GAFAMが崇拝され、だれもがテクノロジーが切り開く新しい可能性に期待したテクノロジー楽観主義(Techonptimism)はだいぶ前に過ぎ去りました。むしろ、持つ者と持たざる者の格差を広げた要因の一つとみられるようになってきている。いまではGAFAMはユーザーを搾取するビッグテックと批判されるし、独禁法の観点からも司法省から目を付けられる。最近はやりのAIもすべてを解決する銀の弾丸というすべてを受け入れる姿勢だけでなく、これまでのテックと同様に悪いことも起きるのではないかと懐疑的な見方もされている。
今回紹介するグレッグ・エプスタインによる書籍”Tech Agnostic”はこのようなトレンドをまとめつつ、神学の観点から「宗教としてのテック」を考察したものです。
Updated:Gammaでこの記事をスライドにしてみました。
グレッグ・エプスタインはハーバード大学とMITでヒューマニストのチャプレンの職についています。Techcrunchにも寄稿するテクノロジー系のライターでもあります。無神論者で神学者でもあります。
神学自体は幅広い分野をカバーする、人生の意味と目的に関する学問なのだそうです。その手段は神からもたらされることもあれば、人が発明することもある。この「人が発明することもある」というのが重要で、本書のテーマである「宗教としてのテック」のよりどころになっている。ひとが発明することもできるのだから、現在の神学では神を信じる必要はない。だから無神論でも勉強できる。
宗教としてのテックがアメリカからはじまるのは、清教徒のルーツが関係しているとエプスタインは考えます。アメリカの極端な貧富の差は清教徒的な考えからきている。人は生まれる前から天国に行くグループと地獄に行きグループで分かれている。それを変えることはできないが、モラルを守ることで「選ばれた側」だと証明し続けるしかない。清教徒の文化は奴隷文化でもある。マサチューセッツ州で1641年に制定された個人の自由に関するMassachusetts Body of Libertiesでも奴隷制度が新約聖書を引用する形で正当化されている。また、以前に紹介したアナンド・ギリダラダスの”Winner Take All”にも言及しながら、本書において貧富の差は現代のテックではギグワーカーやグローバルサウスで使われる安価な労働力とパラレルで語られています。
本書はいろんな過去と現代の思想に影響を受けています。上記のアナンド・ギリダラダスについてもそうですし、効果的利他主義(Effective Altruism、EA)への批判的な見方はネイト・シルバーの”On the Edge”にも出てきました。また、行き過ぎたテクノロジーへの批判的な見方はカル・ニューポートに通じるものがあります。本書で論拠となっている多くのことは語りつくされた(けどまだ解決されていない)課題です。
本書がユニークなのは神学的な視点とニール・ポストマンが著書『技術vs人間: ハイテク社会の危険 』で提唱した「テクノポリー」という考え方への共感でしょう。テクノポリーはテクノロジーが神格化された社会で、全体主義のテクノクラシーです。テクノクラシー(technocracy)とは、科学者や技術専門家が政治や社会の支配権を握る体制や、それを支持する思想です。
グレッグ・エプスタインはニール・ポストマンが定義したテクノポリーの時代がすぐそこまで来ているのではないかという危機感から、その解決策として本書で提唱している「テックの不可知論(テック・アグノスティック)」に期待を寄せています。
宗教で不可知論(アグノスティック)とは「神がいるかどうかは証明できない」という立場で、無神論は「神は存在しない」という立場です。テックが神なのかどうか証明はできないが、共存はできるということなのでしょうか。
最後の章でどのように「テックの不可知論(テック・アグノスティック)」を実現できるのかを考察していますが、彼が一番期待を寄せているのは宗教的な集会(コングリゲーション)です。コングリゲーションは特定の教会に定期的に集まる信者の集まりを指します。その代表例としてAll Tech is Humanを挙げています。ほかにもThe Luddite Clubも紹介しているのですが、テックに関する集まりは宗教的なモチーフが多いのは面白いなと思いました。

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