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  • 映画『爆弾』|「惜しい」の正体は、密室の外にある

    2025年公開の『爆弾』は、全体としてとても面白い映画でした。

    原作は呉勝浩の同名小説。「このミステリーがすごい! 2023年版」と「ミステリが読みたい! 2023年版」で国内編1位を獲得した作品です。

    映画『爆弾』

    監督は『帝一の國』『キャラクター』の永井聡。取調室で向き合うのは、刑事・類家を演じる山田裕貴と、謎の中年男スズキタゴサクを演じる佐藤二朗です。

    映画は興行収入32億円を突破。第49回日本アカデミー賞では全12部門で優秀賞などを受賞し、佐藤二朗が最優秀助演男優賞に選ばれました(フジテレビ)。

    数字と評価の両方で、結果を残した映画です。とりわけ成功しているのが、密室劇としての取調室です。

    ほとんど同じ部屋で、二人の男が机を挟んで話し続ける。大きな動きはないのに、言葉の応酬だけで力関係が何度も入れ替わり、緊張が途切れません。

    それでも観終えたあと、私の頭には「惜しい」という言葉が残りました。

    当初は、犯人の動機が弱いことと、爆破場面が地味なことが原因だと思っていました。しかし、二つは別々の問題ではありませんでした。『爆弾』の「惜しい」は、密室の中ではなく、その外側にあります。

    取調室の外にいる人々が、タゴサクの悪意によってどう傷つけられるのか。爆弾があるかもしれない街で、何が失われようとしているのか。

    密室からは直接見えない生活と恐怖を、観客にどこまで想像させられるか。

    この記事では、その一点から本作を考えます。

    ネタバレについて

    この記事は、物語中盤の連続する爆破予告と、取調室での攻防までを前提に書いています。

    終盤の展開、結末、スズキタゴサクの正体には触れません。

    あらすじ|「十時ぴったり」から始まる悪夢

    酔った勢いで自動販売機と店員に暴行を働いた中年男が、警察へ連行されます。

    スズキタゴサクと名乗るその男は、取調室で「霊感が働く」と言い出し、「十時ぴったり、秋葉原で何かあります」と予告します。

    直後、秋葉原で本当に爆発が起きます。

    タゴサクは、さらに1時間おきに爆発が起きると告げます。しかし、爆弾の場所や目的については正面から答えません。

    自虐、軽口、なぞなぞのような質問を繰り返し、刑事たちを翻弄していきます。

    そこで呼ばれたのが、頭脳戦を得意とする警視庁捜査一課の刑事・類家です。

    取調室の机を挟んだ二人の攻防と、次の爆弾を探す捜査陣の時間との戦いが並行して進みます。

    テーマ|密室の中で育つ、哲学なき悪意

    「悪のカリスマ」ではない犯人像

    タゴサクは、犯罪映画に登場する知的で洗練された悪役とは作りが違います。

    佐藤二朗はインタビューで、タゴサクには、いわゆる「悪のカリスマ」が持つような悪の哲学がないと語っています。

    特殊な能力があるわけでも、力が強いわけでもありません。

    彼が表に出しているのは、誰もが心の中で蓋をしてきた小さな悪意なのだというのです。

    「爆発したって別によくないですか」

    タゴサクが口にする感情は、規模こそ違っても、嫌いな相手の失敗を願ったり、遠くで起きた不幸を面白がったりする気持ちと地続きです。

    だからこそ、単なる怪物として切り離せません。

    卑屈さが支配力に変わる瞬間

    タゴサクの言葉は自虐的で、態度は卑屈です。

    外見も言動も、警察を相手にする知能犯らしくありません。

    最初に取り調べる刑事だけでなく、観客もまた、彼を「取るに足らない酔っ払い」と判断します。

    ところが、予告した爆発が現実になった瞬間、その見方が反転します。

    冴えない中年男にしか見えなかった人物が、いつの間にか取調室の時間を支配している。

    タゴサクが急に強くなったわけではありません。

    彼を侮っていた側が、自分たちの判断を信じられなくなったのです。

    佐藤二朗は、卑屈さと支配力を別々に演じません。

    弱々しく笑いながら場を支配し、謝るような口調で刑事を挑発する。

    この二つを同時に成立させる演技が、密室の緊張を支えています。

    動機を説明しないことは、欠点ではない

    観終えた直後、私は「タゴサクの動機づけが弱い」と感じていました。

    しかし、これは少し違いました。

    動機が明確に説明されないこと自体は、本作の欠点ではありません。

    タゴサクが大きな思想や悲しい過去によって犯罪へ向かった人物なら、観客は理由を知ることで彼を理解した気になれます。

    本作が恐れているのは、そうした分かりやすい説明です。

    原作者の呉勝浩も、映画化にあたり、タゴサクを単なる化け物にせず、類家とともに「今を生きる、地に足のついた人物」として描くことを望んでいました(SCREEN ONLINE)。

    タゴサクの悪意に、立派な理由は必要ありません。

    必要だったのは、その悪意が取調室の外へ出たとき、何を壊すのかを観客に想像させることでした。

    キャラクター造形|密室の中の二人、外を走る人々

    タゴサク|どこにでもいる中年男という器

    タゴサクの不気味さは、特別な外見や話し方ではなく、どこにでもいそうな人物であることから生まれます。

    佐藤二朗は、この普通さを崩しません。

    芝居が大きくなりやすい場面でも、悪役らしい威厳をまとわず、世間話のような口調で爆弾について話します。

    そのため、ふと表情が消える瞬間や、相手の反応を待つ短い沈黙が強く残ります。

    何か恐ろしいことを考えているから怖いのではありません。

    観客の側が、彼の言葉のどこまでが計算で、どこまでが本心なのかを判断できない。

    その不安定さが、取調室を支配します。

    類家|悪意が分かってしまう刑事

    山田裕貴演じる類家は、常人離れした頭の回転を持つ刑事です。

    しかし、タゴサクと対照的な正義の人物ではありません。

    山田はインタビューで、自分は類家の考え方にかなり似ていると語っています。また、類家はタゴサクのような悪意を持つ人間の気持ちが分かってしまう人物だと説明しています。

    取調室では、二人が同時に笑い合う不気味な瞬間があります。

    永井監督によれば、この笑いは脚本に書かれたものではなく、佐藤二朗の反応を見た山田裕貴が自然に笑い返したことで生まれました。

    監督は、類家とタゴサクを「コインの表と裏」のような関係だと表現しています(クリエイターズステーション)。

    悪意を理解できることは、類家にとって捜査上の武器です。

    同時に、自分もその悪意から遠い人間ではないことを意味します。

    取調室の会話劇が成功しているのは、正義と悪が向かい合っているのではなく、似た部分を持つ二人が、互いの境界を探り合っているからです。

    捜査陣|密室の外を見せる役割

    取調室の外では、伊藤沙莉、染谷将太、坂東龍汰、渡部篤郎らが演じる警察官たちが、次の爆発を防ぐために走り続けます。

    取調室が言葉と心理の戦いなら、外側は時間と身体の戦いです。

    この並走によって、ほぼ会話だけの映画に速度が生まれています。

    ただし、外側の人物には、物語を動かす役割が優先されています。

    爆弾を探す。避難させる。タゴサクの言葉を検証する。

    その機能は果たしていますが、彼らが何を守ろうとしているのかは、十分には見えてきません。

    密室劇である以上、捜査員全員の私生活や過去を詳しく描く必要はありません。

    それでも、一人ひとりがこの事件をどう受け止め、タゴサクの悪意によって何を揺さぶられたのかが、もう少し見えてもよかったと思います。

    取調室の中で語られる悪意が、外で生きる人間の感情に触れる。

    その瞬間が増えれば、見えない爆弾の恐怖も大きくなったはずです。

    映画技法|密室の外をどう想像させるか

    映画の半分以上を占める取調室

    永井監督はインタビューで、映画の半分以上を取調室の場面が占めることが、大きな挑戦だったと語っています。

    同じ部屋で、二人の人物が話し続ける。

    映像として変化をつけにくく、少しでも間を誤れば、緊張は簡単に途切れます。

    本作では、カメラの位置、人物との距離、照明、視線の方向を少しずつ変えることで、取調室の力関係を見せています。

    タゴサクが弱く見えるときと、場を支配しているときでは、同じ人物でも画面の中での大きさが違います。

    類家とタゴサクの会話劇には、ほとんど不足を感じません。

    この映画が成功したのは、取調室という限られた空間を、言葉によって何度も変化させたからです。

    密室劇の恐怖は、外が見えないことから生まれる

    ただし、密室劇が成立するためには、部屋の外に別の世界が存在していると観客が信じられなければなりません。

    タゴサクは、爆発を時刻と場所として語ります。

    「十時ぴったり、秋葉原」

    彼にとっては、一つの言葉です。

    しかし、その場所には、働いている人、買い物に来た人、家族のもとへ帰ろうとしている人がいます。

    取調室にいる二人には、その姿が見えません。

    観客にも、すべてを見せる必要はありません。

    重要なのは、見えないからこそ、その生活を想像させることです。

    密室の外側が具体的に感じられるほど、タゴサクの何気ない言葉は恐ろしくなります。

    実際の火薬を使った秋葉原

    冒頭の秋葉原の場面は、千葉県のロングウッドステーションにゲームセンター、電気店、看板、ネオンなどを設置し、街の一角を作り上げて撮影されました。

    約300人のエキストラが参加し、実際の火薬を使った爆破と、ワイヤーによって俳優を吹き飛ばす演技が組み合わされています(MOVIE WALKER PRESS)。

    東京の中心部では大規模な爆破撮影が難しいため、永井監督も、どう表現するかを何度も検討したと語っています。

    国内の撮影環境を考えれば、かなり大掛かりな場面です。

    爆発が安く作られたわけではありません。

    それでも、私には爆破場面が取調室の攻防ほど強く残りませんでした。

    爆弾の恐怖は、火薬の量では決まらない

    理由の一つは、大作アクション映画と比べた場合の、単純な破壊規模の差です。

    しかし、それだけではありません。

    本作が中心に置く恐怖は、爆発する瞬間の迫力ではなく、「次はどこが爆発するのか分からない」という待ち時間です。

    爆発は見せ場の頂点ではなく、張り詰めた会話を一度断ち切り、次の予告へ進むための区切りとして使われています。

    その設計は、取調室を中心とする映画として筋が通っています。

    ただし、爆発が区切りに徹するほど、その場所で何が失われたのかは見えにくくなります。

    火や煙の量を増やしてほしかったわけではありません。

    爆発の前に、その場所の日常をもう少し感じさせる。

    爆発のあとに、そこで生きていた人間の不在を残す。

    そうした短い描写があれば、爆弾は派手な映像ではなく、生活を消し去る恐怖として記憶に残ったはずです。

    「惜しい」の正体|密室の外を想像させ切れなかった

    ここまで考えると、周辺人物の薄さと、爆発が強く記憶に残らないことは、別々の問題ではありません。

    どちらも、密室の外にある生活と恐怖を、観客に十分想像させられなかったことから生まれています。

    取調室の中には、類家とタゴサクという強い人物がいます。

    二人の会話には緊張があり、悪意の正体へ迫る深さもあります。

    しかし、その言葉が外の世界に届いたとき、誰が何を失うのかが見えにくい。

    捜査陣のキャラクター造形は、密室の外にいる人間の感情を担うために必要でした。

    爆発の描写は、密室の外に存在する生活の重さを担うために必要でした。

    人物と爆発は、どちらも同じ役割を持っています。

    取調室からは見えない世界を、観客の頭の中に作ることです。

    そこがもう少し強ければ、タゴサクの悪意は取調室の中だけで完結せず、映画館の外にある私たちの日常まで侵食してきたはずです。

    まとめ|成功した密室劇の、あと一歩

    『爆弾』は、密室劇として成功しています。

    大きな哲学を持たず、誰の中にもある悪意を口にするタゴサク。

    その人物を、普通の中年男のまま演じ切った佐藤二朗。

    相手の悪意を理解できるからこそ、危うい場所まで近づいていく山田裕貴の類家。

    二人の会話だけで、映画の半分以上を持たせた永井聡の演出。

    この部分には、はっきりとした強さがあります。

    だからこそ、「惜しい」と感じました。

    密室の中が成功しているから、その外にある世界がもう少し見えてほしかった。

    タゴサクの動機を詳しく説明する必要はありません。

    爆発の規模をハリウッド映画のように大きくする必要もありません。

    必要だったのは、取調室から見えない人々の生活を、観客に想像させることでした。

    彼らが何を守ろうとしているのか。

    爆発によって、どのような日常が消えるのか。

    そこまで想像できたとき、密室の会話は街全体を覆う恐怖へ変わります。

    取調室の会話を中心にした映画で、これだけ多くの観客を集められることを、『爆弾』は証明しました。

    次の日本映画が、その先へ進むところを見たい。

    密室の中の緊張を保ったまま、見えない外側まで観客に想像させる。

    そう期待させるだけの土台が、この映画にはありました。

    参考資料