『その手に触れるまで』映画レビュー|移民社会と狂信を描くダルデンヌ兄弟の挑戦

『その手に触れるまで』(原題:Le Jeune Ahmed)は、ベルギーの名監督ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟による2019年の作品です。本作は、イスラム過激主義に傾倒していく少年を主人公に据え、移民問題や宗教の影響をリアリスティックに描いています。第72回カンヌ国際映画祭では監督賞を受賞し、その緊迫感あふれるストーリーと、ダルデンヌ兄弟らしい繊細な描写が評価されました。

本作は、ヨーロッパにおける移民問題を背景にしながら、宗教的狂信に囚われた少年がどのようにして過激思想に陥るのか、そしてその帰結を淡々と描きます。ダルデンヌ兄弟の作品の特徴である「共感を安易に許さない」スタイルが、本作でも鮮明に現れています。

あらすじ|狂信に傾倒する少年の選択

本作の主人公は、ベルギーに住む13歳の少年アーメッド(イドリス・サイド・ベンマディ)。イスラム教徒である彼は、地元の過激なイマーム(イスラム指導者)に影響を受け、次第に過激思想に染まっていきます。

アーメッドは家族や学校の教師の声に耳を貸さず、過激思想に傾倒するあまり、尊敬する女性教師イネスに危害を加えようとします。その行動により、更生施設に送られることになりますが、彼の内面の変化は一筋縄ではいきません。

物語は、狂信と向き合う少年が、社会や人との関わりの中でどのように変化していくのかを描き出し、観客に「なぜ彼はこうなってしまったのか」という問いを突きつけます。

テーマ|過激化と贖罪を描く複雑な人間ドラマ

『その手に触れるまで』のテーマは、「過激化」と「贖罪の可能性」を中心に据えています。ダルデンヌ兄弟は、イスラム教の過激な解釈に取り込まれる少年アーメドを描き、彼がその過激思想に至る背景や内的葛藤を深く掘り下げます。映画は過激化そのものを非難するだけでなく、観客にそのプロセスを理解させることを目指しています。

過激化の要因を浮き彫りに

アーメドの物語は、孤立感や社会的疎外、アイデンティティの喪失といった要素がどのように過激思想の土壌を育てるかを静かに描いています。彼は家庭内での孤独や、地域社会での断絶感に苦しみながら、過激な宗教指導者の影響を受け、次第に偏った世界観に囚われていきます。この過程を通じて、映画は孤立とコミュニケーションの欠如が引き起こす危険性を浮き彫りにし、過激化を防ぐためには人々とのつながりや理解が重要であることを示唆します。

主人公の人間化と共感の喚起

映画はアーメドを単なる悪役として描くのではなく、共感を呼び起こすキャラクターとして描いています。彼の行動には批判を招く要素がありますが、それが単なる「悪」ではなく、環境や人間関係、社会的プレッシャーの影響を受けた結果であることを細やかに示しています。観客は彼の内面の葛藤や弱さに触れることで、過激化した若者に対する一面的な見方を改め、自分たちの責任についても考えるよう促されます。

曖昧さと希望の提示

映画は、過激化からの「更生」について簡単な答えや解決策を提示しません。むしろ、アーメドの物語を通して、贖罪と変化の可能性がどれほど困難でありながらも希望を持てるかを示します。このアプローチは、観客に多くの問いを投げかけると同時に、彼の旅における曖昧な希望を残す形で締めくくられています。

現代社会へのメッセージ

本作のテーマは、現代の多文化社会や移民問題と密接に関連しています。特定の宗教や文化を非難するのではなく、過激化を取り巻く環境的・社会的要因を丁寧に掘り下げることで、観客に現代社会における偏見や断絶について考えるきっかけを与えます。これは、ダルデンヌ兄弟が一貫して描いてきた、人間の本質や社会的課題に対する深い洞察をさらに際立たせるものです。

キャラクター造形|狂信に囚われる少年と周囲の人々

アーメッド|信仰と現実の間で揺れる少年

アーメッドは、まだ13歳という若さで過激思想に傾倒する少年です。イドリス・サイド・ベンマディの演技は、アーメッドの内面の葛藤を見事に表現しています。彼の行動は衝動的であり、周囲との関係を断絶することで信仰にしがみつきますが、その純粋さゆえに脆さも抱えています。

彼のキャラクターは、観客に容易な共感を許さず、「なぜ彼がここまで過激思想に染まってしまったのか」を考えさせます。アーメッドの行動は非難されるべきものですが、その背景にある孤独や疎外感を理解することで、観客は彼の心情に少しずつ近づいていきます。

イネス|教育を信じる教師

アーメッドの教師であるイネスは、信仰と現実の調和を目指す人物として描かれています。彼女はアーメッドに寄り添い、彼の可能性を信じようとしますが、彼の過激思想の前に挫折することもあります。イネスの存在は、アーメッドにとって理想と現実の象徴であり、彼女のキャラクターは物語全体に人間味を与えています。

映画技法|ダルデンヌ兄弟が生むリアリズムと緊張感

『その手に触れるまで』では、ダルデンヌ兄弟が独自の映画技法を駆使し、感情的な深みとリアリズムを追求しています。手持ちカメラ、自然主義的な演技、長回しなどの要素を組み合わせることで、観客を物語の中心に引き込み、主人公アーメドの複雑な内面と行動を丁寧に描き出しています。

手持ちカメラが生む親密さ

ダルデンヌ兄弟の特徴である手持ちカメラワークは、本作でも大きな役割を果たしています。カメラはアーメドの動きに密着し、彼の視点を共有する形で物語が進みます。この手法により、観客は彼の内面の葛藤や孤独をリアルに感じ取ることができます。無計画で反応的に感じられるカメラの動きは、アーメドの混沌とした精神状態を反映し、彼の行動に観客を巻き込む没入感を生み出します。

自然主義的な演技が生むリアリズム

ダルデンヌ兄弟は、自然主義的な演技を追求するために、しばしばプロではない俳優を起用します。本作でアーメドを演じたイディール・ベン・アディは、控えめながらも感情的な深みを持つ演技で、キャラクターの現実感を高めています。監督たちは役者にキャラクターそのものになることを奨励し、台本に縛られない自然発生的な瞬間を生むことに成功しています。この結果、アーメドの内面的な変化がリアルに伝わり、観客に「これは現実に起こり得る物語だ」と感じさせます。

長回しと時系列撮影による緊張感

映画では緊張感を高めるために長回しが多用されています。例えば、アーメドと母親との口論シーンではワンテイクで撮影が行われ、二人の激しい感情のやり取りがリアルタイムで観客に伝わります。また、時系列通りに撮影を進めることで、俳優たちはキャラクターの成長や内面の変化を有機的に表現することが可能となりました。この手法が、アーメドの変化をより忠実かつ説得力のあるものにしています。

音楽を排したリアルな演出

ダルデンヌ兄弟の作品では劇伴音楽が使用されないのが特徴です。本作でも音楽を完全に排除することで、観客の注意は登場人物の会話や環境音に向けられます。この選択により、感情の高まりを音楽で操作することなく、アーメドの孤独感や緊張感を直接的に伝えることに成功しています。

まとめ|『その手に触れるまで』が問いかける現代社会の課題

『その手に触れるまで』は、宗教的狂信と向き合う少年を通じて、現代社会の複雑さを浮き彫りにするダルデンヌ兄弟の意欲作です。移民問題や宗教的影響というデリケートなテーマを扱いながらも、一方的な批判や安易な解決策を提示することなく、観客に深い問いを投げかけます。

アーメッドの物語は、現代社会が抱える疎外感や孤独感がいかにして個人を狂信へと駆り立てるかを考えさせ、さらにはその更生の可能性についても静かに希望を示しています。本作は、単なる社会派ドラマにとどまらず、私たち自身の生活や価値観を振り返るきっかけを与える映画です。

 

その手に触れるまで(字幕版)

その手に触れるまで(字幕版)

  • イディル・ベン・アディ

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