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  • 書評|米国民主党再建のカギは、地道な組織化|”This Is the Plan” by Ben Wikler

    書評|米国民主党再建のカギは、地道な組織化|”This Is the Plan” by Ben Wikler

    アメリカのリベラルは逆風の中にあります。党内から、自分たちのやり方を見直すよう求める本が相次いで出ています。ニューヨーク・タイムズのコラムニストEzra Kleinの共著『Abundance』もその一冊です。今回紹介するBen Wiklerによる『This Is the Plan』もその流れにあります。Ezra KleinはBen Wiklerとの対談で、本書の議論が、自分が『Abundance』で書いたことと重なると述べました。

    対談では、政党そのものが弱っているという話も出ます。「民主党」という言葉には、輪郭の曖昧な支持者の集まりと、公式の党組織という二つの意味があります。本書が扱うのは後者、州の党組織です。

    題名が『これがプランだ(This Is the Plan)』ですから、読者は具体策の一覧を期待して本を開きます。ところが、著者が「プラン」と呼んでいるのは、そうした一覧ではありません。

    講演での本人の説明はこうです。11月に連邦下院と上院、そして州知事職と州議会で勝ち、2028年の選挙運営を相手側に握らせない状態をつくる。2028年には大統領選と上下両院で勝つ。そのうえで、選挙のルールを自分たちに有利に決めて権力を維持するやり方をやめ、これまでよりよい民主主義をつくる。この一連の段取りが「プラン」です。

    制度改革についても書かれています。全米で最も多くの票を得た候補に各州の選挙人票を割り当てる州間協定、フィリバスター(連邦上院で少数派が採決を止められる仕組み)の廃止または改革など、5点が挙げられています。ただし、これらは「プラン」を実現した先にある改革です。

    Publishers Weeklyの2026年4月の書評によれば、本書の力点は制度改革ではなく、人と人とのつながりをつくる組織化にあります。50州を一括りにした戦略ではなく、州ごとに一つずつ、50通りの戦略をつくる必要がある、というのが本書の主張だとも書かれています。

    著者のBen Wiklerは、ウィスコンシン州民主党の委員長を2019年から2025年まで務めた人です。委員長は、州の党組織を運営し、資金を集め、選挙に必要な人員を整える役職です。2025年2月には民主党全国委員会の委員長選に立候補し、Ken Martinに敗れました。本書が初の単著で、2026年7月21日にW. W. Nortonから刊行されています。11月の中間選挙に向けて各党が動くさなかの刊行です。

    地道な組織化が、接戦の選挙を動かす

    本書の中心はウィスコンシンです。この州では、選挙がわずかな差で決まってきました。いわゆるスイング・ステートです。

    著者は2024年の大統領選について、ウィスコンシン、ミシガン、ペンシルベニアの3州で約11万5,000票、投票総数の0.1%ほどが動いていればハリスが勝っていた、と述べています。選挙を運営するのは州なので、州政府を押さえることが独裁を防ぐうえで最も重要になる。そう述べて、この3州にミネソタ、アリゾナ、ニューハンプシャー、ネバダを加えた7州を名指ししています。ただし、ウィスコンシンでの成功が他州でも通用するのかを検証した書評は、確認できた範囲では見つかりませんでした。

    刊行の翌週、サンフランシスコのCommonwealth Clubで行われた講演で、Wiklerはこの州で何が起きたかを説明しています。

    まず挙げたのは、州共和党が何をしてきたかです。共和党は2011年に法律を成立させ、公務員労組から団体交渉の権利を奪いました。公務員の労働組合はウィスコンシンで生まれました。

    同じ年には、ある判事が「この州を全米で最も投票しにくい州にした」と評した州法を成立させ、共和党の全国的な計画の一環として選挙区を極端に引き直しました。民間部門の労働組合からも同じ権利を奪ったのは2015年です。

    この選挙区割りによって、得票率と議席の割合が大きくずれました。ウィスコンシンでは州最高裁の判事も選挙で選ばれます。当時、右派が多数を占めていた州最高裁は、これらの法律と選挙区の引き直しを認めました。その選挙区割りは、のちに是正されています。この是正によって、民主党は今年、知事職と州議会の両院を狙える状況になっています。

    巻き返しの出発点は2016年です。この年の大統領選で、民主党はウィスコンシンをトランプに奪われました。勝敗を分けた州でした。

    当時の州民主党は、大統領選の年だけ人を集めるやり方を改め、選挙のない年も活動を続けるようにしました。特定の候補のためではなく、州で行われるすべての選挙のためです。選挙がまだ遠いうちから資金も集めました。

    州民主党が雇った組織化の担当者は、戸別訪問をしませんでした。カフェで人に会い、地元チームのリーダーになってくれないかと頼みました。友人を何人か誘って、チームを立ち上げてほしい、という頼み方です。

    「組織化は、私たち一人ひとりが持っている力です」とWiklerは言います。ただし、組織化でできることには限界もあります。

    「組織化で、大差で負ける選挙を勝ちに変えることはできません。ですが、あと少しで負ける選挙を、1ポイント差の勝ちに変えることはできます」

    2018年、この方法によってTony Eversが知事選に勝った、とWiklerは説明します。差は1.1ポイントでした。Wiklerが委員長に選ばれたのは、その翌年です。彼はこの進め方を引き継ぎました。

    なぜ、知り合いを通じて働きかけるのでしょうか。

    刊行日にワシントンで行われた対談で、Wiklerはこう説明しています。

    「有権者のもとには、広告が次から次へと届きます。迷っている人は、そのどれも信じなくなります。全部を聞き流します。けれども、自分が知っていて信頼している相手から声をかけられれば、その人は耳を傾けます」

    ウィスコンシンでは、誰が投票に行ったかが公の記録に残ります。どの候補に投票したかまでは分かりません。州の選挙管理委員会に請求すれば、この記録は誰でも入手できます。公開される情報の範囲は州によって異なります。

    州民主党は、この記録を活用するアプリを用意しています。ボランティアがアプリに自分のスマートフォンの連絡先を読み込ませると、知り合いのうち、ここ数年の選挙で投票していない人が表示されます。あとは、その人に声をかけます。

    Wiklerはこう続けます。

    「政治広告に使われる資金は、すべてこのデータを前提にしています。誰が最も態度を決めかねている有権者かを特定しようと、誰もが躍起になっています。ですが、その迷っている有権者が信頼している人であれば、あなたの言葉には大きな重みがあります」

    これを、知り合いを通じた組織化と呼びます。

    2025年の州最高裁判事選のとき、Elon Muskはウィスコンシンに来て、自ら請願書を用意し、友人を誘って署名させた人に報酬を支払いました。

    Wiklerの評価は厳しいです。

    「彼は、知り合いを通じた組織化を金で買おうとしたのです。おそらく彼のコンサルタントの誰かが、この種の研究論文を読んだのでしょう」

    共和党はいま、この手法に多額の資金を投じているが、最も効果が大きいのは、人々がボランティアとして自発的に動くときだ、とWiklerは続けています。

    本書が扱うのは組織の動かし方で、何を訴えるかではない

    本書を紹介する文章は、どれも明るい調子で書かれています。

    出版社は紹介文で、著者を過去10年で屈指の成果を挙げた民主党の選挙戦略家と呼び、映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』の一節を引いています。

    「城攻めを楽しんで。ただし穏当に、あくまで比喩として、1月6日のような真似はせずに」

    この映画は1987年の作品で、アメリカでは広く親しまれています。1月6日は、2021年にトランプ支持者が連邦議会議事堂に押し入った日です。

    推薦者は党内の中道派から進歩派まで幅広くいます。一方の派閥だけが推している本ではありません。

    ただ、書かれている作業そのものは簡単ではありません。一つひとつは地味ですが、量は多く、長い時間がかかります。明るく書かれていても、実際に動く人の負担が軽くなるわけではありません。

    The Progressiveに掲載された書評では、評者がその明るさに留保をつけています。調べたかぎり、専門媒体の書評で本書に具体的な注文をつけていたのはこれだけでした。

    評者のMary Beth Markleinは、本書をどこまでも楽観的だと評し、人を奮い立たせる檄文のようでもあり、実際に動く人のための手引きでもある、と位置づけています。

    そのうえで4点の注文を挙げています。街頭行動についての記述が少ないこと、ユーモアが多すぎること、実務の情報が本のあちこちに散らばっていて一覧も索引もないこと、そして「プラン」自体に改訂が必要なこと。

    ここで重要なのは4点目です。事態の深刻さを考えると、いまの「プラン」では足りない、という指摘です。

    本書に書かれていないことは、著者自身が語っています。

    冒頭で触れた対談で、Kleinはこう問いました。

    「本を読みながら引っかかったことがあります。この本は組織化についての本で、あなたは昔から組織を作ってきた人です。ですが組織化には、組織を動かす仕組みと戦略があると同時に、売り物そのものがあります。どう売るかより、何を売っているかのほうが大事です」

    Kleinは続けて、道路を直し、行政の手続きを滞りなく進め、価値観をめぐる争いには深入りしない、激戦州で勝ってきた民主党の政治家たちを挙げました。

    そのうえで、同じ激戦州から違う訴え方をする候補が出てきているとして、ミシガンのAbdul El-SayedとウィスコンシンのFrancesca Hongの2人の名前を出しました。

    著者は二つの点から答えます。

    一つ目は、民主社会主義者から中道派まで候補者を並べてみても、今回の選挙で掲げる中心的な訴えは、暮らしの負担を下げるという点でほぼ一致している、という答えです。外交政策や医療制度のあり方では意見が食い違うものの、選挙で前面に出す訴えは重なっている、と答えました。

    二つ目は、選挙で前面に出す訴えは、党組織が押しつけたり作り出したりできるものではない、という答えです。その党がどのような党なのかは、当選した候補者がその後どう動き、何を語るかで決まるからだ、と述べました。

    有権者に何を訴えるかを決めるのは、自分の仕事ではないということです。本書は組織の動かし方を書いた本で、何を訴えるかを決める本ではない。著者はそう答えました。

    KleinがHongの名を挙げたのは7月28日、ウィスコンシンの予備選の2週間前でした。

    本書の方法が試されるのは、11月3日のウィスコンシン州知事選

    本書が出た3週間後の2026年8月11日、ウィスコンシン州知事選の民主党予備選がありました。Evers知事が2025年夏に再選を目指さないと表明していたため、多くの候補者が立候補しました。

    勝ったのはDavid Crowleyです。ミルウォーキー郡の郡長を務めています。郡の行政の長にあたる役職です。党内では中道に位置し、当選すればウィスコンシン州で初の黒人知事になります。

    得票率は39.8%で、民主社会主義者を名乗る州議会下院議員Francesca Hongとの差は0.5ポイント、票数では4,000票弱でした。8月12日朝、開票率が95%を超えた時点の数字です。

    ここで注意が必要です。これは本書の方法が試された選挙ではありません。

    予備選は民主党の中で候補者を選ぶ争いで、どちらが勝っても民主党の候補になります。著者が説いているのは、本選で共和党に勝つための方法です。Wiklerも州民主党で顧問を務める立場から、どちらを支持するかは明らかにしませんでした。

    本書の方法が試されるのは、11月3日です。Crowleyと、共和党のTom Tiffany連邦下院議員の争いになります。

    著者が、組織化によって結果を変えられると述べたのは、あと少しで負けるような僅差の選挙です。11月3日の知事選は、まさにその範囲に入る選挙になります。

    何年もかけて人に会い、協力を頼み続ける活動が、実際に票へ結びつくのか。答えが出るのは11月3日です。

    リベラルが逆境にあるのは、アメリカだけでなく世界的な潮流のような気もします。日本もその中にいます。日本のリベラルの再建策はどのようなものになるのでしょうか。

    参考リンク

    • https://wwnorton.com/books/this-is-the-plan — 出版社の書籍ページ
    • https://www.publishersweekly.com/9781324131434 — Publishers Weekly の書評
    • https://progressive.org/latest/ben-wikler-roadmap-for-success-marklein-20260730/ — The Progressive の書評
    • https://www.benwikler.com/p/this-is-the-plan-how-to-end-americas — 著者による刊行の告知
    • https://catapultsuplex.com/entry/abundance/
    • https://www.nytimes.com/2026/07/28/opinion/ezra-klein-podcast-ben-wikler.html
    • https://www.youtube.com/watch?v=7v9pvuSf4Qg
    • https://www.youtube.com/watch?v=9R_m1-6h0cA
    • https://pbswisconsin.org/news-item/recapping-wisconsins-2026-primary-election-for-governor/
    • https://www.nytimes.com/2026/08/12/us/politics/crowley-hong-wisconsin-governor-primary-polls.html
    • https://docs.legis.wisconsin.gov/misc/lc/issue_briefs/2022/elections/voter_information_kbo_2022_04_07 — ウィスコンシン州議会法制局「Voter Information as Public Record」
    • https://elections.wi.gov/clerks/svrs/voter-data — ウィスコンシン州選挙管理委員会「Voter Data」

  • 書評|中国はエンジニアが動かし——その見立ては当たっているか|”Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future” by Dan Wang

    書評|中国はエンジニアが動かし——その見立ては当たっているか|”Breakneck: China’s Quest to Engineer the Future” by Dan Wang

    中国の現場で著者が見たもの

    2021年の夏、上海で暮らしていたダン・ワンは、都市生活の閉塞感から離れるため、友人2人と自転車の旅に出ます。向かったのは、中国南西部の貴州省でした。貴州には昔からの言い回しがあります。「雨の降らない日が3日と続かず、平らな土地は3尺もなく、3枚の銀貨を持つ家もない」。それほど貧しい土地だ、という意味です。著者によれば、中国で4番目に貧しい省です。本書『Breakneck』は、この貴州への旅から始まります。

    "Breakneck: China's Quest to Engineer the Future" by Dan Wang

    ところが5日間走ってみると、道路はよく整備され、自転車で移動するには申し分のない環境でした。世界有数の高さを持つ橋が、貴州には45本ほどあります。大規模なデータセンターも建設され、高速鉄道も開通しました。かつて交通の便が悪かった地域から、市場や上海のような大都市へアクセスしやすくなっています。建設した時点では「どこにも通じていない橋」であっても、やがてその先に経済活動が生まれる。著者はそう説明します。

    ただし、代償もあります。貴州省をはじめとする地方政府は、こうしたインフラ建設で生じた巨額の債務を抱えています。橋によって生まれる経済活動だけでは、その返済を十分に賄えていません。

    著者が中国へ渡ったのは2017年初めです。調査会社ガベカル・ドラゴノミクスのテクノロジー・アナリストとして、香港に2年、北京に2年、上海に2年。2023年に中国を離れるまでの6年間を過ごしました。本書は、その間の見聞をもとに書かれています。

    著者が最も気に入った都市は上海でした。地下鉄網が充実し、市内の多くの場所から駅へ容易にアクセスできる。旧フランス租界の並木道が残り、公園も増え続けている。公園の数は、2020年の約500か所から2025年には約1,000か所になりました。

    著者は、こうした変化をサンフランシスコやロサンゼルスでの生活と対比します。米国の都市で目にする変化は、近所の店が入れ替わるといった程度にとどまる。一方、中国では過去40年、あるいは直近10年だけを見ても、都市の景観や交通網が目に見えて変化してきた。その環境で暮らしていると、「次も変わるだろう」という感覚を持つようになる。

    著者が中国で強く感じたのは、経済統計だけでは捉えにくい、この変化への期待でした。

    エンジニア国家と法律家社会

    著者が中国での6年間から持ち帰ったのは、現地の印象だけではありません。中国と米国の違いを捉えるための、一つの仮説です。

    米国のフーバー研究所での講演で、著者はその問題意識を次のように説明しています。今後数十年にわたって重要になる米中関係を、私たちは社会主義対資本主義、新自由主義対専制主義といった政治思想の言葉で捉えがちです。しかし、こうした概念の意味も歴史のなかで変化してきました。そこで、少し違う角度から両国を見てみようというわけです。

    著者が提示するのが、中国は「エンジニア国家(engineering state)」であり、米国は「法律家社会(lawyerly society)」であるという対比です。

    米国側の見立ては、エズラ・クラインとデレク・トンプソンの共著『Abundance』が米国の競争力低下の理由として論じたものと重なります。

    根拠の一つとして挙げるのが、政治指導者の経歴です。中国の最高意思決定機関である政治局常務委員会では、ある時期、9人の委員全員が工学の学位を持っていました。しかも、彼らが学んだのはソ連型の工学です。土木、機械、熱工学、水利など、ダムや発電所を実際に建設・運用するための分野でした。そうした教育を受けた人々が、国家の意思決定を担っていた。

    一方の米国について、著者は「大統領を目指すなら、まずイェール・ロースクールへ行く必要があるように見える」と冗談めかして表現します。初代ジョージ・ワシントンからエイブラハム・リンカーンまで、最初の16人の大統領のうち13人が法律家でした。直近10人の大統領では5人がロースクールを卒業しています。上院にも法律家出身者が多くいます。

    著者は、この違いを政策姿勢にも結びつけます。エンジニアは、社会の問題に対して何かをつくることで答えようとする。景気が悪化すれば橋や鉄道を建設し、新たな事業を立ち上げる。それに対して法律家は、権利、手続き、規制、訴訟を通じて事業に歯止めをかける。著者によれば、米国で後者の力が強まったのは1960年代以降です。環境影響評価などの制度が整備され、大規模な開発計画は幾重もの手続きを経なければ進まなくなりました。

    貴州の橋や上海の公園は、この見方に従えば、「まず建設する」ことを重視する政治体制から生まれたものとして理解できます。

    ただし、著者自身も、この仮説だけで中国を説明できるとは考えていません。著者は、中国を専制国家として理解することもできると述べ、その政治体制が決定的な影響を与えていることも認めています。「エンジニア国家」は、中国を見るための一つの視点にすぎない。文字どおりの分類としてではなく、両国の違いを考えるための枠組みとして使ってほしいとも説明しています。

    そのうえで、著者はエンジニア国家の利点を評価します。インフラが整備され、都市が変化し続けること自体には大きな価値がある。

    もちろん、相応の負担も伴います。コンクリートの生産は環境に負荷をかけ、三峡ダムのような大規模事業では膨大な数の住民が移転を余儀なくされました。それでも、生活環境が継続的に改善される社会では、「未来は現在より良くなる」という期待を持ちやすい。著者は、とりわけカリフォルニアの人々が、その感覚をもう少し取り戻してもよいのではないかと語っています。

    原子力発電所、橋、高速道路といったインフラを建設してきたことは、中国共産党が体制への支持を維持する基盤の一つにもなりました。政府が人々の求めるものを実際に提供してきた、と説明できるからです。

    社会をエンジニアリングするとどうなるか

    問題は、エンジニアリングの対象がインフラだけにとどまらないことです。同じ発想が社会そのものに向けられると、事態は大きく変わります。

    フーバー研究所での講演で、著者はエンジニア国家の利点を説明したあと、こう続けています。

    中国の問題は、社会のエンジニアもいることです。彼らはどうしても、人を建材の一つのように扱ってしまう。好きなように壊し、組み直してよいものとして扱ってしまうのです。

    (引用の訳は本稿の書き手によるものです。以下も同じです)

    著者が例として挙げるのは、少数民族への収容政策、宗教・文化への介入、戸籍制度、一人っ子政策、ゼロコロナです。一人っ子政策とゼロコロナは、ともに政策目標そのものが数字で表現されています。

    子どもは1人。感染者はゼロ。

    数値目標が絶対化され、その達成過程で生じる個人への影響が後景に退いた。著者はそこに、社会を工学的な最適化の対象として扱う発想を見ています。

    なかでも本書が詳しく扱うのが、一人っ子政策です。始まりは1970年代末でした。毛沢東の死後、中国の指導者となった鄧小平は、人口増加が経済発展を妨げることを懸念していました。

    そこへ登場したのが、ミサイルの制御工学を専門とし、サイバネティクスにも詳しい軍事科学者の宋健です。宋健は、ミサイルの軌道を数式で導くのと同じように、人口の推移もモデル化して思いどおりに動かせると考えました。そこから導き出されたのが、夫婦1組につき子ども1人という解でした。著者は、この発想を「エレガントな解」と表現しています。

    しかし、数式として簡潔であることと、社会政策として妥当であることは別です。中国の公式統計によれば、35年間で3億件を超える中絶が行われ、1億人の女性と2,500万人の男性が不妊手術を受けました。この数字には自発的なものも含まれ、強制された件数だけを示しているわけではありません。それでも、この政策が極めて大規模に実施されたという事実に変わりはありません。著者は、取り締まりがとりわけ農村部の女性に集中したとして、これを人道上の惨事と呼んでいます。

    著者の問題提起は、国家能力そのものに向かいます。人口を数理的な最適化問題として捉える発想があり、そこから導かれた政策を社会全体へ強制できる行政の力もあった。だからこそ一人っ子政策は実行できたのです。国家能力は、高ければ高いほどよいとは限らないのではないか。中国で6年間暮らした結果、著者は「国家能力が過剰になる場合もある」と考えるようになったと述べています。

    中国政治と経済を扱うポッドキャストChinaTalkでは、著者はさらに踏み込んでいます。中国共産党は、一人っ子政策によって「4億人の出生を回避した」と主張してきました。しかし著者によれば、この推計を受け入れない人口学者は少なくありません。中国の出生率は、一人っ子政策が始まる以前の1970年代からすでに急速に低下していました。一人っ子政策が出生率をさらに押し下げた効果は限られていた。それでいて甚大な人権侵害を伴った。そう評価する研究者もいると著者は紹介しています。

    「エンジニア国家」という言葉は、中国のインフラ建設能力を説明するだけではありません。インフラを数値目標によって設計する発想と、人口や社会を同じ最適化の対象として扱う発想。この二つが同じ政治体制のなかで共存しうることも、この言葉は示しています。著者は、中国の強さを説明するために提示した枠組みを、そのまま中国の危うさを説明するためにも使っています。

    評価は割れている

    本書の現地報告は、書評でもおおむね高く評価されています。人的犠牲を正面から書いている点を評価する評者も少なくありません。議論が分かれるのは、「エンジニア国家と法律家社会」という枠組みです。中国の建設力と米国の停滞を、本当に指導層の職業的背景から説明できるのか。主な反論は三つあります。

    第一は、歴史からの反論です。経済学者でブログ「Noahpinion」を書くノア・スミスは、法律家が政治の中心にいた19世紀から20世紀の米国が、実際には膨大なインフラを築き、数々の産業を生み出したことを指摘します。大陸横断鉄道、フォード、GM、州間高速道路、郊外住宅。当時から政治指導層には法律家が多くいましたが、建設や工業化は止まりませんでした。

    米国の政治評論誌The Republicのメアリー・ジュリア・コックも、同じ問題を歴史から指摘します。19世紀前半に米国を訪れ、『アメリカのデモクラシー』を書いたトクヴィルは、すでに法律家を米国で最も有力な階級の一つとして描いていました。トクヴィルが訪れたのは、米国が急速に工業化していた時期でもあります。だとすれば、1960年代以降に米国の建設能力が変化したとしても、「法律家が政治の中心にいること」だけでは説明できません。

    第二は、発展段階からの反論です。発展途上の国では、成長のために資源を動員し、インフラを整備する必要があります。一方、豊かになった国では、既存の資源をどう配分し、権利や環境をどう調整するかが重要になります。この変化は、政治家が工学部出身か法学部出身かとは関係なく起きるのではないか。スミスは、これは豊かな国に共通する現象かもしれないと指摘します。

    英国の書評誌Literary Reviewに寄稿した経済学者リンダ・ユーも、本書が最も説得力を持つのは、現代中国を19世紀末の米国と比較する部分だと評価しています。主要国がサービス業中心の経済へ移行するにつれて建設や製造の比重が低下するのであれば、中国と米国の違いは国家の性格ではなく、経済発展の段階によるものかもしれません。

    第三は、東アジアの他国からの反論です。これは「エンジニア国家」という仮説に、最も厳しい問いを突きつけます。

    経済学者タイラー・コーエンは著者との対談で、製造業に強く、質の高い社会基盤を築いてきた他の東アジア諸国を挙げました。台湾、韓国、シンガポールです。これらの国や地域では、必ずしもエンジニア出身の政治家が統治してきたわけではありません。シンガポールのリー・クアンユーも法律家でした。

    コーエンは、こう問いかけます。

    シンガポールは、挙げた国の中でおそらく最もうまくやっています。中国よりはるかに豊かで、中国に手本を与えました。効いているのがエンジニアだと考えるべき理由は何でしょうか。東アジアであること、そしてこれらの地域に付随するいくつもの事実のほうではないのですか。

    著者は、日本の指導層にも法律家が多いと応じ、香港を統治していた英国の官僚も例に挙げます。そのうえで、中国が近隣の東アジア諸国よりはるかに大規模な成果を上げてきたこと自体が、エンジニアという要因の重要性を示していると主張します。

    これに対してコーエンは、一人あたりの指標を持ち出します。

    中国ははるかに、はるかに貧しいのです。一人あたりの製造業生産では、これらの国のほうがずっとうまくいっています。

    この論点では、コーエンの指摘には説得力があります。中国の人口は台湾のおよそ60倍、日本の11倍あります。国家の統治方法が経済的な成果につながっているかを測るのであれば、人口規模の影響を強く受ける総量だけでなく、一人あたりの成果を見る必要があります。

    著者はその後、総量による比較を続けるのをやめ、説明の軸を変えます。中国の特徴は、共産党が作り上げた官僚制度と、そのなかで官僚に作用するインセンティブから説明できるのではないか。著者はそう述べています。

    さらに、東アジア諸国との違いを「社会そのものをエンジニアリングする度合い」に求めます。出生数を抑制する政策は、日本、韓国、台湾にもありました。しかし、中国ほど強制的な政策を農村部まで徹底した国はありません。感染症対策も東アジア各国で行われましたが、中国のゼロコロナ政策ははるかに強力でした。

    つまり著者は、中国を近隣諸国と分けるものを、単純な「建設能力」から、国家が社会へ介入する強度へと置き換えて説明します。これは、本稿で先に見た一人っ子政策やゼロコロナの議論とつながっています。

    中国の特殊性は、インフラを建設する能力だけではなく、同じ工学的な発想を社会や人間にまで適用できる国家能力にある。そう考えれば、「エンジニア国家」という枠組みには、なお説明力が残ります。ただし、少なくとも「中国が近隣諸国より多くを成し遂げたのだから、エンジニア出身の指導者が原因だ」という論証は弱くなります。

    重要なのは、こうした批判をしている評者たちも、本書そのものを低く評価しているわけではないことです。コーエンは本書をその年の最良の一冊かもしれないと評価し、スミスも中心的な仮説には疑問を呈しながら、重要で刺激的な本として推薦しています。

    仮説には疑問がある。しかし、本は読む価値がある。本書への評価は、この二つが両立したものになっています。

    もう一つの説明——プロセス・ナレッジ

    ここまで見てきたように、「エンジニア国家と法律家社会」という仮説には有力な反論があります。ただし、著者は以前から、中国の製造業の強さについて別の説明も提示してきました。自身のサイトに掲載した長い論考「技術はどう育つか」(How Technology Grows)で論じている、プロセス・ナレッジ(process knowledge)です。この議論では、政治指導者の職業的背景は問題になりません。

    著者は、技術的な知識を大きく三つに分けます。一つ目は、道具や機械そのものに組み込まれている知識です。料理なら、鍋、フライパン、コンロにあたります。二つ目は、文章として記録できる知識です。料理ならレシピです。そして三つ目は、文章だけでは十分に伝えられず、実際の作業を繰り返すことで身につく知識です。

    設備の整った厨房と詳細なレシピを与えられても、料理経験のない人が熟練した料理人と同じものを作れるわけではありません。製造業でも同じです。半導体のウェハーをどう保管するか。クリーンルームへどう持ち込むか。工程ごとの微妙な条件をどう調整するか。こうした知識の多くは、実際に製造を続けるなかで蓄積されます。

    これがプロセス・ナレッジです。マニュアルや設計図だけでは完全には記録できず、現場の技術者や労働者の経験として蓄積される知識や技能を指します。

    そして、この知識は製造を続けることでしか維持できません。工場がなくなり、人が離れれば、設備や設計図だけでなく、そこに蓄積されていたプロセス・ナレッジも失われていく。

    著者は、この見方を米国の製造業にも当てはめます。製造拠点を海外へ移転すると、単に工場や雇用が失われるだけではありません。量産時の問題を解決する経験や、生産規模を拡大する際の知識も失われます。自動化装置や工作機械に強い国の多くが、製造業を国内に残してきた国でもあるのは偶然ではない、と著者は考えます。製品を設計する技術者が、実際の製造工程と継続的に接することができるからです。

    著者はこの考え方から、中国の今後についても比較的強気です。経済ニュース番組Odd Lotsでは、中国経済には多くの問題があり、成長も鈍化していると認めたうえで、それでも製造業と技術は進歩し続ける可能性が高いと述べています。すでに膨大なプロセス・ナレッジが蓄積され、それを維持するための投資も続いているからです。

    中国の経済は減速していますし、経済にも政治にもあらゆる問題があります。それでも彼らは製造と技術では前に進み続けます。製造のプロセス・ナレッジを持っていて、それを押し進める投資も持っているからです。

    すでに起きている例として著者が挙げるのが、自動車産業です。中国メーカーの競争力向上によって、ドイツをはじめとする欧州の自動車産業が圧力を受けている。今後、その影響は東アジアの他国や米国にも広がる可能性があると著者は予測します。

    軍事や安全保障については専門外だと断ったうえで、より明確に見えているリスクとして、西側諸国の製造業への影響を挙げています。中国の技術力が高まり続ければ、米国中西部や欧州各地の製造業がさらに縮小し、それが政治的な問題にも発展する可能性がある、という見方です。

    では米国はどうすべきなのか。著者が最初に挙げるのは、プロセス・ナレッジへの投資です。半導体だけでなく、EV用バッテリーや電子部品などについても、国内で実際に製造を続け、暗黙知を蓄積する能力を高める必要があると主張します。

    ここで重要なのは、この説明には「国家がエンジニア的かどうか」という条件が出てこないことです。問われているのは、製造を続けているか、その経験が蓄積されているか、そのための投資が継続しているかです。「エンジニア国家」という議論が統治者の属性に注目していたのに対し、プロセス・ナレッジの議論は、生産現場に蓄積される経験へ焦点を移しています。

    ただし、これによって政治や制度の問題が消えるわけではありません。著者自身が重要な条件として挙げているのが、「投資が継続すること」です。中国では、国有銀行、地方政府、産業政策がその投資を支えています。何に長期的な資金を投入するかは、国家の制度や政策と切り離せません。

    また、プロセス・ナレッジは台湾や韓国にも蓄積されています。したがって、この概念だけでは「なぜ中国が他の東アジア諸国と異なるのか」までは説明できません。

    それでも、中国の製造業の強さを説明するという目的に限れば、プロセス・ナレッジのほうが「エンジニア国家」という大きな仮説より説得力があります。射程が狭いからです。エンジニア国家という仮説は、橋、高速鉄道、都市開発、製造業、さらには社会政策までを、一つの枠組みで引き受けようとします。一方、プロセス・ナレッジが答えるのは、製造業に強い国はなぜその強さを維持しやすいのか、という問いだけです。対象を絞っているぶん、歴史や他国の事例とも整合させやすくなっています。

    結び

    本書は、中国で何が起きているのかを知るうえで、高い価値があります。著者は2017年から2023年まで中国に住み、都市や工場を訪ねながら、その変化を自分の目で見てきました。貴州の山間部から上海まで、現地で見聞きしたことの記述が、本書の最も強い部分です。この点については、「エンジニア国家と法律家社会」という仮説に批判的な評者からも高く評価されています。

    一方、その経験を説明するための中心的な仮説については、十分に実証されたとは言い難いでしょう。米国は歴史的に法律家が多い社会でありながら、大規模な工業化を実現しました。台湾、韓国、シンガポールは、エンジニア出身の政治指導者を必要とせず、強い製造業とインフラを築いています。そして、中国と米国の違いは、指導者の出身分野ではなく、経済発展の段階によるものだという説明も成り立ちます。

    したがって、「エンジニア国家と法律家社会」は結論として受け入れるより、中国と米国の違いを考えるための仮説として読むほうがよいでしょう。本書に最も鋭い疑問を投げかけたコーエン自身が、同時に本書を強く推薦していることも、その読み方を裏づけています。

    書評で繰り返し指摘されている弱点もあります。一つは、「では米国は何をすべきなのか」という処方箋が十分に具体化されていないことです。もう一つは、中国についての記述に比べ、米国側の分析が薄いことです。米国の停滞を説明する決定的な答えを求めると、物足りなさが残るかもしれません。

    ただし、プロセス・ナレッジという考え方には、本書を離れても応用できる価値があります。自社の製造や技術にも、次のような問いを当てはめてみることができます。

    自社は現在も、重要な製品を自ら作り、その工程を手元に残しているでしょうか。この10年で外部へ移した工程はないでしょうか。その工程を長年担ってきた人が退職したとき、設備や手順書には残らない知識まで一緒に失われていないでしょうか。書かれたものはすべて残っているのに、以前と同じ品質や効率では作れなくなっていないでしょうか。

    こうした問いへの答えは、企業ごとに異なります。外部から簡単に判断できるものでもありません。しかし、本書を読み終えたあとに残るものとしては、「中国はエンジニア国家なのか」という大きな命題より、こうした具体的な問いのほうが実用的かもしれません。

    本稿執筆時点で邦訳は出ていません。英語版は米国のW. W. Nortonと英国のAllen Laneから2025年8月に刊行されました。288ページです。

    中国語を使いながら現地で6年間暮らした著者が、中国の都市、工場、政策をどう見たのか。その記録を読みたいのであれば、十分に面白い本です。逆に、「米国はなぜ作れなくなったのか」という問いに明確な答えを求めるなら、期待には届かないかもしれません。本書の価値は、その答えそのものより、中国と米国を見るための新しい仮説を提示し、それを検証する材料を大量に与えてくれることにあると思います。

    参考リンク