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  • 会話の糸口としての音楽、落語、酒と映画

    会話の糸口としての音楽、落語、酒と映画

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    ボクは基本的に人づきあいが苦手です。面倒に感じてしまいます。でも、人間は社会的な生き物で、人づきあいせずには生きていけません。そこで、会話が苦痛にならないように戦略を立てるようになります。ふつうの人はこんなこと考えずに済むのかもしれませんが、人づきあいが苦手なボクには戦略が必要なんです。かわいそうだと思われるかもしれません。まあ、そうですよね。こんなこと考えながら会話をするって不幸なのかもしれません。でも、それがボクなんです。

    「どんな哺乳類が好きですか?」って質問されたら困りますよね。「動物園で見るならどんな動物を見たいですか?」くらい具体的だと答えられます。それならボクの場合はオランウータンです。できればシンガポール動物園のように一緒に写真撮影とかできるとうれしい。「哺乳類が好き」ってペットとして飼うなら、食用として食べるならとか、他にも色々なケースが考えられますからね。そんなのわかっているから、「どんな哺乳類が好きですか?」なんて聞く人はあまりいない。「イヌ派?ネコ派?」くらいに適度な粒度で答えやすい質問になる。動物に関する質問は、こうやってイヌとネコによって世界が平和に導かれ、会話として成立します。

    「どういう音楽が好きですか?」という質問は「どんな哺乳類が好きですか?」と同じ意味で困ります。まず、音楽の種類は哺乳類並みに幅広いし、様々なケースが考えられるからです。寝る時とか、踊る時とか、カラオケで歌う時とか。それでも会話の糸口として「どういう音楽が好きですか?」は頻繁に使われます。そもそもボクは多くの人たちが聴くであろうジャンルはあまり聴かないのです。「どういう音楽が好きですか?」という質問の目的である会話の糸口を掴むきっかけを提供できない。だから困る。「わたしはヘビーメタルが好きだが、あなたはどうか?」ぐらい具体的だと助かります。それなら「最近のヘビーメタルはわかりませんが、NWOBHM以前の昔のヘビーメタルやハードロックはたまに聴きますよ。六本木のバウハウスも気が向けば行きます」くらい会話の糸口は提供できます。特に好きではないけど、会話のおつきあいくらいはできる程度に知ってますよと。

    「落語とか聴きますか?」は粒度としてはちょうどいいのですが、身構えてしまう質問です。そういう人はたいてい落語のカセットテープとかCDをたくさん持ってて、古今亭志ん生や三遊亭圓生のみならず三遊亭金馬や古今亭馬生とかたくさん聞いてる。生前の古今亭志ん朝や立川談志の高座もちゃんと観ている。今だと立川志らくや柳家喬太郎の高座に行ったりする。「落語とか聴きますか?」という質問だけで、その人のプロフィールがなんとなくわかってしまう。こちらも身構えてしまいます。だから「志ん朝さんや談志さんは生前は一人会をよく観ました。今だと新作は円丈さんとか白鳥さん、古典は最近はあまり聴きませんね」とこちらの守備範囲を定義するような返答をします。三代目金馬が四代目と比べていかに偉大だったか語られてもついていけませんよと。

    「どういうお酒が好きですか?」は困るし、身構える質問ですね。そこで、まず「醸造酒よりは蒸留酒の方が好きです」と答えるようにしています。まずは粗めに答えて、会話の糸口となる粒度を探ります。あまりお酒に詳しくない人だと「醸造酒と蒸留酒って何ですか?」となる。日本酒が醸造酒、焼酎が蒸留酒。焼酎のほうが好きってことです。少しわかってる人だと、「ウィスキーとかですか?」と少し掘り下げてくる。そうすると「ウィスキーより最近はジンとラムにハマってます。あと、芋焼酎も好きです」と少し腹を割って話せる。

    会話の糸口としての「映画好きですか」は偉大な質問です。まず、映画をあまり観ない人はこんな質問をしない。そして、映画好きは間口が広い人が多い。もちろん、好みはあるのだけれど、守備範囲以外でもそこそこ語れる可能性が高い。アヴェンジャーズが嫌いでも、なぜ嫌いなのか語れる。ゾンビ映画が苦手でも架空のゾンビ映画について想像を巡らせることができる。「自分が作るなら、こんなゾンビ映画」とか「走るゾンビはアリかナシか」とか。音楽の好き嫌いは人間関係をギスギスさせるけど、映画の好き嫌いは会話を豊かにする。不思議なものです。

    ただ、アニメは難しい。ガンダム以降をフォローしているかどうかで、会話の運用が全く異なる。つまり、『まどマギ』とか『天元突破グレンラガン』とか『PSYCHO-PASS』とかまで踏み込んでこれるか。何なら「『映像研には手を出すな!』楽しみだよねー。NHKアニメは『未来少年コナン』とか『電脳コイル』とか優秀作が多いもんね」とか。ここまで踏み込める人だと昔のアニメでも金田パースとか板野サーカスとかDAICONとか話ができる。

    で、結局は何が言いたいのか?会話には適切な粒度と方向性が必要ということです。粒度というのは広すぎず狭すぎずのバランスってことです。漠然と哺乳類の話ではなく、動物園の動物の話とか。方向性とはどっちの方向にもっていくかってことです。音楽の話をして、「じゃあ、今度一緒にライブに行こうか」なのか、お酒の話をして「じゃあ、今度一緒に飲みましょうよ」なのか。あと、この戦術は「受けの戦略」なので、会話の「引き出し」を多く持つ必要があります。「カタパルトさんって、何か投げても必ず何か返すよね」といわれることが多いです。それだけ間口を広くとってるからです。単にいろんなことに興味があるってのもありますが、知らないことが不安なのかもしれません。

    これが人づきあいが苦手なボクの会話の戦略です。もし、同じような人がいたとしたら参考にしてください。

  • 殺すアートと救うデザイン、そして死にゆくデザイン

    殺すアートと救うデザイン、そして死にゆくデザイン

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    三年前の今日。2016年11月6日、あるデザインのイベントで、日本のデザインに大きな影響を与える事件が起きました。いや、ひょっとしたらデザイナーは何も感じていないのかもしれません。悲しいけど、そういうこともあるよねって思っているのかもしれません。自分とは関係ない話だと思っているかもしれません。ある事件をきっかけに「何か起きた」だけが影響ではありません。「何も起きなかった」も結果ですし、影響を与えます。人間が車を運転しないほうが事故が減るかもしれないように、人間がデザインをしないほうが事故が減るのかもしれません。そう考えさせる出来事でした。

    今年開催された『クリムト展』を観たとき、彼を代表とするウィーン分離派はデザイナーの集まりだったんだと思いました。クリムトの『ベートーヴェン・フリーズ』もそうですが、彼らの出版した月刊誌『ヴェール・サクルム』の画集を眺めていると、洋服のパターンナーの仕事との共通点を感じます。デザイン(design)の定義の一つは「装飾的なパターン”a decorative pattern”」ですからね。でもクリムトの作品はデザインではなく、アートです。装飾的なパターンとしてデザイン的ですが、しっかりとアートです。『クリムト展』はアートの展示なので、アートで全く問題ありません。

    六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催された『虫展』は「デザインの新たな一面を虫から学ぶ展覧会」との触れ込みでした。でも、デザインを感じさせる部分は少なく、ボクはむしろアートだと思いました。虫の羽の折りたたみとか、蟻のコミュニケーションとか、デザイン的な展示もありました。虫のこういう部分が、商業製品と似てるね、とか。でも、やっぱりアート的な展示の方が多かったとボクは思いました。「デザイン」という言葉は必要だったでしょうか?

    また、『デザイナート』というデザインとアートの横断するモノやコトに注目するイベントもありました。デザインの日本語訳は「設計」です。ビルや洋服、商品やサービスの見た目や中身を設計するのがデザインです。使うモノやサービスを設計するのがデザインであれば、その目的はモノやサービスを使いやすくすることです。『虫展』や『デザイナート』にはそのような目的や意図を感じることはできませんでした。面白いイベントだとは思いましたけどね。

    これらの「デザイン」と関連する展示をいくつか観て、思いました。日本はやっぱりデザインを理解してないんだな。振り返りができず、学べない。結局のところ、見た目がいいのがデザイン。オシャレっぽいのがデザイン。根本的なデザインの目的である「人を助ける」は二の次。

    振り返れば、『東京デザインウィーク』もアートなのかデザインなのかよくわからないイベントでした。そして、それが悲劇の根本的な原因だと思います。あのジャングルジムは根本的にデザインの仕事ではありませんでした。アートとデザインは重なり合う部分もありますが、決定的な違いもあります。アートの目的は対話です。アーティストとオーディエンスの作品を通じての対話です。その結果、救われることもあるでしょうし、ショックで死んでしまうこともあるでしょう。デザインの目的は人を救うことです。デザインが利用者と対話をすることもあります。デザインの対話は目的を達成するための手段です。ユーザーが使いやすいように語りかけているのです。「ほら、ここを押せば開くんだよ」と。それが、アートとの違いです。

    例えば建築があったとします。素晴らしいアートとしての住居は、ひょっとしたら住みにくいかもしれません。そもそも玄関がないかもしれません。建物ですらないかもしれません。しかし、人に何かを問いかけるでしょう。住居とは何なのか?アートは挑発します。一方で素晴らしいデザインの住居は、住みやすいはずです。長く住みたくなるはずです。人を招きたくなるかもしれません。それとも、一人で集中できる環境を提供してくれるかも。それがデザインです。アートとデザインは重なる部分はありますが、根本的に目的が違います。もちろん、悪いデザインもあって、人の役に立たない場合もあります。それをなくすのがデザイナーの仕事です。

    悲劇的なデザイン ―あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?

    悲劇的なデザイン ―あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?

    • 作者: ジョナサン・シャリアート,シンシア・サヴァール・ソシエ,高崎拓哉
    • 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
    • 発売日: 2017/12/27
    • メディア: 単行本
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    東京デザインウィークの火災で5歳男児が亡くなった事件は日本の「デザイン」に暗い影を落としました。当時、日本に帰ってきたばかりのボクは「起きたこと」にも驚きましたし、悲しみましたが、「起きなかったこと」にも驚き、悲しみました。

    三年経った今年に入り、学生や教授、イベント主催者の社長が書類送検となり、事件としては一応の決着がついた形です。人災だった。消火設備の不備だった。ずさんな運営だった。それだけですか?もう一度思い起こしてください。デザインって何ですか?

    デザインウィーク自体は無くなっていません。株式会社TOKYO DESIGN WEEKとともに東京デザインウィークを主催していた特定非営利活動法人デザインアソシエーション 日本デザインウィークを継続的に運営しています。何にも変わっていません。当時の関係者で唯一まともに振り返りをしたのは茂木健一郎さんくらいで、あとはほぼ全員だんまりを決め込みました。振り返った茂木健一郎さんもなんだかんだ言って日本デザインウィークと関わり続けています

    当事者だけではありません。日本のデザイン業界がこの件に関して振り返り、二度と繰り返されないよう努力はしませんでした。何事もなかったようにデザインウィークは続いています。オシャレで「デザインっぽい」イベントも毎年開催されます。デザイナーとしてこのようなことが起きないようにするためにはどうしたらいいか?などという問題提起は見たことがありません。ボクが見つけられなかっただけかもしれませんが。「何か言う」のも行動であれば、「何も言わない」のも行動ですからね。日本において、デザインの意味ってなんなんですかね?結局のところはデザインはアートっぽくてお金がもらえるオシャレな何かなんでしょうか?死んだんですよ、子供が。

    AIは過去から学び、改善を続けます。マーカス・デュ・ソートイの”The Creativity Code”で検証されているように、人工知能がアートを表現するのはまだまだ先になりそうです。対話は意思がないとできないからです。でも、デザインはそのうちAIでもできるようになると思います。むしろ、人間よりいいデザインを作ることができるようになるかもしれません。インターフェースなんてユーザーの利用履歴からリアルタイムで最適化とかできそうですものね。日本のデザインは元気ですか?

  • フェイクの時代

    フェイクの時代

    昔からプロパガンダや情報操作はありました。戦時中の大本営発表とかね。インターネットは情報をオープンにすることで、透明性の高い公平な世の中がやってくると期待されていました。昔はマスメディアしか情報を得ることができませんでした。雑誌や新聞やテレビ。そうした限られた情報源から操作された情報を流されたらどうしようもありませんでした。インターネットはそれを変えてくれると期待されていました。

    いま、これらをすべて過去形で書かなければいけないのが非常に残念でなりません。

    インターネットはフェイクニュースであふれています。昔は情報源は限られていましたが、いまはあらゆるところからフェイクニュースが流れてきます。偽情報は他のコンテンツと共に中央集権型からインターネットらしい分散型に進化しました。

    メディアも多様化したようでいて、実はさほど多様化していません。むしろ集約化しているかもしれません。だって、ほとんどの情報はグーグルかフェイスブックかツイッターから得ますよね。もし、グーグルとファイスブックとツイッターが情報操作をしていたら?彼ら自身が情報操作をしなくても、誰かが彼らを利用して情報操作をしたら?これが現実的に起きてしまったのがケンブリッジ・アナリティカの事件でした。

    ネットフリックスで現在公開されている『グレートハック:SNS史上最悪のスキャンダル』がさらけ出したのは、インターネットが民主主義を攻撃するツールへと変貌してしまった姿です。インターネットも所詮はツール。インターネット自体に色はありません。使う人によって明るい未来を生み出すこともできるし、暗黒の世界に落とし込むこともできます。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグだって、グーグルのラリー・ペイジだって、ツイッターのジャック・ドーシーだってこんな世の中を作りたかったわけではないでしょう。

    インターネットは開かれた世界ではなくなってしまいました。いや、壁があるわけではないんです。非常に広大なオープンスペースです。しかし、そこには基幹道路が通っていて、みんなそこを走っている。その基幹道路の名前がグーグルやフェイスブックです。バズフィードと並ぶバイラルメディアのアップワーシーの創業者であるイーライ・パリサーはそれを「フィルターバブル」と呼びました。情報がアルゴリズムで歪んでしまい、そこにあるのに見えなくなってしまう現象です。まあ、お前が言うなという気がしないでもないですが。

    閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

    閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

    しかし、ケンブリッジ・アナリティカ(だけ)がトランプ政権やブレグジットを起こしたわけではありません。それほど単純ではないのが現代のフェイクの根深いところです。これまでのフェイクは政府のプロパガンダメディアの印象操作みたいに発信元が(あとあと考えればなのかもしれませんが)わかりやすいものでした。現代のフェイクは貧しい国が簡単にお金を儲けるビジネスモデルにもなっています。例えばフェイクニュース工場といわれるマケドニアです。AIとか特別な技術は必要なく、ただインターネットに接続できればフェイクニュースを作って簡単に金儲けができます。DeNAの医療バイラルメディアで問題を起こしたWELQも同じです。

    また、フェイクはエンターテイメントにもなっています。最近話題になったのはディープフェイクのフェイススワッピングアプリのZAOですね。ユーザーはZAOにアップロードした自分の顔データをメーカーに無償で永続的に提供する利用規約になって問題になりました。さらに個人データは第三者に譲渡できて、再ライセンスもできる記述となっていました。個人データももちろん問題なのですが、簡単にフェイクを作れてしまう技術ができたこと自体がこの問題の根の深さなんだと思います。

    技術的にはAIが使われてたりするのですが、泥棒も警察もAIを使ってイタチごっこになっています。TikTokで有名な中国のスタートアップ头条(ByteDance)は元々はニュースアプリで有名になり、AIでの記事の生成も世界に先駆けて実現しました。このような正しい使われ方をする分にはいいのですが、フェイクニュースを大量生産できるという意味でもあります。AIによるフェイクニュースを阻止する技術も生まれつつあります。すでに有名なツールとしてはBotometerがありますし、IBMとMITは共同でAIを使って生成されたテキストを発見するツールGLTRを発表しました。

    最近では声もフェイクできます。フィッシング詐欺が問題になっていますが、音声のフィッシングであるヴィッシング(Vishing)も登場しました。ヴィッシングには音声のディープフェイク技術が使われています。やっぱりイタチごっこなのですが、イスラエルのPindropのような音声のディープフェイク対応したソリューションも出はじめています。もう、こうなるとマッチポンプなんじゃないかと疑いたくなってきますよね。

    昔からメディア・リテラシーは大事だと言われていますが、ここまでフェイクが高度化して大量生産されてしまうと、また違うレベルのリテラシーが必要になってくるのかもしれません。

  • 反省なきPDCAと終戦記念日

    反省なきPDCAと終戦記念日

    Photo by sergio souza from Pexels

    あまり気にしたことがないかもしれませんが、PDCA(PLAN-DO-CHECK-ACT)は日本独自のコンセプトと言って差し支えないでしょう。発案者はアメリカ人でコンサルタントだったW・エドワーズ・デミングですが、むしろトヨタのPDCAとしての方が有名です。日本では今でもPDCAに関する書籍が多く発行されています(海外では聞いたことありません)。

    反省のないPDCA

    PDCAを非常に簡単に言えば「計画して、やったことを、振り返り、改善する」ですね。なんだ、当たり前のことじゃないか。そう思うかもしれません。実際に当たり前のことだと思います。こんな当たり前のことなのに、なんで巷にはPDCAに関する書籍が溢れているのか。日本に帰ってきた当初は理解できませんでした。PDCAをさらに推し進めた考え方がリーン・スタートアップで、そっちはイマイチ盛り上がっていないのに。

    色々な企業とお付き合いする中で見えてきたのが、日本人はPDCAの中でも「振り返り」が苦手だということ。計画も実行もする。でも、振り返らない。振り返らないというよりも、振り返れない。振り返るためには、計画が数字的に検証可能な「仮説」となっている必要があります。仮説には以下の要素が必要です。

    • どれくらいの期間
    • どのような変化を与えると
    • どのような結果が得られる

    そして、仮説は明確で簡潔でなければいけません。あと、一番大事なのが数字で測定できることですね。多くの日本企業が作る「計画」は仮説になっていません。だから、実行した後に振り返れません。仮説と混同しやすいコンセプトに「推測」があります。よく言えば「予測」ですが、悪く言えば「憶測」です。

    市場はこのような方向に進むだろうから、こういう計画をする。

    これは「推測」であって「仮説」ではありません。「このような方向」はIoTとかキャッシュレスとか少子化とか高齢化とかそういうキーワードが入ります。みんなそっちの方向へ向いているから、安心なのでしょうが、それで失敗しても「市場は予想通りの方向に進まなかった」になってしまいます。つまり、失敗の原因を外部に求めてしまうため、自らの内部的な失敗を振り返ることができません。

    もちろん、そういうビジョン的なアプローチも必要です。ビジョンとはもっと壮大で、多くの人が惹きつけられるようなものです。どこかの借り物のようなものではなく。そして、ビジョンには計画が必要で、計画には仮説が必要なのです。PDCA大好きな日本人が仮説に基づく検証が苦手なのはとても不思議です。

    反省のない戦争

    夏は終戦記念日でもあるため、多くの「振り返り」の企画があります。特集記事やテレビ番組です。トーンとしては「悲惨な戦争体験を後世に伝えて、二度とこのようなことが起きないようにしよう」です。本当にそうですよね。戦争はいけません。ただ、少しきになるのが、多くの場合、日本人を被害者として描いているところです。東京大空襲や、広島と長崎の原爆投下、末期の沖縄戦、シベリア抑留などです。もちろん、多くの被害者ができましたし、このような悲惨な出来事が二度と起きないようにしなければいけません。

    でも、本当に二度と起きないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?

    多くの日本人の歴史観は「日本はソ連とアメリカの陰謀で勝ち目のない戦争に突入することを余儀なくされ、当然の結果として負けた」なのではないでしょうか。人によっては「欧米に植民地化されていたアジア諸国を解放した」と考えている人もいるかもしれません。日本人が全員そういう考えだとは思いませんが、この季節のテレビ番組を観ていると、そういう歴史観が透けて見えてきます。自分たちは被害者。加害者としての自分たちを見つめ直していません。朝日新聞の『インパール作戦「日本兵かわいそう」地元が語り継ぐ歴史』を読んでちょっと驚いてしまいました。あの左巻きで有名な朝日新聞ですら、そこまで自分たちを被害者として推しますか?

    そういう歴史観があることは否定しませんが、それだと本当の意味での「振り返り」はできないし、結果として二度と悲惨な出来事を起こさないというゴールに結びつきません。戦争を「計画」して「実行」しましたが、「振り返り」ができていないため「改善」ができません。つまり、戦争のPDCAはまだ終わっていないのです。

  • 企業のイノベーションプロジェクト成功に本当に必要なこと

    企業のイノベーションプロジェクト成功に本当に必要なこと

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    夏休みということもあり、このブログで紹介するような書籍は読んでいません。劇団☆新感線の『けむりの軍団』を見に行ったり、話題の『三体』を読んだり、カレーのメニューを開発したりしています。そのため、通常のブログ記事の更新はありません。

    今回は最近ちょっと考えていることを書きます。

    このブログは「イノベーションに効く世界の情報を日本語で」をテーマにして英語や中国語の情報をいち早く日本語でお届けしています。ブログをはじめた頃はまだ海外にいました。海外だからこそ入ってくる情報もあるので、それを日本語で紹介するという趣旨でした。途中で日本に戻ってきましたが、外国の情報を日本語で発信するスタンスは変わっていません。

    知らないことに興味はない

    一般誌や書籍の編集者とお話しする機会があります。私もブログではなく紙の媒体で書いたらどうかと紹介してくださる方々のおかげです。紙媒体の編集者の方々と話をしていると一般読者は「知らないことに興味はない」と言われます。海外事情はあまり読まれないそうです。例えば、セブンイレブンやユニクロのような知っている企業の事件や出来事には興味を持たれます。海外のことより、日本のことの方に関心がある。とはいえ、日本企業のことや、すでに知られている事象に関してはボクより詳しい人たちはいっぱいいます。お話をいただき、ありがたいのですが、ボクが書く意味ってあまりない。そういうわけで、ボクはこのブログで書き続けてます。

    それにしても「知らないことに興味はない」はかなり深い洞察だと思いました。生活していれば強制的に入ってくる知識が一方であり、求めなければ入ってこない知識も他方にある。衣食住に関する知識が前者、それ以外が後者。コンマリとか前者から興味が派生したコンテンツ。コスメ情報なども多くの女性にとっては前者に属するコンテンツなのでしょう。衣食住など常に触れる(みんな知ってる)知識から派生するコンテンツは強いです。一般読者向け。

    ジャニーズに関する情報は後者(求めなければ入ってこない知識)に属するコンテンツだと思います。テレビを見ていればジャニーズに関してそれなりの情報は入ってくる。しかし、熱狂的なジャニーズファン(=ジャニオタ)の情報力は一般のボクらとは全く違います。嵐とKAT-TUNのコンサートにおける振る舞いの違いを説明されたけど、感心するだけで何もリアクションが取れませんでした。へー、すげー。そうなんだー。このブログで書いている海外の情報も後者(求めなければ入ってこない知識)ですよね。ジャニオタが求める(みんなは知らない)コアな情報とあまり変わらない。ニッチ読者向け。

    シーズとニーズの問題

    企業のイノベーションプロジェクトに関わるとシーズからはじめるか、ニーズからはじめるかが議論となるケースが多いです。多くの破壊的なイノベーションはシーズから生まれました。たとえばiPodなんて代表例ですよね。ニーズは顕在化していないけど、そこにニーズがあるはずだとタネ(シーズ)をまく。世に出た時に初めて気がつく、目から鱗。これがシーズのアプローチです。iPodが登場した時は、かなり懐疑的な人たちが多かったのを覚えていますか?トヨタのプリウスもそうでしたね。でも、このシーズのアプローチを意識的にやるのはかなり難しい。大企業の研究所ではシーズ探しの活動をしていますが、一攫千金みたいなところがあって、なかなか続きません。しまいには研究所や研究部門もコスト対効果を求められるようになったりして。営業からのニーズがなければお金を使ってはならんみたいな。

    ニーズのアプローチは顕在化しているユーザーニーズに応えるアプローチです。Googleの検索なんてニーズのアプローチですよね。Altavistaを含めてろくな検索エンジンがなくて、困っていたところに、Googleが検索問題をほぼすべて解決してくれました。任天堂のファミコンもそう。当時はゲーム機一台で複数のゲームは遊べませんでした。それをカセット方式でいろんなゲームを遊べるようにしたのがファミコン。

    シーズからはじめても、ニーズからはじめてもいいのですが、両方に必要なのが深い洞察と好奇心です。トヨタ生産方式の代表的な手法であり、デザイン手法としても用いられる「なぜなぜ分析Five Whys)」は思考実験から深い洞察を得る手法です。海外のデザインプロジェクトではよく使われるのですが、日本ではあまり使われていません。不思議ですよね、日本生まれの手法なのに。深い洞察がなければ、シーズだろうが、ニーズだろうが凡庸なアイデアしか出てきません。ネットを検索すればたくさん出てきますよね、「交通費精算自動化」とか「置き傘シェアリング」とか「自動議事録」とか。企業内でアイデアコンテストをやれば、社員から出てくるアイデアはこれら「ありがちなネタ」がほとんどになると思います。深い洞察が足りないからです。

    「なぜなぜ分析」を使えば「なんでそうなんだろう?」と原因を深掘りできますし、「そもそもなんでそうしたいんだろう?」とさらに高い視座に立って見ることもできます。それが問題なのはわかるけど、そもそもやりたいことは何?その場合、ボクは「そもそも分析」とよんでいます。「なぜ?」という思考には好奇心が必要です。テレビアニメ『一休さん』の登場人物の中で最強の思考回路を持ったのは賢い一休さんではなく、何もわからず「Why?」を繰り返す「どちて坊や」でした。知識は結果で、好奇心が原動力です。深い洞察は好奇心がなければ生まれません。

    ©️東映アニメーション

    「知らない」と「知りたくない」は違う

    企業の中でイノベーションプロジェクトに携わる時、まずは知識レベルを上げる活動からはじめるのが効果的だと思います。そして、小さなプロジェクトでその知識を実践する。予算もゼロで、クラブ活動的なもので構いません。多くの人たちは知識を拒絶しているわけではなく、単に「知らない」のです。「知らないことに興味はない」のですが、知れば興味が湧きます。きっかけが大切です。好奇心を生むちょっとしたきっかけ。いろんなことを知る機会を作る、その知識を実践する場を与える。これを繰り返していくしかありません。

    経験則で言えば60%くらいの人たちの考え方が変わります。20%くらいの人たちは考え方だけでなく、行動も変わります。残りの20%の人たちはやっぱり興味がない。それはそれで仕方のないことです。今ある仕組みをしっかり回していくことに集中する人も必要なのですから。衣食住のように全ての人に必要じゃないけど、好奇心を持っていろんなことに取り込む人たちが増えた方がいいですよね。イノベーションを起こすのは機械ではなく、人なのだから、人が変わらないといけない。

  • よくある質問:どうしてそんなに時間があるの?

    よくある質問:どうしてそんなに時間があるの?

    よくある質問:どうしてそんなに時間があるの?

    ボクは多くのこれを読んでいる皆さんと同様に普段は仕事をしています。その上で、このブログを書いたり、本を読んだり(だから週一ペースで書評の記事が書ける)、四川風のスパイスカレーを作ったり、オリジナルのクラフトドリンクを作っています。もちろん、音楽も聴きますし、映画だって観ます。友達と美味しいものを食べ歩いたりだってします。その分、ソーシャルメディアはほとんどやらなくなりました。

    それでも、リアルの知り合いには「どうしてそんなに時間があるの?」と聞かれます。

    簡単な答えは情報収集が効率的ということになるでしょう。通勤途中にオーディオブックで本を「読む」し、Feedlyでタイトルだけ読んで、気になる記事だけをPocketで取捨選択して読む。週末にカレーを作りながらSpotifyで音楽を聴く:土曜日に新曲がアップされることが多いので土曜日にまとめて聴いて、気に入った曲をプレイリストにまとめておく。

    文字と画像と音、視覚と聴覚

    大きな流れは視覚や聴覚で捉えるというのもボクの特徴かもしれません。視覚ならYouTubeやNetflixですし、聴覚ならオーディオブックやポッドキャスト。文字で読むよりも映像で見たほうが、音で聞いた方が大枠での理解できる速度が早い気がします。

    そんなわけで、効率的に情報収拾をする入り口としてのYouTubeとNetflixの番組情報をまとめてみました。

    Techquickie

    Linus Tech Tipsで大人気の技術系オタクYouTuberのリーナス・セバスチャンなどによる技術解説。彼のTwitterのヘッダー画像が『天元突破グレンラガン』のヨーコなのが素敵です。Linus Tech Tipsはコンピューター部品のレビューが中心ですが、Techquickieは飛行機でWiFiが使える理由などのもう少し概念的な技術解説になっています。

    Tested

    特殊効果アーティストのアダム・サヴェッジによるYouTube番組。様々な映画でモデルメーカーとしても活躍してきた彼がモデル作りを解説してくれています。例えば『となりのトトロ』のトトロを作ってくれたりしています。

    Startup eXpress

    チャーリーさんの『ビジネスモデル2.0』は多くのスタートアップのビジネスモデルを図解で解説している素晴らしい書籍です(みなさん買いましょう)。Startup eXpressはスタートアップのビジネスモデルをビデオで解説しています。チャーリーさんの『ビジネスモデル2.0』は逆説や八方よしなど独自のフレームワークを使っていて(それが素晴らしいのですが)、Startup eXpressはビジネスモデルキャンバスという汎用的なフレームワークで解説しているのが特徴です。

    The Modern Rogue

    カッコいい悪いおとなのためのYouTuberです。Rogueというのは悪漢という意味なんですが、「悪いおとな」ですね。Modern Rogueとは「いまどきの悪いおとな」ということでしょう。遊び心を忘れずに大人の嗜みを学んでいく感じ。ウィスキーの飲み方やステーキの焼き方など。

    Pitchfork Over / Under

    この番組はカタパルトスープレックスの趣旨からは少し外れるかもしれませんが、大好きなので。Pitchforkはイギリスの音楽メディアです。その中でOver Under(過大評価/過小評価)というシリーズが大好きで欠かさずみています。アーティストがランダムなトピックに対して「過大評価されている」か「過小評価されているか」決めていきます。Flying LotusとThundercatが「Kenny Gは過大評価されている?過小評価されている?」という質問に…

    世界の今をダイジェスト(オリジナルタイトル:Explained)

    Vox Mediaによるドキュメンタリーシリーズ。簡単にいえばテレビ版のVox。スタートアップ的な暗号化通貨のようなトピックだけではなく、Kポップの世界とかミレニアムのカルチャーを掘り下げています。

    世界の”バズる”情報局(オリジナルタイトル:Follow This)

    こちらはBuzzfeedによるドキュメンタリーシリーズ。簡単にいえばテレビ版のBuzzfeed。一つのトピックを取材する様子を追いかけることで、そのトピックについて文字だけではわからない映像のコンテキストで深みを与えています。日本だとオンラインとテレビのメディアミックスといえばAbemaTVですが、海外ではNetflixなんですね。

    リキッド・サイエンス 変わりゆく科学と未来(オリジナルタイトル:Liquid Science)

    ウータン・クランのGZAがホストをしている科学番組。環境や音楽や命といったテーマに関する科学を一つづつ取り上げていきます。まず、GZAがホストだというのがビックリだったのですが、彼は学校をドロップアウトしたものの科学にはずっと興味を持ち続けていたんですね。そして、ハーバード大学で講義を行ったり、コロンビア大学で科学普及のプロジェクトに参加したりしている。つまり、この番組も付け焼き刃の人寄せパンダではないということです。

    世界の”現実”旅行(オリジナルタイトル:Dark Tourist)

    ボクは『クレイジージャーニー』が大好きです。『世界の”現実”旅行』は簡単に言えばNetflix版の『クレイジージャーニー』です。あまり人が行かないようなところを観光するのをダークツアーというそうですが、これはダークツアーの紹介番組。

    まあ、ボクの場合は英語と中国語ができるというUnfair Advantageがあることは認めつつ、その習得に他の人より多くの時間をかけているわけですから、その投資を今になって回収していると言えなくもないです。何が言いたいかというと、ここまで効率的にできるようになるにはそれなりの積み上げも必要なんですよということ。努力せずに簡単に、なんてないかなと。

  • ルールは何のため?大切なものを守るため

    ルールは何のため?大切なものを守るため

    「ルールに縛られたくない」と「歌詞」で検索するとたくさん結果が返ってきます。歌の世界ではルールは定番の悪者です。盗んだバイクで走り出したい気分なんです。それでも、社会生活においてルールに守られているのも確かなわけで、誰かが実際に盗んだバイクで走り出したら被害届を出せば警察は犯人を探してくれます

    これまでは「郷に入っては郷に従え」と同調圧力の強かった日本ですが、多様性に寛容的になってきました。杉田水脈さんの「LGBTは生産性がない」論文から端を発した新潮45の休刊もLGBTという多様性を認める日本人の変化を表しているのでしょう。そして、東京都が決めたLGBTの差別を禁止する条例も、またルールなのです。

    ルールは何かを縛るだけでなく、社会に参加する人たちがなるべく不満を感じないようにするために必要なんですね。

    ルールの三階層

    ルールは特定の集団(国、自治体、学校、企業)に所属する人たちにとった大切なものを守るための決まりごとです。「何が大切なのか」が決まっていないとルールはおかしなことになってしまいます。

    ルールは大きく三つに分けることができます。一つは憲法や法律、会社の就業規則や学校の校則といった公的なルールです。そこに所属する人たちは守らないといけないルールで、守らない人には罰則があります。

    二つ目は明示的ルールです。法律で決まってはいないものの、多くの人たちが暮らしやすいように行政やサービス提供者が明示的に示すルールです。マタニティーマーク優先席はその代表例ですね。法律ではありませんが、社会に参加する人たちとして推奨される行動を提示しています。入り口に書いてあったり、シンボルマークでわかるようになっています。

    温泉や公共浴場で刺青やタトゥーを禁止しているのも明示的なルールの代表例ですね。法律で決まっているわけではないのですが、サービス提供者が全体の利益を考えてきめて、提示しているルールです。エスカレーター上の歩行も多くの場合は明示的に禁止されているのですが、これは暗黙のルールで無視されるケースがほとんどです。

    三つ目が暗黙のルールです。電車内での飲食や先のエスカレーター上は歩行する人のために片側は空けておくなど、どこにも書かれていないが何となく多くの人が従っているルールです。

    暗黙のルールのいいところと悪いところ

    日本は明示的なルールが少なく、暗黙のルールが少ない文化だと言われています。文化の話なので、どっちがいいという話ではありません。

    欧米ではハッキリとモノを言い、それが明示的に誰でも見えるようになっている文化(ローコンテクスト文化)ですが、日本ではハッキリとモノを言わずともなんとなく通じる文化(ハイコンテクスト文化)だそうです。文脈(=コンテクスト)を読むことを求められます。つまり、空気を読めということです。

    暗黙のルールのいいところ

    柔軟な運用

    「なんでも規制ばかりだと息苦しい」と感じる人は多いかと思います。規制ばかりだとなんでも杓子定規になって柔軟的な対応ができない。その時々の状況に応じて柔軟に対応できるのは暗黙のルールのいいところです。

    全てルールを決められるわけではない

    全てにおいてルールを決めれることはできません。明示的にルールを決める場合、それが守られる必要がありますし、人間が覚えられることには限界があります。また、ルールは生きていて、常にアップデートされなければいけません。新しいルールが浸透するのにも時間がかかりますが、アップデートされたルールが浸透するにも時間もかかりますし、昔のルールに慣れた人からの抵抗もあります。

    サービス提供者の負荷軽減

    サービス提供者にとっても都合がいい面があります。事業者自身はルールを決めず、その場にいる人たちの間で決めてもらうことができます。日本の場合、多くの電車では持ち物の規制は明治的ルールがあります。危険物を持ち込んではいけないし、動物や自転車の持ち込みにもルールがあります。

    しかし、電車内での行動に関しては行動規範のようなものはありません。つまり、電車内での行動に関して明示的なルールはありません。もちろん、その上位にある法律で規制されていることはあります。電車内の喫煙は法律で禁止されています。しかし、電車内の飲食は実は禁止されていません。なんとなく「電車の中で飲食してはいけない」と多くの人が思っていて、暗黙のルールになっているだけです。

    何かを決めるのは大変ですが、暗黙のルールに頼れば決めずに済みます。

    暗黙のルールの悪いところ

    ストレスを強いる

    明文化されていないということは、個人によって違った考え方やルールがあるということでもあります。ある人にとっては常識でも、ある人によっては非常識だということになります。

    タレントの小籔千豊さんが新幹線でリクライニングシートをマックスで倒したら怒られた話をTwitterで呟いて話題になり、賛否両論の議論になりました。怒られる方もストレスでしょうが、怒る方もストレスでしょう。明示的なルールがあればこのようなストレスを避けることができます。

    公共性が低い

    鉄道会社が暗黙のルールに頼るように、自治体の多くも運用は地元住民の暗黙のルールに頼るところが多いです。

    奈良県の自治会が移住者を村八分にしたことで弁護士会が「是正勧告」を認定したニュースが話題になりました。自治会というのは任意団体であって公共団体ではありません。そういう意味において、所属する人たちが好きなルールで好きなことをやればいいのです。その自治会は「昔から地域に住んでいて神社の氏子である世帯」でなければ参加できません。それはそれで構わないでしょう。手芸の会とかコスプレの会みたいなものです。氏子の会があってもいい。

    しかし、市町村からの情報の告知の場とされたり、公共のイベントの母体となるのであれば公共性が求められます。公共性とは多様性の受け入れでもあります。「昔から地域に住んでいて神社の氏子である世帯」だけに限定されることは許されないということで是正勧告なのでしょう。

    昔なら暗黙のルールとして通用したことが、通用しなくなってきた代表的な例です。

    大切なことには明示的ルールが必要

    暗黙のルールの方が柔軟に運用できるというのは実は正しくないケースが多いです。

    全てのことにルールを決めることはできませんし、決める必要もありません。しかし、多くの人と共有すべき/共有できる大切なことについては明示的ルールが必要となります。例えば、女性は安心して電車に乗りたいし、女性が心配せずに電車に乗ることができることは社会にとって大切なことです。そのために鉄道会社は女性専用車両という明示的なルールを決めました。法律のような公的ルールで決められていること以外、手荷物しか規定してこなかった日本の鉄道会社がこのような独自の明示的ルールを決めるのは異例のことでした。

    同じ目標に同じ行動規範で取り組む組織は大きな成果を出すことが多いです。多くの人数で同じ目標と同じ行動規範を共有するためには明示的ルールが必要になります。

    アジャイル

    アジャイルは開発手法としてだけでなく、様々なビジネスの考え方に大きな影響を与えています。全てを計画してその通りに開発する手法をウォーターフォールに対して、アジャイルは変化に柔軟に対応することができます。

    変化に柔軟に対応するために、その理念であるアジャイルソフトウェア開発宣言があり、行動規範であるアジャイルソフトウェアの12の原則という明示的なルールがあります。非常にシンプルなルールですが、シンプルだからこそ多くの開発者に共有され、実施されています。スクラムやスタンディングミーティングといった手法より、理念と行動規範がまず大切です。この理念がわからないと、「そもそも、なんでこんなことやってるの?」ということになってしまいます。

    シンプルなルールを作るには、その組織がどのような価値観を大切にしているのかを決めなければいけません。アジャイルの場合は以下を価値観として大切にしていることが明確に示されています。アジャイルが暗黙のルールだったら世の中に広がらなかったでしょう。

    プロセスやツールよりも個人と対話を、

    包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを、

    契約交渉よりも顧客との協調を、

    計画に従うことよりも変化への対応を、

    デザイン

    イギリス政府はユーザー中心の先進的な取り組みで、公共サービスの利便性を大きく高めています。公共サービスは多くの人が使うので、より多くの人にとって使いやすいサービスでなければいけません。

    イギリス政府がかなり早い時期に取り組んだのがデザイン原則の策定です。イギリス政府が公開しているGOV.UKの歴史に詳しく書いてあるので、興味があればご覧ください(日本語翻訳版はこちら)。Amazon Alexaなどボイスインターフェースが話題ですが、新しいインターフェースを取り入れる際もこのデザイン原則に照らし合わせて検討を進めています。

    何が大切なのかをきちんと決めているから、新しい取り組みも決断を早く行うことができます。共有されているだけでなく、きちんと使われているのです。

  • 電気自動車とビットコイン共通点の問題|カタパルト式アンリーディング

    電気自動車とビットコイン共通点の問題|カタパルト式アンリーディング

     最近、このカタパルト式スープレックスで集中的に取り上げているのが電気自動車とブロックチェーンです。この二つを調べていくと共通点があります。それはビットコインも電気自動車も電気を食うということです。

    ビットコインも電気自動車も電力を食う

    ビットコインの場合

     ビットコインを運営するにはコンピューターによる計算が必要です。つまり、そのコンピューターを維持するための電力が必要です。これが莫大な電力消費量となっています。ビットコインを国だとすると世界で62番目に電力消費量が多い国(デンマークとセルビアの間)ということになります。イギリスの全電力消費量の10%くらい。ビットコインはヨーロッパの20の国より多く電力を消費しています。

     当然ながら、この問題を解決しようとする動きがたくさんあります。マイニングをもっと効率化する方法や、マイニングが必要ない方法が模索されています。イーサリアムのキャスパーから導入がはじまるPoSやIOTAがそれです。IOTAでは計算処理はエッジで行われるため、大規模なマイニング施設は基本的には必要なくなります。

    電気自動車の場合

     電気自動車もガソリンやディーゼルエンジンと比べて環境に優しいというイメージがあります。電気自動車自体は環境ガスを出しませんが、その動力となる電気は発電所で作られています。電気自動車の普及でイギリスでは全体で15%、ピーク時で最大40%の電力消費が増えると考えられています。テスラのトレーラーも当然ながら電気がたくさん必要になる。

    IEA(国際エネルギー機関)が11月に発表した年次報告書「世界エネルギー展望(World Energy Outlook)」の2017年版は、2040年に世界のEV保有台数は2億8千万台まで膨らむと予測している(現在の世界の自動車保有台数は約13億台)。 そして、日量250万バレルの石油消費の削減効果があるとしている。だがこれは、日量9200万バレルという現在の世界の石油消費量の3%にも満たない。

    電気自動車は石油消費を減らせない?』石油経済研究会 大場 紀章

    ビットコインと電気自動車に共通する電気の問題

     電気自動車が本当の意味で環境に優しくなるためには、発電、送電と配電、電気の再利用、モビリティーの再定義のといった複数の解決が求められるでしょう。

    「発電」は太陽光発電や風力発電などの環境に優しい発電へのシフト。まあ、これはわかりますよね。

    「送電と配電」は環境に優しい発電方法がきちんと供給網に乗ること。電気は作っただけではダメで、ちゃんと家や工場に届けないといけない。その供給網の問題。ソフトバンクの孫さんが問題視しているのはこの部分ですね。エネルギーの事業者がクリーンエネルギーで参入しても送れなければ意味がない。

    「電気の再利用」は作った電気をちゃんと使い切ること。無駄をなくすこと。使ってない電気をバッテリーに貯めたり、それを近所に売ったりということです。以前に掲載したブロックチェーンによるIoT事業にはそういう意味があります。ブロックチェーンは電力のシェア経済にも役に立てる可能性があります。

    「モビリティーの再定義」とはクルマの所有から共有への移行を意味しています。そもそも消費量を下げることもできるのではないかということです。クルマの自動運転が普及すればクルマを運転する意味が大きく変わります。以前にインタビューで紹介したフランスのBlaBlaCarは個人に所有されたクルマの共有でした。Uberも基本的にはそうですよね。

     でも、クルマが自律的に動けるスマートマシンになればクルマが必要とする人を見つけて行きたい場所へ運ぶことができます。そうすればクルマの需要は最適化されて必要なクルマの台数も最適化されると想像できます。

     また、電気ではないエネルギーの利用も検討すべきなのでしょう。小型車での水素燃料は燃料のサプライチェーンを考えると普及には時間がかかると思いますが、電車や長距離輸送のトラックやトレーラーなどには使えるのではないでしょうか。

     アンリーディングはインプット [reading] に対するアウトプット [unreading] の意味で使っています。カンファレンスに対するアンカンファレンス。コーディングに対するデコーディングのようなもの。カタパルト式スープレックスの造語です。英語のアンリーディング [Unreading]はそのままの意味だと「読まないこと」という意味になります。

     このブログのためにいろんな本や情報を読みます。その中で有用だと感じた記事については翻訳して紹介しています。たくさんのインプットがあると、それを咀嚼してアウトプットとしても出したくなってきます。

     なんでカタパルト式スープレックスでコレらの記事を翻訳して出したのか。その思考をアンリーディングとして解説していきます。