映画『レディ・オア・ノット』|恐怖のかくれんぼのはじまり

2019年公開の『レディ・オア・ノット』(Ready or Not)は、予告編から受ける印象と、実際の内容が少し違う映画です。予告編を観たときは、強い主人公が次々と敵を倒すアクション映画だと思っていました。ところが実際には、主人公のグレースは状況を支配できません。傷つき、失敗し、怖がりながら、どうにか次の危機をしのいでいきます。

それでも、グレースは弱い主人公ではありません。この映画が面白いのは、「強い女性」を敵より強い戦士として描かなかった点です。彼女の強さは、状況を見極め、傷ついたあとも次の行動を選ぶところにあります。その一方で、彼女を追う大富豪の一族は、古い武器の扱いにも殺人の段取りにも慣れていません。本作は追跡の緊張を保ちながら、一族の不手際を乾いた笑いに変えます。アクション映画というより、よく考えて作られたダークコメディと呼びたくなる作品です。

ネタバレについて

この記事では物語の設定と中盤までの展開に触れます。結末は明かしません。

あらすじ|結婚初夜の儀式が殺人ゲームに変わる

グレースは、裕福な家に生まれたアレックスと結婚します。結婚式が終わった深夜、彼女は婚家の新しい一員として、一族に伝わるゲームに参加するよう求められます。引き当てたゲームは「かくれんぼ」。グレースは屋敷に隠れ、一族が彼女を捜します。

しかし、これは親睦のための遊びではありません。一族は銃や弓、斧などを手にして、グレースの命を狙い始めます。事情を知らないまま広い屋敷へ放り出された彼女は、隠れるだけでは生き残れないと悟ります。華やかな結婚式の夜は、婚家の規則から逃げるための長い夜へ変わっていきます。

テーマ|受け継いだ富のために暴力を正当化する一族

結婚が家族に入るための審査になる

本作のかくれんぼは、結婚に伴う不安を残酷な形にしたものです。結婚すれば、伴侶と二人だけで暮らせるとは限りません。相手の家族、その家の歴史、昔からの決まりとも関わることになります。グレースが求めているのは、一族の財産よりも、末永く続く家族とのつながりです。サマラ・ウィーヴィングは、グレースが里親家庭を転々としてきた設定を重視し、幼い頃から身につけた生存力として人物を演じたと話しています。SYFY WIREのインタビュー

だからこそ、彼女は結婚初夜の奇妙な儀式をすぐには拒みません。ようやく家族に入れると思った日に、その家族から迎え入れられるための条件を突きつけられます。題名の「Ready or Not」は、かくれんぼを始める合図であると同時に、「この家族の一員になる覚悟はできているか」という問いにもなっています。もちろん、グレースには、その条件を受け入れるかどうかを、理解したうえで選ぶ機会など与えられていません。家族に迎え入れる儀式に見えたものが、実際には服従を確かめる審査になっています。

殺人を「伝統」と言い換える一族

監督のタイラー・ジレットは、本作の中心にあるのは「継承」だと説明しています。家族から受け継ぐ良いものと悪いもの、さらに財産と特権意識は簡単に切り離せないという話です。Scream Horror Magazineのインタビュー

一族は、自分たちの富を守るためにグレースを殺そうとします。しかし、彼らは自分たちを欲深い殺人者だとは考えません。先祖から続く決まりに従っているだけだと説明します。「伝統」という言葉を挟むことで、人を殺すと自ら判断した責任から逃げています。

ここで重要なのは、一族が財産だけを相続したのではないことです。自分たちの富が正当なものだと信じる考え方も、その富を守るためなら他人を犠牲にしてよいという判断も受け継いでいます。昔から続いてきたことは、それだけで正しいのか。本作は極端な殺人ゲームを使い、ごく普通の家族にも通じる問いを突きつけます。

一族の無能さが生む笑いと恐怖

グレースを追う一族は、訓練を受けた殺し屋ではありません。古い武器を渡されても扱い方が分からず、家族同士の連絡も噛み合いません。殺人を一族の務めとして受け入れているのに、実行する能力が追いついていない。この食い違いが、映画の笑いを生みます。

ただし、無能だから安全とは限りません。人数が多く、広い屋敷と武器を持ち、使用人の命を自分たちより軽く扱います。正確に狙えなくても、引き金を引けば誰かが死にます。一族の失敗を笑った直後に、その無責任さが恐怖へ変わるのです。

監督たちは、俳優に台詞を冗談として演じさせず、登場人物それぞれが状況を真剣に受け止めることで笑いを生み出しました。編集では、一族が漫画の登場人物のように見えるほど騒がしい場面を削ったそうです。Filmmaker Magazineの監督インタビュー 一族がふざけていないからこそ、彼らが真顔で失敗を繰り返す姿が可笑しく、同時に怖く見えます。

キャラクター造形|恐怖の中で判断を続けるグレース

恐怖の中でも判断を続けるグレース

グレースは、弱い花嫁から突然戦士へ変わる人物ではありません。監督のマット・ベティネッリ=オルピンは、彼女を序盤では弱く、終盤で強くなる人物にしたくなかったと語っています。ウィーヴィングも、グレースを最初から行動できる人物として演じたいと考えていました。Scream Horror Magazineのインタビュー

この方針があるため、グレースは恐怖を見せても弱く見えません。ゲームの本当の意味を知ったときには息を殺し、声が出ないように口を押さえます。傷つけば叫びますし、逃げ道を誤ることもあります。それでも、恐怖が収まるのを待たずに次の手を選びます。本作が描く強さは、怖がらないことではなく、怖がりながらも考え続けることです。

予告編で想像した「無双」とは、主人公が敵より強く、観客が勝利を確信できる状態でしょう。本作のグレースには、勝利を確信させるような安心感がありません。彼女が頼れるのは、その場を観察して利用できるものを探す判断力です。だから彼女の反撃は、派手な必殺技ではなく、生き延びるための現実的な行動として見えます。

恋人と家族の間で伝える情報を選ぶアレックス

アレックスはグレースを一族へ連れてきた人物であり、一族の内情を彼女より多く知る人物でもあります。彼が何をいつ説明するかによって、グレースが選べる行動は変わります。彼は、家族の悪事を嫌うだけでは、その家族と決別したことにはならないと示す人物です。

一族の規則に反感を持つことと、規則に逆らって誰かを守ることは違います。愛情があっても、重要な情報を黙っていれば、相手を危険へ連れていく結果になります。本作はアレックスを通して、家族から受け継いだ考えに流されて悪事に加担しないためには、嫌悪や罪悪感ではなく行動が必要だと描きます。

限界を迎えるダニエルの良心

アレックスの兄ダニエルは、一族の中では比較的まともに見えます。アダム・ブロディは、ダニエルを一族の「道徳的な羅針盤」と呼びながら、その基準は非常に低いとも話しています。GQのインタビュー

ダニエルは一族の行動を冷めた目で見ていますが、酒と皮肉によって自分の責任から距離を取っています。間違いに気づくことと、それを止めることは同じではありません。彼の迷いは、一族を単純な悪人の集団にしない一方で、良心があるだけでは暴力を止められないことも示します。

映画技法|屋敷とドレスが語る家族の支配

不安定さを増していくカメラワーク

序盤のカメラは、結婚式と屋敷の中を滑らかに移動します。撮影監督は、屋敷そのものが一人の登場人物のように感じられる動きを目指しました。その後、グレースによって儀式が乱れ、一族が予定どおりに行動できなくなるにつれて、手持ち撮影が増えていきます。Pushing Pixelsの撮影監督インタビュー

整った画面は、一族が保ってきた秩序とよく合います。手持ちの揺れが増えると、グレースの混乱だけでなく、一族が屋敷を完全には支配できなくなったことも伝わります。主人公が強くなったと台詞で説明するのではなく、画面の落ち着きが失われることで、彼女が家の規則を壊し始めたと分かるのです。

家庭の恐ろしさを強める暖かな光

屋敷の中は、ろうそくや暖炉を思わせる暖色で照らされています。通常なら安心できる家庭の温かさを表す光です。しかし、その光の中で家族が花嫁を殺そうとするため、見た目の親密さと実際の行動が食い違います。暗く冷たい場所を恐ろしく見せるのではなく、温かく見える家を恐怖の場所へ変えています。

主な撮影場所となった歴史建築のParkwood Estateでは、壁にテープを貼ることも、照明器具を固定することも、スモークを使うことも認められませんでした。撮影班は高い位置にLED照明を隠し、ろうそくが室内全体を照らしているように見せています。Filmmaker Magazineの撮影監督インタビュー 撮影上の制約から生まれた柔らかな光が、「温かな家庭に迎えられる」というグレースの期待を裏切るために働いています。

生き残るための服へ変わるウェディングドレス

最初のグレースは、格式ある婚家に似合う白いウェディングドレスを着ています。ハイネックと長袖の端正なデザインは、彼女が一族に受け入れられようとしている姿に合います。しかし、逃げるうちに裾は短くなり、袖も形を変え、足元には走るための靴が現れます。婚家が望む花嫁の服を、自分が生きるための服へ変えていくのです。

衣装デザイナーは、ドレスを考える際にグレース・ケリーやキャサリン妃を参照しました。一方、画面上で血が美しく見えることも、レースを選んだ理由の一つだったそうです。Fashionistaの衣装デザイナーインタビュー 上品な花嫁を作る素材が、同時に彼女の流した血をはっきり見せる素材にもなっています。ドレスの変化は、グレースが別人になる過程ではありません。最初から持っていた生存力が、婚家に合わせた外見を破って現れる過程です。

恐怖を途切れさせず反撃へつなぐ編集

本作は追跡を途切れなく続けません。グレースが状況を理解する時間、一族が失敗の後始末をする時間、登場人物が迷う時間を残しています。編集担当者は、アクションが休みなく続いて登場人物の感情が見えなくなる作りを避けたと説明しています。The Creditsの編集者インタビュー

こうした間があるため、グレースの反撃だけでなく、一族の無責任さや迷いも見えてきます。恐怖の直後に笑いを置き、観客が笑っているうちに次の危険が始まります。緊張を保ったまま調子を切り替える編集が、本作を単純な追跡アクションではなく、よく考えて作られたダークコメディにしています。

まとめ|巧みな笑いと恐怖の切り替え

『レディ・オア・ノット』のグレースは、確かに強い主人公です。しかし、その強さは敵を次々と倒す能力ではありません。家族を求めて婚家へ入った女性が、その家の規則に命を奪われそうになり、それでも自分で次の行動を選び続けます。彼女が最初から有能だからこそ、本作は彼女を簡単には勝たせず、恐怖や失敗をきちんと描けます。

一方の一族は、富と武器を持ち、人数でもグレースを圧倒していながら、殺人の段取りすら満足に進められません。その間抜けさは笑えますが、無能な人々にも他人を傷つける力があるため、笑いはすぐ恐怖へ戻ります。ここに本作のダークコメディとしての巧さがあります。

予告編から想像した無双型のアクション映画ではありませんでした。けれども、その違いこそが本作の面白さです。本作は、強さを勝敗ではなく判断の積み重ねとして描き、温かな屋敷、白いドレス、家族の伝統を少しずつ恐ろしいものへ変えていきます。『レディ・オア・ノット』は、結婚初夜のかくれんぼを通して、家族に迎え入れられることと、その家族に従わされることの違いを描いた映画です。

参考資料