映画『ひつじ探偵団』|ファミリー映画と侮るなかれ

映画『ひつじ探偵団』

何の前知識もなく『ひつじ探偵団』(The Sheep Detective)を観ました。

題名から想像したのは、羊たちが探偵のまねごとをする、かわいらしいファミリー向けコメディです。実際、羊はかわいいし、笑える場面もたくさんあります。とくに、牧草地しか知らない羊たちが初めて道路を渡ろうとする場面では、声を出して笑いました。

ところが、観ているうちに印象が変わっていきます。

羊たちの行動はおかしいのに、単なる擬人化には見えません。殺人事件の謎解きも、子ども向けだからと適当に処理されているわけではない。そして物語の奥には、愛する存在を失うこと、忘れること、覚えていることについての、意外なほど重い問いがあります。

変わった設定の映画だと思って観始めたら、かなり丁寧に作られたミステリであり、喪失を受け入れていく物語でもありました。ボクが感じた「想像を超える面白さ」は、奇抜な題材だけから生まれたものではなかったようです。

※本稿は物語の中盤までに触れます。事件の真相や結末には触れません。

あらすじ|探偵小説を聞いて育った羊たち

英国の田舎町で暮らす羊飼いのジョージは、毎晩、羊たちに探偵小説を読み聞かせています。

ジョージは、羊が物語を理解しているとは思っていません。しかし羊たちは、名探偵の推理や容疑者の証言、証拠の見つけ方をきちんと聞いていました。

ある日、そのジョージが死体で発見されます。羊たちは、これは事故ではなく殺人事件だと考えます。そこで、これまで聞いてきた探偵小説の知識を頼りに、自分たちで犯人を捜し始めます。

しかし、羊たちが知っているのは、牧草地とジョージと、物語の中の人間社会だけです。道路も、家の中も、警察も、相続の手続きも、彼らにとっては未知の世界です。

事件を解くには、ジョージが守ってくれていた場所から出なければなりません。ここから『ひつじ探偵団』は、謎解きと冒険、そして羊たちの成長を同時に進めていきます。

テーマ|忘れれば楽になる。それでも覚えている

本作の中心にあるのは、殺人事件そのものよりも、ジョージを失った羊たちが、その不在をどう受け止めるかという問題です。

カイル・バルダ監督は、本作の感情的な核を「grief and loss」、つまり悲嘆と喪失だと説明しています。また、モップルとセバスチャンが担う「愛する者を覚えていること」を、映画全体を導く“North Star”と呼んでいます。Animation Scoopの監督インタビューで語られたこの言葉を知ると、映画の見え方が変わります。

羊たちには、嫌なことや都合の悪いことを忘れてしまう性質があります。

もちろん、それはコメディの仕掛けとして使われます。大事な手がかりを忘れたり、少し前に決めたことが曖昧になったりする。しかし、この忘れやすさは、笑いのためだけに置かれているわけではありません。

忘れることは、羊たちが平穏に生きるための方法でもあります。怖かったことや悲しかったことを忘れられれば、また草を食べ、群れの中で暮らせます。

一方で、ジョージの死を解明するためには、忘れてはいけません。

見つけた証拠を覚えておく。聞いた言葉を覚えておく。ジョージがどんな人物だったかを覚えておく。そして、彼がもう戻ってこないことも覚えていなければならない。

ここで、探偵になることと、喪失を受け入れることが一つにつながります。

事件を解くには、見たくない事実から目をそらさず、記憶に残さなければなりません。それは、羊たちがこれまで使ってきた「忘れることで自分を守る」という生き方を変えることでもあります。

脚本のクレイグ・メイジンは、ミステリの構築を“It is math”と表現しています。謎解きには、手がかりを配置し、観客に必要な情報を渡し、最後に筋道を通す数学的な設計が必要だという意味です。一方で、原作を読み終えたときには泣いていたとも語っています。Slashfilmのインタビューでは、論理的な機械仕掛けと感情の物語を結びつけることが、本作の脚本づくりだったと説明しています。

『ひつじ探偵団』が思いのほか面白いのは、この二つが離れていないからです。

羊たちはジョージを愛しているから捜査を始めます。捜査を続けるから、ジョージがいない現実を理解していきます。謎解きが進むことと、悲しみを知ることが、同じ物語の中で動いています。

キャラクター造形|群れは一つでも、羊は一頭ずつ違う

羊たちは群れで動きます。

一頭が進めばほかの羊もついていき、何かに驚けば全員が同じ方向へ逃げる。その集団行動が、映画の笑いを生みます。

しかし、本作は羊をひとまとめにはしません。それぞれに異なる能力、考え方、弱さがあります。ここが、羊たちを単なる「かわいい集団」で終わらせない理由です。

リリー|賢いだけでは探偵になれない

リリーは、群れの中でもとくに頭がよく、事件解決に強い意欲を持つ羊です。

バルダ監督は、声を担当するジュリア・ルイス=ドレイファスについて、知性と明晰さに加えて、弱さも表現できる俳優だと説明しています。リリーは探偵小説のルールを理解し、自分なら事件を解けると考えています。しかし、頭で理解することと、悲しみを引き受けることは同じではありません。

リリーが担うのは、優秀な探偵になるための成長だけではありません。

最初の彼女は、正しい答えに早く到達することを重視しています。けれども捜査が進むにつれて、仲間の恐怖や、ジョージを失った痛みを無視できなくなります。

推理力だけでは群れを導けない。仲間が何を感じているかを受け止めなければならない。リリーの変化は、本作が「知性の物語」だけではなく、「感情を持てるようになる物語」でもあることを示しています。

モップル|忘れられない羊

ほかの羊が忘れてしまうことを、モップルは覚えています。

探偵団にとって、記憶力のよさは大きな武器です。しかし、忘れられないということは、つらい記憶も消えないということです。

モップルは、一見するとコミカルなキャラクターです。それでもテーマの上では、もっとも重い役割を担っています。

群れが前に進むには、誰かが過去を覚えていなければなりません。ジョージが何を教え、どのように羊たちを扱い、彼らを一頭ずつ大切にしていたか。それを保持するモップルの存在によって、ジョージの死は単なる事件の発端ではなく、具体的な誰かの喪失になります。

忘れないことは苦しい。しかし、忘れない者がいるから、共同体は自分たちが何者だったのかを失わずに済みます。

セバスチャン|群れの外から群れを見る

セバスチャンは、群れの価値観にそのまま従う人物ではありません。

ジョージは、さまざまな背景を持つ動物を引き取り、守ってきた人物として描かれます。セバスチャンもその一頭です。彼は群れに属しながら、群れの外側にいた経験を持っています。

そのため、ほかの羊が当然だと思っていることに疑問を投げかけます。

群れは安全な場所ですが、同時に、違う者を警戒する場所にもなります。仲間と同じように振る舞えば守られる一方、違いを見せれば排除されるかもしれない。

セバスチャンは、共同体の温かさと息苦しさの両方を見せる存在です。彼がいることで、「みんなで力を合わせる」という単純な話だけではなく、誰を仲間として受け入れるのかという問いが生まれます。

ティム・デリー|羊と一緒に学び直す警察官

人間側の中心となる警察官ティム・デリーは、いかにも頼りない人物として登場します。

本来なら、事件を捜査するのは彼の仕事です。しかし、観察力も推理力も、羊たちのほうが上に見える。ここには、探偵小説でおなじみの「無能な警察」を使った笑いがあります。

ただし、ティムは最後まで無能なまま固定された人物ではありません。

彼も羊たちと同じく、周囲からあまり期待されていません。自信がなく、何をしても失敗しそうに見える。それでも事件に向き合う中で、自分にできることを少しずつ見つけていきます。

羊たちが未知の人間社会へ出ていく物語と、ティムが警察官として学び直す物語は並行しています。人間と動物のどちらかが完全に賢いのではなく、未熟な者同士が異なる仕方で成長していく。この対等さが、本作を嫌みのないコメディにしています。

ジョージ|いなくなってから存在感が増す人物

ヒュー・ジャックマンが演じるジョージは、物語の早い段階で死者になります。

それでも、映画の中心にいるのは彼です。

羊たちが話を理解しているとは気づいていなくても、毎晩探偵小説を読み聞かせていました。羊を名前のない家畜の集団としてではなく、それぞれ異なる一頭として扱っていました。

ジョージが残したものは、事件の手がかりだけではありません。羊たちが考え、協力し、外の世界へ出るための言葉や習慣も、彼から受け取ったものです。

彼は事件の被害者であると同時に、羊たちの行動を支える見えない基準です。

誰かがいなくなった後、その人から受け取ったものが初めて見えてくる。ジョージの人物造形は、本作の喪失のテーマを静かに支えています。

映画技法|羊を人間にせず、羊の内面を見せる

ボクがこの映画でいちばん感心したのは、羊の描き方です。

羊たちは人間の言葉で会話します。しかし、二本足で歩いたり、服を着たり、人間のような身振りをしたりはしません。姿勢、歩き方、群れで固まる動き、知らないものに対する警戒など、基本的には羊の身体を保っています。

バルダ監督は、羊を「後ろ足で歩き、服を着るカートゥーンのキャラクター」にはしない方針だったと説明しています。VFXを担当したFramestoreも、実際の羊の身体や歩き方を参照しながら、それぞれの個体差を作りました。Framestoreの制作解説では、写実性を保ちながら、観客が感情を読み取れる表現へ調整したことが説明されています。

完全に現実の羊へ寄せると、観客には表情が読みにくくなります。反対に、人間へ近づけすぎると、羊であること自体がお飾りになります。

本作は、その中間を狙っています。

羊のまま考え、羊のまま怖がり、羊のまま推理する。その微妙な調整によって、「人間の役を羊に置き換えた映画」ではなく、「羊から見た人間社会」のコメディが成立しています。

道路を渡る場面は、なぜあれほど面白いのか

羊たちが道路に出る場面は、その狙いが最もよく分かる場面です。

人間にとって、道路は何でもない空間です。舗装された地面があり、車が走り、左右を確認して渡る。それだけです。

しかし、羊たちが知っている地面は草です。

目の前に突然、黒く硬いアスファルトが現れる。足触りも、匂いも、音も違う。さらに見たことのない速度で車が通り過ぎる。

この場面は、羊が人間のような冗談を言うから面白いのではありません。人間なら何も感じない場所に対して、羊が羊らしく反応するから面白いのです。

群れ全体が警戒し、前へ行こうとして止まり、誰かが動くと残りもついていく。羊の身体的な特徴と集団行動が、そのままコメディになっています。

同時に、この道路は、牧草地の内側と人間社会の境界でもあります。

羊たちは、ジョージに守られた世界から出て、自分たちで危険を判断しなければなりません。だから、笑える場面でありながら、物語上は重要な一歩でもあります。

ボクが声を出して笑ったのは、羊の動きをかわいく誇張したからだけではありません。羊にとって道路がどれほど異質なのかを、映画が本気で想像していたからだと思います。

明るい画面の中に死を置く

撮影監督ジョージ・スティールによる映像は、明るく、色彩も豊かです。

英国の田園は絵本のように整えられ、牧草地は広く、町の建物も親しみやすく見えます。TheWrapはこの画面を“bright, colorful, storybook veneer”と表現しています。

ところが、物語の中心にあるのは殺人事件です。

優しい羊飼いが死に、羊たちはその不在に向き合います。明るい画面と暗い題材が同時に存在することで、映画は陰惨になりすぎず、かといって死を完全に軽くもしません。

このバランスが、期待を裏切る面白さにつながっています。

最初は、絵本のような田園を舞台にした動物コメディに見えます。しかし中盤へ進むにつれ、霧や閉ざされた空間、羊たちの知らない人間社会の仕組みが、不安を強めていきます。

かわいい外見の下に重いテーマを隠しているのではありません。明るさと悲しさを、最初から同じ画面の中に置いているのです。

開放的な田園を「閉じた事件現場」にする

ミステリとして見ると、舞台の作り方も面白いです。

田園地帯は、本来なら開放的な場所です。遠くまで見渡せ、どこへでも逃げられそうに見えます。しかしバルダ監督は、農場を「密室殺人」の舞台のように感じさせることを狙ったと語っています。Slashfilmの監督インタビューによると、別の町や都市が見えない場所を選び、登場人物たちが一つの世界に閉じ込められているように構成しました。

町の教会、宿、警察署なども、容疑者たちの関係が見えるように配置されています。

つまり、羊たちが自由に歩き回っているように見えて、物語の空間はかなり緻密に制限されています。

この設計があるから、事件の容疑者や手がかりが散漫になりません。奇抜な設定を支えているのは、意外なほど古典的な探偵小説の構造です。

まとめ|変化球に見えて、かなり王道の映画だった

『ひつじ探偵団』を観る前、ボクはこの映画に大きな期待をしていませんでした。

羊が探偵をする。その設定だけで押し切る、軽いコメディだと思っていたからです。

実際には、羊ならではの動きや世界の見え方を使った笑いがあり、事件を追うミステリとしての設計があり、その奥に喪失と記憶の物語がありました。

とくに印象に残った道路の場面は、この映画のよさをよく表しています。

人間にとって当たり前のものを、羊の側から見直す。羊を人間の代わりに使うのではなく、羊が羊のまま世界へ出ていく姿を描く。だから、単なる動物ギャグを超えた笑いが生まれます。

そして、羊のまま外の世界を知っていくことが、そのまま成長の物語になります。

彼らが学ぶのは、道路の渡り方や人間社会の仕組みだけではありません。愛する者は死ぬこと。悲しい記憶は簡単には消えないこと。それでも仲間と一緒に生きていけることです。

原作の哲学性や毒気が映画化によって薄まったという批判はあります。The New Yorkerは、映画版が原作にあった羊の思考の奇妙さを、家族向けの寓話へ整理しすぎたと論じています。また、羊の場面に比べると人間側の物語が鈍いという評価もあります。

それでも、ボクは前知識なしで観てよかったと思います。

何を見せられるのか分からないまま観たからこそ、かわいい羊映画だと思っていた作品が、ミステリとしても、喪失の物語としても成立していることに驚けました。

見かけはかなり変わっています。でも、物語の作り方は驚くほど王道です。

愛する者を失った主人公たちが、仲間と協力し、自分たちの知らない世界へ踏み出し、少しだけ成長する。『ひつじ探偵団』の想像を超える面白さは、羊が探偵をする奇抜さよりも、その王道をきちんと作り切ったところにあります。

参考資料