『敵』映画レビュー|筒井康隆原作、人生の終わりに自分自身と向き合うサスペンス

筒井康隆の原作を『桐島、部活やめるってよ』の映画化などで知られる吉田大八監督作品です。自分の人生の終着点まで毎日「丁寧な生活」を続けながら続けていた元フランス文学教授の日常が徐々に崩れていく作品です。

あらすじ|老教授の静かな日常に忍び寄る影

引退した元フランス文学教授、渡辺儀助(長塚京三)は年金やわずかな収入の中で蓄えを使い切る日をXデーと定め、日々丁寧な生活を送っています。代々伝わる古い家屋で一人暮らしをしながら、コーヒーを手動で挽き、簡単ではあるけど料理を作って食べる。教え子や編集者との交流もあり、穏やかな日々を過ごしていました。しかし、ある日「敵がやってくる」という謎のメールを受け取ったことをきっかけに、彼の周囲で奇妙な出来事が起こり始めます。

テーマ|人生の終わりに自分と向き合う

本作のテーマは「自分と向き合う」です。タイトルである『敵』は対峙しなければいけない人生をメタファーとして表しています。渡辺儀助は表向きは余生を丁寧な生活をしながら静かに暮らしていますが、それは表面的なものでしかないことが徐々にわかってきます。ルーティンに従った「丁寧な生活」は自分を傷つけないための鎧を着た姿でしかありません。

これまでの儀助は自分が対峙しなければいけない『敵』を見てみぬふりをしてきた。しかし、「敵がくる」というメールを受け取ってから、今まで目をそらしてきたものと対峙しなければいけなくなる。人生の終わりに、自分の人生と対峙した時、人は何を想うのか。それが本作のテーマです。

キャラクター造形|老教授とファム・ファタール

長塚京三が演じる渡辺儀助は、知的で品性のある老教授として描かれています。長塚京三はその静かな紳士を見事に演じています。しかし、静かな紳士は表向きの姿で、様々な場面で心にさざ波が立ちます。表面的には冷静を装いながらも、その奥底にある心のさざ波まで表現する演技力。本作のテーマを表現するにふさわしい配役であり、それを見事な演技で応えています。

渡辺儀助の心にさざ波を立てる配役も、説得力があります。教え子の鷹司靖子(瀧内公美)は若く知的な女性であり、時には挑発的でもある。バーで働く現役大学生の菅井歩美(河合優実)も役回りとしては同じですが、その役割は鷹司靖子とは異なります。鷹司靖子が「過去」をであれば、菅井歩美は「現在」です。二人の女性に共通的に言えるのは、儀助にとってある種のファム・ファタール的なキャラクターだということです。ファム・ファタールである彼女たちを通じて渡辺儀助は自分の「過去」と「現在」に対峙しなければならなくなります。

映画技法|フィルム・ノワールと信用できない語り手

本作は古い日本家屋をセットにしながら、フィルム・ノワールのような雰囲気を携えています。『敵』のフィルム・ノアールのようなノスタルジー感は単に白黒映像から生まれるものではありません。鷹司靖子と菅井歩美というフィルム・ノワールに必要なファム・ファタールが存在することも重要で、「自分と向き合う」というドラマ的なテーマでありながら、映画としてはサスペンス仕立てになっています。

このサスペンス仕立てをさらに複雑にしているのは「信用できない語り手」としての渡辺儀助です。儀助は老境の悟りを開いた紳士として登場します。妻も亡くなり、子供もいない。何も残すものはなく、ただ死ぬ日を待つ日々。しかし、物語が進むにつれて、その人物像が揺らいでいきます。様々な事実がわかってくる……いや、それすら確かではない。黒澤明監督の『羅生門』(1950年)やヒッチコック監督の『サイコ』(1960年)もそうですが、サスペンスに登場する「信用できない語り手」は物語を深める効果があります。

本作では小物も重要な役割を果たします。丁寧な食事のシーンは筒井康隆の原作にも登場する重要な要素です。出来合いではなく、素材からちゃんと作る料理。これは渡辺儀助の「丁寧な生活」の象徴として登場します。このようなシンボルがあるため、後半での微かな変化がより際立っていきます。

また、原作では小物としての扱いだった双眼鏡も、本作ではシンボルとして描かれています。普段見ないものを見る道具は、これまで儀助が見ようとしなかったものを見るツールを手に入れた象徴でもあります。そして、これは映画の最後まで象徴としての役割を果たすこととなります。

まとめ|老年の孤独と幻想を描く秀作

映画『敵』は、老年期の孤独と自己認識の揺らぎをテーマに、現実と幻想の境界を巧みに描いた作品です。長塚京三の名演と吉田大八監督の繊細な演出が融合し、観客に深い余韻を残します。老いと向き合う全ての人に観てほしい一作です。