書評|AIは民主主義の夢をみるか?|”Rewiring Democracy” by Bruce Schneier, Nathan E. Sanders

前作から続く道

ブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)の関心は、技術そのものから、それを取り巻く制度へと広がってきました。暗号とセキュリティの専門家として出発し、Data and Goliath(2015年)では監視によるデータの集中が人を操作する力を生むと論じ、Click Here to Kill Everybody(2018年)では、技術が社会に組み込まれることで生じる危険と規制の必要性を説いています。

その変化が明確になったのが、A Hacker’s Mind(W. W. Norton、2023年2月)です。ハッキングはコンピュータに限った話ではない。システムの規則を、設計者が意図しなかった方法で利用する行為は、広くハッキングとして捉えられる。これが本書の中心的な主張でした。

この定義に従えば、税制の抜け穴も、金融市場の裁定取引も、選挙制度の運用も、同じ観点から捉えられます。そして、制度の抜け穴を利用しやすいのは、たいてい資金と人手を持つ側です。一方でシュナイアーは、同じ発想を用いることで、より公正な制度を設計する側にも回れると論じました。

私はこの本について2023年8月に書評を書き、そのとき、こう書いています。

リベラルな視点を盛り込んでくるのは(いい意味で)意外でした

セキュリティ技術者の著作として読み始めたはずが、議論の射程がしだいに政治や制度へと広がっていったからです。

その延長線上にあるのが、Rewiring Democracy です。MIT Pressから2025年10月21日に刊行され、現時点では邦訳を確認できていません。共著者はネイサン・E・サンダース(Nathan E. Sanders)。天体物理学の博士号を持つデータサイエンティストで、シュナイアーと同じくハーバード大学バークマン・クライン・センターに籍を置いています。

前作で見え始めていたリベラルな価値観は、本書では議論の前提になっています。営利企業の短期的な利益だけに左右されないAIを政府が持つべきだという構想も、既存の権力をさらに強化するのではなく、一般市民の政治的な影響力を高めるAIを評価するという基準も、その延長にあります。

では、その前提は現在も成り立っているのでしょうか。本書はどのような政治状況を想定して書かれ、その後の現実とどれほどずれたのか。この記事では、そこを中心に考えます。

ディープフェイクの本ではありません

AIと民主主義という組み合わせから、多くの人が最初に思い浮かべるのは、ディープフェイクやAIが生成した偽情報によって選挙が混乱する問題でしょう。

しかし、本書の主題はそこではありません。

シュナイアーは2024年7月、本書の執筆を予告したブログ記事で、ディープフェイクや偽情報を扱う本ではないと明言しています。著者たちが注目しているのは、AIが統治の実務に組み込まれたとき、民主主義がどう変わるかという問題です。AIが立法を支援し、紛争解決に関与し、行政を監査し、政治戦略の立案を助け、市民の政治的な判断を支援する。そうした利用が広がったとき、制度や権力関係にどのような変化が生じるのか。

出版社の紹介も、同じ問題意識を示しています。立法者はAIによって、より複雑な法制度を設計できるようになるかもしれない。公務員は規制の執行を自動化できるようになる。弁護士や裁判官がAIを利用すれば、法執行や訴訟、紛争解決のあり方そのものが変わる可能性がある。MIT Pressは、本書の立場を “advisedly optimistic”、つまり慎重な楽観主義と説明しています。

本書の主題は、選挙期間中の偽情報対策にとどまりません。立法、行政、司法といった統治の仕組みにAIが組み込まれることで、制度や権力関係がどう変わるのかを論じています。

もうひとつ重要なのは、本書におけるAIの定義がかなり広いことです。ボストン公共図書館での著者トークによれば、ここでいうAIとは、これまで人間が担ってきた認知的な機能を果たしうる技術を指します。大規模言語モデルだけに限定されません。行政窓口で申請を仕分けるシステムも、議員事務所に寄せられた大量の意見を分類する仕組みも、この定義に含まれます。

対象が広いだけに議論が拡散する危険はありますが、「統治にAIが導入されることで何が変わるのか」を考えるという本書の狙いには合っています。

著者たちが持ち出す日本の事例

ハーバード大学アッシュ・センターでのトークで、サンダースは日本の事例として、チームみらいと、その代表である安野貴博氏を挙げています。AIを活用して市民の意見を集め、選挙で議席を獲得した新しい政党の例として紹介されました。安野氏はAIアバターを使って動画を配信し、およそ8,000件の質問に回答しました。そこで集まった意見は、政策綱領の作成や改訂にも活用されています。

サンダースは、AIの政治利用がすべて望ましいわけではないと断ったうえで、この事例を紹介しています。この政党や手法が今後どう展開するかは分からない、とも付け加えていました。

対照的な事例としてシュナイアーが挙げるのが、米ワイオミング州シャイアンの市長選に立候補した人物です。「当選したらAIの判断に従う」と掲げ、記者からの質問にもAIに回答させましたが、当選には至りませんでした。

ここでサンダースは、興味深い問いを投げかけます。候補者が政策判断をAIに委ねることは、本当にまったく新しい現象なのか。

政治家の政策選択は、現在でも政党、宗教、イデオロギーといった制度や思想の影響を受けています。私たちはそれを政治の一部として受け入れてきました。もちろんAIはそれらと同じではありません。だからこそ、「AIに委ねるのは危険だ」と結論づけるだけでなく、従来の政治的な影響力と何が異なるのかを考える必要がある、という問題提起です。

この事例を、本書が後に示す「権力」の観点から見ると、評価は簡単ではありません。AIアバターによって8,000件の質問に対応できる仕組みは、資金や人手に乏しい新規参入者でも、多くの有権者と接点を持つ可能性を広げます。既存の政治組織に比べた不利を縮める方向に作用するでしょう。

一方で、すでに大きな組織と資金を持つ側が同じ技術を導入すれば、既存の格差がさらに拡大する可能性もあります。サンダースが評価を留保しているのは、この両面があるからでしょう。

四つの判断軸と、公共AIという発想

シュナイアーはボストン公共図書館でのトークで、AIを政治や行政に利用してよいかを考えるための判断軸を四つ挙げています。

第一は精度です。ただし、ここでは必ず「何と比べて正確なのか」を問う必要があります。比較対象になるのは、従来その判断や業務を担ってきた人間です。AIは人間より正確なのか。そもそも、その業務を十分な精度で遂行できる人間がいるのか。

広告でAIが広く利用されているのは、対象を二割ほど誤認しても深刻な問題にはなりにくいからだ、とシュナイアーは説明します。

第二はセキュリティです。運用者が望む結論を出すようにAIを操作できないか。外部から攻撃や干渉を受けないか。さらに、外部から切り離された環境で利用する場合と、外部のシステムやデータに接続しながら利用する場合では、求められる安全性も大きく異なります。

第三は信頼です。候補者や弁護士、裁判官が文書作成を補助させるのであれば、本人と近い価値判断や偏りを持つAIが適している場合もあります。判事が、自分と近い法的見解を持つ書記官を雇うのと同じです。

しかし、給付の可否など、市民の権利や生活に直接影響する判断をAIが担うのであれば、より広く社会から信頼される仕組みが必要になります。そして、その信頼性を誰が、どのような基準で判断するのかという問題も残ります。

第四は権力です。これは、本書全体を貫く最も重要な判断軸です。AIは権力を増幅する技術である。すでに強い権力をさらに強化するのであれば民主主義を損なう可能性があり、一般市民の政治的な影響力を高めるのであれば民主主義に資する可能性がある。これが著者たちの基本的な考え方です。

マサチューセッツ州のMAPLEは、住民が議会に意見を届けるのを支援する仕組みです。こうした、市民が政治に参加するための負担を下げる技術は、著者たちの基準では民主主義に資する利用と評価されます。

この四つの判断軸は、本書の政治的な立場に賛成しなくても利用できます。むしろ、本書の楽観的な部分に懐疑的な読者にとっても、AIの政治利用を検討するための枠組みとして有用でしょう。

この「権力」をめぐる議論から導かれるのが、公共AI(public AI)という構想です。基本的な考え方は、営利企業の短期的な利益だけを目的としないAIシステムを、公共部門も保有するというものです。

着想のもとになっているのは、アメリカの医療保険をめぐる「パブリック・オプション」の議論です。公的な保険を用意する目的は、誰もが利用できる選択肢を追加することだけではありません。公的保険が競争相手として存在することで、民間保険の商品設計や価格にも影響を与えられる、という考え方があります。

公共AIも同じです。政府が公共的な目的に沿ったAIを保有することで、公共サービスに利用するだけでなく、民間企業が提供するAIの設計や運用にも一定の影響を及ぼす。規制に代わる仕組みではなく、規制を補完する手段として位置づけられています。

この構想は、シュナイアーがヘンリー・ファレル(Henry Farrell)と2022年から2023年にかけて発表した論考のなかで形づくられてきました。

もうひとつ、本書が明確にしているのが、説明責任は人間が負うという原則です。AIを使って法案を起草したとしても、その法案に架空の引用が含まれていれば、責任を負うのは議員です。政策の内容についても同じです。AIを独立した責任主体として扱ったり、「AIが生成したものだから」と開発企業に責任を転嫁したりするべきではない、という立場です。

批判は正反対に分かれた

英語圏の書評を見ると、本書の問題提起を評価しつつも、批判は正反対に分かれています。一方には「AIを楽観的に見すぎている」という批判があり、もう一方には「AIの変化に対して慎重すぎる」という批判があります。

Lawfare のロイ・L・オースティン・ジュニア(Roy L. Austin Jr.)による書評(2025年12月19日)は、本書を重要な仕事だと評価する一方、AIの実際の性能を十分に検証しないまま、その能力を前提に議論していると批判します。AIへの期待が、現実の能力や利用実態を先回りしている。また、規制を実際に成立させる政治的な困難も過小評価しており、結論部で示される処方箋も弱い。本書は未来への地図というより、現在のAIに対する期待を映した鏡ではないか、という評価です。

一方、3 Quarks Daily のマルコム・マレー(Malcolm Murray)による書評(2025年10月17日)は、ほぼ逆の理由から本書を批判します。個別の事例を丁寧に扱っている点は評価する。しかし、事例の多くは大規模言語モデルが普及する以前のもので、現在のAIの進歩に対して議論が慎重すぎる。著者たちが未来予測を避けた結果、自律的に動くAIの規模と速度や、AI企業への権力集中といった近い将来の問題に十分踏み込めていない、という指摘です。

さらに根本的な批判をしているのが、Nature のヴァージニア・ユーバンクス(Virginia Eubanks)です。Automating Inequality の著者であるユーバンクスが疑問を投げかけるのは、本書の基礎にある「民主主義は情報システムである」という捉え方そのものです。公開されている部分では、こう述べています。

“Democracy isn’t a flow chart or an executable piece of computer code. Preferences are formed in the process of governance, not just counted.”

民主主義はフローチャートでも実行可能なコードでもない。人々の選好は、あらかじめ存在するものを集計するだけではなく、統治に参加する過程そのものによって形成される、という批判です。

本書がAIへの楽観論にも悲観論にも寄り切らないからこそ、双方から物足りなさを指摘された、と読むこともできます。

ただ、こうした書評を追っているうちに、別の疑問が浮かびました。この本は、そもそもどのような政権を想定して書かれたのでしょうか。

ハリス政権のために書かれた本を、トランプ政権下で読む

シュナイアー自身が、その答えを明かしています。ボストン公共図書館で開かれた著者トークで、本書の大半をカマラ・ハリス政権の成立を想定して書いていたと話しています。ところが実際に成立したのはトランプ政権でした。その現実を踏まえ、執筆中にも原稿を修正する必要があったといいます。

ただし、本書はAIと権威主義について論じた本でも、AIが民主主義を救うと主張する本でもありません。著者自身の説明では、あくまで「機能している民主主義のなかでAIがどう使われるのか」を扱った本です。

技術面でも、執筆中に予測が次々と現実になりました。初稿で「こうなるだろう」と書いていたAIアバターを利用する候補者や、市民の意見をAIで集約して政策綱領や政党を作る試みが、執筆期間中に実際に現れたそうです。

しかし、より大きく変化したのは個別の事例ではありません。「機能している民主主義のなかでAIを利用する」という、本書の前提そのものでした。

政府効率化省とは何だったのか

日本の読者には、まず政府効率化省(Department of Government Efficiency、DOGE)がどのような組織だったのかを押さえておく必要があります。名前に反して、連邦政府の正式な「省」ではありません。

2025年1月20日、トランプ大統領の就任日に署名された大統領令14158によって、既存のUnited States Digital ServiceがUnited States DOGE Serviceに改称され、その内部に期限付きの臨時組織が置かれました。終了日は、設置時点から2026年7月4日と定められていました。

DOGEの問題はAIの性能だけではなかった

DOGEではAIも利用されましたが、組織を不安定にしたのはAIの性能だけではありません。実質的に指揮していたイーロン・マスクは、特別政府職員として年間130日という勤務上限があり、2025年5月30日にワシントンを離れました。中心的な役割を担っていた職員も同じ時期に離れています。各省庁のデータへのアクセスをめぐる訴訟も相次ぎ、個人情報の扱いも問題になりました。

成果についても評価は定まっていません。当初掲げられた削減目標は2兆ドルでしたが、終了時点でDOGEが報告していた削減額は約2,150億ドルでした。その集計方法には異論があります。すでに失効していた契約を削減額に含めた例などが指摘され、削減に伴う再雇用や生産性低下などの費用も問題になりました。

組織は実質的には2025年中に急速に存在感を失い、法的な期限だった2026年7月4日に終了しました。最終的な総括報告書や引き継ぎ計画も公表されていません。

退役軍人省の契約審査ツール

AIが実際にどう使われていたのか。具体例を報じたのが、2025年6月のProPublicaです。DOGEのエンジニア、サヒル・ラヴィンジアは、退役軍人省の契約のうち、解除できるものを判定するAIツールを開発しました。このツールは、2,000件を超える契約を解除候補として選び出しています。

しかし、その仕組みには明確な問題がありました。契約書の先頭1万文字、およそ2,500語しか読みません。判定に使う重要な用語も定義されていません。さらに旧世代の汎用モデルを使った結果、実在しない契約金額を生成することもありました。ラヴィンジア自身も、誤りがあったことを認めています。

ここで、本書が示した「精度」という判断軸がそのまま使えます。問うべきなのは、AIによる判定が可能だったかではありません。契約の必要性を判断する専門家と比較して、十分な精度が確保されていたのかです。この事例からは、その条件を満たしていたとは言えません。

誰が実行するのか

Rewiring Democracy が提案する公共AIも規制強化も、それを実行する政府が機能していることを前提としています。DOGEが示したのは、その実行主体である政府の制度や能力自体が揺らぎうるということでした。

サンダースはNew Books Networkのインタビューで、AIと行政権の関係について興味深い指摘をしています。民主主義国家の官僚機構では、部局の長から窓口の職員まで、多くの人間に判断が分散しています。ところがAIによって判断を自動化すれば、それまで各層に分散していた決定権を上層部へ集中させやすくなる。

サンダースはこれを、アメリカの保守系法律家が長く主張してきた「単一執行権論(unitary executive theory)」と結びつけて考えます。行政権は大統領に帰属し、大統領が行政府の官職者を統制できるという考え方です。AIが必ずその方向に利用されるわけではありません。しかし、これまで人間の裁量によって各層に分散していた意思決定を、技術によって集約しやすくする力はある、とサンダースは指摘します。

一方で彼は、DOGEの失敗をAIそのものの失敗とみなすべきではないとも話しています。DOGEではAIの実装が粗く、誤りを生み、行政の質を改善できなかった。しかし、より慎重に実装していれば、適切に機能した領域もあったはずだ、という立場です。

AIが権力集中を促す可能性と、DOGEにおける実装の質は、分けて考える必要があります。前者はDOGEという組織がなくなった後も残る問題です。後者については、技術だけでなく、それを導入・運用する組織や制度の能力まで含めて検討しなければなりません。

ここで、本書が示した四つの判断軸をDOGEに当ててみます。

精度は不十分でした。先ほどの契約審査ツールは、専門家と比較して十分な精度を備えていたとは言えません。

セキュリティでは、機微情報の扱いに問題が生じました。2026年には、社会保障庁がDOGE職員による機微な情報の庁外サーバーへの転送を認め、財務省の監察総監も、暗号化されていない個人情報が事前承認なしに省外へ送られていたことを確認しています。

信頼の条件も満たしていません。権利や財政に関わる判断をAIが担うのであれば、判定基準や検証手続きが必要です。しかし、契約審査では重要な用語さえ十分に定義されず、組織の終了時にも総括報告書は公表されませんでした。

権力については、著者たちが警戒していた方向に作用しました。各層に分散していた判断を、より上位の権力へ集中させる方向です。

本書の四つの判断軸は、DOGEを分析するうえでも有効でした。ところが、公共AIや規制強化を実現するために必要な政治的な前提は、本書の想定から大きく外れました。

それでも手元に残るもの

では、本書が想定していた政治的な前提が外れたあとにも、なお有効な提案は何でしょうか。三つに分けて考えてみます。

説明責任は人間が負うという原則は残ります。AIを使って法案を起草した議員は、その内容に責任を負う。この原則は、政権の性格や行政機構の状態に左右されません。むしろ制度が十分に機能しない状況ほど、重要になります。

規制強化という提案は、政治環境に最も強く依存します。どれだけ優れた規制案があっても、それを制定し執行する主体が機能しなければ実効性を持ちません。DOGEの経験が示したのは、規制を担う行政機関そのものが縮小や再編の対象になりうるということでした。

公共AIも、政府の能力と無関係ではありません。規制を補完する仕組みとして構想されている以上、政府側が十分に機能しなければ、その効果も限定されます。

ただし、サンダースはすべてのAI利用を同じ基準で扱うべきだとは考えていません。たとえば行政サービスの多言語対応であれば、市販のAIを利用してもよい。一方で、立法過程で利用するAIについては別の基準が必要になる。この切り分けによって、政治状況に左右されにくい用途と、制度や権力構造の影響を強く受ける用途を分けて考えられます。

そして、四つの判断軸——精度、セキュリティ、信頼、権力——は、政権が変わっても使えます。DOGEで起きたことも、この四つの観点から見ることで、技術上の問題と制度上の問題を分けて整理できます。

ハーバード大学アッシュ・センターでの著者トークでは、司会のダニエル・アレン(Danielle Allen)が、さらに根本的な問いを投げかけています。投票を「すでに存在する選好を集計する行為」とみなす説明に対し、アレンはアマルティア・セン(Amartya Sen)を引きながら、人は何かを選ぶ過程そのものを通じて、自分の選好を形成していると指摘します。その過程を無視すれば、民主主義を成立させている重要な要素まで見失ってしまう。

さらにアレンは、私たちが人生で行う選択の多くは、単純に優劣をつけられるものではないとも話します。

医者になるか、教師になるか。

どちらが客観的に正しいという問題ではありません。人はどちらかを選び、その選択を通じて自分自身も形づくられていきます。機械にできるのは、与えられた基準に従って選択肢に優先順位をつけることです。しかし、人間が何を望むのかという選好そのものまで、同じ方法で扱えるわけではありません。

シュナイアーもこれに同意し、本書の一節を紹介しています。人間の選好は、拾われるのを待って地面に転がっているものではない。民主主義の過程を通じて形成される。一定の基準に従って「最適な答え」を効率よく導くシステムが、そのまま優れた民主主義を実現するわけではありません。

ここまで来ると、先ほど紹介したユーバンクスの批判と、著者自身の考えは意外なほど近く見えます。

Rewiring Democracy は、AIと民主主義の問題を、選挙における偽情報やディープフェイクだけで考えたくない人に向いています。行政や立法の実務に近い人であれば、なおさらです。

刊行から一年もたたないうちに、本書が想定していた政治的な前提は大きく変わりました。正確には、その前提が外れたのは刊行前です。著者たちは変化する政治状況を踏まえながら、原稿を修正していました。それでも、その変化が本書の提案にどこまで影響するのかが見えてきたのは、刊行後です。

本書の予測が当たったか外れたかだけを評価するより、前提が変わったあとにも、どの議論がなお有効なのかを確かめながら読む。2026年のいま、この本を読む面白さはそこにあると思います。

参考リンク