映画『殺し屋のプロット』|週単位の余命を告げられた殺し屋が組む計画

『殺し屋のプロット』(Knox Goes Away)は、マイケル・キートンが監督・製作・主演を兼ねた犯罪ドラマです。2023年のトロント国際映画祭で初上映され、米国では2024年3月、日本では2025年12月に公開されました。

キートンの長編監督作は、これで二本目です。一本目は2008年の『The Merry Gentleman』で、日本では映像ソフト発売時に『クリミナル・サイト 〜運命の暗殺者〜』という邦題で紹介されました。二本とも、主人公は殺し屋です。二度撮って二度とも同じ職業を選ぶ監督は、そう多くありません。

『殺し屋のプロット』(Knox Goes Away)

観ている間、私がずっと思い出していたのは、アンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』(The Father)でした。記憶を失っていく男を描き、その過程そのものが物語になっている作品です。残された時間が限られていると知った父親が、それを何に使うのか。二作が立てている問いは同じでした。

ただし本作は、『ファーザー』よりずっとエンターテインメント寄りです。どうなるのか最後までハラハラしながら観ました。

ネタバレについて

以下では、息子が持ち込んだ事件を主人公が引き受け、計画を組みはじめる中盤までを扱います。終盤の展開と結末には触れません。

本作では、観客にどこまで情報を明かすか、そのこと自体が仕掛けになっています。その仕掛けの内容にも触れません。

あらすじ|十年以上連絡のなかった息子が、血まみれで現れる

ジョン・ノックス(マイケル・キートン)は、几帳面な殺し屋です。標的について何も知ろうとしない理由を相棒に尋ねられると、彼はこう答えます。「10分後には、そいつは誰でもなくなるからだ」。文学にも通じていて、毎週木曜に訪ねてくるポーランド人のセックスワーカー、アニー(ジョアンナ・クーリグ)とは、本について語り合う間柄です。

その彼が、神経科医から診断を告げられます。残された時間は月単位ではなく週単位で、治療法はない。記憶力と計画性が欠かせない仕事をしてきた男が、その二つの能力を失っていくことになります。

そこへ、十年以上音信のなかった息子マイルズ(ジェームズ・マースデン)が、血まみれになって父の家に現れます。マイルズの娘を妊娠させた男を殺してきたのです。ノックスは旧知のゼイヴィア(アル・パチーノ)を頼り、自分の頭がまだ働くうちに計画を組みはじめます。一方で、イカリ刑事(スージー・ナカムラ)が彼を追いはじめます。

テーマ|残された時間を、何に使うか

告げられるのはアルツハイマー型認知症ではない

作中でノックスに告げられる病名は、クロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease、CJD)です。プリオンと呼ばれるタンパク質が異常な形に折りたたまれることで起きる希少な病気で、認知症を引き起こしますが、アルツハイマー型と比べて進行がはるかに速いという特徴があります(Alzheimer’s Association)。

この違いは台詞にそのまま表れます。「月単位ではなく週単位です」「治療法はありません」。

観客に示されるのは漠然とした不安ではなく、最初から明確に引かれた期限です。ノックスに残されているのは数週間で、その間に頭が働かなくなっていく。物語はこの二重の締切の上を走ります。

『ファーザー』と同じ問いが立っている

病名の扱いは、二作でずいぶん違います。『ファーザー』は診断名を言いません。本作は早い段階で病名を確定させ、余命まで数字で示します。

それでも、父親が残された時間を子どもとの関係に使おうとするところは同じです。『ファーザー』のアンソニーにとって、それは娘との関係でした。ノックスにとっては、十年以上会っていない息子との関係です。私が「近い」と感じたのは、疾患の種類でも語りの方法でもなく、この問いの立て方でした。

「ヒットマン映画だとは一度も思わなかった」

私はこの映画を、ノアール映画として楽しみました。証拠を仕込み、痕跡を消し、手順を一つずつ実行していく。その作業を見ている時間が面白い。ところが、キートン自身の捉え方はこれと食い違います。

私はこれをヒットマン映画だとは一度も思わなかった。実際、そういう映画ではないからだ。ヒットマン映画で、これまで作られてきたものを超えることはできないと思うし、そもそも私はこのジャンルに特別な関心を持ったことがない。これは人間関係の映画であり、間違いなく贖罪の物語だ。

Backstage

言われてみれば、確かに贖罪の物語です。しかし、それが明確に表れるのは最後であり、それまではサスペンス仕立てで観客を引き付けていきます。手順を積み上げていく面白さと、十年以上会っていなかった息子との関係。この映画には二つの狙いが同居していて、私が先に受け取ったのが前者だった、というだけです。

そして後半に進むにつれて、後者が前に出てきます。息子のために動いているうちに、ノックスは自分の頭が保たなくなることを計算に入れはじめます。犯罪映画として見ていたものが、いつのまにか父親の話になっている。

『メメント』を思い出した

記憶を保てない主人公が、記憶に頼らない方法で目的を追う。観ながら『メメント』を思い出したのは、そこです。ノックスは、増えていく記憶の欠落に備えて、計画の各段階をノートに書き留めていきます。

そして本作には、もう一つ『メメント』と似たところがあります。観客が受け取る情報が、意図的に絞られていることです。私はこれを、信用できない語り手の映画として観ました。主人公が見ているものを、そのまま事実として受け取ってよいのか分からなくなる。キートンは、観客の視点をどこに置くかについて具体的に語っています。

観客が息子の見ているものを見ているときは、息子の立場に立つ必要がある。しかし同時に、観客は「待て、息子は今起きていることを分かっていないのではないか」と考えている。

IndieWire(Yahoo転載)

観客はマイルズより多くを知り、ノックスが知っていることのすべては知らされない。この差が保たれている間、映画は緊張を失いません。

ただし、方法は『メメント』とは違います。『メメント』は時間を逆向きに並べるという構成そのもので観客の情報を制限しました。本作が使うのは、場面ごとの演出です。暗転、露出過多で揺れる画面、途切れたカット、不明瞭な音声。ノックスの頭で起きていることが、そのまま画面で起きます。

この作りが最後まで効いているかどうかは、終盤を観てからでないと判断できません。ここでは触れません。

映画技法|25日で撮られた1970年代風の画面

冒頭は、タイトなクローズアップから始まります。姿の見えない人物が、持ち物を一つずつ手に取って確認していく。ドアの外へ向かい、引き返して腕時計をつかむ。そして時計の音が鳴りつづけます。

持ち物の確認と時計の音。記憶と時間という本作の二つの主題が、最初の数十秒で提示されます。画面の質感にも、はっきりした狙いがありました。

70年代の映画のような、ハイパーリアルで生々しい映像だ。そして「きれいではない。でも実際にはこう見える」という感じになる。

Forbes

実際、この映画のロサンゼルスは美しく撮られていません。灰色の室内、区画整理された住宅地、特徴のない路地。ノワールらしい影の演出もありません。狙って汚しています。

撮影日数は25日でした。キートンはこの制約について、「急がざるを得ない状況に置かれると、人は考えるようになる」と語っています。迷っている時間がないことは、手順を淡々と積み重ねていく本作の進行には合っていたのかもしれません。

まとめ|期限を先に置いた映画

ノックスがノートに手順を書き留めるのは、症状が進みきる前に計画を終わらせるためです。彼が戦っている相手は、追ってくる刑事ではありません。自分の頭がいつまで働くのかという、残された時間そのものです。だから私は、最後までハラハラしながら観ていました。

『ファーザー』のように認知症を患う人の内側を描く作品を期待すると、当てが外れます。本作は病を、物語を動かすための制約として使っています。残り数週間、しかもその数週間のうちに頭が働かなくなる。この設定が、犯罪映画としての緊張を最後まで保ちます。

キートン監督作としては二本目で、二本とも殺し屋の話です。三本目があるなら、また殺し屋なのかどうか。そこも含めて、次を観たいと思わせる一本でした。

参考資料