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  • 映画『ボディビルダー』|「俺を見てくれ」——恐れられ、無視される男

    私がジョナサン・メジャースを強く意識したのは、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の「征服者カーン」でした。

    『ロキ』『アントマン&ワスプ:クアントマニア』でカーンを演じ、当時『アベンジャーズ:カーン・ダイナスティ』と呼ばれていた作品でも、中心的な悪役を担う予定だった俳優です。

    あの不安定さと威圧感を併せ持つ演技は、強く印象に残りました。

    本作でも、その演技の強度は確かに発揮されています。

    映画『ボディビルダー』

    『ボディビルダー』(Magazine Dreams)は、イライジャ・バイナムが監督・脚本を務めたアメリカ映画です。

    2023年1月20日にサンダンス映画祭で初上映され、作品の製作陣がU.S.ドラマ部門の特別審査員賞「クリエイティブ・ビジョン」を受賞しました(サンダンス映画祭公式サイト)。

    しかし、この映画が一般の観客に届くまでには、2年以上かかりました。

    配給権を獲得したSearchlight Picturesは、2023年12月8日の全米公開を予定していました。

    ところが主演のメジャースは、同年3月25日に当時の交際相手との事件をめぐって逮捕されます。裁判を前にした10月、Searchlightは公開予定を取り下げました(Screen Daily)。

    2023年12月18日、陪審はメジャースに対し、第三級の無謀な暴行と第二級ハラスメントについて有罪、別の2訴因について無罪の評決を出します。同じ日、Marvel Studiosはメジャースとの契約を終了しました(ABC News)。

    その後、Briarcliff Entertainmentが配給を引き受け、サンダンスでの初上映から2年以上が経過した2025年3月21日に全米公開されます(Deadline)。

    日本では、2025年12月19日に邦題『ボディビルダー』として公開されました(日本公式サイト)。

    この記事では、カーンを観たときに「狂気」と呼びたくなったメジャースの演技が、実際には何によって作られているのかを考えます。

    手がかりになるのは、監督が語った「恐れられながら、見えない存在である男」という言葉です。

    ネタバレについて

    この記事では、物語の中盤までの展開に触れます。

    終盤の展開と結末には踏み込みません。未見の方は、その前提でお読みください。

    あらすじ|生活のすべてが「見られたい」に向かう

    主人公は、アマチュア・ボディビルダーのキリアン・マドックス(ジョナサン・メジャース)です。

    両親を亡くしたキリアンは、祖父ウィリアム(ハリソン・ペイジ)を介護しながら、スーパーマーケットで働いています。

    彼の夢は、世界的なボディビルダーとなり、フィットネス雑誌の表紙を飾ることです。

    カウンセラーのパトリシア(ハリエット・サンソム・ハリス)との面談に通い、憧れのスター・ボディビルダー、ブラッド・ヴァンダーホーンへファンレターを書き続け、大会へ出場する。

    キリアンの生活は、そのほとんどすべてが「見られること」に向かって組み立てられています。

    しかし、現実の彼は孤独です。

    職場では周囲に馴染めず、カウンセリングでも自分の内側をうまく言葉にできません。医師から身体の危険を警告されても、トレーニングや薬物の使用をやめようとはしません。

    中盤、キリアンはスーパーの同僚ジェシー(ヘイリー・ベネット)をデートに誘い、初めて現実の人間関係へ踏み出そうとします。

    その一方で、祖父の家の塗装をめぐるトラブルから、業者の店内を素手で破壊してしまいます(The A.V. Club)。

    誰かとつながろうとすること。

    拒絶や屈辱を受けたとき、衝動を爆発させること。

    物語は、その二つの間を往復しながら進んでいきます。

    テーマ|恐れられながら、無視されるということ

    監督の出発点は、ジムにいた実在の男

    バイナムは、本作の着想を、自分が通っていたジムにいた実在のボディビルダーから得たと語っています。

    その男が近づくと、周囲の人々は道を空け、目をそらしたそうです。

    恐れられながら、同時に見えない存在である人間を見た。世界をそんなふうに移動するのは、なんと奇妙なことか。

    Salon

    巨大で威圧的な肉体を持っている。

    誰もがその存在には気づいている。

    しかし、誰も人間としては見ようとしない。

    この逆説が、本作の出発点です。

    日本版のキャッチコピーは「俺を見てくれ」。

    宣伝のために付けられた言葉でありながら、監督が語った着想をこれほど正確に表したコピーも珍しいと思います(日本公式サイト)。

    肉体だけが、世界に命令できるもの

    キリアンは、他人の気持ちを変えることができません。

    自分を好きになってもらうことも、尊敬してもらうことも、理解してもらうこともできない。

    その中で、肉体だけは自分で変えられます。

    食べるものを決める。運動量を増やす。薬物を使う。痛みに耐える。

    バイナムは、ボディビルダーの多くが、過去のいじめや拒絶、身体的な劣等感を経験していることに注目したと語っています。

    自分ではほとんど何も制御できない世界で、身体だけは制御できる。

    キリアンにとって筋肉は、単なる競技の道具ではありません。

    尊敬されるための手段であり、自分がこの世界に存在することを証明する言葉です。

    同時に、その身体は彼を壊していきます。

    誇りにしている身体を、薬物と過度なトレーニングによって自分で傷つける。

    本作が映しているのは、美しい肉体ではなく、承認を得るために使い潰されていく肉体です。

    消し去られることへの恐怖

    バイナムは、キリアンの承認への渇望を、アメリカにおける黒人男性の身体の歴史とも結びつけています。

    キリアンや、この国の他の黒人男性には、本人が自覚しているかどうかにかかわらず、消し去られ、根絶され、絶滅させられることへの根深い恐怖がある。

    Salon

    だから、キリアンが目指す雑誌の表紙は、単なる名声ではありません。

    不特定多数の人から見られ、名前を記憶されること。

    自分が存在した証拠を残すこと。

    つまり、消されないための保証です。

    本作は、『タクシードライバー』や『ジョーカー』のような、社会から孤立した男が暴力へ近づいていく映画と比較されてきました。

    しかし、主人公がアメリカに生きる黒人男性であることで、同じ構図にも異なる意味が加わります。

    大きな黒人男性の身体が、警察や医療関係者、周囲の人々からどう見られるのか。

    キリアンが恐れられることと、助けを求めても十分に聞き取られないことは、切り離せません。

    「狂気」と呼ぶ前に

    私にとって、この映画へ入るきっかけは、カーンで見たメジャースの不安定で威圧的な演技でした。

    本作のキリアンにも、いつ爆発するか分からない怖さがあります。

    しかし、それを「狂気」の一言で片づけると、本作が描こうとしているものを取りこぼします。

    バイナムは、ボディビルについて次のように語っています。

    おそらく、他のどのスポーツよりも献身を必要とする。非常に孤立した競技で、人を蝕むこともある。

    Salon

    さらに、身体作りには「宗教的な献身」があるとも表現しています。

    トレーニング、食事、睡眠、薬物。

    キリアンの生活には、競技と無関係な時間がほとんどありません。

    肉体を築くことは、彼にとって信仰に近い行為です。

    しかし、どれだけ身体を大きくしても、人との関係を作る方法は身につきません。

    人から見られるための肉体を作り続けながら、目の前の一人とどう話せばよいのか分からない。

    彼の暴発は、単なる奇行としてではなく、承認を求める方法を一つしか持たない人間が行き着いた場所として描かれています。

    キャラクター造形|キリアンを見る人、見ない人

    キリアン・マドックス|巨大なのに、見えない男

    キリアンは、「恐れられながら、無視される」という逆説を、そのまま体現しています。

    身体は、どこにいても目立ちます。

    しかし周囲の人々が見ているのは、巨大な肉体や危険そうな雰囲気であって、キリアン本人ではありません。

    メジャースの演技への評価は、批評の中でもおおむね一致しています。

    Rotten Tomatoesの批評家スコアは80%で、総評も、脚本上の難点はあるものの、メジャースの献身的な演技によって観る価値のある作品だとまとめています(Rotten Tomatoes)。

    Inverseは、その演技を「猛烈」と表現しました。

    そして、キリアンの無垢さ、世間知らずなところ、むき出しの孤独を信じずにはいられないと評しています(Inverse)。

    一方、人物の書き方には批判もあります。

    The A.V. Clubは、脚本がキリアンを「歩く時限爆弾」にとどめ、内面の十分に見えない人物にしていると指摘しました(The A.V. Club)。

    演技は絶賛されている。

    しかし、脚本による人物造形については評価が分かれている。

    これが、本作の批評を大きく二つに分けた点です。

    メジャースは、身体の緊張、声の震え、ぎこちない笑い方によって、脚本に書かれていない部分まで埋めています。

    そのため、キリアンという人物の厚みが、脚本によるものなのか、俳優が作り出したものなのかを切り分けることは難しくなっています。

    カーンとキリアンは、同じ時期に作られていた

    ここで、カーンとの時系列を整理しておきます。

    本作は、「カーンを演じた後」にメジャースが挑んだ作品ではありません。

    メジャースの出演は2021年に決まり、『ボディビルダー』の撮影と、MCUでカーンを演じていた時期は重なっています。

    サンダンスでの初上映も、『アントマン&ワスプ:クアントマニア』の全米公開より前でした。

    つまり、カーンで見せた不安定な威圧感が、後からキリアンへ持ち込まれたわけではありません。

    二つの演技は、同じ時期に並行して作られていました。

    私がカーンで目にしたものの源泉に近い演技が、より純度の高い形で本作にある。

    時系列に沿って言い直すなら、そうなります。

    ジェシー|たった一人の前で、自分を見せられない

    スーパーの同僚ジェシーは、キリアンが「見られたい」と願う相手として、初めて現実の人間関係を試みる人物です。

    演じたヘイリー・ベネットは、ジェシーについて、彼女もまた拒絶されることに慣れた人間であり、共感的で謙虚な人物だと説明しています。

    そして本作全体を「負け犬たちへの映画的な詩」と表現しました(Collider)。

    二人がダイナーで向かい合うデートの場面は、本作の中盤で特に重要です。

    キリアンは、ボディビルの話しかできません。

    大会のこと。食事のこと。憧れの選手のこと。

    自分を知ってほしいと思っているのに、相手が何を感じているのかを受け取る余裕がありません。

    雑誌の表紙を通じて何万人もの人に見られたいと願う男が、目の前のたった一人に、どう自分を見せればよいのか分からない。

    本作のテーマが、最も痛々しい形で表れる場面です。

    ブラッド・ヴァンダーホーン|返事の来ない手紙の宛先

    キリアンは、スター・ボディビルダーのブラッド・ヴァンダーホーンへ、繰り返し手紙を書きます。

    ブラッドは、キリアンにとって成功した未来の姿です。

    雑誌の表紙を飾り、大勢から尊敬され、その肉体によって存在を認められている。

    しかし、手紙に返事は来ません。

    返事のない手紙は、キリアンの願いが一方通行であることを、何度も観客へ突きつけます。

    Inverseは、黒人男性であるキリアンが白人ボディビルダーを崇拝する姿に、同化への欲望も読み取っています(Inverse)。

    誰にも消されない存在になりたい。

    そのために、成功者と同じ身体、同じ表情、同じ立場を手に入れたい。

    憧れは、承認への願いであると同時に、自分ではない何者かになろうとする願いでもあります。

    祖父とカウンセラー|残された細い糸

    祖父ウィリアムは、キリアンに残された唯一の家族です。

    祖父を介護するキリアンの手つきには、競技や怒りの場面では見えない穏やかさがあります。

    暴力的な衝動を抱えていても、他者を気遣う力が完全に失われているわけではない。

    祖父との関係は、そのことを観客へ示します。

    カウンセラーのパトリシアは、社会がキリアンに差し出している唯一の公的な窓口です。

    彼女はキリアンの言葉を聞こうとします。

    しかしキリアンは、自分の苦しみを説明するための言葉を持っていません。

    祖父とカウンセラーは、キリアンが社会とつながるために残された細い糸です。

    それでも、その糸だけでは彼を支えきれない。

    この二人の配置は、「もっと早く、もっと深く、誰かがキリアンを見ていたら」という問いを残します。

    映画技法|雑誌の光と、24日間の切迫

    雑誌の表紙のような光

    撮影監督は、『TRUE DETECTIVE』などを手がけたアダム・アーカポーです。

    Sounds of Cinemaのレビューは、本作の映像について、雑誌の撮影を思わせる照明を使った、強く様式化された画面だと指摘しています(Sounds of Cinema)。

    キリアンが夢見ているのは、雑誌の表紙に載る自分です。

    大会の舞台やトレーニング中のキリアンを、カメラは彫刻や神話の人物のように照らします。

    その瞬間だけを切り取れば、彼はすでに夢を実現したように見えます。

    一方、自宅や職場にいるキリアンは暗く、狭い画面の中に置かれます。

    光の中で完成された肉体。

    暗い部屋で孤立する人間。

    その落差によって、キリアンが他人に見せたい姿と、実際の生活が分けられています。

    なお、この照明について撮影監督本人が説明した発言は、確認できませんでした。

    ここで書いたのは、批評の観察をもとにした私の解釈です。

    24日間しかなかった撮影

    本作の撮影期間は、わずか24日間でした。

    バイナムは次のように語っています。

    この映画は、本来なら45日間を必要としていた。しかし予算がなかった。45日あったら、同じ映画になっていたかは分からない。

    Collider

    物語の中でキリアンは、肉体と精神を限界まで追い込んでいきます。

    撮影現場もまた、短い期間の中で作品を完成させなければならない切迫した状態にありました。

    限られた日数の中で、画面や演技を細かく整える余裕がなかった可能性はあります。

    一方で、その余裕のなさが、作品全体の緊張感につながったとも考えられます。

    バイナムは、リハーサルでメジャースが見せた予想外の演技を受け、当初の構想を変えたことについても語っています。

    共同作業者に自分を明け渡す。ジョナサンと演出と撮影の間のダンスだ。

    (同上)

    短い撮影期間の中で、監督は俳優の提案を抑えるのではなく、作品へ取り込もうとしました。

    その委ね方が、メジャースの演技を映画の中心へ押し出しています。

    役名で大会に出た俳優

    バイナムによれば、メジャースは「キリアン・マドックス」の名前で、実際のボディビル大会にも出場したといいます(Salon)。

    これは、単なる肉体改造の逸話ではありません。

    キリアンは、大勢の視線の前に立ち、身体を評価されることを夢見る男です。

    メジャースは役として、実際の審査員と観客の前に立ちました。

    スクリーンの中だけで大会の緊張を演じたのではなく、その視線を実際に経験しています。

    肉体を作るだけではなく、キリアンが求めていた視線の中へ入る。

    この没入が、舞台上の演技に独特の緊張を与えています。

    私がカーンを観たときに「狂気」と呼びたくなった演技の強度も、おそらくこの過剰な没入から生まれています。

    ただし本作では、その過剰さが、過剰にしか生きられないキリアンという人物と正面から重なっています。

    まとめ|「俺を見てくれ」の先に

    冒頭の話に戻ります。

    カーンで印象に残ったメジャースの演技は、本作でも確かに発揮されていました。

    しかし、それを「狂気の演技」とだけ呼ぶのは、正確ではなかったと思います。

    バイナムが描こうとしたのは、恐れられながら無視される男です。

    消されることを恐れ、自分の身体を巨大にし、雑誌の表紙に載ることで、存在の証明を残そうとする。

    しかし、どれだけ身体を鍛えても、他者とつながる方法は手に入らない。

    メジャースの演技の強度は、その矛盾へ肉体ごと応えた結果でした。

    最後に、避けて通れない現実について書いておきます。

    暴力へ近づいていく男を演じたメジャース自身は、2023年12月、当時の交際相手との事件をめぐり、第三級の無謀な暴行と第二級ハラスメントで有罪評決を受けました。一方、意図的な暴行と加重ハラスメントについては無罪となっています(ABC News)。

    この事実によって、映画の公開は2年以上遅れました。

    現実の事件と、映画の中のキリアンを安易に重ねるべきではありません。

    同時に、主演俳優をめぐる現実を、作品から完全に切り離して観ることが難しい映画でもあります。

    この記事では、事件の事実関係を示したうえで、演技と作品の評価とは分けて考えました。

    その二つを最終的にどう受け止めるかは、観客一人ひとりに委ねられています。

    「俺を見てくれ」というキャッチコピーは、キリアンの叫びです。

    そして、サンダンスで評価されながら2年以上観客の目から遠ざけられた、この映画そのものの叫びのようにも聞こえます。

    私がカーンで目を奪われていたものの正体を、本作は教えてくれました。

    参考資料