タグ: Sharon Stone

  • 映画『Mr.ノーバディ2』|エンタメに振り切った監督の判断は正しかったのか

    前作がすごく良かったので、期待しすぎてしまったのかもしれません。

    2025年公開の『Mr.ノーバディ2』(Nobody 2)を観終えて、最初に浮かんだ感想は、「全体的にエンターテインメントへ振り切りすぎている」でした。

    本作は、『Mr.ノーバディ』(2021)の4年後を描く続編です。日本では2025年10月24日に公開されました。

    ただ、「振り切りすぎた」と書くだけでは、前作との違いに戸惑っただけの愚痴になってしまいます。

    公開後のインタビューや批評を調べていくと、この違和感を、そのまま映画の失敗と呼んでよいのか分からなくなってきました。

    そこでこの記事では、私の失望を二つの問いに分けて考えます。

    この続編では、前作から何が変わったのか。そして、その変化は誰の、どのような意図によるものだったのか。

    ネタバレについて

    この記事では、物語の設定から終盤の展開まで触れます。

    未見の方はご注意ください。

    あらすじ|燃やした3,000万ドルの請求書と、家族のバカンス

    主人公ハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)は、前作で燃やした3,000万ドルを返済するため、昼夜を問わず殺しの任務をこなしています

    働き詰めの生活によって、家族との関係は崩壊寸前です。

    ハッチは関係を立て直そうと、妻ベッカ(コニー・ニールセン)や子どもたちを連れ、寂れたリゾート地へバカンスに出かけます。

    ところが、滞在先の水上遊園地で起きた小さなトラブルが、汚職保安官エイベル(コリン・ハンクス)との衝突に発展します。

    騒ぎはやがて、この土地を支配する犯罪組織のボス、レンディーナ(シャロン・ストーン)との全面戦争へと膨らんでいきます。

    終盤には、父デヴィッド(クリストファー・ロイド)や旧知のハリー(RZA)も参戦します。

    休暇を過ごすはずだった場所が、家族総出の戦場になる映画です。

    テーマ|「明るく温かい映画」への意図的な方向転換

    路線変更は事故ではなく、設計だった

    監督は、インドネシア出身のティモ・ジャヤントです。

    『ナイト・カムズ・フォー・アス』など、激しい流血描写を伴うアクション映画で知られる監督で、本作が英語圏での長編監督デビューとなりました。

    前作を監督したイリヤ・ナイシュラーからの交代です。

    その経歴から想像されるのは、前作よりもさらに暗く、激しい続編でしょう。

    ところが、ジャヤント本人が目指したものは正反対でした。

    SYFYのインタビューで、彼は本作について、普段の自分が作る映画よりも「ずっとポジティブで、ずっと温かい映画」にしたかったと語っています。

    彼は、自分の中に二つの面があると説明しています。

    世界が混乱し、暗い場所であることを認める自分。一方で、世界が暗くても、家族がいるなら少しくらい心を温めてもよいはずだと信じる自分です。

    二人の子どもを持ったことで、後者の感覚を映画にしたいと思うようになったといいます。

    つまり、私が「振り切りすぎ」と感じたエンターテインメント路線は、偶然そうなったのではありません。

    監督が意図して選んだ方向でした。

    この事実を知ると、失望の意味が少し変わります。

    本作は、前作の雰囲気を再現しようとして失敗した映画ではありません。最初から前作とは違う映画を目指し、狙った場所に着地した作品です。

    問題は、その方向転換を観客が受け入れられるかどうかです。

    仕事と家庭は両立できるのか

    物語の出発点にあるのは、借金を返すための殺しという「仕事」です。

    ハッチは家族を守るために働いています。しかし、働けば働くほど、家族と過ごす時間は失われていきます。

    殺し屋という設定を外せば、ごく普通の働く親が抱える矛盾です。

    家族のために働いているはずなのに、その仕事によって家族との距離が広がっていく。

    バカンスという舞台は、その矛盾を短い休暇の中に凝縮して見せるために選ばれています。

    AP通信の批評は、本作が親から子へ受け継がれる暴力性まで扱おうとしながら、十分に掘り下げられていないと指摘しています。

    この点について監督や脚本家の明確な発言は確認できなかったため、どこまで意図されたテーマなのかは断定できません。

    ただ、家庭のために始めた暴力が、次の世代にまで影響を与えるという危うさは、物語の中に確かに残っています。

    家族バカンス映画という枠組み

    AP通信の批評は、本作を『ナショナル・ランプーン/ホリデーロード4000キロ』のような、1980年代のアメリカ製家族バカンス映画の系譜で捉えています。

    水上遊園地、観光ボート、田舎町の保安官との小競り合い。

    舞台だけを見れば、のんきな家族コメディです。

    そこへ、手足が飛ぶほどの激しい暴力がなだれ込んできます。

    この落差が、本作の笑いの中心です。

    日本版のキャッチコピーは、次のようなものでした。

    NOBODY, NO VACATION
    何者でもない奴には、バカンスもない。

    前作の「何者でもない奴を、甘くみてはいけない。」と比べると、宣伝の時点ですでにコメディへの衣替えが示されています。

    キャラクター造形|エンタメへの「振り切り」を分担する人々

    ハッチ・マンセル|殺し屋から「働きすぎの父親」へ

    本作への賛否は、ハッチの描き方を受け入れられるかどうかに集約されているように見えます。

    AP通信のマーク・ケネディは、本作に4点満点中1点をつけました。

    今作のハッチについて、「本格的なアクションヒーローと、面白い台詞を与えられていないコメディ要員の中間で立ち往生している」と批判しています。

    さらに、オデンカークをこのシリーズから救い出すべきだとまで書いています。

    一方、Keith & the Moviesの好意的な批評は、5点満点中3.5点をつけています。

    シニカルなアクションスリラーから、ストレートなアクションコメディへ移行したことを評価し、よく作られたアクションと、効果的な笑いを称賛しました。

    批判する側も、支持する側も、見ている変化は同じです。

    ハッチが、暗い過去を持つ謎めいた男から、働きすぎて家族に距離を置かれた、少し間の抜けた父親へと変わったことです。

    この変化を魅力と見るか、前作の面白さを失ったと見るか。

    そこが、本作の評価を分けています。

    レンディーナ|過剰さを一身に引き受ける悪役

    シャロン・ストーン演じるレンディーナは、本作の「振り切り」を最も分かりやすく体現する人物です。

    1点をつけたAP通信の批評でさえ、彼女については、完全なサイコパスとして誰よりも楽しんでいるように見えると認めています。

    好意的なKeith & the Moviesの批評も、意図的に過剰なキャラクターとして評価しながら、少しやりすぎかもしれないと付け加えています。

    つまり、評価の低い批評からも、彼女の存在感そのものは認められています。

    私が「振り切りすぎ」と感じた要素を、最も極端に表現した人物が、映画の見どころとしても成立している。

    これは、私の感想に対する部分的な反証として書き残しておくべきだと思います。

    ベッカ、デヴィッド、ハリー|戦う家族へ

    妻のベッカは、崩壊しかけた家庭の当事者です。

    夫婦関係を立て直すことが、バカンスの目的であり、映画の感情面を支える軸になっています。

    父デヴィッドは、前作で見せた「穏やかな老人がショットガンを持つ」という落差を、今作ではさらにコメディ寄りに広げます。

    ハリーも前作に続き、終盤の戦いへ加わります。

    前作では、それぞれが隠していた顔を見せ合うことに驚きがありました。

    今作では、その秘密はすでに観客に知られています。そのため、驚きよりも「いつもの仲間がそろう楽しさ」が優先されています。

    この変化も、続編がコメディと娯楽性を重視したことの表れです。

    保安官エイベルと遊園地経営者ワイアット・マーティン(ジョン・オーティス)は、田舎町の腐敗を支える中間層として配置されています。

    小さなトラブルから始まり、地方の小悪党を経て、レンディーナという大物へたどり着く。

    物語を段階的に大きくするための階段を担っています。

    映画技法|「軽さ」はどのように作られたのか

    格闘シーンに加えられた茶目っ気

    ジャヤントは、前述のSYFYのインタビューで、格闘場面に意図的に茶目っ気を加えたと語っています。

    前作にあった、暗く苦い犯罪映画のような雰囲気から離れるためです。

    ジャヤントは、これまで切断や大量の流血をためらわずに描くアクション映画を作ってきました。

    本作でも暴力の激しさは変わりません。

    ただし、その技術を恐怖のためではなく、笑いと高揚感のために使っています。

    暴力描写は過激なのに、映画全体の感触は明るい。

    この二つを同居させることが、本作の技法上の挑戦です。

    日本の映倫区分を見ると、本作はR15+で、前作のPG12から引き上げられています

    雰囲気は軽くなったのに、暴力描写は強くなりました。

    このねじれは、本作の方向性をよく表しています。

    バスからダックボートへ|前作の反復と変奏

    中盤の見せ場は、水陸両用の観光ボート、ダックボートでの乱闘です。

    狭い乗り物の中で、大人数を相手に戦う。

    この構図は、前作のバスでの格闘を思い出させます。

    AP通信の批評は、これを新しいアイデアではなく、前作からの派生にすぎないと批判しています。

    たしかに、驚きという点では前作に及びません。

    ただし、通勤に使うバスから、休暇中に乗る観光ボートへ置き換えられたことには意味があります。

    日常からバカンスへという物語の変化を、アクションの舞台でも繰り返しているからです。

    前作の名場面をそのまま再現するのではなく、今作の設定に合わせて作り直した場面とも読めます。

    90分という短さ

    本作の上映時間は90分です。

    前作の92分より、さらに短くなっています。

    好意的な批評は、余計なものを抱えず、短くまとまっていることを長所として挙げています。

    一方、AP通信の批評は、上映時間が短いだけで、記憶には残らないと切り捨てました。

    同じ90分が、「潔い」とも「中身が薄い」とも評価されています。

    この違いは、本作全体への評価と重なります。

    娯楽に徹した映画として受け入れれば、90分はちょうどよい。

    前作のような人物の奥行きや意外性を求めれば、物足りない。

    私は後者に近かったのだと思います。

    まとめ|期待しすぎた夏休み

    最後に、前作との評価の差を数字で確認します。

    英語版Wikipediaのまとめによると、Rotten Tomatoesの批評家スコアは、前作の84%から本作では76%へ下がりました。

    Metacriticは64点から59点へ、公開初日の観客調査CinemaScoreはA−からB+へ下がっています。

    世界興行収入も、前作の5,750万ドルから4,300万ドルへ減少しました。

    76%という数字は、酷評された映画の水準ではありません。全体としては、依然として好意的に受け止められています。

    それでも、主な指標がすべて前作を下回ったのは事実です。

    私の「期待しすぎた」という感覚は、決して珍しいものではなかったようです。

    ただ、調べ終えたいま、失望の原因を映画の出来だけに求めるのは正確ではないと考えています。

    理由は二つあります。

    第一に、路線変更は監督が意図したものであり、本作はその狙いどおりに作られています。

    私が観たのは、前作の再現に失敗した映画ではありません。私が求めていたものとは違う映画を、意図的に作った作品です。

    第二に、前作の魅力には、続編では再現できない部分があります。

    前作には、「ボブ・オデンカークがアクション映画の主演を務める」という意外性がありました。

    主人公についても、観客は彼が何者なのかを知りませんでした。

    しかし、続編では誰もが正体を知っています。観客は、最初からハッチが暴れ出すのを待っています。

    「普通のおっさんが、実は強い」という前作最大の驚きは、同じ方法では二度使えません。

    その代わりに本作が選んだのが、家族バカンス映画の形を借りた、明るく過激なアクションコメディでした。

    その判断が間違っていたとは思いません。

    ただ、私は前作にあった暗さ、意外性、抑え込まれた怒りのほうが好きでした。

    エンターテインメントへの振り切りを楽しんだ人が多いことは、76%という評価が示しています。

    それでも私は、まだ前作の側に立っています。

    期待しすぎた夏休みだった。

    いまのところ、それがこの続編への最も正直な感想です。

    参考資料

    参照日はすべて2026年8月4日です。