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  • 映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』|テンポの良さと緊張感の薄さは表裏一体

    私は、アンディ・ウィアーの原作小説をオーディオブックで聴いていました。

    そのうえで観た、2026年公開の映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(Project Hail Mary)について書きます。

    監督はフィル・ロードとクリス・ミラー。主演はライアン・ゴズリングです。日本では2026年3月20日に日米同日公開されました

    原作者のウィアーは、科学的な裏付けを積み重ねて物語を構築する、いわゆるハードSFで定評のある作家です。彼の小説『火星の人』を原作にした、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』も、よくできたハードSF映画でした。

    今回の脚本を担当したのは、その『オデッセイ』も手がけたドリュー・ゴダード。『オデッセイ』でアカデミー脚色賞にノミネートされた脚本家であり、ウィアー原作との再タッグです

    原作と映画は別の表現です。とりわけ本作の原作は長く、そのすべてを一本の映画に収めることはできません。

    では、この映画は何を得て、何を手放したのか。この記事では、その点を中心に考えます。

    ネタバレについて

    この記事では、物語中盤の異星人ロッキーとの協力が始まるあたりまでに触れます。結末や終盤の展開には触れません。

    なお、ロッキーの存在は予告編や宣伝ですでに公開されています。

    あらすじ|太陽が弱っていく

    太陽のエネルギーが失われ、地球が少しずつ冷えていく。原因は分からず、このままでは人類は滅びます。

    宇宙船ヘイル・メアリー号で目覚めた男は、自分の名前も、なぜここにいるのかも思い出せません。

    やがて彼は記憶を取り戻していきます。

    自分の名はライランド・グレース。中学校の理科教師。そして、11.9光年の彼方へ、人類の命運を握る調査のために送り出されたこと

    目的地にたどり着いたグレースは、別の宇宙船と遭遇します。乗っていたのは、同じ危機に直面している異星人でした。

    姿も感覚も言語もまるで違う相手と、グレースは協力して問題を解こうとします。

    テーマ|協力は、問題解決の土台である

    監督の言葉「科学は社会的な営み」

    フィル・ロード監督は、NPRのインタビューで、この作品の核を次のように説明しています。

    この作品の魂は問題解決にあり、協力こそがその土台です。

    また、科学についてもこう語っています。

    科学は社会的な営みです。世界中の人々が同じ問題に取り組み、互いの仕事の上に積み上げていく必要があります。

    映画本編は、この言葉をそのまま物語にしたように進みます。

    グレースとロッキーの関係は、数を数えるところから始まります。単位をそろえ、周期表を確認し、実験を分担する。信頼は、その積み重ねの後から生まれます。

    言葉も文化も共有しない二者に残された共通言語が、科学だった。

    その筋立て自体が、監督の語るテーマを実演しています。

    絶望の物語ではなく、楽観の物語

    人類滅亡の危機を描いているにもかかわらず、この映画は災害を見せることに重点を置いていません。

    壊れていく地球を長々と映す代わりに、異なる者同士が知恵を持ち寄り、問題を解いていく過程を見せます。

    クリス・ミラー監督も同じインタビューで、次のように語っています。

    力を合わせれば何を成し遂げられるのか。それを思い出すのに、悪いタイミングというものはありません。

    この映画の楽観性は、欠点ではありません。最初から選び取られた設計方針です。

    教師が主人公であること

    グレースの職業は、中学校の理科教師です。宇宙飛行士でも軍人でもありません。

    相手に分かるように説明すること。理解度に合わせて、伝え方を変えること。この物語では、そうした教師としての能力が武器になります。

    知識を持っているだけでは足りない。それを相手に伝え、共有することもまた協力の一つである。

    グレースの職業設定は、そのテーマの延長線上にあるように感じました。これは監督の発言で確認されたものではなく、私自身の解釈です。

    キャラクター造形|ひとりでは解けない人たち

    ライランド・グレース|相棒を得て初めて機能する

    ライアン・ゴズリングが演じるグレースは、職業軍人でも宇宙飛行士でもありません。もともとは教壇に立っていた人物です。

    その男が、たった一人の宇宙船で、人類規模の問題を抱え込む。

    物語が本格的に動き始めるのは、彼が相棒を得てからです。グレースは、一人ですべてを解決する英雄ではありません。相棒と出会うことで初めて力を発揮する、問題解決者として描かれています。

    原作者のウィアーは、インタビューで、ゴズリングについて次のように語っています。

    ライランドの人物像や性格のニュアンス、細かな部分まで、本当に丁寧に作り込んでいました。

    ゴズリングは主演だけでなく製作も兼ねており、この映画化企画の中心にいます。

    ロッキー|協力というテーマを体現する存在

    異星人ロッキーは、人間とは姿も感覚も言語も違います。

    それでも、「同じ問題を解こうとしている」という一点だけで、グレースにとって最良の相棒になります。

    違いが大きいからこそ、協力が成立したときの説得力も大きくなる。ロッキーは、この映画のテーマそのものを背負ったキャラクターです。

    ウィアーは前述のインタビューで、次のように話しています。

    ロッキーを正確に描けるかどうかに、映画の成否がかかっている。初日から全員がそう考えていました。

    その言葉どおり、ロッキーの造形には製作陣の大きな力が注がれています。その方法については、映画技法の節で触れます。

    エヴァ・ストラット|協力を強制する側

    ザンドラ・ヒュラーが演じるエヴァ・ストラットは、地球側で計画を率いる人物です。

    国境や組織の手続きを踏み越えてでも、計画を前へ進める。必要であれば他人の意思さえ押し切る、感じの悪い実行力の持ち主として描かれます。

    善意を持ち寄るだけでは、惑星規模の問題は解決できません。誰かが嫌われ役を引き受け、協力を強制しなければならない。

    ストラットは、協力というテーマの暗い側面を担当する人物だと感じました。

    『落下の解剖学』『関心領域』のヒュラーが演じることで、正しさと冷たさが同居する人物に説得力が生まれています。

    もう一人の「出演者」

    姿を見せない出演者もいます。宇宙船のコンピューターの声を担当しているのは、メリル・ストリープです。

    ウィアーは、このカメオ出演について、次のように楽しそうに語っています。

    コンピューターのふりをするメリル・ストリープのふりをするメリル・ストリープ、という結果になったのが最高です。

    この言葉の意味は、劇場で確かめてください。

    映画技法|「協力」を実物で作る

    ロッキーは実物のパペット

    ロッキーは、CGだけで作られたキャラクターではありません。

    クリーチャーデザイナーのニール・スキャンラン率いるチームが、実物のパペットとして製作しました。声と主操演はジェームズ・オルティスが担当しています

    ロード監督によれば、一体のロッキーを動かすために5人の操演者が必要でした

    最終的な映像にはパペットと視覚効果が併用されており、英語版Wikipediaでは、およそ半分ずつ使われていると説明されています

    ミラー監督は、NPRのインタビューで次のように語っています。

    ライアンが毎日テニスボールを相手に演技していたわけではありません。実際の共演者であり俳優でもある、パペットの生き物を相手に芝居をしていました。

    一体のキャラクターを、複数の人間が呼吸を合わせて動かす。

    協力を描く映画を、現場での協力によって作る。物語と製作方法が、そのまま重なっています。

    宇宙と記憶を、画面の質感で描き分ける

    撮影を担当したのは、『DUNE』シリーズのグレイグ・フレイザーです。

    IMAX上映を前提に大判デジタルカメラで撮影した素材を、一度フィルムに焼き付けてから再びデジタル化し、フィルム由来のざらつきを加えています

    画面の質感は、場面によって使い分けられています。

    宇宙船内の現在は、クリーンな大判映像。地球での回想は、ざらついた古いフィルムのような映像です。現在と記憶の違いが、画面の手触りだけでも伝わってきます。

    また、船内は合成用の単色背景を使わず、実物のセットとして建造されました

    オーディオブックで聴いた物語には、当然ながらこの「画面の記憶」がありません。

    同じ物語をもう一度たどっているのに、記憶に残るものが違う。映像化の価値を強く感じた部分です。

    喜びのジェスチャーは、即興から生まれた

    私が本作を観て、最もよかったと感じたのは、ロッキーが喜びを表すジェスチャーです。

    オーディオブックでは、その身振りを想像するしかありません。だからこそ、自分が思い描いていた姿が映画の中でそのまま動き出したことを、とてもうれしく感じました。

    ファーストコンタクト前後に見られるグレースとロッキーの身振りの応酬は、大部分がゴズリングの即興によって作られました

    監督たちがイヤピース越しに「少し踊って」「マカレナをやって」と指示を送り、ゴズリング自身の思いつきも加えていく。パペットチームは、その動きを鏡写しのように再現します。

    ミラー監督は、撮影を次のように振り返っています。

    撮りながら、これは映画の魔法だと思いました。小さなエイリアンのパペットが自分の動きをまねようとするのを見ているライアンの顔に、本当の喜びが表れていました。

    俳優と操演チームの即興的なやり取りから、種の違う二者が身振りをまねし合う場面が生まれた。

    ここでも、映画の作り方と物語の内容が重なっています。

    原作との比較|テンポの良さと緊張感の薄さは、同じ判断の裏表

    1時間以上を削って得たテンポ

    映画ならではの美点は、テンポの良さです。

    156分という決して短くない上映時間でありながら、長大な原作の主要な流れを最後まで一気に駆け抜けます。

    このテンポは、編集過程にも表れています。

    初期のテスト上映版は3時間45分あり、観客の反応をもとに、公開版の156分まで短縮されたと報じられています。1時間以上を削った計算です。

    ウィアー自身も、映画版で行われた変更を歓迎しています。

    前述のインタビューでは、原作にあった「特別な遺伝子配列を持つ者しか人工昏睡に耐えられない」という設定を映画が削ったことを例に挙げています。

    映画では、それに代わって、より切迫した状況が用意されました。

    原作にあった手続き上の障害を削り、映画は時間の圧力へと置き換えています。

    引き換えに薄まった緊張感

    一方で、緊張感は原作のほうが強かったと感じました。

    映画では危機が起きても、比較的テンポよく解決してしまうからです。

    原作では、一つの危機に対する試行錯誤が長く続きます。失敗し、計算し直し、また失敗する。その積み重ねに時間をかけることが、ハードSFとしての緊張を生んでいました。

    映画は、その時間を圧縮しています。

    問題が素早く解決するため、物語は快適に進みます。しかし同時に、一つひとつの危機が軽く見えてしまう。

    テンポの良さと緊張感の薄さは、別々の特徴ではありません。同じ編集判断から生まれた、表裏一体の結果です。

    批評全体は好意的で、Rotten Tomatoesでは95%の評価を得ています。一方、否定的な批評では、「既視感の強い焼き直し」(Variety)、「観客がどう感じるべきかを逐一指示してくる感傷的な映画」(RogerEbert.com)といった意見も見られます。

    本作は、原作のような「ハードSFのサスペンス」よりも、種の違う二人の相棒映画として組み立てられています。

    緊張が長く続く構成を手放し、感情の起伏とテンポを選んだ。

    この映画が得たものと手放したものは、同じ判断の裏表です。

    まとめ|別の作品として、どちらもすすめたい

    『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の映画版は、原作とは別の作品です。

    しかし、これはどちらかを下げるための比較ではありません。

    試行錯誤の重さや、緊張が長く続く感覚を味わいたいなら原作です。私はオーディオブックで聴きましたが、科学的な問題を一つずつ解いていく過程に、長い時間をかけて付き合えました。

    ロッキーの喜びのジェスチャーを目で見たいなら、映画です。

    実物のパペット、質感で描き分けられた記憶、即興から生まれた身振りの応酬。音声だけでは受け取れないものが、映画にはあります。

    『オデッセイ』でも組んだウィアーとゴダードは、ハードSFを大衆向けの娯楽映画へ翻訳する仕事を、今回もやってのけました。

    翻訳によって失われるものはあります。それでも、翻訳されたからこそ届く場所もあります。

    原作は、試行錯誤の重さを残した。映画は、協力することの喜びを目に見える形にした。

    原作を知っている人も、知らない人も、それぞれに違うものを受け取れる映画です。

    参考資料

  • 映画『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』|ファヴローの愛が詰まったクリーチャー映画

    2026年公開の『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』は、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』以来、7年ぶりとなるシリーズの劇場公開作です。

    しかも、新たな三部作の始まりではありません。Disney+のドラマシリーズ『マンダロリアン』から生まれた劇場版です。

    監督と脚本は、シリーズを立ち上げたジョン・ファヴロー。ディン・ジャリン役のペドロ・パスカルも続投しています。

    映画『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』

    観終えて感じたことは三つありました。

    まず、『マンダロリアン』のファンには素直にうれしい映画化であること。次に、クリーチャー映画として見応えがあること。そして、ファヴローという人は本当にスター・ウォーズの世界が好きなのだということです。

    ただし、手放しの絶賛では終われません。

    この映画の長所と短所は、どちらも同じところから生まれています。テレビシリーズらしさを、劇場版になってもほとんど失っていないことです。

    この記事では、その両面を順番に見ていきます。

    ネタバレについて

    この記事は、物語中盤の救出任務と闘技場での戦いまでを前提に書いています。終盤の展開と結末には触れません。

    あらすじ|救出対象が「帰りたくない」と言い出す

    帝国崩壊後の新共和国時代。

    賞金稼ぎのディン・ジャリン(ペドロ・パスカル)は、弟子となったグローグーとともに、新共和国の依頼を受けて帝国残党の軍閥を追っています。

    ウォード大佐(シガニー・ウィーヴァー)から二人に下された任務は、ある衛星の闘技場にいるロッタ・ザ・ハットの救出です。

    ロッタは、ジャバ・ザ・ハットの息子。声を担当するのは『一流シェフのファミリーレストラン』のジェレミー・アレン・ホワイトです。

    ロッタを連れ戻せば、ハット一族から謎の軍閥に関する情報を得られる。

    ところが、当のロッタは救出を拒みます。

    帰る気のない救出対象と、任務を果たしたいマンダロリアン。話のかみ合わない二人を待っているのが、闘技場での戦いです。

    テーマ|守る親から、教える親へ

    監督が語る「バトンの受け渡し」

    ファヴローはスター・ウォーズ公式のインタビューで、本作をグローグーの成長物語だと説明しています。

    グローグーは以前より多くの役割を引き受け、父親であるディンも、彼に大きな責任を任せるようになったというのです。

    シリーズ初期のグローグーは、ディンに守られる小さな子どもでした。

    本作では、ディンの隣で任務に加わり、自分で判断し、フォースも使います。

    ディンの役割も変わりました。

    危険から遠ざけるだけではなく、危険な世界で生きていけるように教える。守る親から、子どもを送り出す準備をする親へと進んでいます。

    ファヴローはこれを、世代から世代への「バトンの受け渡し」と表現しています。

    テレビシリーズが描いてきた親子の情緒はそのままに、二人の関係だけが一段階進んでいる。

    ファンにとってうれしい映画化になっているのは、この設計のおかげです。

    ファヴロー自身が受け取った1977年

    世代の継承という主題は、作品の外側でも繰り返されています。

    ファヴローは1977年の夏、10歳のときに最初の『スター・ウォーズ』を観ました。『ジェダイの帰還』が公開された頃には、映画館で案内係として働いていたそうです。

    その彼が、スター・ウォーズを劇場へ戻す意味について、長年のファンだけでなく、新しい世代にも初めてスター・ウォーズへ出会う機会を作りたいと語っています。

    自分が子どもの頃に味わった興奮を、次の世代にも感じてほしい。それは作り手としての責任だというのです。

    グローグーへ責任を委ねていくディン。

    スター・ウォーズの劇場体験を新しい観客へ渡そうとするファヴロー。

    物語の主題と、作り手自身の動機が重なっています。

    私が画面から感じた「この人は本当にスター・ウォーズが好きなのだ」という印象は、気のせいではありませんでした。

    「入口」と「続き」のあいだ

    ただし、ここに本作のねじれもあります。

    ファヴローは、過去の作品を知らない観客でも楽しめる映画を目指したと語っています。

    実際、今回の任務そのものは独立しており、銀河全体の複雑な歴史を知らなくても話を追うことはできます。

    一方で、映画の楽しさの多くはシリーズの蓄積に支えられています。

    グローグーの成長に感慨を覚えるのも、ロッタがジャバの息子だと知って笑えるのも、過去の作品を見てきたからです。

    新しい観客への入口でありながら、長年のファンへ向けた「続き」でもある。

    本作が抱える難しさは、この二つを同時に成立させようとしたところにあります。

    キャラクター造形|親子と、招かれざる同行者

    ディン・ジャリン|教える側に回る

    ペドロ・パスカル演じるディンは、本作では守護者というより教育者です。

    任務の中でグローグーに役割を与え、判断を任せ、ときには失敗も経験させます。

    ディンは多くを語りません。

    しかし、グローグーを自分の後ろへ隠すのではなく、隣に立たせるようになった。その位置関係だけで、二人の変化が伝わります。

    ヘルメット越しに進む不器用な子育てというシリーズの持ち味は、劇場版でも変わっていません。

    グローグー|守られる子から、小さな弟子へ

    公式の制作記事は、本作のグローグーについて、以前よりはるかに能動的になり、いまではディンの小さな弟子だと説明しています。

    かわいい保護対象から、任務の中で自分の役割を果たす見習いへ。

    この変化によって、グローグーは画面にいるだけで観客を喜ばせるキャラクターではなく、物語を動かす存在になりました。

    フォースを使えるから活躍する、というだけではありません。

    ディンが自分を信頼していると知り、その期待に応えようとする。その姿が、グローグーの成長を感じさせます。

    ロッタ|救出を拒む、もう一人の「息子」

    本作の面白い発明が、救出対象であるロッタです。

    助けに来たのに、本人は帰りたがらない。

    この反転が中盤までの物語を動かし、ディンとのかみ合わない会話から笑いを生みます。

    同時に、ロッタはジャバ・ザ・ハットの息子です。

    ディンとグローグーという、血のつながらない「選んだ親子」の隣に、親の名と地位を背負わされた息子が置かれています。

    ロッタにとって、ジャバの息子であることは特権であると同時に、逃れにくい重荷でもあります。

    異なる形の親子を並べることで、本作の世代継承という主題が少し広がっています。

    映画技法|クリーチャー映画としての本気

    1977年の卓上ゲームの怪物が動き出す

    私が本作を「クリーチャー映画として優秀」だと感じた中心が、闘技場の場面です。

    ここで登場する怪物たちには、もとになった存在があります。

    デジャリック。1977年公開の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』で、R2-D2とチューバッカが遊んでいた卓上ゲームです。

    オリジナル版で怪物たちが画面に映る時間は、合計しても30秒に届きません。

    その小さなホログラムの駒が、本作では本物の生物として闘技場を走り回ります。

    ILMの制作記事によると、制作チームが目指したのは、それぞれの怪物を「触れられそうな存在」にすることでした。

    撮影現場には、怪物の位置や動きの基準となる色分けされた衣装のスタント俳優を置き、その動きをもとに映像を作り上げています。

    49年前の卓上の駒が、実物大の猛獣として暴れ回る。

    ファンサービスと、クリーチャー映画としての見せ場が、この場面では完全に一致しています。

    生みの親、フィル・ティペットも参加

    デジャリックには、さらに深い歴史があります。

    1977年の『新たなる希望』で、この怪物たちを共同で生み出し、アニメーションを担当した一人がフィル・ティペットです。

    その後、『ジェダイの帰還』ではクリーチャー部門を率い、ジャバ・ザ・ハットをはじめとする多くの生物を手がけました。

    ティペットが設立したティペット・スタジオは、『マンダロリアン』や『スケルトン・クルー』にも参加しています。本作では、宮殿を守る巨大ドロイドの場面をストップモーションで制作しました。

    デジタル技術が中心となる大作の中へ、あえてコマ撮りの質感を混ぜる。

    デジャリックの実体化と合わせて、スター・ウォーズが受け継いできた、手で作られた映像の感触を大切にする姿勢が表れています。

    声まで含めた遊び

    キャスティングにも、ファヴローの遊び心が見えます。

    エイリアンの料理人ヒューゴ・デュラントの声を担当するのは、マーティン・スコセッシです。

    世界的な映画監督が、顔を見せず、エイリアンの声だけでスター・ウォーズに参加する。知らなくても話には影響しませんが、気づいた観客には楽しいカメオです。

    グローグーも、テレビシリーズと同じくアニマトロニクスとパペットを中心に表現されています。

    撮影現場では複数の操演者が同時に動かし、グローグーを一人の俳優のように扱って撮影しました。アンゼランたちも同時に登場する場面では、最大25人の操演者が参加したとされています。

    音楽を担当するルドウィグ・ゴランソンもシリーズから続投しました。

    テレビシリーズでは70人編成だったオーケストラを、本作では106人編成へ拡大し、さらに64人の合唱を加えています。

    劇場の音響で、あの主題が大きな編成によって鳴り響く。

    物語の規模はテレビシリーズに近くても、音とクリーチャーの物量は、しっかりと劇場向けに作られています。

    まとめ|テレビシリーズらしさの決算

    本作への評価は、批評家と観客で大きく分かれました。

    Rotten Tomatoesでは批評家の支持率が62%だった一方、観客評価は89%。批評では、物語の小ささやテレビのエピソードを引き延ばしたような構成が指摘されました。

    興行収入は北米で約1億7,800万ドル、世界では約3億4,500万ドル。

    北米公開初週末の約8,170万ドルは、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』を下回り、ディズニー時代の実写スター・ウォーズでは最も低いスタートでした。

    数字だけを見れば、スター・ウォーズの劇場復帰を祝う圧倒的な成功とは言いにくい結果です。

    しかし、観客評価の高さも無視できません。

    テレビシリーズらしさは、批評家には劇場映画としての物足りなさに見え、シリーズのファンには親しみやすさとして受け取られました。

    つまり、本作の再現度の高さは、長所と短所として同時に働いています。

    私はファンの側なので、素直にうれしい映画化でした。

    ディンとグローグーが大きなスクリーンにいる。1977年の卓上ゲームの怪物が動き回る。パペット、模型、ストップモーション、音楽の隅々に、作り手がスター・ウォーズで遊んでいる喜びが見える。

    劇場映画として物語が強いかと問われれば、強くはありません。

    それでも、クリーチャーの動きと、手で作られた質感と、劇場用に拡大された音を浴びるだけでも、映画館で観る価値はありました。

    これは、ファヴローという恵まれたスター・ウォーズファンが、自分が子どもの頃に受け取ったものを、次の世代へ手渡そうとした映画です。

    その手つきを眺めるだけでも、ファンには十分に楽しい時間でした。

    参考資料