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  • 書評|環境問題が原因で精子の数が毎年1%減少している……かも?|”Count Down” by  Shanna H. Swan

    書評|環境問題が原因で精子の数が毎年1%減少している……かも?|”Count Down” by Shanna H. Swan

    環境問題に関する本が最近はたくさん出版されています。その中でもかなりユニークなアングルで切り込んできたのが今回紹介するシャナ・H・スワン著”Count Down”です。単にユニークなだけでなく、科学的なベースをしっかりした上で、センセーショナリズムに陥らず、慎重に論調を進めていく姿勢に好感が持てます。ここ最近に読んだ本の中でいちばん面白かったし、知人に話しても本書が一番興味を持たれますね。

    ものすごく簡単に本書の言いたいことをまとめると、「化学物質の規制が必要。癌性が基準でなく、生殖能力への影響を基準とすべき」です。ピンとこないでしょ?一聴すると突拍子もない主張なのですが、本書を読み進めるうちに「なるほど!」となります。まさに読書体験。

    シャナ・H・スワンの研究によると、人間の生殖能力は年々低下しているそうです。精子の数は毎年1%づつ減少している。現代の20代の女性より、二世代前(おばあちゃんの世代)が30代で妊娠する可能性が身体的に高かったそうです。人間は増えすぎているんだから、少し減ってもいいんじゃない?と言う意見もあるとシャナ・H・スワンは認識しています。しかし、人間の生殖能力の減退と、それ以外の生物の生殖能力の減退(つまり、種の減少)が同じ原因だったら?

    人間の生殖能力の減退には多くの原因(食生活やストレスなど)があり、複雑な要因が絡み合っているが、大きな要因として可能性が高いのが環境化学物質だとシャナ・H・スワンは慎重に議論を進めます。具体的には内分泌撹乱化学物質(EDC)が生殖に重要な役割を果たすホルモンの分泌に影響を与えている可能性です。ポイントは毎年コンスタンスに生殖能力が減退している点です。アルコールやニコチン摂取はむしろ改善しているし、健康意識も高まっています(肥満は増えていますが)。

    新薬の市場への投入には強い規制があります。しかし、日用品に使われる化学物質にはほとんど規制がありません。水に溶けずに分解されにくいダイオキシンなどの残留性有機汚染物質は規制されはじめました。新薬は臨床試験などで安全性が確認されないと承認されませんが、日用品に使われる化学物質は安全性を確認することもなく使われてしまいます。残留性有機汚染物質でなくとも、フタル酸ジブチル(DBP)フタル酸ビス(2-エチルヘキシル)など有害性が確認されている化学物質がたくさんあります。これらはRoHS指令などによってEUでは既に規制の対象となっていますが、アメリカや日本では規制が追いついていません。また、規制されたとしても、新たな別な有害物質が使われたら意味がありません。いたちごっことなってしまいます。

    例えば、日本でも食品衛生法で2.5μg/ml(2.5ppm)以下に制限されているビスフェノールA(BPA)も代替物質としてBHPF(フルオレン-9-ビスフェノール)やBPS(ビスフェノールS)が使われますが、BHPFやBPSの安全性は確認されていません。つまり、日常で使っているプラスチック容器は安全性が確認されて市場に出されているわけではないのです。すげーな。

    化学物質の影響は一世代で止まりません。世代を超えて影響が蓄積されることをエピジェネティクスと言います。精子の数は年間1%減り、流産の数は年間1%増えている。このような安定的な傾向は短期的な影響ではなく、エピジェネティクスのような長期的影響の方が説明がつく。シャナ・H・スワンは科学的に立証できない限り断定的な言い方はしません。しかし、間接的には推論できるので、きちんとした科学的調査をした上で規制をすべきだと主張します。

    このように本書はなかなか重要なテーマをユニークなアングルで切り込んでいます。あと、豆知識的なトリビアも多いのが楽しい。例えば、AGDの長さと不妊の関係。AGDはAnogenital distanceの略で、生殖器と肛門の距離です。この距離が短いほど、不妊の傾向が強いのだそうです。ちゃんと統計的に証明されている。母親や父親が体に悪いことをやっていると、子供のAGDが短く生まれてくる傾向があるのだそうです。面白いですよね。

  • 書評|セックス(と性病)について語ろう|”Strange Bedfellows” by Ina Park

    書評|セックス(と性病)について語ろう|”Strange Bedfellows” by Ina Park

    今回紹介するのは性病(STD/STI)についての本です。以前に紹介したドラッグについてのカール・ハートの著書”Drug Use for Grown-Ups”も同じですが、性病を禁忌として目を逸らしても何もいいことがない。これが著者アイナ・パークのメッセージです。正しい知識を持つこと。それが第一歩です。

    Strange Bedfellows: Adventures in the Science, History, and Surprising Secrets of STDs

    Strange Bedfellows: Adventures in the Science, History, and Surprising Secrets of STDs

    • 作者:Park, Ina
    • 発売日: 2021/02/02
    • メディア: ハードカバー

    日本は「恥の文化」だと『菊と刀』の著書ルース・ベネディクトは指摘しました。他者の感情や自己の体面を大切にする文化。つまり、自己の外側。世間体大事。一方で西洋は「罪の文化」なのだそうです。これは自己の内面に抱える罪の意識。自己の内側。

    菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

    菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

    • 作者:ベネディクト
    • 発売日: 2013/12/20
    • メディア: Kindle版

    アイナ・パークが問題とするのは性病が「罪(スティグマ)」となって、語ることすら憚れる状況です。語らなければ知識は行き渡らない。結果的に性病で不幸になる人が増えてしまう。この「罪」を軽くして人がなるべく性病についてオープンに話せるようにしたい。まあ、これは日本でも一緒ですよね。罪なのか恥なのかはあまり重要ではない。性病が話題として禁忌であるのは一緒なのですから。

    性病についてオープンに語れるようになるとどんないいことがあるのか?例えば、恋人ができて性交渉をする前にお互いに検査をすることができます。しかし、性病が「罪」や「恥」だったら検査するのも躊躇してしまいますよね。「性病だったらどうしよう?」という心配が、相手に対する想いを上回ってしまう。感染源を追跡するのも「罪」や「恥」だと難しくなる。これは現在の新型コロナウィルスも同じですよね。性病(そして、新型コロナウィルス)を「罪」や「恥」にしても、いいことなんて何もない。無知が広がるだけです。

    ボクも偉そうなことは言えないですけどね。この本に書いてある性病事情は全く知りませんでした。本著はHIV、淋病や梅毒のようなよく知られた性病からははじまりません。まだ治療法が確立されていない(でも、感染者が淋病より遥かに多くいる)性器ヘルペス(HSV)ヒトパピローマウイルス(HPV)からはじまります。ヘルペスなんて感染したら根治できない。だから、ちゃんと検査をして、感染を広げないように予防しないといけない。

    これは性病のチャンピオンであるHIVについても同じことが言えます。HIVは曝露前予防内服(PrEP:プレップ)を使えばある程度は予防ができる病気になりました。でもアメリカでもプレップを服用することをオープンにする人は少ないのだそうです。その話題すら憚れる。なぜなら、男性同士でコンドームを使わないセックスをしますと言っているのと同じだからなのだそうです。もちろん、コンドームを使うことでHIVだけでなく、梅毒など他の性病の感染も予防することはできます。プレップを「罪」や「恥」にしたところで、何もいいことはないですよと。ちゃんとお互い定期的に検査を受け流ことが大事だし、予防をすることも大事。

    本著ではHSVやHPVのようなニュースクールの性病だけでなく、後半には梅毒や淋病のようなオールドスクールの性病も取り上げています。梅毒や淋病はすでに治療法が確立されていますが、それでも感染爆発の気配を見せることがあるのだそうです。どうやってその感染爆発を防ぐのか。それはトラッキングできるようにするしかない。そのためにも性病を「罪」や「恥」にしてはいけない。Salt-N-Pepaも30年前から言ってるじゃないですか、セックスについて語ろうと。

  • 映画評|『インターステラー』のインスピレーション元のドキュメンタリー|”The Dust Bowl” by Ken Burns

    映画評|『インターステラー』のインスピレーション元のドキュメンタリー|”The Dust Bowl” by Ken Burns

    ジェームズ・キャメロン監督が六人の映画監督にインタビューした『SF映画術』という素晴らしい本があります。その六人のうちの一人が今を輝くクリストファー・ノーラン監督でした。ボクはクリストファー・ノーラン監督作品が大好きで、おそらく全ての作品を観ています、何回も。そのクリストファー・ノーランがインタビューで『インターステラー』(2014年)のインスピレーション元の一つとして挙げていたのがケン・バーンズ監督のドキュメンタリー作品『ダストボウル(The Dust Bowl)』でした。

    SF映画術 ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座

    SF映画術 ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座

    • 作者:ジェームズ・キャメロン
    • 発売日: 2020/09/30
    • メディア: Kindle版
     

    ダストボウルは1930年代のアメリカで実際にあった異常気象です。映画『インターステラー』をご覧になった方だったらわかると思いますが、あの映画で地球が置かれている人類が滅びるほどの砂嵐状態が実際にアメリカの一部ではありますがあったのです。映画で印象的な砂嵐。野球の試合を見ていたら、砂嵐の警報とともに信じられないくらい大きな砂嵐がやってくる。あんな映画みたいな砂嵐が実際にあったのです。むしろ、ダストボウルの本当の砂嵐の方が恐ろしいくらい。

    『インターステラー』映画レビュー|科学と愛が交錯する壮大なSF映画 – カタパルトスープレックス

    『インターステラー』でインタビューシーンがあるじゃないですか。砂嵐を経験した人たちのインタビュー映像。あれの元ネタも『ダストボウル』です。『ダストボウル』のインタビューシーンがそのまま『インターステラー』です。

    ケン・バーンズ監督は日本ではあまり知られていませんが、ドキュメンタリー映画の名手です。アメリカをテーマにする作品が多いから、アメリカ国外ではあまり評価されないのかもしれないですね。カントリー音楽とかジャズをテーマにしたり、建築家のフランク・ロイド・ライトやブルックリン橋をテーマにしたり。アメリカをテーマにするとやはりダストボウルは避けて取れないのでしょうね。スタインベックの小説『怒りの葡萄』やウディ・ガスリーの曲みたいにアメリカと切っても切り離せない作品はダストボウルを扱ってるわけで。

    しかし、アメリカ人ではないボクらが見ても映画『ダストボウル』は感じいるものがあります。なんといっても、ダストボウルは人工的に起きた最大の自然災害なのですから。現在の気象温暖化みたいなものです。開墾のために土地を覆っていたバッファローグラスを刈り取り、地表を露出させた。多くの人たちが小麦農業で一山当てようとしてどんどん土地を掘り起こした。その結果として起きたのが巨大な砂嵐でした。その砂嵐がシカゴやニューヨークまで届いてしまうのだから、その規模は凄まじいものでした。アメリカはダストボウルを経験しているんだから、もっと気象温暖化について真剣に考える人が増えた方がいいんじゃないかなあ。そんな感想を得た映画でした。

     

    インターステラー(字幕版)

    インターステラー(字幕版)

    • マシュー・マコノヒー

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  • 書評|「仕事とは何か」をビッグヒストリー的なアプローチで解き明かす|”Work” by James Suzman

    書評|「仕事とは何か」をビッグヒストリー的なアプローチで解き明かす|”Work” by James Suzman

    生産性は技術革新のおかげでかなり上がりました。しかし、それでも私たちは仕事をしています。生産性が上がって、仕事が減るどころか増えています。

    ケインズは「生産性が上がり、2030年には労働時間は週15時間になる。21世紀最大の課題は余暇になるだろう」と予測しました。経済における「約束された場所」のはずでした。2030年にはまだ少し時間がありますが、労働時間は減りそうにありません。いったい、何を間違ってしまったのでしょうか?

    日本でも『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』が翻訳されている人類学者ジェイムス・スーズマンの新著”Work”はこの問いに対してビッグヒストリー的なアプローチで答えようとしている意欲作です。

    Work: A Deep History, from the Stone Age to the Age of Robots (English Edition)

    Work: A Deep History, from the Stone Age to the Age of Robots (English Edition)

    • 作者:Suzman, James
    • 発売日: 2021/01/19
    • メディア: Kindle版
    「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている

    「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている

    • 作者:スーズマン,ジェイムス
    • 発売日: 2019/10/25
    • メディア: 単行本

    なぜ、ケインズの予想は間違えたのか。この問いに対しては多くの論者が解き明かす試みをしています。ルトガー・ブレグマンの『隷属なき道』も同じテーマですよね(もちろんハイエクの『隷属への道』にかけているわけです)。ジェイムス・スーズマンは既に手垢がたくさんついたテーマをビッグヒストリー的な切り口でアプローチしていきます。

    隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book)

    隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book)

    • 作者:ルトガー・ブレグマン
    • 発売日: 2017/05/26
    • メディア: Kindle版

    ビッグヒストリーはビッグバンから138億年の歴史を体系的にまとめる試みです。138億年間を8つの臨界点(スレッショルド)に分けています。ジェイムス・スーズマンは「仕事」に焦点を当てて、生命の誕生からサービス産業の台頭までを4つの集合点(コンバージェンス)に分けて分析しています。

    どこまで遡るのか?なんとカンブリア紀まで遡ります。世界はエントロピーに支配されている前提では、生命はとても不思議な存在です。遺伝子などもカオスにはならずに秩序を持って成長します。(実際はそうではないですが、)生物はエントロピーに抗っているように見えます。エントロピーに反して成長するにはエネルギーが必要ですし、生物として複雑なほどエネルギーが必要となります。そこで、ジェイムス・スーズマンは仕事(work)の定義を「ある目的を達成するタスクを遂行するために意図的にエネルギーを使うこと」としています。仕事(work)は作業(job)と違う。これまでの経済学者の仕事(work)の定義「経済的なニーズを満たす」だと狭すぎるし、そもそもケインズの問題を解決できない。

    なぜ、「経済的なニーズを満たす」では説明できないことがある。まだ人類が農業を始める前を説明できません。狩猟を生業としていたときは週に15時間も働いていなかったことが最近の考古学の研究でわかってきています。ケインズが予測した(そしてまだ到来していない)週15時間労働の世界は既に昔に到達していたのです。では、なぜ働くのか?経済的な問題を解決することでは説明できません。

    ジェイムス・スーズマンの仕事の定義「意図的にエネルギーを使う」は脳の役割「生存のためにエネルギーを使う」と同じなのが面白い。スーズマンは最新の脳科学についての知識もあるようです。いや、スーズマンは自身の専門の人類学だけでなく、経済学や考古学など様々な分野に精通しているようです。本書ではデヴィッド・グレーバー『負債学』『ブルシット・ジョブ』にも言及されていますし、ガルブレイス『ゆたかな社会』にも言及されています。

    ゆたかな社会: 決定版 (岩波現代文庫)

    ゆたかな社会: 決定版 (岩波現代文庫)

    • 作者:J.K. ガルブレイス
    • 発売日: 2006/10/17
    • メディア: 文庫

    ジェイムス・スーズマンはポリマスなんだと思います。ボクたちはつい先日デヴィッド・グレーバーという素晴らしいポリマスを失ったばかり。スーズマンがデヴィッド・グレーバーの後を継いでくれたらすごく嬉しいのですが。

  • 書評|孤独と新自由主義の関係性|”The Lonely Century” by Noreena Hertz

    書評|孤独と新自由主義の関係性|”The Lonely Century” by Noreena Hertz

    日本でも老人の孤独死が問題になっていますが、「孤独」は世界的にも問題なようです。イギリスでは孤独担当大臣が設立されたほど。孤独って主観的な感情の気がするのですがUCLA孤独感尺度が指標として使われることが多いそうです。日本でもUCLA孤独感尺度は老人の孤独などの研究に使われています。

    コロナ禍で人との接触が極端に減ったこともあり、孤独を感じる人は増えているようです。しかし、今回紹介する”The Lonely Century”の著者であるノリーナ・ヘルツはコロナ禍以前から孤独を感じる人は増えていたと主張します。現代を「孤独の世紀」と位置づけています。なぜ、多くの人は孤独感を感じるようになってしまったのでしょうか?

     The Lonely Century: Coming Together in a World that's Pulling Apart

    The Lonely Century: Coming Together in a World that’s Pulling Apart

    • 作者:Hertz, Noreena
    • 発売日: 2021/06/03
    • メディア: ペーパーバック

    ノリーナ・ヘルツによれば、「孤独の世紀」の原因は新自由主義にあるのだそうです。え?また?最近の英語圏の言論を追いかけている人だったら分かると思いますが、新自由主義はあらゆる悪いことの根元のように語られることが多いです。それにしても、孤独まで新自由主義のせいかよ!とサスガのボクもツッコミを入れたくなりました😹

    それ以外にもAIやIoT、民泊まで孤独の原因として糾弾されます。(ボクの個人的な見解ですが)あまりにも広範囲に孤独の原因を求めようとしてしまい、結局何が言いたいのか分からなくなっているのがこの本の欠点です。今は孤独の世紀だ、うむ、それは分かる。では、どうしたらいい?それがよく分からないんです。新自由主義の新しい批判として「孤独」はなかなか面白いアングルだとは思いますが。

    全般的にとっ散らかった印象のある本書ですが、面白かった部分もあります。本書の前半は「孤独」とは何か?という本質的な部分に光を当てています。脳から分泌される化学物質は恐怖と孤独は近いのだそうです。だから、孤独は心理的なだけでなく、身体的なのだそうです。どれくらい孤独が身体的に影響を与えるかといえば、30%の確率で早死するとの調査結果もあるそうです。

    もう一つ面白かったのが、孤独の攻撃性に関するネズミの実験。ネズミをある一定期間隔離して孤独状態にすると、孤独が定常化するのだそうです。孤独が定常化したネズミを他のネズミと会わせる。そうすると、久しぶりにあった別のネズミに対して攻撃的な行動を取るのだそうです。二極化と不寛容性の関係性も孤独から考えるとわかりやすいのかもしれないと思いました。

  • 書評|大人のためのドラッグ講座|”Drug Use for Grown-Ups” by Carl L. Hart

    書評|大人のためのドラッグ講座|”Drug Use for Grown-Ups” by Carl L. Hart

    読者の常識に挑戦する本は知的な刺激を与える本です。考えが及ばなかった部分に光が当たる感覚。しかし、それは「挑戦」なので、拒否反応もあります。理屈はわかるが、信じたくない。受け入れられない。日本語でも著書が翻訳されているカール・ハートの新著”Drug Use for Grown-Ups”はまさにそんな本です。

    カール・ハートはコロンビア大学の教授で神経科学と心理学を専門にしています。ドレッドヘアーの見た目ですが、ドラッグについて先進的な研究をしている世界でも有数の専門家です。

    Drug Use for Grown-Ups: Chasing Liberty in the Land of Fear

    Drug Use for Grown-Ups: Chasing Liberty in the Land of Fear

    • 作者:Dr. Carl L. Hart
    • 発売日: 2021/01/12
    • メディア: Audible版
    ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

    ドラッグと分断社会アメリカ 神経科学者が語る「依存」の構造

    • 作者:カール ハート,Carl Hart
    • 発売日: 2017/01/24
    • メディア: 単行本

    カール・ハートの本書における主張は以下にまとめることができます。

    • ドラッグは悪い効果よりも良い効果の方が多い
    • ドラッグの問題の多くは知識不足に起因する
    • ドラッグ問題は人種差別の隠蓑になっている

    つまり、正しい知識を持った責任のある大人であれば、ドラッグの悪い効果を最小限にし、良い効果だけを最大限に引き出すことができる。これが本書のエッセンスです。本書における「ドラッグ」にはアルコールやカフェインも含みます。無責任に「ドラッグは安全だから合法化(legalization)すべき」などとは主張していません。正しい知識を普及させて、責任のある大人にはドラッグを使えるようにしよう。合法化(legalization)ではなく、スペインやオランダのように非犯罪化(decriminalization)するのが最も近道だと説きます。

    カール・ハートはドラッグの効果は四つの要因に大きく影響されると言います。

    1. 量(dose)
    2. 脳への到達ルート(route admiration)
    3. 摂取する人の個体差(set)
    4. 環境(setting)

    量(dose)は実際の分量(quantity)もありますし、 その量で得られる用量効果(potency)もあります。用量効果が高ければ、分量は少なくてすみます。量を多く取りすぎる状態が過剰摂取(overdose)です。正しい知識で、正しい量を摂取する必要があります。

    摂取したドラッグは脳に到達して効果を発揮します。摂取ルートは大きく分けて1)口から(経口薬)、2)鼻から(粉を吸い込んだり、煙で吸う)、そして3)注射器で血管からです。初心者は煙で吸う方法がコントロールしやすく、効果もすぐ表れるのでオススメだそうです。

    また、摂取する個体差(set)や環境(setting)も大きく影響するそうです。例えば、体重もそうですし、疾患や病歴なども関係して来ます。その時のムードも。

    これら全てがドラッグで良い効果を得るための必要知識だそうです。正しい知識なしにドラッグをやるから過剰摂取のような事故が起きる。ドラッグが関わる死亡事故の統計を見ると、ドラッグだけが死因ではないケースがほとんどだそうです。ドラッグは組み合わせてはいけない(これも「正しい知識」の一つだそうです)。アルコールを飲みながらコカインをやっちゃダメとか。そういうことらしいです。

    ドラッグに関する大きな問題は知識不足だそうです。マリファナの合法化に拒否反応を示す人だったら卒倒してしまうかもしれませんが、コカインだろうと、ヘロインだろうと、LSDだろうと、『ブレイキング・バッド』で有名になったメスだろうと、正しく使えばアルコールやカフェインと同じだと言います。

    なぜ、多くの人はドラッグについての正しい知識を持っていないのか?これには複数の要因があるのですが、正しい科学的な研究がほとんどできない状況にもその理由の一つだそうです。多くの研究はNIDA(National Institute on Drag Abuse)が資金を提供しています。本書で使われている科学的データのほとんどもNIDAが資金提供をした者だそうです。しかし、NIDAは基本的にはドラッグを根絶するために設立した期間なので、ドラッグは悪者でないといけない。例えば、「ドラッグは脳を変えてしまう」は通説になっていて、日本でも芸能人が麻薬で逮捕されると「ドラッグは脳を変えてしまう」から常習化してしまう!みたいな報道が多くなると思います。

    薬効のドーパミン過剰供給によって,脳内に覚せい剤を欲する回路が形成され,継続使用のうちに回路が強化されていき,次第に回路自体が脳を支配するようになる。ー田代まさし氏の逮捕から考える覚せい剤依存のおそろしさ

    しかし、実際には実験でそのような証明がされたことはないそうです。ジーナ・リッポンも著書”The Gendered Brain”で解説していますが、脳スキャン(fMRI)はビジュアル的に「わかりやすい」のですが、その解釈はとても慎重に行う必要があります。また、ドラッグが脳を変質させるというのであれば、摂取前と摂取後の二回スキャンをする必要がありますよね。しかし、実際には一回しかスキャンしません。

    まず結論ありきで実験をしているので、実験結果が拡大解釈されたり、再現性がなくても突っ込まれなかったりするのだそうです。実際に、ドラッグの脳に関するネガティブな結果は再現性がある実験はほぼないそうです。なぜそんなことになってしまうのか、スチュワート・リッチーの”Science Fictions”の世界そのものですね。組織的懐疑性が機能していない典型例な気がします。

    本書はマリファナ、LSD、コカイン、メス、ヘロインなどそれぞれのカテゴリーで読者の「常識」を科学的に正しい情報で揺さぶります。どのように情報が歪められているのか。そして、科学的には何が正しいのか。特にヘロインはアメリカで問題になっているドラッグのナンバーワンなので特に慎重に議論が進められています。アメリカの現代のヘロイン問題はベス・メイシーの”Dopesick”で詳しく解説されています。この問題も結局悪いのは製薬会社で正しい用量用法や効果を伝えていないからこんなことになったわけですよね。映画『トレインスポッティング』でもヘロインの悪い面を強調して描いていますが。しかし、 カール・ハートは自分の経験からも、学術的な研究からも、ヘロインの「二日酔い」であんな風にはならないとのことです。

    ちなみに、カール・ハートは政治的には保守なんだと思います。ドラッグを楽しむ自由を提起しているので、そうなるでしょうね。本書の中でも「リベラル」は批判の対象となっています。しかしながら、ドラッグを規制しているのは「リベラル」だけじゃないですよね。アメリカならリベラルな民主党だけでなく、保守な共和党も麻薬を根絶する麻薬戦争を行なっています。こういう問題って科学と政治の問題であって、リベラルと保守の対立軸で考えると変な方向に行ってしまうと思いました。

  • 書評|新自由主義が生んだ独占企業群がみんなから自由と機会を奪っている|”Monopolies Suck” by Sally Hubbard

    書評|新自由主義が生んだ独占企業群がみんなから自由と機会を奪っている|”Monopolies Suck” by Sally Hubbard

    ティム・ウーは著書”The Curse of Bigness”(2018年)で独禁法に焦点を当てて、現代が独禁法以前の「金ピカ時代(Gilded Age)」に戻りつつあると警笛を鳴らしました。そして2020年にようやく司法省が重い腰を上げてGAFAの独禁法違反について動きを見せはじめました。

    今回紹介するサリー・ハバードの”Monopolies Suck”はティム・ウーの”The Curse of Bigness”のアップデート版として、活動家としての立場から、いかに独禁法が骨抜きにされてきて、民主主義と資本主義の根底を危うくしているのかを解説しています。ティム・ウーの著書よりもっと具体的に実害を糾弾しています。サリー・ハバードはニューヨーク州検事として独禁法に関わる案件を手掛け、現在はOpen Markets Insutituteの役員です。現場で独禁法にずっと関わってきている人です。

    Monopolies Suck: 7 Ways Big Corporations Rule Your Life and How to Take Back Control (English Edition)

    Monopolies Suck: 7 Ways Big Corporations Rule Your Life and How to Take Back Control (English Edition)

    • 作者:Hubbard, Sally
    • 発売日: 2020/10/27
    • メディア: Kindle版

    ティム・ウーも指摘していることですが、独禁法を骨抜きにしたのはシカゴ学派の経済学者たちでした。ミルトン・フリードマンロバート・ボーク。アメリカの独禁法の根幹はシャーマン法クレイトン法で定義されています。この二つの法律は競争を促進して市場がその恩恵を享受できるようにすることが目的です。しかし、シカゴ学派は企業の経営効率の考え方を持ち込みました。大きいことはいいことだ。なぜなら、大きい方が経営効率が高いから。裁判で効率重視の判例を積み上げることで、独禁法を骨抜きにしてきました。その結果、80%の産業でシェアの集約化が起きているそうです。3から4の企業が一つの産業で80%のシェアを持っている状態にあるそうです。

    現在起きている様々な問題を解決するには独禁法を正しい運用に戻すことだとサリー・ハバードは主張します。独占の解体で全ての問題を解決できるわけではないが、解決に向けてスタートをを切るには独占の解体が必須だと言います。

    では、実際に独占はどんな実害があるのか?大きく分けて三つあります。サリー・ハバードはもっと挙げていますが、ボクはこの三つに集約できると思います。

    1. 価格が不当に釣り上げられている
    2. 税金が独占企業に吸いあがられている
    3. 雇用の機会が減っている

    市場が3〜4の企業で独占されている時、消費者に選択肢はありません。例えばレンタカー会社は11ブランドあるように見えますが、実質的には3企業しかありません。複数のブランドを作って競争があるように見せかけるのが独占企業のやり方だそうです。ユニリーバ(アイスクリームのベン&ジェリーズとか)もP&Gもたくさんブランド持ってますしね。オー・ボン・パンクリスピー・クリーム・ドーナツもプライベート・エクイティーのJAB Holdingsが親会社ですし。航空会社も合併を繰り返し三回運賃が値上げされました。様々な調査結果でも、数少ない企業で独占されている業界は値上げが行われ、その利益は消費者には還元されずに株主と役員にしか還元されていないそうです。

     “Three successful fare increases – [we were] able to pass along to customers because of consolidation,” by Scott Kirby, then the president of American Airlines

    「合弁のおかげで運賃値上げに成功し、コストを顧客に転換できた」当時アメリカン航空の社長だったスコット・カービーの発言

    President Obama promised to fight corporate concentration. Eight years later, the airline industry is dominated by just four companies. And you’re paying for it. by ProPublica

    独占企業は好きな時に好きなだけ課金もできます。有名なのがアップル税ですよね。ゲーム『フォートナイト』で有名なエピックがアップル税と戦ってAppStoreから締め出され、裁判になりましたよね。「アップル税」が嫌ならiPhoneからAndroidにスイッチすればいいじゃん?多くの人にとって(どれほど優れていようと)AndroidのスマホはiPhoneの代用にはならないんですよ。つまり、実質上、iPhoneプラットフォームのAppStoreという市場はアップルが独占してるんです。だから、30%なんて何の根拠もない「税金」を開発者を経由して消費者に押し付けることができる。

    「アップル税」に対抗して、アプリ開発企業が団体結成…Spotify、Fortnite、Tinderらが結集 | Business Insider Japan

    独占企業は税金のように消費者から徴収しますが、政府には税金を払いません。2018年にFortune 500で利益を計上している379企業のうち、91企業が税金を払っていないそうです。アマゾン、スターバックスやシェブロンのような大企業がです。場合によっては税金を受け取っています。そう、支払う額より、税金補助で受け取る金額の方が大きい場合があるのだそうです。例えばアマゾンはヴァージニア州で電気代を払っていないそうです。誰が払っている?政府が税金で払っているそうです。アマゾンは税金を納めていないだけでなく、税金で電気代まで払ってもらっています。「アマゾンがバイデン新大統領の新型コロナワクチン接種公約に同社リソース提供で協力」みたいなスタンドプレーではなく、ちゃんと税金を払いましょうと。

    アメリカ合衆国内国歳入庁はフェイスブックに対して1兆円以上の脱税の嫌疑をかけられています。まあ、1兆円に比べれば、その1/100にも満たない様々な寄付は微々たるものですよねとサリー・ハバードは皮肉を言います。大企業がちゃんと納税すれば、もっといろんな支援ができたはずなのに。

    フェイスブック に1兆円以上の脱税の疑い | HYPEBEAST.JP

    多くの大企業は自分たちの独占の正当性を主張しますが、多くの場合は嘘だとサリー・ハバードは主張します。勝者総取りは正しくないし、ネットワーク効果も言い訳にはならない。なぜなら、ATTはそれでも分割されたのだから。ソーシャルメディアですら(ATT分割の時のように)相互運用性を確保できればいいだけ。

    この本を読んで、リベラルと保守の差ってほとんどないと改めて思いました。独占企業を生んだ思想は新自由主義ですが、保守もリベラルもその路線を1980年代からずっと続けてきました。それは、民主党のクリントン政権もオバマ政権だって同じなんです。以前に紹介したマイケル・サンデルが能力主義批判した”The Tyranny of Merit”もそうですが、現在の問題の多くは保守/リベラルは関係ありません。「保守/リベラル」のような、すでに賞味期限切れの切り口では理解できない。これからの世界を作るには、これまでとは違うレンズが必要なんだと思いました。

  • 書籍|能力主義と自己責任は正しいのか?|”The Tyranny of Merit” by Michael J. Sandel

    書籍|能力主義と自己責任は正しいのか?|”The Tyranny of Merit” by Michael J. Sandel

    2020年のアメリカ大統領選挙で負けたものの、なぜドナルド・トランプはこれほど多くの人を惹きつけるのか?なぜイギリス人はEU離脱を支持するのか?ポピュリズムと一言で言うけれど、なぜポピュリズムがここまで台頭してきたのか?ローレンス・レッシグが主張するように、政治が人々を代表していない。国民全員が四年生大学を出ているわけじゃないんだぜ!(アメリカは1/3しか学位を持っていない)。

    トマ・ピケティの新著”Capital and Ideology”ではポピュリズム台頭の理由を一部を説明してくれてはいますが、非常に分かりにくい議論でもありました。それが日本語ではバラモン左翼(brahmin left)と商人右翼(merchant right)の議論です。なぜ、ポピュリズムが台頭するのか?それは既存の政党が有効な政策を打ち出せていないからだ。その主張はわかるのですが、ピンとこない。なぜか?右と左に分ける分類自体が有効性を失っているのではないでしょうか。現在において保守とリベラルの決定的な違いってなんですかね?

    日本では『これから「正義」の話をしよう』が出版されたマイケル・サンデルの新著”The Tyranny of Merit”(邦題『実力も運のうち 能力主義は正義か?』)はピケティが完全には答えることができなかった問題を掘り下げて答えようとする意欲作です。問題の根本は行き過ぎた能力主義と自己責任です。保守もリベラルも共に能力主義の路線を宗教のように信じてしまっているため、本当に求められているニーズが見れずにピントがずれてしまっている。

    実力も運のうち 能力主義は正義か?

    実力も運のうち 能力主義は正義か?

    • 作者:マイケル・サンデル
    • 発売日: 2021/04/14
    • メディア: 単行本
    The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good? (English Edition)

    The Tyranny of Merit: What’s Become of the Common Good? (English Edition)

    • 作者:Sandel, Michael J.
    • 発売日: 2020/09/15
    • メディア: Kindle版
    これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

    これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

    • 作者:マイケル・サンデル,鬼澤 忍
    • 発売日: 2012/08/01
    • メディア: Kindle版

    本書で問題提起されているいき過ぎた能力主義はリベラルと保守のような党派とは関係なく蔓延している政治の逸脱だとマイケル・サンデルは主張します。能力があるものが成功する、生まれたスタート地点に関係なく。貧しい家庭の生まれでも、裕福な家庭の生まれでも、努力して勝ち得た能力があれば成功できる。これが能力主義です。能力主義以前の階級主義より全然いいですよね?この能力主義のどこが「問題」であり「政治的な逸脱」なのでしょうか?

    逸脱の出発地点は(やはり)ネオリベラリズムを推し進めたレーガン&サッチャーです。政府の責任を小さくして、個人の裁量を増やす。成功するかどうかはあなた次第(政府ではなく)。保守政党は小さい政府を目指し、個人や企業の自由を拡大する傾向にありますからね。理解できます。レーガン政権もサッチャー政権も肥大した政府の赤字をなんとかしなければいけなかったですし、当時としては必要な舵きりだったでしょう。

    レーガンからブッシュ政権の保守系の共和党政権に続いたのがクリントン政権とオバマ政権のリベラルな民主党政権でした。これはイギリスでも同じで、保守な保守党からリベラルな労働党に政権移行しました。しかし、アメリカのクリントン政権、オバマ政権、そしてイギリスのブレア政権はそれぞれ能力主義だけは継承したんです。むしろ、さらに推し進めました。能力主義をさらに推し進めることで、格差が更に広がりました。能力主義って格差を是正する仕組みではないですよね。貧しい家庭からでも成功できる。一方で能力のない人は貧しくなる。固定された格差を再構成する仕組みなんです。能力=学力(大学卒)です。トマ・ピケティの「バラモン左翼」は学歴偏重のリベラルの姿勢から命名されています。

    なぜ、歴史的に労働者の味方だったリベラルがエリート主義とも言える能力主義に偏重したのでしょうか。保守もリベラルも能力主義が機能する二つの前提を信じています。そして、能力があれば成功することができる。

    1. 市場は公正な状態で運営されている
    2. 能力主義は生産性が高い

    しかし、この前提自体が幻想だとマイケル・サンデルは指摘します。公正ではないし、生産性も高くない。能力主義は学歴主義でもあるのですが、ハーバード大学やイェール大学などトップの私立大学は裕福な家庭の出身者で占められている。大学入学に必要なSATのような標準テストは塾や個人指導で高得点が取れます。また、多額の寄付をしてくれる家庭の子女は優先枠があります。社会的流動性(social mobility)が担保されているからこそ、差別を肯定する。貧しい家庭でも努力すれば成功できるのが社会的流動性が高い社会ですが、現在の能力主義に社会的流動性はほぼありません。

    能力主義は硬直した(流動性のない)格差を肯定している。これが問題点の一つです。しかし、問題点はそれだけではありません。能力があれば成功できる。そして、それは自分の努力の賜物。能力がなければ成功できない。その責任は自分が負う。本当でしょうか?

    成功の要因は実際には努力や才能だけではなく、運や周りのサポートの要素も大きいわけです。例えば、バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンがルネッサンスの時期に生まれたら?これは運の要素ですよね。他にも腕相撲のチャンピオンはなぜその能力だけで富を築くことができない?これもそう言う社会に生まれてきた運ですよね。学費の高い私学に通える家庭に生まれてきたこと自体も幸運ですよね。下駄を履いた成功者を崇め、ハンデを負った成功しない人たちには自己責任を押し付ける。これがもう一つの問題点です。

    このような能力主義はネオリベラリズムに責任を押し付けがちですが、ネオリベラリズムって最初っからそうだったのでしょうか?

    マイケル・サンデルが現在の能力主義を「政治的逸脱」とするのは、ネオリベラリズム以前の哲学的思想は、能力主義を否定していたからです。サンデルが比較するのは自由主義のリベラルの代表であるフリードリヒ・ハイエクと社会福祉思考のリベラルの代表であるジョン・ロールズです。ハイエクは政府の役割より市場の役割を大きくすべきとする古典的な保守ですし、ロールズは市場だけに任せずに政府の介入が必要だと考える古典的なリベラルです。面白いのはハイエクもロールズも思想的にはかなり違うのに、能力主義を否定するのは同じなことです。価値を決めるのは能力ではなく、市場だとハイエクもロールズも主張します。ハイエクは市場に全てを委ねるべきだと考え、ロールズは結果は再分配すべきだと考えます。

    ハイエクとロールズは政治的立場は違えど、能力主義が収入や資産につながることを否定しました。能力があるから価値があるわけではない。それは自由に反する。

    マイケル・サンデルは本書の後半はその解決策を提案しています。彼の考える理想主義的な解決方法もいいんだけど、やっぱり最終的にはユニバーサル・ベーシック・インカムしか解決方法はないんじゃないかとも思ってしまいました(竹中平蔵のなんちゃってベーシック・インカムじゃないですよ!)。

  • 書評|人間と機械の利害は合致できるのか|”The Alignment Problem” by  Brian Christian

    書評|人間と機械の利害は合致できるのか|”The Alignment Problem” by Brian Christian

    グーグルで人工知能(AI)の倫理を研究していたティムニット・ゲブルが解雇されたニュースは2020年の終わりのニュースとしてはかなり衝撃的に受け止められました。なぜか。職場における差別の要素もあるのですが、AI倫理の重要性がかなり大きくなってきているからではないでしょうか。ビジネスと倫理のバランス。これはグーグルのような営利企業にとっては非常にデリケートな問題です。

    今回紹介するブライアン・クリスチャンによる”The Alignment Problem”は「人間と機械の利害は合致できるのか」という倫理を含めた幅広いAIに関する問題を扱った非常にタイムリーな書籍となりました。AIの何が問題で、どのような解決方法が模索されているのかを取材を通じて丁寧に解説しています。AIによるディストピアみたいな遠い将来の話ではなく、今現在何が起きていて、どのようなアプローチで解決が模索されているのか。

    The Alignment Problem: Machine Learning and Human Values (English Edition)

    The Alignment Problem: Machine Learning and Human Values (English Edition)

    • 作者:Christian, Brian
    • 発売日: 2020/10/06
    • メディア: Kindle版
    Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions (English Edition)

    Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions (English Edition)

    • 作者:Christian, Brian,Griffiths
    • 発売日: 2016/04/19
    • メディア: Kindle版

    本書では、まず”Alignment Problem”とは何かを解説します。三つの代表的な例が1) Word2vec、2) 保釈リスクを計算するソフトウェアCOMPAS、そして 3) Googleのイメージ検索です。それぞれ、AIが導き出す結果は必ずしも人間にとって正しくない。つまり、人間と機械の利害が合致(Align)できていない例です。

    Word2vecは非常に優れた言語解析ができると評価される一方で、人間の持つバイアスをそのまま引き継いでしまう性格もあります。例えば以下の数式。

    医者ー男性+女性=看護婦

    医者から男性の要素を抜き出し、女性の要素を加える。そうすると導き出される答えが「看護婦」となってしまう傾向にあるのです。え?正しいと思う?それがバイアスです。本来であれば……

    医者ー男性+女性=医者

    ……でなければいけないですよね。医者は職業なんだから、男性も女性も関係ない。このバイアスを取り除くのにImplicit Association Testが有力視されていますが、現時点でまだ解決できていません。Googleイメージのゴリラ問題もいまだに解決できてないですしね。

    AIは人間の言葉から女性差別や人種差別を学び取る – GIGAZINE

    分散表現とWord2vec|実践的自然言語処理入門 #3 – Liberal Art’s diary

    この他に、この書籍では公平性の問題や透明性の問題など幅広いトピックをカバーしています。例えば、「犯罪者の仮釈放の逃亡リスクをAIで判断していいのか?」という問題。2020年のアメリカ選挙で隔週で行われる投票法案でカリフォルニア州が仮釈放をAIで行う法案(Proposition 25)において住民に評決を託しました(関連記事)。結果的には否決されましたけどね。本書でも多くの専門家はまだAIがそこまで予測するのは難しいとの見解を示しています。

    同様に犯罪を未然に防ぐためにAIを活用できないのでしょうか?AIは犯罪を起こす可能性がある場所や人物を事前に特定できるのでしょうか。これもバイアスの問題と根っこは同じなのですが、公平性に問題があります。つまり、そのデータセットにバイアスがそもそもあるのではないかということです。公平性を高めるにはより多くのデータが必要になります。しかし、その場合はプライバシーの問題もより大きくなってしまいます。機械学習でプライバシーを担保する方法として「差分プライバシー(differential privacy)」が注目されています。

    AIはブラックボックスのシステムとして有名です。どうしてAIはそのように判断したのか人間には説明が難しい。例えばなのですが、コロナ禍でトリアージが必要になったとします。トリアージは「全員を救うことはできない」という前提のもとに、救う優先順位を決めることです。「命の選択」なんて日本語では言われたりもします。その「命の選択」をAIが決めたらどうですか?嫌ですよね。だって、AIがなぜAさんではなく、Bさんを優先したか、理由がわからないんですよ。実際に本書で紹介されているアメリカでの事例では肺炎のトリアージは、ルールベースのシステムが採用されています。ニューラルネットワークのシステムの方が精度が高い結果が出たにもかかわらずです。なぜか?ニューラルネットワークのシステムで出た結果は医師が説明できないからです。

    そこで注目されているのが「説明可能なAI(XAI:explainable AI)」です。XAIはDARPAをはじめとした多くの研究機関が力を入れている分野で、英語圏では一般的なテックメディアでも紹介されるくらいには注目されている分野です。

    XAIの分野で注目されているのは一般化加法モデル(GAM:Generalized Additive Model)だそうです。流石にここまで来ると私もよくわからないので、Qiitaのリンクを下に貼っておくので、興味があったら調べてみてください。

    ここまでが本書の中盤くらいです。残りはディープラーニングの歴史(主に強化学習)をおさらいした上で、「好奇心」をAIに植え付けるにはどうしたらいいのか(intrinsic novelty preference)、「不確実性」をAIが持つにはどうしたらいいのか(inverse reword designAI safety gridworlds)などこれからの課題と現在の研究結果の紹介となっています。

    ブライアン・クリスチャンは前著”Algorithms to Live By”で生活の中にあるアルゴリズムを普通の人にもわかりやすく解説してくれました。本書はそれよりもかなり技術よりの書籍ではありますが、倫理を含めたAIに関する非常にホットなトピックをわかりやすく解説してくれています。AIの知識をアップデートしたい人には強くお勧めします。

     

  • 書評|世界の終わりの現在|”Notes from an Apocalypse” by Mark O’Connell

    書評|世界の終わりの現在|”Notes from an Apocalypse” by Mark O’Connell

    「世界の終わり」は魅力的なトピックで、遥か昔からずっと語られてきました。世界の終わりはもうすぐだ!と。マーク・オコネルも「世界の終わり」に取り憑かれた一人で、その研究成果をまとめたのが本書”Note from an Apocalypse”です。専門書と言うよりはエッセー。

    この本は「世界の終わり」についての本ではありません。つまり、未来について予想はしていません。この本は「世界の終わりの現在」についての本です。マーク・オコネルの個人的な「世界の終わり」への執着心と不安が起点となっていて、その正体を探るために世界の終わり巡礼の旅に出ます。サウスダコタ、ニュージャージー、スコットランド、チェルノブイリ……

    Notes from an Apocalypse: A Personal Journey to the End of the World and Back

    Notes from an Apocalypse: A Personal Journey to the End of the World and Back

    • 作者:O’Connell, Mark
    • 発売日: 2020/04/14
    • メディア: ハードカバー

    なかなか面白い構成になっていて、前半がルポルタージュ風で資本主義を中心として保守の人たちが「世界の終わり」に対してどのように考えていて、どのように行動しているかが描かれています。後半はエッセイ風で旅を通じてマーク・オコネルが「世界の終わり」について内省的に考えるプロセスを描いていきます。前半と後半では少し雰囲気が違います。

    まずは主に保守な人たちがどのように「世界の終わり」を考えているか。プライベートでささやかな取り組みからピーター・ティールの海上都市、さらにイーロン・マスクの火星移住まで話が徐々にデカくなっていきます。マーク・オコネルが彼らに対する視線はかなり冷ややかで、「世界の終わりのために準備しているのではなく、自分たちのファンタジーのために準備をしている」と一刀両断です。世界が終わった後に、いかに自分が生き残るか(そして自分が理想とする世界を作るか)に力点が置かれているのが特徴です。世界を終わりから救おうなどとは考えていない。

    最初に登場するのがプレッパーズと呼ばれるサバイバルマニアたちです。彼らの特徴は保守的な思想の持ち主で、白人男性至上主義が見え隠れしています。サバイバル商品にこだわりがあるのも特徴で、世界の終わりなのに商業主義なのってどうよ?とマーク・オコネルもチクリと批判します、同じ「世界の終わり」に取り憑かれた人間として共感する部分はあるものの。プレッパーズの上位版のラグジュアリー・サバイバルもあります。その代表がVivosです。お金持ちのために高級シェルターとサバイバルネットワークを販売しています。世界の終わりがきても、安心してラグジュアリー生活を送ることができます。

    さらに金持ちなプレッパーズは高級シェルターでも満足できません。自分の国がダメになった時、他の国にも逃げ場が欲しいよね!保守系のサバイバリストに人気がある国がニュージーランドなのだそうです。金持ちといえばテック系でIPOした元スタートアップ創業者。彼らの多くはリバタリアンで、そんなテック系リバタリアンな金持ちの愛読書が”The Sovereign Individual”。この本に影響されて「リバタリアン的な国を作るのだ!」と選ばれた国がニュージーランドで土地を買いまくられているのだそうです。LinkedInのリード・ホフマンもそうですし、a16zのマーク・アンドリーセンもそうです。その代表者がピーター・ティールでニュージーランド国籍まで取得しています。もう、お前らバカじゃないの?お金を持ちすぎると、ろくなことしないですよね。そんな無駄遣いをしてるから批判されるんだよ。

    The Sovereign Individual: Mastering the Transition to the Information Age

    The Sovereign Individual: Mastering the Transition to the Information Age

    • 作者:Davidson, James Dale,Rees-Mogg, Lord William
    • 発売日: 1999/08/26
    • メディア: ペーパーバック

    自国がダメだったら、ニュージーランドに移住すればいい。でも、地球がダメになったらどうするよ?そう考えて火星の植民地化の準備をしているのがイーロン・マスクです。スケールが違いすぎて笑うしかない。火星協会(Mars Society)という火星の植民地化と移住を目指す団体があります。なんと、この火星協会は日本にもNPO法人日本火星協会という支部があります。イーロン・マスクは火星協会でスピーチもしてますし、色々と表彰されているそうです。そりゃそうだ。テスラの赤いスポーツカーを火星に向けて打ち上げるような人ですから。マーク・オコネルに「世界の終わりではなく、自分たちのファンタジーのために準備をしている」と言われるのも仕方ない。

    後半は人類はエコロジカル的な自殺行為(エコサイド)を続けていると主張するダーク・マウンテン・プロジェクトに触発されたキャンプに参加したり、チェルノブイリの廃墟を観光するエクストリームツアーに参加したりしながら、自分自身の「世界の終わり」に対する不安と対峙していきます。太陽が膨張し続ければ地球はなくなる。大量絶滅は地球ですでに五回も起きている。その六回目が人類だからどうしたと言うのか?「世界の終わり」はいつかは来る。ひょっとしたらCOVID-19で世界は終わるかもしれない。温暖化が続いて、将来的には人間が地上で生きていけなくなるかもしれない。そんな終わりゆく世界を子供達に受け継いでいいのだろうか。そもそも、人が多すぎるのに子供を作っていいのだろうか?マーク・オコネルはどちらかと言えば悲観的な人ですが、最後には自身の子供達に救われます。