映画『ブラック・フォン』|ホラー×ファンタジーという鉄板設定を新しい視点で

地下室の壁に、断線した黒電話が掛かっています。

つながっていないはずのその電話が、鳴る。

『ブラック・フォン』(The Black Phone)は、この一つのイメージに映画の核心を詰め込んだ作品です。

映画『ブラック・フォン』

恐ろしい状況に超自然の力が介入する。ホラーとファンタジーを掛け合わせた物語は、これまでにも数多く作られてきました。

しかし本作は、犯罪スリラーとゴーストストーリーを結びつけ、幽霊を恐怖の源ではなく、少年を救う存在として描きます。定番の組み合わせを使いながら、物語を見る角度を反転させているのです。

では、その「新しい視点」の中身は何だったのでしょうか。

この記事では、監督と脚本家の発言を手がかりに、本作が定番の設定をどのように新しい物語へ変えたのかを見ていきます。

監督はスコット・デリクソン。『シニスター』で組んだ共同脚本のC・ロバート・カーギル、主演のイーサン・ホークと再び組み、ジョー・ヒルの短編小説「黒電話」を映画化しました。製作はブラムハウスです。

2021年9月25日にジャンル映画祭Fantastic Festでプレミア上映され、全米では2022年6月24日に公開。日本では同年7月1日に東宝東和の配給で公開されました。上映時間は104分、映倫区分はPG12です(Blumhouse公式サイト日本公式サイト)。

ネタバレについて

この記事では、物語の中盤までの展開に触れます。

地下室で何が始まるのかまでは書きますが、その先の展開と結末は伏せています。

あらすじ|1978年、少年が地下室で電話を受けるまで

舞台は1978年、コロラド州デンバー近郊の町です。

13歳のフィニー(メイソン・テムズ)は、内気ですが賢い少年です。学校ではいじめられ、家では酒浸りの父親の暴力に怯えて暮らしています。

町では、子どもの失踪が相次いでいました。

犯人は「グラバー」と呼ばれる誘拐犯です。黒い風船と、不気味なマスクだけが目撃されています。

フィニーの妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)は、夢の中で事件の断片を見ることがあります。亡くなった母親から受け継いだ力です。兄思いで、口が悪く、神に祈る少女でもあります。

ある日、フィニーはグラバー(イーサン・ホーク)に連れ去られ、防音された地下室に閉じ込められます。

地下室にあるのは、汚れたマットレスと、壁に掛かった黒電話だけ。電話は断線していて、使いものになりません。

その電話が、鳴ります。

受話器の向こうから聞こえてくるのは、グラバーに殺された子どもたちの声でした。

彼らは一人ずつ、自分が生き延びられなかった経験をフィニーに伝えていきます。

一方、外の世界では、グウェンが夢を頼りに兄を捜し始めます。

ここから先は、劇場や配信で確かめてください。

テーマ|幽霊が、助ける側に回る

鉄板設定の中身——二つの定型を一つのショックに重ねる

デリクソン監督は、原作短編に惹かれた理由をはっきり語っています。

シリアルキラーの物語とゴーストストーリーを組み合わせながら、暗い題材を共感と希望の視点から描いていたことに魅力を感じたそうです(TIMESlashFilm)。

「鳴るはずのない電話が鳴る」という出来事は、最初は恐怖として現れます。

しかし、その電話は同時に、フィニーにとって希望の始まりでもあります。

死者の声は、彼を脅かすために掛かってくるのではありません。生き延びる方法を教えるために掛かってきます。

共同脚本のカーギルは、電話や幽霊といった超自然の要素が、これまでの犠牲者にはなかった「自分を救うための道具」をフィニーに与えると説明しています(Creative Screenwriting)。

ホラーの定型では、幽霊は人間を脅かす側にいます。

本作はその役割を反転させ、幽霊を助ける側へ回しました。

しかも、死者たちは万能ではありません。彼らが教えられるのは、自分が試して失敗したことだけです。一人ひとりの失敗が積み重なり、フィニーが生き延びるための手段へ変わっていきます。

恐怖の意匠をまとったまま、物語は少年のサバイバルと成長へ向かう。

私が「新しい視点」と感じたものの第一の実体は、この反転です。

新しさのもう半分は、監督の実体験

ただし、調べていくと、本作の新しさはジャンルの組み合わせだけではないことが分かります。

この映画には、デリクソン自身の子ども時代が強く反映されています。

監督は1978年、本作と同じノースデンバーで暮らす12歳の少年でした。暴力の多い地域と家庭で育ち、子ども時代の最も強い感情的な記憶は恐怖だったと語っています。

物語全体が、本当に子ども時代のトラウマについてのものなんだ。

Rue Morgue

デリクソンは、約3年間のセラピーを通して幼少期の暴力と向き合ったことが、本作を完成させるきっかけになったとも説明しています(SYFY WIRESlashFilm)。

原作短編は、誘拐された少年が黒電話を通じて死者の声を聞く物語でした。

そこへデリクソンが付け加えたのが、1978年の町、学校でのいじめ、家庭内暴力、そして兄妹の関係です。

つまり本作の恐怖は、グラバーが現れた瞬間に始まるのではありません。

フィニーとグウェンは、誘拐事件が起きる前から恐怖の中で暮らしています。

この日常を描いたことで、グラバーは突然現れた唯一の怪物ではなく、子どもたちが生きる暴力的な世界の延長として見えてきます。

鉄板設定が新しく見える理由は、組み合わせの巧さだけではありません。

1978年の空気と、恐怖と一緒に育った子どもの実感。その具体性が、定型に血肉を与えているのです。

ホラーは、恐怖を祓うための道具

デリクソンにとって、ホラーというジャンルを選ぶこと自体にも意味があります。

こうした映画を作ることはカタルシスであり、不安や恐怖を生み出すのではなく、外へ追い出す営みなのだと語っています(TIME)。

カーギルも、本作の主要なテーマを「子どもの回復力」だと説明しています(Creative Screenwriting)。

フィニーは、恐怖を感じなくなるわけではありません。

電話の声に助けられながら、怖いまま一つずつ行動を起こします。

怖がらせて終わるのではなく、恐怖の中でも動けることを描く。

幽霊を助ける側に回した反転は、この主題を成立させるための仕掛けでもありました。

キャラクター造形|トラウマへの、三つの応答

フィニー——受け身の子が、行動する側へ

主人公フィニーは、いじめと家庭内暴力にさらされた「受け身の子」として登場します。

学校では殴られ、家では父親の機嫌をうかがう。危険を避けるためには、目立たず、抵抗しない方がよいと学んできた少年です。

カーギルは、フィニーが地下室へ連れ去られるまでの約30分を使い、観客が彼を好きになり、助かってほしいと思えるようにしたと説明しています(Creative Screenwriting)。

前半の日常があるからこそ、地下室での変化が効いてきます。

死者たちは、それぞれ異なる方法をフィニーに教えます。

壁を掘る。窓へ手を伸ばす。電話のコードを使う。床に罠を作る。

しかし、誰か一人の方法だけでは逃げられません。

フィニーは、死者たちが残した失敗を自分なりに組み合わせ、少しずつ行動する側へ変わっていきます。

彼が手に入れるのは、恐怖を消す魔法ではありません。

それまで自分にはないと思っていた、考え、試し、抵抗する力です。

演じたメイソン・テムズにとって、本作は長編映画デビュー作でした。デリクソンは、その演技を「文字どおり完璧」と評しています(SlashFilm)。

グウェン——祈り、悪態をつき、走る妹

妹のグウェンは、この映画のもう一人の主人公です。

夢で事件の断片を見る「霊感少女」ですが、超自然の力が答えをすべて教えてくれるわけではありません。

断片的な夢を手がかりに、自分の足で町を走り回り、警察にも意見し、兄を捜し続けます。

口が悪く、いじめっ子にも大人にもひるまない。フィニーが恐怖を避けようとする少年なら、グウェンは恐怖へ正面から向かっていく少女です。

一方で、彼女は神に祈ります。

そして、祈っても兄の居場所が分からなければ、神に怒りをぶつけます。カーギルは、この神への怒りを重要な場面として挙げています(Creative Screenwriting)。

グウェンにとって、信じることは答えを待つことではありません。

祈りながら、自分でも動き続けることです。

地下室の中で戦うフィニーと、外の世界で走り続けるグウェン。

兄妹の二つの行動が並行することで、物語は監禁された少年だけの閉じた話にならず、外へ向かって進んでいきます。

グラバー——背景を語られない怪物

イーサン・ホーク演じる誘拐犯グラバーには、過去の説明がほとんどありません。

なぜ子どもを誘拐するのか。なぜマスクを着けるのか。地下室で行う「ゲーム」はいつ始まったのか。

映画は、その答えを示しません。

デリクソンは、悪役を一つの過去の出来事によって説明することを避けたと語っています。人間が怪物になる理由を単純な原因へ還元すると、かえって恐ろしさが失われると考えたからです(SYFY WIRESlashFilm)。

説明はしない。しかし、単なる超自然の怪物でもありません。

グラバーは現実の人間であり、子どもたちの身近な世界へ入り込んでくる存在です。

本作には、地下室の外にも暴力があります。

学校のいじめっ子。家庭で子どもを殴る父親。そして、子どもを誘拐するグラバー。

規模は異なっても、力の強い者が弱い者を支配するという点ではつながっています。

フィニーとグウェンは、恐怖の中で他者とつながり、行動することでそこから抜け出そうとします。

一方のグラバーは、他者を支配することでしか自分を保てません。

本作が描くのは、トラウマの原因を説明することではなく、恐怖や暴力に対して人がどの方向へ進むのかという違いなのだと思います。

映画技法|マスク、8ミリ、そして地下室

分割式マスク——顔を隠す道具が、表情の道具になる

グラバーのマスクは、本作を象徴する視覚的なアイコンです。

制作したのは、特殊メイクのトム・サヴィーニとジェイソン・ベイカー。デリクソンが示した参照点は、映画『笑ふ男』(1928年)でした(Looper)。

マスクは目元と口元を別々に着脱できる分割式です。

笑った口。下向きの口。目を隠した顔。場面によって組み合わせを変えることで、同じマスクが異なる表情を見せます。

通常、マスクは俳優の表情を隠すものです。

本作では逆に、マスクを付け替えること自体が感情表現になっています。

イーサン・ホークは素顔をほとんど見せません。それでも、声、姿勢、マスクの組み合わせによって、グラバーの機嫌や危険の度合いが伝わります。

背景を説明しない脚本方針と、素顔を見せない造形が一致しているのです。

サヴィーニには、子どもを犠牲者として搾取する映画には関わらないという個人的な方針があったそうです。

それでも本作を引き受けたのは、子どもたちを一方的な犠牲者ではなく、互いにつながり、力を取り戻す集団として描いていたからだと、原作者ジョー・ヒルが説明しています(Looper)。

子どもがひどい目に遭う映画と、子どもが生き延びる力を描く映画は違う。

この逸話は、本作が守ろうとした一線を示しています。

スーパー8の夢——記憶の質感を、フォーマットで作る

グウェンの夢の場面は、スーパー8フィルムで撮影されています。

撮影監督ブレット・ユトキービッチによれば、後から映像を加工したのではなく、脚本の段階から夢の場面はスーパー8で撮ると決められていました(Deep Fried Movies)。

粒子が粗く、汚れのある映像は、古いホームムービーのように見えます。

そこに映るのは、グウェン自身が見たことのない事件の断片です。

現実の記録のようでありながら、どこか欠けている。記憶のようでありながら、本人の記憶ではない。

スーパー8というフォーマットが、夢と記録の中間にある不安定な感触を作っています。

同時に、1978年という時代設定とも自然につながります。

映像へ古さを加えるのではなく、当時使われていた撮影方式そのものを用いることで、夢を時代の中へ埋め込んでいるのです。

地下室——光の主導権まで奪われる空間

物語の後半は、大部分が一つの地下室で進みます。

長時間同じ場所を映すため、画面が単調になる危険があります。

撮影監督のユトキービッチは、毎回同じ場所に見えない動的な空間にする必要があったと語っています。

そこで考えられたのが、地下室の照明をグラバーが外から操作するという仕掛けでした(Deep Fried Movies)。

フィニーには、明かりを点ける自由すらありません。

光が点くか、暗闇になるかは、すべてグラバーが決めます。

二人の力関係が、照明の設計そのものに書き込まれているのです。

同じ地下室でも、昼と夜、電話が鳴るとき、グラバーが入ってくるときで、光の状態が変わります。

空間を増やすのではなく、光を変えることで、一つの部屋に複数の表情を与えています。

デリクソンのホラー演出は、すべてを見せる方向には進みません。

ホラーはコメディと同じくタイミングが重要であり、観客を最も怖がらせるのは、目の前に見せるものではなく、頭の中に浮かばせるものだと語っています(SlashFilm)。

本作を象徴する恐怖も、血まみれの映像ではありません。

何も動いていない地下室で、鳴るはずのない電話が鳴る。

見えない相手の存在を、音だけで想像させる映画です。

まとめ|「新しい視点」の答え合わせ

冒頭の問いに戻ります。

ホラー×ファンタジーという鉄板設定を、本作はどのように新しく調理したのでしょうか。

答えは二段構えでした。

第一に、幽霊の役割を反転させたことです。

人間を脅かす存在として描かれがちな幽霊を、少年を助ける側へ回す。死者たちの失敗を、フィニーが生き延びるための道具へ変えています。

第二に、その反転を監督自身の子ども時代と結びつけたことです。

1978年のデンバー近郊。暴力のある家庭と地域。学校でのいじめ。恐怖と一緒に育った少年時代。

原作のシリアルキラーと幽霊の物語へ、デリクソン自身の記憶を加えたことで、映画は単なる脱出劇ではなく、子どもが恐怖に抗う物語になりました。

正確に言えば、本作の「ファンタジー」は異世界の魔法ではなく、死者と会話するゴーストストーリーの超自然です。

しかし、その超自然を怖がらせるためだけに使わず、子どもの回復力を描くために使い切った。

それが、本作の新しい視点だったのだと思います。

その設計は、商業的にも成功しました。

製作費約1,600万~1,800万ドルの本作は、世界興行収入約1億6,144万ドルを記録しています(Box Office Mojo)。

明快な設定と強い視覚的アイコンを持つ中規模ホラーを作り、観客を集める。ブラムハウスらしい成功例です。

そして本作から4年後を描く続編、『ブラックフォン 2』も2025年に公開されました。

完結していたように見えた物語を、どのように続けたのか。その話は別の記事に譲ります。

まずは、鳴るはずのない電話が鳴る瞬間を、予備知識なしで浴びてください。

参考資料