で提供している国のほうが、出生率はむしろ低いのです。デンマークは1.5、スウェーデンとノルウェーは1.4、フィンランドとカナダは1.3で、いずれも米国の1.6を下回ります。個人単位でも同じです。宝くじに当たった若い女性も、当たらなかった女性も、その後に産んだ子どもの数は同じでした。

    Spears はこう問います。児童税額控除の4000ドルのために、結婚相手を変えるか。控除や保育の補助で出産の判断が変わるなら、人生の選択はその程度の金額で動くことになります。

    第二の見方は、強制すれば増える、というものです。

    ルーマニアのチャウシェスクは中絶を禁じ、職場での骨盤検査を義務づけました。出生率は一時的に大きく上がりましたが、数年で下がり始めました。その後は、所得水準の近いほかの国と同じ速さで下がりました。近年の例では、テキサス州が数年にわたって中絶をほぼ禁止しましたが、出生率は1.8のまま変わっていません。

    著者は中絶の禁止に反対しています。「個人の生活を壊し、女性の健康を損ない、女性を怖がらせた。ひどい政策だが、出生率はほとんど動かしていない」と述べています。効果がないから容認してよい、という話ではありません。

    第三の見方は、技術で解決できる、というものです。

    イスラエルは体外受精を無償で受けられるようにしました。その結果、親になる時期が後ろにずれました。あとからでも産めると思えば、いま産む必要はなくなるからです。

    では、そもそもなぜ下がるのか。原因についても定説がありません。出生率がなぜ下がるのかを説明しきれる理論は、社会科学にまだないと著者は明言します。婚姻の減少、宗教性の低下、女性の労働参加、子育ての費用。どれを原因に挙げても、当てはまらない国が出てきます。インドではほぼ全員が結婚し、出産の時期も早く、女性の労働参加率は40%程度ですが、出生率は2を下回りました。ラテンアメリカは9割がキリスト教徒ですが、出生率は先に見たとおり1.8です。韓国は男女の賃金格差がOECDで最も大きく、出生率は1を下回っています。

    著者が政策提言に踏み込まないのは、原因が分からないまま解決策を書いても当たらないからです。気候変動もそうでした。1960年代に内燃機関の禁止を訴えても、相手にされなかったでしょう。脱炭素が政策になるまでには、数十年の研究と社会運動が必要でした。だから Spears が読者に求めるのは、政治に働きかけることではありません。「上院議員に電話するな。友人や家族と話して、人口減少は歓迎すべき未来かどうかを聞いてほしい」と述べています。

    解決策を示していないという批判はあります。The Times は、本書が具体的な解決策を示すことを避けていると書きました。Foreign Affairs で書評を担当した人口学者の Jennifer Sciubba も、この先どうすべきかが示されていないとしています。

    世に出ている解決策への批判もあります。The Independent Review は、父親が育児にもっと関われば出生率が戻るという見方は事実と合っていないと指摘しました。21世紀の父親は前の世代よりはるかに長い時間を子どもと過ごしていますが、出生率は回復していません。

    解決策がないという批判は当たっています。読み終えても、何をすればよいのかは分かりません。

    ただ、解決策がないのは著者のせいではないと思います。人口が減り続ける社会を、人類はまだ経験していないからです。そこで経済成長をどう考えるのか、イノベーションをどう起こすのか、社会保障をどう立て直すのか。どれも前例がなく、参考にできる国もありません。答えが出ないうちは、来年は今年より高い売上目標を置く、という前提のほうを疑うしかありません。

    本書はまだ邦訳されていません。

    参考リンク

    • 出版社の書籍ページ: https://www.simonandschuster.com/books/After-the-Spike/Dean-Spears/9781668057339
    • 書籍公式サイト: https://afterthespike.com/
    • The Times の書評: https://www.thetimes.com/culture/books/article/after-spike-risks-global-depopulation-case-people-dean-spears-michael-geruso-review-6cm02b6cx
    • Foreign Affairs の書評(Jennifer Sciubba): https://www.foreignaffairs.com/reviews/depopulation-panic-jennifer-sciubba
    • The Independent Review の書評(Robert Whaples): https://www.independent.org/tir/2025-fall/after-the-spike/
    • 著者の学術論文(The Likelihood of Persistently Low Global Fertility): https://www.aeaweb.org/articles?id=10.1257%2Fjep.20251463
    • 人口の縮小と気候・生産性を比較した論文(Is Less Really More?): https://www.nber.org/papers/w33932
    • Aspen Economic Strategy Group のブックトーク: https://www.youtube.com/watch?v=KfxnfnH_how
    • Persuasion / The Good Fight: https://www.youtube.com/watch?v=iGbWre4vc2E
    • The Jordan Harbinger Show: https://www.youtube.com/watch?v=bJXgjkK1s0w
    • The Michael Shermer Show: https://www.youtube.com/watch?v=9duvzb9WX7s