映画『スマッシング・マシーン』|最強の男が、負け方を覚えるまで

正直に書きます。

私はこの映画を、肉体では無敵のプロレスラーが、家族とともに病と闘う物語だと思っていました。予告編を観て、勝手にそう思い込んでいたのです。

ところが、まったく違いました。

2025年公開の『スマッシング・マシーン』(The Smashing Machine)が描くのは、マーク・ケアーという実在の総合格闘家です。格闘技ファンの間ではよく知られた人物だそうですが、私は格闘技をまったく知りません。ケアーの名前も、本作で初めて知りました。

映画『スマッシング・マシーン』

そこで、いつもの三つの切り口から観ることにしました。テーマ、キャラクター造形、映画技法です。

この記事では、格闘技の知識がゼロの視点から本作を読み解きます。あわせて、「予備知識なしで観ても楽しめる映画なのか」という疑問にも答えます。

先に結論を書くと、まったく問題ありません。むしろ本作は、格闘技を知らない観客も入っていけるように作られています。

監督・脚本・編集はベニー・サフディ。『グッド・タイム』や『アンカット・ダイヤモンド』を兄ジョシュと共同監督してきた人物です。2024年に兄弟が別々の道を歩み始め、本作がベニーにとって初の単独長編監督作となりました(ジョシュ・サフディは2025年『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』を監督)。その作品で、ヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞しています。

製作はA24。日本では2026年5月15日に、ハピネットファントムの配給で公開されました(日本公式サイト)。

ネタバレについて

この記事では、物語の核心まで扱います。

結末だけでなく、エンドクレジット前のエピローグにも触れます。未見の方はご注意ください。

あらすじ|無敗の王者が、敗北を受け入れるまで

物語は1997年に始まります。

マーク・ケアー(ドウェイン・ジョンソン)は、アメリカの総合格闘技団体UFCで無敗を誇る王者です。やがて主戦場を、日本の総合格闘技イベントPRIDEへと移していきます。

恋人のドーン(エミリー・ブラント)と暮らすケアーは、穏やかで物腰の柔らかい男です。

しかし、戦い続ける身体は限界に近づいていました。ケアーは鎮痛剤への依存を深め、1999年、敗北を喫した翌朝に薬物の過剰摂取で倒れます(英語版Wikipedia)。

リハビリ施設に入ったケアーは、復帰に向けて再起します。一方、ドーンとの関係は、支え合いと衝突の間で揺れ続けます。やがて二人は別れ、ドーンは自殺未遂に至ります。

動揺を抱えたまま日本での試合に臨んだケアーは、惨敗します。

そして2000年、PRIDEのグランプリ大会。優勝するのはケアーではなく、彼が励まし続けた盟友マーク・コールマンです。

ケアーは敗者としてシャワー室に立ち、笑みを浮かべながら、その結果を受け入れます。

エピローグには、現在のマーク・ケアー本人が登場します。映画で描かれた敗北の10日後、彼がドーンと結婚したことも字幕で明かされます。

テーマ|勝利のカタルシスを、最初から捨てている

敗北を受け入れる物語

あらすじを読んで、気づいた方もいると思います。

この映画には、スポーツ映画の定番である「最後の勝利」がありません。

主人公は最後の大会で優勝しません。優勝するのは友人のほうです。主人公は負けたまま、それでも笑って物語を終えます。

日本版のキャッチコピーは、「“最強の男”が敗北の果てに踏み出す魂の一歩」です(日本公式サイト)。

宣伝の段階から、本作は勝つ物語ではなく、敗北を受け入れる物語だと告げていたことになります。

サフディ監督は、観客に持ち帰ってほしいものを次のように語っています。

人生は大丈夫だ、ということ。楽観でも共感でもいい。それを自分の毎日に持ち出してほしい。

Forbes

「病気との闘いに勝つ話」を予想していた私の思い込みは、二重に外れていました。

ケアーが向き合うのは、私が想像したような病気ではなく、鎮痛剤への依存や、自分自身の弱さです。そしてこの映画は、そもそも「勝つこと」を最終的な目標にしていません。

負けても人生は続く。その事実を受け入れることが、本作における勝利なのです。

無敵の身体と、壊れやすい内面

監督がケアーという人物に惹かれた理由は、はっきり語られています。

あれほど傷つきやすく、物腰の柔らかい人間が、同時に、リングに入れば5秒で相手を破壊できるマシンでもある。

Forbes

この矛盾は、主演俳優にも重ねられています。

サフディはジョンソンについて、一見すると無敵の大男に見えるが、内側はとても壊れやすい人物だと語っています(同記事)。

「ザ・ロック」ことドウェイン・ジョンソンは、元プロレスラーの映画スターです。振り返ってみると、私が予告編から「無敵のプロレスラーの物語」を連想したのは、ケアーではなく、ジョンソンのイメージに引っ張られていたからでしょう。

本作は、その思い込みごと崩していきます。

最強に見える男の内側を開くこと。それはケアーの物語であると同時に、ドウェイン・ジョンソンという俳優のイメージを解体する試みでもありました。

格闘技を知らない観客も想定されている

私のような観客は、この映画にとって想定外ではないようです。

サフディ監督は、試合場面の位置づけを次のように説明しています。

リングの中の彼らを見る前に、人としての彼らに観客をつなげたかった。そうすれば、実際に試合を見るときに、まったく違う視点で見ることになる。

ABCニュース

つまり本作は、試合の再現よりも、試合の前後にある生活や感情を優先しています。

格闘技の予備知識は、この映画を観るための条件ではありません。テーマとキャラクターと技法から観るという私の方法は、結果的に、監督が用意した入り口から作品に入っただけでした。

キャラクター造形|負ける男、支える人、勝つ友人

マーク・ケアー|5秒で人を破壊できる、優しい男

本作のケアーは、強さではなく、優しさを芯に持つ人物として描かれています。

米国の批評サイトMashableのレビューは、ケアーが子どもに自分の仕事を説明する場面における「優しい身体性」を、ジョンソンの演技の白眉として挙げています(Mashable)。

巨大な身体を小さく折り畳むようにして、穏やかに語りかける男。その同じ身体が、リングに上がれば相手を打ち倒します。

強さと優しさを一つの身体に共存させた人物造形が、「無敵の身体と壊れやすい内面」という本作のテーマを、そのまま背負っています。

ドーン・ステイプルス|支えであり、傷つけ合う相手でもある

エミリー・ブラントが演じるドーンは、ケアーの恋人です。

二人の関係は、単純な「選手を支える家族」としては描かれません。

互いに支え合いながら、同時に傷つけ合う。ドーンはケアーの依存と回復に深く関わりながら、彼女自身もまた追い詰められていきます。

サフディはブラントの起用について、『オッペンハイマー』で仕事をした経験に加え、ジョンソンとの間にすでに友情があったことを理由に挙げています。この二人を演じるためには、「深い愛と友情」が必要だったと説明しています(Forbes)。

一方、Mashableはドーンを「報われない役」と評し、人物像が類型的だと批判しています。

ケアーの内面が丁寧に描かれる一方で、ドーンがなぜそこまで追い詰められたのかは、十分に掘り下げられていません。彼女が一人の人物というより、ケアーの不安定さを映す存在にとどまっているように見える点は、本作の弱さでしょう。

マーク・コールマンとバス・ルッテン|敵であり、友でもある人たち

本作で、恋人との関係と同じくらい印象に残るのが、格闘家同士の友情です。

盟友マーク・コールマンは、ケアーのライバルであり、依存からの回復を促す友人でもあります。

最後の大会で優勝するのはコールマンです。敗者となったケアーが、勝者となった友人を祝福する。その構図が、この映画の結論になっています。

サフディ監督は、リングでは戦う者同士が、その外では深い友情を保っているという矛盾に惹かれたと語っています(Forbes)。

配役にも、興味深い仕掛けがあります。

ケアーを指導するコーチ、バス・ルッテンを演じているのは、バス・ルッテン本人です。当時実際にケアーを指導していた人物が、四半世紀後の映画で自分自身を演じています(DiscussingFilm)。

映画技法|本物を混ぜて、信じさせる

別人になるための顔と、その代償

ジョンソンは本作で、特殊メイクによって別人の顔になっています。

担当したのは、特殊メイクアップアーティストのカズ・ヒロ。23個の顔面パーツを、毎日4時間かけて装着したそうです(Screen Daily)。

ジョンソン本人は、この変身を次のように振り返っています。

キャリアを通じて「お前は絶対に別人には見えない」と言われてきた。今は、誰かの皮膚の中にいるということの意味が分かる。

Screen Daily

ただし、このメイクには批判もあります。

Mashableは、メイクによって眉の上に影が生まれ、ジョンソンの目が隠れてしまうと指摘しました。繊細な感情表現を見せる映画でありながら、肝心の目が見えにくい場面がある、という批判です(Mashable)。

変身の完成度と、感情表現を妨げる危険性。同じメイクが正反対の評価を受けているのは、この映画の性格をよく表しています。

本作は、派手なスペクタクルではなく、男の顔に浮かぶ感情を見せようとする映画です。だからこそ、顔を変える特殊メイクの効果と限界が、大きな論点になります。

対戦相手は、本物の格闘家

試合場面の説得力は、配役によって支えられています。

コールマン役は、元Bellator王者のライアン・ベイダー。対戦相手のイーゴリ・ボブチャンチン役は、ボクシングの統一世界ヘビー級王者オレクサンドル・ウシクです。日本からは石井慧も出演しています。

サフディ監督は、この起用方針を次のように語っています。

彼らは非俳優ではない。初めての俳優なだけだ。

DiscussingFilm

同じインタビューで監督は、試合と人間関係の両方を誠実に描くためには、本物の経験者が必要だったとも説明しています。

格闘技を知らない私にも、リング上の身体の重さは画面から伝わってきました。

俳優に格闘家らしい動きを覚えさせるのではなく、実際に戦ってきた身体を撮る。その選択が、観客に不足している予備知識を、映像そのもので補っています。

記録映像のような画面

本作は主に16mmフィルムで撮影され、一部に70mmとVHSの映像が混ぜられています(英語版Wikipedia)。

原案となったのが2002年のHBOドキュメンタリーであることを考えると、粒子の粗い画面は、当時の記録映像の質感を引き継ぐための選択に見えます。

この点について、監督本人による明確な説明は確認できませんでした。ここは私自身の解釈です。

なお、編集もサフディ監督自身が担当しています。兄ジョシュとの共同制作で担っていた役割を、本作では一人で引き受けたことになります。

まとめ|期待と違ったことが、この映画の証明だった

冒頭の思い込みに戻ります。

「無敵のプロレスラーが病気と闘う感動作」という私の予想は、外れました。

実際に描かれていたのは、鎮痛剤への依存、壊れていく恋人との関係、そして敗北を受け入れようとする男の姿です。

本作は批評面で高く評価されました。ヴェネチア国際映画祭では監督賞を受賞し、ジョンソンはキャリア初のゴールデングローブ賞ノミネートを果たしています。

一方、興行では大きく苦戦しました。製作費5,000万ドルに対し、世界興行収入は2,110万ドル。公開週末の成績は、ジョンソン主演作として最低だったと報じられています(英語版Wikipedia)。

興行不振の理由を、作品と観客の期待のずれだけで説明することはできません。

ただし、「ザ・ロックの映画」から連想される派手な娯楽作と、実際の静かで内省的な作品との間に、距離があった可能性はあります。少なくとも、予告編からまったく違う映画を想像した私は、その距離を実感した観客の一人です。

それでも、格闘技の予備知識がない私が置き去りにされることはありませんでした。

本作には、敗北を受け入れるというテーマ、強さと優しさを同居させたキャラクター造形、本物の格闘家や記録映像の質感を取り入れた映画技法という、三つの入り口があります。

監督自身が、リング上の選手を見せる前に、まず一人の人間として観客とつなげようとしているからです。

最強の男が見せてくれるのは、勝ち方ではありません。

負けても立ち上がり、人生を続ける方法です。

予告編から抱いた思い込みを裏切られたことは、結果的に、この映画が狙いどおりに作られていることの証明でした。

参考資料