2025年公開の『YADANG/ヤダン』(야당)を観て、最初に浮かんだのは、「こんな仕事が本当に韓国にあるのか」という驚きでした。
「ヤダン」とは、麻薬犯罪者から情報を集めて検察や警察へ渡し、その見返りとして依頼人の減刑を取り持つ闇の仲介人です(日本公式サイト)。

本作は、この聞き慣れない仕事を軸に、検事、刑事、ヤダンの三者が絡み合う犯罪映画です。
監督はファン・ビョングク。韓国では2025年4月に公開され、日本では2026年1月9日にショウゲートの配給で公開されました(Wikipedia日本語版)。
この記事では、鑑賞後に調べて分かった「ヤダンは本当にいるのか」という問いへの答えを出発点に、本作のテーマ、登場人物の役割、逆襲劇を成立させる構成について考えます。
先に答えを書くと、ヤダンは実在しました。ただし、いまでは消えつつある仕事です。
「あった。そして、終わりつつある」。
この二段構えの答えが、本作の面白さをよく表していると思います。
目次
ネタバレについて
この記事では、検事、刑事、ヤダンの関係が出そろう物語の中盤までに触れます。
終盤の展開と結末は伏せています。
あらすじ|冤罪の男が「ヤダン」になるまで
主人公のイ・ガンス(カン・ハヌル)は、客に薬物を盛られ、麻薬犯罪の冤罪で刑務所へ送られます。
そこへ現れるのが、出世欲の強い検事ク・グァニ(ユ・ヘジン)です。
グァニは、優れた記憶力を持つガンスに目をつけ、減刑と引き換えに「ヤダン」になるよう持ちかけます(日本公式サイト)。
腕力ではなく、記憶力を買われた主人公という出発点です。
ガンスは検察の手足となり、麻薬捜査を裏から動かす腕利きのヤダンへ成長します。グァニも、彼の情報によって検挙実績を積み上げ、出世の階段を上っていきます。
物語の前半は、二人が互いを利用しながら、同時にのし上がっていく過程として進みます。
一方、麻薬犯罪の撲滅に執念を燃やす刑事オ・サンジェ(パク・ヘジュン)の捜査が、少しずつガンスとグァニへ近づいていきます(Wikipedia日本語版)。
ここまでが、三つ巴の駆け引きが始まるまでの設定です。
テーマ|実在した仕組みと、その終わり
「ヤダン」は実在した
鑑賞後に調べて、まず分かったのは、「ヤダン」が映画のために作られた言葉ではないということです。
韓国の京郷新聞によると、この言葉は1960年代から70年代に、スリ組織の情報屋を指す捜査現場の隠語として生まれ、後に麻薬捜査の世界で使われるようになりました(京郷新聞)。
その仕組みは、三者の利害によって成り立っています。
検察や警察は、麻薬犯罪者を検挙するための情報を手に入れ、実績や昇進につなげます。
被告は、捜査への協力を証明する「公的書」と呼ばれる書面を発行してもらい、裁判で減刑を求める材料にします。
ヤダンは両者の間に入り、依頼人から「活動費」などの名目で報酬を受け取ります。
このような取引は、2000年代から2010年代にかけて横行していたと報じられています(京郷新聞)。
私が興味を引かれたのは、この仕組みが、一人の悪人の意思だけで動いているわけではないことです。
検察や警察は実績を得る。被告は減刑を期待する。ヤダンは報酬を受け取る。
三者全員に利益があるからこそ、外からは簡単に壊せません。
本作の緊張感は、この利害関係の上に成り立っています。
情報と減刑を交換し、検事がその成果を出世に利用する。本作の基本設定は、実際にあった構造を物語へ移したものなのです。
麻薬の実害を描くという監督の意図
ファン・ビョングク監督は、本作を作った理由について、麻薬の危険性と深刻さを伝え、麻薬犯罪がもたらす被害を現実的に見せたかったと語っています(青年日報)。
同じインタビューでは、メッセージだけを伝える映画ではなく、娯楽の中にメッセージを込めたいとも述べています。
この二つの発言は、本作の作り方をよく表しています。
まず、ヤダンという珍しい仕事と、検事、刑事、情報屋の駆け引きで観客を引き込みます。
その一方で、物語の周辺には、麻薬によって生活や人生を壊されていく人々が配置されています。
犯罪映画としての面白さと、麻薬の実害を伝える視点。その両方を一本の映画に収めようとしています。
消えつつある仕事を映画に残す
さらに興味深いのは、「ヤダンは現在もいるのか」という問いへの答えです。
映画の公開後、京郷新聞は実際にヤダンとして活動していた人物へ取材しています。
その人物は、「いまの時代にヤダンなんてどこにいるのか」と答えました。制度が厳しくなり、ヤダンの時代は終わりつつあるというのです(京郷新聞)。
劇中のような取引が、現在もそのまま通用するわけではありません。
実際には捜査へ協力していないのに、協力したとする公的書を作れば、虚偽公文書作成として処罰される可能性があります。
つまり本作は、現在進行形の裏稼業を暴いた映画というより、かつて存在し、いまでは消えつつある仕組みを記録した映画です。
「ヤダンは本当にいるのか」という私の疑問への答えは、「いた。ただし、その時代は終わろうとしている」でした。
キャラクター造形|三者の利害を人物に置き換える
登場人物の配置は、ヤダンをめぐる三者の利害関係と重ねると分かりやすくなります。
イ・ガンス|被害者から、仕組みの使い手へ
カン・ハヌルが演じるガンスは、冤罪によってこの世界へ引きずり込まれた被害者です。
ところが物語が進むにつれ、彼はその仕組みを誰よりも巧みに操るヤダンになっていきます。
ガンスは最初、減刑を必要とする被告の立場にいます。そこから、情報と減刑を仲介し、報酬を受け取るヤダンの側へ移っていきます。
一人の人物が、取引の異なる二つの立場を経験するのです。
そのため観客は、彼の目を通じて、仕組みに利用される側と、仕組みを利用する側の両方を見ることになります。
被害者として始まった男が、自分を陥れた仕組みの内側で力をつけていく。
この二重性が、ガンスという人物の核です。
後半の逆襲に説得力が生まれるのも、彼が単なる被害者ではなく、仕組みの裏側を知り尽くした使い手になっているからでしょう。
ク・グァニ|情報を出世に変える検事
ユ・ヘジンが演じるク・グァニは、ヤダンが持ち込む情報を検挙実績へ変え、その成果を出世につなげる人物です。
三者の利害関係の中では、「実績と昇進」を得る側に立っています。
本作は、英語圏でも検察の腐敗を描く犯罪映画として紹介されています(Wikipedia英語版)。
本来は捜査協力を評価するための制度が、個人の出世や権力のために利用されていく。
グァニは、その腐敗の中心にいる人物です。
ただし、単純な悪役としてではなく、ガンスと手を組み、一緒にのし上がっていく相棒のような顔も見せます。
この距離の近さが、二人の関係を単純な加害者と被害者では終わらせません。
オ・サンジェ|取引の外から迫る刑事
パク・ヘジュンが演じるオ・サンジェは、麻薬犯罪の撲滅に執念を燃やす刑事です。
ガンスとグァニが裏で結んだ取引の外側から、二人へ迫っていきます。
サンジェがいることで、物語は「悪徳検事と利用された男」の対立だけにはなりません。
検事、刑事、ヤダンの三者が、それぞれの正義と利益を抱えてぶつかり合う、三つ巴の駆け引きになります。
誰が誰を利用しているのか。誰が味方で、誰が敵なのか。
その関係が変化し続けることが、本作の面白さです。
オム・スジンたち|麻薬の被害を引き受ける人々
チェ・ウォンビンが演じるオム・スジンをはじめ、物語の周辺には、麻薬によって生活を壊されていく人々が登場します。
詳しい展開には触れませんが、監督が語った「麻薬犯罪の被害を現実的に描きたい」という意図は、主にこうした登場人物を通して表れています。
検事やヤダンにとって、麻薬犯罪は情報や実績を得るための材料にもなります。
しかし、その裏には、実際に傷つき、人生を失っていく人間がいます。
周辺人物の存在によって、本作は権力者たちの駆け引きだけを楽しむ映画にはなっていません。
チェ・ウォンビンはこの役で、韓国を代表する芸術賞の一つである百想芸術大賞の候補になっています(Wikipedia英語版)。
映画技法|知らない仕事を理解させ、逆襲へつなげる
ヤダンの仕事を「手順」で見せる
日本の観客の多くは、本作で初めて「ヤダン」という言葉を知るはずです。
私もそうでした。
そこで重要になるのが、序盤でヤダンの仕事を具体的な手順として見せる場面です。
誰から情報を得るのか。誰へ情報を渡すのか。何と引き換えに減刑を取りつけるのか。報酬はどこから生まれるのか。
取引の流れを一つずつ示すことで、観客は聞き慣れない仕事の仕組みを理解できます。
しかも、その内容は、京郷新聞が報じた実際のヤダンの仕組みと重なっています。
単なる架空の職業の設定説明ではなく、実在した裏取引を再現する場面として見ることができます。
知らない世界を観客に理解させながら、その仕組み自体を物語の武器に変えていく。
この序盤の説明があるからこそ、後半の駆け引きにもついていけます。
麻薬の被害を美化しない
麻薬の描写について、監督は、悲惨な現実を隠すのではなく、できるだけ事実に近い形で描こうとしたと語っています(青年日報)。
麻薬を華やかな犯罪映画の小道具として扱うのではなく、その先にある身体や生活の崩壊まで見せる方針です。
本作は後半へ進むほど、逆襲劇としての勢いを強めていきます。
それでも、麻薬の世界を格好よく見せる映画にならないのは、周辺にいる被害者たちと、実害を隠さない描写があるからです。
娯楽性を高めながらも、題材そのものへの警戒を失わないための支えになっています。
三人がそれぞれの敵を狙う
英語圏の紹介では、本作は三人の中心人物が、それぞれ異なる相手への逆襲を抱えた物語として整理されています(Wikipedia英語版)。
前半では、ガンス、グァニ、サンジェの力関係が作られます。
中盤に入ると、それぞれが誰を敵と見なし、何を取り戻そうとしているのかが少しずつ明らかになります。
誰が誰を利用するのか。誰と誰が一時的に手を組むのか。そして、その同盟がいつ裏切りへ変わるのか。
三者の利害がぶつかり、盤面が動き始めるところまでで、後半の逆襲劇への期待が作られます。
タイトルに掲げた「三つ巴の逆襲劇」とは、この構造を指しています。
実在した減刑制度の抜け穴を土台にしながら、情報戦と裏切りが連続する娯楽映画へ仕上げる。
現実の制度と犯罪映画の快感を結びつけたところに、本作の巧さがあります。
まとめ|終わりゆく裏稼業の記録
冒頭の驚きに戻ります。
「ヤダンのような存在が、本当に韓国にいたのか」。
答えは、「いた」です。
ただし、実際にヤダンとして活動していた人物が「いまの時代にヤダンなんてどこにいるのか」と語るように、この仕事はいまでは消えつつあります(京郷新聞)。
本作は、消えゆく裏稼業を、それが最も活発に動いていた時代の姿で映画に残した作品です。
実在した三者の利害関係。それぞれの立場を担う登場人物。そして、その仕組みを利用して形勢をひっくり返す逆襲劇。
この三つが一本につながっていることが、本作の強さだと思います。
珍しい職業を知る驚きだけではありません。
制度の抜け穴をめぐる駆け引きと、検事、刑事、ヤダンの力関係が次々に反転していく面白さがあります。
実在した仕組みを知る犯罪映画としても、三つ巴の逆襲劇としても、『YADANG/ヤダン』は見応えのある作品でした。
鑑賞後に「ヤダンは本当にいたのか」と調べ、映画と現実を照らし合わせる。
その答え合わせまで含めて楽しめる一本です。