映画『プラダを着た悪魔2』|変わらないミランダが、変わった時代を映す

2026年公開の『プラダを着た悪魔2』(The Devil Wears Prada 2)は、2006年の前作から20年ぶりの続編です。

デヴィッド・フランケル監督と脚本のアライン・ブロッシュ・マッケンナが復帰し、メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチの主要キャストが再集結しました。全世界の興行収入は約6億9,000万ドルに達し、20年越しの続編として大きな成功を収めています。

映画『プラダを着た悪魔2』

観終えての率直な感想は、メリル・ストリープが驚くほど変わっていない、ということでした。声のトーンも、間の取り方も、周囲を凍らせる視線も、20年前のミランダ・プリーストリーそのものです。

一方で、彼女を取り巻く世界は大きく変わっています。紙の雑誌は力を失い、トレンドはアルゴリズムに左右され、ファッション誌も広告主の意向から逃れられません。

この記事では、この「変わらない」という驚きが、実は映画の仕掛けの中心にあることを、テーマ、人物、映像表現の順にたどります。

ネタバレについて

この記事は、物語中盤の『Runway』の経営危機と、アンディの復帰をめぐる駆け引きまでを前提に書いています。終盤の展開と結末には触れません。

あらすじ|女王は健在、しかし城が傾いている

ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)は、いまも『Runway』の編集長です。

その美意識も、囁くような話し方も、周囲を緊張させる威厳も、20年前のままです。変わったのは、彼女を取り巻く世界のほうでした。

紙の『Runway』はかつての勢いを失い、ウェブサイトは短い動画や刺激的な見出しの記事で読者をつなぎ留めています。雑誌の文化的な影響力は残っているものの、経営は厳しく、ミランダの権威と会社の財政の間には、かつてなかった溝が生まれています。

一方、アンディ・サックス(アン・ハサウェイ)は記者として実績を積んでいましたが、授賞式の最中にテキストメッセージ一本で解雇を告げられます。

その後、『Runway』の経営側は誌面の信頼回復を図るため、ミランダの同意を得ないまま、アンディを特集編集長として呼び戻します。

さらに、かつて第一アシスタントだったエミリー(エミリー・ブラント)は、いまや高級ブランドグループの幹部です。『Runway』の生命線となる広告予算を握る側に立っています。

テーマ|「変わらない」が武器にも悲劇にもなる

変わらない人が、変わった時代の物差しになる

観ていて最も驚いたのは、ミランダという人物の再現度です。

声のトーン、言葉を置く間、相手を見る目。どれも前作の記憶とほとんど変わらないように感じられます。

そして映画を振り返るほど、この「不変」こそが作品の設計の中心にあると思えてきます。

ミランダが変わらないからこそ、周囲の変化が際立ちます。

読まれなくなった紙の雑誌。アルゴリズムが決めるトレンド。数字だけを見る経営陣。コンテンツの質よりも、短時間でどれだけ反応を集めたかが評価される世界。

変わらない人物がいることで、変わった時代の姿が正確に見えてきます。

20年ぶりの続編という条件を、この映画は最大限に生かしています。

影響力はあるのに、お金がない

「インターネットの時代になっても、ファッション誌が影響力を持っている」という設定は、一歩間違えば懐古的なご都合主義になります。

しかし本作は、『Runway』が保っている文化的な影響力と、雑誌としての収益力を分けて描きます。

ミランダの一言には、いまもデザイナーやブランドを動かす力があります。

しかし、その権威だけでは広告収入を取り戻せません。

何が価値ある服なのかを決める力と、事業を継続させる力は別のものです。

この線引きがあるからこそ、ミランダと『Runway』がいまも影響力を持っているという設定に説得力が生まれています。

頭を下げる側が入れ替わる

権力の中心が美意識から資本へ移ったことを、映画は人間関係の逆転によって見せます。

かつてミランダに振り回されていたエミリーが、いまは広告予算を握る側として、完璧なビジネスの笑顔で彼女と向き合います。

ミランダは、かつて自分が支配していた種類の部屋で、相手の判断を待つ側に立たされます。

この逆転は、単純な復讐劇としては描かれません。

エミリーの中には、過去へのわだかまりと、ミランダから学んだことへの敬意が同居しています。ミランダもまた、かつての部下を軽く扱うことができません。

だからこそ、20年という時間の重さと、立場が変わっても消えない二人の因縁が、静かな緊張として画面に残ります。

キャラクター造形|変わらない一人と、変わった二人

ミランダ|不変という選択

前作で確立された、怒鳴らずに囁くことで場を支配するミランダの話し方は、本作でもそのままです。

ただし、置かれた状況は大きく異なります。

絶対的な支配者だった前作に対し、本作のミランダは、自分の基準を守るために経営側や広告主と戦わなければなりません。

それでも、彼女は基準を下げません。

周囲がコスト、効率、再生回数の言葉で話すなか、一人だけ美しさと品質の言葉で話し続けます。

その姿は優雅であると同時に、どこか痛切です。

「変わらない」ことが、本作では強さであると同時に、孤立の表現にもなっています。

アンディ|追い出された記者、呼び戻された編集者

アンディの20年間は、単純な出世物語ではありません。

前作のあと、彼女は真面目に報道の仕事を積み上げてきました。しかし、そのキャリアの先で待っていたのは、授賞式の最中に届く解雇通知でした。

その皮肉な導入が、彼女の『Runway』復帰に苦い現実味を与えています。

しかも復帰は、ミランダの頭越しに決められたものです。

かつての助手と上司が、今度は互いに望んでいない同僚として再会します。

前作の師弟関係を繰り返すのではなく、異なる経験を積んだ二人のプロフェッショナルとして対峙させる。この設定によって、二人の関係に大人の緊張感が生まれています。

エミリー|かつての助手が、財布を握る

エミリー・ブラント演じるエミリーは、本作で最も鮮やかに変わった人物です。

前作では、システムに忠実であるがゆえに、そのシステムに振り回され続ける人物でした。

本作の彼女は、その仕組みの上位へ自力で登り、感情ではなく数字で話す側にいます。

ミランダに認められるために働いていた女性が、いまではミランダの雑誌を存続させるかどうかを判断できる。

彼女の存在が、本作の問いを体現しています。

ファッションを動かすのは、美意識なのか。それとも資本なのか。

エミリーはその問いを、ミランダの目の前へ突きつけます。

映画技法|本物で組み立てる伝統は続く

セルリアンのセーターが帰ってくる

衣装は、前作のパトリシア・フィールドからモリー・ロジャーズへ引き継がれました。

ロジャーズはインタビューで、前作の「セルリアンブルーのセーター」がどうしても必要だったと語っています。

前作でミランダがファッション産業の影響力を説明した、あの場面でアンディが着ていた青いセーターです。

今回は単に同じ服を再登場させるのではありません。

衣装フィッティングの際、アン・ハサウェイが保管されていたオリジナルのセーターを現代的なベストへ作り替えることを提案し、採用されたと伝えられています。

かつてファッションについて教えられる側だったアンディが、その象徴を自分の手で作り替える。

20年間の変化を、台詞ではなく一着の服が語ります。

ミラノが「出演」する

本作の舞台はニューヨークにとどまらず、ミラノへ広がります。

衣装デザイナーのロジャーズは、ミラノを単なる背景ではなく、衣装と同じように物語を語る存在として扱ったと説明しています。

歴史ある建物、整然とした街並み、現代的なショールーム。

ニューヨークが編集とビジネスの街だとすれば、ミラノは服そのものの歴史と権威を担う街として映ります。

象徴的なのが、『最後の晩餐』を所蔵する施設を再現したセットでの場面です。

ここでストリープとハサウェイは、ともにジョルジオ・アルマーニのオートクチュールライン「アルマーニ プリヴェ」を着ています。

ロジャーズは、この衣装を撮影中に亡くなったアルマーニへの敬意として位置づけています。

服、街、現実のファッション史が、画面の中で地続きになっています。

本人たちが、本人役で出てくる

前作から続く楽しみの一つが、カメオ出演を見つけることです。

本作には、ドナテラ・ヴェルサーチ、マーク・ジェイコブス、ナオミ・キャンベル、ハイディ・クルム、スタイリストのロー・ローチなど、ファッションや芸能界の実在の人物が本人役で登場します。

その数は30人を超えると報じられています。

レディー・ガガは、単に会場の背景へ映り込むだけでなく、ミランダと因縁のある「本人」として物語にも関わります。

ここで前作を振り返ると、違いがよく分かります。

2006年当時は、アナ・ウィンターとの関係を警戒し、映画への出演に慎重だったデザイナーが少なくありませんでした。本人役で登場した代表的なデザイナーは、ヴァレンティノでした。

20年後の続編には、業界の顔ぶれが揃って出演しています。

この変化自体が、『プラダを着た悪魔』がファッション業界にとって、警戒すべき風刺から、業界全体が共有する物語へ変わったことを示しています。

まとめ|変わらないものを確かめるための続編

前作から20年の経過を感じさせない。

観終えた直後の印象は、振り返るほどに二つの意味を持ち始めました。

一つは、メリル・ストリープが再現したミランダの精度です。

もう一つは、その不変を意図的な軸として、時代の変化を測らせる映画の設計です。

変わらないミランダがいるからこそ、紙媒体の衰退も、広告主への権力移動も、数字に支配されるメディアの姿も、くっきり見えます。

本物の服と本物の業界人によって画面を組み立てる、前作の伝統も受け継がれていました。

前作で「本物の服」が果たした役割を、本作では「本物の人々」が果たしています。

続編は前作を超えられない、という言葉があります。

この映画が前作を超えたかどうかは、意見が分かれるでしょう。

それでも、20年待った観客に「あの世界は変わっていない。変わったのは、世界を見る私たちの側だ」と感じさせた時点で、この続編には存在する理由が十分にあったと私は思います。

参考資料